昭和の暮らしを懐かしむスレ・26丁目
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駄菓子屋といえばオレの場合なんといってもポンせんだった >>579
うちはハッキリと親も他所にあげているから、アンタがもらえるだけ
付き合いをやってるのは親とシビアに言われてたw
親がくれるお年玉は自分の物だったな。
あと父方は親戚づきあいが祖母ひとりのみだったせいか、父方祖母からのももらえた。
母方はイトコの数もかなりいたので、出費多かっただろうな。
うちは2人兄弟だけど、他は4人、2人、3人、3人でほぼ負けてるしw
最初はえーーーっと思ってたけど、いつの間にか納得してた。
学用品や衣服などは親が買ってくれるわけだし。少ないとはいえ、小遣いも毎月もらってるし。 >>558
昭和の頃に5枚切りあったかなあ。
4枚、6枚、8枚はあったけど。うちは6枚だった。 食パン一斤くわえて「遅刻しちゃう〜」と走る女子高生 >>584
関東で5枚切りはかなり最近だと思うけど。しかもウチの近所ではパスコ(=敷島)のしか見かけない。
関西ではもっと前からあったらしいよ。 四枚切りなんてTVで取り上げられるまで見た事も無かったけど、最近よく見るな 関西は4枚切りが普通みたいだね
あまり食パン買わないからかもしれないけど大手パンメーカーの4枚切りって見たことがない あんまり厚いと縦に投入するタイプのトースターに入らないからじゃね >>594
関西は5枚切りが主流で4枚や6枚が残ってて売り切れてることがよく有る
東日本では8枚切りも多いようだけど関西では明らかに少数派やね 50年代はポップアップ主流だったけど昭和の終わり位からオーブントースター主流になったよね 十年くらい前にポップアップトースター見直されてプチブームになってた気がする
カリッと焼けるとかで
そん時ちらっと欲しくなったけど、やっぱ一台だけ置くってなったら
オーブントースターなんだよね。他にいろいろ焼けるし
一番古い記憶にあるトースターはポップアップだわ。レトロポップな模様が描かれたやつ
電気釜とか、ブシュゴゴゴゴゴって音立てるポットとか
昔の家電はオサレな模様がついてたもんだ 「料理は女がするものと決めつけている」とかいう理由で模様が無くなったんだっけ
今でもポットとかは花柄のがあったりするけど、そろそろまた柄物調理家電が出てきてもいいのに そういや、昔なんかのアイドルグループのプリントされたパソコン出したことがあったっけ。
AKB48だっけ?モー娘。だっけ?
なんかのプレゼントだっけか?
昭和じゃねえか。 横山剣 永ちゃんみたいな髪型
陣内孝則 ロックバンドのボーカル
遠藤ミチロウ ザ・スターリン
藤真里子(藤原審爾の長女) https://i.imgur.com/P9wipGC.jpg
何と無く懐かしくってパケ買いしたんだけど、当時ダブルラジカセ欲しかったっけなぁ…。 >499
奈保子のほうがおニャン子クラブより数百倍上手かったな。 おニャン子クラブを今聴くとびっくりするよね。
ボイストレーニングなんかまったくやったことなさそうな地声の下手くそ集団。
AKB48がうまく聞こえてくる。 >>611
原曲そのものは決して悪くないんだよ
秋元を軸にややエロい歌詞に加えリズミカルで心地よいコード&メロディ進行と、
最初から一般受けするための仕掛けがなされていたから
それが証拠におニャン子関連で短調の曲ってほとんどないだろ?
