今じゃ考えられない昭和の生活◆90
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ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
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【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆89
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1533781725/ >>67
ついこの間だよ。
うちより遅い県があったのか、と驚いた鳥取県民。 昔のパソコンはベーシック言語で自分でプログラム入力して使うものだったな。個人の組んだプログラムを集めた雑誌とかも売ってた 「いなかっぺ大将」のアニメが好きだったが歌詞の『4つ 夜明けは見せないで〜♪』の意味がわからなかった
あれ『弱気は見せないで』だったんだね
天童よしみ幼かったから弱気と書かれた歌詞をよわけと読んだのだろうか
録り直しが簡単にできない時代だったからそのまま通しちゃったのかな 天気予報で今だったら「晴れときどき曇り」や「曇りときどき晴れ」にあたる天気を
「晴れたり曇ったり」って言ってたような記憶がある >>68
自転車用アメパトサイレンが流行ったのを思い出したぜ 最高のソプラノと言えばマリア・カラス
現役時代は全く知らないケド >>77
それ、大ちゃんのおネショした布団が映るシーンじゃなかったっけ?
なので、“夜明けは見せないで”って自然に解釈していた。
巨人の星の“思いこんだら…”で、実際は、地ならし用ローラーを引いてないのに、かってにむすびつけていた勘違いかも知れないけど。 あれホントにローラーだと思っていた奴なんていないだろ ホセ・カレーラスは、地方紙などその道に詳しい人材がいないことによって、よく、ホセ・カレーライスと誤植されていた。 12ニュース (1985)
テロップは白文字で表記
「インド航空機がアイルランド南西の海中に墜落(乗客325名)」 岡田有希子のようなおとなしそうなアイドルも普通にビキニになっていたんだね
当時はそれがあたりまえだったけど うむ 榊原郁恵、河合奈保子、岡田有希子と続いていった
榊原郁恵は当時からあのボディにして驚異的な色気の無さが異色を放ってたし
岡田有希子は自殺してしまったので現在も週刊誌に当時のビキニが良く載るのは河合奈保子 >>94
石野真子はの水着グラビアは良かったねー。 水着が良かったのはなんといっても大月みやこさん
以前は画像検索で出てたのに今検索しても見つからない(´・ω・`) >>91
うちにあった!
当時からかわいいと思えなくてパッチワークのパジャマケースと一緒に仕方なく二段ベッドの柱に引っ掛けてた >>100
ぬいぐるみは、幼児の時駄々こねて買ってもらったパンダちゃんと小学生の時買ったアライグマのクリン以外は
70年代後半辺りから本物の動物的な見た目のが出るまで興味がなかった。
あの実際にあり得ない色味と漫画チックな顔が苦手で。 河合奈保子のポスターの乳輪辺りに、必ず画鋲の穴開いてたな >>91
これに限らずこの頃のぬいぐるみは今より目と目の間隔が狭く独特の顔してるような気がする >>97
彼女は巨乳でも貧乳でもなくすごくバランスがよかった
乳首透けたやつでは何度も抜いたわ >>101
アライグマのクリン…
キャンディス=ホワイト=アードレー嬢の…? >>105
いえーす。
瞳孔と光彩のあるアイグラスや、本物の動物の鼻に似せた鼻ボタンがついたぬいぐるみが流通しだしたのはやっぱり70年代後半だったなあ。
それまでは丸めたフェルトで舌を表現した口だったり、目も鼻も丸くて黒いボタンだったり。
詰め物もおがくずや木屑や、屑スポンジだった。
クリンのその後は、洗濯に失敗して真っ黒になったけど、「それでも欲しい」という奇特な子にもらわれていきました。 アライグマをペットにした罪深い話はラスカルだけじゃなかったのか >>107
クリンはアメリカの話だし、実際には居ない白変種なのに尻尾のリングと目の縁取りのあるアライグマだからいいのです。 いつも夏休みの宿題で読書感想文を作るのが億劫だった
今みたいにアニメの原作ラノベとかあったら楽しかったろうなあ 高校の時休憩時間中洋楽好きの同級生に「好きな曲は?」と聞かれ、「河合奈保子のTHROUGH THE WINDOW と西城秀樹の抱きてジルバ」と答えたら、「洋楽を日本語で歌う歌手が好きなのか?お前はバカだ。
そんな紛い物を聞くのは、化学式を軽視するのと同じだよ。」といわれてショックを受けた。 平成7年に海の日ができるまで5/5のこどもの日の次の祝日は
9/15の敬老の日だった
4ヶ月以上も離れていた
6,7,8月と祝日のない月が続いた 振り替え休日がなかった。ガキの頃、カレンダーめくりながら日の並びが悪い!と文句たらたら言っていたもんじゃった。 祝日が日曜と重なって無駄になるのを当時のサラリーマンは
「日食」と呼んでいた 週休二日なんて超一流の大企業か公務員くらいだったしな。 小学校の校庭で暗くなるまで缶蹴りやドッヂボールして遊んでた >>109
つ 時をかける少女
それはともかく読書感想文は
戦争体験記を読んで、戦争反対と言えば良いのだな。と気づいた小5の夏 小中高と土曜日の午前中にも授業があった。
これは平成にも入ってただろうな。 >>121
昭和末期に広島県内の小学生だったけど
戦争関連の感想文では「天皇がもっと早くに戦争を終わらせれば原爆は落ちずに済んだ」という文章を毎年入れていたよ
担任教師が平和学習でいつも言うもんだから子供もそれに倣う 戦争の認識は、大人になって色々本読んで、ガキのころから洗脳に近い状態だったんだな、教師は知ってて吹き込んだな、と知った。 >>123
つかこれを聞いた戦後生まれのよその県の人はサヨクだと思うかも知れないけど、これ、ただ単に当時広島に溢れてた
受け流すべき被爆者あるあるやらかしだから。
アート・スピーゲルマンという漫画家が描いてたけど、「アウシュビッツ経験者が社会に普通にいた時代には、彼ら彼女らも
やらかしてた。恥ずかしいし腹が立つけど自分が彼らだったら発狂しない自信はないからしゃあないと思って受け流すしか
ない」んだよね。 週休二日が普及したのは労働基準法を明確に適用すると
そうせざるを得ないからなんだよね
適用するのがアタリマエなんだが昔は遵法精神が薄かった
労働基準法 第32条
使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、
労働させてはならない。
40を8で割ると5 天皇が独裁者だったら
そもそも戦は回避できたかもね 輪島、北の湖、旭国、貴の花、若三杉、鷲羽山、黒姫山、高見山、麒麟児、増位山、大受、小沼。 やっぱ相撲取り早死やなあ
てっきりボクサーの方の輪島功一の方が先だと思ってたが >>127
違うよ
9時〜17時だったら、休憩が1時間あるので実働は7時間
7時間×5日で35時間
それに土曜日の4時間を足して39時間
ほらね、1週間の労働時間は40時間以内でしょ だったら10時と15時に15分ずつの休憩を入れて、
実労働6.5時間×6日で39時間だね 映画化されると作家の名前を知ったな
小松左京や高木彬光とか 今まで行ったことがあるコンサート
西城秀樹 85 HIDEKI Special in Budokan
50曲を歌う西城秀樹はよかった。
河合奈保子 NAOKO EAST 85
ゲスト トランザムの高橋伸明
シンセイザーの音色がよかった。
河合奈保子がマルチプレイヤーとは気づいた。
CASIOPEA LIVE
フュージョンにはまるきっかけ
サザンオールスターズ KAMAKURA TO SENEGAL
Computer Childrenをアフリカンミュージックを知った。 >>126
そら昭和末期だからでしょ
オイラが小学生だったころは、まだ戦争帰りの元予科練の先生だの
元陸軍少尉の英語教師だのがいたからそんな教育は無かったな
昭和40年代が小学校とはエライ違いだ >>138
小学校時代に、従軍経験がある教諭が一人だけいた。
昭和40年代初頭生まれが、従軍経験のある教諭に教わっていた最後の世代だと思うの。
あとは終戦時に旧制中学や女学校に在籍してた(この世代は、自分の学生時代のルサンチマンのはけ口を生徒に
ぶつけるから大嫌いだった)世代と、国民学校在籍の世代。 >>123
「ゾルゲの身柄確保がもっと早ければソ連軍が侵攻してくることはなかった」と書いてみたら吊し上げ食らいそうだな 昭和40年生まれ
元青年将校さんから大卒間もない教師まで
引っ越しも何回かしたから結構な人に当たったけど左右問わず思想丸出しみたいな教師には当たったことないな
暴力教師もだが(明らかに俺が悪い場合は除く)
でも君が代は歌ったことないので俺の中では「見よ勇者は帰る」とセットの曲だな 広島あるあるやらかしの人は、終戦時国民学校や女学生といった戦地に赴かない戦時下世代の人に
多かった記憶がある。
路面電車の中でいきなり演説おっぱじめたりとか。
中沢啓治氏も、しょっちゅう母親に「天皇陛下を批判しないように」と釘を刺されてたんだけど、どうも
情緒面で一生安定を欠いた状態にあったのかダメだったみたい。 俺は昭和40年代の小学生だったけど(対岸の四国だったけど)
広島の平和資料館には、小3のころ親父に連れて行かれ
一方、部落(地域、っていう普通の意味ね)の旅行で江田島に行ったりときわめれリベラルwな子供時代だったわ 平凡や明星などの昔のアイドル雑誌は女性アイドルにパンティ何枚持ってるか聞いたりしていた >>141
君が代歌ったこと無い時点で、左翼丸出し教師三昧やん。21世紀生まれの息子でさえ君が代は式では必ず歌ってるのだが… でさえって
今だから歌ってるんだろ
多分歌わなかったのは県?の教育委員会の方針だったと思う
転校しても歌わなかったから
個々の教師は上にも書いたように色々居たけど個人的な思想とか語ることはなかったよ >>146
国旗国歌法が施行されたのは1999年だし 脚本家宅に身元不明の遺体、「桃太郎侍」「ルパン三世」などの高階航さんか
https://this.kiji.is/422970191092761697?c=39550187727945729
遺体はかなり傷んでおり、死後1週間以上経過しているとみられる。
10日午後に仕事の依頼のため高階さんの家を訪れた会社員が通報した。
高階さんはドラマ「太陽にほえろ!」や「桃太郎侍」、「ルパン三世」などの脚本を手掛けた。 かつての高階秋成さんね。
仕事も家族もなく貧困の挙句の孤独死か…
気まぐれ本格派とか石立ドラマでも楽しませてもらいました。合掌拝 >>147
1970年代に小学生だったけど
当時は日教組が強い時代だったから、
学校行事で君が代歌わせないのは結構普通だったんじゃない?
俺は小中9年間一度も歌った記憶がない。
全共鬪くずれの先生の武勇伝はよく聞かされたが。 以前書いた平等公平と横並びの区別がつかない教師は、教室にギターを持ち込んで、伴奏はオルガン弾いたり弾かせたりじゃなくて
ギターだったなあ。
今思い起こすと、もろ全共闘世代。 保守王国の我が県には、そんなもん全くなかった
日教組が強いとか,何処の国の話?って思ってたわ >>154
広島も保守政党が強いけどね。
あるあるやらかしをする人が多すぎたので判りにくいけど。 昔は以外にも京都とか革新勢力強かったな
京都大学はその名残か
今なんて日本全国どこ行っても保守でしょ 大阪だけど君が代斉唱の記憶はないなあ(ボケたのか・・)
小中と2回続けて修学旅行は原爆ドームだったけどw >>154
どこの県か知らんが、管理教育で有名な愛知でも、最初のホームルームで、夜明けは近いやウイシャルオーバーカームの歌詞を担任が配り、歌わされたぞ。70年代後半。 昭和の左翼は強烈だった
火炎瓶投げつけるなんてかわいい方で日本憎さに住友ビル爆破したり本当にやりたい放題だった
「警察は過激派の犯行と見て捜査」は小学生でもそらで言えるニュースの常套句だった 地方だったので、酒悦のような老舗がなかったためか、
紅生姜も福神漬けも赤チンで着色したかのような真っ赤なやつしか見かけなかった。昭和40年代。
沢庵は農家など自分で浸ける家もままあったので、黄色くないやつはまま見かけた。 >>160
うちの高校の食堂は沢庵が自家製だった。
季節になると裏の金網フェンスに大根がずらっと干してあってね。
これがまた美味くてなあ。 >>159
まあ
野党第一党委員長を生中継中に公衆目前で刺殺したり
出版社社長宅に乱入して無関係のお手伝いさんを刺殺する
「自称愛国」少年に比べたらインパクトはイマイチ。 >>156
今や沖縄が革新の最後の砦になってしまったからな 過激派の内ゲバで、角材で5人位めったうち事件が、しょっちゅうニュースになっていたな。 雑誌には学生の総括犠牲者の遺体写真なんて載ってたし。 貧しいから赤い風が吹くのか?
赤い風が吹くから貧しいのか?
昭和時代は前者だったけど、今は後者だな。 >>93
嘉門達夫と河合奈保子が出演していたヤングタウン火曜日は聞いていた。テレビとは違い饒舌だった。
たまに大阪弁で喋っていたな。 昭和末期に広島県内の小学生だったけど
君が代は教科書には載っていたものの小中高と学校で歌ったことは一度もなかったよ
卒業式や入学式で壇上に日の丸を掲示することに教師たちは反対で
「せめて日の丸を花瓶や花で隠すようにしました」とか朝礼で説明してたよ >>158
その県と一字目が同じ漢字の県
ギター先生はいたけど君が代は散々歌ってたし、反戦歌強要する先生もいなかった
それどころか、マツダの車の素晴らしさと日本の戦闘機の操縦を説明したり、休みの日に
ドライブがてら、川の上流〜下流へ走って自然観察させてくれたりした。
勿論全部自腹で(鍋焼きうどんも奢ってくれた、いい先生だったなあ) 今の親は、そんなことして子供が怪我でもしたらどうするんな!と子供をダシにしてばかり。
だから、みんな面倒を避けて縮こまってる。 近頃話題の株、ダウ、といえば。
俺が小学生だったころ、サランラップの発売元は「旭ダウ」という会社で、よく、旭化成と連名でテレビのスポンサーをやっていて、ベンベルグやサランラップのCMを流していた。
その影響で、ダウ株が上がった下がったというニュースを聞くたび、本国のダウは、ラップ専業かつパンナムやGMなんか目じゃない世界企業だと思っていた。
旭化成自体も手芸好きな主婦向けに生地やハマナカ毛糸をつくっている手芸用繊維製品専業メーカーだと思っていたし、
東レ、カネボウ、資生堂、花王、アンネ、ジャノメ、ブラザーもCMが目立っていたので、主婦、女性向け商品は自動車、電機、重工業に匹敵する規模の日本の基幹産業だと思っていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています