石橋湛山いわく
https://www.iwanami.co.jp/book/b246177.html


  私学出のものが、そのころの日本で、いかに冷遇されたかは、今日の私立大学の卒業生には、
  たぶん想像できないことであろう。ただ新聞界と文芸界とは、さすがに腕しだいの社会で、
  学閥は物をいわなかった。のみならず明治時代には、官学出で、これらの方面に志すものは、
  いたって少なかったので、もっぱら私学出身者が幅をきかせていた。これに反して
  官界、教育界、実業界等においては、帝大、東京高師、東京高商等の学閥が断然勢力を張っていて、
  私学出のものの進出はおさえられた。ただ慶応義塾だけは歴史が古く、
  創立者福沢諭吉氏の卓見で、早くから実業界に人材を送っていたので、等しく私学でも、
  実業界では大きな勢力をもっていた。早稲田大学は、そこへいくと、新聞界と文芸界以外には、
  どこでも、いっこう引っぱってくれる先輩がなく、はなはだ、みじめなものであった。

  初任給のごときも、年限の長い帝大卒業生に比して下に置かれるのは、やむを得ないとしても、
  会社によっては高商、慶応等よりも一段おとった待遇をされた。もっともひどいのは住友で、
  昇給率まで違うので入社後年をへるに従って、早大卒業生の待遇は、官学出身者に比して悪くなると、
  ある時、田中穂積氏が(まだ早大の総長になる前だったが)、憤慨していたことがあった。