ニーメン川越えたあたりのナポレオン
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@ナポレオンは短期の決戦戦争を意図したがロシアは撤退戦術を取り焦土作戦で食糧・
馬糧・弾薬を思うように獲得できなかった。
Aモスクワを占領したが火をつけられて3分の1が焼けてしまった。
Bコサックを使った補給線の分断作戦で糧道を断たれた。
C冬の寒さで凍死が続出。馬が氷の上でも滑らないためには鋲付き蹄鉄を打っておかなければならないが、ロシアを舐めきっていたのでそうした準備をしていなかった。
Dイベリア半島戦争で財政が極度に悪化していた。
Eナポレオン戦争初期の錬度の高い兵士の多くが既に戦死し、60万人の大軍のうちフランス兵は30万人程度。後は鞭打ちのカントニストで調教された士気の低いドイツ兵、イタリア兵、オランダ兵などの寄せ集め。軍規が乱れ略奪・逃亡・脱走が相次いだ。
Fロシアの大砲などの火力がフランスと同等だった。 Eが主な原因。
ナポレオンは主要な戦いでも43回やってる。
ナポレオンの頂点はアウステルリッツで、ヴァグラム以降はフランスを守るために
戦う国民軍の多くが戦死。
ロシア遠征のうち半数が同盟国・衛星国の錬度の低い兵士。
そういう奴は酒を飲む、女を要求するならず者。
スモレンスク、ボロディノで勝ってもロシアが焦土作戦をやり食糧・馬糧の現地調達が
できなかった。当然士気の低いドイツ兵・オランダ兵・イタリア兵は脱落する。 参謀を置かなかったからと言われているけど、参謀って重要なの? 参謀が重要になったのはナポレオン戦争後。
ナポレオンに敗れたプロイセンのクラウゼヴィッツが戦争論を書き、ドイツ参謀本部
ができた。
しかしナポレオン時代、参謀はほかならぬナポレオン自身。
元帥26人がいたが、それはナポレオンの戦術を遂行できる指揮官という意味だ。
ナポレオンの戦術は大砲などの火力の集中使用、
敵野戦軍主力を撃滅するための決戦戦争、
騎兵の機動力を生かした翼側包囲。
この翼側包囲が成功するかどうかは「正確な場所に正確な時間で部隊が到着するかどうか」
にかかっていた。
ナポレオンはまず大砲の火力の集中使用で敵の陣地を叩き
銃の使用で敵の正面部隊を攻撃し、戦闘状態にする。
こうなると、ナポレオン軍と敵軍は一進一退の攻防となり、
自由が利かなくなる。これを「拘束」という。
そしてこの「拘束された」敵の部隊の側面や背後に
別動隊の騎兵が突撃して敵を包囲殲滅する。これが翼側包囲の基本。
ナポレオンが無敵を誇ったのはこの「拘束」と
「正確な場所に正確な時間で部隊が到着する」ほどの兵の錬度が高かったから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています