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滝川事件に登場するのは京都帝国大学、中央大学、立命館大学の3大学
(中央は弾圧した側なので伏せられてることも多い)

滝川事件の発端となったとされる中央大学における滝川幸辰の講演は、1932 年 10 月 28 日に行われている。
中央大学法学会の主催による「校内学術講演会」がその場であり、
滝川は「『復活』を通して見たるトルストイの刑法観」と題して講演を行った。
この講演が、聴いていた林頼三郎検事総長(東京法学院卒、後に中央大学総長)によって問題視され、林から小山松吉司法大臣へ、小山から鳩山一郎文部大臣のもとへ話が伝えられた。

滝川事件に関連して京都帝大を辞職した教官のうち、18名が立命館大学に教授・助教授などの形で移籍した。
また、瀧川自身も事件後は立命館で講義を行うようになった。
立命館への受け入れは、立命館総長・中川小十郎が西園寺公望の意向を踏まえ、元京大法学部長で立命館名誉総長だった織田萬と相談の上で運ばれた。