今じゃ考えられない昭和の生活◆90
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>328
まあ、今でもニコンと並ぶトップメーカーではあるしね。 >>349
サービス残業は違法。それだけのことが守られない時点で大企業も変わらん。 >>351
並ぶどころか、一眼レフでもコンデジでもずっとシェアトップなんだが。特に一眼レフはニコンをはるかに引き離してシェアが6割超えてる。 >>349
そうかな?
昭和の頃の方が「いくらでも代わりは居る」状態だったから
社員を大事にする必要はなかった
セクハラモラハラ当たり前
「モーレツ社員」はもてはやされたし高給がもらえたが
上司の言う事をきかなければすぐさまクビにできた
労働基準法?何それおまえアカ?
女性は結婚したら退職するものだよ、オバサンが何居座ってんの?という世界
勿論会社によって差はあるけれど
今の方が新人を大事に育てようって意識は育って来ていると思う >>349は、多分昭和の終わり辺りの頃の事を言ってるんじゃなかろうか >>346
秋葉原で一度だけ実物見たが、パンフレットが実物大でノートパソコン同様開くとディスプレイにあたる所に売り文句とか書かれていてオシャレだったな。 ブルマは女子が普通に教室のロッカーにおいて帰ってたからな
天国みたいな時代やった >>359
90年代もだろ
Winkなんてそればっかりだ Winkが洋楽カバーしてたのは80年代末期か
あの頃はいろいろ濃密だった
というか平成だ 昭和の終わり頃、とある小さな会社でアルバイトをしたことがある。
そこは結構厳しくて、
会社に着いたらまず同じ部屋にいる社長ならぬ怖い会長の席まで行って
わざわざ挨拶をしなければいけなかった。
その会長は怒るとと怖くて、
そこの正社員の人も良く怒られていた。
大したミスでもないのに何様だよ?と正直感じていた。
ただ決して汚い言葉は使わない会長であった。 60年後半から70年位までオールディーズとかヒットしたよね。 洋楽カバー番付
横綱→YMCA
大関→?
関脇→? >>363
70年代はフュージョンブーム
HiroshimaやCasiopeaのアルバム はLPで聞いてたな >>358
河合奈保子のデビューって言うから
大きな森の小さなお家かと思った 大関
Dancing Hero What a Feeling
小結
Night Game
Through the window >>364
スクールウォーズのヒーローとか、男女7人夏物語のcha-cha-chaあたりかね? T SQUARE で好きな曲はTRAVELERS
CASIOPEA で好きな曲は HALLE そういや日本の昔の歌というと何となく演歌をイメージするけど
終戦後しばらくはロカビリーとかグループサウンズが主流で
ソロ歌手もムーディな曲ばかりなんだよね
演歌なんて昭和30年代くらいから出てきた新ジャンルに過ぎないわけで 某大手スーパーのバックルームで
バイト君が社員に胸倉掴まれてたなあ・・ 洋楽カバーと思いきやただのパクリなんてのもたくさんあったな Jennifer Beals出演Flashdanceは映画館で見た。 >>381
パクリのヒット曲と言えば、岩崎宏美のマドンナたちのララバイ。 >>384
な〜んにも知らずにファイナルカウントダウン観てラストシーンで驚いた思い出 >>360
郷ひろみ GOLDFINGER '99
リッキー・マーティンの曲をカバー 夜のヒットスタジオのジョイントライブはよかった
中森明菜 井上陽水 安全地帯 飾りじゃないのよ涙は
西城秀樹 Casiopea SUN
アン・ルイス 吉川晃司 六本木心中
THE ALFEE 大友康平 SWEAT&TEARS〜IF >>367
長山洋子 反逆のヒーロー johnny hates jazz >>387
夜のヒットスタジオと言えば「共産党バンザイ」だな >>391
前田武彦というタレントが司会をやってた頃、この人は軽口で有名だったんだけど、
都議会選挙で共産党が大勝したときに、特に共産党支持でも何でもなく冗談のつもりで
「共産党バンザイ」と言ったら即降板
以後、20年近くすべてのテレビ局に出禁になったという恐ろしい時代 >>392
マエタケってそれで見なくなったんだ〜! >>394
ここ数年またテレビに出るようになって、言論弾圧か何かのテーマで
テレビタックルか何かに出たときにもしみじみ述懐してたよ じぶんだって資本家側のスポンサーや放送局とグルになって大衆を手玉に取って金儲けしてるんだから、うまくやれよ、と思う。 >>396
いや別にマエタケが共産主義者ってわけじゃなくて
単なる軽口で言っただけなのに20年も干されるってのは恐い、という話をしていた 前武は口が軽すぎたから業界の内外を問わず消えて喜んだ人も多かったよ。 昭和末期(60年ごろ)「サイコロステーキ」なるものが突然登場した記憶。
50年代にはなかったと思う。というか、ステーキ自体がそう簡単には食べられなかったと思う。 >>399
あー、本来は角切りなんだけど、集成肉を固めた奴なー >>399
千円ステーキというのが衝撃的だったわ
たま〜に、親父が奮発して「今日はステーキ食べに行こう」なんて言うと子供達は狂喜乱舞してた
そういうときの親父は太っ腹だからステーキ屋で好きなように食べさせてくれるから家族4人で3万円とか払ってた
家でステーキ焼くときだって1枚3000円くらいしてたなー
>>401
サイコロステーキとハラミは別もの いやいや
昭和ならステーキでなくビフテキ
はるかに御馳走って感じがするわ あ、ビフテキはビーフステーキの略でないことはあの頃から知ってましたけどね 「古い出来事なので沢田研二が夜のヒットスタジオに出演していた(古舘伊知郎と加賀まりこが沢田とどのように会話したどうかを含めて)のは正確には覚えてない。
詳細は沢田研二 in 夜のヒットスタジオ 参照
夜のヒットスタジオに沢田研二が出演した時OPメドレーで渚のラブレターの衣装でタイガースのシーサイドゴーバウンドを歌ったりコート着てサングラスかけてお前にチェックインを歌った。
チャンスの時はサングラスかけて黄色のスーツ着ていた。
マンスリーで往年のヒット曲をAORアレンジで歌ったりヴォラーレを山口小夜子とおどりながら歌った。 夜のヒットスタジオを見たのは、37年前だ
河合奈保子が夜のヒットスタジオで出演した時は八神純子と対面している。黒髪にアマリリスは好きな曲だな。
マンスリー(最終)で母校の校長先生と同級生
西城秀樹がマンスリーで出演したときアルバムから「City From Dreams Tokyo 」を歌ってる。
ヒデキが出演したCITIZENの海外向けCM は番組内
長山洋子も演歌歌手に転向する前にアイドル歌手として出演して洋楽(曲は失念した。)のカバーを歌っていたのは覚えている。
TーSQUAREのプリズムも一番好きな曲だな。 長山洋子はビーナスだな
デビューした頃は「そんな日はサラサラ〜」みたいな曲を唄ってた >>404
ビートの効いた洋楽カバーをやるまえは、正統派純アイドルって感じだったけど、松田聖子、河合奈保子、石野真子らの影に隠れ、地味で、時代遅れなかんじで全く目立たなかった。
杉田愛子とか松本典子みたいな存在かな。 >>408
つうか長山洋子って松田聖子とかと同期じゃなく、84年ころのデビューだから
言うならおニャン子あたりの影に隠れてって感じだな。 町内に寿司屋ができたとき、町内の忘年会がそこで行われ、父が参加。
昭和のマンガで、千鳥足の酔っぱらいのお供だった寿司折り(店の包装紙で包まれ、ひもで縛られている)のお土産を初めて見た。
2次会に寄ったり、こども(俺)が寝てしまって翌朝食べることになったりして痛むのを懸念してか、助六だったなぁ。 >>404
[広辞苑]
ビフテキ
(ビーフ‐ステーキの訛)厚めに切った牛肉を焼いた料理。ビーフ‐ステーキ。
[大辞林]
ビフテキ [0] ?(フランス) bifteck?
⇒ビーフステーキ
[新明解]
ビフテキ[0]
〔フ bifteckの日本語形〕ビーフステーキ
広辞苑が間違ってるっぽいな ビフテキの由来は一つではない、 で良くね?
ウィキペ(笑)見ても併記してあるし 同じ物だけどステーキよりビフテキの方が高級感や特別感があるように聞こえるよな 豚肉のステーキのことを豚のビフテキなんて言っても通じない。
トンテキと読んでいたはず。
標準的な昭和の日本人にとって、ビフテキとはビーフステーキの略という認識でよいのでは? 縁日の露店商をテキ屋というのは、こども相手に、毎日テキ(ステーキ)が食えるほどボロ儲けができる商売だからだと思っていた。 >>395
>>ここ数年またテレビに出るようになって
もう7年も前に亡くなっているのだが?
>>392
押坂忍、土居まさる、大野しげひさといった、もっとスマートで滑舌のいい司会者が一杯いたので、出なくなったのに気づかず、訃報を聞くまですっかり忘れていた。 >>419
でもガキの頃の味覚だと「脂ぎった肉の塊」って感じで正直、口に合わなかった思い出。
反面、ハンバーグは大好きだったし。。
>>411
寿司折り持った千鳥足の酔っぱらい、よくショッカーの怪人とかに襲われてたな。。。 ビーフステーキなんて、言葉はアメリカから入ってこなかったし(大阪の肉といえば牛が当たり前感覚)フランスのビフテックを総じて牛肉料理ということで向こうで学んだ料理人から広がったって聞いたよ
その当時ビーフステーキを略してビフテキにする機会がない
まあ今度昭和ひとケタのジジイに聞いてみるわ
ビフテキって言ってた頃にビーフステーキって言葉はあったのかと 地域にもよるが「部活動の強制」
練習を休もうものなら宿題+自主課題だった小6時代。(転校1年在籍)
帰宅部なら「覚悟しとけよ、内申書」の中学時代。 >>426
そーいや「トンカツ」の「カツ」も日本語じゃなく英語のカットレット、フランス語だとコートレッタで
本来、骨付き肉の切り身とかいう意味なのに、さらにそれの短縮っつう複雑な過程の中で生まれた言葉というw ビフテキの語源については諸説あります(BGM:アイネクライネナハトムジーク) >>428
フライとカツも混在してるよね
しかも英語でフライと言った場合は基本は唐揚げだし それはdeep fliedね。stair fliedだと「炒める」になる。flyは「油を使って鍋で加熱する料理法」、くらいの意味なので、日本語や中国語でぴったりくる訳はない。 この時期になると必ず出てくる
日本シリーズはやっぱり昼間www >>407
ちなみに
長山洋子が出演した時夜のヒットスタジオでジャッキーチェンがゲストで出演した時河合奈保子がエスコート
CHAGE&ASKA・長山洋子・久保田利伸
長山はジャッキーチェンの大ファンで古舘伊知郎の
に「憧れている歌手の人?」に聞かれ
「ASKAさん」と答えた。
古舘伊知郎が久保田利伸・ASKA・ジャッキーを
ダーヴィンの進化論と評した。
夜のヒットスタジオを久保田利伸のIt's Badを初めて見た時「うまい」と思った。
バックコーラスで務めたアマゾンズの洋楽のカバーを歌っている。
久保田利伸のコンサートは見に行った。 >>427
そんな俺は応援団
応援団=不良の集まり。ってイメージがあるから
応援団に入れるのは教師が選んだ真面目な生徒のみ
応援団は毎日の練習無し=ほぼ帰宅部
練習日は週1回と大会前くらい
楽だったよ〜
但し
高校・大学と団に入れられてしまったのは計算外だったが 部活だって今は入部強制とか長時間の練習とか社会問題になってるな
昔じゃ考えられなかった >>437
その競技とかの経験が全く無いのに、顧問やらされる教師も、ある意味被害者 非行防止の意味合いもあったかなぁw
体育祭や文化祭も外国からしたら珍しいらしい 学校生活そのものがストレスなので、長期休暇中の活動のない週一文化部。
後は逃げるように下校。
とにかく日曜祭日長期休暇の間は、学校とは一切関わり合いになりたくなかった。
学校生活そのものがストレスになるタイプの人の場合は運動部強制加入なんで地獄だろうね。 日本人は世界一マナーのいい民族と言われてたのに今は他人の迷惑考えない時代になったよね
インスタ映えとか渋谷のハロウィンとか色々
昔はそんなに酷くなかったよ 外国なら商店略奪やこれに乗じての反政府デモ、発砲、強姦が起きてるだろ。 世界的に見れば災害時に略奪がないだけでも民度が高いらしい
ただ、家族が多いふりしたりして配給を多く貰おうとする奴とかはいるが、そういう奴はたぶんザパニーズ >>443
日本人が「震災時に国内で起こった略奪」だと思ってるものは、海外の人から見たら、どうやら略奪の内に入らない
らしいと知って驚いた。 日本はデモをやっても暴動はあんまり起きないし海外に比べればマシだろうね
だからといって軽自動車をひっくり返していいわけじゃないけど
若い連中は集団になると年寄りよりやっかいだ
夜中の駅周辺では大騒ぎしてゲロ吐いてゴミを散らかし放題
朝方に近所のお年寄りが掃除をしてるけどなぜか掃除してる年寄りがマナー悪いと批判されてる 週刊の少女漫画雑誌があった
週刊マーガレット集英社
週刊少女コミック小学館
週刊少女フレンド講談社 部活つうと自分も中学入学当初、いきなり野球部に入ったが皆リトルリーグ経験者で付いていけず半年で退部w
別の部活探すが結局決められず帰宅部だったが、親の知り合いが新聞販売店やってて
そこで夕刊の配達のバイト始めた。いい小遣い稼ぎになったよw
最近は見かけないね「新聞少年」・・。 >>447
昔は主婦もたくさんやってたな。朝は忙しいから夕刊専門で「夕刊マダム」と呼ばれていた >>446
週刊少女サンデーもあったらしい。
女の子向け漫画雑誌って、週刊のようなせかせかしたペースには合わないらしくて、皆月一回もしくは二回刊行に変わっていった。 >>441
昭和の喫煙者は妊婦の前でもスパスパ吸ってたし
吸いがらだけじゃなく、空き缶その他のポイ捨ても今よりすごかったし
飲酒運転も、車窓からのポイ捨ても、当たり前のように行われてたし
道端に痰やツバを吐き捨てる人も、電柱に立ち小便をする人も、今よりずっと多かった
今は、通りすがりの他人に意味もなく罵声を浴びせて笑うヤンキーは激減したし
いわゆる「暴走族」も絶滅寸前まで来てる
確かに昔はインスタやハロウィンなんてものはなかったから、
それだけに注目すれば「過去には無かったが今はある」マナー違反だけど
他のマナー違反はすごく減ってるよ >>450
昔は毎週土曜日の夜ごとに今の渋谷の騒ぎどころじゃない騒ぎを日本中でやってたからなー
暴走族の集まりを取材していたカメラマンをその場のノリで轢き殺しちゃった事件もあったし
そういや今の暴走族って信号守るし悪さもしないんだよな。ただうるさいだけ >>446,449
単に売れなかったからじゃないの?
少年漫画を購読する女子は多くとも、逆はそんなに多くない、
女はファッション誌、女性誌に移行して、男ほど社会人とかの年長者が漫画を読まない。 >>449
「週刊少女サンデー」確認できない
月刊で出してみて巧くいかず週刊化しなかったと思ったが ガソリン高いから暴走族も暴走したくてもできないのでは >>446
週刊女性漫画誌
・当時の女子は週刊雑誌だけに金を使うのを嫌がった。
・女性漫画家は週刊誌のペースに付いて行けない。
って両方の理由で没になったらしいね >>451
地方住みだったが、駅近いメインストリートは土曜の夜は大概ゼロヨン(シグナルグランプリ)やってた。
時は70年代、車種はサバンナやセリカ、ハコスカあたり。二輪はあまり見なかったな。 >>458
この人って元気だよね
クイーンとかビーチボーイズのメンバーはひどいことになっとる >>460
ロマンだからこそ復活は望まない
思い出として更に神聖化される そろそろマロンの時期が終るな…。
マロンライス食いたくないか?ブルマ履いて男のロマンが 剥いた和栗と出汁がセットになった栗ご飯セットというのを妻が買ってきて、栗ご飯を炊いた。
なんでも便利になっててイイけど、硬い鬼皮を包丁で剥いてたカーチャンの愛情がおいしかったのだなあ・・・ >>456
そして、女性で週刊で描ける描きたい人は皆少年誌とその後創刊されたヤング誌にごそっとかっさらわれて、少女誌は
どれを開いても同じのおしゃれだ恋だフナだの本になりましたとさ。
話は違うけど、今時の週刊漫画誌って、定期的に連載漫画を「作者取材のため」と称して休養させますね。 >>461
だよな
タイムマシンで見れたら昭和のあの頃の子ってブサイク貧相 >>458
いまだにリンダのイメージが強すぎて
なんだかなぁって感じになる >>465
花とゆめだけは男子が見るに耐える雑誌だった >>469
別マで和田慎二のデビュー作から読んでた儂の立場は? 雑誌は読まなかったが単行本は部室にあつて日出ずる処の天使とか有閑倶楽部は読んでたわ >>469
パタリロを見て目覚めるんですね
わかります(;´Д`) >>470
別マというと日常系4コマの始祖?「フーちゃん」があるな
コミックス探してるんだがさすがに見つからねえ… >>469
昔はマーガレットでも男子が読むに耐える雑誌だったんだけど、そのマーガレットの「男子が読むに耐える部分」を
引っこ抜いて生まれた雑誌が「花とゆめ」なんだよ。
うちの弟は、まだまだ男子が読むに耐える部分を持っていた頃のマーガレットに連載されてた「エースをねらえ!」
のアニメ版がすげえ好きだった。
あれは剣をラケットに持ち替えた剣豪もので、内容もストイックだったからね。
今では「花とゆめ」からもそういう要素は引き払われて少年誌ヤング誌青年誌にごそっと。
「王様達のヴァイキング」の作者だって、本来は昔のマーガレットや花とゆめで描いても良かった人なのよ。
浦野千賀子の血縁だから。 そういえば柴田昌弘先生も少女漫画出身だよね
紅い牙シリーズとか、普通に少年誌で連載してても違和感ないと思うのに
なんでマーガレットと花とゆめだったんだろ? >>474
40年ぶりくらいで思い出したわw
忘れんもんやなあ >>476
なんでも何も別マでデビューしたからやろ
集英社は作家囲い込むし、白泉社は集英社からの流れやし >>467
そうそう
ブルマ時代のアラフィフBBAだけど
現役JK時代だってブサイクでモテなかった
当時美人だった子はきっとブルマでない今の時代でもモテてただろうね >>467
>タイムマシンで見れたら昭和のあの頃の子ってブサイク貧相
タイムマシンなくても卒業アルバム見ればいいだろ。
当時可愛かった子はブルマもスク水も似合って可愛さが引き立ってたよ。
くそっ、今は何であんな色気のないのに変わってしまったんだよ?
>>480
ババアに用はない。 >>481
「有閑マダム」をもじって「夕刊マダム」って言っているんだよ 夕刊紙って日刊ゲンダイみたいなやつでしょ
売春情報を掲載して好評を得たなんてwikipediaにかかれてるし 80年代は、それが流行してたという事もあったしそういう校則の学校も少なくなかったので、ショートが流行してたよね。
漫画のキャラでも奇面組の唯ちゃん、ウイングマンのあおいさんなどショート女子がいた。
ロング解禁になったらロングばっかりになった。
つか13歳以上の女子にショートを強要するようになったのは戦後からで、戦前は逆にロングが義務で13歳過ぎたら伸ばす
べしだったので昔に戻ったとも言える。 >>482
おまいみたいなボケ老人がごちゃごちゃ言うのがうざいからだよ。 今朝のNHKあさいちで前回の東京五輪の聖火ランナーを訪ねるという企画をやっていて
当時のアルバムを見せてもらった若いレポーターが、写真の横にコメントを書き込んであるのを見て
「今のインスタを50年前に先取りですね!」と驚いてたのを見て驚いた
昔はアルバムに子供の写真を貼ったら、その横に母親が「ちょっと緊張しちゃってるかな?」とか普通に書き込んでたよね そうだよね。
親の世代はアルバムと言えば厚手の台紙が綴じられただけのもので、写真の四隅に付けるコーナー(何て言うのアレ?)で貼り付けてたので、写真の脇に直に書き込みが出来たけれど、
自分達の世代辺りから次第に糊の付いた台紙にフィルムで挟み込むタイプに代わって行ったよね。気軽に書き込めないと言うか、メモを挟むだけなので味気ないと言うか何と言うか…。 >>491
フォトコーナーとかコーナーシールとか
ヨドバシでまだ売ってる
アルバムも今は製本式がメインになっちゃった感がある
一枚ずつ印刷したのはポケットアルバムだけどほんと物が減っちゃって選択肢が少ない 鶴瓶の番組で西城秀樹が演歌に転向する前の長山洋子・中原理恵・石井明美と共演。
長山が西城と握手してもらったことを回想していた。
西城がスティービー・ワンダーの愛の園をカバーした時
2コーラス増やしたと言っていた。 西城秀樹が今夜が最高でマイケル・ジャクソンの
真似でBADを歌った。 >>476
柴田昌弘は別マから読んでた
花ゆめデビューの3〜4年前は見かけなかったけど
何してたんだろう?
この人の短編物は好きだった。 都バス小滝橋で無色が乗車すると
変な声で嫌々アナウンスをしたり
「揺れます。左に曲がります。停まります。発車します。」
「おつかまり下さい。」等駅までの数分の間に
数十回もの耳障りなアナウンスをされる。ほかのお客さんも
明らかに嫌がってるのに
運転手はムッとしたまま続けて平気な顔。
特に「おつかまり下さい」は警察におつかまり下さいの
イントネーションになっていて
老人からも怒鳴りつけられて注意されてたりしても
「あなた方は〜」と聞く耳を持たない。 臨海線で線路にものを
落としたというトラブル等の停車は
私に対する嫌がらせでした。数回乗って数回やられました。
停車15分と言っていたのに
私が降車するとその瞬間「あっ!」と
マイクに声が入り「あ、あ、あ、只今トラブルが解決しましたぁ・・・」と
監視していたかの様に
しどろもどろの訂正のアナウンスが入り出発する。
JRもそうだがオタクの仕事は個人の感情が入り過ぎだろ
金返せ。 高校時代に学校の帰りに、肉のハナマサよって食って、さらに帰ってからまた、晩飯食っていた。あんなによく食えたものだ。 女子高生でも、カップ麺二つとかうどんとチャーハンとか普通に食べた。
後輩達は修学旅行の歳に、「女子校だから」と共学より少なめの夕食を用意されたら、結局追加追加で男子校より
沢山食べたという。 焼き肉の食べ放題に袋やタップを持ち込んで、
生の肉をこっそり持ち帰り近所に配っていた人がいた。
当然これは違法となる。
店がOKしていれば問題ないが。 キャラメルコーンの売り文句は「高カロリー!」だった 沢田研二はザ・タイガースのころは美少年でよかったけれど、
ソロになってからは曲が良かったからヒットした。
だけど歌い方はベタベタしていて好きじゃなかった。
女なら別だろうけど男でジュリーのコンサートに足を運ぼうとは
感じない、と思う。 そーらをとぶっ まーちがとぶっ
くもーをつきぬけほしになるっ
カラオケでもこういう歌いかたをすればさんとなくサマになる 臨海線で線路にものを
落としたというトラブル等の停車は
私に対する嫌がらせでした。数回乗って数回やられました。
停車15分と言っていたのに
私が降車するとその瞬間「あっ!」と
マイクに声が入り「あ、あ、あ、只今トラブルが解決しましたぁ・・・」と
監視していたかの様に
しどろもどろの訂正のアナウンスが入り出発する。
JRもそうだがオタクの仕事は個人の感情が入り過ぎだろ
金返せ。 幕末から明治時代の日本に滞在した外国人に
興味を持った切っ掛けは本屋で買った清水勲 『明治の諷刺画家・ビゴー』 新潮社〈新潮選書〉を読んだのが切っ掛け。 NHK でビゴーを知っていますかは見たけど面白かった。 そういえば昔は精神科のお世話になるのは人生終了と同義だったな
精神科=鉄格子のついた病院というイメージが強くて今みたいにカジュアルな感覚で行ける場所じゃなかった
黄色い救急車というのも流行ったな >286
テレビで12ニュースのボクシングの映像見ていたら、12ニュースの文字が赤く点滅して
「ワルシャワ空港でポ―ランド航空機墜落 乗員乗客183人全員死亡」のテロップが表示された。
このテロップは飛行機恐怖症の切っ掛けになった。 秋と言えばブルマ
体育祭は普段めったに見られないブルマ姿の晴れ舞台 日本人の歌手が洋楽のカバーした切っ掛けでファンになった歌手
河合奈保子 グレイス・リック
長山洋子 マドンナ >>521
ブルマの話題出てたけど、俺の初恋の子は学年でも指折りの美少女だったけど濃い顔立ちで、女の子の中では一番毛深く、ブルマで体育座りした時の太ももにキレイに流れる様に表から裏までびっしり生えた剛毛がたまらないギャップだった。
今でも名前を叫んで激しいオナニー射精する。独身の特権だ。 >>525
523禿同なので、あなたが自死して下さい シールというものは、台紙からはがせばすぐ貼れるわけではなく
まず絵柄の形に切り取り、裏に水をつけて貼りつける、水気を切って乾かす、
と言う手間が必要だった 台紙から剥がして10円玉でこすって貼り付けるシールもあったな
あれ全部こすりきれなくてきれいに貼れたためしがない 社宅の壁にシール貼りすぎて引っ越しのときは大変な騒ぎだった >>527
デカールな
まさか接着剤すら不要になって完成品の塗装も不要になる時代が来るとはね 昭和52年頃の瓶のコカ・コーラのフタの裏側にスーパー・カーなどの絵が描かれていた。 >>531
ペプシじゃなかったっけ?
札幌五輪のときは各競技のピクトグラムが描かれてて集めてたわ フタって言うなや
王冠って言おうぜ
王冠の裏がコルクだったりとか懐かしい
自動販売機でガラス瓶引っ張る奴、なんかやりたくて仕方なかった
ただあれ、栓抜きが固定式で王冠が回収されちゃうから裏が見れなかった >>533
あとイベント会場とかの売り子のお兄さんがコーラの栓をポンポン!と抜いてコップを被せてクルッと逆さまにするのがかっこよかった 王冠裏のコルク部分を剥がすとクジになってるキャンペーンがたまに有ったが、失明した子がいて廃止になったんだよな。 >>535
えっなんで失明するの?剥がすときに目に入ったとか? 昔の缶ジュースはタブを引っ張って飲み口部分をはがす構造だったね
そのまま捨てる人が多くて、水辺で裸足で踏んだ人がケガしたり、舐めて口を切る子供がいたり、野性動物が飲み込んだりと、いろいろ問題もあった >>537
小さな缶切りがついててぷしぷし穴を開ける時代を覚えています。 >>538
そのころの缶ジュースって、金属臭がして不味かった。
瓶入りのバヤリースなら嬉しかったけど、缶ジュース飲むくらいなら渡辺の粉ジュースのほうがイイや、と思ってた。 >>532
コカコーラやファンタだよ
ピンクレディーがCMに出てた >>535
コルクではなくビニール被覆だったような 途中からビニールになった。70年代始めごろに切り替わったと思う。 >>543
栓空いてるのに飲むかねと子供心に思ったよ >>536
剥がす時はミルクの栓を抜くキリの様な工具で捻らないと出来なかった。それで勢い余って目に全部刺さり失明。それ以降、道具無くても剥がせる様に改良された >>538
穴開けるドリンクヨーグルトに2つ穴をあけたら不思議そうな顔された
ジュース缶切り使ってた人は常識なんだけどな 出し口用に並んで二つ、反対側に空気穴一つ開けるよね ttps://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-8c-fe/naohiro064/folder/359789/01/7340701/img_6?1387808310
こういうタイプのもあったらしいんだけど、全く記憶にない。
チビ缶切りつきから、気がついたら引き抜き式プルタブになってた。 >>549
これ、丸い所を押して開けるんだよな。
1度しか見たこと無いわ。 夜のヒットスタジオと言えば原田真二のていーんずぶるーすを聞いて
上手い歌手と聞いた。
彼が出演したサウンドインSは第一回から見ていた。
彼は日本のビリージョエルだろう。 >>548
自分が覚えているのは、金具の両端部に大きさの異なる孔あけが付いていて、飲む方に大きな孔、空気穴側に小さな孔をあけた。 >>547
学研ひみつシリーズの「トンチンカンの科学教室」にこの種類の缶ジュースの穴の開け方の話があった。
自分がこの本を読んだ昭和55年頃にはプルタブの缶ジュースしか見かけなかったので、「なんだこの缶ジュースは??」だったな 映画の字幕は、右に縦書きで入ってた
昔の映画館は客席に傾斜が無くて、字幕が下に入ってると
前の人の頭で見えなくなるから、だったそうな ブルマなんてパンティと同レベルじゃん
廃止やむ無し(無念) >>552
原田真二はザ・ベストテンで
ていーんずぶるーす、キャンディ、シャドーボクサーと一気に3曲ともベストテン入りしてたな 昭和50年代生まれだけど、子どもの頃の思い出に引き抜き式のプルタブがアスファルトに沢山埋まってたのがある
息子が5歳なんだが、今は自販機のドリンクはペットボトル型が多くて、缶ジュースの飲み方知らないんだよ
びちゃびちゃ音を立てて飲めないからいらないと言う 夜のヒットスタジオの思い出といえば
バックバンドの生演奏でダンサーがDee-Dee
中井美穂のツイてるね ノッてるね
早見優 パッション
堀ちえみ 早見優 石川秀実 やさしい悪魔 ヒットスタジオ 堀ちえみとくればあの靴飛ばし事件だろ 夜のヒットスタジオで河合奈保子歌った好きな曲は
harbour light memories・かなしい人・黒髪にアマリリス・涙のハリウッド
因みに躍りながら歌った歌手は田原俊彦 風見慎吾 (平成を含めたらGWNGKO ハートブレイカーは映画館で見た。) 今となっては何の番組か忘れたが、
和田アキ子とマッハ文朱が肩を並べてノッシノッシ歩きながら「追いかけ〜て、追いかけ〜て、すがりつ〜き〜たいの」と歌ってたシーンが記憶にある >>539
昭和の終わり頃に駅の売店で缶の烏龍茶を買って飲んだら以下同文
その後ペットボトルが普及するまで缶のお茶は飲めなかったくらいのトラウマw >>564
トップテンのパチモン感がすごかった
堺正章と榊原郁恵の司会も寒かったし >>560
> 中井美穂のツイてるね ノッてるね
書き間違えなのか、本当にあったのかどっちだ? >>567
ビッグベストテンのことも思い出して上げてね。
黒柳さん、久米さん見てますかー >>569
ググったら
> フジテレビがTBSの『ザ・ベストテン』に対抗してゴールデンタイムに投入した番組で
>「黒柳さん、久米さん、見てますかー!」をキャッチフレーズにしていた。
全然記憶にないわw 半年で打ち切られてたんだな >>549
金曜8時、まさに金八先生、太陽に吠えろ、ワールドプロレスリングの裏の悲惨な番組。
全国ネットの番組なのに、歌手や事務所が本家に忖度したのか、不自然に多い“スケジュールの都合で出られない”アーティストが続出していた。 サラダ油の缶に三角の穴を開けて注ぎ口とキャップ付きプラスチックのフタを取り付けるのだ >>554
懐かしいな。◯◯の秘密シリーズとか学研のあったな。 UCCコーヒーだったかな。プルタブ5つ送っておこづかいプレゼント。
ええ、道端で探しましたよ。。w 学研のユアコースシリーズ
小学館の入門シリーズ、コロタン文庫
ケイブンシャの大百科シリーズ
小学生時代は図書館で読み漁ってたな
特に水木しげるの妖怪百科や探偵クイズが人気だった 夜のヒットスタジオでCasiopeaが出演した時は
デビューしてから大ファンだったから嬉しかった。
西城秀樹と宇崎竜童がCasiopea をバックに歌っていたのを
テレビでみたけど凄かった。
Casiopeaプロデュースの松原みき・亜蘭知子のアルバム
のLP は買って何度も聞いた。
平成に入ってから久保田利伸がCasiopea の番組に
出演してTIME シャワーを浴びてを歌った時
サビで向谷実がキーボード弾いていたのを見て
鳥肌たったくらい感動した。 学研の本のシリーズ名に“コース”がついていたのは、“中○コース”への橋渡しが込められていたんだろう。
ジャンルは違うけど、プチセブンは、同じ小学館の女性セブンへの橋渡し。 ギターの上手いやつはヘビメタかフュージョンやりたがったな
アイアンメイデンの影響で優等生までドクロのTシャツ着ててビックリした E・S・モースを知る切っ掛けは書店で買ったE・S・モースの日本その日その日 (石川欣一訳)平凡社〈東洋文庫〉 >>535
スーパーカーとスターウォーズあったな。
コルクではなくてビニールのパッキン。
最初のスーパーカーシリーズのときに、
千枚通しで剥がしていた女の子が勢い余って目を突いてしまって失明。
その後、パッキンにツマミと、それを引くと切れて持ち上がる溝がつく対策がなされた。 >>549
サンキストのオレンジジュースがこんな感じだったなあ
でももうちょっと穴が小さかった記憶 >>577
プチセブンはその名前になる前は女学生の友という
昭和チックな名前だったんだぞ
活字部分が多くて愛読していた
漫画も面白かったけど フルバージョンだと9分以上の演奏時間
小泉今日子「夏のタイムマシン」
夜のヒットスタジオで2週出演して半分ずつ歌唱。 夜のヒットスタジオと言えば
DELAX移行前に流れた総集編で
井上順と小泉今日子・高田みづえのVTRが流れた。 パチンコ玉が100円単位で買えた
雀球とかテレビが見られるパチンコ台があった >586
キョンキョンで好きな曲は Fade out 魔女 GOOD MORING CALL 夜のヒットスタジオ 河合奈保子のアルバムのジャケットを見て 古舘伊知郎が「もしかしたら、(芳村)真理さんとデーモン小暮が融合したみたいな」
河合奈保子が爆笑 小泉今日子のライブの時にウィンク・キラーという曲で盛り上がるの思い出して調べたら
ブラスロック・バンドTOPSがバックバンドとして参加してたらしい 夜ヒットで過去の名珍場面の映像流してるとき
古舘がふざけて「今まで映った映像にもう死んでる人は何人映ったでしょうか」とか言って
芳村真理にたしなめられてた。
今だったら抗議殺到の炎上状態で謝罪に追い込まれるだろw
それ許されるのも昭和だなーと。あと古舘がそんなこと言うのも、まだ若かったんだなという気が 若い以前に局アナだったから鈍感だったんだろう
フリーの方が気を配る >>593
タモさんも若い頃は結構トゲのある発言してたよね >>583
押込式は「表面が中に押し込まれちゃうのは何か不潔な感じでやだ」という理由で廃れたそうだけど、現在の方式でも
中に押し込まれちゃうのに。
何故かこっちは苦情が出ない。
指の腹で押し込むからでしょうかね。
つかそれ以前の缶切り式でも、表面が中に押し込まれることに変わりはないのに。 缶切り式の時はカバーがついてて、その下に穴あけの金具が入ってたと思う >>596
そもそも表面に口付けて飲むのに何言ってんだと思う >>596
一旦、取り外すやり方が定着したから、缶の蓋は内側にはいかないって認識になってたからじゃない? >>598
特に戦前生まれの親御さんの子は、「口をつけずにコップにあけろ」と躾けられてました。 3人で飲んでもまだ飲める量を一人で飲むようになったんだからデブが増えたのは当たり前 >>603
「スカーレット」まだ持ってるわ。
去年久々に引っ張り出して聴いたけど、やっぱええわ。
ジャケットは確かに出た当時、少々ビビった。 >>600
コップ用意するなら缶を洗うほうが合理的では? >>606
容器に直接口を付ける行為が下品なんですよ ブルマはバツパツの女もいればブカブカの女もいる
太いとかそういう問題じゃなくて >>607
缶飲料なんてロクな成分入っていないのに何かズレてんな。。
お上品な方なら自然のもので手作りジュースがいいんじゃないのw? >>592
モノクロフィルムのライブでブルマ姿の小泉今日子。
「ウィンク・キラー」はスクェアの「オーメンズオブラブ」の歌詞入れ曲。
吹奏楽の定番でもある。
話変わるけどクスっと笑った小噺。
中学教師友人が自由参加授業で映画「大脱走」観賞会を開いたら
オープニングでテーマ曲流れだすと
中学生が口々に「胡麻麦茶だ」「胡麻麦茶の曲」 今が昭和50年の4月だとする。
自分は小6の担任で新任の教師である。
月一度の身体測定に、
教室から保健室までは男女とも体操服、
あるいは男子だけ上半身裸だ。
伝統的に保険室内では男女ともパンツ一枚で測定をしている学校である。
男子の測定が終わり、女子を保健室の中に入れた後、
女子をパンツ一枚にさせるにはどう言う?
「女子の皆さん、×××××。」
↑の×××××の部分を埋めてくれ。 女性がペットボトルから直接飲むのが当たり前の今の景色見せたら昔の人は卒倒しそうだな
ラッパ飲みとか言って俺もよく怒られた 昔のコーラやスプライトとかのCM で女の人が瓶からそのまま飲んでるのって無かったっけ。 >>614
あれは宣伝上、爽快感、豪快感を出す演出で、実際にやると年配者はいい顔をしなかったはず。
牛乳のラッパのみなら学校でも普通だから、細長く、大きいブツをクワエるのが見た目にもロコツなので、忌み嫌われたのでしょう。 >>614
コカコーラのCMで10人くらいでレコーディングしてるのになかなか上手く行かずに揉めて
でもみんなでコーラ飲んだらスッキリ爽やか気分で一発OKになるってのあったけど
実際あれやったら途中で絶対誰か「げふぅ!」ってなるよなと思って見てた >>613
特に、西日本のように水筒持参が義務の小学校では、直飲み式水筒とペットボトルにお茶を詰めて持って行くのが
禁止です。
子供は、どうしても回し飲みするので不衛生だからだそうです。
(お茶を自分の水筒についてるコップに分けてもらうのはおk) ラッパのみってのはでかい酒瓶をのけぞって呷るのがラッパ吹く姿に似てるってこと
ラムネや牛乳やコーラの小びんを普通に直のみするのはラッパ飲みではないし昔も今も問題ない
別にフェラ連想するからダメみたいな話ではない 銭湯で湯上がりにコーヒー牛乳をがぶ飲みする醍醐味は瓶だからこそ。 >>610
前にどこかで書いたかも
10年位前ビリー・ジョエルのライブに行った時
彼が曲と曲の合間にクワイ河マーチを弾いたんだけど
かなりの数の人が「サル・エテ公・チンパンジー」を連想したと思う
ただうちの旦那は同い年で隣県の育ちなのにそれ知らなかったんだよなあ まだ生徒数がめっちゃ多い時代団地にはブルマが絶対干してあった 財前直美は西城秀樹が司会をしていたモーニングサラダで
アシスタントをしていたイメージがある。 財前直見な
俺は婦警候補生物語の勝ち気なねーちゃん そう言えばスチュワーデス物語とかいうドラマがあったな。
観てなかったけど。 俺は高校聖夫婦に思い入れが強すぎて後番組のスチュワーデス物語は見ずにいた
「教官!」というのが話題になってたので途中から視るようになった >>622
町の夏祭りで「ラムネ早飲み大会」があったのを思い出した。
瓶の中のビー玉が飲み口を塞がないように傾けるのがコツだった >>624
自分の育った地域は「サル・ゴリラ・チンパンジー」だったぞ
そういや幼稚園くらいのとき母に万札握らされて一升瓶の清酒買いにいかされたな
スーパーじゃない商店のほうが多くて買い物は基本的にはしごだった >>631
つーより「エテ公」だとリズムに合わないんじゃないだろうか?
「えてこ」と発音するのかな >>624
クワイ河マーチって何だ?と思ったらこの曲かぁ
なぜこれが「サル・エテ公・チンパンジー」になるのか謎 じゃりン子チエの「バケツのおひさんつかまえた」はエテコになっとるね
フランシス・レイは映画音楽をよく聞いてた中学生時代を思い出す ザナドゥとか当時のPC版RPGは理不尽な難易度だった
FC版のDQ2やFF3程度で高難易度と言っている奴らは絶対にクリアできないだろうな >>638
アスキーが作った宇宙戦闘機物のゲーム(名前忘れた)は難易度が高すぎて
最後まで母艦から離陸できずに終わったわ 今NHKのアメリカンコメディ見てるんだけどなんか懐かしいな
昔はこういうのよくやってた
日曜朝の「陽気なルーシー」が好きだったな 登場する子供たちが全員悲惨になったアーノルド坊やとか そのテのドラマの変わり種と言うべきなのか、そのテのドラマのパロディだと思ったほうが良いのか「ソープ」ってのが異彩を放ってたな。 昔のアメリカのコメディドラマはよく笑い声が入るけどどこが可笑しいのかわからなかった バレー部もブルマだったな
学校のとは別に派手だった >>644
789位は演歌じゃないような。1位も微妙だな。 喝采って演歌なのかな?
普通の歌謡曲って認識だったが
まあ境目は知らないけど >>642
今は隣国のドラマを嫌と言うほど流している >>644
なんのランキング?
売り上げ?
なんかの人気投票? >>651
リンク先ぐらい見に行けよ
>レコード(CD)売り上げ、これまで本誌で行った読者アンケート、関係者の意見など
>関係者の意見など
結局糞だと思われ >>647
10位までしか乗ってないのに789位w >>640
>>642
午後8時台が海外ドラマだったりしたよね
10時台なんて海外ドラマばっかり
あとは日曜の朝と夜
刑事スタスキー&ハッチ、刑事コジャック、事件記者コルチャック、
鬼刑事アイアンサイド、アダム12、アダムズファミリー、じゃじゃ馬億万長者、
探偵ハート&ハート、バイオニックジェミー、600万ドルの男、等々 >>655
平成になってるかもしれんが、第二次?海外ドラマブームで夜8時くらいからV、ナイトライダーやエアーウルフやAチーム放送してて楽しみにしてたな。プロ野球のヒーローインタビューで選手が奥さんにエアーウルフの録画頼んでたのまだ覚えてるわ >>656
エアーウルフと言えば番組の最初か最後に「攻撃ヘリ編隊」とか出てた覚えがある
単機で編隊って何だよwwwと思ってた エアーウルフだね
トップガンみたい
ケビン・コスナーじゃん
ぅぉぇっぷ
〃⌒ ヽフ
/ rノ
Ο Ο_);:゚。o;:,. >656
昭和 大草原 刑事コロンボ
平成 Xファイル エアーウルフは単機でも変態並みの威力を持ったヘリということなんだろう >605
アルバムを収録したイメージビデオは買って見たけど、名曲ばかりでいい。
Daydream CoastとNINE HALFはアルバムとイメージビデオを両方買った。
あのアルバムにはファンだったTOTOとシカゴのメンバーが参加している。
Finding Each Otherは河合とスティーブン・ルカサーがデュエット。
夜のヒットスタジオで見た高橋伸明とデュエット「愛と青春の旅立ち」はコンサートで聞いた。 >>649
昭和の頃は「嫌韓」なんかなかった。
平成入ってネットができてから「嫌韓論」が
蔓延る様になった。 >>663
「嫌韓」という言葉はなかったけど朝鮮人は普通に嫌われまくってたよ
横浜で地元に朝鮮学校があったから、大半の男子生徒はカツアゲとかに遭ってたし
朝鮮人絡みでイヤな思いをした大人も多かった >>665
それはデマだろ
朝鮮人の被害に直接あった経験があるか無いかで捉え方は違うよ 今の韓国人て、自分で望んで日本に来てて自然災害にあっても、謝罪しろ!賠償しろ!って言いそうだよね >>666
そういうデマを出すほど嫌われてたんだろ 叔父に聞くと終戦直後の朝鮮人によるカツアゲはよくあったそうな
今でもヘイトが止まらねーw @大阪 >>666
さては、おまえ防弾少年団のおっかけだな! >>670
子供の頃から在日に嫌な思いをたくさんさせられてきたから韓国のアイドルグループとかアレルギー反応出て無理だわ
韓国映画は好きだけど、日本映画で無理やり韓国とか絡ませてるとやっぱり無理 昭和のころは今と違って、毎年CMから流行語がいくつも生まれていた気がする >>672
おーモウレツ!とかいろいろあったよね
平成に入ってからCMから流行った言葉ってあったっけ? 1980年「美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに写ります」 >>674
サビ残とか無かったから
働いた分だけ飲み代が増えたぞ >>672
ハヤシもあるでよ〜
飛ンデレラ死ンデレラ
3分間待つのだぞ
ちかれたび〜
どっちが得かよーく考えてみよう
亭主元気で留守がいい
芸術は爆発だ!
私はこれで会社を辞めました >>678
亭主元気でが男女逆の立場だったらババアどもからすごいクレームきたろうね >>677
当時、「(業務打ち合わせを兼ねた)顧客との飲み会」
でも申請書の体裁整っていれば残業手当が付いた経験。 >>673
「たらこ・たらこ・たらこ〜〜」くらいかな
「ぽぽぽぽぽー――ん」はCM・・・?
「明日があるさ」や「なんでだろう〜♪」は、
歌が流行ってからCMになったんだっけ 明日があるさは坂本九の歌覚えてたから懐かしかったな 1988年 「24時間、戦えますか。」
1988年 「皆さん、お元気ですか?」
ギリギリ昭和というか、平成の始まりというか
2002年 「いっばいきけていっぱいしゃべれる」
2003年 「燃焼系アミノ式」
2012年 「いつやるか?今でしょ!」
平成になってからはテレビCMでの流行語はほんと減った感じ >>682
創味シャンタンのCM聞いてそれ思い出したわ 糸井重里みたいなCMコピーライターってのがもてはやされたしな。
>>679
ハウスのシャン麺のCMで「私(女性)作る人、僕(男)食べる人」のコピーで
あからさまに女が料理を作り、男は食べるだけという「決めつけ」を示唆するってことで
婦人団体からの抗議で放送中止の憂き目に。。w ・なんちゅうか本中華
・う〜ん、寝てみたい
・いつかはクラウン 夜のヒットスタジオではマイナーな曲が流れていた。(アルバムの発売を兼ねていた)
西城秀樹 ジェラシー NEY YORK GIRL City Dreams of Tokyo 追憶の瞳〜Lola
河合奈保子 緋の少女
因みにバリー・マニロウが夜のヒットスタジオに出演した時愛の翼をピアノを弾きながら「英語」で歌った。
翌週マンスリーで西城がこの曲を歌った。 >>674
そう、サビ残なかったってウソだから。
普通にあったし、その頃のほうが全て酷かったよ。
フルタイムのバイトとか残業早出コキ使っても平気でうちはバイトは
社会保険入れませんとか中小以外でもシレっとw
休日なし、休日出勤手当なにそれ?聞いたこともない知らないみたいな。
そもそも残業代が出た所でブラックだけどねw
休養タイムは大事よ。雇われは自営みたいには働けないよ。 >>687
女って平等を叫んでるようで実は女側の優位になるようにしか考えてないんだよね
だからCMでも男を馬鹿にしてるようなものには何にも言わない 最近の変身ヒーローはデザインが複雑というか凝りすぎなのか、実在の人物に似ているヒーローがいなくなった様だ。
昭和だと、私の周りだけでも変身後の七色仮面と同じ顔の高校同級生、サンダーマスクと同じ顔の会社同僚、ゴッドネロスも同じ顔の取引先課長等がいたものだが… 今流れてる某クリニックの「何か足りない」ってCMも
立場逆転してるものなら大問題だよなぁw >>693
近頃のデザイナーって、子供が描きやすいかどうかを考えない傾向にある。
永井豪、横山光輝、手塚治虫、石ノ森章太郎。
皆、未就学児の拙い画力でそこそこカッコよく描けるデザインを採用していた。
子供の頃、アクマイザー3のイビルを描いてみたら、小学校低学年の画力でそこそこカッコよく描けるのに
感動した。 >>695
アクマイザー3ったら中3時の隣のクラスにガブラそっくりな奴がいた
赤肌っぽくて体系もそのまんまなんで仲間内でガブラ呼ばわりしてた >>693
今どきのはどっちかつうと2次元のイメージをあえて登場人物を実写でやってるだけの感じなのかな。
爆破やアクションシーンなんか普通にCGで、現実にありえない描写だし、
昔のいわゆる「等身大」ヒーローとは違うんだろう。。 >>695
女の子向けの作品も同様だね。
セーラームーンくらいならまだしも、最近のプリキュアをまねして描けっていうのは無理難題。 追試を受けないといけない点数の事を、昔は赤点と言ってたが
今は欠点というのな
いつからだ?あとどうして赤じゃなくなったんだ? >>698
CGなしの時代の東映特撮を見てみたら、普通にタイミングを間違えたら重傷死亡もののアクションやら発破やらがあるので
マジでおまたがヒュンヒュンします…
>>699
これは悪役だけど、「コンドールマン」のレッドバットンなんかは凄くすっきりしたデザインなのに今見ても古臭くない。
これくらいの方が好き。 ギャバンとか昔のヒーローは変身した直後はキラキラしたかっこいいスーツだったのが
戦闘になるとペラペラした汚いスーツになるのが子供心にもなんか嫌だった >>702
あれは、変身直後は最初に撮りだめのバンクフイルムで、毎回の戦闘シーンは汚れて凹んだスーツになっちゃうんだよね。なので後半にならばなるほど酷い。ウルトラマンシリーズでも同じだったと思う >>703
ウルトラマンの顔は世代交代(お面の新規作成)で変わったり >>706
最初のマスクがラテックス(スーツと同じ素材)でなんかショボい感じなんだよな バロム1のボディスーツなんか、染め直したりするのかしょっちゅう色が変わってた。
バイオマンでもブルースリーが色あせでパープルスリーになったり,バッテンロボ丸のチョキットのケツがハゲだらけになったり。 >>709
低予算だったんだろうね。今の特撮モノもそんな途中劣化はあるのかね? >>710
エレキングの角が垂れ下がってるのが、なんか好きだった >>712
帰ってきたウルトラマンにテレスドンを登場させようとして倉庫から出してみたらあらびっくり。
素材劣化で特に嘴がへにゃへにゃフェイスに!
…というわけで、デットンという別の怪獣だということにしましたとさ。 >>711
あったとしてもCGで補正するだろうから無問題 >>701
仮面ライダーV3のオープニングの最初の、ハリケーンが爆発の中を走ってくるところ。
あそこも発破のミスがあってハリケーンのほぼ真横で爆発してるんだよな。 怪獣の背中のチャックや飛行機のピアノ線、怪人のマスク越しの目とか
ガキでも普通にまるわかりだったが、それでも空気読んで?すげえなアとかストーリーに
気持ち移入して見てたんだよね。。 >>716
無邪気に何も考えずに見る→チャックやピアノ線にツッコミながら見る→そして離れる→何らかの理由で帰ってきたら
それらは全てお約束と弁え、特殊技術やスタントの妙技、俳優の演技や失われた風景や風俗を楽しむ
それでも飛行物体は操演の方が好き。
ミニチュアに適度に施された汚しや、質量のある物が重力に抗って浮いてる感じがよく出てるから。
CGは汚しがないし、鳥が飛んでるみたいで質量が感じられない。 >>718
化粧してるとは言え70歳近くでこんな綺麗な女性なら結婚したいな >>716-717
それでも円谷英二はピアノ線が目立たないように上下逆さまに撮影したり
(上から吊ってるという先入観があるので下だと目立たない)
いろいろ工夫したんだよな
レイテ沖海戦の映画なんて進駐軍が実写だと勘違いしたほど完成度が高かったし
あと円谷英二は金に糸目をつけないから、ウルトラマンの1回の制作費が500万円しかないのに
銀行から借りて毎回1500万円くらい掛けて作ったので、ウルトラマンが終わる頃は借金で火の車だったとか
しかも毎回ディテールに拘ってフィルムが1時間以上になったのを30分に編集するもんだから辻褄が合わないとか
(カットしたフィルムは全部焼却!もったいない!)
英二が引退してから急につまらなくなったのは金も時間も掛けなくなったせいだろう
脚本家もキャラクターデザイナーも全部やめちゃったし > レイテ沖海戦の映画なんて進駐軍が実写だと勘違いしたほど完成度が高かったし
飛行機を回すのに苦労して逆転の発想で島を回したんだよな >>721
それ初耳だわ。やっぱ円谷英二はすごいな 円谷ネタで言うと
孫の浩が活躍した、宇宙刑事シャイダーの映画版
冒頭、怪獣との戦いのシーンで
裏方さん10数人が映っているいるシーンが有るんだよなぁ
あの緩さが昭和なのか? ここは、懐かし特撮板ではない。
高嶺の花のビデオがなくて家族とチャネル争いとか、“今じゃ考えられない昭和の生活”に絡むものでなければスレ違い。
濃い人間が少ないと思って、我が物顔でスレ違いのサロンにしようとする。
専門板で相手にされないのかな?
沈黙は異議なしだと思われないように釘刺しとくわ。迷惑。 >>724
スレ主でもないのに、話題を抑制するなや。昭和に関連していれば問題ないはず。あんたの嗜好に合わせる必要性は全くない。みんな、無視しろよ! 戦隊シリーズの初期の頃のやつで、
巨大ロボを出すときに母艦からロボットアームみたいなのが出て、敵の足を掴んで転ばせてる間にロボを出すやつなかった? 高校生の時に好きだった歌手
伊藤咲子・倉田まり子・美空ひばり 高校通学はマニア大好き飯田線だったからフロアはおろかボディーまで木造の電車に乗ることもあったな >>724
何十もレスが続いてるわけじゃないんだからそのくらい我慢しろよワガママな爺さんだな 昔のバスはタール引きの木の床でくっさいにおいが充満していた。
昔の自動車の独特の臭気の原因、あれ、なんでしょうね。
ビニール貼りのシート?床のタール?ガソリン?
あの匂いのせいで酔ってたんだけど、いつの間にかあまり匂わなくなったよね。 だからその辺の全部混ざった匂いじゃない? オレは好きだったよw クルマとかバスの車内の
独特の匂い。。今までマイカーで芳香剤とか使ったことないしな。 なぜか流行っていた
窓が平行四辺形の観光or長距離バス。
あと特撮ネタで
ハカイダーの肩部分が途中から黒いガムテープ補修していて
子供心に哀しかった。
当時は住所表示もそのまま放映されていたので
「太陽にほえろ」や「仮面ライダー」で住所映ると
ストリートビューで現在はどう変わっているのか観るのがプチ楽しみ。 >>732
今は住居表示映さない様にしてるの?
それは何のための自主規制なんだろうw 自分ちの近所がフィクションとはいえ犯罪の舞台になったら嫌、という気持ちはわからんでもない
あと、万が一にも「聖地」になったらとても迷惑だ >>733
現在ドラマに映る電柱に貼ってある住所表示は
同色緑色の「のっぺらぼう」か「実在しない嘘表示」を貼っている。
例えば「3丁目」までしか.存在しないところに「5丁目」とか。 ヤクザ映画が山ほど作られて、ヤクザがヒーローだった ジュリーが夜のヒットスタジオが歌った衣装は
今でも覚えている。
灰とダイヤモンド〜TRUE BLUE は印象に残っている。
ヒデキ と奈保子のin 夜のヒットスタジオを出してほしい He Ne Ar Kr Xe Rn Og
変な 姉ちゃん ある 暗闇で キスを 乱発し オーガズム
あとは忘れた >>732
そう言えば、太陽にほえろは新宿区矢老町が舞台なのに、一度もその住所表示が写った事が無いのは不思議だww 昭和時代は、お化けや幽霊が街中にも家にも会社にも頻繁に普通に現れていたと記憶。いわゆる心霊写真なんかに限らず目撃談も含めてね。
霊感?の無い私も昔は普通に見かけたのに、最近は全く見ない。幽霊でさえも住みにくい世の中になった、のかも知れない。。 >>733
「がんばれ!ロボコン」の時に、外見モデルになった家にガキんちょが押しかけまくったから、住所表示でロケ地を
悟られるのは一般の方にご迷惑だということになったのかも知れない。
ロボコンでは、途中で引っ越しということになってセット撮影になり、現在既に外見モデルになった家は解体されて
現存していません。 >>740
俺は弥生式土器が出土する“やよい”町だと思っていた。 BSで寅さんやってるけどいまだに墨田区とかの下町にいる叔父は
あんな感じの生活している
正月に遊びに行くとテレビなんかは薄くなったけど
急角度な階段、こたつ、隙間風、黒電話、タンクが上の水洗トイレ
すりガラスで薄い窓、欄干…
田舎より都心部の方が昭和な生活してる人が多いと思う >>741
まあ、いろんな意味で世知辛い世の中になったってことだろうね
>>742
おや世知辛い人が
==
ところで余談だけどスイスって世界一、心霊現象を信じない国なんだってね
スイスで心霊現象の体験談なんて話そうものなら、誰一人怖がらないどころか
真剣に病気の心配(脳腫瘍か何かで幻覚が見えたんじゃないかとか)するそうだ
なぜスイスだけそうなのかは知らんけど >>737
山口組の組長が警察の一日署長やってたんだぜ
まさに今じゃ考えられない昭和だ 平成時代だけど
AV撮影で戦争中のボスニア行って現地女をナンパハメどりしたり
自衛隊広報許可されて駐屯地をAV女優が訪問して
戦車をバックに希望者募った現役隊員とHシーンとか
現代なら大問題になりそう。 >>750-751
どっちもマジか!信じられん
そういやロリヌードで「少女と戦車」ってのあって問題になってたな >>752
ちなみに飯島愛がTバック尻プリプリ振りながら
自衛隊駐屯地内で曲のPV撮影したこともある。
当然、バックには戦車と現役隊員。
まあ「開かれた自衛隊」「親しまれる自衛隊」のソフト路線が始まった頃で
それまで堅物だった自衛隊広報は「加減」を知らなかったのだろう。 自衛隊って昔はならず者の行くところみたいな感じだったな
金八先生は必死に止めていた >>748
脳にレビー小体という物質が貯まる病気では、マジでもの凄くリアルな幻覚が見えるそうです。
(ちなみに、視線を動かしたり席を外したりすると、あたかも幽霊の如くに幻覚が消失する)
老人に多いので、座敷わらしの正体もこれなのではと言われています。 >>753
まさに加減を知らんなw
>>754
いやあの当時は左翼が日教組を仕切ってたから
自衛隊=悪という刷り込みがあったのよ
>>755
いわゆる「霊感が強い」って人はそれだろうね 自衛隊=悪という刷り込みは阪神淡路の時くらいまではあったな 教師が「〇〇くんのお父さんの仕事は人殺しです」なんて平気で言ってた時代だねえ。 >>758
何しろ北朝鮮の拉致被害者が戻ってきた時点でも中山恭子さんが
「国家」という言葉を使っただけで「ナショナリストめ」という抗議のファックスが山のように届いたというしね
あの当時なら今回の徴用工の判決で金払っちゃってたかも知れないね >>758
領空、領海侵犯を放置してる
ぐーたら組織なんぞいらん >>750
神戸港の港湾荷役の総責任者という名士扱いだったそうだ。 学生時代はケンカの強いやつが一番権力持ってデカイ顔していた。
社会に出たら、そんな学生時代の疑うこともない常識が通用しない
ことに驚いた。 >>739
Ogってなんだよと思って調べたらオガネソン? 2002年に初合成で2016年に命名ってそりゃ知らんわって感じ
ニュースかなんかになってたっけ? 全然聞いたことなかったわ >>671
防弾少年団やtwice は日本を意識してるね。
テコンVのリメイク >>249
TOPS 黒い炎 ChaceのGet it onのカバー
長山洋子 反逆のヒーロー Johnny Hates Jazzの
I Don't Want to Be a Heroのカバー
郷ひろみ 哀しみの黒い瞳 ロマンス シャトレ・アモーナ・ホテル フリオ・イグレシアスのカバー
西城秀樹 ナイト・ゲーム Graham Bonnetのカバー ギター=不良のイメージが強かった、たとえそれがフォークギターでも。
それが今やそんなことはなく、女子校生が気軽にバンド組むアニメまで出た。
一体いつからこんな風になったのやら。 >>769
不良の定番と言えばギターとバイクだったな
フォークは反戦のイメージ オレもフォークというとプロテストソングだわ
結婚しようよ、神田川なんてのがフォークの名曲と言われるとなんだかなとなる >>771
吉田拓郎が認められるようになるまでは、フォークには反戦やなんらかの社会メッセージが求められて
そういうのが入っていない浮ついた曲を歌うとすぐに帰れコールが起きるのが定番だった
愛だの恋だのなんて軟弱だとされたから、拓郎も毎回帰れコールの嵐だったんだよな
岡林信康なんかがフォークの神様と言われていた
ところが吉田拓郎が完全な冤罪レイプ事件で逮捕されて、最後まで罪を認めずに気骨のある所を見せてからは帰れコールが起こらなくなった
かぐや姫とかあの辺のフォークが一般に認知されるようになったのはそれからだな
まあひとことで言えば下らない時代だったわw H Li Na K Rb Cs Fr
エッチで リッチ な 京子さん ランパブで 稼いで フランスへ
>>766
すいません最後のOgは自分が思いついたものでw 昭和時代の紅白は誰もが名前を知ってる歌手が
誰もが聴いたことのある曲を歌ってたもんだけどな
全然知らん奴が全然知らん曲を歌う、さびしいもんやね 音楽番組を画像全員でコタツで暖まりながら見てたからな
今は家族がそれぞれのテレビで別の番組を見るかテレビは見ない生活だからね >>776
つーか何年も新曲出してない演歌歌手が10年以上も前の歌を唄うってどうなのよと思うわ >>777
少子化をエクスキューズに夕方の再放送枠とゴールデンのアニメ枠を廃止して子供たちをテレビの前から追っ払って
任意の時間に録画やDVDを見るという習慣を身につけさせたら、子供たちは大きくなってもテレビを見なくなったでござる。
今ちょうど30前後がテレビから追っ払われた冷や飯世代な訳ですが、それより下の人って本当にテレビを見なくなったそうです。
定時番組の視聴習慣がないんだからテレビなんか見るもんですか。 >>779
テレ朝は日曜朝の戦隊と女児アニメで小さい子供をがっちりつかみ
それが今の好調に繋がっている。かな? >>779>>780
フジの凋落ってまさにそんな感じ 高校の時に売れていないアイドル歌手を
応援していた同級生がいた。
特に北原佐和子と三井比佐子が大ファンだった。 契約書に仕事で慣れてれば、そういう言葉が身体に染み込んでるかもね >>779
それはあるな
テレビは決まった時間に見なくてはいけない
(レコーダーに予約するはこの際考えないで)ハンデは大きい ドラマとかも海外の方が創り込まれてるからな、録画で見られるし
リアルタイムで価値のあるのはニュース以外なくなった >>789
ニュースも偏向報道ばかりじゃないか? NHKは糞だしよ 漫画とかアニメとか特撮とかでヒーローが無双じゃなくなったのっていつ頃からだっけ?
初代ウルトラマンや仮面ライダーは無敵だったから全然ハラハラしなかったけど
最近のヒーローは基本は弱くて徐々に強くなって最後に強敵を倒すのが王道になってる
ウルトラマンでもメビウスとか最弱だったし ウヨの人「NHKのニュースはクソだ」
サヨの人「NHKのニュースはダメだ」
みんな自分に都合のいいニュースしか喜ばないからな ソウル五輪までは韓国は隣にあるけど実態は分からない謎の国と思われてた
韓国や発展途上国の特産品売ってるアンテナショップもあったな
まだ嫌韓なんて言葉は影も形もない時代 >>790
ニュースの総体量自体は、昔朝昼晩に10分ずつテキストとナレーションで住ませてた時代と全く変わってないから
朝夕二時間ずつやるから、埋め草に地方紙のベタ記事レベルのことをやったり芸能ゴシップだの街角情報だのと
いったクソ益体のないことを垂れ流してる。水増ししたウイークエンダーとでもいうか。
こんなの見るくらいならテレビの形に切った模造紙に豚のケツの絵でも描いて壁に貼って眺めていた方がまだまし。
金もかからないし超特大ワイド画面も思いのまま。薄くて丸めて保存も出来る。
日本全国一斉に同じ時間に同じ内容のニュースを朝夕二時間ずつやってるのを見ると、ここはどこの独裁政権国家だ?
と大嫌味をこきたくなる。 >>784
北原佐和子のヘアヌード写真集持ってたわ! >>791
早いところでは、新マンは無敵ではなかった。
ベムスターには一度負けてるし、スノーゴンにはバラバラにされた。
あと、初代とは違ってハンディキャップマッチもあったから、けっこう負けている。
キングザウルス三世のバリアを克服するために流星キックなる技を編み出したが、
これは、バリアが体の側面しか張られず上はがら空きだから、という理屈だったが、
…あんた飛べるだろ? >>796
結構早くから弱いんだな
そういや帰マンはあんまり強い印象なかったな
セブンまではタイマンのみだったけど帰マンから2対1とかやるようになったよね
エースだと逆にヒッポリト1人に6兄弟とか卑怯かおまえらとw 怪人がバスの中で幼稚園児と一緒に歌ってた頃が懐かしい ライダーや戦隊といった東映作品は、敗れる→特訓→新必殺技で勝利という様式美がある。
初代ウルトラマンは、二体以上の怪獣が出たら潰し合うか科特隊が倒すかして、ウルトラマンは必ず一体の怪獣としか
戦わないという原則があった。 >>801
怪獣図鑑には海老のような味がすると書いてあったな 高校の時洋楽好きの同級生がいた。
Deep Purple TOTO Chicago Culture ClubYes Van Halenの大ファンだった。 夜のヒットスタジオで印象に残った曲
沢田研二 灰とダイヤモンド 女神
西城秀樹 バリー・バニロウ In Search of love 愛の翼を披露 約束の帰港Casiopea とジョイントコンサート
河合奈保子 涙のハリウッド 十七夜物語 悲しい人
サザンオールスターズ 夕方 Hold on me
早見優 パッション >>791
ウルトラマンレオ
いつセブンに倒されるかハラハラしていたぞw
まぁそれはともかく
テコ入れと言うかスポンサー都合で、中盤にパワーアップ
ってのは昔からあった気がしたぞ 昭和時代は腹話術をやる人が多くて、腹話術人形とか教本とかよく売られていたが、最近は全く見なくなった。オレも腹話術出来たら、街中でも会社でも商談中でも撹乱出来たりして面白いだろうな、と夢想する。 関西人には腹話術師ちゅうとなんといっても川上のぼるさん >>807
>>800で書いたとおり、特訓と新必殺技はライダーと戦隊の昭和期からの様式美。 >>796
つーかセブンもたまに負けてたぞ
キングジョーに負けたり
ガッツ星人にも負けて磔になってた
初代マンも一回ゴモラに負けてる
ただそのときに変身したのはハヤタじゃなくて
フラッシュビームを拾った子供だったけど >>813
フラッシュビームを焚けば誰でも変身出来るんだよな、初代マンは。ハヤタでないと弱くなるのかな >>814
あれって多分、ハヤタと命を共有してるから、フラッシュビームを炊いたときだけ
ハヤタから命を借りてウルトラマンになってるんじゃないかと思うけど
いつか忘れたけどウルトラマンからハヤタに戻る描写もあったから
その辺は取り決めてないんじゃなかろうか
その場でハヤタに戻るのなら飛んでどこ行くの?って話だよな
ちなみにウルトラマンネクサスでは、変身できる適応者ってのが何人かいて
その人達なら誰でもネクサスになれてた
実際、前半と後半でウルトラマンになる主役も交代してた 超人機メタルダーは第1話で主人公が自分の生まれた意味すらも分からず敵に挑んでボロ負けするところからスタートしてたな >>816
最後は覚えてないんだよな
初回でウルトラマンと激突した直後から記憶が飛んでる そういやウルトラマンって最初は科学特捜隊がベムラーと一緒に
事件を解決する話だったんだよな
でもクランクインの少し前に「メタリックな巨大なヒーローがいい」という
スポンサーの意見だったか円谷英二の考えだったかが反映されて
急遽ウルトラマンというヒーローが考え出されて、当初味方のはずだった
ベムラーが初回の敵となった
その後、ベムラーはギャンゴに転職
東宝からバイトでゴジラがジラースになったり
ゼミ星人がバルタン星人になったりと
結構使い回しがあった >>813-817
せっかく“昭和特撮”という板があるのですから、そこにいけば、
同好の人たちともっと濃い話ができるでしょうに。 そんな濃い話じゃなくて、軽い昭和回顧だからお気遣いなく ゴモラで思い出したけど、昭和期は本当に動物の権利というものが軽視されてた。
勝手に大型動物を見世物目的で捕獲して輸送中に脱走して大迷惑で殺害という、純然たる人間の身勝手話。
あの話は、そういう時代ならではの脚本。
30年ちょっと前には、一般家庭でオランウータンやチンパンジーを飼育してたりもしたし、50年前の子供向けの
動物飼育書には「猿の飼い方」という項目もあった。
ついでにペットショップでもカニクイザルが売られてたり。
あれから、猿がペットとして定着したかというと全くそういう事はない。
動物保護の観点もあるけど、ペット向きどころか正反対だと周知されたから。 >>822
そういや熱帯魚屋でピラルクとかピライーバとか売ってたもんな(今でも売ってるのかな?)
どっちも5mオーバーになる巨大魚だというのに
ウルトラセブンなんて生首落としちゃうしね
侵略者ならまだしも(それでもひどいけど)
地球からミサイル撃ち込まれた星から来たギエロン星獣まで両手もぎ取った末に首切って殺しちゃうし
アメリカ版のウルトラマンパワードはあんまり殺さないんだよね
ゴモラは雨の水分で蘇って暴れるだけ暴れたらまた干からびて眠りにつくし
ジャミラは元の人間に戻るし
森林破壊に怒って出てきたザンボラーには「スマン!」と謝って森に帰ってもらうし
レッドキングに至ってはオスメスのペアでどっちかが崖から落ちて死んだのを
残った方が後追いしようとして、それをパワードが後ろから「早まるな!」と止めたりしてたw バロムワンはビビった
実写なのに
2人が一つになるなんて・・ >>825
友達と「バロームクロース!」ってやってから肩組んで片目つぶって
片足でバロムワンごっこやったよね ウルトラマンAを親に説明して「男と女が合体するんだよ!」と言った時の、あの奇妙な間 >>826
ぼくぅ? お姉さんとベビオジごっこしない? >>827
ww
男女合体がよろしくないということで男一人になったと聞いていたけど実際は違ったみたいね ロボットとかも合体するし合体流行りだったから
あんまり気にならないと思うけどなあ。合体合体!!って子供たちは普通に言ってたし。 合体がアレな意味になったのは釣りバカ日誌からだろ
ウルトラマンエース頃は「は?」という反応だったろう >>831
黒ベタのコマに白抜き文字で「合体」ってあれか >>829
子供がごっこ遊びしにくいって不評だったからだっけ >>827
コーヒー吹き出しただろ!ww
どうしてくれるんだこの惨事を 科学特捜隊って名前で怪獣退治
公害Gメンって名前で怪獣退治 >>825
トリプルファイターは3人が1つになるんだぞ… 帰ってきたウルトラマンと謳いつつ
実際は全くの別人
石川ひとみに「倉田まり子お帰りなさーい!」と言うようなものです 音楽番組で森尾由美を見て「河合奈保子に似てる!」と
思ったことはある。 >>839
なんて分かりやすくて確実な判別方なんだ 「合体」もだが「ドッキング」という言葉もよく使った。 高校の時河合奈保子の(アーティストとして)大ファンだった。
LPを買って何度も聞いた。
出演しているラジオも聞いたりドラマをテレビで見た。
コンサートは84年のライブから見に行った。
平成に入って出演しているミュージカルも見た。
芸能活動停止(結婚してオーストラリアに移住)してからファンをやめた。
ライブの帰り河合奈保子の大ファンの友人が「ドラムを叩いたりキーボードを弾きながら歌ってほしかった。」と批評していた。 音楽の先生が夜のヒットスタジオに詳しく「津和のり子&菊の会やトランザムが出演していた回は見ていた。」 小中高とも、先生方は世間の流行には絶対迎合しない立場だったので、HRなどももちろん、給食の時間など先生のいるところでは、NHK以外のテレビの内容どころか、見ていること、漫画、流行歌の話は絶対にできなかった。
先生はお友達ではない(3歩下がって師の影ナントヤラ)のだから、雑談をする相手ではないというスタンス。 青年将校さんだった教師が担任だったことあるけどフランクだったぞ 変身ベルトが異常に欲しかったが買ってくれたのは野球盤という… >>848
人による地域によるとしか。
教師じゃないが平田昭彦さんだって、青年将校だがお茶目さんだったし。
何度か書いたけど、最悪だったのが終戦時に旧制中学や女学校に在籍してた人。
うちの学校では、そいつが生徒側の提案に何でもかんでもだめ出ししたせいで、生徒会がやる気をなくして
生徒会長に誰も立候補しなくなるという事態に陥った。 音楽の先生が夜のヒットスタジオで印象に残った場面として沢田研二の勝手にしやがれ 山口百恵のさよならの向こう側 サザンオールスターズのいとしのエリーをあげた 戦時中から教師やってた婆ぁが最悪だった。
代用教員上がりじゃなく師範学校を出てるってのを自慢にしてたけど。
差別と依怙贔屓の権化だった。 小学校の時の教師に
戦中派の人がいたが
鼻濁音やちゃきちゃきの江戸っ子弁を話してくれて
リアルに昔の人だぁ って衝撃を受けたなぁ
ってスレ違いかw
但し戦時中の事は話してくれなかった 戦中派教師は問題のある人もいたろうけど、むしろ反省を踏まえて民主的な教育を先鞭切って進めてきた人が大半ではないかな?
俺が免許取った時の教官に特攻隊上がりがいた。
普段は温和な紳士そのものだったが、少しでも間違った運転をすると「運転とはそんな甘いもんじゃねぇんだ!」と劣化の如く叱られた。そのあと、洋上の波間に消えていった仲間等の話を聞かされ、命の尊さを教わった。この様な人間味や重みのある教育は今の教師には絶対出来ないと思う。 >>819
当初のベムラーは、我々が知ってるあれとは全く別物で、
なんというか、空を飛べるカラス天狗みたいなデザインだったんだよ。 >>855
もしベムラーのオリジナルデザインだったら、帰ってきたベムラーとかベムラーAとかベムラーの母とかが作られる程人気シリーズにはならなかったかも知れないね。 下品な言葉遣いをしたら先生に叱られた。
「楽をするな!」という事を教わった。 >>857
そうそう、「楽」=「悪」と擦り込まれてたよな
高校の文化祭の準備で、とても効率の悪いやり方をしていたので
効率よく仕事をする方法を考案してみんなも楽になったと喜んでくれたのに
先生だけ「楽をしようとするな!元のやり方に戻せ!」って怒ってたのが不思議 そんなこと言ってるから教員にしかなれなかったんだろう 変な精神主義がまかり通っていたな
今でもそういうところあるけど 高校の時に音楽の先生は歌謡曲・演歌・フュージョン・ボサノバ・ロック・ソウルミュージックについて詳しかった。
先生の影響で、中森明菜のCross My Palmと河合奈保子のDay Dreams Coast のLP は買って何度も聞いた。
初めて買ったLPはCasiopea のEYES OF THE MIND。 戦中派の先生居たなぁ、もういい爺さんだった
優しかったけど(死線をくぐった経験から来るのかしらんが)
言動に重みがあって皆一目おいてた
ああいう観て学ぶ種類の先生はもう居ないだろうな 夜ヒット メドレー
浅香唯「カルロスさんは冬は苦手です。」
Babe「3人揃ってファーストフードが大好き
というTM Network さんみなさんです。」
河合その子「個人の趣味はバラバラでも
共通の趣味は水泳というSpring Dee-Deeのみなさんです」
渡辺美里「もうすぐ、アメリカへ一人旅で
出かける荻野目洋子さんです。」
荻野目洋子「お正月ではバラバラだったみんなが
今日スタジオで揃ったTOPSのみなさんです。」
TOPS「3日前に迫った成人式が楽しみな長山洋子さんです。」
長山洋子「お正月をまたまたハワイで過ごした
杉山清貴さんです。」
中森明菜「プロデビューは17歳で、この曲はいまでも思い出がある西城秀樹さんです。」
藤井フミヤ(チェッカーズ)「盛り上がろうね、今日は。中森明菜ちゃんです。」
布施明「少女からレディーへ。5年後はお母さんかな。」
沢田研二「ご存知 盛期の美女。御三家です。」
太田裕美「今年のお休みはゼロ。頑張っています。沢田研二さんです。」
石野真子「5人で10人分のステーキを平らげるツイストのみなさんです。」
河合奈保子「大阪の舞台も間近。心の準備もできている
張り切ってらっしゃいます。森進一さんです。」
西城秀樹「そろそろ。恋の噂が聞きたい。なんて。河合奈保子さんです」 >>856
そうだね。シリーズ化は難しかったと思うw
ウルトラマンのデザインというのは「最初にして究極」であり、
あれを超えるヒーローもののデザインというのは出てこない。
究極のデザインとは、付け足すものがなくなった時ではなく、削るものがなくなった時に完成する、
というような言葉があるけれど、ウルトラマンはまさにそれでしょうな。
だから「よけいなもの(カラータイマー)をつけるな」と怒った成田亨さんの気持ちはよくわかる。 >>865
そして、未就学児の画力でもそこそこカッコよく描ける。
これが重要。 精神論は今の日本企業の競争力を落としてる最大の原因だもんな
今の若い子は効率的に物事を片付けることに長けてるから彼らが管理職に上がる頃にはまた違う風土が出来てるかも知れんね >>868
年長者の説教って一切心に響かないのはそれだろうな >>868-869
今、老害と呼ばれる世代だって、新卒の頃は新人類と呼ばれてたんだ。
歳が上がったら頭を使う効率化で敵わなくなって、下の連中に若い頃は稿だったと、先輩風ふかすじゃないかな。
嫁姑問題がなくならないし。 >>870
どこかのメーカーが冗談で作った扇風機があって
会話を分析してAIがその内容を分析して
説教みたいなことを言い始めると扇風機が作動して
「先輩風」が吹くというのがあったな >>866
結局のところ、突き詰めたデザインってシンプルかつカッコいいんだよね。 >>873
ちがう「先輩風」って書いてあるでしょ
漢字読めない? >>876
実際に居酒屋で実験してたけど、無意識に喋ってるのに先輩風が吹いてたよw >>878
どうだろね。NHKのおはようニッポンだったし ベストテンより外国のバンドが出る夜ヒットの方が良かった。 今日のTBSでやっていた歌のゴールデンヒットについて
4回目をみたけど昭和の名曲ばかりで良かった。
以前メドレー形式で1回目マッチ・2回目に郷ひろみ・
西城秀樹の曲を紹介して欲しかった。 >>857
無能なのにリーダーをやりたがる奴の特徴で
無駄で無意味な労役させて悦に入るクズタイプ 英語の先生が「フランス人は信用できない」と言っていた。 平成ももう終わるのにまだ給食無理矢理食わせてる学校があるのが衝撃だな
不登校になったり鬱発症する子も多いらしいとか
こういうことで社会問題になるのが現代らしいといえばらしいよな 給食あんなにうまいのに、食えない食えないばかりが集まっていて驚いた。一体なにだったら食えるんだ?と思う あのコッペパンは無理すぎた
いぬにくれたら穴掘って埋めてたが隠してるのかと思ったらずっとそのまま食べなかったわ >>887
地域や方式によって超まずいのがあるんだよ
幸せな給食だったようでなにより 昭和50年代に小学生だったが
当時主流になりつつあったのがセンター給食方式
これで
温かいものは冷めて
冷たいものは温まり
と言う結果になった。
今と違い、道路事情や保温設備も良くなかったし
ついでに
昭和50年代の給食のおばさん(40代)だと
年代的に戦中・戦後生まれ
そういう人達だと洋食に親しみが無く
カレー、とんかつと言ったモノはともかく
シチュー、ドリア、グラタン系に縁がなく、変な洋食がいっぱい出たよ。
もっともお惣菜系は美味しかったが 自慢じゃないがオレは給食を一度も残したことがないどころか
他の奴が食べない物があったら貰っていたので給食センターあらしと呼ばれていた 炎のコマとエレクトロニックサンダーですか。
良く壊れないもんだな。 あんたらコロコロ買ってたろ
読んでみるかと思ってヤフオクを探してみたらボッタクリばかりだわw 魔界ゾンべえという、マジでぶっ飛んだ漫画が大好きでした。
皆、「こんな漫画が本当にコロコロコミックに載ってたの!?」って当時驚愕してたよ。 ザ・ゴリラっていうドーベルマン刑事みたいなバイオレンスな警察ものが
コロコロで連載されてたこともあった >>887
うちの小学校の給食は美味しいらしいが、毎日残してばっかりだったなー。
カレーとかシチューが気持ち悪くて食べられなかったし、
厚切ハムのパイナップル乗せとか栄養士が考えるメニューってわからん。
ワンタンスープは好きだったけど、アオムシ混入事件があったw 給食が校内調理なのは“考えられない昭和”かな。
俺の市内の小中学校では、1970年の段階で給食はセンター方式だったけど、NHKの学校放送や学年誌などでは、校内調理の学校が普通のような取り上げかただった。
中学受験など縁のない農村部(村ではないが)
皆さんのところはいかがですか。 昭和40年代前半〜中盤の小学校の給食、ゲロ不味いものがたくさん出てきた。
ちょうど区内で中学校の給食が始まった時期に当たった40年代後半から50年代初頭、中学校の給食は美味しかった。
どちらも自校方式で、同じようなメニューも多かったんだけど。
自分が給食味に慣れてきたってのもあるかもしれないし、実際ある程度美味しくなってたとも思う。
けど、一番の違いは教師やご機嫌とりのガキに監視されながら無理やり食わされる状況じゃなくなったってことだと思う。それだけで同じもんでも3割美味いと思うぞ。 >>904
去年の夏のゲリラ豪雨のときにコンビニに避難してきたJK達のブラが色とりどりだったわ >>902
昭和50年代頭くらいから小中と通ったが給食室があるのは当たり前だと思ってた
都内の区部だけどね
先割れスプーンの時代だった 全校児童9名前後の島嶼部のド田舎小学校でも、給食センターが作った給食を食べていた。
街の小学校には二校通ったけど、両方とも自校調理でした。 >>899
自分が見た号はたなかてつお先生のジェッターウルフも載っていて、コロコロすげーと思った。 >>902
うちのほうは反対で、昭和のころはセンター方式、今は校内調理になっている。
ただし、給食室のない学校はセンターが担当している。 小規模校があると、効率化からセンター方式がいいのかも。 うちのあたりは小規模校でセンターだけど少子化による小中6校統合で
結果的に一校だけに供給されるようになった
今なら生徒からのリクエスト給食とかも出来るんだろうか 去年、神奈川で給食まずい騒動があったな。味付けが児童に合ってなくて
皆残してた。 うち(生家)はパン食はめったにしなかった。
食事(食事)は米飯または麺類。おやつにあんパンとかの菓子パンを食べる程度。
たまにトーストを食べる時も料理用のバターを流用する程度。
(バターもあまり好きではなかったので、代用できる限りサラダ油で調理してもらっていた)
なので、小学校に入学するまでマーガリンやジャムの存在を知らなかった。
で、給食で初めてマーガリンに出会うのだが、
バターとはかけ離れた、過熱して溶けかけたプラスチックのようなにおい
(後年、マーガリンが食べるプラスチックとか聞いて(真偽はともかく臭いは)、我が意を得た思いだった)
トーストしていない食パンに塗りたくり、バクバク食べられる級友が信じられなかった。 牛乳も、瓶入りではあったが、コスとの関係で生乳100%でなく、「加工乳」とキャップに明記。
それをみんなゴクゴク飲み干している。
きょうだいが何人もいる長屋住まいの子の家の軒先には、よく1Lくらいの牛乳瓶が置かれていたので、
経済的に苦しい家の子は、こんなグレードの低い牛乳(もどき)やマーガいを摂らざるを得ないだろうな、
寓話で成金が没落するように、贅沢は良くないと教える、教育、道徳なのだと思っていた。 名物料理番組だった「ごちそうさま」は、提供が味の素K.K.だったせいで、
バターは絶対に使わず、マリーナ(マリーム(コーヒー用粉クリーム)じゃないよ!)、
鰹節等からだしをとることは絶対にせず、「ほんだし」、洋風なら「味の素のコンソメ」を利用していた。
マーガリンでつくるソテーやホワイトソースなんてあまり想像したくないが、
視聴者側が意訳してバターで作っていたんだとは思う。
かたや「キユーピー3分クッキング」では、マヨネーズ、ドレッシングといった自社製品を
調理に使うどころか、食べるときにかけるのにもふさわしくない料理ばかりを取り上げていた。 今は全国統一もされている「キユーピー3分クッキング」のテーマソングは、、
他では聞かない曲なので、オリジナル曲だと思っていたら、クラシックに原曲があった。
以前は、TBS系列の局(主に東北太平洋側や信越、中九州など)ではテーマソングが違っていて、
エレクトーンによるモーツアルトの「恋はどんなものかしら」だった。 夕月かまぼこはペルシャの市場なのか偶然似ているのかは謎 昭和55年ごろ、少年チャンピオンの編集長が代わって部数急落ってのは、よく知られているが
同時期、コロコロも作風が代わり部数が落ちたんだよなぁ キユーピー3分クッキングの原曲版CDも持ってるけど、とてもいい曲だよ
クラシックの中では現代の曲。作曲者はゲシュタポに殺されてしまった
記憶が定かじゃないのでもしかしたら平成に入ってからかもだけど
麻婆豆腐のCMでベートーヴェンの第九を使ってたのがやたら印象に残ってるもんで
年末になる度に「今〜夜〜の〜お〜か〜ず〜は〜麻〜婆〜豆腐〜♪」て脳内で流れていけない 「キユーピー3分クッキング」は、地方に民放テレビ局がほぼ1局しかない(VHF局)時代に始まった番組なので、それが日本テレビ系列ならお馴染みのテーマの日テレ制作版、TBS系列ならモーツアルトのテーマ曲のCBC(TBS系列)版が流れいた模様。
北海道と沖縄は、季節のずれで入手可能な食材が本土と異なるのでさらに別バージョンが制作されていた。
キユーピーが地方に配慮して多重制作を依頼していた模様。 >>910
>>907だけど、多分、その島全ての小学校の給食を、給食センターが一括して作ってたと思う。
島全域の小学校全ての児童数を合計したらちょうど100人か200人くらいだから。 >>921
チャンピオンはやっぱ70年代だもんね。なんかしょうもないラブコメみたいなのが多くなってきた記憶がある。 野球に関心がなく、番長ものにも感情移入できなかったので、
小学生時代にどはずれ天下一でジャンプを、マカロニほうれん荘でチャンピオンを受け付けられなくなって少年漫画を引退した。
もうこれは俺より年下が読む、卒業すべき雑誌だと思った。
包丁人味兵やブラックジャックは嫌いじゃなかったが。
マガジン、サンデー、キングはアウトロー礼賛的なカラーが最初から全く受け付けなかった。 >>928 >野球に関心がなく、番長ものにも感情移入できなかったので、
少年漫画のまあ王道部分なのに何ゆえ心に響かなかったのか? まあ興味が無いって事なら
それまでだが。。 侍ジャイアンツは巨人ファン以外にも人気があったよ
星飛雄馬は嫌いだけど蛮ちゃんは好きだって 侍ジャイアンツでおもいだした。
その作中やプロ野球中継の後楽園球場のスコアボードの巨大広告をみて、
パイオニアという単語を固有名詞だと疑わず、
「○○界のパイオニア」とは、ステレオメーカーのパイオニア(株)が大成功してつかわれるようになった言葉だと大人になるまで思っていた。
反対語はどこで覚えたのか、マネした電器 カンフーチェーンて言うジャッキー・チェンのバッタもんの日本人のドラマがゴールデン >>931
アニメ版は、普通にアニメとして見ていて楽しかったから、「巨人?やきう?何それ」なちびっ子にも大人気。
さだやす圭氏(浦野千賀子の小舅)は恐らくアタックNo1の時代から東京ムービーのスポーツアニメが大好き
で、本放送でがっつり見てるガチの人なのだろうが、きっと特に侍ジャイアンツが好きなのだろう。
構図、表情、パースなどに強い影響を感じる。 >>934
あったな
格闘シーンで蹴りがスローモーション、
ヒットの瞬間だけ早送り、みたいな演出 キャプテン翼の影響で大人より子供の方がサッカーの知識あった
ワールドカップはバレーボールだけじゃないことを子供は知っていた >>926
>>927
マカロニと月刊のドラネコロック終了でチャンピオンとは疎遠になったわ
がきデカ、ドカベン、BJ、など良作いろいろあったけど
>>929
俺も初めて聞いた
確かにジョージ秋山は好き嫌い分かれるな ジョージ秋山はパットマンXとかギャグ描いてる頃が好きだった
ほらふきドンドンは探してるんだけど手に入らない >>942
「石の花」(坂口尚) と、「マウス」(アート・スピーゲルマン)を足して二で割ってジョージ秋山風にした
「ラブリン・モンロー」が好きでした。 >>942
幻約聖書 銭ゲバ アシュラの流れ
作者気が狂ったのかと思った >>942
>>945
「さすが金玉」とか好きだったけどな
「シャカの息子」あたりからおかしくなったか? コスタ・ガブラス監督3部作 「Z」「告白」「戒厳令」
Zのテーマ音楽聞いたときはなかなかだった
https://www.youtube.com/watch?v=jbaS5o_yBME 昭和30年代はルノーのタクシーが走ってた、都会では。 小学生の時に海人ゴンズイを見たときのショックを受けたよ・・・ QUEENで好きな曲はSome Body To Love >>944
それが面白さを損ねるというわけでもないし、粗探しをするつもりでもないけど、石の花は、スツーカを戦闘機と
表現したり、当番兵の描写が日本海軍風だったりするのが面白い。 >>942
>>946
シャカの息子は中1坊主には重すぎた
打ち切りまで読み切ったけど胃薬欲しくなるくらいだった >>960
弟子(女)とのセックスシーンで弟子が絶頂の時に「あーっ、シャカの息子!」と叫ぶのがなんか変だったの覚えてる ヤング誌が創刊されるまでは、今ならヤング誌に載りそうな漫画が週刊少年少女誌に載ってたものでした。 そういえば1980年にYOUが創刊されるまでは
今ならレディースコミックだろうと思われる作品がりぼんに載っていたな
「砂の城」とか平成に入ってから昼メロ化されたらしいが ヤング誌創刊の時の少女誌作家の引き抜き具合は凄まじいもんでして、レベルは下がるわ週刊だった少女誌が隔週刊や
月刊誌化するわでしたもの。
弓月光も引き抜かれたし、最終的には、柴田昌弘や和田慎二のような作家に描いてもらうために創刊した「花とゆめ」から、
佐々木倫子までヤング誌に引き抜かれる始末。
さだやす圭氏のお嬢さんなんか、最初からヤング誌という体たらく。 河合奈保子と西城秀樹はミノルタ7000とNikonF3の愛用していたイメージがある。 >>968
谷啓と佐藤のまこちゃんはそのせいで…
なんでこの年でこうなったらあかんことになるんや… >>959
坂口尚の月光シャワーの世界観が好きだな。訳あって全ての漫画を処分してしまったけれど、コレだけは手元にある。
石の花探してみよう。 >>972
石の花は買いやすいよ。
文庫版だと細かい線が飛んでるので大きい版がいいと思う。 >>978
まだ小さかったから暑くて並んだのしか覚えてないわ
月の石とか別に見たくなかったけど兄ちゃんが見たがってたから
親子全員で4時間くらい並んだ
三菱未来館が一番よかった(というかほかは覚えていない) >975
48年前家族で行ったけど外国人が多かったな。 >>974
石の花ってロシア児童文学の恋人が山の女王のために行方不明になって女だてらに石細工してた話の方を思い出す つくば万博が中学生の頃だったが、一番強烈に覚えているのが
ゲームコーナーでドラゴンバスターやってたら、どこかの知らない小さい子に横からボタン連打されてファイヤーボール全部無駄遣いされたこと 物心つくかどうかの頃だったな。70年大阪万博。
七重の塔とかピカピカ点滅するみどり館、モノレールなんかが記憶にある。 高校の時西城秀樹の大ファンの同級生がいた。
ソイツは文化祭で音楽部のバンドとともに西城の物真似をしながら傷だらけのローラを熱唱していた。 >>979
その当時幼稚園児で大阪に住んでた。
親戚が何回か家に泊まりで万博見に来て、その度に連れていって貰えてた。
太陽の塔と三菱未来館の印象は強い。
動く歩道で大画面で海の大波の中を通っていくときにまるで現実の中にいるみたいに感じたのを覚えている。 ジェットコースターもなんか記憶にあるな。
のちに遠足でエキスポランドに行ったとき(ザラマンダーだの絶叫マシン以前の頃)にジェットコースターも乗ったが、
「万博以来やけど、なんかちゃうなあ・・」って感じだったが、万博のやつはその時だけで解体w。。 大阪万博の映像、動画サイトなんかでもちょこちょこ見られるけど風景とか雰囲気とかがTDLのトゥモローランドっぽいよね。
あの頃の人たち考えた「未来の風景」ってああいう感じだったんだろうな。 月の石なんてなんで行列してまで見に行ったんだろうな >>987
ダイダラザウルスだな
たしか老朽化して事故があって取り壊したんだっけ? >>990
よく覚えてないが万博開催中は5本くらいレーンがズラッとあって、おもちゃのスロットレース
みたいな感じだったが、のちに遊びに行ったときは殆どのレーンが取り払われていたな。
でも「ダイダラザウルス」なんて、50年も前に今どきの絶叫マシーン風のネーミングってのも
センスあるねw 大学の時大阪出身の同級生が「東京の悪口。」ばかり
言っていたせいで、大阪が大嫌いになった。
そいつは俺が大ファンだった河合奈保子を
批判したのは一生許せなかった。 東京で標準語を使う大阪人は好きだよ。
東京で大阪弁を使う奴は嫌いだったな。
やしきたかじんは大嫌い。
九州出身の同級生は高圧的だったから嫌いだった。
そいつはことあるごとに「アイドル好きな奴は軟弱者!
海援隊以外は認めない」というスタンスだった。
大阪嫌いは克服したが九州は今でも嫌い!! >>974
なるほどなるほど。参考にします。
あと、タイトル忘れちゃったけど、アポロンがどうのヒヤシンスがどうの…。あれは話の途中で終わってるのが残念。 月の石とアポロに大喜びした。太陽の塔を見た時思わず走り出した。 あの30年たったら開けるって言ってた試験カプセルか!
やっぱりイベントあったんだね
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