レコード大賞狙いなら短調もありだけど、確実に週間チャート一位をとるなら長調だ
でも周りがいかに売れるために努力しても所詮歌っているのが素人集団
それゆえにおニャン子の曲=酷い というのが今も当時も定説だった
彼女らの不幸はもう一点あって
昭和60年代はアルバムは12cmCD、シングルはレコードという歪な過渡期
それが僅か二年半の活動期間と完全に一致しており、シングルレコードが最も売れない時期だった
オリコン初登場一位、二周目からは圏外という現象が頻繁に起こり、
それが粗製乱造の印象を一層濃くしてしまった
もしもデビューが5年後、または5年前だったら違う評価になっていたかもね >>611
秋元康といえばおニャン子クラブと息っ子クラブ
AKB 48グループの産みの親だ >>504
夜のヒットスタジオ見ていたけどマッチは下手くそ。 A応Pが歌った戦時歌謡を聴いた人が、「この子達はうまいですね。当時の音盤ではもう少し音程が外れてます」と
言ったとか。 立見里歌はおニャン子クラブより元オールナイターズの
イメージが強いな。 おニャン子のCDV持ってる
今再生できる機械って売ってるのかな >>620
CDVって懐かしい。
昔は曲全てにビデオクリップあった訳でもないし
観る機会も深夜音楽番組かCATVだけだった。
現在のようにほとんどの曲のビデオが存在して
CD購入すれば付いてきて
YouTubeでいつでも観れるのは隔世の感。
個人的に好きなビデオクリップは
ボウイの「季節が君だけを変える」 おニャン子の話をしてるのに、自分語りでボウイの話をしだす>>622は
脳に深刻な障害が出てるから医者に診て貰った方がいい
お前の好みなんてどうでもいいんだよ アイドルの話しかできないおっさんかわいそう
TOTOのアフリカとか
35周年ライブの映像だと当然スゲエおつさん
高校時代はキースリチャーズがおじいちゃんに見えた記憶が蘇る 高校の時日本史の先生は野球嫌いで、「野球は貧乏人の娯楽」と怒鳴っていた。 野球を世界的に普及させようなんてやってるけど
用具に金がかかり専用の球場も必要になるから貧乏な国には迷惑な事だな
一部地域のローカルスポーツでええと思うわ >>628
うちの弟は焼いた酒粕に砂糖まぶしたのが好きだった 酒粕煎餅か、初耳だなぁ。
ちょっと美味しそうだね。 酒粕をストーブで焼いて食べたけど、砂糖かけたりまぶしたりはしなかったなあ。
甘酒はドロドロして気色悪いから、焼いた酒粕のほうがよかった。
あとはカワハギの固いヤツ、焼いて食べてたな。あれなんだろ?
ものすごく乾燥させた干物? >>632
父親がカワハギの干物、ストーブで焼いて食べてたな。 小さめの魚(サンマを1/3くらいにしたサイズ)を
ストーブの上で焼いてオヤツ代わりに食べていたなぁ
子供心に魚よりお菓子やチョコが欲しかったんだが
今その魚が幻魚(げんぎょ)と言う値段で
高級店だと1匹1000円くらいしている。ってこれは衝撃的スレの話だな >>634
幻魚でぐぐってみた
なるほど、富山・石川・新潟あたりのそれは高給ブランドと化しているのもあるようだ
「日本酒にあう」との宣伝文句から脳内で味の成分が想像できた気がする
これはぜひ一度食ってみたいなw
うちの実家は身内に水産加工場の者が多く、物心ついたときから魚介類ばっかり食わされてきた
通っていた幼稚園でのお弁当
普通のお友達はハンバーグ、タコさんウィンナーといかにも食欲そそるカラフルなおかずなのに対し、
俺のはホタテ、エビ、さんまのかば焼き、イカのゲソ焼き等々
しかもフタをあけた瞬間、海産物固有のいやな匂いがモワッと立ち込める
小学校に上がってからもその拷問は続く
昼の給食が唯一俺にとってのご馳走
朝は海藻の味噌汁や焼き魚、夜は刺身や天ぷらやフライ等々
さらにおやつがカニとかアワビとか…
「こんなものたべたくなーい!!」
「ハンバーグやソーセージやチョコレートがたべたーい!!」とついに発狂してしまった
そんなトラウマ級の体験が幼少期にあったせいか、今では俺のエンゲル係数は極めて低い
野菜中心に少々の豚肉があればそれでいい >>635
…で、海鮮地獄はその後も続いたのですかどうですか? >>636
しばらく続いたよ
素材そのものの存在を感じさせる焼き魚や刺身なんかは減って、
フライや天ぷらといった加工品にシフトした感はあったけど魚介が主流なのは不変
おやつは氷下魚や鮭とばといった乾物が多かったが、これは噛む力が思いっきり鍛えられた
ジャイアンレベルのガキ大将と一対一のケンカになったとき大いに役に立った
なので悪い事ばかりでもなかったな
>>637
そういう意味じゃねーよw
単に高級な寿司とか魚介系の珍味などに興味がないだけ このスレで何回も言われているけど、バターなんて本物は使っていないやつだと思う。 >>638
山岸凉子さんの「恐怖甘い物一族」(一家全員甘党で凉子ちゃんだけがそうじゃない)というのがあったけど、
一人だけ海鮮珍味責めが苦痛な人だと大変ですね。 >>639
思い出した。生クリームのケーキなんて高価すぎて食べられなかった。
ベーコンと言えばクジラで豚ベーコンは高価すぎた。
肉と言えば鶏肉で、豚牛は何かイベントの時だけの特別料理だった。
懐かしむなんてできない、今と昭和30年代を比べたら暮らしは天地の差だもの。 そういやクリスマスのアイスクリームケーキって最近聞かないな アイスケーキって単なるケーキ型アイスクリームだからな
ケーキじゃない事に皆気づいたのさ >>642
つか田舎には生クリームケーキを扱う店そのものがなかった。
ケーキ、それは、バラの花が飾られたショートニングクリームケーキのことだった。 >>635
肉嫌いだからそっちのほうがいいなあ。
タコさんウインナーなんて可愛くもないし、美味しくもないし
食欲もそそらないよw
親が作るお弁当は食欲をそそらないチョー適当なのだったな。
給食は給食で嫌なんだけどw
>>642
生クリームのケーキとかそもそも区別がついてなかったw
ケーキなんて滅多に食べるもんじゃないし、ケーキ屋に行くこともまずないし、
今みたいにやたらとチラシやらカタログがあったりしないし。 世の中、海鮮珍味がさほど好きじゃないのに海鮮珍味ばかりの家に生まれたり、肉が好きじゃないのに肉好きの家に生まれたり
甘いものが好きじゃないのに甘いもの好きの家に生まれたりという悲喜劇があるものです。
マルシンハンバーグや赤いウインナー、あんまりおいしいもんじゃなかったね。 もうちょっと知恵がついてたり要領が良かったりすると、そこいらでマッチングして、海鮮好きなのに肉責めのご家庭の子と
肉好きなのに海鮮責めの子がおかずの交換とかやったりするのでしょうが。
狂死が許さなかったら無理だろうし。 昭和35年発行のお菓子作りの本持ってるので引っ張り出してみた
家庭向けの本だけど、材料やら器具やら、当時これを満足に実行出来た家庭がどれだけあったやら
(昭和末期でさえ地方では材料や道具なんか揃えるのに苦労した)
一応バタークリームの材料はバター
というかバターの表記は全て「バタ」
北海道土産のマルセイバターサンドの包み紙の「バ タ」思い出したw
スポンジケーキの呼称は「カステラ台」
牛乳や生クリームを多く使うレシピでの単位は「瓶&本」
瓶だったものほとんど変わったよね
アイスクリームの材料に塩800gなんてあって何事だと思ってたら
氷で冷やし固めるときに混ぜて更に温度を下げるためのものだった 俺のまちでもバヌラエッセンスやら生クリームが買えるようになったのは昭和50年代後半に大手スーパーが進出してから。
粉篩や焼き型なんか近所の金物屋で売っていたかどうか…。
大工道具なんかと兼務に店だったし。
小麦粉も日清の肌色パッケージの一種類しかこの世にないと思っていた。
家で作れるものは、粉末の寒天、食紅、ふくらし粉、ホットケーキミクスなんかを使った昔ながらのやつしかなかったかな。
あとはプリン、ゼりエース、シャービックとか“素”でつくるもの。 個人経営の「食料品店」しかなかったから、扱い商品にも偏りがあった。
ポテトチップスはカルビーが発売してから見かけるようになったし(コイケヤの方が古い)、明治のカルミンは最近まで知らなかったんでなつかしくもない。
水玉にヨーグルトキャラメルは近所で扱っておらず、遊園地の売店でしか。
カップラーメンも、類似品のカップジョリックやカップスターの方が先に来た。
赤いきつね、緑のたぬきで東洋水産(マルちゃん)は即席麺に参入したと思っていたし。
正麺が出る前の同社の代表的袋ラーメン(他社のサッポロ一番、チャルメラに当たるもの)ってなんだっけ?
(「ダブルラーメン」はみたことない[関東]) 40年代は目新しい家電を揃えるのが流行っていた感があって、ジューサミキサーも競うかのように家々で買うのだが、後かた付けが面倒くさいので、もの珍しさで数回使っただけでお蔵入りしていた。
餅つき機は年末に必ず使っていたが。 町に7階建てのダイエーが進出してきて暮らしがガラッと変わったよ。
休みの日に両親に連れられてダイエーまで行っていろんな商品買って茶色の紙袋に入れたのを
誇らしげにかかえて帰ってた。 >>653
ド田舎にやって来た若奥さんが、恐らくは今の県庁所在地の大都市で入手したであろう食材と機材で作って下さった
バタークリームケーキ、当時の市販品とは全然違っておいしゅうございました。
>>654
プリンは大体、全卵一個に牛乳180CC、砂糖お好みという分量だと覚えておけば地獄蒸し(小鍋に湯を沸かして種を
流し込んだ容器を並べ、水が入らないようにして蓋をして弱火にかける)という方法で簡単に作れるよ。
プリンミクスも卵を使用してないので、アレルギーの子でも食べられる嬉しい商品だけどね。 自分が幼児〜低学年時(昭和40年代後期)のブロック玩具といえば、ダイヤブロック一択だった。
デパートには近所のおもちゃ屋にはない巨大パックージがあり、大変あこがれていた。
レゴなんて、自分が玩具を卒業してかなり経ってから耳にするようになった。
しかも、海外には大人の熱心なレゴマニアがいて巨大な作品を作っているのが紹介されたりして、
ダイヤブロックなど子供だましのおもちゃのように見えた。
今、トイザラスなど量販店で売られ、子供の通過儀礼になっているのは、もっぱらレゴ。
子供のころ熱中し、憧れていたものがパチモン??
M&Mに対するマーブルチョコもそうなのか? >>655
https://www.maruchan.co.jp/products/search/211210.html
マルちゃん生麺以前の同社の看板商品といったらこの味噌・塩・醤油シリーズじゃね
ダブルラーメンの話が出てきたので便乗
マルちゃんこと東洋水産はその社名の通り水産加工品を母体としている
水産といえば北海道が本場で戦後間もなくから同社は北海道で事業を拡大し、
他社に先駆けて独自の物流網・販売網・情報網を構築していたため道民気質をよく把握していた
その象徴が焼きそば弁当であり、他社品よりやや濃い目のソースとゆで汁で作るスープが大受け
いずれも寒い冬に温まるようにとの配慮だろうな
北海道でのシェアは70%とも80%とも言われ、東の雄ペヤングですら一時は撤退に追い込まれたという
https://www.maruchan.co.jp/products/search/211349.html
焼きそば弁当のスペクタクル性とは対極だが、ダブルラーメンもまたしかり
およそ半世紀も変わらぬ地味なパッケージと何の特徴もないただの醤油(味噌・塩)味のラーメン
最大の武器はその安さと宣伝広告費をかける必要がないという点
希望小売価格は今や一袋\100が当たり前の時代において、これは2人前で\150弱
安かろう悪かろうのステージでこれに太刀打ちできるのは他にちょっと見当たらないだろう
また新聞テレビといった派手な広告を打つこともなく、北海道の即席麺のスタンダードとして早くから根付いた
特に道東では今でも安売りチラシの定番で、一面トップを飾ることはないが隅の方にしっかりと定位置がある
焼きそば弁当が4番打者なら、こちらは縁の下で細く長く仕事をする下位打線のイメージ
全国シェアでは日清に次ぐポジションだけど、北海道での強さはまさに圧倒的
何が恐ろしいって北海道ではマルちゃん信者を自認している消費者はほとんどいないのに、
気が付いたら普通にみんなマルちゃん製品を手に取っているという現実 >658
ご教示ありがとう!!
