昭和の暮らしを懐かしむスレ・27丁目
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
阪神はT電 って言われていたね
タイガースのT と
当時野球の成績がお先真っ暗の停電 とかけた 今じゃすっかりUSA for America だもんな ドラえもん募金 サザエさん募金
テレ東は怪獣王ターガン募金にするのかな 昭和戦前戦後の映画とか記録映像を見ると、いつでも思うのが、その時代の人々に今のスマフォとか液晶テレビとか最新ハイテク製品を見せると、どういう反応を示すのかなぁ、という疑問。
テレビ局もそういう企画をやってくれないかな。 >>289
今存在しているものの延長で生まれた第一世代のアイテムは、使いこなせないにしても理解はできると思う
例えばテレビ→ビデオ
でもそれが進化して第二、第三世代となったらワケワカメになるんじゃないかな
ビデオを通り越してDVD、HDレコーダー、ワンセグTVを与えても原理は分からないだろうねきっと
同じテーマで全く逆の話題として別スレで話題になったことがあったんだわ
今の若い人に二世代以上離れた昔のアイテム与えたら同じ反応になるのではないか?とね
すでにダイヤル式の電話が実際にそうなっている オールナイトニッポンを聴いてると流れる「ハンターーー」 >>290
だよね。
で、私としては現代を全く知らない時代に生きた人の反応を知りたいんですよね。
戦時中に亡くなられた方とか… うちは黒電話だから家族全員ダイヤル電話使えるよ。
つうか近所の食堂にピンクのダイヤル電話機があるけど。 T型フォードやクラシックカーの運転とか、解説読んでもできる気がしない
混合比も進角も手動で調整とか絶対ムリだ つーか、日本に帰って来た小野田さんは日本の変わりようにかなり驚いただろうな。 >>297
まず、日本に向かうジェット機な一番驚いたんじゃないだろうか。
プロペラの複葉機しか知らないのに、基本的に今と変わらないジェット旅客機に乗って帰国したんだから。富士山の真横を通るという、粋な計らいも当時の機長がしてくれた! >>298
ジェット機とプロペラ機の区別がつかないんじゃないか?
ルバングに渡るときは船だったから
船から飛行機になった スゲー くらいの衝撃は有ったと思うが >>300
いやいやいや、流石に中野学校出身の生粋の軍人を舐めてはいかんよw
戦時最新鋭の航空機は知り尽くしてるはず。でなければ諜報員なんて無理 なんか、横井さんとゴッチャになってる人がいて悲しいが、横井さんなら飛行機の区別は付かないとは思う。 小野田さんってジャングルで30年近くサバイバル生活を続けたように思われがちだけど、
実際は人里に現れては食料を盗んだりラジオで情報を仕入れたりしていた
だから日本がどうなっているか(いたか)はある程度知っていたはずだけど、
それでも実際に目の当たりにした30年ぶりの祖国は別世界のように映っただろうな 盗みぐらいなら仕方ないかもというのはあるけど
小野田は戦争終わってるのが分かっていながら現地の人を数十人殺してるからな >>304
そう
それは如何なる理由があっても許されることはないよな
もっともフィリピンでの反日感情を抑えようと当時の政府が見舞金という形で3億を拠出し、
フィリピン側がこれを承諾したからこの件に関して国レベルでの問題は解決済みとなっている
この点については特亜と違ってフィリピンの大人の対応が特筆される
ちなみに今の貨幣価値だともっと高額となっていることだろう
その懺悔の思いからか、小野田個人は亡くなる直前まで日本のために様々な活動をしていたという
賛否はあると思うが賛の方が上回ってると評価できる >>304
ただ、小野田さんの著書読むと、ラジオや新聞の敗戦報道は偽装や偽物で戦争は継続していると信じていたらしいな。中野学校でゲリラ戦の教えも叩き込まれていたから、俺は本人は敗戦したとは素で信じていなかったのでは、と思ってる それでも住民を襲い続けて食料を得るというのは、旧日本軍部を貶めた。 いんなーとりっぷの霊友会がお送りする……
お送りされちゃってた番組が思い出せない。
阿含の星祭り、霊波の光……
信心してる人には申し訳ないけど、いかがわしげなニオイがする宗教のラジオCMが、けっこう好きだった。 >>311
筒井康隆の「経理課長の放送」をやったと聞いて、聴きたかったのに…!と思いました。 >>311
筒井康隆の「経理課長の放送」をやったと聞いて、聴きたかったのに…!と思いました。 >>314
原田宗典の「外国人には『ムネノリ』という発音が難しいらしく、よく『ムネモミ』って呼ばれた」とかの他愛のない話が好きだった >>315
ムネモミ・アラーダーとかスケベ外国人みたいな呼ばれかたされるとか言ってたなw薬物で捕まるとはねぇ 新聞に連載してたスバラ式世界が好きで初めてエッセイ本買った思い出があるから悲しいわ あれ、今見てきたら新聞連載は「こんなものを買った」だったか
そして1999年頃までの作品ほとんど持ってた ♪笑ってもっとbaby無邪気にオッパイパイ
映ってもっとbaby素敵に飲料水 >>319
平成になってからだが、さくらももこが飲尿療法を公言していた頃は
素敵に飲尿さ♪
と(個人的に)置き換えていた デニムのGジャンの丈の短いのが流行ったけどこれって昭和だっけ? >>320
飲尿が体にとっても悪いことを証明したな
川島なお美のワインも …わしらがやり過ぎたせいで、今の小学生は玩具要素のある文具や可愛いメモ帳やシールの校内持ち込みが禁止になってしもうた。
正直、すまんかった。 今は見かけないけれどファンシーショップってあったよね。 >>326
いまだにファンシーショップが何屋なのかわからない うちの街には、未だにヒコーセンというファンシーショップがあります。
ヒコーセン以外の数多のファンシーショップと文具専門店は、ダイソーに駆逐されたり店主が高齢化したりで閉店。 >>325
えっ今持ち込み禁止なの!?
>>326
香り付きの便箋とかよく買ったなあ〜
日曜日の店内は女の子でいっぱいだった
店員のお姉さんはおしゃれで素敵だったな
>>328
イオンや100均で便利にはなったけど夢のある店はなくなったね 家と学校の間に田んぼしかない俺はそんな経験がない
唯一あったのは学校前の文房具屋。 >>329
在籍してた小学校名や市内の小学校名で検索してみると、持ち込み禁止校則を制定してる小学校がいっぱいあって驚いた。
自分や下級生の頃でも窃盗や恐喝被害があったので、とんでもねえクソガキがやらかしたんだろうなあとは察しがつく。 昭和50年ごろ、行きつけの一般書店の前に雑誌の自動販売機が置かれた。
子供が面白がって買うだろうと、平凡パンチやプレイボーイ(週刊)などの一般週刊誌に混じって、ジャンプ、チャンピオンなどの少年漫画誌もセットされた。
お札を扱える自販機はまだ出回っておらず、当然500円玉も発行されていないので、その販売機も扱えるのは100円玉が最高額。
この販売機は100円玉は受け入れるだけで、払い出す構造になっていなかったらしく、100円玉をいれて買わずに返却レバーを押し下げるてキャンセルすると50円玉になって帰ってきた。 昔の自販機は10円玉10個入れて返却すると100円玉が出てきたから両替に使ってた。
今のはそのまま出てくるから両替できなくなった。 国道沿いにオートパーラーが出店しだして、ハンバガーやそば、うどんの販売機が置かれた。
トラック野郎が相手だろうなと思った。
ハンバ一ガーは、ポパイ(ウィンピー)で存在は知っていたものもマクドナルドもまだ大都市にしかない頃で、これが憧れのハンバガー!と勇んで買ったが、パンはべシャべシャ、パティはボソボソだったが、
これがアメリカの(or世界のorナウな)味なのだ、これがウマイの基準で、自分が間違っていたのだ、と暗示をかけて飲み込んだ。
そばやうどんは小学生の小遣いではちょっと高く、食事に響いて、問い詰められたら怒られそうなので、手を出せなかった。
