昭和の暮らしを懐かしむスレ・27丁目
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>>311
筒井康隆の「経理課長の放送」をやったと聞いて、聴きたかったのに…!と思いました。 >>311
筒井康隆の「経理課長の放送」をやったと聞いて、聴きたかったのに…!と思いました。 >>314
原田宗典の「外国人には『ムネノリ』という発音が難しいらしく、よく『ムネモミ』って呼ばれた」とかの他愛のない話が好きだった >>315
ムネモミ・アラーダーとかスケベ外国人みたいな呼ばれかたされるとか言ってたなw薬物で捕まるとはねぇ 新聞に連載してたスバラ式世界が好きで初めてエッセイ本買った思い出があるから悲しいわ あれ、今見てきたら新聞連載は「こんなものを買った」だったか
そして1999年頃までの作品ほとんど持ってた ♪笑ってもっとbaby無邪気にオッパイパイ
映ってもっとbaby素敵に飲料水 >>319
平成になってからだが、さくらももこが飲尿療法を公言していた頃は
素敵に飲尿さ♪
と(個人的に)置き換えていた デニムのGジャンの丈の短いのが流行ったけどこれって昭和だっけ? >>320
飲尿が体にとっても悪いことを証明したな
川島なお美のワインも …わしらがやり過ぎたせいで、今の小学生は玩具要素のある文具や可愛いメモ帳やシールの校内持ち込みが禁止になってしもうた。
正直、すまんかった。 今は見かけないけれどファンシーショップってあったよね。 >>326
いまだにファンシーショップが何屋なのかわからない うちの街には、未だにヒコーセンというファンシーショップがあります。
ヒコーセン以外の数多のファンシーショップと文具専門店は、ダイソーに駆逐されたり店主が高齢化したりで閉店。 >>325
えっ今持ち込み禁止なの!?
>>326
香り付きの便箋とかよく買ったなあ〜
日曜日の店内は女の子でいっぱいだった
店員のお姉さんはおしゃれで素敵だったな
>>328
イオンや100均で便利にはなったけど夢のある店はなくなったね 家と学校の間に田んぼしかない俺はそんな経験がない
唯一あったのは学校前の文房具屋。 >>329
在籍してた小学校名や市内の小学校名で検索してみると、持ち込み禁止校則を制定してる小学校がいっぱいあって驚いた。
自分や下級生の頃でも窃盗や恐喝被害があったので、とんでもねえクソガキがやらかしたんだろうなあとは察しがつく。 昭和50年ごろ、行きつけの一般書店の前に雑誌の自動販売機が置かれた。
子供が面白がって買うだろうと、平凡パンチやプレイボーイ(週刊)などの一般週刊誌に混じって、ジャンプ、チャンピオンなどの少年漫画誌もセットされた。
お札を扱える自販機はまだ出回っておらず、当然500円玉も発行されていないので、その販売機も扱えるのは100円玉が最高額。
この販売機は100円玉は受け入れるだけで、払い出す構造になっていなかったらしく、100円玉をいれて買わずに返却レバーを押し下げるてキャンセルすると50円玉になって帰ってきた。 昔の自販機は10円玉10個入れて返却すると100円玉が出てきたから両替に使ってた。
今のはそのまま出てくるから両替できなくなった。 国道沿いにオートパーラーが出店しだして、ハンバガーやそば、うどんの販売機が置かれた。
トラック野郎が相手だろうなと思った。
ハンバ一ガーは、ポパイ(ウィンピー)で存在は知っていたものもマクドナルドもまだ大都市にしかない頃で、これが憧れのハンバガー!と勇んで買ったが、パンはべシャべシャ、パティはボソボソだったが、
これがアメリカの(or世界のorナウな)味なのだ、これがウマイの基準で、自分が間違っていたのだ、と暗示をかけて飲み込んだ。
そばやうどんは小学生の小遣いではちょっと高く、食事に響いて、問い詰められたら怒られそうなので、手を出せなかった。
レートの高いクレーンゲームもどき(いま思えば景品はたぶんパンティ)やエロテープ(たぶん8トラ)、スキン、大人のおもちゃとおぼしき販売機もあったような。
孤独なトラッカー向けだけじゃなく、深夜に人知れずアダルトグッズを買いたい毒男向けなのだなと子供ながらに思った。 近所のオートパーラーはカップヌードルやうどんそば、ハンバーガーに焼きそば、隅の方にムードンコやエロ本があったっけ。
暴走族にぐちゃぐちゃに荒らされて廃墟になっちゃったけどね。 オートパーラーは今かなりの絶滅危惧種だから早く行っとかないと 人手不足でコンビニの深夜営業が難しくなってきてる今だからこそ、オートパラーが復活しないかなとも思う。 人がいないと不良の溜まり場になっちゃうんだよな
夜行くと危ない雰囲気びんびんだから入りたくないし下手すりゃ昼間でもそんな感じになっちゃう >>335
生き残ってるオートパーラーは、従業員詰め所が併設されてるところって感じでしたね。
もしくは保守や補充の人が時折巡回に来てる。 オートパーラーは車ないと行けないところが多いけど
駅近にレンタサイクルがあればなんとかいける
歩いて行けるのは小見川くらいかなあ うちの街に二軒あったプチプチオートパーラーは、昭和のうちになくなりました。 倉賀野駅はタダでレンタサイクル借りられるから北藤岡のオートパーラー行けるで よく考えたら北藤岡駅で降りたら歩いて行けるんだったわw コンビニ、ファウストフード、ファミレスと、新しいスタイルのチェーンが次々登場(日本上陸)し、CMもバンバン流れるのに、ベッドタウンからも離れた地方にはなかなかやってこない。
(実際、できたのは昭和末期か平成に入ってから)
で、地方の商人たちはそのスタイルを真似た店を造るのだが、近くの町に開店したそれに、堂々と“RESUTORAN”というネオンを造ってしまった。 書いててそう思ったw
ヒマもて余してるときに18きっぷで行くしかないな クレーンゲームの景品は、なぜパンティ(この表現が似合う)が多かったんだろう?
トラック野郎がトルコ嬢にはかせたり、プレゼントしたのかな。
穿くならともかく、よく言われていた帽子がわりに“被る”という発想がわからん >>343
いや、幼き日のトラヒゲどんかも知れない。 キムチは朝鮮漬と呼んでいた
包丁人味平でもそう呼んでいる テープレコーダーを買ってもらって色々録音してた
家族の会話とか録音して後から聞いてみんなでケラケラ笑ってたな >>356
自分で歌ったのを録音したりしてた。後で思い出すと赤面ものだ。 テープの逆回しで遊んだ。
元歌の「わたしの(ドレミファ)」をwatasino→onisatawとして「おにさたぅ(ファミレド)」と吹き込み、テープをひっくりがえして元歌と同じように聞こえるかどうか遊ぶ。
今のソフトでも出来る(たまに逆歌芸とかある)けれど、あまり聞かないね バカが逆回しだとアカブになるやつか
昭和じゃないけど100円ショップ99の逆再生ってのが面白かった 工作の材料を買い忘れたこどものために
近所の文房具屋のおばさんが、特別に早朝営業 学校のすぐそばに文具屋兼駄菓子屋があったな
久しぶりに通ったらまだ営業してたけどひっそりとしていた
大きな文具屋が出来たからみんなそっちに行くんだろうなあ 今は>>352で書いた理由で、モノやレーザーのような白くて四角い消しゴムしか(許されても黒)持っていってはいけないのです。
人のを盗むバカもいるし。
保育所で年長組になった時、ひらがなの硬筆の授業が始まったんだけど、その時マッマがプラスチックの白い消しゴムじゃなくて
灰色で表面に印字がしてある昔ながらの事務用消しゴムを買って与えたんだよね。
ところが5歳以上年の離れた兄や姉がいる子は、色々な型で抜かれたカラフルな香り付き消しゴム持ってきてるの。
で、そいつらから「お前の消しゴムうんこのにおいww」って虐められました。
自分はもちろん、兄がいても2歳しか違わないと、まだ世界が狭い上に親が与えた物しか使わないから、兄もそういう物の存在を
知らないわけでして。
そんなことで虐められても「知らんがな」としか。
学校にそういう玩具要素がある消しゴムを持ってくるのが禁止になったのは、こういうバカガキのやらかしもあっただろうなあ。 三菱ユニでもらえたボウリングのボールみたいな消ゴム
1ダース600円とかとんでもない値段のセットを買うとついてくるお大尽用のおまけ
鉛筆1本10〜20円の時代だよ! >>364
それ、凄く欲しかったけど、「あれはちうがくやこうこうのおにいさんやおねえさんじゃないとダメなんだ」と自分に言い聞かせた。
トンボモノの首チョンパも同様。
三和銀行のワンサくんノベルティも、貧乏なので預金するお金がなくて涙を呑んだ。 三菱は高いくせに書き味悪かったな
トンボはまあよかった そういえば最近見ないな砂消しゴム
修正テープにとって代わられたか 砂消しゴムで試験用紙を穴だらけにしたなあ
厨房のときにクラスメートから貰ったユニの箱、まだ筆箱として現役です。60年物。
蓋の蝶番を本体に固定する小さなアルミのリベットが摩耗して外れたのが40年位使った頃。
小さなボルトで固定して使い続けてます。あと39年使うと筆箱の付喪神が誕生するのかな(w >>361
学校の帰りによく寄る文房具兼本(雑誌のみ)屋さんあったな〜
狭い店の中をうろうろひやかして何も買わないで帰る日の方が多かったがw
学年誌に載ってた漫画が読みたくて本の取り寄せをしてもらった
>>369
うちも小学校で切り絵の時に使うために買わされたデザインカッターが現役だ
特に使いやすい訳でもないんだが何十年も持ってると捨てるに捨てられないよな このスレ来るとホント童心に帰るわ
昭和なんて不便な事ばかりだし、
現代の便利さからはもう離れられないのに
やっぱり多感な時期を過ごした時代って
特別なんだなあ >>372
え、今はもう売ってないの?
そういや、もっと細長い(3枚入り板ガムのようなサイズの)半分これで半分砂消しのなら、昭和後期にも使ってたけど……。
あ、初期のクーピーペンシルのケースの中に、こういう消しゴムがセットされてた気がする。初期40年代後半? >>372
砂消しは昔ながらのゴムじゃないとダメ(研磨砂を保持し、紙を削る強度がいる)なんだって。
あとシャーペンや鉛筆にぷちっとついてる消しゴムも折れにくいから昔ながらのゴム。
逆に鉛筆線を消すゴムの方は消字性で劣る上に古くなると却って紙を汚すとかでプラ字消しに取って代わられてるとか。 普通と砂消しが半々になってるやつあったな〜〜!
クーピー付属の消しゴムの記憶も蘇ってきて懐かしすぎるw
40代前半です
どっちも思い通りに消えたことなかったなぁ
砂消しが役に立ったなと思うのは漫画のスクリーントーンを消す用途だった
今でいうCGでぼかした感じに削れたのよね 砂消しゴムは製図や画材用品で見かけるけど
文具としての出番はほとんどないだろうなあ
そう言やカラフルな練り消しゴムが流行ったな そういえばデッサンの線消しに食パン使う人ってまだいるんだろうか 粘土消しゴム?ってなもんがあったよね?
普通の粘土みたいなんだけど、好きな形にしてお湯で煮ると、やや崩れやすいながらも消しゴムとして使えるモノになる。 >>378
あれ時々食ってたわ…
コーラの匂い付き消しゴムが流行った時
食っちゃう奴がいて学校で問題になったな >>381
こういう香り付き消しゴムは、家庭内でも幼児や年寄りが喰っちゃったりした。
…そして、メーカーの方は食べる人がいるなんて思っても見なくて、カドミウムが入ってたりでパニックに。 >>382
>カドミウムが入ってたり
((( ;゚Д゚)))ヒエエェェエエエ >>383
ちなみに、カドミウムが入ってたのは字消工業会に所属してなかったモグリの会社のものだそうです。
http://www.jikeshi.gr.jp/ここのことね。 黄色い顔料だよ
油絵具にもズバリ「カドミウム・イエロー」てのがある
ランチアの特別色の黄色がカドミウム使ってて輸入できなかったという話もあった >>384
字消工業会!知らんかった
ビスケット協会とか紅茶協会とか
世の中には色んな団体があるもんだなあ それを描く職人たちが、筆を舐める癖のせいで舌癌が多発して判明したのだ サイリウムは放射性物質が含まれてるから航空機への持ち込みは禁止だよね。 >>392
わざと嘘を書いてるんだろうけど、サイリウムに放射性物質なんか使ってないよ
時計の夜光塗料、昔ながらのラジウム塗料はもうないけど、トリチウム(三重水素)の放射能を利用したのはまだ作ってる
文字盤の下の方に小さくマルにTの印がついてたらそれ これは明治時代のお話だけど、日本で、「色を白くし、ニキビそばかす皆取れる」という触れ込みで、ホルマリンを配合した石鹸を売ってた。 >>394
大正時代の広告に胡散臭い痩せ薬とかあったな
なんだかんだで昭和の緩さって
昔とあんま変わってないのかも べ平連のヒトと赤尾御大との毎度お馴染み新橋駅前合戦
「赤尾のオッサーン、ワシらのゆーとること誰も聞いとらんてw」
「そんなもん言われんでもわかっとるわい!」って、お互い楽しそうだった >>396
コートにマフラーの両手持ちは小田実さんか >>399
大きな森の小さなお家の歌詞は意味深だな 関ジャニ∞が「友よ」ていう歌出してるんだな
かの岡林信康さんの名曲と同じ曲名とはええ根性しとるわ 一家団欒で夕食を食べてるとき見ているテレビから 「おやおや〜?詰まったかな〜?」という便秘薬のCM ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています