昭和の暮らしを懐かしむスレ・26丁目
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フロッピーディスク一枚で充分だったあの頃、1MBのデータを送るのにテレホーダイ使って一晩かけて送った。
そのうちソフトウエアが肥大化してWindowsのインストールにフロッピーディスク12枚とか使うようになって部屋の中がフロッピーディスクだらけになった。
テラバイトなんて遠い未来の空想の世界でしかなかった。
今じゃ動画を溜め込んだりしたら1テラじゃ全然足りない。
どうなっちまったんだ?この世界。
ジョニーニーモニックって映画で運び屋のメモリーが100MB未満で鼻血出したとか、今見ると幼稚な世界。 CD-ROMが初めて出たとき、「日本で発売されているソフトウェア全部が
これ1枚の中に入ってしまう」というような紹介のされ方だったな。 昭和の時代だと
フロッピーに月次データを吸い上げ、郵便で送る。だったな。 カセットテープは昭和だよね
カセットテープ→でっかいフロッピー→小さいフロッピー→硬くてちっちゃいフロッピー→一瞬で消えたMO
MOが可哀想だった
CD-ROMが出てきたからすぐ消えていったな MOにもいくつか違う規格があるが、3.5インチMOならCD-ROMよりずいぶん新しいぞ。
なにより、一度焼いたらそれっきりのCDとリライタブルなMOじゃ使い方が全然違う。 MOとほぼ同時期かちょっと前ぐらいに100MぐらいのZIPとかいう円盤があった気がした MOはあまりにも遅すぎたからなぁ
昭和の時代だと紙テープだろ
さすがに使ったことは無いが MOは、ゲー○やソフ○のコピーとか、ダウンロードして集めたCGデータとかの受け渡しに重宝してたな。
ZIPドライブは短命だったね。 同時期にMac用のJazzドライブとかいうのもあったな。使ったことはない。 バイオハザード2あたりの物語の終盤でセキュリティドアを開くのにMOが必要というシーンがあった
あの頃見たMOは近未来アイテムだったのになあ パトレイバーでもOSはMOでインストールしてたような ミッションインポシブルでトムクルーズ使ってなかったっけMO? 多分MOかな?
PentiumUの300が化け物扱いだったような ベータマックス
ビデオディスク
EPSON 98互換機
ZIPドライブ
HD-DVD
俺が選ぶ商品は必ず市場争いに負ける
こち亀に俺みたいな奴いたよね カセットのテープが絡んでグチャグチャになることを「ワカメちゃん」と呼んでいた >>225
スレチになるが
VHSでの勝利移行、SDカードの勝利まで
規格戦争においてパナソニックは連戦連敗だったんだよな 学生の時に運送屋のアルバイトで、コンピュータ用の金庫みたいな頑丈で100kgもあるパンチカードケースを非常階段を使って二人で運んだっけ。 体育の後ブルマーをはいたまま
ブラウスとジャンスカ着て
わざと男子の前でスカートばっとめくり上げて
ビビらす遊びをしていた
女子たちが男子をむりやり
女子便所に押し込んで閉じ込めたりもしてた
小学校の時の話ね 女物の下着が今より小さくてエロかった
今は専門店以外で普通に売ってるものは
デカくて分厚いゴテゴテした刺繍が入ってる物が殆どで
色気ゼロ 別に鉄道マニアじゃないけど、あのぶ厚い時刻表を見るのが結構好きだった
特急とか寝台列車の行き先を目で追っていると楽しかったものだが
今はこの時刻表も廃刊の危機らしいね
今やスマホでどこでも調べられるからねえ 戦前生まれの爺さんから聞いた話
昭和30年代、千人ほどの山奥の村に一軒のパチンコ店があった
設置台数は百台ほど、木目の床、手打ち式のハンドル、客はみんな顔見知りでほとんど常連が支えていた小さなお店
そこでバイトしていた若い頃の爺さん、ある日常連のAおばさんに「困ったことがあるので便所に来てくれないか」と呼び出された
ホールに併設されていた男女兼用のくみ取り便所へ赴いたら、Aさんの財布がポケットから便槽へ落ちていたのだ
常連客の頼みだから仕方ないと爺さんは細長い角材を数本持ち込み、巨大なピンセットの要領でなんとか財布をつまみ上げた
「外のホースと水場使っていいから、洗うのはAさんやってよ」と言い残して爺さんは店に戻った
しばらくしてからカウンター係りのおばちゃんが首を傾げてる
あの頃は客がカウンターの係りに金額を伝え、その代金分の玉を借りるというシステム
「Aさんが『今日は大勝負だ!』と言って千円札出してきたんだけど、妙に濡れてるし臭いんだよねこれ」
爺さんはすぐにAさんへ苦情を言った
明らかにさっき便所に落した金だろ、こんなもの店で使うな!と
しかしAさんも金には違いない、偽札なんかではない、どこで使おうと自由だ!と逆ギレ
そっちがその気ならと爺さんとパチンコ店も策を練った
そのお札がすぐに特定できるよう赤ペンでマークを入れ、他のお札と明確に区別する形で換金所へ
その日のAさん、ウンがついたとやらで久しぶりに勝ったとホクホク顔で換金したらそのお札が混じっていた
A「明らかにさっき便所に落した金だろ、こんなもの店で使うな!」
店「金には違いない、偽札なんかではない、どこで使おうと自由だとあんたがそう言ってただろ!」
騒ぎを聞きつけて他の常連客も集まってくる
「自分でクソまみれにした金を使うのはOKで受け取るのはダメとは、なんて図々しいババアだ」と非難轟々
ほどなくしてAさんは出入り禁止を食らい村中の噂になってしまった
ところが本当にウンがついてしまったのかその後Aさんの家は立派な豪邸となり、村でも有数の資産家となってしまった
いわゆる金の亡者というやつで付き合いは非常に限られていたが、そのうちの一人の証言によると、
「例の聖徳太子図柄の千円札を額に入れて今(平成初期)でも大切に飾ってある」とのこと >>233
俺も。
体操服に編み笠という、珍妙な格好で踊ってる写真が残っとるわ。 >運動会
変な応援歌も有ったな
歌詞に「月桂冠」とか入ってたり いわゆる「良い話」だとは思わない
何か教訓があるわけでもないしな
しかし純粋に面白い話であると思う
ウ○コは極端としても、昭和ってほんっとあちこちから生活の匂いが漂っていたんだよな
木目の床やこういう有機物の成分を感じ取られる話は好きだ 夕方になれば家々から魚を焼く匂いだったり、カレーの匂いがしたり。
今はそんな事も稀になっちゃったね。 ウエイトレスさんがつけてた白いレースのキャップ、
メイド喫茶以外では完全に見なくなったなぁ 中学校が木造校舎だった
冬は後ろの席が寒かったけど今思えば造りとか味わいがあってよかったな 中一木造
中二プレハブ(新校舎建設中のため)
中三鉄筋
木造の時はトイレもボットンだったなあ... >>247
木造の床に小さな穴が開いてたりしてソコへおむすびコロリン。とか 小中は校舎鉄筋だったけど机と椅子が木製だったな
中3の3学期がちょうどスチール製と切り替わる時で
木製のが捨てられると聞いて誰かがもったいないと言い出して
クラスで会議してうちの組だけ木製を使わせてもらった思い出がある
落書き・彫刻・塗装し放題で楽しかったな
卒業時にもらって帰った人も複数いた これでチョコフレークがバカ売れして日清食品の株がまた上がっちまうな。 >>247
丸くて転がる消しゴムがあったら店ともらいたいもんだが。
色鉛筆とかだったらわかるが。
くそっ!雨がひどくて店に着いたのに車から出られん。 使い古しの消しゴムは、減って丸くなるものだよ。
そしてよく転がる。 うちのたった1本の短い鉛筆を、水原さんが野球ゲームのさいころ代わりにしよったけえ、転がって床の穴に落ちてしもうた… 古い木造の小学校が解体されたら、
窓枠の辺りの外壁と内壁の間に
牛乳瓶の蓋がみっちりと詰まっていた 消しゴムは昔の方が凝ってたな
マスコットケシとか透明ケシを使ったけど綺麗に消えないから結局
ロングセラーの白くて実用的なやつ使うようになる 練り消しが流行った
香りつきのものも出てたな
綺麗に消せないから結局はMONOかKEEPとかの消しゴムに戻るんだけど 10月1日は「uniの日」なんだと。
鉛筆にオマケが付くってのが今では考えられないよな
ttps://gamp.ameblo.jp/unit-ryu/entry-11626276433.html >>260
色とりどりで色んな形の匂いつき消しゴム、今でも100均にはあるけど今の小学校では全面禁止らしい。
これに限らず色付き飾り付きヘアゴムキャラ文具禁止校則があるけど、とんでもねえ手癖悪やジャイアニズムの
クソガキに手を焼いたりしたというのが本当の理由みたい。 >>263
あー校則禁止だから見かけなくなったのね
80年代は学校の売店でもA型専用のメモ帳みたいな
ふざけた文具売ってたな >>264
今の子達は学習塾用の筆箱(キャラ文具シャーペン変わり消しゴム入り)と学校用の筆箱の両方持ってるみたいだね。
家庭学習には校則で学校に持って行けない物や、サイズが短くなった鉛筆を使ったり。 >>265
文房具ぐらい違反しても良いのでは?って思うけど
些細なことで先生に反抗しても悪目立ちするだけだもんね
DQNに盗まれるのも嫌だし ノートもかつてのようなカラフルでファンシーなものは消え去り
キャンパスノートの表紙にデコしまくる文化が生まれた >>266
保育所時代、年長になったら硬筆のお時間があったんだけど(うちの地域は保育所も大半が児童獲得のために
幼稚園レベルの勉強や躾をやってた)小学生の兄姉のいる子は色とりどりで色々な形の香り付き消しゴムを持って
きて、そんな物の存在も知らないままに親が買いそろえた純ゴムの無骨な事務用消しゴムを持って来た子のことを
「うんこの匂いの消しゴムwww」と虐めてた。
人のを盗む子や恐喝する子、買ってもらえなくて店で万引きしたりする子の他にもこういう事をやるバカもいるから
持ち込み禁止になるんだよね。 >>255
消しゴムが机から落ちてバウンド
そう言うことが考えつかんのか? ttps://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-d2-0a/mabou1/folder/946399/30/31028030/img_0?1403573850
昭和の球形消しゴムゆうたらこれやろが!! クレクレタコラが流行ったタコチュー消しゴムは消しゴムとして使われたが
昭和50年前半のスーパーカー&大相撲消しゴムは勿体無いんで使われなかった >>269
2日間も考えて思いついたレスがそれかい w >>271
消字能力を優先すると、可塑剤が多めになり細かい細工を施すことが出来ないし、細かい細工を施すことを
優先すると、消字能力が落ちる。
結果、消しゴムという名の消しゴムではない玩具が出来るのです。
ちなみに、キャラ消しは実は戦前からあった。
ゴム字消しを任意の形に型抜きして、キャラの絵をスタンプしたもので、ベティちゃん、のらくろなどがあったとか。
(この時代の消しゴムは純ゴムだったので、インクは消しゴムにしみこんで消しゴムからは落ちにくかった模様)
学校からも「ご褒美消しゴム」と称して級長や一等賞という判が押された消しゴムが配られることがあったそうです。 タコ型消しゴムは受験前に予備校が配る定番のお守りだった。机の上に置いておくだけで合格するという。
「置くとパス」というしょうもないダジャレなのはいうまでもない。 >>270
ひぁー、懐かしい。ウチにも有ったよ。
画像見るまですっかり忘れてた。 >>276
これ、凄く欲しかったんだけど、当時まだ5歳だったので、「これは、ちうがくせいやこうこうせいのおにいさんおねえさん
しかかえないんだ」と自分に言い聞かせて諦めました。
トンボモノの首チョンパも同様の理由で諦めた。 メロンのにおいがするエンピツとか変なもんが流行ったなあw
消しゴムもフルーツ系の物が結構あって、カジるやつとかいた。
やっぱり子供用に無駄に食べ物のにおいをつけるのは良くないかもw
わら半紙食べるヤツとか大抵いたよね。 >>277
ウチは兄貴が買って貰ったんだと思うけど、物心ついた頃から在ったな。
ただ使い方が良く解らなくて、消しゴム付きの鉛筆みたいに鉛筆のお尻に差して使ってみたり(重くて使いにくい)、3つの穴の意味がよく解らなかった思い出。 >>280
女児向けファンシー文具というのは実は戦前からあったんだけど、女学生のような我欲がコントロールできる
世代が本来のターゲットだったというからねえ。
それを、我欲のコントロールもひったくれもない年頃の子が持ちゃあトラブルしか起こさんわ。 >>280
紙を食うってか噛む商品まであったぞ。
駄菓子屋で、藁半紙というかボール紙というか、なんか赤茶色の紙に味がついてる「ニッキ」ってものが売られていた。
ちぎってクチャクチャ噛む。 自分の文房具の思い出は、レンズになってる下敷きだったな
これは、フレネルレンズといって下敷きのような薄くてもレンズになるというモノ
普通の下敷きと同じような材質で、ただレンズなので透明で色は着いてなかった
随分と大事に使っていたけど、いつのまにか知らないうちに無くなっちゃうんだよね
ちなみに、晴れた日にこのレンズの焦点に紙を置くと、一瞬で燃え上がるという罠
冬でも十秒、夏だとホントに一瞬で火が付く、それで今は売ってないのかも >>284
透明な平らな板にレコードみたいな溝がついてたやつか ソノシートって言う簡易レコードもあったね。ビニール製のペラペラのやつ。
赤や緑の透明なのが多くて、絵本の付録とかについて来た。 >絵本の付録のソノシート
今や、音声ファイルか動画のURLのQRコードだもんな 音楽で思い出したのが喫茶店にあったジュークボックス、100円で1曲か2曲聞けた
そしてテーブルのテレビゲーム、インベーダーが流行るまでは風船割り
ブロック崩しのやつがあった >>283
だから学校で普通のわら半紙食べる生徒がいるのかw?
でも私はその商品知らない。
>>288
そう、今は何でもQRコード。自分のスマホで観てねって。
物は増えないしお手軽だけど、いいんだかどうなんだか。 >>283
確か昭和58年頃までは記憶に有るけれど、ポケットからニッキの切れっぱし見つけた母親に棄てられた。何でもチクロがどうとかで、えらく怒られた覚えがある。何があったんだろうか? >>291
訳判んない着色料や甘味料が入ってるもん買うなというこってしょうね。
駄菓子屋は昭和50年代後半に軒並み閉店したなあ。
末期は闇ゲーセン化して、女子や大人しい子はDQガキに追い払われた。
んでファミコンが台頭して追い払われた子達が戻ってくることもなくDQガキも行かなくなり店主の高齢化も重なって
廃業。 >>291
人工甘味料、チクロが使用禁止になったのが昭和40年代半ば〜後半ぐらいだったかねー?
佐藤さんて子のことをチクロと呼んでおちょくった覚えがある。 子供時代の駄菓子屋だった所をめぐってみると、既に駐車場になってたり新しい家が建ってたり、空き店舗のままで
放置プレイの場所もあったり。 子供の時うちの前の個人商店でアイスとか子供向けの駄菓子とか売ってた。
調味料とか米とか牛乳とかも売ってたけど。
割と最近まで高齢者の顔なじみさん相手にやってたけど、ついに認知症で施設にいってしまった。
食パン買いに行くと、その場で6枚切とか8枚切とかサンドイッチ用とかにカットしてくれるんだよね。
それ以外にパンは置いてなかったと思う。
母親に言われてよくお使いにいった。塩買ってきてだのパン買ってきてだの。
目の前だから小さい時でもお使いに行けるしw 店の表に雑誌のスタンドが立ってたりするパン屋さんや酒屋さんってあったよね。
かつて近所にあったそういうパン屋さんは、雑誌コーナーが三段ほどの木製棚で50冊前後とえらく充実
してた。
立ち読みしてると注意もされるけど基本は鷹揚なので、雑誌やパンやお菓子はそこで買うことにしてた。
そして、その店が建て替えられることになり、外でパン修行をしていた息子が経営することになった。
綺麗でおしゃれな、トングとトレイでパンをレジに持って行く手作りパン屋さんという風になったけど、途端に
雑誌コーナーがしょぼいスタンドに10冊前後に縮小、立ち読みしてると口うるさく注意されるようになったので
自然と足が遠のいていった。
つい最近見てみたら、パン屋はとっくに閉店してて調剤薬局がテナントとして入っていた。
立ち読みの是非はあっちへ置いといて、読ませてもらうからここで買うという選択をするということがどうして
判らなかったんだろう。
今でも読ませてもらうところでは努めて何か購入してます。 昔と今とじゃ情報伝達の速度や手段がケタ違いなので一様に比べることはできないが、
新品の本に透明カバーつけられて立ち読みできなくなったあたりから俺は書店から自然と足が遠のいた
今や個人経営の書店は絶滅危惧種、郊外型の複合大型書店も年々減る一方で、
猫カフェ図書館という新たなスタイルが人気を博している
減ったとはいえ紙媒体需要を喚起する方法は現在でもあるのだなと知らされた 漫画の単行本がシュリンクされるようになってから、三回ばかり外れを引いた(印刷がかすれてる、その逆にインクが濃すぎて
べたっと滲んでるページがある)事がある。
こういう場合はどうすればいいのだろう。
購入店舗に持っていけばいいのかなあ。
シュリンクされてなかったら外れを引くこともなかったのにと思った。 立ち読み客で屁をこぐ人はまれだった
何故か最近の中高年男性は平気でぶっ放す 昔は他人のいるとこで屁をこくようなジジイは弱ってて外に出るやつが少なかったけど、最近はそこら辺まで開き直った年寄りが元気に外出て屁〜こきまくってる予感。 いやいや、
子供の頃は床にヘンな毛が落ちていても気にならなかったろう?
イイ年になって自分が人前で平気で放屁できるようにならないと、他人のフリー放屁も感知できないのよ。 >>301
人前で、電車の中で平気で放尿するババアというのがいてだな 平成だけど立ち読み中に「屁〜こきましたねあなた〜
誰もいないと思って〜 屁こきましたね屁こきましたね屁こきましたね」
って曲が流れて必死で笑いをこらえたわ >>304
職場で仕事中、有線から流れてきたことがあった。
みんな堪えもせず大爆笑。リクエストまでして何度もへらへら笑ってたら、流石に社長に怒られた。 たまたまその社長がすかしっぺした後だったんじゃないのか?w 紙石鹸がやたら流行った時期があった
小さくてきれいでちょっといい匂いがするけど非実用なやつ
男子はスーパーカー消しゴム、女子は紙石鹸て感じだった うちの弟は怪獣消しゴム派だったので、、スーパーカーはほんの数台持っただけで見向きもしなかった。
キン消しは世代がずれてたのでこれも数体持っただけ。 爆風スランプの「無理だ無理だ亀の腹筋♪」
って曲が給食中掛かって爆笑した覚えがある
爆風スランプはランナー以前はコミックソング
のイメージ強かったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています