伊藤和夫がなぜ解釈教室を自己批判しルールとパターン(後のビジュアル)を発表したのか

解釈教室を出版した時点では考え得るあらゆる構文パターンをそこに盛り込んでみたものの、
それを提示しただけでは学習者が必ずしも英文をシステマティックに読めるようにはならなかったし、
構文に関して頻繁に遭遇するものからほとんど目にすることもないものまで、
一律に並べただけ(それを網羅性というのだろうが)では無意味であることに気づいたからではないのか?

英文を読む時にどういう頭の働かせ方をすればいいのか、という観点に絞って
英文解釈の方法論を抜本的に見直したものがプロトタイプとしてのルールとパターンであり、
それに続くビジュアル英文解釈の2冊だった

さらに、解釈教室には構文の全タイプが収められている、という謳い文句とは裏腹に、
現代においては常識となっている時制における細かなニュアンスに違いや、
助動詞や仮定法についての最新の知見も洞察も掲載されてはおらず、
ご自慢の網羅性とやらにもどうやら翳りが見え始めた、ということができるし、
これは700選においてもまったく同じことが指摘できるだろう