自分の地元には旧制ナンバースクール中学をルーツとし、かつては屈指の難関、名門だった県立高校がある。
Wikipediaの著名OB欄は学者、官僚、財界人、作家、軍人がズラーっと並んでいる。
しかしとっくの昔に凋落し、今は東大なんぞもはや3年に1人くらいしか出なくなり、浪人込みの延べ人数ですら早稲田40人慶応10人くらいが平常運転になってしまった。

それでも地元ではこの高校の生徒は神の子扱いだし、生徒自身も自分の学歴と学力について一点の疑いも抱かず胸を張っている(なぜかまだ偏差値68くらいある)。

さて、この高校の学年上位1/3あたりの生徒は現役で青学や明治あたりに合格し、進学することになる(この高校は明治青学がやたら多い)。
5chやYouTube的な価値観では「俺は明治青学ごときの人間だったのか……」と悲しみの進学と相成るところだが、この高校の生徒の場合は違う。
『素晴らしい名門である我が母校において、学年上位層をキープしてた自分が進学する明治大学、青山学院大学は凄いエリート大学だ!』
と当然に発想するので、胸を張って目を輝かせて明治や青学に入学することになるのだ。

この思い込みは強い。
落ちぶれてからとっくに30年は経っているカビの生えた県立高校に入学し、そのレベルの低い母集団で中の上をキープし、実力通りの大学に合格するだけで、
東大に合格したくらいの誇りや自己肯定感を得られるも同然なのだから。

俺が新卒で入社した大手金融機関の同期に、この高校→明治や青学に現役合格、という典型的な経歴の持ち主が3人もいたのだが、
彼らはやはり高校以降の自分の経歴を誇っていた。
大手金融といっても東大の新卒なんぞおらず、日東駒専卒からトータルで軽く2桁は入るような程度の格の企業だったけど、
やはり『誇り高き彼ら』は自分の人生の栄光を疑わなかったし、そんな自分が入社した会社は泣く子も黙るエリート集団だとやはり思い込んでいた。

自分の将来を案じて卑屈な発言を繰り返す慶応卒同期の嫌味やネガティブ発言や諫言を全て「わけのわからないノイズ」とばかりに余裕でスルーし、

相変わらず強がりではなく本心から勝ち組を疑わない彼らを見て、
『勘違いは東大並みの効用すらもとらす』と感心したものだ。

東大なんか目指す必要はない。スポーツで全国大会を目指す必要もない。
旧制中学ルーツの落ちぶれた県立名門高校に入学するだけで良いのだ。
地元の人間は崇め奉り、同級生も勘違いし、教師も誇りを抱くよう教育し、やがて本人は労せずして過去の栄光を体現することとなる。
そしてその効果は落ちづらい。

幸せが絶対的なものだとしたら、彼らは間違いなく幸せな人生を勝ち取ったことになる。