昭和の暮らしを懐かしむスレ・26丁目
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この間、空港で外人が小さな女の子にリードつけてたけど、背中の部分に天使の羽がついててかわいかった。 かつて札幌に存在していた地元資本の大型家電量販店
平日の午後は俺ら中高生が意味もなく屯していたりした
そのほとんどはファミコンフロア、パソコンフロアに集中していた
ガキ以外の一般客はテレビ、ビデオ、生活家電コーナーが主
そんなガキや一般客がほとんどよりつかない、知る人ぞ知る的スポットがあった
内壁で仕切られた一角、ドラクエなら重要アイテムがもらえるような怪しい小部屋
そこに当時の最高級オーディオがずらりと並んでいた
見た瞬間、おれは思わず立ちすくんでしまった
それまで雑誌でしか見たことのない現物が目の前にずらりと並んでる
フランダースの犬の最終回でネロが秘蔵の絵を見たような心境か
ただただ圧倒されて見とれていたら店員さんが入ってきた
思わず「あ、すいません、すぐ出ますから」と謝ってしまった
その後の店員さんの対応
「はははw 謝らなくていいよ
オーディオ好きなのかい?僕もだよ
お客様は滅多に来ないけど、どんな方が来られても応対できるように知識だけは身につけてるんだ
単体の知識は誰にも負けないぐらいあるけど、アンプとスピーカーは実際に組んでみないと分からない
だからこの部屋があるのさ
試しに何か再生してみるかい?」
そこで試聴用のCDを適当に選んでもらい、俺はアキュフェーズのプリメインアンプと、
ダイアトーンのDS-5000という国産最強の4ウェイスピーカーを選択した
そこで再生してもらった珠玉の音色はこの世のものとは思えなかった
一般人が言葉で表せる次元の話ではない
こんなガキ相手に高級オーディオの門戸を開き、親切に対応してくれた店員さんありがとう
「大人になったらお金ためて、この店でこのアンプとスピーカーを買います!」
という約束は果たせませんでした、ごめんなさい
だって家電屋さんの方が倒産しちゃったんだもの>< そういう電器屋あったなあ…
あそこで聞いたジャズの、ボーカルの息遣いやベースの弦の唸る音まで手に取るように聞こえるあのリアリティ、自分も多分口をポカンと開けて聴き入ってたんだろうな >>143
その通り、狸小路のYESだよ
>>144
質量とビジュアルが伝わるとでもいうのかな
ああいうのを一度でも耳にすると音に対する概念が根本的に覆されるよなw その結果、ライブだと満足できなくなるという諸刃の剣w 国産なのが、まだカワイイ
>それまで雑誌でしか見たことのない現物が
どんな雑誌読んでたんだよw >>147
FMステーションとかStereoSoundとか さっき買い物に行ったとき「白いセーラー服に麦わら帽子」の女子高生とすれ違ったよ。
そんな女の子、俺が高校生だった30年前にも既に見かけなくなっていて、
この子にしても、自分なりのおしゃれアイテムとして取り入れてるだけなんだろうけど、
なんつーか、こう、いいもの見せてもらったなあ、とほっこりした。 西城秀樹さんの「骸骨」は不謹慎か フジロック「追悼アート」に賛否
https://www.j-cast.com/2018/08/03335458.html?p=all
https://www.j-cast.com/assets_c/2018/08/news_20180803144230-thumb-autox380-142043.jpg
「亡き方への冒涜、ご遺族の気持ちを踏みにじっているとしか思えません」
「西城秀樹さんであろうがAviciiであろうが、遊びで死者をあのように扱うことが問題」
「Aviciiを讃える為のアートなんだかなんだか知らないけど...個人的には不愉快になった」
「ユーモアもセンスも芸術性も無い。なにより、西城秀樹という偉大なアーティストに対するリスペクトが全く感じられない」 >>142
えぇ店だなぁ
同じような店にラジカセを買いに行って
場違いなオーディオフロアに入ったことがあるよ
「ラジカセ? あっちだよ」 ってな感じで追い払われたぞ 西日本はブレザーなので、女子中高生のセーラー服なんてほとんどみなかった。
一度も袖を通さないまま大人になった人も珍しくない。
うちの街は、むしろ男のセーラー服が多い。
「海上自衛隊教育隊」と書かれた帽子をかぶってるの。 自分はサンスイのショールームでJBLのパラゴンを聴かせてもらったな >>154
俺の通っていた中学は未だに
男子 学生服
女子 セーラー服 泣くな青春ってドラマではゴールデンタイムにオッパイ丸出しが見られた
もう家中空気悪くなったw 今みたいに授乳室とか気の利いた空間があるでもなく、第二次ベビーブームでガキがウジャウジャという時代だった
なので公園、駅、列車の中といった公共の場所で胸出して母乳あげてるママがそこら中にいたし、
エロと関係のないドラマや映画でもアクセントとしてオッパイ露出シーンを挿入するのもわりと普通だった
それこそ男児のチンコみたいなもので、効果的にお笑い要素として使われていた感がある
ただしそれも料理のスパイスのように上手に使うならともかく、
「時間ですよ」みたいに大量に出されると辛いだけで全然美味しくない激辛料理みたいになってしまう どこかのスレで読んだ「ヴァン・ヘイレンは差し入れのm&m'sチョコレートから茶色の粒だけ徹底的に排除させた」という話が好きだな
ライブの演出が年々派手になっていくヴァン・ヘイレン
→耳をつんざく音響システム、ド派手な照明、壮大な舞台セット、時には打ち上げ花火等々
→これらを支えるステージの物理的強度、電力確保、観客の安全性といった確約が不可欠
→その結果、ライブプロモーターと交わされる契約書は50ページ以上にもなる膨大なものになった
→しかし地方ともなるとろくに内容を読まないプロモーターもいる
ライブハウスが老朽化しヴァン・ヘイレンの要求するスペックに満たないところもある
→契約書をきちんと熟読しているか否かをどうやって確かめればいいだろう?
→そこで食事に関する細かい規約を盛り込んだ
→偶数日はローストビーフかフライドチキン、奇数日はステーキか中華料理、それに野菜の盛り合わせ云々
夕食はいかなる状況であってもプラスチック製の食器やナイフ・フォークは厳禁等々
→スナックに関する条項:ポテトチップ、ナッツ、プレッツェル、m&m'sチョコ(茶色の粒が含まれてはならない)
→指示通りの品を運び、部屋でブツブツと文句を言いながら一粒ずつm&m'sチョコを選定するケータリング業者
→その様を笑って見ていたメンバー達
→傍から見ると権力を盾にやりたい放題やってるように映った
→しかしその真意は、ここのプロモーターはm&m'sチョコにいたるまで全ての契約を理解している、
当然ステージに関する契約も遵守されているだろうから万全の体制でライブに臨めるというリトマス試験紙であった >>154
> 西日本はブレザーなので
いや、西日本といってもいろいろだろ
何故決めつけんの? CSで昭和50年ごろの後楽園のプロ野球やってたけど
静かでほんといいわ
応援団もいたけど、メリハリある場面で笛と太鼓くらい
プップカ始めたのは広島ファンだったな
結局あれがないと間がもたなくなってしまった
あれが当たり前、あれがあってこそ楽しいとか思ってる連中には
理解されないだろうけど >>168
場所によるだろ、席というか
内野はずっと静かだよ
外野の応援は昔から割合うるさかったと思う。
応援形式自体は、少しずつ変わってるけどね といっても自分の知ってるのは、神宮、ハマスタ、後楽園及び東京ドームだけだから、他の地域の球場のことは何とも言えないが >>170
昭和50年ころと書いてあるでしょうが。
川崎とか初期のハマスタとか、ある時期までの後楽園とか
応援団は内野にしかいなかったこと知らないでしょ?
(気まぐれで応援ごっこしてたようなグループ除く) >>168
あれ始めたの、うちのマッマのいとこ。
「…あれは子供の時から目立ちたがり屋だったから」と言ってた。
マッマが、「血縁特権で融通しろと言われたって出来ないんだから黙ってろ」と言ってたので、いとこの生前は黙ってた。
もう死んで10年以上になるから言って大丈夫。 神様仏様バース様の頃から見境が無くなった
平成元年秋だが、東京のなんちゃって近鉄ファンが最も厄介だった
選手の名前すらロクに知らんのに応援を強要してきたからな
無視してたらとんねるず風にキレるわで 甲子園での巨人V9は
大阪民国の暴徒だらけで王は殴られるし川上監督の胴上げすらできなかった >>175
暴徒と化した阪神ファンが中継のカメラマンをも襲ったのでその試合を収めたフィルムは存在しない、
と割と最近まで信じられていた気がする 江川がナイトゲームを早く終わらせてくれたので
そのシーンは余った時間の特番で何度も放送されてるはず 野球中継延長、延長、延長で予約録画失敗
今じゃHDレコーダーが勝手に対応してくれて無問題。
便利すぐる >>178
わしは最大延長分だけ長めに録画設定しておった。 ところがその野球中継が無くなったでござる
つーか、野球中継って生放送だから
臨時ニュースや速報に対応できた。と言う面もあったんだよなぁ >>175
あれは阪神の選手をこそ襲うべきだったな。
「残り2試合、1敗1分けでも優勝」という好条件下で連敗したんだから。 そいやジャイアンツのV9は圧倒的な強さを誇っていたと思われがちだが、
選手がほぼ固定メンバーだったから平均年齢がどんどん上がって最後の数年はけっこう僅差だったんだよな
OB曰く出がらしの状態で挑んだ1974年、最後の川上監督時代は2位に終わりV10の夢は潰えた
とはいえ川上さんは有終の美を飾ったといえる
気の毒なのは後を継いだ長嶋監督で彼の抜けたクリーンナップを埋められなかっただけでなく、
川上時代に若手をろくに育てていなかったせいで投打が全く噛み合わず、
開幕数試合目からシーズン終了まで常に最下位という不名誉な記録に輝き、
その負けっぷりはファンのみならずアンチですら心配したという >>182
最下位にこそなってないけど、その状態が続いたままの、今のチームのほうが悲惨ではある。
まさか巨人が「カープの貯金箱」だの、果ては「カープの犬」と呼ばれるようになるなんてね。 長嶋さんの「欲しい欲しい病」の後遺症で
若手が育たないってのがあるからなぁ
清武代表が頑張って3軍の強化をしたが、その代表も…
あぁ昭和と巨人は遠くなりけり ナイター中継なんて、ほぼ巨人戦しかなかったから(関東)
他のチームのファンの人も、途中経過知るために巨人戦観てたんだよな
(俺は映りの悪いTVKを凝視したりもしてたけど)
ちなみに、子供の頃は、日テレのアナウンサーはみな巨人ファンなんだと
勝手に思い込んでた >>186
だから、関西の私鉄系球団といえば阪神の名前ばかりとどろいていた。
たまにパリーグの中継があっても観客の入りが全然違うから、阪神の親会社の阪神電鉄は、阪急、近鉄、南海が束になっても敵わない関西最大手の私鉄で、関西のあちこちに阪神デパートやホテルが建っているものだと思っていた関東の小学生だった俺。 戦前生まれの婆ちゃんが持っていた長谷川町子作の単行本
サザエさん、いじわる婆さんなど10冊ぐらいあったかな
全て表紙カバーがついていてその内の一部はチラシの裏に直接印刷されたものだった
初めて見たときはこんな粗悪なものと思ったが、今なら逆にプレミアついてるかな 世相反映だからガキの頃サザエさんの原作見ても意味わからなかった
昭和史をある程度覚えてから面白く感じた
サマータイムをサンマータイムって言ってたね 月曜日は月光仮面
火曜日は母ちゃん殺し
水曜日はスカートめくり
木曜日は
金曜日はキンタマつぶし
土曜日は毒薬飲んで
日曜日は死んじゃった
木曜なんだっけw すっかり忘れていた微かな記憶が今ここに。w
でも、木曜日は何だったかは思い出せない。 くるぞ くるぞ くるぞ くるぞ てごわいぞ
いけよ いけよ いけよ いけよ まけるなよ サスケのオープニングのカッコいい語りが、当時子供すぎて解らなかった、何かすごいことを言ってるみたい?だった。大人になってCSで見てやっと意味がわかった。 >>191
随分とお上品だなあ
兵庫県南部はこうだった
月曜日にゲッツいウンコ
火曜日はカイカイおケツ
水曜日は水洗便所
木曜日はモクモクおなら
金曜日にキンタマ(以下失念) 会社でアニメ好きな後輩と話をしたが
俺が子供の頃は毎日アニメ放送があったが、ビデオが無いから1回見逃すと再放送を待つしかない
今はアニメ放送は少ないが、見逃してもネットで見られるし、DVDで昔のアニメを見る事ができる
どっちが良いのかな? って話になった >>196
子供のうちはDVDは親が選んだのしか見られないことがあるし、ネットや有料放送は経済的に恵まれてる家庭しか
利用できない。
大都会には昔の番組を再放送してくれるテレビ局はあるけど地方にはない。
現在放送中の作品はともかく、過去の番組に関しては現在の方が特に貧困家庭と地方は圧倒的に不利な状態に
あると言える。
都会の子が無料で当たり前のように享受できる物をお金を払わないといけないのだから。
テレビ局が少ない地域は勿論不利だけど、民放が三局以上ある地域でも朝と夕方の同じ時間に一斉に同じ内容の
クソ益体もないニュースワイドしかやらないから、局数が沢山ある意味そのものがない。
独裁政権国家じゃあるまいに、いっぱいあっても意味がないんなら廃止して統合しろ。 自分がガキの頃は、チャンネル権は親が独占していたから、親のいない時間しか自由にテレビさえ見られなかった。NHK特集などを親が必死で見ている時に、咳払い一つしようものなら、これ以上ないくらい怒鳴られたりもしたな >NHK特集
今や、NHKなんて力を入れて観るもんじゃないよねw
ヤラセもある(あった)し、ネタ元や取り上げる学説も怪しいし、ストーリー?・編集も見え見え。
昔のNHK特集なんか今観ると笑える。
民放より真面目ぶってるだけ(真面目ぶってるから余計にタチが悪いと思うのだが)。
当時のNHKへの信仰?はなんだったのかと
(個人的には、NHKを真剣に観てる人はバカなんじゃないか、と思うw) >>198
平成の話になるけど1998年頃
夕方のアニメ放送が無くなり、子供向け番組が減った頃
CATVでアニメの視聴が出来る子と、CATVを導入していなくて見られない子の
情報格差と言うかアニメ格差が有ったな >>196
いま、幼児向けのアニメは多くはなさげだけど、大きなお友達向けのアニメは溢れかえってるじゃん。
MXなんて毎日アニメだらけかと。 >>202
大都市圏の人しか享受できないから意味なし >>203
時間差あったりしてもローカル局で放送してないもんなの? テレ東のとかも? 民放イコールおふざけ、NHKイコール真面目で正しく正解、という神話が凄かった。NHKで言ってたから間違いない!みたいなのがあった。 大晦日・正月は全ての店が閉まるから
買いだめしなければならない
今はいいよね〜
アニメは鉄腕アトムだった
マジンガ-ゼット
デビルマン
忍者ハットリくん
キャンディキャンディ
リボンの騎士
昔はよかったな〜
夕方〜夜にかけてアニメいっぱいやってた
洗濯機は2そうしき
そうだねうちも玄関の鍵なんてかけたことなかった
いつでも玄関はあいてた
平成になって鍵かけるようになった不思議
戸締り用心火の用心とかCMのせいかな? 昭和の大スターっていったら誰だろう
いっぱいいすぎるけど
西城秀樹さんもそうなのかな
自分の子供時代はピンクレディ・松田聖子・中山美穂・光ゲンジ・おにゃんこがアイドルだった
大人になってカラオケが流行って華原朋美ちゃんすてきだった
安室ちゃん華原朋美ちゃんあたりからアーチスト呼ばわりになったな〜
今その人達の動画見てなつかしくて感動する
AKBあたりでまたアイドルもりかえしてよかったね
平成の大スターアイドルって誰だろうAKBかなぁ?
スターって言葉も、もう使わないのか >>204
ローカル局って、自社制作の情報バラエティ()ばっかりに力を入れてて、テレ東系は遅れ放送の上に中途打ち切り
なんて朝飯前です。
再放送枠に至ってはありません。
そのくせ過疎は嫌一極集中望ましくない豊かな自然がある(何も与えられないことをごまかす奴の常套句)田舎に
住もうと言うお為ごかしばっかり。 フロッピーディスク一枚で充分だったあの頃、1MBのデータを送るのにテレホーダイ使って一晩かけて送った。
そのうちソフトウエアが肥大化してWindowsのインストールにフロッピーディスク12枚とか使うようになって部屋の中がフロッピーディスクだらけになった。
テラバイトなんて遠い未来の空想の世界でしかなかった。
今じゃ動画を溜め込んだりしたら1テラじゃ全然足りない。
どうなっちまったんだ?この世界。
ジョニーニーモニックって映画で運び屋のメモリーが100MB未満で鼻血出したとか、今見ると幼稚な世界。 CD-ROMが初めて出たとき、「日本で発売されているソフトウェア全部が
これ1枚の中に入ってしまう」というような紹介のされ方だったな。 昭和の時代だと
フロッピーに月次データを吸い上げ、郵便で送る。だったな。 カセットテープは昭和だよね
カセットテープ→でっかいフロッピー→小さいフロッピー→硬くてちっちゃいフロッピー→一瞬で消えたMO
MOが可哀想だった
CD-ROMが出てきたからすぐ消えていったな MOにもいくつか違う規格があるが、3.5インチMOならCD-ROMよりずいぶん新しいぞ。
なにより、一度焼いたらそれっきりのCDとリライタブルなMOじゃ使い方が全然違う。 MOとほぼ同時期かちょっと前ぐらいに100MぐらいのZIPとかいう円盤があった気がした MOはあまりにも遅すぎたからなぁ
昭和の時代だと紙テープだろ
さすがに使ったことは無いが MOは、ゲー○やソフ○のコピーとか、ダウンロードして集めたCGデータとかの受け渡しに重宝してたな。
ZIPドライブは短命だったね。 同時期にMac用のJazzドライブとかいうのもあったな。使ったことはない。 バイオハザード2あたりの物語の終盤でセキュリティドアを開くのにMOが必要というシーンがあった
あの頃見たMOは近未来アイテムだったのになあ パトレイバーでもOSはMOでインストールしてたような ミッションインポシブルでトムクルーズ使ってなかったっけMO? 多分MOかな?
PentiumUの300が化け物扱いだったような ベータマックス
ビデオディスク
EPSON 98互換機
ZIPドライブ
HD-DVD
俺が選ぶ商品は必ず市場争いに負ける
こち亀に俺みたいな奴いたよね カセットのテープが絡んでグチャグチャになることを「ワカメちゃん」と呼んでいた >>225
スレチになるが
VHSでの勝利移行、SDカードの勝利まで
規格戦争においてパナソニックは連戦連敗だったんだよな 学生の時に運送屋のアルバイトで、コンピュータ用の金庫みたいな頑丈で100kgもあるパンチカードケースを非常階段を使って二人で運んだっけ。 体育の後ブルマーをはいたまま
ブラウスとジャンスカ着て
わざと男子の前でスカートばっとめくり上げて
ビビらす遊びをしていた
女子たちが男子をむりやり
女子便所に押し込んで閉じ込めたりもしてた
小学校の時の話ね 女物の下着が今より小さくてエロかった
今は専門店以外で普通に売ってるものは
デカくて分厚いゴテゴテした刺繍が入ってる物が殆どで
色気ゼロ 別に鉄道マニアじゃないけど、あのぶ厚い時刻表を見るのが結構好きだった
特急とか寝台列車の行き先を目で追っていると楽しかったものだが
今はこの時刻表も廃刊の危機らしいね
今やスマホでどこでも調べられるからねえ 戦前生まれの爺さんから聞いた話
昭和30年代、千人ほどの山奥の村に一軒のパチンコ店があった
設置台数は百台ほど、木目の床、手打ち式のハンドル、客はみんな顔見知りでほとんど常連が支えていた小さなお店
そこでバイトしていた若い頃の爺さん、ある日常連のAおばさんに「困ったことがあるので便所に来てくれないか」と呼び出された
ホールに併設されていた男女兼用のくみ取り便所へ赴いたら、Aさんの財布がポケットから便槽へ落ちていたのだ
常連客の頼みだから仕方ないと爺さんは細長い角材を数本持ち込み、巨大なピンセットの要領でなんとか財布をつまみ上げた
「外のホースと水場使っていいから、洗うのはAさんやってよ」と言い残して爺さんは店に戻った
しばらくしてからカウンター係りのおばちゃんが首を傾げてる
あの頃は客がカウンターの係りに金額を伝え、その代金分の玉を借りるというシステム
「Aさんが『今日は大勝負だ!』と言って千円札出してきたんだけど、妙に濡れてるし臭いんだよねこれ」
爺さんはすぐにAさんへ苦情を言った
明らかにさっき便所に落した金だろ、こんなもの店で使うな!と
しかしAさんも金には違いない、偽札なんかではない、どこで使おうと自由だ!と逆ギレ
そっちがその気ならと爺さんとパチンコ店も策を練った
そのお札がすぐに特定できるよう赤ペンでマークを入れ、他のお札と明確に区別する形で換金所へ
その日のAさん、ウンがついたとやらで久しぶりに勝ったとホクホク顔で換金したらそのお札が混じっていた
A「明らかにさっき便所に落した金だろ、こんなもの店で使うな!」
店「金には違いない、偽札なんかではない、どこで使おうと自由だとあんたがそう言ってただろ!」
騒ぎを聞きつけて他の常連客も集まってくる
「自分でクソまみれにした金を使うのはOKで受け取るのはダメとは、なんて図々しいババアだ」と非難轟々
ほどなくしてAさんは出入り禁止を食らい村中の噂になってしまった
ところが本当にウンがついてしまったのかその後Aさんの家は立派な豪邸となり、村でも有数の資産家となってしまった
いわゆる金の亡者というやつで付き合いは非常に限られていたが、そのうちの一人の証言によると、
「例の聖徳太子図柄の千円札を額に入れて今(平成初期)でも大切に飾ってある」とのこと >>233
俺も。
体操服に編み笠という、珍妙な格好で踊ってる写真が残っとるわ。 >運動会
変な応援歌も有ったな
歌詞に「月桂冠」とか入ってたり ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています