碧巌録(へきがんろく) 第92則

世尊(せそん)、一日(あるひ)座(せっぽうのこうざ)に陞(のぼ)る

擧(こ)す。

世尊、一日、座(説法の高座)に陞る。

文(もんじゅ)、白槌(びゃくつい)して(槌砧をカチ〜ンと打って)云(いわ)く、法王の法を諦觀(ていかん、あきらか)せよ、法王の法は是の如しと。

世尊、便(すなわ)ち座を下(おり)る。


『 おしゃさまは 説法の高坐に静かに坐られて、修行僧たちは立って説法が始まるのを待っていた。やがておしゃかさまは、説法の高座を降りられた。 』

○  禅は何を教えるものか!?分別しない、好き嫌いをしない、一の如し、一如(いちにょ)、を教えるのだ。

これが 初関を透る。

初関を透るとは、色即是空、空即是色へ還(かえ)る。

噛んで砕いて云おう、色とは分別、空とは般若パンニャー、智慧、平等(びょうどう)を教える。つまり、真理(さとり)だ。