>>847
私の記憶では当日朝、未明だったと記憶してます。
なぜなら、門司工業は前日の入場行進練習には参加してたから。

開会式の行進後でも、当時の佐伯天皇の時代では多分、出場辞退になってたんじゃないかと思う。
何せ佐伯天皇は不祥事に厳しく、連帯責任を厳しく問うた人だったし。
門司工の事件の後も、マスコミから連帯責任を重視しすぎじゃないかと問われても「私の目の黒いうちは今のやり方を
変えるつもりは全く無い。私がいなくなってから変えればいい。」と言い放ち、その硬骨漢ぶりは際立っていた。
佐伯天皇こと佐伯達夫氏は1980年に死去したが、佐伯氏の死後、連帯責任は時代遅れとばかりに、段々と
連帯責任が緩められていったのは、ここの住人なら皆御存知でしょう。

1986年の夏、全国大会の期間中に愛知県代表の享栄高校のベンチ入りを含むメンバーが、写真週刊誌「エンマ」に喫煙する
場面を掲載されて、世間と大会本部が上を下への大騒ぎになった事件があったが、あのとき享栄高校が出場停止にならず、
関わった部員をベンチ入りから外し、補充をしないという措置を大会本部と高野連が受け入れたのを見て、時代は変わったなと
感慨深く感じた。