レートの高いクレーンゲームもどき(いま思えば景品はたぶんパンティ)やエロテープ(たぶん8トラ)、スキン、大人のおもちゃとおぼしき販売機もあったような。
孤独なトラッカー向けだけじゃなく、深夜に人知れずアダルトグッズを買いたい毒男向けなのだなと子供ながらに思った。 近所のオートパーラーはカップヌードルやうどんそば、ハンバーガーに焼きそば、隅の方にムードンコやエロ本があったっけ。
暴走族にぐちゃぐちゃに荒らされて廃墟になっちゃったけどね。 オートパーラーは今かなりの絶滅危惧種だから早く行っとかないと 人手不足でコンビニの深夜営業が難しくなってきてる今だからこそ、オートパラーが復活しないかなとも思う。 人がいないと不良の溜まり場になっちゃうんだよな
夜行くと危ない雰囲気びんびんだから入りたくないし下手すりゃ昼間でもそんな感じになっちゃう >>335
生き残ってるオートパーラーは、従業員詰め所が併設されてるところって感じでしたね。
もしくは保守や補充の人が時折巡回に来てる。 オートパーラーは車ないと行けないところが多いけど
駅近にレンタサイクルがあればなんとかいける
歩いて行けるのは小見川くらいかなあ うちの街に二軒あったプチプチオートパーラーは、昭和のうちになくなりました。 倉賀野駅はタダでレンタサイクル借りられるから北藤岡のオートパーラー行けるで よく考えたら北藤岡駅で降りたら歩いて行けるんだったわw コンビニ、ファウストフード、ファミレスと、新しいスタイルのチェーンが次々登場(日本上陸)し、CMもバンバン流れるのに、ベッドタウンからも離れた地方にはなかなかやってこない。
(実際、できたのは昭和末期か平成に入ってから)
で、地方の商人たちはそのスタイルを真似た店を造るのだが、近くの町に開店したそれに、堂々と“RESUTORAN”というネオンを造ってしまった。 書いててそう思ったw
ヒマもて余してるときに18きっぷで行くしかないな クレーンゲームの景品は、なぜパンティ(この表現が似合う)が多かったんだろう?
トラック野郎がトルコ嬢にはかせたり、プレゼントしたのかな。
穿くならともかく、よく言われていた帽子がわりに“被る”という発想がわからん >>343
いや、幼き日のトラヒゲどんかも知れない。 キムチは朝鮮漬と呼んでいた
包丁人味平でもそう呼んでいる テープレコーダーを買ってもらって色々録音してた
家族の会話とか録音して後から聞いてみんなでケラケラ笑ってたな >>356
自分で歌ったのを録音したりしてた。後で思い出すと赤面ものだ。 テープの逆回しで遊んだ。
元歌の「わたしの(ドレミファ)」をwatasino→onisatawとして「おにさたぅ(ファミレド)」と吹き込み、テープをひっくりがえして元歌と同じように聞こえるかどうか遊ぶ。
今のソフトでも出来る(たまに逆歌芸とかある)けれど、あまり聞かないね バカが逆回しだとアカブになるやつか
昭和じゃないけど100円ショップ99の逆再生ってのが面白かった 工作の材料を買い忘れたこどものために
近所の文房具屋のおばさんが、特別に早朝営業 学校のすぐそばに文具屋兼駄菓子屋があったな
久しぶりに通ったらまだ営業してたけどひっそりとしていた
大きな文具屋が出来たからみんなそっちに行くんだろうなあ 今は>>352で書いた理由で、モノやレーザーのような白くて四角い消しゴムしか(許されても黒)持っていってはいけないのです。
人のを盗むバカもいるし。
保育所で年長組になった時、ひらがなの硬筆の授業が始まったんだけど、その時マッマがプラスチックの白い消しゴムじゃなくて
灰色で表面に印字がしてある昔ながらの事務用消しゴムを買って与えたんだよね。
ところが5歳以上年の離れた兄や姉がいる子は、色々な型で抜かれたカラフルな香り付き消しゴム持ってきてるの。
で、そいつらから「お前の消しゴムうんこのにおいww」って虐められました。
自分はもちろん、兄がいても2歳しか違わないと、まだ世界が狭い上に親が与えた物しか使わないから、兄もそういう物の存在を
知らないわけでして。
そんなことで虐められても「知らんがな」としか。
学校にそういう玩具要素がある消しゴムを持ってくるのが禁止になったのは、こういうバカガキのやらかしもあっただろうなあ。 三菱ユニでもらえたボウリングのボールみたいな消ゴム
1ダース600円とかとんでもない値段のセットを買うとついてくるお大尽用のおまけ
鉛筆1本10〜20円の時代だよ! >>364
それ、凄く欲しかったけど、「あれはちうがくやこうこうのおにいさんやおねえさんじゃないとダメなんだ」と自分に言い聞かせた。
トンボモノの首チョンパも同様。
三和銀行のワンサくんノベルティも、貧乏なので預金するお金がなくて涙を呑んだ。 三菱は高いくせに書き味悪かったな
トンボはまあよかった そういえば最近見ないな砂消しゴム
修正テープにとって代わられたか 砂消しゴムで試験用紙を穴だらけにしたなあ
厨房のときにクラスメートから貰ったユニの箱、まだ筆箱として現役です。60年物。
蓋の蝶番を本体に固定する小さなアルミのリベットが摩耗して外れたのが40年位使った頃。
小さなボルトで固定して使い続けてます。あと39年使うと筆箱の付喪神が誕生するのかな(w >>361
学校の帰りによく寄る文房具兼本(雑誌のみ)屋さんあったな〜
狭い店の中をうろうろひやかして何も買わないで帰る日の方が多かったがw
学年誌に載ってた漫画が読みたくて本の取り寄せをしてもらった
>>369
うちも小学校で切り絵の時に使うために買わされたデザインカッターが現役だ
特に使いやすい訳でもないんだが何十年も持ってると捨てるに捨てられないよな このスレ来るとホント童心に帰るわ
昭和なんて不便な事ばかりだし、
現代の便利さからはもう離れられないのに
やっぱり多感な時期を過ごした時代って
特別なんだなあ >>372
え、今はもう売ってないの?
そういや、もっと細長い(3枚入り板ガムのようなサイズの)半分これで半分砂消しのなら、昭和後期にも使ってたけど……。
あ、初期のクーピーペンシルのケースの中に、こういう消しゴムがセットされてた気がする。初期40年代後半? >>372
砂消しは昔ながらのゴムじゃないとダメ(研磨砂を保持し、紙を削る強度がいる)なんだって。
あとシャーペンや鉛筆にぷちっとついてる消しゴムも折れにくいから昔ながらのゴム。
逆に鉛筆線を消すゴムの方は消字性で劣る上に古くなると却って紙を汚すとかでプラ字消しに取って代わられてるとか。 普通と砂消しが半々になってるやつあったな〜〜!
クーピー付属の消しゴムの記憶も蘇ってきて懐かしすぎるw
40代前半です
どっちも思い通りに消えたことなかったなぁ
砂消しが役に立ったなと思うのは漫画のスクリーントーンを消す用途だった
今でいうCGでぼかした感じに削れたのよね 砂消しゴムは製図や画材用品で見かけるけど
文具としての出番はほとんどないだろうなあ
そう言やカラフルな練り消しゴムが流行ったな そういえばデッサンの線消しに食パン使う人ってまだいるんだろうか 粘土消しゴム?ってなもんがあったよね?
普通の粘土みたいなんだけど、好きな形にしてお湯で煮ると、やや崩れやすいながらも消しゴムとして使えるモノになる。 >>378
あれ時々食ってたわ…
コーラの匂い付き消しゴムが流行った時
食っちゃう奴がいて学校で問題になったな >>381
こういう香り付き消しゴムは、家庭内でも幼児や年寄りが喰っちゃったりした。
…そして、メーカーの方は食べる人がいるなんて思っても見なくて、カドミウムが入ってたりでパニックに。 >>382
>カドミウムが入ってたり
((( ;゚Д゚)))ヒエエェェエエエ >>383
ちなみに、カドミウムが入ってたのは字消工業会に所属してなかったモグリの会社のものだそうです。
http://www.jikeshi.gr.jp/ここのことね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています