【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】40
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
*悟りを開いた人には偉大な知恵があるらしいわ。
*生活のことなんでも聞いてみましょう。
*あるゆる悩みを聞いてみましょう。
*罵倒、批判だけのレスはスルーよ。
<前スレ>
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ39
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1501329302/l50 >>238 止観を行い悟れば出来るのじゃ。
記憶に依存していなければ苦は無いじゃろう。
思考も認識も己ではないと気づけば落とせるのじゃ。
依存しないだけで記憶を使うことも使わないことも出来るのじゃ。
依存とは使わなければならない状態なのじゃ。
アルコール依存症が酒なしではいられないようなものじゃ。
本来必要では無いものごとに囚われているのが依存なのじゃ。
>>244 するべきことやするべきではないことをスッタニパータのほうが詳しく書かれているのじゃ。
何度も読めばわかってくるじゃろう。
犀の角のように一人歩むのじゃ。
>>245 死ぬよりも自分や自分の記憶が消えることのほうが怖いのじゃ。
死ぬまで自分を守ろうとするのじゃ。
自分も記憶も観念も全て捨てる勇気が必要なのじゃ。
事故の加害者です。被害者は軽傷で、気にしないでと言って下さいました。保険にも加入していて示談成立しました。でも相手に迷惑をかけたことが申し訳ないです。同じ経験ある方、どのように立ち直られましたか? >>243
そうそう。そういう所にはまず行かない。行くとしたら何か特別な理由があってわざわざ行ってるか、
または近づいていた事に本当に気づかなかった場合ぐらいだと思う。 鬼和尚、集中力を鍛えて透視や未来視なんかの神通力を獲得して株やギャンブルなんかで財産を築くのは可能ですか?
中村天風は、金儲けのためにそういう能力を使えば能力を失うみたいなことを言っていましたがどうなんでしょう? >>248
山は行かないですか・・・・
やり取りが長くなってすみませんが、では道路を渡る時、左をみて、右をみて確認してから渡りますよね
これは無意識というより考えての行動ですよね
考えないと、見ないで渡って車に轢かれて死にますよね >>246
確かに、死ぬよりも自分や自分の記憶が消える事の方が怖いです。
自分の記憶が消えて自分が無くなる覚悟を持つには、どのようにしたら良いでしょうか?
体の死より、自分が消えるということを、全力で拒絶したいような心の拒否反応があります。 >>249 そのようなこともできるじゃろう。
大体どの界隈でも一流の者にはそのような力があるというのじゃ。
それがあるから一流になれたともいうのじゃ。
ヨーガスートラでもそのような力は集中力によって可能になると書かれているのじゃ。
しかしそれらは真の悟りの修業には雑念でしかないから、金儲けとかに使うのをいさめるのじゃ。
天風も師匠にそのようにいさめられたのじゃろう。
>>251 そのように思うのも死がわかっていないのじゃ。
死によって自分や自分の記憶が消えることを自覚していないのじゃ。
どこかに自分や自分の記憶が残るのではないかという幻想をもっているのじゃ。
死によって自分も記憶も消え去ることを自覚するのじゃ。
それらを捨てて永遠を手にすることが出来ると知れば捨てる覚悟もできるじゃろう。
>>252
悟りで透視や未来予知が出来ると言うのですか?
悟りとはそういうものではないでしょう >>252
中村天風さんって鬼和尚さんから見て悟ってるんですか?
また、現代に生きている有名人の中でも悟ってる人ベスト10をあげるとしたら、どうなりますか? キリストや仏陀、その他の歴史的な人物の悟りベスト10もお聞きしたいです。 >>250
それについては大昔に学習したから問題ないのではないかな?
ほとんど脳内にそういう回路が出来ちゃっててほぼ自動でやってるように思う。
ただそういう自動回路みたいなのはものによっては危ないかもね。
例えば信号が青なら安全だと信じ込んで周りを見ずに渡っちゃうとかね。
本当に安全かどうかは信号ではなく車が接近してきているかどうかで見る必要がある。
道路の状況を見ずに信号だけ見て判断したら危険だ。 >>251
死ぬまで死なない。
生ききればよろし。 >>238
定義しないよう
どうとでも
純化しよう
うん
>>245
連絡してない
織り込み済み 納得のいく絶望感
還暦をむかえ、多少行き詰まりを感じるこの頃でおりましたが、たまたま本屋で
手に取ったこの本によって視界がいっぺんに開けた気がします。
この本のおかげで、本棚の精神世界の本を全部捨てることができました。
もう保有しておく意味がありません。この本を読まれた方はおわかりでしょうが、
悟りを考える・追及するということ自体の無意味さを深く認識することができます。
ただただ目の前のことに集中して生きていくしかありません。 >>259
なんて本?一行目の「納得のいく絶望感」が本のタイトル?
しかし、検索しても見つからない。 >>247
人身事故は起こしたことがありませんが、
事故にあって怪我をした自分よりも
哀れな顔をして、この世の終わりのような顔していたから
気の毒に思って気にしないように、とおっしゃったのかもしれません。
鬼和尚に聞いてみてください。大事にならなくてよかったですね。 智慧の声が聞こえるとか言ってる宗教性妄想患者に訊ねるとかw
なんかのカルトスレ? >>263
飲酒運転やってしまって、
それでも酒をやめきれずに困って泣いていたところを
二年近く、辛抱強く心を見るように勧めてくれたのです。
故に、頭が上がらんのです。 心の弱みに付け込まれたのか、自作自演か分からないけど、
異常であるのは明白だな。 >>265
確かに、あなたの目から見たら異常ですね。
自身にもありますが狂信的な性質は理解しています。
ちょっと気になるんですが、本当に自作自演に見えるの? >>268
あー。その本か。
確か持ってたと思う。 >>253 わしはこのように書いたのじゃ。
↓
ヨーガスートラでもそのような力は集中力によって可能になると書かれているのじゃ。
しかしそれらは真の悟りの修業には雑念でしかないから、金儲けとかに使うのをいさめるのじゃ。
おぬしにとって大事なことは字を読むということなのじゃ。
そうすれば相手の意図がわかり、恥をかくことも無いのじゃ。
>>254 悟っていないのじゃ。
サマーディには達したようであるがのう。
パパジしかしらんのじゃ。
>>255 一位はお釈迦様じゃな。二位はオショーじゃな。三位はクリシュナムルティじゃな。
四位はマハリシじゃな。五位はタバコ屋の親父じゃな。六位は白陰じゃな。七位は道元じゃな。
八位は義延じゃにな。九位は大拙じゃな。十位は趙州じやな。
わかりやすさの順なのじゃ。
>>252
確かに自覚が薄いです。
若い頃は自分は死なないという謎の自信を持っていましたが、病や死が怖いです。
死後の世界や輪廻転生の考え方に馴染んでいたため、死後は霊魂になってまた生まれ変わるものと漠然と考えていました。
そうであれば、死はあまり怖いものや悲しいものではないようにも思えました。
死後には自己も記憶も無くなる、ということを自覚するために、どのように考えたり理解すれば良いのでしょうか?
しかし無になるわけではなく、死後は夢のような意識であり続けるのですよね?
夢の中や深い眠りの意識と同じようなら、起きている時のように自分や自分の記憶を思い出したりは出来なくなり、取り留めもない観念に翻弄されるような感じなのでしょうか? >>270
ありがとうございます
大拙って鈴木大拙さんですか?
1〜5位、及び大拙さんでこれを読んどけ的な本はそれぞれありますか? >>271
別にいいじゃん怖くても。
死ぬまで死なないんだから、気にしてもしょうがないだろw どうやったら「今」を生きることができますか?
過去や未来を思い煩うことなく。
意識が今に固定されず、あちこちに飛んで夢想してしまうのは何故なんですか。
これは本当に難しいんですが。 >五位はタバコ屋の親父じゃな
鬼和尚、タバコ屋の親父って誰のことなんですか?
実在の人物なんですか? >>274
何をどう足掻こうが、あなた、今を生きてるじゃん。 >>256
それだと普通の人と同じですね
行動からは悟りのあるなしは区別できなそう
長々とありがとうございました
また、自分で考え直してみたいと思います
悟りとは何かについての考えも人によって違いますね >>274
構わないよう
お前が多くの集まりだからだ >>274
今が苦しいから逃避してるのでは?
だとすると問題は、その逃避したくなる今はまともに認識したものかどうかだ。
これが現実だと思っているものは本当に現実か?縄と蛇を見間違えていないか?
それはもう一度よく見てみないとわからない。 >>278
悟ればわかるんじゃないかな。
しかし悟るとそれを言葉では伝えられない。 >>281
悟った時に痛覚はありますか?
焼火ばしで背中をジュっとされたら痛いですか? もし痛くないなら外形的に悟った人を区別できますね
焼火ばしを押し付けてみて痛そうならこいつは悟ってないなと >>282
悟ってないから知らんけど体は自然に反応しちゃうのでは?脚気の検査で膝叩くと足が上がっちゃうみたいなもんで、体そのものが最初から持ってる機能はそのままだと思う。
ただ痛みはあっても痛みから来る死の恐怖に基づいた連想は起こらないと思う。(死ぬのではないかとか、なんで自分がこんな目にあうのかとか)。
一応普通の人でも催眠で一時的に痛みを感じなくさせる事は可能なようなので多分感じない状態にはなれると思うけどね。
まあしかし痛みを感じなくさせる必要があるのかという問題もある。悟ればその必要性も失われるだろうしね。
痛みでのたうち回ったとして、一体何が悪いのか?何も悪くないよね。体がそうしたがっているのならそのままそうすれば良い。 >>284
なるほど、悟りとは生理的な変更ではないということですね
私にとっては、悟っても身体の感覚があることは重要な情報です
そうすると、悟ってもお腹が空くし、ご飯が食べたいなと思うのですよね
食欲はあるのですよね
食欲がなかったら、いつ食べたらいいのか、どのくらいの量を食べたらいいのか分からなくなりますから
つまり悟っても欲が消える訳ではない ?
仏教は心と身体を分けて考えないんだけど。
お二方とも話が明後日の方向に向いてますよ? 私は唯物論者で心は存在しないという考えなので...どう変なのかわかりません >>286
じゃ、後の事はあなたに任せた。よろしく。 >>286
続けてていいと、思ったのですがだめでしょうか?
おそらく、偽和尚とこの方は主に物事を判断する機関が一緒なのではないかとみていました。 >>247
被害者ですが
相手が心から謝っていると分かったので、気が済みました。ですから、慰謝料は要求しませんでした。 鬼和尚、悟った人が、仙腰a尚のように死の床で「死にとうない」ということもありますか? >>271 昔は不浄観という修行をしたのじゃ。
死体を観る修業なのじゃ。
だんだん腐っていく死体を観て身体の不浄や死を自覚したのじゃ。
今は死体がないからできないのじゃ。
動物や昆虫や植物の死体を観て自らも死ぬことを自覚するのじゃ。
そうじゃ、そのようにただよう内に自らにふさわしい処に生まれ変わるのじゃ。
>>272 そうじゃ、鈴木大拙なのじゃ。
お釈迦様はダンマパダとかを読むと善いのじゃ。
オショーは何でも読むと善いのじゃ。
クリシュナムルティとかマハリシは難しいから読まなくて善いのじゃ。
マハラジと大拙はyoutubeの映像を見るとよいのじゃ。
オショーの動画も見るとよいのじゃ。
無料であるからのう。
>>274 記憶に囚われなければ今を生きられるのじゃ。
過去や未来を思うのは記憶に依存しているからなのじゃ。
記憶がおこるたびにこれは記憶であると気がつくのじゃ。
そして今ここにあるものを観たり感じたりするのじゃ。
少しの間だけでもできれば長く出来るようにもなるじゃろう。
>>275 マハラジなのじゃ。
>>276なのじゃ。
>>292 なにかやり残したことがあればそういうかもしれん。
もういいと思えば言わないじゃろう。
鬼和尚、鈴木大拙は悟っていないと思います。
彼の代表的著作の「日本的霊性」を以前に読みましたが、浄土真宗を取り上げて
解説し、嫌気がさしました。
「禅と日本文化」は良かったです。
悟っているならば、彼のどんな所でそう思うのですか? 鬼和尚、質問です。
気づきを起こした人のブログを読んでいたのですが、
私の場合苦しんだ覚えがあるのにも関わらず、
その人は割とすんなり気付いていました。
少しうらやましいと思う半面、何故こんな楽に修行できるのだろうと疑問に思いました。
この人が本当のことを言っているかいないか、わかりかねることはありますが、
悶絶しながら気が付く人と、楽に行ってしまう人との違いはなんでしょうか?
よろしくお願いします。 自分も人間なのに人間が大嫌いになってつらい、仙人にでもなって山にこもりたいくらいだけど熊は怖いし蚊の餌食にもなりたくない。もう消えてしまいたい。 >>297
熊が問題?熊なんてそんなにいないぞ
蚊も夏しかいないし
蚊取り線香を焚けばOK >>294
あなたは鈴木大拙が悟っていたかどうかを考える前に、鬼和尚が悟っているのかどうかについてよく考えてみる必要があるでしょう。 鬼和尚、ウィキで調べると、鈴木大拙は妻子があったし、文化勲章ももらってます。
悟った人ならそんなことはしないでしょう。 >>300
悟ったから結婚しないはずだとか、セックスもしないはずだと考えるのは
頭の中が性的抑圧でコチンコチンになっている人間だけですよ。
オショーも一休禅師も山岡鉄舟もセックス大好き人間だったからね。
そんなどうでもよいことが何か重要なことだと思っているようでは
何度生まれ変わって修行しても、悟りの「さ」の字も理解できないだろう。 >>294>>300 おぬしがそう思うならば悟っているのじゃ。
常に凡俗の思惑の外に居るのじゃ。
>>296 執着が強いとそれだけ苦しむのじゃ。
弱いと苦しまないのじゃ。
執着の強さが苦の多さと結びついているのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。 人間的な情、愛着、愛情と慈悲は違うところから発しているようなものですか?
人間的な情は苦しみになりますが、全て捨てると心が荒涼としそうなのですが >>302
執着や囚われこそが、人間味とも言えませんか?
例えば自分の息子が死んだとき、鬼和尚さんはどう感じるんですか?
悲嘆にくれたりはしない? >>304
>執着や囚われこそが、人間味とも言えませんか?
それは人間味ではない。 鬼和尚、アドヴァイタって何ですか?
詳しく教えてもらえませんか。 >>304
執着や囚われが強ければ強いほど人間性は失われると思うよ。例えば金を得るために人を殺すとかさ。金に執着し過ぎだよね。これが人だったとしても同じこと。 鬼和尚
数息観をして雑念を観察していて思ったのですが、この世界も雑念の一種なんでしょうか?
人も物も、脳内で変換されて有るとしなければ、無いですよね?
全部、頭の中だけで有ると思っているだけの幻ですか?
もしそうなら、恐れるものは何もなくなるのですが・・・ >>310
と、想うのは妄想。
と、想うのも妄想。
と、想うのも妄想。
…
…
…
眼前に現象している他になんかある? >>310
どっちでも同じことなのじゃ。
「本当は何も無い」と思うことも頭で考えているのであるからのう。
お分かりか? >おぬしがそう思うならば悟っているのじゃ。
鬼和尚、それでは答えになっていません。
鈴木大拙が悟っている証拠を教えてください。 >>303 同じなのじゃ。
ただ執着すれば苦になるのじゃ。
情は苦にはならないのじゃ。
執着すれば苦になるのじゃ。
執着を捨てれば既に荒涼としている心が癒されるのじゃ。
>>307 アドヴァイタとは全てがブラフマンの現われと見る教えなのじゃ。
例えば土からつぼとか椀が出来ても本来それは土であり、人が名づけたものであるとかいうようにのう。
人もアートマンを追及する事でブラフマンであることを見出せると言うのじゃ。
それも観念としてのみあり、実践すべき法なのじゃ。
>>310 そのようなものじゃ。
観念としてみているのであるからのう。
なにものも恐れずに進むのじゃ。
>>313 おぬしが悟れば証拠を見出せるじゃろう。
映像を見ても心が完全に鎮まっているのがわかるのじゃ。
みてみるとよいのじゃ。 >>314
>>>307 アドヴァイタとは全てがブラフマンの現われと見る教えなのじゃ。
> 例えば土からつぼとか椀が出来ても本来それは土であり、人が名づけたものであるとかいうようにのう。
> 人もアートマンを追及する事でブラフマンであることを見出せると言うのじゃ。
> それも観念としてのみあり、実践すべき法なのじゃ。
あ? もう○和尚達を叩くのやめたら?一体何を求めてるの?
自分が正義だと思うのは自由だけど、相談してる人からすると邪魔で仕方がないしスレチなんだけど。
なんの得にもならないのに話を聞いてくれる事自体がありがたいんだよ。
どうのこうの言い続ける荒らしは自分が出家でもしなよ。 得度していないのに和尚となのりり、人様を誤魔化すのか?
人様の相談を受けるならそうなる 訂正
逆ギレか?
得度していないのに和尚と名乗り、人様を誤魔化すのは良いのか?
人様の相談を受けるのに身分を偽る必要は無いよな?
智慧の声を聞いたかいう幻聴を悟りと妄想し、悟りをひらいた人と吹聴するのは良いのか?
人様の相談を受けるのに、悟りを偽る必要は無いよな? >>314
人間の情や愛着は、誰かをかわいそうだと同情する分、その敵を憎んだり、愛した分裏切られると
憎しみに変ったり、人間的条件を超えた慈悲、無条件の愛と、自我内の情や愛とは同じと思えません
本心を見ろ、と言いますが、そのようなうわべの優しさや尊重が崩れ実は自我と言うのは憎しみや恐れや
殺意や罪悪感や、身も凍るものばかりだという事を知ってしまったら慈悲は、救いはあるのでしょうか
自我内のものでは救えないと思います いろいろな板に鬼和尚スレを作り、相方を自演してまで本を売りたいか?金を儲けたいか?
いい加減にせい。
仏教舐めんな? >>320
もうリアル和尚になりなよ
正直鬱陶しい >>320
仏教徒ってあなたみたいな人って宣伝に来てんの?
大したことないね 体の死や不浄を自覚しても、魂というものを信じてしまったら、体と魂を切り離して考えるようになり、体は死んでも魂としての自己の存続を信じ続けてまいます。
本当は輪廻転生は自己の存続ではないけれど、自己の存続を願う人が勝手な解釈をして死後の世界や輪廻転生の世界観となったのでしょうか?
死後は全体の意識に混ざりあって、その中で何かの執着などが因果となりまた産まれたりして、自己を持つようになる という感じでしょうか?
(1人の個人の転生ではない)
でも悟った人はもう産まれないというのは、何故でしょうか?
悟った人も全体の意識の中の一部となればまた産まれて来ざるを得ないのではないでしょうか?
輪廻転生の仕組みとは因果なのでしょうか?執着でしょうか? >>325
もともと自己の存在が幻なんです
それに気づくことが悟りです
貴方も幻なんですよ >>325
悟った人がもう生まれないというのは輪廻転生なんてもともとない、魂なんてないと気づいたからです 気付きと輪廻がリンクしてるってのは、論理的じゃないですな。
証明出来ないし。 たとえ幻であったとしてもどんな幻を観たいかってことなんです
どうせ幻だから窃盗でも人殺しでもなんでもやって死刑になって終わらせるぜ
でもいいし
どうせ幻なら皆と仲良く協力しあっていい夢見て終わりたいぜでもいい
どっちですか? >>328
どんな答えであろうと証明はできない
それはゲーデルの不完全性定理を考えてみてもそうでしょ
それにこれは気付きの話ですから、論理的にはつながらない
もし論理的つながるなら誰でも同じ答えになるはずです
証明されているのと同じですからね >>329
幻と見るのも幻、
そう見るのも幻
と見るのも幻
…
目の前に現象しているもの。 徹底しないで思考して幻と見るのは良くない。
徹底する事。 >>332
徹底しているという幻
それでいい
君がそれで納得できるならね 目の前に現象している事を解釈すれば迷い。
目の前に現象している事を解釈せぬは悟り。
ここまでは誰でも理解、実践出来るでしょう。
そこで修行をやめてとどまる方もいる。
一応の安心は得られるからね。
でも、そこを更に一歩進めるのが本当の修行。
迷いどころか悟りも捨てちまう。
ありのまま。 >>330
>どんな答えであろうと証明はできない
それはゲーデルの不完全性定理を考えてみてもそうでしょ
ゲーデルの不完全性定理と言われても、普通は良く分からないかと。
自分の言葉で分かりやすくお願いします。
>それにこれは気付きの話ですから、論理的にはつながらない
で、あなたは気付いてるんですか?
輪廻しない?
なぜそれが妄想ではないと? >>336
やりなさいよ
修行ってのを思う存分やってください
痛いものだけが治療すればいいんです
痛くないものを巻き込んではいけません >>338
>痛くないものを巻き込んではいけません
違う。 >>326 >>327
悟った人が前世や来世の話をするのは、個人的な体験ではないということでしょうか? 自己は観念とのことですが、自己の観念を持っているものは誰なのでしょうか?
認識が観念を観ているのでしょうか?
ということは私の本質は認識なのでしょうか?
阿頼耶識に依存した認識を破壊する前と後では、認識そのものにどう変化があるのでしょうか。 >>337
>自分の言葉で分かりやすくお願いします。
ざっくり言えば、この世に厳密に証明出来ることはないということ
それを数学的に証明したのが不完全性定理
>で、あなたは気付いてるんですか?
>輪廻しない?
>なぜそれが妄想ではないと?
気付いてるというか、そう思ってる
ただ、それは証明は出来ない >>345
>ざっくり言えば、この世に厳密に証明出来ることはないということ
>それを数学的に証明したのが不完全性定理
>気付いてるというか、そう思ってる
ただ、それは証明は出来ない
つまり、悟りや輪廻をいくら語っても、証明出来ないし、それが事実かどうかは分からないが、そう思ってる(=信じてる)ってことですね?
それならフェアで納得します。
宗教的なことを語る時に、それがあたかも確定した事実のように語る人が多い(しかも証明出来ないのに)ので、ちょっと辟易してました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています