今から20年前の1999年に早稲田大学へ入学したんだけど質問ある?
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TOEICのスコアを伸ばす勉強法をググってたら、どういう訳かこんな板に辿り着いてた。
大学受験は1996年度スタートで終わったのが1998年度。
世間的には2浪になる、
航空船舶板・エアライン板・鉄道路線板・鉄道総合板の元コテハンが、
覚えている範囲・答えられる範囲で、
今から20年くらい前の受験世相とか学生生活なんかを答えますよ。 >>2
そっかー。自分が生まれて初めて北日本から東京へ引っ越して生活を始めた頃に、
>>2さんはこの世に生を受けたのか。
生きている年数は違うけれど、お互い初めてな事だらけで色々新鮮な経験をして、
様々な事を感じてたね。 わいが生まれた年や、
浪人してるで。明日センターや。緊張してんのかわからんけど眠れんし、文もめちゃくちゃになっとる。 >>4
センター前日の真夜中にこの板来ても誰も構っちゃくれないぜ。 センター明日か
頑張れ!
もう浪人すんなよ
昨年まで宅浪より ワイは産まれてすらないわ
昔の早稲田の問題は難しかった?
特に政経、法、商、文構について頼むンゴ >>5
会場から近いんなら兎も角、早よ寝た方がエエよ。
20年前にポレポレの西きょうじ先生も代ゼミ本科の授業で言ってたで。
「試験前日の夜は緊張で眠れなくても、横になって目だけは瞑っておけ。
それだけでも翌日の疲労度は大分違う」と。
>>6
かと言って、次の日が昇って夕方になる頃には、この板は阿鼻叫喚になるんでしょw? >>1
ようするに大学名より一般入試組と推薦AO内部進学帰国組の差別化をするべきだねってことだろ
ステマ大学早稲田は一般枠を絞り偏差値操作
金蔓の推薦AO内部進学帰国の馬鹿で学生数を水増し
国立のすべり止めとしか価値がなく
学生の現状は国立の平均値以下
一般で早稲田行くのはアホすぎ
早稲田の半分以上が水増しバカ
学生数が多い分馬鹿を大量に集めないといけないわけだ
少子化で偏差値操作と学生数確保(学生数4万3千。スポーツ馬鹿大日大に次いで水増し馬鹿学生数2位 他の私立の2倍、国立大学の3倍近くの水増し馬鹿が多い)に必死の早稲田
「早稲田どうしちゃったの?」の声 学力低下の元凶?AO・推薦入試6割に拡大
http://www.j-cast.co.../04252414.html?p=all
早稲田の狙いは河合塾のコメント「募集の枠が狭まって、倍率が高まれば、偏差値が上がる可能性はあると思います」に集約されていますね。
受験産業に見透かされてしまっている早稲田……。
本質的な意味で学生の質を上げようというのではなく、
他校と数字で比較されてしまう偏差値ランキングのみに執着した政策です。
短期的には(見かけの)偏差値が上がって早稲田のメンツを保てるのでしょうが、
長期的には信頼を失う結果になるのは明白。
大学の理事たちは「在任期間中の学校運営さえよければそれでいい」と思っているのでしょう。
偏差値50以下の高校でも政経の指定校推薦枠がある現実
小保方晴子氏、早稲田大学の嘘を批判
http://69763999.at.w...01511/article_4.html
天下りと引き換えに補助金騙し取り
現実
私立は慶應法>早稲田政経>早稲田法
週刊朝日2017.12.22号 大学受験・併願対決100連発
2017年入試W合格進学先 数字は選択率(%) データは東進
早稲田VS慶應義塾
法 06−94法
政経26−74法
商 04−96経済
商 25−75商
文 46−54文
教育05−95文
文構29−71文
文構33−67総政
先進33−67理工
創造29−71理工 >>9
貿易関係やってたけど一念発起で転職活動中。
>>10
受験したのは社会科選択で地理が選べた政治経済と教育だけ。
なんだか今は、政経学部は地理と政治経済を選べなくなったんだってね。
この間、本屋で参考書のコーナーで過去問ちょこっと見て、
英語は傾向がかなり変わってた感じだね。
自分が受けた時は、出典がよく分かんない歴史関係のネタだったり、
思想やエッセイの文章を使って、本文に出てくる指示語の内容を答えさせた
和訳や日本語での内容説明だったけど、
今はNewsweekなんかの雑誌から問題文を持って来て、
内容一致の選択肢問題が中心なんだね。 うろ覚えながらも当時の戦績。入試方式とかは複雑で詳しくはもう分からん。
1996年度
立命館 文…×
立命館 文統一…×
立命館 文後期…×
代ゼミ札幌校…◎
1997年度
立命館 文…×
立命館 国関…×
立命館 文統一…×
立命館 文後期…×
早稲田 教育…×
代ゼミ札幌校…◎
1998年度
奈良 文…◯
立命館 文…◯
立命館 国関…×
立命館 国関統一…◯
関西学院 文…◯
早稲田 教育…×
早稲田 政経…◎
典型的な3科目私大専願厨ってやつ。 広末の時代じゃん
ここから早稲田の凋落がはじまったんだよな
そのまんま東、スーフリ、手鏡、大仁田厚
イメージ大暴落 >>14
早稲田だけ東京まで受けに行って、立命とかは札幌で受験したんですか >>15
同期だったから親近感はあるよ。
彼女の初登校の時は6月の或る土曜日だったんだけど、
その日の夕方、飲み会があって雨降る高田馬場へ出てみたら、
スポーツ紙だったか一般紙だったかが号外配ってた。
>>16
1浪目と2浪目の際、関西にある大学は向こうで受けて来た。
と言うのも、当時、札幌みたいな地方では、
代ゼミ・河合塾(札幌予備学院)・駿台予備校の三大予備校の早稲田・慶応の
本科衛星授業でも、主に英語や国語が主なラインナップで、
早慶に特化した夏期講習や冬期講習の社会科単科講座って無かったの。
だから、夏期講習やセンター試験後1月下旬の冬期直前講習は、
その社会科選択の早慶対策に特化した単科授業を受けに東京まで行ってた。
で、冬期直前講習を受けた後そのまま新幹線で関西に入って、
そこで関西の学校を受けてから2月頭に一旦札幌へ戻って、
2月中旬に早稲田を受けるために再上京したよ。
インフルエンザも流行る時期なのに、凄い事だよね。 >>17
はぇー
マーチじゃなくて関関同立を受けた理由とかってあるんですか >>18
高校生の時、大学では地理学を勉強したかったのね。
で、北海道にはそれ専門にやっている大学が無かったから、
ここで北海道脱出が決定。
地理学科は関東では早稲田の他、明治とか法政にもあったし、
立正なんかもその手では有名なんだけど、
“いちげんさん”っていう小説を読んで、京子ちゃんみたいな女の子に
出逢いたくて立命館、学校も京子ちゃんもダメだったら関学、
どうしても滑り止めって奈良と選んだの。
で、受験生をやっている内に地理事象の視点から政治を
勉強してみようという気になって、立命館国際関係と早稲田政経も選択したの。
個人的には今も昔もGMARCHと関関同立の文系は、
それぞれ横断しての併願はお勧めだと思う。 理数でもないのになぜ浪人二年目で成績が伸びるのか
そしていくら伸びたとはいえ教育は落ちるのになぜ政経に受かるのか 立命館落ちて早稲田政経とかありえんのかよ羨ましすぎる 関東の大学のローカル化がやばいな
2017年度入学 合格者(又は入学者)の都道府県別割合(数字は%)
大学発表資料。合格者は個別(全学部等を含む)+センター利用入試の合格者で、推薦AO、内部進学などを含まない。
大学 東京 神奈川 千葉 埼玉 茨栃群 関東計 関東以外
○立教 36.9 17.2 11.8 13.9 5.4 85.1 14.9
○上智 43.8 19.3 10.0. 8.2 3.7 85.0 15.0 ※特別入試を含む
○法政 31.2 18.1 11.3 12.3 6.0 78.9 21.1
○青学 33.4 24.5 7.6 7.5 5.1 78.1 21.9
○明治 32.7 20.0 8.7. 10.1 5.7 77.2 22.8
○慶應 41.3 18.1 7.2 6.0 4.1 76.6 23.4
○早稲田 37.9 17.2 9.0 8.2 4.2 76.5 23.5
●農工 48.6 9.2 3.3 11.0 3.8 75.8 24.2 ※特別入試を含む合格者
●東工 35.5 18.6 9.8 6.1 3.1 73.2 26.8
●一橋 37.8 13.6 10.1. 7.1 3.4 72.0 28.0 ※入学者
○東理科 28.9 12.1 10.8 10.4 7.8 69.9 30.1
○中央 29.9 16.7 6.3 9.6 6.5 69.0 31.0
▲首都 34.5 18.3 2.2 6.3 6.8 68.1 31.9
●千葉 17.5 4.3 28.8 6.5 7.9 65.0 35.0 ※入学者
●横国 19.1 29.0 3.4 5.5 5.2 62.1 37.9
●埼玉 12.8 2.2 4.9. 29.1 12.3 61.4 38.6 ※入学者
●東大 35.9 10.2 4.8 3.1 3.5 57.4 42.6 ※↓
※東大は推薦入試を含めた都道府県別の合格者数を公表しないため大学通信(週刊誌等に高校別合格者数を提供)の資料
注;都道府県別に含まれない「高認」「帰国」などは除いて算出 奈良大学って知らんかったわ
今はFランみたいやけどその分野ではそこそこ有名なんやろな 20代ob。旧サークル棟について教えてほしいです。BOXとかなんとか >>20
今考えてみてもよく分からん成績の伸び方だったよ。
私立専願だったんで碌に対策もせず受けたとは言え1998年度のセンター試験、
英語に至っては200点中94点程度しか取れてなかった。
94%じゃないよ、94点。割合にしたら47%。
学校通ってから始めての語学クラスの飲み会で、
お互いの自己紹介というか初対面同士の話のネタに、
出身地やら受験の話が出てくるのが鉄板なんだけども、
この成績言ったら「お前、なんでこんなとこいるの?」とか言われる始末。
そりゃあ周りの連中がセンター9割近くだったけど東大落ちただの、
私大専願だけど試しに受けたら満点だったとか、
おまけに附属だから大学受験しなかったんだよーとか、
そんなんばかりの中、この点数はフザけている通り越して謎だもん。
それだけ英語の成績は酷かったよ。
結局、全統記述模試の様な国立私立統合型模擬試験ですら、
最後まで偏差値60は超えなかった。成績が良い時の偏差値はそれぞれ、
大体英語50〜55、国語60ちょい、地理65前後の3科目平均60くらいだったと思う。
唯一模試の成績表に名前が載ったのが、あまりにも問題レベルが低く、
早慶志望者はほとんどスルーして受けていなかった河合塾の私大模試だったかな。
これは英語ですら偏差値65くらいを叩き出して、
他の科目もいつもより点数マシマシで選択教科の地理に至っては、
2位に20点差近くの点数付けた95点超の点数獲って、
70超えの偏差値で全国1位になってたり、結局3科目で70近くの偏差値だった時には、
流石にこの模試オカシイと解釈したよ。
早慶ガチ勢が参戦してくる難関私大模試の成績は常に、
国私統合型の模試とそう変わらない偏差値だった。
ただ、最後まで模試でのチェックの様に客観的に確認する事は出来なかったけど、
本当に英語が早慶レベルまで身についたのが1998年の1月下旬で、
英語の文章読んでて何とか入試通りそうと思ったのが、
正に合格した際に受けた立命館の入試問題の英語を受けている最中だったよ。
それまでは英文読んでも、何書いてあるんだかよく分かんない状態だったけど、
この2浪目の時は本番になって始めて、「あ、分かる」と解きながら感じてた。 >>21、>>23
そんだけ早稲田の入試問題は当時も特徴が強かったんだろうねえ。
英語1つ取ってみても教育学部は、発音や文法まで細かく聞いてくるのに、
政治経済学部は“発音?もうそんな事知ってる筈だから問わないよ。
文法?そんなもんはもうマスターしてるよね?
だから1題くらいは突っ込んだ語順整序問題を厳選して出したり、
前置詞問題なんかを長文に仕込むけど、
主戦場は内容解釈と英文和訳と内容一致よ”みたいな感じのスタンスだったな。
>>22
学生だった時は関東出身者以外が4割近くいたらしいよ。
おそらく、首都圏や京阪神の有名私大専願の地方出身者が減ったんだろうね。
地方の受験生で、早慶上理ICUやらGMARCHやら関関同立を受けるなら、
国立と併願するのが今はメジャーになったんだろう。
>>24
考古学で有名な大学よ。当時はこういう、いわゆる日東駒専に満たない
成績レベルの学校でも、安易に全問マーク式問題に走らず
ちゃんと記述式回答も残してたりと、学校なりの矜持が窺えた頃だった。 >>25
大隈講堂傍の学バス停留所の向かいに建ってた旧学生会館でしょ?
あれは建て直しが決まったとかいう16号館の奥行きを、
3分の1くらいまで縮めたくらい、やたらとひょろ長い古臭いビルだったよ。
中もコンクリート剥き出しでねえ。それなりに年数が経ってたんで、
人が触れる所のコンクリートが黒ずんでいたのをよく覚えている。
旧学生会館では階段の踊り場なんかで、
ダンスサークルとか音楽サークルが競って音を響かせながら練習してた。
当時は旧学生会館に大学公認のサークルは専用部室を持ってたんだけど、
あそこに都度集まるのは面倒臭えという事で、
授業をする各校舎の階段の踊り場とか休憩所とか果ては屋根裏に、
サークルラウンジと称して、そのスペースに集まってたのよね。
休憩所とか踊り場は誰が使っても良いんだけど、占拠は早い者勝ちなんで、
サークルの私物なんかを365日24時間常時置いて場所取りする結果、
そういうサークルの不法占拠の出店みたいになっちゃってた。
そして年度替りにそのスペースが更新されるんで、
毎年4月1日早朝は学校の開門と同時にその場所を確保するために、
西宮神社の福男競争みたいな早い者勝ち一番福ならぬ、
場所取り開門ダッシュゲームが展開されてたよ。
まあ大学当局は、その状態をあまりお気に召していなかった様で、
2001年頃に戸山の奥で新学生会館の稼働が始まると、
一斉に休憩所や階段踊り場なんかのフリースペースでの、
サークルラウンジ利用での常時占拠を禁止したねー。
>>26
慶祥高校は旧経済高校から変わる前でその校舎自体も藻岩山近くだったよ。
自分は、偏差値50ちょいの吹けば飛ぶ様な没個性レベルの道立高校に通ってた。
取り立てて何の特徴も無い公立高校だったけど、
同級生つーか、同じクラスにつんくプロデュースのハロプロのメンバーがおったよ。 1999年なら第二文学部がまだあった時期か
俺も2005までくらいに受験生だったら第二文学部受けてたのになあ
ザ ワセダって感じで楽しそう >>30
5限だか4限スタートの二文生って、本当に何処にいるんだか分からんかったよ。
戸山キャンパスも体育館が改築されたりして、色々綺麗になったみたいで。
夜の文カフェはビールとかアルコールを出してたのを覚えてる。
それから二文の他、よく引き合いに出される社会学部は、当時のワセクラで、
“午前中の授業に出るべく満員電車に揺られて登校する他学部を横目に、
笑っていいとも!を布団で寝っ転びながら見てからでも、
余裕で授業に出られるのがメリット”、とかなんとか書いてあって弄られてたな。
あの午後スタートの時間割は本気で羨ましいと思ってたw。 「笑っていいとも」で、何ひとつ面白いことを言わず、
番組一本で何百万円ものギャラを手にしているプロ意識ゼロの老害タモリと、
バカな観客が「そうですね!」とかバカなやり取りをしていただろ。
あれを見て電通の奴らはほくそ笑んでいたんだぜ。なぜだか分かるか?
広告代理店の人間からすれば、
何も考えてないバカが多いほど仕事がやりやすいからだ。
そういうバカどもに、
「韓国ドラマが流行ってますよ」「K-POPが流行ってますよ」と宣伝するだけで、
簡単にのせられるからだ。
自分の頭でちゃんとモノを考えていたら、
「そうですね!」とかバカなやり取りは恥ずかしくて絶対に出来ないし、
電通の宣伝にも簡単にはのせられない。
しかしタモリも、「いいとも」の客もバカで何も考えてないから、
「そうですね!」とバカなやり取りを平気でやっていた。
そういうバカが増えるほど、電通の奴らからすれば好都合なのだ。
昔、「テレビが一億総白恥化を進ませている」と言った人間がいたが、
正にその通りなのだ。
バカテレビ局とバカタレントが、
自分の頭でモノを考えることをしないバカな国民を増やしている。
そしてそういうバカどもが、日本を破滅へと向かわせている。
テレビの罪はあまりにも大きい。 >>31
本当に羨ましいわ......
今の文 分構には早稲田スピリッツを感じない >>33
そうなん?
ツイッターとか眺めてるとプロフで早稲田に通ってると公言している人には、
あー、早大生らしいなと感じる事はちょこちょこあるし、
高田馬場周りの喫茶店なんかで喋っている若者の会話の雰囲気を
ちょい盗み見ると、あーやっぱり早大生だなあと感じさせるから、
濃淡は別にしてまだまだそういう精神はあると思うんだが。
ただそういう、早稲田スピリッツとかそういう見えない雰囲気的なモノは、
意外とそれを帯びている本人達は意識してないんだよね。
周りに合わせて流されない様に動いてたら、そういう早稲田精神的なモノを
自然に身に纏っていたとか、或いは自然にくっ付いていたんで、
結局意識して無かったとか、そんな感じになる。 美大に通ってるんだけど早稲田のインカレに入っても良いのかな
いやインカレなら良いんだろうけど男で外様だし....
でも早稲田にも憧れはあったから入りたい >>36
インカレならイイんでない?試しに入りたいとこに聞いてみたら良いと思う。
早稲田らしさというか、学校内の学生一般で特徴的な性格の1つに、
物事で分からん事があったら自分から動いて調べたり聞いたりするっていう事は、
普通だったよ。物事を知るという事に関しては物怖じしない。
その代わり、異性を知るという事に物怖じする人がごく稀にいたw。 その時代ってまだ二文や社学夜間で早稲田入りやすかった時代だよな
裏山 >>38
自分がいた頃はもう、二文はともかく社学は夜間専門学部ではなく、
昼夜開講学部になってた。
ただ社学も二文も、入り易かったという事は既に無かったんじゃないだろうか。
偏差値難易度でも、GMARCHの最難関学部より明らかに上で、
社学の難易度は商学部に近づき教育学部は既に上に躱しつつあった。
二文も人科やスポ科より同等かやや高かったと思う。 >>39
あー社学はもうその頃には昼夜開講制か
でも二文の偏差値は代ゼミで見たらマーチ中位だった気がするんだよね あとこの頃ってまだマーチも二部あったんだよね
正直夜間のカオスさが好きな俺としてはこの時代に受験生だったら良かった >>40-41
二文学生って、不器用に勉強してるか、或いは演劇とか映画製作、
今だったらYouTuberとか、
そういう自己表現に夢中なパフォーマーという、
コイツら只者じゃないっていうイメージを持ってた。
そういう二文の非只者じゃない面影は、文構が引き継いでいると信じたい。 >>42訂正。
×非只者じゃない⇒◯只者じゃない
非只者じゃないなら、そりゃ凡人じゃないかw。 >>40
専ら授業は1号館か旧3号館か7号館、たまに6号館だったけど、
社学が本拠にしている14号館が稼働してまだ日が浅かったから、
教室割りであそこに当たったらそりゃあラッキーだったもんさ。
空調完璧、椅子も居眠り誘う程高機能、マルチ機能な板書用映像装置、
フカフカな絨毯床。これぞ未来の教室てなノリで。
ハズレ教室の部類は、10号館と15号館だね。
前者は語学で、後者は専門科目の中教室でよく当たったけど、
建物が湿っぽくて辛気臭いし椅子の背もたれ硬いしで、
梅雨は蒸し暑く冬は隙間風で寒かった。 >>36
サークルの雰囲気も本当いろいろだから、インカレ多いとこか少し真面目なことやってるサークル狙っていくといいかも。 >>1
当時の鉄板ワセメシってなんだった?
今は全体的なラーメン人気も影響してか、たぶん武道家が一番人気じゃないかな。
メーヤウ無くなったたし、麺珍亭とかメルシーとか昔ほどじゃない気はするな。おとぼけは相変わらずだけど。 >>46
にいみ・フクちゃん・三品食堂はローテーションでよく食べに行ってた。
たまに、珍味やらわせ弁やらママハウスやらメーヤウなんかを。
去年、急にブー通りにあるいもやの天丼を食べたくなってググったら、
店主急逝で閉店という衝撃的な話を聞いた。
あそこの天婦羅は凄い美味かったんで、凄く残念。
後、店名を思い出せないんだけど、
鶴巻町の大隈通り沿いにドライキーマカレーが美味しい喫茶店があったんだよなあ。
ラーメン屋に関しては、自分の好みが極細系豚骨ラーメンだもんで、
稲穂とかメルシーは終ぞ行かなかった。で、行ったとしても当時は一風堂。
珍味は移転前は看板にラーメン屋と書いてあったけど、
移転してからはラーメン屋の看板とメニュー自体からもラーメンを
外してしまった程、茄子の炒め物が文字通り看板メニューであり、
ラーメンを頼むと、店主にイヤガラセでしかない皮肉を受ける珍しい食堂だった。 >>49
実はね、水曜どうでしょうがレギュラー放送をやってた頃は、
受験生丸被りでそれ所じゃ無く、
どうでしょう含めてテレビを殆ど見てなかったの。
ただ、当時列車通学してた時木曜日の朝に近くに立ってた女子高生の会話で、
「昨日のどうでしょう見た?」とか言ってたから、
そう言うバラエティー番組があるというのは知ってた。
で、1999年春に上京してから、
当時はまだカルト的な領分も残ってたインターネットの世界で、
水曜どうでしょうが時々話題になっていたのを確認した程度の印象。
本州で展開している雑誌や新聞なんかの、所謂“表のメディア”に出てきたのは、
2001年頃だったと思うんだけど、関東で番組販売していた放送時間が、
自分の在宅時間に合わなかったりなんだりして長く見る事は無く、
結局初めて見たのが2010年頃で、それもANA国際線機内の
オーディオビデオ番組のプログラムにあった、
“釣りバカ企画第3弾ワカサギ釣りII”。
以来そこからはぼちぼち、テレビだったりネット動画だったり、
飛行機の機内オーディオビデオプログラムで、シリーズを見たりしてるよ。 ワイ1999年生まれの現役早大生だけどワイが生まれたころはまだそんなザ・ワセダな雰囲気が残ってたんやな
いつの間に他の大学とあまり変わらないスマートな大学になったんだろう
やっぱり社学が昼、二文が文構になって国教ができ、キャンパスがビル化した2007年前後なのかな 社学63で滑り込んだ
SFC70とか無理やんと思った時代 >>21
早慶上智ICU以外の難関有名大レベルは全勝というのが多かったんだけど、
GMARCHや関関同立落ちで早慶入ったというのは、昔も数少ないながらもいた。
今考えてみれば、自分はセンター試験でコケまくったわ、
関関同立全勝出来ないながらも早稲田の難関通過してしまったわで、
マイノリティ型の受験生だったんだなと思います。
>>22
首都圏大学の関東ローカル化と言うけど、千葉県の房総半島・神奈川県西部・
埼玉県西部・茨城県の霞ヶ浦以北・栃木県・群馬県・山梨県辺りに
住んでいる人達は、都心まで通学するのに時間が掛かるんで、
都内で一人暮らしする人もそれなりにいるんだから、
GMARCHを第1志望に置くのなら併願先として、
関関同立を念頭に置いても良いんじゃないかと今でも考えている。
同じ様に、兵庫県北部・和歌山県南部・奈良県南部・京都府北部に住む受験生も、
京阪神中心部の関関同立に出て来て一人暮らしするなら、
首都圏のGMARCHへの進学も選択肢に入れても良いと思う。
関東民が学生時代に京阪神地区という異文化で過ごすのも、得る所があるし、
関西民が首都圏で暮らすというのは、経験値を増やすというのは間違い無いよ。
首都圏も京阪神も、公共交通機関が発達していて、お互いの圏内同士や
遠距離・長距離の地方へ行くにも便利なんだから、
関東・関西の周縁に住む受験生は、大学の時の生活基盤くらいは、
そこに属する圏内を移してみたらどうだろう。
>>52
四半世紀前くらいの私立難関大学の位置付けは早稲田慶応上智の3校で、
受験教育産業もこれらの対策は、地方でもそれなりにはあったーね。
最近は早慶上理ICUと呼ばれるくらい、東京理科大学が伸びて来たのは凄いよ。
一方で国際基督教大学は昔から地方でも一目置かれていた、というより、
学校自体の情報量が豊富じゃなくて、何勉強しているの?っつう感覚だったよ。
当時は早慶上智の難関私立大学やICUなんかの特徴的な私立大学は、
皆んな知ってるから今更説明する必要は無いでしょ、という感覚で、
地方での学校説明会もオープンキャンパスも消極的で、
関関同立が地方の受験生をもっと集めるために、
やっと地方への出張学校説明会を始めた頃でした。 >>51
構内無線LANが整備されたり、WEBサービスの方もWaseda-Netが
My Wasedaなんかに変わったりして、
インターネット環境が滅茶苦茶改善したというじゃないですか。
自分らの頃はWindows95とWindows98が、学内のPC室に混在していた頃で、
ハードもNECのブラウン管デスクトップ型PCとIBMの液晶デスクトップ型PCと
バラバラだったよ。自宅からの持ち込みノートPC組は、
中央図書館に優先無線LAN接続対応の机があったりしたけど、
なにぶん数が少なかったんで、いつも席の取り合いでした。
で、入学したら学籍番号をアドレスにしたメールアカウントを貰ったり、
このメールアカウントはWaseda-Netへ移行したら、
学生の任意でメールアドレスを決められるようになったよ。
そして、インターネットでの科目登録が出来たのもこの頃だけど、
当時のインターネットインフラの信頼性は低くて、
科目登録はインターネット単独になり事務所での書類提出の
科目登録は廃止しますと発表されたけれども、いざシステムを導入した初年度は、
アクセス殺到でサーバーダウンし、
締め切り日までにウェブでの科目登録作業が終わらなく大混乱。
結局ネットでの科目登録の運用を急遽中止して、
事務所での対面登録に切り替えたとかいうグダグダっぷり。 早稲田みたいな、比較的しっかりしてそうな大学でも、インターネット導入期はガバガバやったんやな >>1
96年入試とは丁度旧課程(数学T、基礎解析、代数幾何、微分積分、確率統計)最後の年だな。
97年入試から「ゆとり教育」として導入された新課程(数学T、数学A、数学U、数学B、数学V、数学C)の
入試が始まった(97年だけは救済措置として旧課程問題も選択できた)。
因みに97年はセンター数学で旧課程問題の難易度が新課程のものより高く、平均点が大きく違ったが、
センター試験の責任者が自分たちのミスを棚に上げて「社会に出たらこのくらいの理不尽はいくらでもある。」と言って
点数調整をせずに多くの浪人生の人生を狂わせた年でもある。
また新課程の数学は難しい単元は後の方に追いやられるというとんでもないやっつけ仕事だったため
予備校教師からは非難轟々、予備校独自ルールとして旧課程の自然な順序で教える
(例えば2次方程式(旧数学T、新数学A)→高次方程式(旧数学T、新数学B)と一連の流れで教えた)
などの対処を行った。
空間ベクトルと行列の1次変換がごっそりなくなる、2年生で文系でも履修していた基礎解析に
含まれていた積分を使った求積問題が3年で理系のみが履修する数学Vに押しやられるなど、
酷いゆとりっぷりを見せたこの新課程は教育界の黒歴史である。 この時期は個人でパソコン持ってる香具師なんかそれこそパソコンヲタクくらいだったからな。
インターネット広告なんか殆ど存在しなく量産型の糞みたいなアフィリエイトブログにも汚染されていない、
まだ「まぐまぐ」で個人がテキストメールでメルマガ配信をして読者を獲得していたほのぼのとした時代だった。
これを変えたのが小泉総理の小泉メルマガ。これで一気にインターネットやメルマガ配信が注目を浴び、
従量課金制プロバイダが定額制に移行したことも後押しし一般家庭にパソコンが普及し始め、またメルマガ界に
金儲け目的の企業が参入してきて個人が配信していたほのぼのとした時代が終わってしまった。 >>53
関関同立仮面早稲田志望ワイに取っては羨ましい話 当時はすでに山本矩一郎師などを有した80年代の代ゼミ黄金期の片鱗は微塵もなく、
難関理系国立大学なら駿台、難関大学なら河合塾、「代ゼミは私立文系専用」と揶揄されていた。
しかしそれでも代ゼミの理系科目の講師陣は贅沢なものであり、当時の意識の高い高校生は
放課後に代ゼミの名物講師の講座に潜りに行くのが周りで見られた。
数学では、東大生からの支持率ナンバー1にもなった西岡康夫師、地味だが実力者の浅見尚師、
ヤクザ顔負けの強面講師の雨宮章雄師、辛い浪人期の受験生をパフォーマンスで明るく盛り上げた荻野暢也。
物理では、不動のナンバー1講師の為近和彦師を脅かす存在として新進気鋭の若手・漆原晃先生が教壇に立ち始めたのがこの時期。
最難関の医学部狙いの浪人生は駿台の市ヶ谷校舎に集中し、また、
東大志望の学生は鉄緑会かSEGに通ったり、高校の授業中にZ会の添削問題をやっていたのは、今も昔も変わらない。 >>55、>>57
良くも悪くもインターネットの影響というのは、自分らも含めてこの辺りの世代は、
まだよく分かってなかったのが多数派だったからねえ。
インターネットが情報の量と質の面で大化けする前の過渡期でした。
就職活動もESは当然手書きで文字通りエントリー“シート”であって、
連日郵便ポストに、大量の企業のES付きご案内冊子が入ってて、
纏めて積んだら段ボール箱一個ぶんにはなっていましたのを覚えています。
インターネットでの就職活動はまだ企業も学生も手探りな所があって、
専らリクナビやマイナビなんかのポータルサイトの登録者に、
TEXT形式のメールマガジンを配信して、説明会の情報等を配信いる程度で、
みんしゅうなんかの就職情報交換サイトは、まだまだマイナーな存在でした。
こうしてみると、1980年前後の世代は世の中も情報も“過渡期”の世代で、
彼等の前と後ろの世代が持っている、
アイデンティティーみたいな物を持ちきれなかった世代だったんじゃなかろうかと。
>>56
スレを立てたのも、今の受験生も自分らと同じ教育課程変更の過渡期で、
色々不安がったり心配しているのを見掛けると懐かしくなってついつい。
>>58
昔も仮面浪人で入って来た早大生もいましたし、
早稲田で仮面浪人して出ていった学生もいました。
ぶっちゃけた話、各学生のバックボーンが多種多様過ぎるんで、
入るまでの事情なんて、お互い気にも留めていないのが早大生の特徴なのかなと。
>>59
当然と言えば当然だけど、今ではお世話になった予備校の先生は、
皆んなお年を召したよね。
待遇や将来性なんかで移籍した予備校講師の方々もいらっしゃる様だけど、
まだまだ第一線に立っているとこっちも嬉しくなって、
自分も頑張らにゃならんなあと感じます。
自分は私大専願だったんで、富田一彦先生・西谷昇二先生・西きょうじ先生・
今井宏先生等に英語を、現代文では酒井敏行先生等、古文は吉野敬介先生・
望月光先生等、地理は武井明信先生にお世話になりました。
まあ、何処の誰とは言いませんがお世話になった先生方が、
今でも予備校のスポットCMに出てたり、たまに新聞でインタビューを受けたり、
挙げ句の果てに週刊誌でネタになったりすると、
こちらも懐かしい昔をちょっと擽られた感じがしますです。 >>52
通ってた頃、社学の学生はざっかけない人もそれなりにいて、
どこかワクワクさせてくれる様な人達だったなあ。
今の社学生はどうなっているんだろう? >>60
>大量の企業のES付きご案内冊子
当時はリクナビの存在が徐々に知られるようになった頃だったね。
大学の学生課には大量のES入りボックス(3kgくらいあったかな?)が
ドカドカと積み上げられていて、学生達がそれを抱えて持ち帰った。
リクナビの案内のチラシも置かれていてそれでリクナビの存在を知り、
ネットで登録したら、大量のES入りボックスが家に配達されて来た想い出。
無能の極みの森総理が「アイテー、アイテー」と叫んで世の中ネットを使えない学生は
無能だという風潮が漂い初め、意識の高い企業はエントリーシートをハガキでなく
ネットからしか受け付けない、説明会の予約はネットからのみ、などとし始めたのも2000年くらいから。
当時はHTML形式メールはウィルスメールとの区別がつかないから非常識とされ、
ちゃんとした企業はTEXTメールでメールを送ってた時代。
youtube、mixi(2004年2月開始)、facebook、twitterなどもなく、
一般人にとって情報は発信するものでなく、パソコンヲタクや新し物好きな人達が作ったサイト
(その頃はブログは存在しなかった)を閲覧する、というのがインターネットの使われ方だった。
そして何でもエロに利用される通り、殆どの使われ方が「出会い系サイト」での出会いだった。
大量の出会い系詐欺メールで個人情報を盗られたり課金でサクラに金を注ぎ込むバカが大量発生した。
>吉野敬介
今では「お林」先生がブームだけど当時は吉野先生が一番世間に知られた先生だったなぁ。
予備校講師は青春の1ページに組み込まれているから懐かしいよね。
漏れは理系なので文系講師の話はできないが、ここ(https://roudai.exblog.jp/)の管理人は
age厨さんと同時期に代ゼミで文系浪人していたのでコンタクトを取ってみることをお勧めします。 今の社学生は全体として商に近くて、サークルでワイワイする人が多いな
だが一部は昔みたいな早稲田っぽい学生はいるかもな
今は学部ごとに昔ほど性格の違いはないと思うよ >>62
当時ノートPCは、OSがWindowsであっても出しているメーカーも少なく、
デザインも無骨で洗練されていなかったね。
そこにデザイン性を持ち込んだのが当時ソニーのPCブランドだったバイオ。
サークルの3年生の先輩がドヤ顔で、出たばっかしの紫デザインの
SONY VAIOノートを抱えて、会社説明会へ回ってったよ。
一方AppleではカラフルなデザインのiMacを出してて、
一部のMacフリークやPCオタクに注目されてたけど、
MacBookなんかは当然無かったな。
>>62
インターネットによる情報の質と量が上がっていった結果、
昔は消耗品に過ぎなかった予備校のテキストや参考書が、
今では資料として、それなりの価値を持つようになったのは面白いね。
>>63
商学部はチャラいというのは、20年前でも言われてたよ。
ただ言われる程、自分の周りの商学部生はそこまでチャラくはなかったです。
寧ろ酒呑みが多くて、商学部生はそういうアルコールが絡むと楽しい人達でした。 >>65
75分の制限時間に追われて、Part7の175問目から200問目がじっくり読めない。
20分掛からないでPart5とPart6は完答するけど、ここの処理が正直面倒臭い。
これらのパートに掛かる20分を、175問目から最後までの問いに充てられたらなあと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています