0001名無しなのに合格
2019/06/30(日) 08:11:01.39ID:r7NJienD・福沢諭吉の慶応義塾(安政5年)
・新島襄の同志社(明治8年)
・クラークの北海道大学(明治9年)
・大隈重信の早稲田大学(明治15年)
札幌農学校は、国立なる点において、ここに挙げる三大学と全く性質を異にするが、
文部省直轄でなく、北海道開拓使がしかも中央を離れた辺地に発足せしめ、
明治政府の官僚的臭気から独立し得て、初代教頭として迎えたアメリカ人
クラークに一切その設立経営を任せ、暫く後任教授もその推薦を受けたため、
特殊の学風を樹立したこと、私立学校に酷似する。すなわち国立大学も、
仕様によっては私立大学的風格を持ち得る特異の例として、ここから除外し難い。
クラークが日本に滞在したのは、一年に充たぬ短期間であったが、帰国するに当り、
見送りに来た学生達に馬上から帽子を振って発した“Boys, be ambitious!”の
訣別の一語は、不思議の魅力と意義を帯びて、ただに札幌の学生ばかりか、
今日では実に、全国の青年の士気を奮い立たせる。明治の中期に学界の最大不祥事として
一世を振動した教科書疑獄に連座した者は、殆ど官立大学、公立学校の出身者だったのに、
この学校の卒業生にして教育に携わる者の中からは、一人の汚職者も出さなかったと聞くだけでも、
学校を薫染した設立功労者の遺徳の床しさが分る。
(早稲田大学大学史編纂所 『早稲田大学百年史 第一巻』 早稲田大学出版部、昭和53年 10-11ページ)