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マウスコンピュータ総合33
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0851名無しさん
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2021/09/12(日) 19:05:11.850
 もう一つの流れは何かと。これはヨーガ派と呼ばれるものである。これは、現世を捨て、そして、ヒマラヤその他の山の奥地へ入り、熟考と吟味を繰り返す。当然、その熟考と吟味の土台となるものは、「三ヴェーダ」と呼ばれる経典である。この経典を土台とし、自己の本質とは何かを徹底的に見つめる。これがもう一つの派、ヨーガ派と呼ばれるものである。
 では、同じく、今から二千五百年以上前に登場した仏教は、このどちらに属するのかということについて検討しなければならない。これは明らかに、前者と後者を併わせ持った要素のものということができる。
 その典型的な例が、北伝仏教であるチベット仏教を見ればよくわかることである。つまり、所作、行、ヨーガ、そしてアヌッタラ・ヨーガタントラという四つのプロセスの中身は何かというと、まず儀式的なもの、祈りによって神々への近づきを行なうと。そして次の段階で、形ある神々との合一を果たすために、例えば「チァクラサンヴァラのヨーガ」とか、あるいは「グヒャサマージャのヨーガ」とか、あるいは「ヤマーンタカのヨーガ」とかいった形ある瞑想へと移行する。そして最終的には、無色のヨーガへと移行する。つまり「すべての現象は実体がない。すべての現象は、原因・条件・結果の三つによって成立するんだ」ということを認識するためのアヌッタラ・ヨーガタントラへと移行するのである。
 では、この極東である日本はどうであろうかと。残念ながらオウム真理教が登場するまで、一応密教の形は存在していたが、これはあくまでも形状界までの密教、しかもそれは現世御利益的密教しか存在しなかったということを皆さんは認識すべきである。
0852名無しさん
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2021/09/12(日) 19:06:16.340
 救済には、近視的、遠視的、あるいは通常の三つのパターンの救済が存在します。
 まず、近視的救済と呼ばれるものは、わたしたちが、この現実の世界に存在しながら幸福であるというポイントをもとに行なわれる救済です。例えば素情らしい結婚をするとか、あるいはいい大学に入るとか、あるいは実際問題としていい就職を行なうとか、まあこういうものを近視的救済ということができるでしょう。
 通常の救済とは何かというと、これは一般的に、例えば南伝仏教や北伝仏教、あるいは他のキリスト教やイスラム教等でも行なわれているように、来世というものを規定し、そして来世のために幸福に至る道を説くという教えです。
 そして遠視的救済とは何かというと、人間が最終的に本質的に自由・幸福・歓喜の道を得る世界へと到達させるということとなるでしょう。
 ここにいらっしやる皆さんは、この三つのパートのどれかに属する願望をお持ちだと思います。この願望を達成する方法は、同じように三つの方向から攻めることができるということができます。それは、個人個人が、まず、一般にいわれている道徳的な善行や、あるいは徳の修行を行なうことにより、幸福を得ようとする道と。そして、第二番目は、これは最高の法則、ハイエスト・ダンマに属するわけですが、自分自身の持っているエネルギーのコントロールを行なうことにより、超人的な思考状態、超人的な瞑想状態を得るという方法。そして第三番目は、これらを合わせた方法の三つということができます。
0853名無しさん
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2021/09/12(日) 19:11:22.160
 一九八九年九月、月の終わりに東京の杉並のある場所で瞑想をしているとき、いきなり頭頂が開き、そしてそこからどんよりとしたエネルギーと同時に、わたしに「キリストになれ」という示唆が降りた。
 みなさんはキリストというと“聖なるもの”、そして“偉大な救世主”という認識があるかもしれない。しかし、その当時のわたしにとって、キリストとは“ユダヤにおける一宗教的指導者”であり、彼の人生はただ単に苦難に満ちた人生、まさに“ほふられた小羊”、つまり“犠牲になった小羊”であるという印象しかなかった。したがって、いったいこの意味は何を意昧しているのか、これからわたしがどのような運命を歩かなければならないのか、それについてしばらく悩んだものである。
 キリスト教においては、イエス・キリストは贖罪として、つまり、わたしたちのカルマを浄化するために、いけにえとして、小羊として、神のみもとに召されたということになっている。しかしこれは、イエス・キリストそのものの言葉にはどこにも出てこない内容である。つまり、後世のバカな弟子どもが、カルマの法則を知らず、手前勝手な意見によってこのような法則を打ち立てたといわざるを得ない。
 ぐちゃぐちゃな状態に、この日本はいよいよ突入する。これらはすべてフリーメーソンの計画どおり進められている。
 では、フリーメーソンは、なぜこのぐちゃぐちゃな状態を作ろうとしているのかというと、彼らはもともと人間ではこの地上、地球というものはコントロールできず−−ここでいう「コントロール」とは支配という意味だが−−支配できず、そしてそれゆえに聖書の予言あるいはノストラダムスの予言、あるいはいろいろな聖者方の予言等を研究し、この世の中をぐちゃぐちゃにし、最終戦争に対しての準備を行なっていると。最終戦争に対する準備とは何かというと、これはまさにその最終戦争をクリアしない限り、キリストの統治がないと彼らは考えているからである。これこそがまさに聖書の予言の成就であり、そして自分たちが静かにこの地球で神へ至る道を歩くことができるただ一つの道である、と彼らは考えているのである。
0854名無しさん
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2021/09/12(日) 19:11:46.630
 この一九九○年代の終わりから二○○○年代にかけて、いったい何が起きるのかと。もうその前兆はすでに現われているが、各地での宗教戦争、そしてそこでのキリスト教徒の他の宗派に対する圧迫、および支配がどんどんどんどん強められる。例えば、スリランカはテーラヴァーダの仏教国であるとはいっているが、実際コントロールしている人たちは、キリスト教徒もいるし、また話す言語もスリランカの言葉ではなく、その支配階級は英語を話していると。
 これは聖書では、まさに「神に逆らう言葉」として表現されている。インドはどうかというと、イギリスの支配下に遭い、インドの上流階級も英語を話すと。もともと、神国、神の国と呼ばれていた日本はどうかと。これも同じように、中学校、高校と、もう今では幼稚園からそのカリキュラムがあるみたいだが、英語を話し、そして同じように神に逆らう言葉を話すことになる。これはまさにバベルの塔の完成である。
 ここでわたしが「バベルの塔」と言っているのは、何を意味しているのかというと、世界の民が同じ言語を話し、理解すると。まあ、昔は理解をしていたと。そしてバベルの塔を建設し、神に挑戦しようとしたと。そしてそのバベルの塔が、かなり高い時期に至ろうとしたと。そこで結局、そのバベルの塔を崩壊させるために、神は言語をいろいろつくり、そしてそれによって分散−−人間の魂の理解力を分散させるために、いろいろな言語をつくったといわれている。
0855名無しさん
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2021/09/12(日) 19:12:09.030
 ではなぜ、人間が同じ言語を話してはいけないのかという問題がある。これは同じ言語を話すことにより、共通の理解を行なうわけだが、その理解はあくまでも煩悩的な理解にすぎず、というのはエゴというものを本質的に個々は有しているから、そのエゴにおいては自分の利益、あるいは自分の家族の利益、自分の社会の利益、自分の国家の利益−−ここから逸脱することはない。したがって、ただ単に煩悩だけのために言語が発達し、そして共通の言語が登場すると、共通の言語が登場することにより、その煩悩はいよいよ増大され−−というのは、この人間の世界に輪廻転生している魂のほとんどは悪趣からの転生であり、天からの転生は少ないからである。それによりこの人間界はいよいよ動物化、低級霊域化するからである。したがって、それを神は分けたもうたということになっている。
 では、ここでいう神とは何かというと、旧約聖書のただ一人の神であるヤハウェなのか、あるいはヒンドゥー教ただ一人の神であるシヴァ大神なのかということになる。結論からいうと下から上は見えないから、「同じだ」と聖書でいっているとするならば、同じだと理解してもいいかもしれないし、あるいは例えば仏教的な見地に立って、「ああ、言語をコントロールしているとするならば、これこれの世界のこれこれの神だな」、あるいは、「裁きの神とするならば、これこれの世界の神だな」と理解することができる人は、そのように理解すればよろしい。
0856名無しさん
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2021/09/12(日) 19:13:10.750
 まあ、要するに、どの神がどうしたよりも大切なことは、これからこの人間の世界がどうなり、わたしたちがどのような生き方をすることによって、それを乗り越えることができるのかという問題に対しての、わたしたちは答えを用意する必要があるのである。その答えをただ一つ与える教え、それが真理であると。
 この真理とは何かというと、これは仏教の奥深くに隠れているエッセンス、あるいはキリスト教の聖典、バイブルではなく、キリストの教えの中に書かれているエッセンス、この中で非常に共通性があるわけだが、この共通性の部分プラス、それより崇高な教え、これは仏教に隠れているわけだが、あるいはヨーガ等に隠れているわけだが、それを真理と定義すると。そして、人間の魂をとにかく進化させ、人間が人間界に生まれ変わる、あるいは意識堕落天や天界に生まれ変わるための教え、これが真理であると。
 では、この真理に対して反対の教えとは何かというと、それはまさにわたしたちを人間界以下へ転生させる教えということになる。そしてそれによって縛る意識状態、つまり人間を無智化し、縛る意識状態をマーラ、悪魔と呼んでいるのである。
 つまり、定義ははっきりしている。低い世界へ引っ張り下ろすものは、すべてはマーラであり、それから上の世界へ引っ張り上げるもの、これはすべて真理であるということになる。そしてその真理をぶら下げ、衆生済度に乗り出す魂を救世主と呼ぶと。この救世主は何かというと、これはまさにメサイアであると。
0857名無しさん
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2021/09/12(日) 19:14:52.270
 では、このメサイアとキリストの違いは何なのか。もともとキリストとは何かというと、頭に油を注がれた者、という意味がある。「おやおや」と君たちは考えるかもしれない。頭に油が注がれた者といったら、それはまさに武人潅頂王ではないかと。そしてその武人潅頂王がしっかり戒誓行を行ない、そして輪宝が現われると、それは転輪聖王ではないかと。まさにそのとおりである。つまり、ここでキリスト教とそれから仏教の共通性が出てくることになる。
 ところで、次の問題点が生じる。この転輪聖王に対する認識が南伝仏教と北伝仏教は違うぞと。南伝仏教においては転輪聖王は悪趣をまだ捨断していないから、動物界へ転生することもあるし、低級霊域へ転生することもあるし、あるいは地獄へ転生することもあると。しかし、北伝仏教においては仏陀と同じ、つまり転輪聖王と仏陀は同格として扱われると。
 これはいったいどのように違うのかと。これはまさに転輪聖王の定義を理解すれば、よくわかることである。つまり、転輪聖王は、動物界・低級霊域・地獄へ生まれ変わることがある。「生まれ変わる」ではなくて、「生まれ変わることがある」。ということは、転輪聖王の中でも最終段階に至る、つまり法則をしっかり具足している魂である転輪聖王は生まれ変わらないということになる。つまり単なる可能を南伝仏教では表わしているわけであり、決定ではないということである。したがって、北伝仏教の方が狭義、つまり狭い範囲におけるキリスト、転輪聖王の定義を表わし、南伝仏教の方が広義、つまり広い範囲の転輪聖王の定義をしていると理解するならば、この二つの矛盾というものは生じないことになる。
 つまり、仏陀と同格、あるいは仏陀に非常に近い状態の魂が転輪聖王になることを北伝は示し、南伝ではその前の段階において法則を土台とした魂が、この地上を統治すること、しかしまだ完全に煩悩が切れておらず、煩悩を有し、それによって三悪趣へ至るかもしれない魂までも転輪聖王として定義しているのである。
0858名無しさん
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2021/09/12(日) 19:17:41.320
 では、もう一方の極まりであるユダヤ教はどうであろうか。もともとこのユダヤ教は、ヨーロッパの根本的宗教の一つであるということはできる。
 このユダヤ教には三つの段階が存在する。第一段階は、『旧約聖書』により一生懸命その信仰を進める。第一段階は、『タルムード』と呼ばれる分厚い経典を読むと。そして実践すると。これは、仏教的にいうならばマハーヤーナ仏教と非常に近いということができる。そして第三段階は、カバラ密教であると。そしてこのカバラ密教は、神への合一、および宇宙の創造主と合一するということを目的としている。
 ここで、興味深いことがある。このカバラにおける宇宙観と、そして、今オウム真理教が説き明かすテーラヴァーダの宇宙観は全く同じであるということである。その魂の落下は、階級的意識世界、つまり神聖世界がまず存在し、次に男女の成立。そして、邪悪な世界の成立という三つに大分していると。もちろんオウム真理教の教えは、その上に、光音天の世界をはじめとする上位形状界、あるいは上位非形状界というものが存在する。したがって、「このカバラの教えというものはオウム真理教の教えに内在している教え。しかし、その内在している部分については、全く、何ら変わりがないんだ」ということを認識すべきである。
 そして、彼らの説き明かす修行法の基本的なものは、極限の蓮華座、ムドラー、ビバリータ・カラニー(Viparita-Karani)といったヨーガ的技法であることはいうまでもない。では、なぜ彼らがこれに気づいたのかと。それは、もともとユダヤ教の教えの中にその法則があったわけではない。この法則は、あくまでもヨーロッパが、今のインド、あるいは中国と接して、その後持ち帰った内容であるということができる。そしてその後、秘密裏にこの宗教改革は押し進められているのである。
0859名無しさん
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2021/09/12(日) 19:20:23.820
 キリストを十字架に架けたユダヤの運命については、皆さんもよく知っているはずである。その後、ローマに追われ、そして流浪の民として一九○○年代の半ばまで彼らは放浪を続けなければならなかったと。つまり、自国を持つことができなかったのである。それほど一人の型者を冒涜したり、あるいは誇ったりすると、経典に書かれているように、激苦地獄への運命を歩かなければならないのである。キリストの弟子たちは、聖書を見てもわかるとおり、非常に未熟であったと。あの未熟な弟子たち−−もちろんキリストは聖者であったということだから−−あの未熱な弟子たちを謗ったとしても、あるいは殺したとしてもそれほど多くの、つまり国家が影響を受けなければならないほどの罪には至らなかったはずである。だとするならば、キリスト一人をユダヤ人が十字架に架けたことによって、彼らの悲運は始まったといわなければならない。
 オウム真理教の場合はどうかというと、偉大な成就者たちが存在している。その成就者たちが例えば血を吐き、あるいは鼻から出血し、あるいは湿疹ができ、あるいは心臓に痛みが走り、あるいは目が見えなくなるといったような今回の毒ガス反応は、この日本にとって現世果報を現わすはずである。現世果報とは何かというと、その悪業が満ち、そしてそれが現象界に現われることを表わしている。今の日本を見てもわかるとおり、例えばスーパー三○一条がそうだし、あるいは多くの会社の倒産がそうだし、あるいは初めて岩手で起きた信用金庫つまり銀行の倒産がそうだし、まあ、まもなく拓銀が倒産するという噂もあるけどね。このような多くの一般的な現象が生じ出していると。しかしこれはまだまだ序の口である。なぜならば、先程述べたとおり、彼らは世界でただ一つの光、これをつぶそうとしているからである。
0860名無しさん
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2021/09/12(日) 19:22:27.580
 そして、案の定、神々の悪戯、啓示であったことを表わすかのように、八九年から強烈なオウムバッシングが続いた。これは彼らが、つまり世界を統一しようとしているあるグループがアメリカを使い、そしてアメリカの配下としてのJCIA、内閣調査室を使い、あるいは公安を使い、オウム真理教の完全弾圧に踏み出したことを表わすサインだった、ということをわたしは近ごろ初めて知ったのである。
 近ごろ初めて知ったというのはどういうことかというと、例えば、この弾圧が日本の宗教団体、まあ例えば今これは有名な話だが、フリーメーソンの手先として頑張っている池田大作氏の率いる創価学会や、あるいは新生党の裏の実力者といわれている小沢一郎氏等々というラインまでの読みについては簡単に理解することができたわけだが、そうではなくその背景に、より大きな力が働いているということを知ったのが近ごろであるという意味である。
 わたしのこの左頬の上にある、まあこめかみといってもいいのかもしれないが−−水疱は、これはイペリットガス、あるいはマスタードガスといえばいいのかもしれないが、要するに、びらんガス、皮膚をただれさせるガスの症状の未期の段階を表わす一つの兆候である。末期の段階を表わす一つの兆候とは、このマスタードガスは四期に分かれ、そして最終的には皮膚湿疹と胸の締めつけ、出血、そして心臓の苦しみ等によってこの世を去らなければならない、そのような毒ガスなのである。
 この毒ガスは中国において若干使われ、またドイツが大量に研究開発したことが世界史上知られている。そしてその大量の毒ガスによってわたし自体がほふられなければならないとは、まだ八九年の段階でわたしは知ることができなかった。
0861名無しさん
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2021/09/12(日) 19:23:26.960
 昨日、わたしはこの大阪支部の説法において、天の法則の中の「天羅地網」とそれから「綾急の法則」について説いた。昨日この道場に来ていらっしゃらない方が若干名いるということだから、もう一度簡単に説明すると、「天羅地網」とは、あらゆる空間に人を配置し、そしてそれを網の目のように配置することによって、敵対する勢力のエネルギーを完全に摩擦によって摩滅していく方法である。この方法は、例えばいかに運動エネルギーがあったとしても、その物体に対して働き続けるαという加速度よりもμという抵抗、これが大きい場合、その物体の運動は静止に向かう。これと同じように、その組織の持つ、まあ例えばわたしの持つエネルギー、あるいは組織全体の持つエネルギーより、抵抗μを大きくすることによってその活動を停止させてしまう、という法則なのである。
 もう一つは緩急の法則である。この緩の法則と急の法則とは、「緩」とは要するにじわじわと攻め、見えないかたちで滅ぼしてしまう方法であり、「急」の法則とは、逆に例えばそれはちょうど去年の四月だったと思われるが、アメリカで起きた宗教団体つぶし、FBIの宗教団体つぶしのように武力を行使したり、あるいは政治的な圧力によって、あるいは司法における圧力によって完全に対象をつぶしてしまう方式である。
 この緩急の法則とそして天羅地網の二つが力を発揮するようになったのが、皆さんもよく知っている例えば坂本事件である。これらの例えばデッチ上げ・ねつ造等によって、堂々と国家はマスコミを使い、そして警察を使い、例えば信徒の宅訪、あるいは信徒、入会した信徒、もう坂本事件が終わって何年も経っているのに、その新しい信徒の親族等を回り、そしてその信徒が活動しづらい状況を作っていくと。この天羅地網の法則に対して破る手だてというのは、与えられる抵抗μよりも加速度αの方が強ければ徐々に徐々に組織は拡大し、そしてその網を破ることとなる。
0862名無しさん
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2021/09/12(日) 19:24:10.600
 オウム真理教自体の活動は、先程述べた天羅地網のこの網にもかかわらず、少しずつ少しずつ大きくなってきている。もともとオウム真理教の持つ、その加速度を確信していた彼らは、先程述べた、わたしたちを秘密裏に抹殺する毒ガス作戦に出たのである。これは仙台での説法でも述べたが、彼らの取った手は非常に巧妙である。例えば、もしわたしたちが毒ガスだということで毒ガスマスクを着けたとするならば、彼らは教団に押し入いり、そして、「こいつらは毒ガスを製作している」と、「そのための防御として毒ガスマスクをしているんだ」というふうにアピールし、そして強引な司法の権力によってわたしたちをつぶしにかかったはずである。
 ではだ。わたしたちがなぜこのようなほふられた運命、つまりいけにえとしての運命を歩かなければならないのか、について説かなければならない。もともとキリスト教の特徴とは何かというと、これは“罪をあがなう宗教”という意味が存在する。つまり、例えばキリストを信じたならば、そのときからその人の罪は解放されると。これはちょうど、わたしがあなた方のザンゲを受けるとあなた方の罪がわたしに来、そしてあなた方のカルマが解放され、そこから救済されることを意味している。これと同じように、例えばその集団が、例えばわたしや高弟たちがあなた方の罪を背負うとするならば、当然それはほふられる運命にあるのである。
 したがって、今このような状況にあることそのものが、キリストとそしてキリストの弟子たちの集団であることの証明といっても、それは正しいということができる。なぜならば、もともとエネルギーは絶対的に一定であり、とするならば、例えばあなた方の悪業がどこかで消滅しなければならない。それはあなた方が帰依する対象であるわたしや、あるいはわたしの弟子たちがそれを背負い、そしてそれによってあなた方の罪が解放されなければならないからである。
0863名無しさん
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2021/09/12(日) 19:24:45.990
 ところで、人間には二つのタイプが存在する。それは、情報によって魂をコントロールする側に立つ者と、情報によってコントロールされる側に立つ、二つの衆生である。この二つの衆生は、別の言い方をすれば、高い知性と知能を有しているグループと、それから低い知性と知能を有しているグループということができる。なぜそのように断言できるのかについてこれから少しお話をしよう。
 それは、もともと、情報によりコントロールされるということは、わたしたちが瞑想体験を行なってもわかるとおり、まさに悪趣へ至るときのプロセスとそっくりだからなのである。そこで現われるヴィジョンや、あるいは色、光といったようなものを自分自身でコントロールし、そして高い世界へ上がっていく教え、これこそがバルドの教えであるが、実際、ほとんどの魂はそうではなく、自分の修習した経験の構成により現われ出るヴィジョンに巻き込まれ、そして、輪廻を繰り返すと。
 つまり、低い世界へ至る魂の基本というものは、情報である。ということは、その魂は生前から情報にコントロールされていなければならないと。そのコントロールされている現実が、今まさにこの日本に生存しているわたしたちであるということを認識したとき、わたしたちは何を考えなければならないのかと。それはいかに情報を遮断し、そして内側に、自分の内側に何が存在するのかということを認識する必要があると。
 そして、この日本をはじめ、世界で起きているいろいろな現象は、ほとんどが嘘、デタラメであると。それは、あなた方自体、オウム真理教バッシングというものを経験してよくわかっている……と思う。この、ほとんどが嘘・デタラメの中で、では、何をどのように確信を持って達成すればいいのかと。それは、心を浄化するもの、そして意識を鮮明にするものを良しとし、心をけがすもの、意識を不鮮明にするものを悪しとするならば、わたしたちはおのずから、なさなければならないこと、そして、なしてはならないことに気づくはずである。
0864名無しさん
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2021/09/12(日) 19:25:37.130
 皆さんは大変恵まれた人生を歩いているということもできるし、また皆さんは大変な人生を歩いているということもできる。恵まれた人生とは何かというと、このカーリー・ユガの時代に真理の法則を実践できる、そして自分がその気になるならば、偉大な覚醒を達成できる人生を歩いているのだということである。もともと逆境の中での修行とそれから順風満帆での修行は全くその到達する結果が違うといわれている。なぜならば、先程述べた抵抗の多い状態で到達するということは、そこへ到達させるための加速度αも大きいということだからである。したがって、この逆境の中で皆さんが偉大な達成をする、その発願を行なう実践をしているということを皆さんは誇りに思うべきである。
 しかし、皆さんはもう一つ悲しむべき運命にあるということもできる。それは、カーリー・ユガの時代ということは、例えば親子関係や、あるいは兄弟の関係や、あるいは友人の関係等がすべて逆縁によって形成されているということである。もともとこの闇の時代の特徴というのは、それぞれが嫉妬によって憎み合うということなのである。つまり、四無量心における称賛の瞑想ができない環境で皆さんは生活をしなければならないと。したがって皆さんが到連しうるはずの最高の解脱、あるいは悟りに対して本来最も喜び、恩恵を受けなければならないはずの皆さんの肉親や、あるいは知人・友人が逆に手や足を引っ張る現象が起きるはずであるということである。もしそうでないとするならば、その魂は大変恵まれた魂ということになる。
 この一九○○年代の終わりから二○○○年代にかけて、皆さんが行なわなければならない実践は聖・科・武の三つである。この「聖」とはオウム真理教の教えをしっかりと実践し、そして聖者へと至る道である。
0865名無しさん
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2021/09/12(日) 19:26:39.450
 「科」とは現象に対して正確に熱考と吟味を重ね、それを理解する、あるいは必要な知識については経験をしっかりと根づかせながら、その対象を理解する訓練を行なうということである。
 「武」とは長の気・短の気を練るということである。長の気とは例えば易筋経等がそうであるが、身体のナーディーに対してプラーナを十分に循環させる、ゆっくりと循環させる技法であり、短の気とはそのプラーナを放出する、瞬間的に放出する、若干攻撃性を含んだ気の働きということになる。これらは皆さんが例えばアパンクリヤやヴァヤヴィヤ・クンバカやあるいはツァンダリーの瞑想、あるいは先程述べたウィンド・トレーニング等を行なうことにより、皆さんは確実に長の気・短の気を練り、そして例えば原爆が落ちようと、あるいは毒ガスの攻撃を受けようと、他の人と違い、延命できるはずである。
 これらの三つの実践、聖・科・武の実践、これを達成するために皆さんには三つの選択肢があるということができる。三つの選択肢とは何か。まず第一に在家で頑張りたいと考えている人は、早く長くパーフェクト・サーヴェーションを受け、そして解脱へ至る道である。今ここにつけているこの帽子は、これはパーフェクト・サーヴェーションの電極である。なぜわたしがこのような電極をつけているかというと、これは毒ガスから身体を回復させる上において非常に大きな力があるからである。このパーフェクト・サーヴェーションによって皆さんが悟りを開くとするならば、在家出家関係なく、皆さんの幸福な転生というものは約束される。したがって、在家で皆さんが生活する場合、必ずパーフェクト・サーヴェーションを受け、そして高い解脱へと到達するべきである。
 わたしは、君たちに成就を示してきた。そしていろいろな予言をなし、その予言が達成される度にわたしはこう言っている。「君たちの前にいる、麻原彰晃は予言された人物である」と。なぜ予言された人物か。それは予言どおりの形状を有し、しかも、君たちに、過去において現象を予言し、そして現在において、あるいは少し過去においてその予言の成就を達成したとき、「わたしはこのときこのように予言したではないか」という話ができるただ一つの魂だからである。
0866名無しさん
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2021/09/12(日) 19:28:31.250
 このような予言をなす魂というものは、今果たしてこの日本に、そして世界に存在するだろうか。
 これは先程述べた、わたしが日々、色をいかに取り払うか、あるいは苔をいかに取り払うか、あるいは沸騰した水をいかに静めるかという修行を行なっているからである。そしてもちろん、わたしの弟子の中で、高弟の中で、この修行を行なっている魂は、少しの予言、あるいはそれより少し大きな予言等の神秘的な力を有し出していると。
 これは当然である。なぜならばもともと、わたしたちの心を浄化することの時間というものは、一生、二生、五生、十生、千生程度ではとうてい達し得ない。しかし、その努力は必ずやわたしたちに報いるのである。しかも、それは短い期間でも多くの利益をわたしたちに与えてくれることはいうまでもないのである。
 オウム真理教は、マスコミに叩かれて、それでも発展してきた。その一つの現われとしては、渋谷から始まった十坪の道場が、今では道場の空間は一万六千坪になっていると。これは約千六百倍である。もし、マスコミの戦いに遭わなければ、今ごろその十倍あるいは百倍の空間を有していただろう。しかしわたしは、叩かれたことを喜んでいる。感謝している。なぜならば、叩かれることが予言だったからである。そして叩かれることは、予言として成就しなければならなかったのである。その叩かれた中でこの千六百倍に拡大した教団の道場の空間は、間もなく二千倍になろうとする。これは数カ月の内にね。
 したがって皆さんが在家で達成する、あるいは出家し解脱する、あるいはその中間位をとる、この三つの実践を行なうならば、皆さんの聖・科・武は確実なかたちで完成の域へと達していくはずである。
 コペルニクスやガリレオ・ガリレイは、邪宗である中世キリスト教に対して、「それでもこの地球は太陽の周りを回っているんだ」と考えたはずである。わたしも皆さんに言いたい。「けがれた魂がわたしを殺そうとしても、それでも真理はただ一つの道なんだ」とね。
 しっかりと頑張ろうね。いいね。
0867名無しさん
垢版 |
2021/09/12(日) 22:04:34.940
返す言葉がなくなると、オウムネタに逃げるパターン

> Wikipediaの情報が古いからだろ
これは恥ずかしい

> Wikipediaを全否定か
鵜呑みにしていることが恥ずかしいのにさらに恥の上塗り

バカアンチが思考停止の情弱爺だということはわかった
0868名無しさん
垢版 |
2021/09/12(日) 22:13:15.260
>>867
で、IR情報のどこを見てマウスPCが売れてると判断してる?

PCパーツ販売がメインのMCJグループ連結売上高を出しても
マウスPCが売れてる根拠にならないよな(笑)
0869名無しさん
垢版 |
2021/09/12(日) 22:39:28.220
>>867
IR情報から数字を出して言わないのはなんでかなあ(笑)
本当にIR情報を見てるのかなあ(笑)

売上の前年比だけで、マウスPCが売れてる根拠にならないぞ
テレワーク需要で前年より売れてるのは当たり前のこと
市場占有率が上がらないとね(失笑)
0871名無しさん
垢版 |
2021/09/13(月) 01:07:37.800
Joshin web日替わりセールの売れ残り
15台限定 → 残り15台  誰か買ってやれよ

https://joshinweb.jp/pc/21178/4948570724031.html
G-Tune 15.6型ゲーミングノートパソコン(Core i7/ 8GB/ 512GB/ GTX 1660 Ti)
KINGSOFT WPS Office 2 Standard ダウンロード版付属
0872名無しさん
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2021/09/13(月) 02:10:35.550
> Wikipediaの情報が古いからだろ
これは恥ずかしい

自分で調べることができないんだな
情報源はwikiだけって(笑)
0874名無しさん
垢版 |
2021/09/13(月) 04:03:48.290
Wikipediaをwikiって略しちゃう方が大概恥ずかしいんだが
0875名無しさん
垢版 |
2021/09/13(月) 09:46:41.330
情強はミキティの言い方でウィキピーって言うんやで
0878名無しさん
垢版 |
2021/09/13(月) 11:20:46.340
情弱爺のくせにこういう情報は必死で漁っているんだな、バカアンチは
MCJのHPを見ることもできないくせにな
0880名無しさん
垢版 |
2021/09/13(月) 13:05:31.270
> Wikipediaの情報が古いからだろ
これは恥ずかしい
0882名無しさん
垢版 |
2021/09/13(月) 14:50:05.700
マウス信者さんお得意のオウム返しキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
0886名無しさん
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2021/09/13(月) 18:22:05.610
オウムネタってそういうことだったのか
0887名無しさん
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2021/09/13(月) 18:48:50.740
Joshin web日替わりセールのG-Tune 15.6型ゲーミングノートパソコン

15台限定なのに1台も売れずに値段が戻った
0888名無しさん
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2021/09/13(月) 18:51:31.310
悲しいなあ
まージョーシンとかで買う層からすればマウスはちょっと割高感あるよね
0889名無しさん
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2021/09/13(月) 19:03:15.440
エイサーは安かったから売り切れた

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0890名無しさん
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2021/09/13(月) 20:27:16.560
 オウム真理教に対して、「被害者の会」というものがある。しかし、この「被害者の会」というものは、本来は「加害者の会」である。なぜ「加害者の会」なのかというと、つまり、本当の意味で、自由・幸福・歓喜を得ようとしている自分の肉親に対して、それを阻む。完全に地獄へ落ちる道を歩んでいる「加害者の会」といわざるを得ない。これは断言しよう。わたしが否定しようと、あるいはわたしがそれはあり得ないよと言おうと、間違いなく「被害者の会」の者たちは地獄へ落ちるだろう。それは、二千五百年前、仏陀釈迦牟尼が約束していることだからだ。そして、わたしも同じように見解を持っている。同じように、マスコミも地獄へ落ちるだろう。それは、真理というものの芽を摘み取ろうとしているからだ。それは、この宇宙の秩序が約束した、絶対的な真理である。
 では、この世の中の不条理というもの、不合理というものを離脱し、そして戒と定と慧を得、そして解脱に到達し、解脱智見を具した者は、いったいどういう世界へ行くのたろうか。それは、その人の機根と、それからどの程度マハーヤーナの修行、あるいはタントラ・ヴァジラヤーナの修行をしているかによって、到達する世界が違ってくる。
 わたしは今の被害者の会の行動そのものは”名人の木登り”だと考えています。いずれ彼らは墓穴を掘るでしょう。そして、マスコミも同じように、いずれ墓穴を掘るでしょう。それはカルマの法則というものは絶対だからです。そしてわたしの帰依してるもの、その最も中心をなす理論、それはカルマの法則だからです。
0891名無しさん
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2021/09/13(月) 20:28:12.950
 まず、最高の位、つまり最も優れた解脱智見の持ち主は、この現世にいて完壁な仏陀の状態になり、そして現世大涅槃をするだろう。次に、確かに神通は身につけているけれども、まだ例えば多くの者を出家させ、そして救済させることのできない者は、死の瞬間、マハー・ニルヴァーナへの道を歩くことになるだろう。そして、まだ死後の世界を完壁に理解していない者は、中間状態に入ったとき、つまりバルドーに入ったとき、マハー・ニルヴァーナへと入る光の道を通っていくことになるだろう。
 そして、まだ観念的な、功徳あるいは悪業というものに対する若干の引っかかりを残している者は、同しように光の道でも白銀の道を通って上がっていくことになるだろう。そして、まだ美しさに対して執着をしている者、あるいは醜さに対して若干の嫌悪のある者は、色界で修行し、それを完全に落とし、マハー・ニルヴァーナに入るか、あるいは色界で単にそのカルマが落ちるまで待って、自動的にマハー・ニルヴァーナに入るかの、どちらかの道を選ぶだろう。そして、この欲界が完全に破壊し終わるまで、つまり、すべての魂がマハー・ニルヴァーナに入るまで、この身を置こうと考えている者は、つまり身体に対する一つのこだわりがある者は、色究寛天−−これは光音天の最高位に属するわけだけれども−−その世界へ生まれ変わるだろう。このようにいわれています。そして、わたしもいろいろな世界を経験している。
 するとね、みんなはこう考えるかもしれない。「いや麻原、それは幻影ではないか」と。では、幻影だという人に対してお聞きしたい。過去において、生まれてからこの方、そういう情報を入れていないのに、なぜそういう経験をしていくんだと。もし、そういう情報を入れているならば、確かにそのイメージの世界で遊べるかもしれないけれど、そういう情報を入れていない者が、なぜそういう経験ができるんだという疑問をわたしは発したい。それは、つまり前生からの植えつけられたデータではないかと。
0892名無しさん
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2021/09/13(月) 20:28:39.800
 つまり、神秘的な体験には二通りある。一つは思い込みの体験。もう一つは、思い込もうとしても思い込めない、つまり経験をしたことのない体験。この二つがある。そして、前者は、要するにラージャ・ヨーガ的な、イメージ的な修行法の一段階にすぎないが、後者は、明らかにその人の前生からの精神的ステージ、あるいは霊的ステージを表わしていることは間違いない。
 皆さんは、これから何をなさなければならないのか。それは、皆さんが肯定しようとも、否定しょうとも、必ず死ぬんだということをまず前提に置かなければならない。そして、例えば今四十歳の方は、あと四十年、あるいは五十年、つまり八十歳、九十歳で死ぬんだと。それまでの間には、必ず完壁な保険を掛けるべきである。
 実は昨日、シークレット・ヨーガの一つで、こういう話があった。自分は、ご主人に引っ張られてオウム真理教に入信したと。でも、自分はオウム真理教に対して理解できないと。これは、ご主人は一生懸命修行なさっていて、奥さんがそれに対して反対した例だ。 そこでわたしが答えたのは、こういう内容だね。つまり、死後の世界はないかもしれないと。しかし、あるかもしれないと。そして、あなたは、死後の世界はないと断定のできる経験をしましたかと。ところが、死後の世界が存在するという経験を、例えば仏陀釈迦牟尼にしろそうだし、それはわたしにしろそうだし、あるいはイエス・キリストに、しろそうだし、マホメットにしろそうだけれども、経験している。ところが、死後の世界がないんだという人に対しては、その死後の世界がないという経験をしていないはずであると。
 この現世に対して、たかだか四十年、五十年に対して、例えば給料の五パーセント、あるいは十パーセントかもしれない、あるいは三パーセントかもしれないけれど、いろいろな形での保険を、わたしたちは掛けている。それと同じような気持ちで、死後の世界に保険を掛けるような気持ちで、ご修行なさったらどうだろうか。ただ、この保険というものは、お金の問題というよりも、自分の人生の一部分の時間を切り割いて、そしてそれに充てなくてはならないという違いがある。
0893名無しさん
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2021/09/13(月) 20:30:10.010
 オウム真理教の信徒として、皆さんがまず考えなくてはならないことは、必ず自分自身は死ぬんだということだ。それは、皆さんが肯定しようと、あるいは否定しようと、死ぬんだと。そして、その死というものは、皆さんの修行によってのみ、乗り越えることができるんだと。それ以外のものでは、決して乗り越えることはできないんだということを断言しなくてはならない。そして、それをもとに、もし皆さんが智慧があるならば、今日から、例えば五分、あるいは十分、あるいは一時間と修行を続けていくだろう。もし智慧がなければ、現世的な煩悩に負け、日々流され、死んだ瞬間、「しまった」と思うだろう。
 人は死ぬ。必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。これは事実だ。しかし、そのときにどういう死に方をするのかという、一つのね、信徒としての目的がある。それからもう一つ、先程述べた、別の意味合いで生まれた魂がいると。それはすべてを捨て、救済しなきゃならないんだと。この、地球のすべての魂をその動物的な要素から解放してあげ、そして高い世界へ至る道筋を示す必要があると。それが、オウム真理教の役目である。
 さあ、しっかり修行し、そして目を覚まそうではないか。どうだ! ね。
0895名無しさん
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2021/09/14(火) 02:44:52.950
バカアンチはマウスを買ってないから被害者でもないんだなあ
0896名無しさん
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2021/09/14(火) 03:49:46.200
 君たちは、君たちの中にまだピンとこない現象に対して、しっかり一つ一つの煩悩を落とし、その煩悩を落とした後に、現象に対して厳しい目でチェックを入れると。それによって、今、この日本で、世界で、何が行なわれようとしているのか、そしてそのとき、わたしたちがどうなるのかを検討すべきである。
 例えば日本は、アジアにおいての軍事大国であるといわれている。しかし、これはデタラメである。例えば中国が一発核をぶち込んだだけで、もう日本は終わってしまう。つまり何を言いたいのか。日本の軍備というものは、格好だけはいいが実際は全く力がない。そして、そのさらし者にあうのは、自衛隊であり、日本国民であることを認識すべきである。もし、本当に平和を保持するために、この国をしっかりとつくらなければならないとするならば、それは、本当の意味での軍事力が必要である。
 この言葉が、例えばね、この中にも存在しているであろう公安の人たちによって政府に上げられ、そして日本が真の意味での軍事を有することをわたしは期待したいと思う。
 理想は理想、現実は現実。例えばサキャ神賢の時代、サキャ神賢の教えを実践したビンビサーラ王にしろ、あるいはアジャータサットウ王にしろ、あるいは、パセーナディ王にしろ、彼らは強大な軍事力を誇ったと。それはなぜかというと、その時代のその法則に従ったものの考え方を確定させる、これこそが真理だからだ。つまり、空想と現実とは違うと。そして現実を踏まえて生きることこそ真の智慧者であり、真の勇者であるとわたしは考えます。
 これは、一九八九年の選挙のときもわたしは同じことを言っているけど、もし、自衛隊を保持するんだったら、強力な自衛隊にすべきである。あるいは強力な軍隊にすべきである。そうでなければ、逆に持たない方がいい。わかるよね、言っていることは。
0897名無しさん
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2021/09/14(火) 03:52:23.500
 もともと予言の流れそのものは、オウム真理教とは全く関係がない。これはもともと、わたし個人と関係があることである。したがって、このヴァジラヤーナの流れというものは、オウム真理教の運命とは関係がないと認識してほしい。しかし、ノストラダムスがキリストをわたしとして予言している以上、わたしが世の中の中心に引っ張り出され、そして、そうだね、まあ間もなくして、主役を演じなくてはならない時代が来ることは間違いないだろう。
 ではなぜ、それが起きるのかと。例えば、今の自衛隊を見てみよう。今の自衛隊の兵力は、いや、アジアにおいてはかなりの兵力、あるいはかなりの軍事力を持っているといわれている。しかし、それはあくまでも西側の誤った宣伝、つまり、日本に力を与えないための宣伝である。おそらく戦争になった場合、今の自衛隊はほとんど全滅するだろう。なぜならば核を撃ち込まれ、そして、例えばガス兵器、あるいは生物兵器を撃ち込まれたらもう終わりだからである。
 これはいくら個人的肉体を鍛錬したとしても、あるいはいくら、そうだね、マシンガン、あるいは爆薬の訓練をしたとしても、そんなものは何の役にも立たない。一発光れば終わってしまうと。そういう現象、そういう事態がわかっているにかかわらず、今の自衛隊は、自衛隊という名目のもと、海外まで行かされると。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。そして、特に今の日本の自衛隊のように、全く力のない軍事力を有している国は、相手から攻められたとき、まず悲惨な状態になるであろう。そして、第二次世界大戦の二の舞と。わたしは、今の自衛隊に対して一言言いたい。それはもし、軍隊として世界へ出ようとするならば、核兵器、あるいは細菌兵器、あるいは化学兵器を持つべきであると。そうではなく、もし「平和」というスローガンのもとに戦わないとするならば、自衛隊は廃棄すべきであると。この中間状態は、最も武術でいわれるところの危険性のある領域である。
0898名無しさん
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2021/09/14(火) 03:53:42.410
 しかし、今の世の中の流れからいくと、この中間の状態において、どうやらわたしたちは洗礼を受けなければならない状態に陥っているように思われる。したがって、オウム真理教の信徒はいかにしたらいいのか。それは、早く神の身体を完成させるべきである。つまり、善行をなし、徳を積み、そして寂静の修行、法則を徹底的に自分の内側に染み着かせ、根づかせるべきである。これは、いかなる現世的な仕事・生活よりも優先する第一の内容であるとわたしは言いたい。
 もちろん、ハルマゲドンが来ようが、ハルマゲドンが来まいが、わたしたちは死ぬ。そしてそれだけではなく、ハルマゲドンが来ようが来まいが、わたしたちがしっかり功徳を積み、善行をなし、法則を実践し、そして寂静の修行を行なうことにより、わたしたちは神々に至ることができる。今ここに、オウム真理教に、その法則は存在するのである。
 そして、ハルマゲドンが来ようが来まいが、わたしたちは死ぬわけだから、それに対して準備をなし、しっかりと、死後何が起きるのか、そしてそのときに何が最も必要なのかを理解すべきである。もちろん、大いなる真理の実践を行なうことにより、その大いなる結果はこの現世において得られ、そして、それによって大いなる至福・大いなる安楽が経験されることはいうまでもない。しかしそれは、本当に全力で修行しない限り、なかなか得られないものである。
 もともと、「ノアの方舟」のとき、ノアは衆生に対してこのように言った。「間もなく神の裁きがありますよ。さあ、あなた方もこの神の裁きに対して準備をしなさい」。しかしそれに対して、だれも耳を傾けなかった。そしてその結果、多くの者が大洪水で亡くなったと。
 しかし今回は、大洪水だけではない。洪水、疫病、飢種、そして戦禍である。これらが連続で起きるこの二十世紀の最終段階、それはちょうど第二次世界大戦前までは、あのような多くの被害が世界に現われないと信じていた人たちが、その期待を裏切られ、そして、大きな災いと何千万という人口が亡くなったあの様子を思い出せば、理解できるはずである。
0899名無しさん
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2021/09/14(火) 03:55:17.060
 君たちも知ってのとおり、わたしの予言−−九三年再軍備だといっている−−もうすでに軍備の前兆は始まっていると。例えばPKO法案の成立とそして軍艦マーチを奏でて広島から出艦する海上自衛隊と、これはもう過ぎ去ったことだよね。そして日本とアメリカの経済摩擦の悪化と、そして不景気と。そして選挙についていうならば、自民党の大勝大敗の繰り返しと。これはわたしが一九八○年代の後半に予言した内容だが、すべて成就している。そして次の日本のターニングポイントは一九九六年、七年、八年であると。ここで日本は大きな変化を遂げるはずである。この大きな変化は進化になるのか、あるいは逆に滅亡に至るのか、それはここにいる一人一人の皆さんがしっかりと修行し、そして神々の意識状態を形成するかどうかで決まるだろう。
 ま、そういう一見突飛と思われる話は別にして、わたしたちがなさなければならないこと、それは真理の実践である。いかに素晴らしい法則がそこに存在していたとしても、その法則をもし実践しなければ、わたしたちは何の恩恵も得ることができないのである。
 皆さんは、オウム真理教が世間から恐怖される理由を知っているかな、本当の意味の。それは光であるということができる。これは皆さん自体が瞑想体験を続けていけばよくわかることだが、光がまばゆく射した場合、それに対して恐怖すると。つまり、わたしたちの経験の構成、日々培っている徳とそれから善の量というのは、大したことはない。逆にわたしたちが日々培っている不善・不徳は多いと。そして光が強まるということは何を表わすのかというと、その不善・不徳が現象化するんだということを認識する必要がある。
0900名無しさん
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2021/09/14(火) 03:57:07.640
 そして、この不徳・不善が現象化すると、当然わたしたちは苦しみを経験しなければならない。よって光が強まるということは、不徳・不善の者にとっては、苦しいことなのである。しかし逆に、もし善・徳の実践を行なっている人はどうだろうかと。これは光が強まることによって、徳・善の現象化がはっきりと現われるから、喜ばれなければならないことであると。したがって皆さんは真理の実践を、真理の法則の実践をしっかり行なうべきである。
 そして今回の、この二十世紀の最後に来るハルマゲドンは、そのようなレベルではない。スケールが一けたも二けたも大きなスケールで展開される内容であるということを知ることができるならば、あなた方が何をどのように準備しなければならないかよく理解できるはずである。したがって、しっかりと修行してほしいと思う。いいね。
 わたしは、ハルマゲドンが来ようと来まいと、そんなことはどうでもいいと考えている。それはなぜかというと、これはグルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションの中でも少し話したが、どんな状況にあろうとも、もし大いなる功徳があれば、逆にこの人間の悪業の世界から離脱し、阿修羅や天界へ生まれ変わることができるからである。大切なことは、どんな状況に陥ろうとも、自分自身を律し、そして修行し、高め、そして高い世界に生まれ変わるための自分の心を確立することが必要だということだ。
 もちろん、まだ、今死んだら大変な世界に落ちてしまうという人のために、あるいはそうではなくて、もっと長く生き、そして多くの魂を救済したいという人のために、今富沢の方に約二千人収容できるシェルターを用意しています。これは、おそらく五月の十七日くらいに完成するでしょう。
 わたしは、皆さんとの約束は必ず守る。例えば、シャンバラ化計画も進めていくし、それから、多くの解脱者をこれから出していきたいと考えている。あとは、皆さんの、身・口・意の三つの業に、それを受けるだけの、つまり解脱していくだけの善根が生じているかどうかで決まってくるでしょう。
0902名無しさん
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2021/09/14(火) 17:38:06.270
52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/19(火) 13:54
マウスコンピュータに破防法適用を!マウスコンピュータに破防法適用を!
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0904名無しさん
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2021/09/15(水) 14:58:44.210
 昨日の信徒の質問の中に、夫から暴力を受ける妻がいる、その奥さんの話が出たわけだが、これについて言うならば、なぜその夫と結婚したのか、また、一回別れてなぜ復縁したのか、つまり、そのときの自分自身の心の働き、依存心とか、あるいは経済に対する貪りとかいう妻側の心の働き、これをカルマというのである。そしてそのカルマゆえに、自分は今暴力を受けなければならないということになる。
 したがって、真理の実践者は善をなし、徳をなし、そして法則の記憶修習−−記憶修習とは記憶し実践することを指すわけだが−−記憶修習をなし、そして寂静へ至る絶えず思念、心の繰り返し繰り返しの思いを持つと。これらを持ちながら、あらゆる先程述べたカルマ落とし、ここでいうカルマ落としとは何かというと、過去において積んだ傾向の結果、過去において積んだ心の傾向の結果として現われるいろいろな苦しみに対して淡々とそれを受けとめ、そしてそれを取り除くと。
 では、人間にとって最も大切な時期とは何かというと、それは死の時であるということができる。この死の時にその人が何を記憶修習しながら死ぬのかということがポイントになる。
 例えば例を挙げよう。腹上死というものがある。この腹上死とはセックスの最中にそのまま死んでしまうという死である。この腹上死の場合、一般的には動物界へ転生するといわれている。
 では、例えば酒を飲みながら卒中にかかって死んだ場合どうなんだろうかという問題がある。この場合、二通り考えられる。一つは痛みを生じさせているかどうか、あるいは痛みがないかどうかによって違ってくる。この場合、一般的には低級霊域、あるいは地獄へと転生する。もし、その卒中によって、脳溢血によって、身体的に痛みを感じ−−この身体的に痛みを感じるとは、この頭の病気にかかった場合、ちょうど、半中間状態の経験をするから、ガンガンとした痛みを意識が感じる−−この状態で転生する場合、一般的には地獄である。そうではなく、すっと抜け出した場合、一般的には低級霊域へと転生する。
0905名無しさん
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2021/09/15(水) 14:59:35.940
 では、例えば交通事故で死んだ場合どうだろうか。交通事故で死んだ場合、一般的に二つの転生を行なうといわれている。その二つの転生とは何かというと、まず、ショックにより完全に意識を失った場合、これは無智というものが背景により、その現象が現われるわけだから、動物界へ転生することになる。もう一つは、そのショックにより先程述べた中間状態での圧迫的な痛み、これを経験する場合、その魂は次の生激苦地獄へと生まれ変わるといわれている。
 では、例えば薬を打ちながら死んでいく場合はどうだろうか。俗にいう安楽死などがこれに当たる。この場合、百パーセント動物界へ転生する。つまり人間の意志というものが完全にシャットアウトされたかたちの輪廻になるから、これは動物界へと転生するのである。
 このようなかたちで、いろいろな死の状態を検討し、そしてどのようなかたちで死んでいくのかというのを見るならば、その魂がどの世界へ転生するかわかるし、この死というものがわたしたち修行者にとって最も大切であることが理解できる。
 したがって、例えばテーラヴァーダにおける仏典の中に死の時に僧が立ち会い、そしてそこからニルヴァーナに至るためのポワの技法が提示されるのである。このポワの技法はタントラ・ヴァジラヤーナ的な技法と、そして一般的な意識を徐々に移し変えるマハーヤーナ的な技法と、そしてヒナヤーナ的な技法の三つに分類される。この三つの分類の仕方は、例えばオウム真理教でいうならば、グルヨーガ・マイトレーヤの瞑想のように、別の身体を用意し、そこへ移し変える方法、これがタントラ・ヴァジラヤーナのポワということができる。
0906名無しさん
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2021/09/15(水) 15:00:06.340
 では、マハーヤーナのポワは何かというと、この人間の世界から低い世界の苦しみを記憶修習させ、それより一つ高い世界の喜びを記憶修習させると。これを繰り返し繰り返し行なうことにより、低い世界から高い世界へ意識を移し変えていく方法である。これがマハーヤーナのポワである。これはテーラヴァーダの仏典に見受けることができる。
 では、もう一つのポワは何かというと、これは、例えばある魂が、そのカルマの集積の最後として身体的な痛みを経験すると。そしてそれを三宝と離愛著の瞑想、この二つの瞑想によって完全に痛みから解放され、つまり肉体というものから完全に解放され、そして肉体から意識が離れると。肉体から意識が離れると一般的には低級霊域へと移行すると。しかし、他の低級霊域と違い、離愛著があるがゆえにその魂は、離愛著によって低級霊域から人食い鬼神、人食い鬼神から神聖天、神聖天から光音天といったプロセスをたどることとなる。これがヒナヤーナのポワである。
 ところでわたしは死に際して一つの生き方をしたいと考えている。それは形としては坂本龍馬のような生き方である。これはどういう生き方かというと、要するに自分のボーディサットヴァとしての記憶修習をし続け、そして例えばドブ川の中で前向きで倒れ、その死の瞬間も自分のなさなければならない記憶修習を忘れない死に方である。ではなぜこの記憶修習が必要なのかというと、人間は必ず死ぬべきものである。したがって、この死に対して逃れることができないとするならば、この身体を一つの乗り物と考え、また次の身体を得なければならない。その次の身体を得るためには死ぬ直前の記憶修習が最も必要であると。したがって自分の意志、自分の心の働きというものを決して曲げることなく、堂々と、そしてこの人間の世界を去っていきたいと考えている。
 ところで、今日の話は皆さんにこのような原則的な話ではなく、少し高度な智慧のある話をしたいと考えている。したがって今日のこの話はこの信徒の中でも理解できない人がほとんどかもしれないが、わたしとしては法則を残さなければならない立場にあるから、皆さんに特別な法則の伝授をしたいと思う。それは何かというと、ヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラ・ヴァジラヤーナにおけるものの考え方の違いである。
0907名無しさん
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2021/09/15(水) 15:00:34.650
 もともとヒナヤーナのものの考え方というのは、先程も述べた離愛著、現象から離れることをポイントとする。この現象から離れることによって、カルマの悪業から来る苦しみというものを経験しなくてすむ状況を作り上げると。そして、もともと本来持っているわたしたちの真我の特性によって解脱をするという方法である。
 第二のパターンはマハーヤーナ的な方法である。このマハーヤーナの方法は、もともと、この世界の構成要累を考え、そして善行や徳行を行なうことにより高い生命体へと至ると。高い生命体へと至ることにより智慧を磨くことが容易となり、そして高い智慧を有するようになると。高い智慧を有するようになることによって、よりいっそう現象に対する理解が強まり、そして解脱するという道である。
 第三番目はタントラ・ヴァジラヤーナの方法である。タントラ・ヴァジラヤーナの方法とは何かというと、この宇宙の構成要素とはこうである、人間の本質的な功徳と呼ばれるものは原理的にこうである、ということをはっきりと提示を受け、その提示によって真理とはこうだという実践をする修行である。
 まず「財」について考えてみよう。ヒナヤーナにおける財の考え方は、離愛著ゆえに放棄である。放棄とは何かというと、財を持たない、そして財を持つことによる貪りの生起等を徹底的に捨断する実践である。これがヒナヤーナにおける財の考え方である。
 ではマハーヤーナにおける財の考え方はどうかと。マハーヤーナにおける財の考え方は二つある。ひとつは自分か功徳を積まなければならないから、一生懸命財を集め、財を稼ぎ、そしてそれを布施するという道である。第二は、例えば財で困っていて、そして真理の実践できない人に対して、それを恵み与えるという方法である。これがマハーヤーナの財の考え方である。財とは財産の財ね。
0908名無しさん
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2021/09/15(水) 15:00:55.910
 では、タントラ・ヴァジラヤーナにおける財の考え方とはどうであろうかと。これはラトナサンバヴァの法則と呼ばれる法則がある。ラトナサンバヴァの法則とは何かというと、もともと財というものは個人に帰納するものではない、帰納とは個人がそれを所有する、そしてこれはわたしものであると呼ばれるものではない、と断定する。なぜ断定できるのかと。それは死ぬとき持っていけないではないかと。あるいは無常を根本とし、増減するではないかと。あるいは悪業をなした人も一時的に財を多く得ることができるじゃないかと。あるいは死ぬまで財を多く得ることができるじゃないかと。したがって、財というものは善でもなく悪でもなく、しかもそれは個人に帰納されるものではないんだと考える道である。ではこれに対して、ラトナサンバヴァつまり、黄色い真理勝者方はどうお説きになるのかと。財は善、あるいは徳のために使うべきであると。財は悪のためにあるいは不善不悪のために、つまり善でも悪でもないもののために使うべきではないと。そして、善・徳のために、もし財を使うことができるとするならば、それは盗み取ってもいいんだという考え方である。
 ここで一つ問題が出てくる。それはヒナヤーナにおける不偸盗の戒と財を盗み取ってもいいんだと考えるラトナサンバヴァの教えの矛盾である。しかし、この矛盾については簡単である。先程述べたとおり、まずヒナヤーナにおける不偸盗の戒と呼ばれるものは、この人が離愛著し、そして低級霊域へ入り、そこから人食い鬼神、神聖天、そして大神聖天、光音天へと至る道を歩くための実践である。一方ラトナサンバヴァの場合、先程述べたとおり、財というものはだれのものでも本来はないと。そしてそれは善にそれをもし化すことができるならば、それは奪い取ってもいいんだと考える。そして、それは功徳であると考える、その記憶修習ができるかどうかによって違ってくるということになる。したがって、ここでの戒律対ラトナサンバヴァの教えというのは矛盾しないのである。つまり、それはその人かどの程度智慧を有するのか、その人がどの程度本質的に真理というものを悟っているのかによって違ってくるのである。
0909名無しさん
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2021/09/15(水) 15:02:08.360
 次は。−−いいですか、この法則はもともとダライ・ラマ法王もお説きになりたかった法則だが、しかし、ダライ・ラマ法王は人間の知性があまりにも低いがゆえにお説きにならなかったとわたしは考えています。それゆえにチベットは滅んだんだと考えています。
 第二。第二はヒナヤーナにおける不殺生の戒と、それからマハーヤーナにおける生命延長という意味と、それからアクショーブヤの教えについて法則を説かなければならない。この不殺生、それからマハーヤーナの教え、それからアクショーブヤの教えについては、相当にこの教えを理解する場合、智慧を有するということができる。というのはヒナヤーナとそれからタントラ・ヴァジラヤーナは真っ向からその教えの本質、つまり解脱のシステムというものが対立するからである。  
 まず、なぜ不殺生をした方がいいのか。これは不殺生を行なうことにより、つまり、殺生しない戒律をじっと守り続けることにより、多くの魂に苦しみを与えないということがある。したがって、苦しみを与えないということは、自分自身が苦しまないということである。したがって、わたし、あるいはわたしの弟子たちは小さな生き物、大きな生き物に対してこの不殺生の戒律を守ると。したがって例えば毒ガス攻撃を受けたとしても苦しまないと。そして、最も大切なことは、その生から死へ、小さな生き物にしろ至らしめるときに意識の断絶が起きると。その意識の断絶イコール瞑想の断絶につながると。したがって、この不殺生の戒律というものは素晴らしい戒律であるということができる。
 ではマハーヤーナにおいては、この不殺生についてどう考えるのかと。単純に殺生しないではなく、他の生命体を喜ばせ、そして生命を長引かせる努力をすると。それによって自分自身の寿命を長引かせると。これが不殺生、そしてマハーヤーナにおける生命延長の実践ということになると。
0910名無しさん
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2021/09/15(水) 15:09:58.570
 では、タントラ・ヴァジラヤーナにおいてはどう考えるのかと。タントラ・ヴァジラヤーナにおいてはアクショーブヤの法則というものが存在する。アクショーブヤの法則とは何かというと、その生命体にとってどの時期に死ぬのが一番輪廻にとってプラスになるのかという実践である。つまり、例えば毎日悪業を積んでいる魂がいるとしよう。この魂は十年生きることによって地獄で十億年生きなきゃなんない。とするならば、例えば一年、二年、三年と長くなればなるほど、その次の生の苦しみは大きいと。したがって早く命を絶つべきであるという教えである。つまり、不殺生の戒と、このアクショーブヤの戒律というものは真っ向から対立することになる。しかし、カルマの法則から見るならば、両方とも正しいということができる。ただ、見ている点が違うんだと。
 つまり、ヒナヤーナの戒律においては自己の身体の苦痛というものをポイントとして見ていると。タントラ・ヴァジラヤーナにおいては自己の身体の苦痛ではなく、自分自身の輪廻転生、つまり意識は乗り物の主であり、そしてその乗り物の主は乗り物を移し変える、乗り物から乗り物へ移し変えるときの中心であるから、その主の道が外れないようにすることか必要なんだと考えると。したがってこの肉体の苦痛よりも輪廻を重視すると。これがアクショーブヤの戒律の本質であると。
 第三番目はヒナヤーナにおける不邪淫の戒と、マハーヤーナにおける慈愛と、それからタントラ・ヴァジラヤーナにおけるアミターバの戒律を対比をする必要がある。まず、ヒナヤーナにおける不邪淫の戒というものは、邪淫を行なうことによって自分自身の血流が性器に集中し、スヴァディスターナに集中すると。しかもそれだけではなく、例えば他人の妻−−一般的には他人の妻を盗むことを不邪淫の戒に触れるというわけだが−−他人の妻や他人の夫を盗むことによってその人の意識状態というものは、それを保持する魂の、つまり例えば妻や夫、特に一般的には経済的な面倒を見られているかどうかがポイントになるわけだが、その経済的な面倒を見られている方の魂のカルマを受けることになるから、これは動物界に落ちる。ゆえに不邪淫の戒は守るべきであると説くと。
 マハーヤーナにおいてはどうなのかというと、多くの人に多くの愛を注ぐと。しかし、ヒナヤーナにおける戒律というものは原則的に守られると。
0911名無しさん
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2021/09/15(水) 15:12:00.820
 では、アミターバの戒律はどうなるかと。ここでいうラトナサンバヴァ、アクショーブヤ、アミターバ、アモーガシッディ、ヴァイローチャナという五仏はこれは戒律である。戒律であるというのは何かというと、タントラ・ヴァジラヤーナにおける原則的な思考ということになる。
 これは、その魂にとってその伴侶が、あるいは恋人が、真理というものを考えた場合、その真理に対して益するのか、益しないのかということがポイントになる。例えば、妻に引っかかり、夫に引っかかっている場合、それは真理の実践から見ると、非常に障礙になるわけだが、もし、その場合は盗んでもいいということになる。というよりも積極的に盗め、という教えが存在するのである。これは何を意味しているのかというと、先ほども述べた、カルマの法則というものがすべてをこの五仏の法則においては、基本の修行者の考え方になっているのである。ではそれはどういうことかと。例えば、愛著し喜び合うということは徳の表われである。これは素晴らしいことである。しかし、愛著し喜び合うことにより、例えば真理を実践しないということは、その魂は、次の生において動物界へ転生するかもしれない。したがって、その魂のカルマを最も高い状態で輪廻させるために、魂にとって順縁の偽になっているものを奪い取るのである、これがアミターバの法則と呼ばれるものである。
 次は原因の道と呼ばれるヒナヤーナと、それから中間の道と呼ばれるマハーヤーナと、それから結果の道と呼ばれるタントラ・ヴァジラヤーナの大きな違いを表わした教えが存在する。これは何かというと、アモーガシッディの法則と呼ばれるものである。例えばヒナヤーナにおいては、少しずつ善を積み上げる、少しずつ徳を積み上げるということを行なう。
0912名無しさん
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2021/09/15(水) 15:12:42.580
 しかし、例えばアモーガシッディの法則になると、どうなるかというと、結果のためには手段を選ぶ必要がないと説くのである。なぜならば、もともとこの五仏の実践を行なう魂は、本質的に真我独存位であり、そして真我そのものの中に五つの仏陀の種子というものは存在しているわけだから、その五仏の実践を行なう魂のすべての行為は肯定されるべきである。したがって早く結果を出し、結果を出すことにより、世の中に大きな影響を与え、世の中に大きな影響を与えることにより、多くの衆生を済度しなければならないと説くのである。
 これがアモーガシッディの法則と呼ばれるものである。つまり、結果のためには手段を選ばないということである。
 最後にヴァイローチャナの法則というものが存在する。しかし、このヴァイローチャナの法則と呼ばれるものは、一般的に、まあ、ここであなた方に話したとしてもね、この日本では決して実践できえないものであるから。例えば、それは象の肉とか、いろんな肉が必要になってくるわけで、できないからここでは割愛させてもらう。
 したがって、わたしが今日言いたかったことは何かというと、自分自身がどのスタンスの修行を行なうのか、それはヒナヤーナなのか、マハーヤーナなのか、あるいはタントラ・ヴァジラヤーナなのかによって方法および結果が違ってきますよと。
0913名無しさん
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2021/09/15(水) 15:14:00.450
 この法則については、わたしはわたしがオウム真理教を始めて、説こうか説くまいかずっと迷った内容だ。というのは、もともとあなた方が教育を受けていない魂であるとするならば、この法則は簡単に説くことができる。しかしあなた方は教育という観念の枠組みを自分たちで作り上げていると。その教育という観念の枠組みは何を意味するのか。まあ、もともと教育とは国家体制を維持するためにあるわけだが、それによって例えばこのタントラ・ヴァジラヤーナの法則の真実の姿というものが誤解される可能性があると。
 しかしだよ。もうわたしの生命というものはいつ途絶えてもおかしくない状態にある。だとするならば、今までわたしを信じてきてくれたあなた方に対してこのタントラ・ヴァジラヤーナの五法の中の少なくとも四法についてはお話をしておく必要があると考えたのだ。
 したがって、もう一度言うならば、ヒナヤーナは個人の立場に立っていると。それからマハーヤーナは個人とそして周りの人を救済する立場に立っていると。タントラ・ヴァジラヤーナはこの字宙の秩序、そしてカルマの法則を維持する、そういう状況に立っている。つまり、宇宙の秩序を維持する立場、救済者の立場、救世主の立場に立っている法則であると理解してほしい。いいね。  このほかに、タントラ・ヴァジラヤーナにおいては、いろいろな戒律、および加行、および戒の実践が存在する。まあ、それについてもわたしがこれからどれぐらい生きるかわからんが、生きている間にわたしの過去世からの経験と、そして学んだこと、実践したことを含めて皆さんに話をしたいと思います。
0915名無しさん
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2021/09/15(水) 18:50:15.150
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0916名無しさん
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2021/09/16(木) 16:40:47.600
 今、わたしたちが考えなければならないこと、それは二つのことである。この一つは、いかに高い世界へ生まれ変わるか。そしてもう一つは、最も現実的な、これからいったい日本はどうなるのか、そしてその動乱の中、世界の動乱の中、自分自身はどのように生きたら天命を全うすることができるのかという二つである。
 わたしは教団の教祖であるという立場上、いろんな人のシークレット・ヨーガ等を受ける。そして、今まで一生懸命活動していた人たちはあまりこの経済不況等の影響を受けていないが、会社を運営し、しかしあまり活動していなかった人たちはそのバブル経済の崩壊により大変なダメージを受けているというのが現状である。
 では、なぜ真理を実践しないと、このバブル経済の影響を受けなければならなかったのかという問題についてまず言及してみたいと思う。
 もともと、このバブル経済の崩壊の裏には、わたしの推定では、三千六百兆円という日本経済の中から千二百兆円を抜き取られ、二千四百兆円しか今この日本の国の中は回っていないという現状−−これに対しての経済的姿勢というものが、まさに今の日本社会において、例えば倒産するかしないか、例えば普通に生きていけるかいけないかのポイントとなっているように思われる。では、どのような人が普通に生きていけ、そしてどのような人が生きていけなかったのかと。
0917名無しさん
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2021/09/16(木) 16:41:11.870
 もともと貪り、つまり物質的、あるいは経済等における貪欲さというものは、自分のためにいかにカネを集めるか、あるいは自分のためにいかに物を集めるかということがポイントとしてこの欲望は生起する。したがって、例えば三億持とうと五億持とうと、もっともっと大きなカネを得たいと考えるがゆえにそれを投資し、そして借り入れを行なうと。ここでのポイントは、この、借り入れを行なったり、あるいは投資したりするときに、「自分はもっと大きなカネを得たいんだ」という欲望が背景にあると。そして当然そういう性質の魂は、より多くの経費を使うこととなる。それは、自己のために使うことになる。
 そして、一見お金が儲かっているように見えるが、その裏側のしっかりした帳尻、例えば、借り入れがどれくらいで、そして実際に自分自身の資産がどれくらいであると。その資産も、例えば不動産のように、即売却できないものも当然あると。これらのものをしっかり計算しないで、どんどんお金を投資する。そして、どんどん借り入れると。
 確かに日本経済に、カネにゆとりがあるときは銀行もどんどん貸すだろうと。しかし、一千二百兆円という大きな金額が抜き取られた以上、当然銀行にもお金がなくなると。この段階で、結果的には返済を余儀なくされ、そしてそこで初めてハッと気づくと。「そうか、自分の会社は、これだけ大きな赤字で、資産を売却したとしてもこれだけの損失が出るんだ」と。
0918名無しさん
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2021/09/16(木) 16:41:37.730
 一方、真理の実践を行なっている魂は、布施等を一生懸命行なうがために、普段の生活を削る傾向にあると。そして自分にどれだけの力かあるかを絶えず見ているがゆえに、しかも、発想としては現金主義なるがゆえに、経済に対しては非常に敏感になると。そして入るものと出るものとを計算し、出るものが多くならないように検討すると。しかも布施によって大いなる功徳を積むと。この差は、よって、物質が少なくなったとき、あるいはお金が少なくなったときに大きな差として現われる現象である。
 ところで、これからの経済に対する対策はどうしたらいいのかと。今、株価は少しずつ上がっている。しかし、これも間もなく、一、二カ月のうちに同じような傾向、つまり、バブル的な崩壊をもう一度行なうはずである。それはなぜかというと、今日本に残されている二千四百兆円のお金を投資させ、そしてこの経済をよりいっそう冷やすために、今大きな力が動いているからである。
 ではなぜ、そうなるのかと。それは、一九二九年の恐慌を見てもらってもわかるとおり、これからいよいよ大きな戦いへと世界は集中するからである。そしてその大きな戦いとは、紛れもなくハルマゲドンのことである。そして、そのハルマゲドンは一九九七年である。
 では、どれくらいの間戦いは続くんだろうかと。ノストラダムスの予言詩を解読すると、三年数カ月とも、あるいは四十年とも五十年ともいわれると。つまり、ものすごく長きにわたり、戦いは続くのである。
0919名無しさん
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2021/09/16(木) 16:42:19.220
 この日本はどうかというと、先程も述べた、もうすでに一九二九年の不況と非常に似たかたちの経済構造になってきているから、間もなく、クーデターが起きる可能性は非常に高いと。現に去年から今年にかけて、自衛隊内部において二度ほどクーデターの計画が持ち上がったという話を聞いている、わたしは。
 では、そのとおりにこの日本は動くのだろうか、あるいは世界は動くのだろうかということについて検討しなければならない。それは「ノー」である。なぜならば、「歴史は繰り返す」といわれるが、実際にそうではない。必ず、以前生じたイデオロギーというものは必ず止滅する傾向にある。そして、この日本経済が本当にパニックになり、その後登場する勢力が−−旧勢力が現われるその前後に、新しい勢力が現われるはずである。これが予言の流れである。これは世界史を検討している者は、必ずこの現象に気づくはずである。
 そして必ず、新しい勢力が勝つことになっている。
 では、オウム真理教の信徒はいったい何を行なえばいいのかと。これは、たとえ第三次世界大戦が起きようと、ハルマゲドンが起きようと、人間は死ぬときは死ぬ。つまりそれは、これから五年後十年後に死ぬのか、あるいは、三十年後に死ぬのかの違いにすぎないと。つまりわたしたちは、永遠の生命というものを神に約束されたわけではない。
0920名無しさん
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2021/09/16(木) 16:43:03.200
 本当に永遠の生命を約束されたのは、供養値魂、つまり、阿羅漢に到達した魂だけである。なぜならばこの現象界は無常を根本としている。したがって、わたしたちが永遠の生命を得るためには、わたしたちの本質的な最高の意識−−これはサンスクリット語では「シヴァ」といっているがね、つまり「シヴァ大神」の本当の意味というのは、「最高の意識」とも、またテーラヴァーダ仏教においては「ニルヴァーナ」とも訳されている−−この意識に到達すること、つまり「シヴァ大神」に到達した魂のみが、不変・永遠の生命を得ることができるのである。そして、ここに気づく魂は非常に少ない。
 もともと『聖書』における教えも、今ヨーロッパやアメリカで行なわれているようなキリスト教ではなく、もともと「出家し、そして、不変の魂の存在へと至れ」という教えが中心である。
 それはこういう教えがある。ある金持ちの息子がイエスに質問した。
「わたしは、隣人に対する愛の実践をしております」と。
「そしてわたしは、戒律を守っております」と。
「しかしわたしはこれ以上のステージへと到達したいのです。」
と。そこでイエスは彼に答えた。
「だとするならば、あなたは、あなたの持っている財産を布施し、そして出家しなさい。」
と。しかし、彼はそれができず、そのうちキリストは弟子たちにこう言ったものだ。
「彼がそれ以上のステージに到達できないのは、財産に対する愛著があるがゆえなんだよ」と。
 ここでわたしはこの話をすることによって、あなた方に出家しなさい、と言っているわけではない。それは勘違いしないように。ここで言っているのは何かというと、『聖書』においても、今言ったとおり、出家を説き、そして戒律と無頓着、不所有を説いたんだということを理解しておきなさいよということだ。そしてそれこそが、世界に共通する聖者の流れである。
0921名無しさん
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2021/09/16(木) 16:44:22.330
 もともと、イエス・キリストというものは、ユダヤ教におけるキリストでないことは確かである。もともとイエス・キリストは、祭司であり、王ではない。しかし、彼が偉大な祭司であったこと、つまり偉大な宗教家であったことは『聖書』のいたるところに記述が述べられているし、また彼が神の子であったことも述べられている。
 では、ユダヤ教が望むキリスト、つまりメサイアとは何であるかということについて検討しなければならない。というのは、このメサイアは、ハルマゲドンにおいて、それから二千年の契約において、この世界を、地球を統治すると予言されているからである。
 例えば、「ヨハネの黙示録」には「ダビデの若枝」という表現がなされている。このダビデの若枝とは何かと。これは祭司と、それから軍事的な王、この両方を兼ね備えた武人潅頂王のことを表わしている。この「武人潅頂王」とは、「転輪獅子乱経」にも述べられているように、「聖なる者に、つまり予言者に祝福された者、頭に油を塗られた者」という意味である。つまりこれは、「予言者にイニシエーションを受けた祭司・宗教家である軍人」ということになる。そしてユダヤは、この救世主がハルマゲドン前後に現われる、と信じているのである。
 では、そのような宗教家が、果たして現われるのだろうかということを検討する必要がある。もともと、例えばマホメットは宗教家であった。そして彼は、自分自身の法則、それを防御するために結局国家と戦い、そして敗北すると。一回目は。その後、聖戦によって国家を取る、という流れを経験している。例えば今のイスラム革命におけるホメイニも同じであると。つまり、イスラムにおいてはそのような要素が非常に強いということになる。
 では、ヒンドゥーにおいてはどうであろうか。それは、ラーマがそうであり、あるいはクリシュナがそうであると。彼らも同じように、王族に生まれたり、あるいは貧しい家に生まれながら、結局神の王国を建設しようとし、そしてこの地上に少なくとも宗教的な国を建設し、そして天界へ帰っていると。
0922名無しさん
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2021/09/16(木) 16:45:15.920
 そして、ユダヤ人の望むものは、このキリスト、つまりメサイア、メシアであることは間違いない。
 しかし、今の世の中はそれを強く禁止していると。つまり、そのような魂が存在しないように一生懸命努力していると。ではなぜ、そのような魂が存在しないように努力するのかということについて検討しなければならない。
 もともとこの世の中を動かしているものは、「石工」と呼ばれるフリーメーソンである。このフリーメーソンには二つのタイプが存在している。それは、予言を信じ、キリストの登場を待つグループと、それからもう一つは、「キリストの存在そのものが実際は幻影ではないかと。つまり、現われてこないんではないかと。だとするならば、この地上は、それぞれカルマの法則が存在しないわけだから、個々が自由に生きるということをポイントに、世の中をつくり変えてしまおう」とするグループである。
 この二派の対決はずっと続いているが、今の段階ではこの後者、つまり、人間を完全に無智化させ、動物化させ、そして国家そのものが成立しないような状態をあちこちにつくり、それを一部の者がコントロールし、そして、この地上が完全に動物的自由、あるいは動物的な平等というものを与えることを目的として動いている。ではその例は何かと。それは、宗教戦争である。
 あなた方も知ってのとおり、世界の、今、あちらこちらで宗教戦争が勃発している。そしてその本質は、キリスト教対イスラム教、あるいはヒンドゥー教対イスラム教といったようなかたちを形成している。そしてスリランカにおいては、仏教対ヒンドゥー教の対決を行なっている。もともと研究をしっかり行なうならば、ヒンドゥーイズムというものは、仏教プラスヨーガが根本となったものであるということがわかる。
 しかし祭司階級、つまり宗教家たちは、自分のセクトの宗教だけにおぼれ、真理を探究するということを怠っている。それなるがゆえに、あちらこちらで宗教の対決が勃発している。そして当然、今世界を牛耳っているキリスト教、彼らは、多くの迫害を他の宗教になしていることは間違いがない。
0923名無しさん
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2021/09/16(木) 16:45:48.300
 ではこのような現象は次に何を生み出すのかと。すべてはカルマの法則である。したがって、迫害したものは迫害されなければならないし、また弾圧したものは弾圧されなければならない。よって、必ずや、この地上における宗教戦争は、最終的には仏教対キリスト教の対決になるであろう。
 ここで一つ論理の飛躍を見るかもしれない。今まで、例えばイスラム教対キリスト教、あるいはヒンドゥー教対イスラム教、あるいはヒンドゥー教対仏教という話は出たが、なぜ最後にキリスト教対仏教なのかと。
 それは、次のノストラダムスの予言詩を検討すればわかる。
 まず、第一のものが、この地上を支配すると。しかしそれは非常に弱い支配であると。これは、フランスを表わしている。
 次にイギリスが、より大きな支配を遂げるということになっている。君たちも知ってのとおり、フランスやイギリスは、このアジアに進入し、そして多くの迫害、宗教的迫害をなし、それによって仏教が衰退したことは理解できているはずである。
 そして、その次に登場するのが、プラエトルの地位にあるものが世界を完全に統治したかのように見えると。この「プラエトルの地位にあるもの」、つまりこれは、もともと宗教的要素のない軍事的大国が支配することを意味している。これはアメリカの支配である。そして国連もアメリカ中心に動いているし、実際問題として、軍事大国としてアメリカ以上の国は存在しないということになっている。
 そしてその後キリストが現われ、キリストはこの世界を統治することになっている。これがノストラダムスの予言詩の、そうだね、概略であると。
0924名無しさん
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2021/09/16(木) 16:48:07.000
 そしてこの、イギリス・アメリカ・フランスが弾圧してきた国、これはまさに、すべて仏教国であることは理解できよう。例えばイギリスのインド支配。あるいは、例えばフランス・アメリカのベトナム戦争ね。あるいは今のカンボジアの状況。このカンボジアの状況にも、同じように西側の国が大きな力を費やし、そして今は、もともと仏教国カンボジアが、完全に仏教のない状態になっていると。
 君たちはあまり、宗教的な話以外は興味がないかもしれない。それはわたしも同じである。しかし、この地上に生きていること、この世の中に生きていることは間違いないんだと。この地上に生きていること、世の中に生きていることが間違いない以上、わたしたちはそこで修行する必要がある。そして、すべての魂の幸福を願う以上、そこに生存する一人一人の魂の幸福を願う以上、これから世の中がどうなるのか、そしてその世の中に対して、自分自身は何をどう考え、どのように行動したらいいのかということになる。結論から言うと、わたしたちは高い悟り・高い解脱を目指すしかない。なぜならば、わたしたちは非力だからである。
 そして、この、あなた方は今日のね、講話によって、「時間がないんだ」と、「とにかくわたしはこれから徹底的に修行するぞ」と、「徹底的に高い世界へ至る道を実践するぞ!」−−そう確信を持ち、実践してくれるならば、今日のわたしの講話の意味をね、達成したこととなる。しっかり努力してほしい。いいね。
0925名無しさん
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2021/09/16(木) 16:49:07.100
 今から二千年前に登場したイエス・キリストを迫害したユダヤ人は、そのカルマによって五十年内外のうちに国外に追われ、そして流浪の旅へと至ったと。今の日本は、わたしをはじめとする偉大な達成者たちに対して、ものすごく大きな迫害をなしたと。このカルマは当然、日本経済の衰退、そしてそれだけではなく大きなカルマ落としをこれから受けなければならない。なぜならば、二千年前に登場したキリストと、それから今登場しているキリストとでは、そのカルマの大きさ、それから役割が全く違うからである。つまり、ちょうど天に唾を吐いたような現象が起きるはずである。
 そして、わたしの研究はいよいよノストラダムスについても最後を迎えてきている。それによると、九七年ハルマゲドンであると−−これは、まだわたし自体がその詩を検討しているわけではないから、不確定な要素が含まれているということを土台として聞いてほしい。今ノストラダムスについては、ヴィマラ君を中心とし、そしてそれをわたしがチェックして、もう一度詩の原義とそれから瞑想とに合わせて修正するというパターンを採っている。したがって、この訳はわたしが干渉していない段階での訳、その訳によると−−九七年、間違いなくハルマゲドンが起きるであろう。これは単純な理論で、詩の九十七番にそれがあるからだってことだね。つまりノストラダムスは、二期に分けて予言詩を展開していると。五章までの詩は、年代順に並んでいる。
 五章以降の詩は、年代順ではなくて、いろいろなキーワードを基に解かなければその順番がわからないという構成になっている。これは今まで、九○、九一、九二、九三とずっと追っかけていてね、ま、その結果か出たわけだけれども。したがって、記憶が間違っていなければ三章の九十七にこのハルマゲドンの予言詩があると。したがって、この人類の総人口が三分の一、あるいは二分の一、あるいは少なければ四分の一となるときは間もないであろうと、つまり数年以内であろうとわたしは予言する。
0926名無しさん
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2021/09/16(木) 16:50:44.720
 九七年にハルマゲドンがあったら、じゃあ何が次は起きるんだと。一般的には、ハルマゲドンイコール最終戦争という考え方を持つ。しかし実際そうではない。ハルマゲドンは、あくまでも「ハルマゲドン」と呼ばれるエリアでの戦いであると。しかもそれは、世界大戦の様相は秘めているが、まだそのときにはアメリカ、あるいはイギリス、フランスといった国々に力が残されていることは間違いないし、このときにまだ世界か認めるキリストは登場しないと。
 では、世界が認めるキリストはいつ登場するのかという問題になると。これは、最終的に二○○○年であろうと考えられる。ではその九七年の戦いには、キリストは参加しないのかと。これは、予言詩では参加することになっている。そしてその後、イギリスが叩かれ、そしてアメリカか叩かれると。これが予言詩の全容である。
 一九八九年九月、月の終わりに東京の杉並のある場所で瞑想をしているとき、いきなり頭頂が開き、そしてそこからどんよりとしたエネルギーと同時に、わたしに「キリストになれ」という示唆が降りた。
 もともと予言の流れそのものは、オウム真理教とは全く関係がない。これはもともと、わたし個人と関係があることである。したがって、このヴァジラヤーナの流れというものは、オウム真理教の運命とは関係がないと認識してほしい。しかし、ノストラダムスがキリストをわたしとして予言している以上、わたしが世の中の中心に引っ張り出され、そして、そうだね、まあ間もなくして、主役を演じなくてはならない時代が来ることは間違いないだろう。
0927名無しさん
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2021/09/16(木) 18:38:27.780
価格コム1位のやつ1万値下げはじまったー
0928名無しさん
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2021/09/16(木) 19:07:05.510
 今日はね、五道、三乗について説きたいと思います。五道、三乗とは何かと。この五道、三乗というのは、まず第一の道、これはわたしたちが阿修羅・人間・動物・餓鬼・地獄へと至る道であると。第二の道は何かと。これは四天王・小刀利天・夜摩天・兜率天、そして楽変化天・他化自在天へ至る道であると。第三の道は何かといったら、これは独覚とか、辟支仏とかいった世界へ至る道であると。第四の道は何だと。これは多聞の道であると。第五の道は何だと。これは菩薩の道であると。そして、この辟支・多聞・菩薩、この三つの分け方をもう少し違った形で分ける。それが三乗、つまり、小乗、大乗、そして秘密金剛乗であると。
 では、なぜ欲の六つの世界なのに、天界だけ別な扱いをしているんだと。では、なぜ天界へ生まれ変って素晴らしいかと。よく考えてみよう。天界という言葉と神という言葉は同一であろうか、なかろうかと。どうだ。
 よし、では、神の持つ力にはどういう力があるか。天眼・天耳・他心・漏尽・宿命・神足この六つがあるよね。そして、まあ漏尽というのはね、これは煩悩を滅する修行をしていなければ、なかなか得難いものだけども、今生で、例えば在家でできるだけ修行し、例えば出家してできるだけ煩悩を落とすと。そうすると、落としてない者に比べたらものをどうだ、ありのままに見つめることができると思うか、できないと思うか。これが漏尽の根本だよね。そして、天眼があると。宿命かあると。
 それによってわたしたちはわたしたちの生じ、生じては滅するという輪廻というものをよく理解できると思うか、できないと思うか。ということは前生修行し、そして煩悩をある程度滅却した者にとっては、その天の世界そのものは空しいと思うか、空しくないと思うか。楽しいけども空しいよね。そしてその空しさの背景、それを支えるものは何かといったら、先程言った神通力であると。
0929名無しさん
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2021/09/16(木) 19:08:10.520
 もう一度繰り返すならば、神という言葉と天という言葉は同義であると。ということは神通を持たない修行者という者は、どうだ、よく仏教ではね、サーリプッタ、マハーモッガラーナという二大弟子の名前を挙げて、マハーモッガラーナ、イコール神通力者、サーリプッタ、イコール智慧者と、つまり方便自在であると、いわれている。しかしだ、サーリプッタは神通がなかっただろうかと、どうだこれは。例えば、説法をする場合相手の心の状態がわからなくて正しい説法ができるだろうか、どうだ。
 つまり、わたしたちが最終的には、この欲六界を脱出し、そして「有」の世界である、七つのジャンルに分かれた十七の世界に生まれ変わるためには、天界へ生まれ変わることが一番いいわけだ。もちろんね、人間の世界に仏陀、あるいは素晴らしいグルが登場したならば、そりゃ人間の世界というのは、天界に比べて苦しみが多いから、今生でその苦と楽というものを経験できるから、人間界へ生まれた方がいいだろう。しかし、例えば真理を説く者がいないとするならば、どうだ、この人間界に果たして魅力というものがあるだろうかと。よって、仏典では兜率天で修行者が修行しているんだという一説があるわけだ。
 わたしはこう考えている。徳のある者は、苦悩多きこの人間の世界にね、素晴らしい宗教的な指導者が誕生したときは、人間の世界へ生まれるだろう。次に徳のある者は、天界に素晴らしい指導者が登場したとき、天の世界へ生まれるだろう。そして三番目に素晴らしい徳を持った者は、天の世界に指導者がいないとき、神通を、天に生まれるわけだから、持って、天に生まれ、無常を知るだろうと。そして、最も徳がないのは、指導者のいない人間の世界へ生まれる変わると。
 ここでなぜ特別に人間とそれから天界を、わたしが出した理由というのはわかるよね。阿修羅というのは一般的には修行しづらいといわれている。実際はそうじゃないけど。でもここでね、それをそうじゃないということで、時間を使って説法すること自体、意味がないからここではそれは避けると。そうすると、動物、あるいは餓鬼、地獄に関しては、なかなか真理というものはないわけだから、これは例外であると。だから天の世界と人間の世界を対比してね、今話したわけだ。
0930名無しさん
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2021/09/16(木) 19:11:18.980
 するとだ、グルがいようといまいと、天の世界へ生まれた修行者というものは、しかも煩悩を滅する訓練をしてる修行者というものはどうだ、素晴らしいと思わないか。
 では、いったい天へ生まれ変わるためには何をやったらいいかと。これは簡単なことだね。グル、そして真理、そして修行者に対して、大いなる功徳を積み、そしてできるだけ十の戒めを守り、七つの善行を行なうと。
 七つの善行というのは十の戒めの裏返しだったよね。第一は、生き物を殺さないで、慈しむ。第二は、盗みをなさないで施す。それから三番目のね、妻以外の者と、あるいは夫以外の者と、あるいは愛のないセックスをしないと。そして四番目は、嘘をつかないと。五番目は、一日一回の食事をとると。六番目は、堅い寝床で寝ると。例えば床に毛布を一枚敷いてとかね。決して豊かな寝具の上では寝ないと。柔らかい布団に寝ていれば、たくさん寝たいなと思うか、思わないか。ところが、寝床がひどければ、どうだ。早く起きたいと思わないか。そして、眠りが長ければ、それはわたしたちの心を愚鈍にするかしないか。いうことなんだね。よって、六番目にできるだけ堅い布団に寝ると。そして七番目は貪りを離れると。これが天へ生まれ変わる道であると。
 もちろん、この全部を達成すれば、欲界というのはね、エネルギーの世界であると。しかも熱エネルギー優位の世界であると。じゃあ、ここに一キロの爆薬があったと。ここに一トンの爆薬があったと。どちらの方が熱エネルギーが強いと思うか、爆発したとき。
 例えば、現代人という者は低いレベルで安定している。これはね、君たちがまだ切れていない例えば性的な煩悩があると。そうすると性的な煩悩が高じてくると。これは一種の爆薬だ。ところが、その器が小さいと低いレベルで爆発してしまう。そうするとそれは静まると。またエネルギーが高じてくると。そしてまた爆発すると。これを繰り返すと。そうするとどうだ、爆薬の量というのは増えると思うか、増えないと思うか。
0931名無しさん
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2021/09/16(木) 19:13:06.070
 ところが蓄えていると、それはつらいんだけども、少しずつ少しずつ器が大きくなると。そして例えば死んでいくと。そうすると、そこで爆発が起きると。そうすると当然熱エネルギーの多い方が高い世界なわけだから、その人の方が高い世界へ生まれ変わると。
 じゃあ、怒りだって、熱エネルギーだから、どんどん怒ってればいいじゃないかと。ところが怒りというものはエネルギーを生じるのではなくて、エネルギーを発散するんだね。わたしもね、この前、都庁に行ったとき、あまりにも課長や課長補佐の対応がひどかったんで、グヤサマジャの怒りを発してしまった。わたしの周りはものすごく熱かったそうだ。でもその熱かったというエネルギーはどこから出てるかというと、要するにわたしの生命エネルギーだよね。で、エネルギーを発散したということはどうなる。エネルギーを得したことになると思うか、損をしたことになると思うか。
 損、そうだね。よって、必要のないことで怒ることは自己の損失であると、感じなければならない。
 よって、あなた方がエネルギーをできるだけ蓄え、そして功徳をお積みになってね、そのエネルギーを上昇していくと。これが第二の道の天へ至る道であると。
 ということはだ、他の五つの世界に単純に生まれ変わる方法というのは簡単だな。どうだ。まず、喜んで貪る。そして、自分と敵対する者に対してはすべて嫌悪の念を持って怒ると。そして、意味のないことにエネルギーを徹底的に浪費すると。そして、ああ、楽しかったと思うと。どうだ、この後は。わたしたちの行き着く先は五道だよね。五道の、地獄から阿修羅までの世界であると。わかったかな。
0932名無しさん
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2021/09/16(木) 19:17:18.090
 でもね、君たちはこう考えるかもしれない。でもこの前のとき麻原はね、怒ったじゃないかと。そこで、先程の小乗、大乗、それからね、秘密金剛乗、タントラ・ヴァジラヤーナという話が出てくるんだ。
 一つ質問しようね。ここに二つの怒りがあると。一つは自己を保全するために怒ったと。もう一つは例えばね、真埋を守るために、あるいは正義を通すために怒りを発したと。この二つの怒りは、本質的には同じだと思うか、違うと思うか。
 例えば自己の怒りによって、自己のエネルギーの損失が生じると。でもそれによって真理が保全されるということ、これはね、自利であろうか、利他であろうか、どうだ。そしてその利他心というものは心を成熟させるだろうか、させないであろうかと。そして、心を成熟させるということはどうだ。わたしたちが本来持っている、経験していかなきゃならない高い経験をさせてることになるんじゃないか。自己の利益保全のための行、つまり行ないというものは、これはわたしたちを欲の世界に結びつけてしまうよね。わかるね。ところか、利他というものは逆にわたしたちを欲の世界から解放する働きがあるよね、どうだ。
 では、欲界と色界とはどちらが高いであろうかと。欲界と上位アストラル世界はどちらが高いであろうかと。どうだ。色界の方が高いよね。欲界というのは自利の世界であると。色界というのは利他の世界であると。そう考えることができる。
0933名無しさん
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2021/09/16(木) 19:20:32.110
 現世の煩悩にまみえて修行してるから徳は積むと。しかし、欲が生起しないかといったら、生起する場合もあると。よって、欲界に生まれ変わる可能性が強い。だから、もし欲界に生まれ変わりたくないと、色界でも嫌だと、無色界に生まれ変わりたいと。こういう人はクンダリニー・ヨーガの成就をしたら、だれにも言わないで黙って消えるべきだ。そして人里離れた所で静かにね、涅槃すると。でなかったら、わたし自体はね、今日の最後に説く菩薩の道を君たちに歩かしたいと考えているから、せっかく得た君たちの色界、あるいは無色界に生まれ変わるチャンスをね、棒に振らせるからね。
 そして、辟支に至るための瞑想法、これは、来月号の『マハーヤーナ』から、『マハーヤーナ』の中で『阿含経典』の解説を始めるから、その瞑想を一生懸命やればいいと。
 次にだ。では、色界にはどのようにしたら生まれ変わることができるだろうかと。つまりわたしたちの持っている貪り、嫌悪、そして無智といったこの三つを取り除くと。しかし、ただ一つ取り除かないものがあると。それは生命に対する欲求であると。もう、もともと、貪り・嫌悪・無智を取り除いたら、その世界はすごく美しい世界なんだね。よって君たちか煩悩を滅却し、そして利他の心を持ち、そして生命に対する愛着はまだ切れないと。このとき、君たちは色界に生まれ変わります。
0934名無しさん
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2021/09/16(木) 19:21:42.990
 そして、生命に対する愛着すらだよ、その生命に対する愛着というのは、わたしは生命に対する愛着はないよといっている人も中にはいるけど、ここでいう生命に対する愛着とは、この肉体から魂が抜け出すとき、これは瞑想で経験するわけだけど、それに対して平気で、しかも「有」に対して執着しないと。「有」というのは形あるものに対して執着しないとき、その人は無色界に生まれ変わります。しかも、かなり高い無色界に生まれ変わることができる。これは、オウムの言葉を使うならば、コーザル世界だよね。いいですか。
 はい。では、弟三の道。辟支、あるいは独覚というのはどういう道であろうかと。これはグルが与えた瞑想課題をただひたすら瞑想すると。例えばそれはツァンダリーの瞑想かもしれない。あるいは五蘊の瞑想かもしれない。あるいは十二縁起の瞑想かもしれない。あるいは五根五力の瞑想かもしれない。あるいは五感を滅する瞑想かもしれない。いろんな瞑想がある。それをただひたすら行じ、そして、その人が周りの影響を受けない状態で解脱したと。この状態が辟支の状態であると。
 そして実はね、オウムの中に三つの修行体系が含まれているのを君たちは知っていたかな。一つは立位礼拝、および極厳修行、あるいは忍辱精進修行、これは独覚の道であると。そして、今日みたいに瞑想修行と関係ない世界観、あるいは真理の素晴らしさを聴くこと、これはこの次に説明する多聞の世界であると。そして君たちの日々のワーク、これは菩薩の修行であると。つまり、君たちはオウムのシッシャとして頑張っている限り、絶えず三つの修行をしているんだと。しかもそれは一定の期間必ず修行できるという素晴らしい功徳を君たちが持ってるわけだね。
 よって独覚というのはね、意志の力さえ強ければそんなに難しい成就ではない。またグルの教えをね、さえ着実に実践すれば必ず独覚、この成就はあり得ると。そう考えましょう。いいね。
0935名無しさん
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2021/09/16(木) 19:23:31.640
 人の心の働きをよく考えてみよう。例えば、いいか。悪い世界へ行きたいと、苦悩の世界へ落ちたいと思う心があるだろうかと。どうだ。高い世界へ生まれ変わるために修行してるんじゃないかと。それを知っていてあえて行なう、そのときの心の強さ、この人の心の成熟の状態というのは、いかなるものだろうかと。どうだ。それに比べて、ただ単に善を行なうと。これは、他に対する利益でもある、例えば肉体を供養するときもね、その肉体を供養することによって、例えば発願し、未来において仏陀になりたいと発願すると。これは素晴らしいことだ。しかし、いいかな。そのときは自分にもよく、他人にもいいわけだね、どうだ。
 しかしここにタントラの菩薩がいて、このタントラの菩薩というものは、自分に悪く、他にいい修行をしていると。例えばここでこれをなすならば、せっかく自分の持っているエネルギー、あるいは、せっかく自分の積んできた功徳が台無しになってしまうと。しかし、それでも他に対して他を利するためにそれを行なうと。どちらの方が心が強く、そしてどちらの方がね、本当の意味での愛を持っているだろうかと。どうだ。わかるかな、言っていることは。
0936名無しさん
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2021/09/16(木) 19:24:21.670
 もう少しつけ加えよう、それについて。大乗の菩薩というのはね、根本的になっているものは善が背景なんです。善というのは善きこと。しかもそれは、自分にもよく他にもいいこと。これが大乗の菩薩の定義なんだね。だから例えば、もし自分に悪く、他人にいい場合、もちろん自分に良く他人に悪い場合は当てはまらないけど、自分に悪く、つまり自己の悪業になり、他の善業、他を利する場合というのは大乗の菩薩は、そういう行動をとらないんだ。
 ところが、タントラの菩薩というのはね、自己は悪業を積むことになると、しかしそれが、他に対して利をなすならば、それを最高の実践課題とするわけだ。
 仏陀の定義を考えてみようじゃないか。仏陀の根本というのは大慈、大悲じゃないか、どうだ。大いなる愛、大いなる哀れみじゃないか、どうだ。たとえ、悪い世界へ落ちたとしてもそれがすべての魂のためになるとするならば、もうすでにそれは仏陀の心の、その人の心の中に仏陀の種子が蒔かれているという答えにならないか、どうだ。
 たとえいったん低い世界に降りたとしても、そんな低い高いというのは、一時的な現象ではないか。最終的な絶対的な世界に入るためには、高い世界低い世界関係ないわけだね。つまり、その途中のプロセスは関係ないと。だからたとえ地獄に落ちようと餓鬼へ落ちようと、そんなのはどうでもいいと。大切なことは最後の瞬間なんだね。いかに早く、そしていかに多くの人を救済できるかと。そして自分自身がいかに早く本当の意味での慈悲を身につけることができるかと。どうだ。それを考えたならば、大乗の仏陀とタントラの仏陀ではタントラの仏陀の方が当然早く心は成熟するよね、どうだ。そして、これがだぞ、ポイントは。タントラが早く仏陀になる意味なんだよ。
 今日は、五道そして三乗を説いたけども理解できたかな、みんな。そして、五道、三乗があるということは、いかにこの五道、三乗が難しいか大変であるかということ、これを理解しなければならない。そして、日々、集中、精進、功徳、ザンゲ、戒、これをね、きちんと守るようにしなさい。いいね。
0939名無しさん
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2021/09/16(木) 23:19:07.700
さずが自分のオウムネタにはダンマリ
0940名無しさん
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2021/09/17(金) 00:14:55.530
自分のことが連呼されて黙っていられないバカアンチ(笑)
0942名無しさん
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2021/09/17(金) 01:23:24.710
オウムネタでマウススレを壊すバカアンチ
壊れているのがバカアンチなんだが
0943名無しさん
垢版 |
2021/09/17(金) 06:20:47.110
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0944名無しさん
垢版 |
2021/09/17(金) 09:31:42.120
根拠のない印象操作でマウスを誹謗中傷してきたバカアンチ
0945名無しさん
垢版 |
2021/09/17(金) 20:39:12.790
 大乗においては、善行というのはものすごく重きが置かれる。小乗においては、遠離というものが中心となる。そして、金剛乗においては、強い帰依、それからエネルギーの流れ、これが重きを置かれると。
 では、この三つというものはいったい、どのようにして違うのだろうかと。小乗の世界というものは、この苦というものが存在している中に自己を置いて、そしてその苦悩、苦からすべて離れると。そして離れることによって、まあ言い方を換えれば「離れる」という言葉が合わなければ、「押し退ける」といった方が正しいのかもしんない。押し退けることによって自己を現象と隔離し、そして自己を見つめ、解脱すると。これが小乗のプロセスである。
 大乗というものはどうかと。もともと苦というものは存在してるんだと。そして本当の意味でのすべてを知るためには、その苦を直視しなければならない。そして直視すると。そうすると、例えば善行をなせば、苦というものの総量はどんどん減ってくると。そして、功徳優位、あるいは完全なる功徳だけの状態になれば、この世というものはすべてが楽に変わると。これが大乗のプロセス。そして、すべてが楽に変わったということは、苦悩から解脱したということになる。
 金剛乗の教えというものは、もともとグルというものを絶対的な立場に置いて、そのグルに帰依をすると。そして、自己を空っぼにする努力をすると。その空っぼになった器に、グルの経験、あるいはグルのエネルギー、これをなみなみと満ち溢れさせると。つまり、グルのクローン化をすると。あるいは守護者のクローン化をすると。これがヴァジラヤーナだね。
 で、何をわたしが今言いたいかというと、いよいよオウムが、ヴァジラヤーナのプロセスに入ってきたと。そして、このヴァジラヤーナのプロセスというのは、善も悪もないと。ただ心を清め、そして真理を直視し、目の前にある修行に没頭し、あとは神聖なるグルのエネルギーの移入によって成就すると。
0946名無しさん
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2021/09/17(金) 20:40:53.000
 そして、オウムのこの三年の足取りは、まず小乗を説いたと。それは、四念処の観によって小乗を説いたと。我身これ不浄なりと。感覚そのものは苦悩であると。そして、人の心というものは絶えず変化すると。観念というものは自己を苦しめるものであって、それは真実ではないと。身・受・心・法といわれるものです。そして次に『マハーヤーナ・スートラ』をはじめとする善行を説いたと。功徳がベースであると。功徳によってこの現象は変わり得ると。そしてあなた方、わたしの弟子は激しい修行によって自己を空っぽにし、グルだけを意識することによって、グルの神聖なエネルギーをあなた方に注入されると。それによってあなた方は霊性の向上を行なうと。
 そして、わたしの後継者である三女が、自己の立場というものに目覚め、真の意味で帰依のできている……にシャクテイーパットを行なっているみたいだ。で、これは彼女のエネルギーとわたしのエネルギーというものは全く同一だから、おそらく異常なスピードでその祝福を受けた者は進むだろう。もちろんわたしも、今日から少しづつ、少しづつ、成就させようと考えた人たちにエネルギーを入れていきたいと考えている。そして来週の土曜日までには、七名ぐらいのクンダリニー・ヨーガの成就者を出したいと考えている。ただこの七名は、四月、あるいは五月、六月から激しい修行をしてきた人たちだ。今年、わたしは四十名の成就者を出すと約束して、まだ四名の成就者しか出ていない。ということは、あと三十六名の成就者を出さなければならない。おそらく十月中に二十名、成就者が出るだろう。そして十一、十二月であと十六名の成就者が出るかどうかがね、わたしの言業のカルマ、嘘をつかないという実践に大きな影響を与えることになるだろう。
 わたしは修行上の嘘はつきたくないし、またつかないつもりでいる。ただそれはあくまでも素材があって、その素材が全力で自己を磨いたとき、初めてエネルギー移入によって成就というのは成り立つ。
0947名無しさん
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2021/09/17(金) 20:42:05.730
 今日、わたしは立位礼拝を見てびっくりした。なぜびっくりしたかというと、ああ早く時間が経てばいいと、できるだけ怠けようと、そういう心でみんなが立位礼拝をやってる。「あ−、雑念だ」と、苦だと思いながらやっている。そういう心の働きでいったいどうして成就があり得ようか。あるいはどうして自己を超越する解脱というものがあり得ようか。
 わたしは以前からこう言っている。修行というものは、この現世を超えた人のみ達成することができる。「現世を超えた」とはどのようなことか。ある者は才能を持ち、ある者は人並み以上の優しさを持ち、ある者は人並み以上の自己に対する厳しさを持つ。そしてその修行の途中の過程では、才能や、あるいは優しさや、あるいは厳しさを磨いていく、これが修行であると。そして、その修行の終焉に最終解脱がある。
 つまりここに成就者といわれる人がいて、その人が凡夫と変わらない思考をし、凡夫と変わらない才能しかないとするならば、それは成就者でも何でもない。なぜならば、解脱、これを英語ではエンライトンメントという。エンライトンメントとは何かといったら、人智の進歩と。知性が向上することと訳されている。そして、わたしがカール・リンポチェに、解脱とは何だと聞いたとき、同じように、たくさんの解脱があって、その解脱というものは人智の進歩なんだと言ってらっしゃる。だとするならば、修行し、才能が向上することは当たり前であると。だとするならば、意志のカが強くなるのは当たり前であると。だとするならば、幸福になり、豊かになることは当たり前であると。もし、そういうものが植えつかないような修行をしているとしたならば、それは本当の修行ではない。
 今日からは、もう一度、今までの自分の修行を振り返ってみようじゃないか。まず立位礼拝のムドラーは、大きな詞章を唱え、そしてさっと五体を投地すると。そのときできるだけ腰を伸ばすと。そしてさっと戻ると。これが立位礼拝のムドラーであると。そうだね。
 それからワークは、ワークの最中、そのワークに集中する。あるいはグルに集中することによって集中力を養う。そうだったね。全力で頑張んなさい。
0948名無しさん
垢版 |
2021/09/17(金) 20:43:11.430
 そういうことを意識しないで、できるだけ手を抜こう、できるだけゆっくりやろうと、ああ疲れたなと、そういう心に支配されているようでは、まだまだ解脱はおぼつかない。そして、たとえ祝福があったとしても、たとえシャクティーパットがあったとしても、たとえイニシエーションがあったとしても、その人が自己を集中すること、自己の心を成熟させることに集中していなかったならば、結果は得られないだろう。
 今日からもう一度考えよう。わたしたちが今、あるいは今から経験することは、苦しみはね、それはすべて未来において苦しまなければならない経験だ。
 例えば、今日から独房に数名の人問が入る。この人たちがもし、独房の真っ暗閣を恐いと考えたならば、それは間違いなく死後の世界において、輪廻転生において正しくない転生を行なうだろう。なぜならば、闇の恐怖というものが、その人の正確な判断を崩し、そして正しくない光に飛び込む、あるいは正しくないヴィジョンに飛び込んで苦悩の世界に生まれ変わるからだ。
 例えば、立位礼拝のとき、カルマが出てきて痛みがあったと。その痛みを必要以上に意識するならば、その人が地獄一の炎の中で焼かれるときの苦しみというものは、同じようにすごいはずだ。なぜそういえるかと。
 例えば、護摩法のとき、放射熱というものか出る。その同じ距離にいて、炎が同じように赤くなるにかかわらず、ある者はあまり苦痛を感じない。ある者はものすごく熱がる。外的条件は同じだ。しかし内的条件によって苦悩は違うということだ。地獄のカルマがなければないほど、その熱さ、あるいは寒さというものはその環境にあったとしてもこたえない。あるいは闇の恐怖もそうだ。
 だからもし、そういうものが心に引っかかっているとしたならば、それはいずれ超さなければならない道であると。いずれ超さなければならない自己の限界であると考え、できるだけ耐え、そして超すように努力しなさい、いいね。
0950名無しさん
垢版 |
2021/09/20(月) 19:54:30.180
オクで買っちゃったんだけど失敗したかなぁ
シリアルナンバーが無いと一切ドライバ類がダウンロードできないようにしてあるのね

過去の製品についてのページもないし
当該機種をググったらWin11対応機種一覧に名前はあるものの
それ以外には同じ製品の型番が自分の買ったオクの商品以外全く引っかからない

ここ数年の国内家電製品で、型番調べても何一つ記事もレビューもショッピングサイトも公式ページも何も出てこないってあり得る?
まだ届いてないけど後悔
0951名無しさん
垢版 |
2021/09/20(月) 20:03:53.490
>>950
次スレはよ
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。

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