大型スーパーができる前に、我が家に電子レンジがやってきて、
卵、砂糖、牛乳でつくった作ったことがあるんだけど、
“素”で作るプリンのおかげで、ひやして固めるものだと思いこんでいたのが、
レンジで加熱して固まったのでびっくりした経験がある。
バニラエッセンス(なくても可)とあったので、入手できなくて使えなかったけど、
もろ卵と牛乳の味しかしなくて、市販やミクスでつくるものは一味違っていて、
やはり素人が作るとこんなもんか、とおもった。
母親が用があって出かけていた時に、冷蔵庫に作っておいてくれたりした思い出のある
ハウスプリンのチープな味は、高級なプリンとは別の俺の原点なのだ。 こだわり極プリンという商品があったので買ってみたらびっくりした。
余計なものが一切入ってない、卵と乳と砂糖だけの味。
しかもうまい!量は少ないが100円前後でこれは凄いという奴。
手作りプリンも、卵黄だけを入れるだの生クリームを入れるだの色んな作り方があるので色々チャレンジしてみるといいと
思うよ。 >>660
印象に残ってないなぁ。
サッポロ一番、チャルメラ、出前一丁みたいな目立つ商品名をつかっていないからかな。
CMもやっていなかった気がする。
(ホットワンタンも聞いたことがあるが、ホットヌードルなんて平成に入ってから)
戻したお湯でスープが作れるカップ焼きそばは、
昭和50年代に関東(おそらく全国)でも、やきそばバゴォーンというのが売られていたよ。
北海道で好評だったからスープ月が全国展開、もしくは北海道でスープ付きが生き残ったかもしれないね。 >>663
今調べていて衝撃的なことが分かった
正麺以前のマルちゃんの袋入り即席麺は、全国展開されていたものがほとんど存在していなかったんだと
だから俺が>>660で貼った「マルちゃん醤油味ラーメン」も知らない人がいて当然だわ パチンコ屋さんの特殊景品が、ボールペンとか釣具の毛針だった。 パチンコ屋と言うと軍艦マーチだが
実際に軍艦マーチを聞いたことなんだよなぁ 今も言われてる?
お金は誰が触ってるか分からないから汚いって >>669
軍艦マーチは昭和40年代が最盛期だったかも
寛平ちゃんの名曲といっしょにな そうなん?近くを通ると良く軍艦マーチ流れてる印象だけど
直近のパチンコ屋が「日の丸パチンコ」だからか? 昭和の頃は都内から富士山が見れるのは正月だけだと言われていた
今じゃ空気の澄んだ晴天時には普通に見られるし、千葉・茨城あたりから拝めることも >>675
たまたま遮るものがない、見えるポイントがあるんだよ。
都内でも場所により、冬場ほどくっきりじゃなくても通年富士山見えるとこある。 >>674
そんな時期があったのか
うちのあたりは東京湾越しなので今でも空気の澄んだ冬限定アイテムなんだけど
さすがに正月のみとは思ってなかった 川が綺麗になって、人間が野鳥を虐めなくなったので、川で鳥たちが育雛を始めた。
昭和の頃は無理だった。 >>678
「正月ぐらいしか見れない」と揶揄されていたのは事実と言える
実際には様々な条件で正月以外でも見られただろうけど、そんだけ空気が汚れていたということね >>679
60-70年代のマンガで、海は公害が怖いから代わりに山で林間学校をという描写があちこちに見られる
川も海も平野部のそれは汚いものというのが当たり前だったよな
高原ブームが起こったのはこれも一因と推測 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています