50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part24
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前スレ
50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part23
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/hsb/1620109650/l50
VIPQ2_EXTDAT: checked:default:1000:512:: EXT was configured 80年代の猛練習
金足農…腰まで積った雪中でダッシュの繰返し
浜松商…真夏の炎天下2時間の全体ランニング
近江 …真夏の炎天下2時間のキャッチボール
東洋姫…練習試合中、下級生はグラウンド外を走り続ける。
鳴門 …全国一の猛練習で知られる。
長谷川…何億積まれても東洋時代には戻りたくない。
久慈 …当時の甲府の練習させたら、一気に部員が半減するでしょう。
でも、不思議と球児が練習中に亡くなったって話は全国的にも皆無。
ここに集まるおっさん世代は、冗談抜きに身体の方も強かったんだろうな。 >>2
箕島…夏の練習はポカリ飲んで輪切りレモン嘗めながら短時間でサクッと切り上げる 広商の真剣刃渡りと
松山商のエース連続100球ストライク投込み(ボールだったら最初から投げ直し)が抜けてる。 70年代の千葉、猛練習。
その1 鬼の石井さん、習志野。
その2 黒潮打線の生みの親銚子商齋藤さん。
その3 鈴木孝政育てた成東松戸さん。
休みは正月三が日だけ。
それぞれがまだあっちは練習やってるぞと言いながらなかなか練習をやめなかったそうです。でも電車通学の子は早く帰れるので地元の子はいいなあと思ったそうです。 >>2
久慈の頃の東海大甲府は猛練習もそうでしょうが、それよりも大八木監督が怖そうなのが・・・ 徳島決勝いった阿南光って昔の新野なんですね
今の監督も新野で甲子園行った人 阿南といえば、水野の出身地だな。
池田は、山あいの学校で、県内出身者ばかりだが、県内の遠方から入学した選手は多かったみたいだな。 単にスパルタはよくないが、この時代の強豪校で優しかった監督は誰もいない。
尾藤監督、上甲監督も普段は鬼だったらしい。
厳しさなくして栄冠はない。 この時代、多分熱中症で倒れた選手もたくさんいただろうけど、バテたとか体力がないとかで切り捨てられてたんだろな 往年の名物監督はみんな野球だけでなく子ども好きだったんだろう
厳しいけどオヤジみたいな優しさもあったんだろう >>11
試合中にスマイルの監督ほど、練習はスパルタっぽいよね。 日大櫻丘の香椎監督は全然怒らなかったらしよ
人生最後の監督生活だから楽しくやらせたいって
東都のステンゲル時代は厳しかったらしいが >>17
ええか?当時と暑さは違うんやで。
例えば昭和55年4月からNHKの天気予報で降水確率と予想最高気温を発表するようになってんけどな本州で30度以上予想なんて殆どなかったで。
那覇が33度ってのはちょいちょいあった
昭和55年と言えば確かに冷夏の年ではあったけどな。 日田林工の原田監督は練習中外野がポカしたら原チャリで怒鳴り散らしに行ってたとか。 大谷が1950-1960年代に生まれていたら大成したのか怪しい。190cm台の投手で
優勝したのは1972春の日大桜丘の仲根や1973春の横浜永川あたりがはしりだと
思うけど、戦後の新しい高校ばかり。中京とか広商で超大型投手なんて見たことない。
伝統校には超大型投手を育てるノウハウとかないのかも。甲子園で活躍してプロでも
大成したのは中村の山沖が最初かも。ダルなんか成長痛で苦しんでいたけど東北高校
では体に負担のかからないプールで体力づくりをしていて非常に大切に育てられてい
たけど、70年代ころまでの練習だと骨折続きで潰されていたかも。 >>2
別府大付属(明豊)
…6月の追い込み合宿時の朝のウォーミングアップで、両手で頭上にバットを持ち上げグランド10週
近江高
…守備練習で外野ファンブル、以降終日まで素手で守備練習させられる。 >>21
Y校のジャンボ宮城
俺の記憶にある最初の巨体投手。 ジャンボ宮城は、動きが鈍かったな。
昔の大型投手はみんなそんな感じだった。
東北高校の金子だっけもかなり大きく、身長もさることながら、足のサイズがスパイクのサイズが30センチを超えていると話題になったな。 ダルはタバコ吸っていても成長していたんだな。
タバコ吸うと、成長が止まると言われていたもんだが。 >>26
科学的根拠はないけど、あったねw
昭和時代の学生の会話思い出したw >>26
たぶん今もある
おじいちゃんに言われて「ふ〜ん」ってw >>21
天理の佐藤清や69年松商学園の降旗もデカかった 昨日サッカー見て初めて知ったんだが、PLの旗手選手の息子今回オリンピック日本代表入りしてたんだな
サッカー選手ということは知ってたけど、代表入りするほどの選手だとは なんか過酷な練習の書き込みあるけど
前スレの浪商、産大付の部員なりすましオヤジじゃねーだろうな >>11
精神野球にもいろいろあるけど
尾藤さんは短期集中型の精神野球を好み
刻苦忍耐型の精神野球は否定してた
ノックでも楽しく反復やって技術を磨くノックと
緊張感に打ち勝つノックとを使い分けてたしね そうえいば春頃に、所用で浪商へ行って、ついでにグランドへ向かって
ライトフェンスあたりの遠くからから練習見てたんだけど、
こりゃあ大阪桐蔭より明らかに強いぞ。今年は期待できる!
と、思ったら、練習してたのは大体大野球部でした。
ざんねん >>23
ジャンボ仲根の方が古い
日大桜丘はもう野球部無いんかな? 拓大紅陵の小枝さんとかはどんな指導だったんかな?
甲子園のベンチでは温厚そうに見えたけど。
86年、88年の選手権はたしか優勝候補だったが、普段から印象通りの人柄ならあの時代にあんな強いチ−ムを立て続けに作れる訳ないしな。 >>37
赤坂の呉服屋のボンボンやったしどうなんやろね?
木内監督も尾藤監督もええしの子やったな。 甲子園初出場の鹿島学園の監督って日大藤沢で選抜優勝の観音寺中央に勝ってPLに負けた時の人なんですね >>40
鈴木博識監督ですね。
栃木小山高校が初出場した際選手やった人。
小山高校時代元PL学園中村順司監督の嫁はんと同級生だったようです。 昔はノッポ(身長190以上)の投手は大成しないって言う都市伝説みたいなものがあった。
でも、背の高い運動神経の良い子って、そもそもバレーやバスケ、水泳など他の競技してたよな。
あれは迷信に近いものがあった。 鈴木監督は日大の監督時代、長野を強行指名した日本ハムに対し、めちゃくちゃ怒っていた印象が強い。
それまでは、日大藤沢時代に観音寺中央を倒したイメージで、尾形の恩師として覚えていたが、がらりと変わったね。 >>43
野球に憑かれた男って本を見てると金で苦労したっぽいからなぁ 青森県民の俺には青森商の監督時代に春の東北大会優勝したイメージが大きい 鈴木監督の自伝本買って読んだけど結構面白かった記憶ある
20数年前で今ほど高校野球の監督本が乱発してなかった時代 >>45
その時はたしか夏は1回戦負けではなかったかな? ギリ参加できるスレ
最古の記憶は東洋姫路と池田の雨中試合
物凄い豪雨の上ナイターという最悪のコンディション実況もボールが見えなくて選手の動きで適当言ってた
今の時代なら何言われるんだろうかね 元東北高校の監督でダルビッシュなどを育てた若生さん、今朝亡くなられたようです。 最近、東北は甲子園に出られないだけでなく、プロ入りする選手も少なくなったね。
2011年のエース・上村あたりはプロに行けるのかと思っていたが、行けなかった。
片や、仙台育英はプロにもどんどん入るし、東京の有名大学に進学する選手も多いから、ますます差がつくね。 上村と言えば夏の大会前練習中にポロポロする1個下の捕手呼んで
マスク越しだがグラブで顔引っ叩いて喝入れてたな
NHKニュースだったが今なら炎上するだろう 俺の最古の記憶は、豊浦のアンダーハンド三好がジャンボ宮城のY校にボコられた試合や。
あと、高知商業中西が広陵の変則投法渡辺に投げかった試合。
諌早が広陵に負けた試合もまだ脳裏にある。
仙台育英と高松商業延長17回の死闘もうっすら記憶にある。いつまで続くんだ、って子供心ながらはらはらしながら観てたな。
今まだ記憶にあるんだから、上記の記憶はもう死ぬまで脳内にあるんだろうな。 俺の記憶にある最古の試合は、「奇跡のPL」の準決勝、決勝の二試合だな。
どちらの試合も9回にPLが追い付くところからの記憶しかないけど。
ただ、高知商のユニが洗わずにどろどろだったことを憶えているので、決勝はたぶん9回以前も観ていたはず。 1977年夏の東洋大姫路対東邦が記憶のなかで一番古い甲子園の試合
ゲンを担いで洗わずに真っ黒になったユニフォームの東洋大姫路
対照的に純白のユニフォームの東邦
クライマックスの安井と坂本の対決は未だに忘れられない
余談だが翌78年夏に日大二が49校目の登場で
1回戦勝者のなかから東筑との対戦が決まったとき
「東筑かぁ、ヨッシャー」みたいなことを言って喜ぶ選手たちの映像が印象に残ってる
そしてこういうときは負けるもんだという世の常も知った >>54
「東筑かぁ、ヨッシャー」
その動画教史201のチャンネルにアップされてまっせ 新居浜商業の髭の竹場見て高校野球はおっさんのスポーツと思った。 浦和学院の森士監督も今夏で退任なんだな。
埼玉はこれで徳栄の天下だ。 俺の最古の記憶は昭和50年決勝
習志野対新居浜商業 >>55
ありがとう
まさにあの映像だったが
試合後に地下通路で両キャプテンが言葉交わした場面は初見
しかしいいシーン盛りだくさんで懐かしすぎた >>54
そういえば東洋大姫路が優勝した翌日か数日後
日テレ「ごちそうさま」でシメジを使った料理を紹介したか何かのとき
司会の高島忠夫が「東洋大シメジの皆さんはさぞ喜んでらっしゃるでしょう」
のようなダジャレ言ってたのも覚えてる >>60
どこまで本当か知らんけど、当然その駄洒落受けなかったやろ? >>61
寿美花代やゲストの反応まではさすがに覚えてないw 高知高校負けてしまったな
森木甲子園で見てみたかったな
個人的には怪物投手が3年夏に満を持して甲子園に初見参するのを見るのが好きだから、是非とも出てほしかったが
それまで謎に包まれてた選手が一気に甲子園でヴェールを脱ぐ感じがしてワクワクする
今の時代はYouTubeとかで簡単に地方の選手も見ることができるからそうでもないかもしれないが >>48
俺の最古の記憶は81年熊谷商ー下関商のバカ試合と広商が新発田農業に延長で負けたこと。 >>64
乱打戦の末のサヨナラ暴投ね
サヨナラ暴投で思い出すのは79年選抜PLー浪商で阿部が演じたサヨナラ暴投
ショート阿部を今大会初登板させるという鶴岡監督の奇策失敗 >>65
PL-箕島な。
前年の夏、「奇跡のPL」をみて高校野球ファンになった小学生の俺は、
逆にPLが9回裏に追いつかれ、延長でサヨナラ負けしたことが衝撃的だった。
ただ、この年の夏、箕島が前年のPLと同等以上の奇跡的な試合をしたので、ああ、箕島にならPLがやられても仕方なかったんだな、と思った。
それにしても、この頃は本当に名勝負が多かったね。
夏の甲子園で優勝するような高校は、そこに至るまでに何度か劇的な勝ち方をしているのが当たり前だった。
大阪桐蔭みたいに、圧倒的な力で対戦校を屈服させ続けて優勝、という感じの優勝校はなかったように思う。 >>66
熱闘甲子園は長島三奈がキャスターになってから
ダメになったと思う、古田就任以降は少し持ち直した
感じ 自分は何故か地味に強い、山口のチームが好きだったなあ。定岡の鹿実とドラマを演じた防府商、柳井、KKのPLと好勝負を演じた宇部商。皆準優勝に終わったが充分過ぎる脇役であった。 昭和58年選手権 中京 池田戦を中学生だったわしは
中京高校まで深夜けったマシンで行き、甲子園に行った
あの芝生のグリーンと紀藤のダイビングキャッチ
橋のホームランは今も脳裏に焼き付いている >>70
開門前から異様な雰囲気だったな。
8時開始の第一試合では、いまだに破られていない史上最高の観客数だったな。 >>69
宇部商業、すっかり甲子園ご無沙汰になったな。
玉国監督、もう変わられてるんかな? >>69
山口の学校って、準優勝が多かったね。池永が2年生の時の下関商も夏は準優勝だった。
池永も春は優勝したけど、夏の決勝では春の一回戦で完勝した明星にリベンジされたし、
山口って、本当に名脇役って感じだね。
柳井が優勝した時も主役は、村椿の魚津との死闘を勝ち上がった準優勝校、板東の徳島商だった。 >>71
未だに破られてないっていうか、今は甲子園最大で45000だから、破りようがない
ちなみに史上最速の満員通知は100回大会の準々決勝の午前5時40分
開門もしてないうちから満員通知はこの日が唯一のはず
土曜日ということもあって前日夕方から大行列だった
開門前の混雑具合でいうと100回大会が歴史上ダントツだった >>5
広島商の日本刀の刃渡りはよく聞くけど、あれ本当にやってたんかな?
いつだったか」実況のアナが「広島商の日本刀の刃渡りは、刃の上を歩くだけでなく
刃を首筋に当ててスッと引いたりもやってるそうです」とか言ってたのが記憶にあるが。 >>76
首筋とか言うのは完全なデマ。真剣の刃渡りは回りを土で盛り固めた何本か並べた刀の刃の上を
腹式呼吸をして精神統一した状態で乗っかって渡るというもので、これは実際に行われていた。
だから昔の広商の選手はプレッシャーに強かった。 >>79
プロはそうだけど、高校野球の場合は45000だよ
何で2000引くのか分からんが、数年前から満員でも45000発表のはず >>76
82年のときに広商の選手が、
今年は県大会から甲子園まで時間がなかったから真剣刃渡りがなくてほっとした、
と言っていた。(甲子園の星の記事)
だからその前年とかまではやってるんじゃないかな >>66
スポンサー交代が機になったかな・・
それでも97まではまだ見てたが。
申し訳ないけど美奈さん以降は
趣向が完全に変わってしまった。
中村哲夫ANが淡々も暖かく伝えていたころが懐かしい。 このスレ新参にとっての一番古い記憶
60回記念の選手権かな。
決勝もだけど高松商ー仙台育英
豊見城ー岡山東あたりもうっすらと記憶残ってる 日川のユニとか記憶ある。
アンダーシャツが白じゃなかったか? >>84
日川は白だったね。
常連のラグビーは、エンジと黒のいわゆる早稲田カラー。 >>81
つまり、少なくとも桑原さんの時まではやっていた、と。 当時NHKで日川のドキュメントやってたな
年配の多分部長がホテルで「相手PLでしょ?勝つ自信ないなぁ。
こんなの監督に聞かれたらぶっ飛ばされちゃうかな、放送は試合後でしょ?」でレポーターウケてた
プロ入った石川がいたからそこそこ試合になってたけど 80年代の熱闘甲子園は、その日一番のハイライトシ−ンがオ−プニング場面に採用されてて、迫力あってほんと面白かった!
特に記憶に残ってるのが1987年の年だな。
大会初日…
群馬中央 中嶋右中間突破のスリ−べ−スヒット
二日目…
徳山の投手 甲子園には魔物がいます。 >>83
78岡山東商か 当時はピーチイエローのユニだったね >>88
エンディングは81年夏報徳vs早実の金村がサヨナラのホームインする場面がしばらくの間使われて。 モザイクに佐賀工業のホ−ムスチールと
松商学園のチアが映ってたん覚えてる。 荒木大輔鼻つまむーってのを、ぎゃーぎゃーうるせーなーって覚えがあるな 77年の選手権で智弁学園の山口哲治、その年の選抜で子供心に凄いピッチャーだな〜と思った一回戦川口工も全く手が出ず、その智弁が全く手がでなかっなのがメガネのピッチャー三谷をようする今治西、上には上がいるなと思ったもの。 熱闘甲子園はやはり80年代がよかったな。
アップ映像を多用するようになって本当にダメになった。
あんなのは、単なる制作者の自己満足。
音楽も毎年同じやつでよかった。
そう考えると、軽々しく放送内容を変更しないNHKは、硬直しているようで、伝統に対するリスペクトが感じられるね。 >>66
昭和61年までがよかったな。
植草貞夫アナウンサー、中村哲夫アナウンサーまで。
スポンサーは松下電器
昭和62年スポンサーがコカコーラ、江森ようこうになって安っぽくなった。 >>71
そのころの甲子園球場の周りには露店が立ち並び・・・
昭和59年以前の熱闘甲子園をYouTubeで見るとちょいちょいその懐かしい風景が映し出されている >>96
江森陽弘は高校生が相手にしても、上から目線が酷すぎたな。 >>91
昭和60年のモザイクは前年活躍した金足農やった >>98
年末の想い出甲子園ですかね?
不快に思いました >>90
熱闘甲子園のオープニングとエンディングは前年の試合から使われてた。ちなみにS57の松下電気のところは銚子西の投手でしたね。 >>96
俺的には、62年の熱闘甲子園は全然OKの範囲だな。 以下について死ぬまでに関係箇所へ物申したい。
・開会式宣言を甲高い声のおっさんに戻せ
・高校野球期間中だけラッキーゾ−ンを付けろ
・金属バットの音をカキ〜んっていう音のバットに戻せ
・延長は18回に戻せ
・ワイプコマ−シャルを復活させ
・実況を植草さんにしろ
・8月8日開催、14日間の日程に戻せ
・カチ割りの氷をもっと普及させ
・毎回抽選に戻せ
・スコアボ−ドを手書きに戻せ
・熱闘甲子園のオ−プニングだけでも80年代に戻せ 夏も32校にしろ
東関東 千葉、茨城
北関東 群馬、栃木
西関東 埼玉、山梨
こんな感じ 熱闘甲子園のオープニング、プレシャスサマーが一番好きなんだけど やっぱり木製バットがいい。
大味な野球でなく緻密な野球は木製バットならでは。 代表校24校くらいでいいよ。
序でに、台湾、朝鮮、満州の代表校も出場してくれ。 >>104
夏の甲子園、いまは東京と北海道は初戦で対戦しないようになってるが、
昔は二県で代表争ってた時代があったわけだけど、記念大会、2007年以降で
〇○大会が、甲子園初戦であったことありますか? >>108
2007年以降なら、いつやったか忘れたが立正大淞南1−0華陵ってのがあったな。
サヨナラホームランで試合が決まったから憶えてる。
1974年まで島根は山口と西中国大会で代表を争ってた。 >>105
平成2年頃やんね?
スマンがワシらの周りでは評判悪かった。 >>110
ありがとうございます・・。
思うのだが、なんで東京と北海道は初戦での対戦がないのか。
昭和52年夏の「桜美林-早実」、あれはあれで盛り上がったと思うのだが。。。 >>107
賛成、嘉義農林や大連実業、京城商業を甲子園で見たい! さて、代表校も出そろいつつあるが、
50歳以上のおっさんが嫌いな「新興」私学は、
今回は意外に少ないか?
ただ、新興私学の中では智弁和歌山だけは、
50歳以上のおっさんの伝説校の箕島を押しのけて出てきたが、
50歳以上のおっさんにも人気がある。
これは不思議な現象。 >>103
初戦東西対決に戻してもらいたいな、初戦の同地区対決はやっぱり見てて萎える。
初戦東西対決を廃止したのは2005年頃だったか、北信越(新潟、長野、富山、石川、福井)だけが、
地区内が東西に分かれてしまい、初戦で富山vs石川の対決があって不平等ってクレームが日本高野連に
数多く寄せられた為でもあるんだが。
修正案として北信越5県は同じ東ブロックに回し、北海道の2校は西ブロックに組み込む。
これで西25校、東24校でバランスが取れる。
初戦の東西対決、是非復活させて欲しい。 >>111
平成3年と4年やね
夏らしさがあって今でも好き
あと佐賀商が優勝した平成6年のTUBEの歌 >>116
分かる
初戦東西対決は戻してほしい
地域対抗戦感が出て面白かったのに >>115
和歌山みたいな参加校の少ない県で、
本命倒れて21世紀枠みたいな公立が
出てきたら、それはそれで面白くない
わな。
おっさん連中の感覚ってそんな感じじゃ
ないの?
もう一つの理由としては、和歌山の方も
80年代〜90年代にたまに出てたやろ?
そんなに新興私学って感じはしないので
はないかな? >>104
夏32校なら、72年までの30代表に東京が東西2校と千葉・埼玉が単独代表となるだろうね まあ一口に50歳以上のおっさんといっても、本日50歳になった人と明日還暦を迎える人とでは大分感覚が違うわね。 自分はプレシャスサマーは良かったなー。
浜田麻里では一番かも。
あと、所さんのコーラのcm 夏男、夏女。 >>120
それなら30校ぐらいにして前年の決勝に出た地区は2回戦からとかがいいかもしれませんね
今の初戦で惨敗するとボロカス言われるのがどうも解せないので、、隣地区を撃破したのであれば胸を張って帰ってこられるのが大きいですね 甲子園をかけた地区大会決勝も面白くて好きなのですが、その中で名勝負とは言え
ないけど記憶に残っている地区大会の決勝が1978年の神奈川大会決勝、横浜対横浜商。
初めて見た人工芝球場での高校野球の試合でした。横浜商の大型左腕中島投手(元巨人)
のスピードボールに押されて横浜打線の打球は詰まったあたりが多いんですが、意外と
打球の速度が落ちずに内野手の間を抜けていくシーンが多々有りました。地元の土の球
場の試合を見慣れた目には異様な感じがしました。横浜商打線は翌年のチームに勝ると
も劣らぬパワフルな打線で不調な愛甲から打った打球は速いものが多く、人工芝の効
果は見られなかったです。
人工芝にはプロでも慣れるのは大変だったそうで、長嶋茂雄さんが巨人での1976年
の前年の最下位からの優勝を振り返る番組で人工芝にも大いに助けられたと話していま
した(後楽園は1976年から人工芝化)。最近は、人工芝の球場が増えて関東の天然芝
球場の決勝は茨城、群馬、埼玉(昔、西武球場で決勝もあった気がする)位になってし
まいましたね。今年の神奈川は44年ぶりに保土ヶ谷でしたね。
横浜スタジアムは1986年の春の関東大会で初めて入ったけど、正直、試合を見づら
かったです。快晴だったせいか人工芝が白っぽく光って投手の投げる球が見づらいし、
バックネットからホームベースまでの距離が普通の球場の18mよりも5m長く、この点
でも見づらかったです。ファウルグランドの狭い天然芝球場の方が試合は見やすいです
ね。 >>115
打ち勝つ試合多いし、負けるときはスパッと負ける、分かりやすいチームだからかな?
もう40代以下の人は和歌山=智弁和歌山だろう
同じく愛媛も最近の若い人では済美のイメージかな? 智弁和歌山はブラバンの力も大きいかと。
どこの学校もやってる安直なアニメ曲とかをながすのではなく、
しっかり智弁のチームカラーを作っている。
50代のジジイから見ても、和歌山は基本、智弁和歌山が出て欲しい。
だけど箕島も看板を維持する程度にたまに出てほしい。 >>104
32校だとこうなるだろうな
奥羽(青森 秋田)
東北(宮城 山形)
北関東(栃木 群馬)
西関東(埼玉 山梨)
東京(東東京 西東京)
三岐(岐阜 三重)
北陸(富山 石川)
福滋(福井 滋賀)
紀和(奈良 和歌山)
山陰(鳥取 島根)
北四国(香川 愛媛)
南四国(徳島 高知)
西九州(佐賀 長崎)
中九州(熊本 大分)
南九州(宮崎 沖縄) 選手権大会は49のままで良い。
神奈川や埼玉千葉大阪兵庫愛知福岡など参加校の多い都道府県を2校にして、寧ろ増やしても良い。
その分センバツを止めたらよい。
そもそもセンバツって必要か? >>128
センバツは要らないね、選手権だけで十分。
学生の本分は勉学であり課外活動はそんなに増やすべきものではない
出来れば夏の選手権の会場も甲子園ではなく、冷涼のところでの複数の球場が望ましい、開催期間を短縮出来るから。 1985年夏は県大会決勝で、甲子園で見てみたかったチームがドタドタと負けたな。
本橋の広陵、江坂の平安、黒子の西条、小林昭・河田の帝京、渡辺の伊野商。
伊野商を破った高知商には中山がいたし、帝京を破った関東一も甲子園で活躍したが。
本橋の広陵では、下位打線ながら2年生のアニキ金本がレギュラーで出ていて、
この時に広陵が甲子園に出ていたら、その後の金本の野球人生が変わったかもしれない。 >>130
広陵は本原ね。県工の上田に抑えられた。平安は隻腕監督の西村さんが監督だったがノーマークの花園にまさかの逆転負け。
西条の黒子は準決勝で松山商の酒井に投げ勝って甲子園確実と思われたが、やはりノーマークの川之江にまさかの敗退。
帝京は打倒帝京に燃えた関東一に小林が終盤打ち込まれて大差で敗退。この時の関東一の監督が現在日大三高の監督の小倉監督。
伊野商は後に渡辺の話で選抜優勝で何か燃え尽き症候群気味になっていたらしい。 社会人野球みたいにすればいい。
春は代表校単独の大会。
夏は都道府県対抗にして、予選で負けたチームから補強選手5、6人加える。
投手が揃って、連戦可能になるし、ドラフトにかかりそうな、みんなが見たい選手が勢揃いするし、面白くなるぞ。 ↑ 昔は知らないけど、
今の都市対抗野球の補強選手は三人らしい? >>127
紀和は超難関地区になりそうだ
1977年紀和地区同居は選抜優勝の箕島、ベスト4の智弁学園、ベスト8の天理が同居する激戦区だった。しかも剛腕木下(巨人ドラフト2位)、強打の西岡洋(西武で活躍)を要する田辺高校もいたし >>130
西村監督は義手ながら、ノックがメチャクチャ上手い人だった。
平安はこの時期、監督が2〜3年置きに代わる不安定な時代で、高齢の西村監督が30年ぶりに就任という人材難だった。
翌年勝山監督退任で、京都商業は以降甲子園出場がなくなり、北嵯峨と京都西が台頭し、平安も突発的には強くなっても古豪復活はまだ当分先だった。 >>133
毎年決勝が、
大阪 対 神奈川 になるやん。 >>131
そうだ、関東一の監督は小倉さんだったね。
今思うと、あの関東一の勝利は必然だったかもね。
小倉さんは、今ではすっかり「日大三の名監督」というイメージになったけど、
80年代は関東一の監督として、東京に新しい強力チームを誕生させたイメージが強かった。
その実績を買われ、母校日大三の監督に就任し、さらなる実績を積み重ねたんだったね。 智弁和歌山が人気にされてるけど主観で決めつけてほしくないなあ。
少数精鋭によるエリート臭は新興嫌いのオッサンには駄目でしょうよ。 >>130
その年なら日大三が鳥取西に負けた時やね。
どうせなら元祖都立の星・東大和に行かせたかったよ。 >>139
出ると負け時代は応援していたが今じゃ勝ちすぎて好かんな。 >>138
月刊高校野球だかの決算号で東東京と西東京のレベル格差について書かれていたな。
春夏通じて初出場の東東京代表関東一と優勝経験もある古豪西東京代表日大三との対比 >>103
スパイクも黒がいいな
白スパイクはアップシューズ履いてるみたいでダサいわ
簡単に高校野球の伝統を覆すなや 大阪大会準決勝で興國が履正社を延長14回タイブレークで下して決勝へ。
かつての私学7強に名を連ね1968年には全国制覇の古豪が現在の2強の一角を崩して。
最後の甲子園は1975年夏、それ以来46年ぶりの復活を期待するのはここの住民にもいるかと。 興国対北陽の決勝となれば その46年ぶり大阪大会決勝カードの再現やな
岡田が最後の夏の時やな >>140
当時の日大三の監督は二松学舎大附を甲子園へ導き選抜準優勝させた青木監督だった
日大三高のOBは他校へ行くと指導者として活躍するジンクスがあって、小倉さん、青木さん、日大三高の監督を解任後に拓大紅陵の監督になった小枝さんがそうだね >>135
その田辺が和歌山県大会の決勝で選抜優勝の箕島を倒して紀和大会に行ったんだよね。もっとも箕島はこの年地元有田市がコレラに見舞われ
十分な練習が出来なかったらしいので気の毒ではあった。奈良は山口哲治の擁する智弁と鈴木康友擁する天理の一騎討ちだったが、
山口が天理を完封して智弁が勝った。紀和大会は山口が木下に投げ勝って優勝したんだけど、夏の紀和大会は圧倒的に奈良の方が強く
和歌山勢はなかなか勝てなかった。 >>138
小倉監督が関東一に赴任してあと一歩の所で甲子園という時に、ことごとく帝京に阻まれてたんだよね。
また85年は春の都大会で帝京に大敗したんだけど、その時ヒットを打った帝京の選手が関東一の選手を相当挑発したらしく、
この行為が小倉監督や選手に火をつけてしまったらしい。日本シリーズの近鉄の加藤の発言に奮起した巨人みたいな感じだったかとw
やはり余計なことはしない方が良いね。 おっさん高校野球マニアらしい濃いコメントが続いていて、面白かった。
このスレにくると、本当に癒されるわ。 今、バーチャルで西東京大会見てるけど、
東京は準決勝から東京ドームなんだ。
明らかに昔より真夏の猛暑は異常。
そのうち死者が出る危惧がある。
もうこれからは高校生の身体のためにも
ドーム開催を考えた方が良い。 >>132
違う。
投手の酷使問題とか言われ初めて久しいから、それならセンバツ止めて、5〜6月頃からゆっくり間隔開けて夏の予選を始めれば投手陣の層の薄い公立も不利にならないし、良いと思っただけ。
参加校の少ない県はリ−グ戦の勝率で優勝校決めても面白い。
ただ初戦で負けると、3年生は6月で引退になってしまうから、それだけはちょっと可愛そうだな。 まぁ実現しないだろうけど各種スポーツではIHともう一つ大きい大会あるのに
高校野球だけ夏の選手権のみなんてモチベ保てないわ >>150
甲子園もドームにすれば、
雨で中止もなくなるし、日程もくみやすくなって、
本当は良いんだよな。
おっと、そんなことを書き込んでいる間に、
興国が決勝進出か。
北陽も大阪桐蔭相手に食らいついてる。 高校時代よく他部の奴等から高校野球だけ優遇されやがってって嫌味言われたけど、一緒にやろうぜ、丸坊主で!って誘ってても誰も野球部に来なかったな。 >>153
興国の校歌初めて聞いたけどカッコ良かった
ちょっと右寄りの歌詞だったけど >>155
興国高校校歌
東にのびて大阪や 都の栄え
西に開けて はるばると
世界に続く 武庫の浦
その広けきに 競はんと
御国のために 我等が果たす新使命
進取の精神 いざいざ共に
興国高校 名にこそ負えや >>145
46年前の再現はならなかった・・・
北陽も大阪桐蔭相手に食らい付いて一度は勝ち越して9回1死まではリードしてたのが、そこで同点弾が飛びだすのはさすが大阪桐蔭と。 大阪桐蔭の接戦でのしぶとさは異常
2000年代は大型チームを引っさげてはコロっと負ける事がしばしばあったけど、ここ最近はとにかくしぶとい
2018年選抜の三重戦、2018年選手権大阪大会の履正社戦、今日の北陽戦と、全部9回で追い付いた
反面少し点差が開いてビハインドになると試合を投げたかのような選手起用をし始めるのも特徴 >>155
寺田町駅に近いせいかあっちの人も多いよ >>115
智弁和歌山は偏差値では県内トップの人気校で、
上流県民の子女は智弁和歌山(または近大和歌山)へ行くことが多い。
中学から行くのも多い。
もともと野球好きな県民性もあって子どもが智弁行ってたら(野球部じゃなくても)
親も智弁を応援する。
親自身は桐蔭・向陽のOBであってもだ。
そんなんで智弁和歌山は2000年代以降は確固たる人気を得た。
なお、これは県内だけのことだが、県内人気が県外にも広まってるのかな? >>159
>少し点差が開いてビハインドになると試合を投げたかのような選手起用をし始めるのも特徴
大阪桐蔭クラスになるとベンチ外でも当たり前のように野球を続けるそうだから、
勝負より選手の進学・就職活動を優先させるんだと思う。 >>162
それが顕著に表れてるのが春季大会の選手起用
それまでベンチ外だった選手をベンチ入りメンバーにしてあげたりして、進学しやすいような環境を作ってあげる配慮もある
あと全国でも屈指の上級生優先起用
同じ実力なら上級生を使うと言ってる
そこら辺は下級生をバンバンスタメン起用する横浜と対照的
PLも上級生優先起用だったから、大阪は割りと保守的なのかな 野球部で名前を売って生徒を集めて、進学コ−ス作って、そのうち学業優秀な子が入ってきて、進学実績も作って…
スポーツクラスの子らまで賢く思われ、無知な人間は甲子園出てきた選手に対してまで文武両道と勘違いしているケ−スが多い。
正直、私立の経営戦略は好きじゃない。
本当の文武両道、頭も身体も本物なのって、
公立なら滋賀県の彦根東ぐらいじゃないか?
あと、数年前に出た札幌南とかな。
慶應や東筑、川越東なんかも選手が文武両道って聞くけど実際どうなんだろう?
福岡大大濠、静岡、はスポーツコ−スがあると聞いたが。 >>162
大阪桐蔭は控え、ベンチ外の3年生部員でも中学時代は出身地区の怪物、怪童と呼ばれた選手がズラリ。
西谷監督は『全ての選手を試合には出せないけど、全ての選手を上手くすることはできる。』と全部員の高校野球が終わってからの進路開拓にも力を入れてるので、それがメンバー選出、選手起用にも。 >>164
知らんがな
お前の好き嫌いはどうでもいい >>164
和歌山の桐蔭、向陽はガチの文武両道
入試でゲタも履かしてくれない 小倉は通知表で5段階の3以下が2つ以上あると、その時点でアウト。
裁量枠はあるけど、ある程度優秀じゃないと無理。
成績が極めて優秀な選手は敢えて一般で受験させて、その分裁量枠を空けるという事をやってる。 >>164
慶應なんて2005年センバツの頃から枠があったの有名
じゃないと神奈川であんな成績残せるわけないじゃんw
純粋に文武両道で強かったのは95年、あと一歩で甲子園だった(2年に西武に入った佐藤友亮がいた)
彦根東、東筑、米子東あたりは今も特別枠はないだろ
たしか17年夏に出た東筑の子が宅浪して東大入った 和歌山桐蔭と言えばこの人だな
ご冥福をお祈りします
「国士」野球人の悲報 元甲子園球児、京大主将、外務省総務課長・和田幸浩さんを悼む
京大野球部時代は1年秋のシーズン(1988年)、三塁手として関西学生野球リーグのベストナインに輝いている。同学年、同じ三塁手には後に日本ハム、阪神で活躍する片岡篤史(当時・同志社大=現・本紙評論家)がいた。4年時は主将、4番打者を務めた。
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/01/10/kiji/20210110s00001000267000c.html >>169
それを言い出したら邪道こと静岡高校の裁量枠だって似たようなもので、ある程度の成績は必要
しかも枠の数も十分ではなく、一般枠で入る選手がメンバー入りすることもある
数年前選抜出場メンバーだった子が浪人して東大に入っている
静岡高校が甲子園へ行けるのはレベルの高い浜松磐田等の西部地区の野球エリートの中学生で成績のいい選手を入れているから >>169
前のどこかのスレで見たけど、小倉高校ってOB会が設立した小倉卒業生専用の
予備校があるんだろ?
その予備校があるおかげで、ある程度野球部員が安心して野球に打ち込めるとか
聞いたことあるけどな。 早実も荒木大輔以後、一時期、勉強ができないと入学できなくなり、弱くなったな。
1988年選抜で久しぶりに甲子園に出た時、2番手投手は一度都立高校に入りながら、1年遅れで早実に入学していた。
「一度は都立に入ったけど、やはり甲子園を狙える学校で野球がやりたくなり、早実なら早大に行けるため、1年遅れで入学する選手も多いと聞いて、早実に入り直しました」と言っていた。 >>171
この代の桐蔭は司法試験に受かった人もいたな。
司法試験に受かった時、桐蔭高校時代に甲子園に出た元球児と紹介されていた。 きょうの試合でも大阪桐蔭の「凄さ」をあらためて感じる。勝利への執念
後攻をとって間違って接戦にもちこまれても万全 タイブレークまで
いったら先攻チームは断然不利、勝利への執念という点では以前の横浜に似ている
ここは選手は小倉さんの指示待ちって点で桐蔭とは少し相違点があるが >>177
50歳以上に大阪桐蔭は嫌味
そこは、PLとか私学7強でしょ この文で何でいきなりPLとか私学7強が出てくるんだ?
会話のできないオヤジ多いな >>180
お前の前頭葉が小さくなってるだけや
!この共産党員
日本共産党
入党のよびかけ
https://www.jcp.or.jp/web_jcp/toin.html
毎月、党費をおさめることは、党員としての自覚の証であり、清潔な党の財政を支えています。党費額は「実収入の1%」で、給与所得者、年金受給者は、総収入から所得税、住民税をさし引いた額の1%です。
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「しんぶん赤旗」、とくに、日刊紙を読むことは、党員として希望をもって生きていく力の源です。日刊紙は、政治・社会の真実、日本共産党の政策と活動を毎日報じています。
日刊紙は月3497円(税込)です。家計が苦しくても、支部で相談して購読できるようにしましょう。
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PLは私学7強に含まれるんじゃなかったっけ?
おれの認識では、7強は浪商、興国、大鉄、明星、近大付、北陽、PLだったはず。 83年の池田って、ほとんどが徳島県内の選手だったのか?
田舎の公立校にあれだけのメンバーが揃ってるのは不自然。。。 大阪・明星は昭和47年夏が最後の甲子園だったけど
かなり強かったし、最後のチャンスだった。
優勝した津久見に準々決勝で0−1のサヨナラ負け。
その後、進学校化してもう甲子園は厳しいだろうね。 あんときの明星のエースは辻内くんだったな
津久見は水江くん
吉近と中川の3,4番は破壊力満点じゃった 大阪10商
浪華商ー大体浪商、明星商ー明星、興国商ー興国、京阪商ー芦間、日新商ー日新、
福島商ー履正社、北陽商ー関大北陽、此花商ー大阪階成、初芝商ー近大初芝、甲種商ー関大一 >>167
学科試験で95%とれば受かるよ。内申関係ない 大阪はもともと、公立王国だったね。
戦前から戦後のある時期まで甲子園に出てくるのは市岡、八尾、北野、岸和田、寝屋川など、公立ばかり。
浪華商だけが私立では唯一、甲子園に出てきていた。
それが昭和30年代の後半から一気に私立優勢へと逆転したね。 >>183
池田は県外から入学する選手はいなかったけど、県内各地から選手が集まっていたね。
たとえば水野は阿南市出身。
畠山もどこだか忘れたけど、学校所在地の三好郡内の中学出身ではないよね。
蔦さんも県の教員なのに、他に異動することなくずっと池田の教員であり監督だったし、
おそらく徳島の県立高は色々融通が利くんだと思う。
そしてだからこそ、私立がなかなか甲子園に出られない。 >>190
畠山さんは小松島やね。
学区無しの県内一区やったような >>184
岡田彰布は明星中等部出身。
中学3年の時に明星が甲子園出場。
普通ならそのままエスカレーターで高校に上がるはずなのが、高等部が野球部強化を止めることになって北陽に進路を変更。
内部にいたから学校側が野球に力を入れるのを止める方針が分かって? >>191
徳島県はこの頃から全県学区制やったんやな。
言わば、オ−ル徳島ってところか。 >>189
PLが初登場してから私立中心に変わった
大阪桐蔭が初登場で完全に私立だけになった >>185
72津久見は小嶋監督の評価が辛口だった
打力はついてきたが、投手がまだまだと言っていた
前年は橘、その前の年は浜浦と超高校級の投手を擁していたからしかたない
水江投手が一世一代の好投を見せたのが明星戦
高卒即プロ入りするような投手ではなかったと思う >>196
あんさん詳しおすなあ
津久見関係者ですか? >>184
その後、昭和50年に興国、52年に大鉄が最後の出場になっている。
興国は敗れた日南戦が夏の甲子園初黒星。
大鉄は夏初勝利を記録しベスト4に勝ち上がった。
また、昭和54年は浪商最後の夏になっている。 >>195
今のところ最後の夏の公立優勝が90年渋谷
翌91春夏が大阪桐蔭の甲子園初陣だな
そして91夏準決勝で大阪桐蔭が渋谷に勝ってる >>184
明星は中等部が野球の強豪やったからね
引退した中三秋から高等部の練習に参加してた 大阪の私学7強の中で明星だけ見たことがない。興国みたいに元プロの選手を呼んで野球部を強化するということはないのかな?
ただ今は甲子園に出れなくてもバーチャルで見られるから良いな。最悪はバーチャルで我慢しよう。 長崎海星が甲子園出場時には兄弟校やから明星も吹奏楽部の応援を出すんだよな
甲子園で海星対明星の兄弟校対決もあった >>196
もともと72津久見は前年夏のレギュラーが4番吉近ひとりで他には捕手足立だけがベンチ入り、新チーム結成直後は練習試合の成績も悪かった。
ただ、当時は津久見高校の全盛時代、素質のある選手が多く中川三兄弟の長男中川やエース水江が台頭し、秋の県大会の時点ではライバル大分商と対等に戦えるようにはなっていた
夏の県大会も大分商との2強とはいえ、九州屈指の好投手得能を擁する大分商が一番手と見られていた
決勝戦で大分商を接戦の末下して甲子園を決めたとき小嶋監督は大分商に勝つことだけを考えてきたので甲子園のことは今後考えていい試合をしたいと発言している。 >>164
甲子園実績のある純粋な秀才校は、なんと言っても膳所高でしょ。
彦根東より偏差値上。 大阪はPLが昭和51年夏に準優勝して以来、凄まじい勢いで甲子園で勝ちまくるようになり、勢力図が変わったね。
昭和62年の春夏連覇の頃までは、大阪といえばPLで、合間合間に浪商や北陽、上宮も存在感を示したけど、PLの存在が突出した感じになっていた。
桑田の早稲田辞退問題がなければ、PLの時代はまだまだ続いていたかもね。 >>205
この中で北陽だけは甲子園であまり勝ち進めなかった。 >>169
学力微妙なわりに通知表の基準滅茶苦茶きついな 浪商は怪童尾崎を擁して宿敵法政二を倒して優勝したあと、夏の甲子園出場は
18年後の牛島、香川の登場まで無かったのは何で?
明星は優勝した63年から72年まで10年間で5回出場しているんだけど >>208
不祥事で出場辞退に追い込まれることが続いたからでは?
倉吉北もそうだけど、そういうことがあると選手が集まらなくなり、弱体化する。
牛島によると、高校は天理に行こうとしていたけど、浪商のOBたちが「君と付属中の香川、山本の3人で浪商を再び強くしたいんだ」と口説かれ、浪商に進路変更したとか。
ちなみに、中学時代からスターだった付属中の香川は、PLに行こうとしていたらしいね。
それも当時の浪商が弱体化していたことを示すエピソードだね。 >>206
北陽は昭和55年に春夏連続出場した時には、江川の全国デビュー戦で引き立て役になった時と同じく、
春は帝京・伊東、夏は早実・荒木と初戦で当たり、いずれも完封されて引き立て役になったね。
その翌年夏、選抜王者のPLをさしおいて甲子園に出てきた時には、「北陽って大阪では強いんだな!」と子供心に思ったが、
この時は二番手投手だった高木の奮闘もあり、存在感は示せたね。 牛島って珍しい苗字だから浪商の牛島が有名になりだしたころ
当時の戦中派世代は沖縄戦の司令官牛島満思い出してたのかな 岡田、香川、山本、牛島なんて大阪準硬式が全盛の時代 当時の大阪代表はPLや浪商といった力のあるごついチームが甲子園に出ていたが
センバツで三国丘が出たときはきゃしゃな体つきがほとんどの秀才学校だったので
新鮮だった記憶がある。 愛甲、牛島、藤王。
子供心に当時、凄い名前だな、と思っていたけど、この人たちがみんな普段から何かと凄かったと後で知り、感心した。 今振り返ると、桜宮、春日丘、三国丘、市岡、渋谷と昭和の終わりから平成の頭までは、
大阪からもけっこう公立校が出場していたよね。
予選では、茨木東なんかもけっこう上位に進出したりしていたしね。 組合せ発表されたが大会五日目がいつもの3試合じゃなく4試合に設定されてる
これは初めてだよな? >>215
野球以外の伝説ならば、牛島>愛甲>藤王かな。 >>217
ここのスレ民なら過去にもあったの覚えているはずだが
5日目第4試合
旭川竜谷−三刀屋(78年・点灯試合)
都城−足利学園(79年・点灯試合)
天理−新発田農(80年)
今治西−国学院久我山(81年・点灯試合) >>219
ごめん、82年頃の三回戦二日間になってからと言う意味で >>216
中村監督時代のPLって桜宮、春日丘と対戦すると競った試合ばっかりで
苦手にしてた期間があった 浪商一学年上の木村主将が「牛島は真面目にやっとったよ
巷で言われる牛島伝説はちょっと脚色され過ぎ」って語ってたけど 浪商時代に監督からの伝令に「投げてるのは俺や、黙って見とけ」発言とか
中日入団時にバリバリのリーゼントだったのが影響したんかもな 今年の地方大会決勝進出校は興国、享栄、関西学院と懐かしの学校が悉く決勝戦で散ったのが目立ったね! >>192
北陽を選んだのは早稲田進学の受験勉強をする為。
1年生時から毎日、練習後のグランド整備免除、月水金だったかは練習途中で早退させる等の約束を北陽側が認め入学を決めた。
投げて打って守って全て一流の今で言うスーパー中学生だったが明星は特別扱いは出来ないとそれらを認めなかった。 >>223
牛島いわく、「伝令の選手が監督にそのまま伝えるとは思わなかったんだよ(笑」ということらしいね。
大会後、監督は鷹揚に許してくれたが、夏の準決勝では、池田戦の9回に送りバントの指示を無視してゲッツーで万事休す、となったね。
そんな性格だからこそ、あそこまでの投手になれたんだろうね。 大阪の代表校で1年夏にレギュラーで甲子園出場したのは浪商の尾崎、高田、北陽の長崎、岡田
そしてPL学園のKKコンビが有名だけど他にも誰かいたのでしょうか? >池田戦の9回に送りバントの指示を無視してゲッツーで万事休す
試合後監督はインタビューで「強攻策は自分の判断で指示した」と語って牛島をかばった。
ええ話や。 >>184
私が田舎から夏休みに親戚の家に行って、初めて甲子園で見た試合がその時の明星・東筑戦だった。確か明星の圧勝だったと思う。
その前に試合が、水江の津久見と鹿児島商だったかなー?接戦で津久見ってかんじじゃなかったかな? >>198
あの時の日南は、寒川の岡山東商、次が興国と、優勝候補を次々撃破し赤ヘル旋風と言われたもんね。
3回戦でも広商に当たり5−1ぐらいで負けたが、あの時の活躍は素晴らしかった。
それにしても、興国はあれ以来かー・・・久々に見たかったな。 >>227
上宮の中村も元木世代のとき1年で夏出場 >>229
72年津久見は初戦で九州勢同士の鹿児島商と対戦
鹿児島商は1年生ながら下手投げの好投手堂園を擁しており、攻守もまとまる好チーム
剛の津久見、柔の鹿児島商と解説の方が言っておられた
試合は9回裏に1点リードされた津久見がトップ坂東のヒットと盗塁で二死二塁、堂園は当たっている33番中川を歩かせて4番吉近と勝負したが際どい球がボールになり四球で満塁になり、5番村越が初球を叩いてヒットして津久見が逆転サヨナラ勝ちだった >>228
あの場面はむしろ監督が「牛島、お前に任せた。ホームランを打ってこい」と言って送り出していたら良い結果が出たかもね。 >>232
ちなみに鹿児島商堂園は2年後のセンバツに甲子園へ戻ってきたが初戦で報徳学園にエラー絡みで3-4で逆転負け
2回の甲子園出場がいずれも優勝校に1点差の逆転負けという非運の投手だった >>225
岡田はもともと地元志向。早稲田に行くつもりはなかった、と聞いた。
大学も関大を受験したが、なんと関大は岡田を落として
しまったという・・・
やむなく早稲田にしたと聞いている。 >>235
2度の甲子園出場でどちらも優勝校に惜敗かあ
比叡山の村西思い出すなあ。
堂園は弟が鹿実でしたね。 >>236
確か夏に甲子園決めた時に、近畿エリアで「村西ナイスですね~ぇ」を一面にしてたスポーツ紙があった記憶がある。 >>226
>池田戦の9回に送りバントの指示を無視
無視はおそらく後から盛った話だと思う
数年前にラジオで牛島が言ってたが、同点止まりで終わって延長に入って勝ったとしても
春と同じでバテバテで決勝戦投げて優勝逃すだけ
優勝狙うならこの回に逆転狙うしかなかったと、送りバントのサインをちゃんと断って
打たしてもらったと言ってたよ >>228
あの場面で広瀬監督が強攻策に出たのは明らかにドカベン香川のせいでしょ
二塁走者が香川で三塁がフォースプレイでは送りバントの成功率はゼロに近い
監督が牛島に打ちたいか?と聞いたら打ちたいと言う、1回戦でのことも考えたら
牛島に打たせたのは少しも間違ってなかったと思う >>230
日南の赤ヘル旋風は知らない世代なんだけど、この年はプロ野球でカープが赤ヘル旋風を起こし、日南はそのカープの本拠地だった関係かな。
地元はさぞや盛り上がったろうね。 >>227
近年であれば、PLの前田健太とか、大阪桐蔭の中田とかは大阪代表チームで1年からレギュラーだったね。
あと、中村豊もたしか上宮が元木3年時の夏、甲子園に出た時に1年生ながらスタメンだったような記憶がある。
この時、上宮は他にも市原と久保が1年生ながらベンチに入っていたはず。 上尾の仁村徹はあの時牛島と
勝負するべきだったのか。 >>239
牛島の併殺打の後、6番川端が選抜の決勝と同じく最後の打者になるという貧乏籤を引いてしまった。 >>236
堂園弟も、準決勝でエース定岡が本塁突入時の負傷退場後に登板し好投したが、9回裏にセカンドランナーへの牽制球が抜けてセンター正面へ転がり、ランナー目がいったセンターがまさかのトンネルでサヨナラ負けと兄貴の悲運を引き継いだ >>225
何言ってんだよ。
あの当時の早稲田の体専なんて
工業高校や商業高校からも入学していたぞ。
デマを信じるなよ。 >>246
岡田自身が大学野球熱闘史って雑誌で
週二回練習早退して家庭教師つけて受験に備えてたって語ってるんだけど >>247
どうもです。自分は岡田の一学年上の北陽OB数人から聞いたんで間違えてない筈なんですが、雑誌で本人が言ってたのは知りませんでした。
普通に本当の話をデマだと言い切る人はどんな人なんだろう…。
上の方で関大がどうのとコメントありましたがそれは知りませんでした。
昔の事でもあり早稲田にも明星にも北陽にも迷惑がかかるような事は書き込んでないと思いますが。 昨日のオリンピックの日韓戦で韓国側が伊藤投手にロジンつけ過ぎじゃないかと
クレームを付けていたけど、1984年夏の鎮西対高崎商を思い出した。この試合でも
高崎商側が鎮西の松崎投手にロジンつけ過ぎじゃないかとクレームを付けていた。
確かに手をボールが離れるとき粉が舞っていた。テレビじゃわからなかったけど
翌日の新聞に鎮西ナインが高崎商側に試合中に暴言を吐いた等試合態度が悪くて
大会側から注意を受けたと書いてあった。このクレームが騒ぎの発端だったのかな?
更に週刊新潮でも鎮西のワル達とか批判記事を書かれてしまった。これ以降、鎮西は
春は2回甲子園に出られたけど、夏は出てないんですよね。この試合でやばい野球部だ
と評判が落ちていい選手が集まらなくなったのかも。 往年の伝統校、銚子商、熊谷商、浜松商、京都商、岡山東商など甲子園で見たい。 なんであんなに商業高校が強かったんだろう?横浜商業、高知商業、高松商業、松山商業。工業高校は熊本工業ぐらいしか思い浮かばない >>251
ラグビーは逆に工業系が強かったよな。
秋田工、熊谷工、相模台工、伏見工、佐賀工、黒沢尻工・・・ >>250
福井といえば福井商だったのが、
最近は福井商も見なくなったな。
やはり福井も敦賀気比という新興私学の時代になっている。
地方の商業高校は消えゆく運命なのかね。
寂しい限りやな。 明星が野球に力を入れないということで北陽に変更、という話も本当。
これはラジオの高校野球番組「青春甲子園」で本人が語っていたので間違いない。 >>253
商業高校退潮のなかカリスマ監督が辞めると一気に弱体化する
宇部商や銚子商もそう 銚子商は一時期持ち直したが >>251
その年だけ強くて優勝したのは三池工業と、大宮工業か。
見たことはないんだけど。
自分が好きだったのは倉敷工業。
昭和50年選抜開幕戦の中京戦は16−15の点の取り合い。
2回戦の東海大相模戦は0−1の締った試合だったね。 熊本工は名球会に川上、前田、荒木と3人を輩出。
続いて、広島工も高津、新井と2人を輩出。
それ以外では、秋田工も落合が名球会入りの資格がある成績を残しているね。 >>255
商業高校ではないけど、カリスマ監督がやめて一気に弱体化した公立校というと、取手二もそうだし、池田もそうだね。
箕島は、尾藤さんが在任中から甲子園にいけなくなっていたが、やはり辞めて以降の弱体化は著しかったね。
奈良の郡山も今は厳しくなっているね。 福井商もそこそこ実績ある川村監督なら建て直せそうだけど
今年はコロナ辞退で残念だったな NHK解説の前田正治って確か岡田と同期だろ
岡田がちゃんとそのまま進学してたら明星高校でいっしょにやってたんだろうな ウチの地方では商業高校や工業高校という名称が統合で無くなってきている。 >>251
昔は就職有利
実業系学科は校区の枠が無く、全県から集められる
(その後、公立普通科も全県一区化が進んでアドバンテージ消滅、また私学の強豪クラスが野球部強化に力を入れてそちらにも選手が流れることに)
そして書かれているとおり名物監督の転勤や退任 >>264
野球以外の競技にも似たような事、言えるね。
・高校バレー
・高校サッカー
・高校ラグビー
・高校駅伝 >>232
一番ショートの坂東さんは昨年亡くなられたね
65才、まだ若いのに
大分でスポーツジム経営と野球チームも持ってらしたみたい >>259
宇部商(玉国元監督)
水戸商(橋本元監督)
橋本氏転任後の20年余りで甲子園は08年の1度のみ
橋本氏は校長を定年退職後に水城監督となり、数年で早くも春夏とも甲子園に導いたが惜しくも病魔に倒れ
その後、水城は一度も甲子園に出ていない >>261
前田さんが明星で現役だったときは春の近畿大会で優勝、まだ力は落ちていなかった
その後起きた不祥事で野球強化から本格的に撤退 明星は確か売春問題起こして、それがきっかけで凋落してしまったんだよな。
それがなければ78年〜87年のPL黄金時代はなかったかも知れない。 >>261
愛媛・小松高校の監督で、川之江、今治西での監督でも出場した宇佐美さんが
岡田と早稲田大学で同期だったはず。
宇佐美さんはABCの野球解説で毎年甲子園に来てるようだが、今年は県予選で
コロナの濃厚接触者?で試合には出てないが、甲子園も難しいかも? 強豪校で買春問題たまに聞くよな−
なんでそんな問題が出てくるのかや?
野球と関係ないのに。 >>263
川上氏は2000本安打以上を記録してるから名球会だと思ったのでは? >>217
5-4を6-1に先送りすると
一回戦不戦勝→6-1→10-1→12-1or2と
89年の帝京並のラッキー籤になることに
今頃気付いたw 78年映画サードでは野球部員永島敏行が同級生森下愛子の売春斡旋してたな
上尾焼身事件もあって高校野球のダークな部分がピックアップされ始めてた
当時の週プレに俺は高校野球見てるとイライラするって投稿があった 俺の俳句
「しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道」
どう? >>274
2004年前後だったと思う、監督が女子高生を買春、1万の約束が5千円しか払ってくれなかったので、公になった。
それから、監督が代わりたまに学力のいい投手が入学した時しか、勝ち抜けなくなった。現在さワンランク落として札幌国際情報に入部する中学生が多くなった。 このスレに集うようなマニアはみんな、89夏に優勝した帝京のクジ運の良さを一般常識として知っているな。
そういうことを一般常識として知っている人間は、世間一般の常識からはズレているかもしれないが。 氷山の一角とまでは言えないだろうが、まだまだ公に出てない話ありそうだな。
札幌南の進学校が、、、って思っちゃうな。
監督も悪いが生徒もな〜
約束したお金払わない方も払わない方だが、それで公にするって。 >>279
81年準Vの京商のくじ運も凄かったぞ。
優勝した報徳は強敵ばっか当たってたのに、
一方京商は勝てそうな相手ばかりで、いつ
の間にかスルスルって上がってきた。
極めつけは準決勝のくじ運。
名古屋電気(工藤)と当たれば勝ち目無いのに
報徳と名古屋電気の事実上の決勝戦になった
まあ関西圏同士の決勝で、それはそれで盛り
上がったけどな。 >>281
この大会の報徳学園・金村は、まさに二刀流の活躍だったな、初戦の盛岡工業戦で満塁ホームランを放ったのを覚えている。
当時に比べたら岩手代表は安定して強くなったと思う。 >>281
そうでもないと思うけど。この年の京商の初戦は渡辺久信擁する前橋工だった。渡辺は1年だったけどそれなりのピッチングで
途中まで押されてた。次の宇都宮学園も投の稲葉、打の新明、宮と軸がある好チームでこの試合は押されまくってた。
宇学が再三チャンスを逃して残塁の山を築いてたのに対し、京商はワンチャンをものにしてサヨナラ勝ちした。 >>282
満塁ホームランを放ったのは6番の岡部。
金村は2回戦の横浜戦の2打席連発で。 京都商と宇都宮学園の試合は緊迫感ある面白い試合だったよ。個々の能力は宇都宮が圧倒してたのに耐え抜いて最後スクイズで一点もぎ取ったのはカッコよすぎた。 >>284
訂正ありがとう。
事実を確認せずに、自分の記憶頼りで書き込んで申し訳ない。 >>281
京都商の井口は高校野球雑誌などで早くから「沢村二世」なんて騒がれていたから期待を持って見ていたけど、蓋をあけてみたらカーブピッチャーだったからガッカリした。
当時のレギュラーに韓国人が二人もいたけど、京都って多いの?
評判悪い京都国際に席巻されそうな勢いだし 平安が衰退した昭和50年代前半の京滋地区の近畿お荷物感は凄かった
瀬田工業→京都商の盛り返しは考えられなかった
膳所の大敗試合はもうアホかと・・・・ >>280
女は北広島市の高校と言ってたので、札幌南の学生は関係ないね。
現在は2000年甲子園出場時の田畑主将が監督やって期待したけど、今は普通公立高校と対戦し五分五分のレベル
同僚にいた吉田真が、北海道と奥さんの出身地である富山県の教員試験に合格し、富山で教師の道の方を選び、高岡商業に赴任し、現在の活躍はご存知の通り。 香川県民だが、81年は志度商のベスト8入りは良い思い出。
1年生西丸の活躍や白井投手の力投が懐かしい。
準々決勝で名電の工藤に歯が立たなかったが、
それでも3つ勝てたのは予想外だった。
当時は県内では無双の高松商だったが甲子園では出ると負け
だったのでなおさらうれしかったよ。 >>290
おれは秋田経大付属の松本のファンだったので、志度商戦は悔しかったな(笑
最後、左翼線にサヨナラヒットを打たれ、うなだれる松本の姿を久々に思い出したよ。 >>284
金村は4番打者だったけど、この大会の報徳は金村が先頭打者で突破口を
開く展開が多かったように思う >>287
井口は予選か大会中に肩か肘を壊して、本来のストレートが投げられなかったと聞いた記憶がある。
卒業後(同志社→トヨタ)もドラフト候補に挙がってなかったと思うんで、その時の故障は肩やったんかなって勝手に思ってたわ。 >>289
現役の教員がどうすれば他校の女子生徒と知り合えるのか疑問。 >>295
プロ入りしたのは同じは白井でも志度商で2年先輩の白井一幸ですな。
甲子園8強の立役者だった白井宏範は先輩の白井一幸と同じ駒大に進みリーグ戦でもまずまず活躍しましたがプロ入りはできず。 志度商は81年は松本・工藤、85年は高知商中山など好投手と対戦してたイメージ
調べてみたら75年は広島工の小林、47年は小倉中の福島(!)と対戦しとる
5回出場のうち4回はプロor伝説の投手に敗れ通算5勝5敗は立派 >>296
まだ最近の話って感じやったけど、時代を感じるわ。
証拠残さないためかな? 昭和56年大会で思いだすのが新発田農業
一回戦広島商業二回東海大甲府との接戦をものにした
須藤投手がピンチでもノラリクラリと決定打を与えないピッチング
番狂わせ的扱いだったが新発田農業は前年もベスト四の天理と延長戦をしていたしソコソコ地力があった >>301
昭和56年夏の大会は報徳学園の金村ばかりが目立ってたが、一番印象に残ってるのは
3回戦の名古屋電気2−1北陽(延長12回)の試合だったな。
名古屋電気の工藤(現:ソフトバンク監督)と北陽・高木の投げ合いは緊迫した投手戦。
名電・中村のサヨナラホームランのときは興奮して、しばらくテレビの前から動けなかった。 北陽と箕島の決勝もすごかったみたいですがその時ドンデンはレギュラーだったんですか? >>303
あのときの北陽・永井投手のエピソードには泣けた・・・・゜(゜´Д`゜)゜。 >>298
75年春の志度商には阪急で活躍した熊野輝光がいたけど力を発揮できず初戦で大敗した
夏の北四国大会では全国で準優勝することになる新居浜商と1点差の接戦で負けているから弱いチームではなかったと思う >>301
新発田農は前年のほうが戦力は上で、高田という好投手がいた
天理とほぼ互角の戦いをしていた
当時下級生だった小池の俊足が広島商撃破の立役者になった >>302
この試合は良かったわ
とくに延長に入り名電がセカンドにランナーを置いてセンターへ詰まったヒットが出てサヨナラかと思わせたときに北陽の初岡がホームへ矢のような返球で走者を刺したプレーは今でも覚えている >>291
秋田経済大附はその前の選抜も衝撃だった。
確か初出場でいきなりベスト8。
東の横綱だった印旛をあと一歩まで追いつめて、
全く互角の試合だった。
最近名前を聞かないと思ったら、
ノースアジア大学明桜で、
とんでもない名前に変更して甲子園に帰ってきたw センバツだけど、岡山理大附属のエースが大会直前に病に倒れ、甲子園で投げられなく
なってしまい、責任を感じた父親が鉄道に飛び込み自殺するという、前代未聞の大事件が
あったのを覚えてる。
あれも昭和56年のセンバツだったな。 >>309
明桜は学校名は変わってもユニフォームは甲子園初登場時のデザインから変わってないですね。
白ベースの縦軸で漢字のロゴが経大附→経法大附→明桜にと学校名の表記は変わっても。
甲子園出場前年の秋季東北大会までは縦軸ではなかったのを報知高校野球で見た記憶が。 上田投手で春準優勝、夏ベスト8以外の年を除いて
子供の時から出場回数を積み重ねるだけで
いつまで経っても初出場みたいな試合を見せる松商学園
いつになったら伝統校みたいな試合巧者を見せるようになるんだろう >>312
巨人直江の親父の代は戦力整ってたし強かったと思うよ。 78年アサグラの松商学園の主将の試合後コメントが可哀そう過ぎる
「3回もエラーして交代させられベンチに帰ったら監督に
主将の癖に情けない奴だと怒鳴られて、もう松本に帰れないなと…」
なんか当時の松商の出ると負けを象徴するようなコメントだな >>315
この時代の監督なら、当然の発言じゃない? >>312
「負け商学園」とか言われていたな。
ただ、戦前は強くて優勝経験もある。
現・岡谷工の諏訪蚕糸も甲子園でいいところまでいっていて、実は戦前の長野はレベルがけっこう高かった。
当時からずっと広島勢に相性が悪いのも面白い。 >>309
宇都宮学園が文星芸大附に校名変更して甲子園来た時も驚いた >>315
当時は中原監督が離れておられて、池田監督だったね
池田監督時代が負け商学園で、夏の甲子園6年連続初戦負け
80年の川村投手の代は強かったけど、初戦で選抜優勝の高知商と当たる不運
6連敗の相手が他に東海大相模、PL学園、福井商、天理、池田とくじ運が超悪かった
池田監督の教え子の小尾監督時代に直江投手を擁して選抜で16年ぶりの甲子園勝利 昭和50年代中頃までの選手権
松商学園と高松商の初戦負けは恒例行事化してたな 高松商は金属バットになってから選手権はほぼ初戦敗退じゃないかな?
超高校級投手を擁しているわけでもなく、強力打線でもなく、機動力を駆使する
試合巧者でもないから対戦相手にとっては戦い易いんだろうね
今年も恐らく1回戦ボーイで終わりそう まあ何気に高松商が強いこともあってのことだけど
昭和40年代後半から50年代中過ぎまで丸亀商や志度商、坂出商を挟んで
ずーっと選抜も選手権も商業高校だけが出てたよな香川県勢
ひょっとしてこれって隠れた記録かな 大分商業からなんと代表に2名選出し金メダル獲得。
新興私学や大阪桐蔭より多い。
これは凄い。
広島商業もいる。
まだまだ、商業高校は頑張ってる。
まあ、50歳以上のおっさんは的には
大分商といえば岡崎だろうね 調べてみたら大分商て現役だけでも6人おるやないか!
高校別出身者数でベスト10には入っとるんちゃうか? >>320
高松商の選手権初戦連敗は76年から80年、83年の6連敗
銚子商、東邦、仙台育英、横浜とくじ運の悪さが目立つが、開校3年目の明野、宇都宮南に負けているのはいただけない
その後、夏の甲子園から長く遠ざかり、ようやく96年に甲子園夏の久々の勝ち
ただ、選抜は81年、90年のベスト8とかそこそこ勝っていた >>324
いや、60近い俺は、大分商といえば亀島だよ >>319
現在の足立監督は80年川村を擁したチームの2年生でサードでした。
早大〜プリンスホテルでも活躍してプリンスホテルの監督も務めました。
母校の監督としては2度目の甲子園ですが果たして? >>327 亀島なつかしい、広島商が13盗塁で脅かす 前年夏の守りのチームに
パワーをプラスしたと自信満々だったがこういう時の広島商は不思議とまける
この試合で大分商のキャッチがのどぼとけにタマが直撃して失神したが
だれも覚えてないだろうな 足立さんは投手のイメージしかなかった、、早稲田大時代の >>329
亀島って確か眼鏡をかけてましたよね?質問があるのですが広商はあれだけ盗塁をしたのになぜ2点しか取れなかったのですか?
ほとんど二死からの盗塁で無死または一死三塁のチャンスをあまり作れなかったのでしょうか?最低一死三塁の場面が作れれば
お得意のスクイズが炸裂してたと思ったのですが。教えて下さい。 >>322
石見なんかは地域性あるからいい名前と思う
別府大付高が明豊
鹿児島商工が樟南
どこの地域の代表なのか名前だけでは分からなくなってきた >>332
そういう意味では
東海大系列高校は校名に地域名を入れるように
したから判りやすくなったね。
静岡翔洋、熊本星翔、諏訪、札幌、福岡
市原望洋、大阪仰星 >>333
そうね
一高静岡四校北海道は甲子園でも常連だった気が 比叡山高校っていつからかは知らんが、たしか延暦寺学園比叡山って校名になったと思う。 今は投手が故障してないかの検査があるが
昭和55年夏の大分商松本投手が肘を痛めたのに
監督が遅い球でいいから投げ続けろと言って
キャッチボール投げ、今の時代あれやったら
かなり問題になっただろうな 幼心に焼き付いて離れない伝説の試合
1.箕島 対 星稜 延長18回
2.箕島 対 明徳
3.箕島 対 吉田
4.PL学 対 高知商
5.池田 対 中京
6.池田 対 明徳 >>336
その松本に投げ勝った浜松商浜崎投手もひじを痛めて次戦の東北戦からキャッチボール投げでスローボールを連投、当時は投げさせるのがスタンダードな考えだった >>329
大分商亀島投手は眼鏡にヒゲのおっさん容貌で見た目もインパクトがあった
スコアリングポジションにランナーを置きながらナックルボールを多投し、広島商打線は苦戦していた 昭和55年は旭川大の山田も腰を痛めて痛々しい投球。
2年生だったけど翌年の甲子園には出られなかった。 江の川が中国大会ベスト4やのに
選抜補欠校は、謎やったわ。たしか準決も大敗してなかったやろに >>335
経営母体は学校法人延暦寺学園だけど
校名は比叡山高校のまま
02夏甲子園に出た光泉は、20年から光泉カトリックに変更
93夏甲子園に出た近江兄弟社は、校名も経営母体のヴォーリズ学園に変更案があったが撤回 >>337
PL学 対 高知商、池田 対 中京はそれぞれ3試合あるけど、どれ?
たぶん前者は78年夏決勝、後者は83年夏準々決勝だと思うけど。
PL学対高知商は他の2試合も印象深く、池田対中京も87年夏2回戦はかなり印象的な試合だったね。 >>337
PL学 対 高知商、池田 対 中京はそれぞれ3試合あるけど、どれ?
たぶん前者は78年夏決勝、後者は83年夏準々決勝だと思うけど。
PL学対高知商は他の2試合も印象深く、池田対中京も87年夏2回戦はかなり印象的な試合だったね。 >>325
6人もいるなら商業高校としては、全国最多の現役選手数かもね。
次はたぶん明石商じゃないかな。 >>345
87年の中京って準決勝で広島商に1-0で負けたのでわ? ちなみに池田の2回戦の相手は日大二。確か4-3だったかな。 PL学園vs高知商
1978年夏決勝 PL学園3−2高知商 (9回裏土壇場逆転サヨナラ)
西田の同点二塁打、木戸の左中間サヨナラ適時打
1983年夏準々決勝 PL学園10−9高知商 (KK1年時)
8−0からの高知商の猛追
1985年夏準々決勝 PL学園6−3高知商 (KK3年時)
KKアベックアーチ
どれも印象深いな。 >>355
わずか8年間で3試合ともすべて準々決勝以上と勝ち進んでの対戦とは
凄い、PLにとって高知商はゲンのいい相手だったわけだ 日大山形が79年以来の開幕戦に登場
前回は一番最後に代表に決まったのに見事勝利
敗れた新居浜商の続木が春夏通じて初の代打ホームランを放った >>348
87夏中京は初出場常総学院に準々決勝で逆転負け
広島商に負けたのは82年夏 木内マジックと言われだしたのは取手ニ時代ではなく、常総に移って87年夏からで、沖縄水産上原、尽誠学園伊良部、東亜学園川島と大会屈指の投手を次々に攻略して決勝進出。 取手ニのメンバーって全員あの辺りの地元民だよな。すごい才能あるメンツだったよな。木内采配云々より単純にすごい実力集団だった気がする。勝ち上がってきた試合だいたい全部見てたけど >>355
83年のPLvs高知商で桑田が滅多打ちされてるのをテレビで見てた池田の水野がこら明日は楽勝やなと思ったそうだが、完封されるとは そうだったのか。
84決勝の石田→柏葉→石田が木内マジックと言われてるのは後付けなんだな。
それで思い出したが
池田vsPLが衝撃的大番狂わせだった事
清原桑田ではなく、あくまで桑田清原である事
KKと言われだしたのは85選抜からだという事
これらを我々オッサンは言い続けなければならない。 >>363
桑田が高知商打線に打たれ出した原因は試合中にプレート板で突き指した影響。
それがなければあそこまで崩れていなかったと言うのが、大方の見方。
翌朝、とりあえずふつうに投げられたので、池田戦に予定通り先発した。
これが真相。 >>362
82〜83年、山びこ打線で高校野球界を圧巻した池田のメンバーもそんな感じらしい。 >>366
当時の池田は徳島県内から有力選手を集めていた。
水野の阿南出身なんて有名だろ。 85年センバツ優勝した高知の伊野商業は地元民の集まりだった気がする。
(間違ってたらスマン。)
当時の高知の有力選手は市商か学園もしくは明徳あたりに行ってた。
高知ではない四国民だが伊野商業なんて学校それまでぜんぜん知らなかったよ。 韮山、洲本、飯田長姫なんかも、基本、地元周辺出身の選手だけで、全国制覇してた。 高知商と言えば予選で負けたが甲子園出場した珍しいケースに該当する一校。
高知大会決勝で土佐に負けたが徳島との代表決定戦のたすき掛け方式の初戦、
決勝と勝ち抜いた。甲子園大会では準決勝まで進出。
たしか優勝した広島商業に負けた。
もし全国制覇していたら物議をかもしただろう。
昭和40年代に入っても1度負けたが他県とのたすき掛け方式の決定戦を勝ち抜いて
甲子園出場した高校があったはず。 >>232
だよねー・・・・ちょうど津久見・鹿商がサヨナラで終わったーーー、って感じの時にスタジアムに入ったような記憶があるわ。
あの時は、準決勝でゴリラみたいな佐藤中心の天理も津久見は破ったからねー。
これはテレビで見てたんだが、整列の時、天理の選手たちが津久見に対して声を揃えて「ガンバレよー!!」って言ったような気がするんだよね。津久見を応援してたワシも、佐藤のゴツいイメージに反する天理のこの心配りにとても好感を持った記憶がある・ >>241
おそらく、カープの影響で赤ヘルにしたんだろうね。
でもせっかくのこの伝統も、クソ高野連のヘルメットの色規制で今は無しだもんね。帽子の色にヘルメットの色があってない方が余程おかしいよね。
帽子の色は赤でも良くて、ヘルメットは白・黒・紺しかダメって‥‥アホ臭い話だよね! >>373
今ちょっと調べたら、直接はカープの影響ではなさそうやね。
『・・・日高は大学卒業後と同時に母校に戻り、野球部の指揮を執ることとなった。1974年夏の県大会では2回戦で敗退したが、日高監督はその中で確かな可能性を感じ取ったのだろう。10日間、部員を甲子園に連れて行き、聖地の空気を胸一杯吸わせた。それに加え、ユニフォームも一新。胸の校名をローマ字に変更し、基調となる色も臙脂色にチェンジした。帽子やストッキングにも臙脂色を取り入れ、ヘルメットも臙脂に塗り替えた。
(胸の校名を「日南」から「NICHINAN」に変更し、基調となる色も太平洋をイメージした青から臙脂色にチェンジした。)・・・・日南のヘルメットは臙脂色だが、甲子園入りした時点で色が剥げかかっていたのだという。松下電器(現・パナソニック)の社員が赤い塗料を吹き付け、光線の関係で赤ヘルに見えたことから、「赤ヘル旋風」と呼ばれたそうである。』
『それから11年後の1986年夏、日南は再び甲子園に戻ってきたが、ヘルメットは臙脂から白色に塗り替えられていた。1983年から用具の色彩が規制され、ヘルメットは黒・紺・白のいずれか一色のみしか使えなくなったからである。ちなみに、この年は2回戦で秋田工に0-4で敗退。現在も竹香園グラウンドに臙脂色のヘルメットは一つもない。甲子園で2度と臙脂色のヘルメットが見られないかと思うと、寂しいと感じる方も少なからずいるのではないだろうか。』 >>371
個人サイト"高校野球百科事典"で調べたら
滋賀県大会が該当している
恐らく京滋大会では京都に歯がたたないので
せめて、滋賀県大会優勝で花を持たせようという親心だろうw >>367
畠山の小松島出身も有名だった
阿南も小松島も海に面した街で対岸は和歌山県
旧池田町徳島県の西のはしっこ、阿南・小松島は東のはしっこ 久しぶり西日本短大の甲子園出場でふと思い出したんですけど森尾投手で優勝した世代がよく語られますけど個人的にはその2年前の中島投手の世代もなかなか好チームだったなと 選抜史上最強言われた1976年崇徳や1977年東洋大姫路て
東洋大姫路は西田木戸いたPL学園に11ー1だろ
1974年銚子商1975年習志野1978年PL学園1979年箕島より強かったんじゃないのか
高校野球に潤いもたらしたのはこれらのチームだろうけど
江夏2世言われた松本投手がプロで活躍出来なかったのが痛かった
いまや東邦の優勝阻んだチーム位の印象しかなくて忘れられてる 清田桑田最後の夏ナンバーで優勝投手で記事があるけど1勝3敗で泣かず飛ばすてのがな
東洋大姫路は1979年春ベスト4チーム1982年夏ベスト4チーム1985年PLと公式戦1勝1敗チームあるけど
1977年のチームはこれらに匹敵するんじゃないのか
東洋大姫路て履正社辞めた監督が今度いくんだろ 千葉県て夏は1974年1975年以来優勝してないけど
東海大相模がダントツの優勝候補でノーマークだったのが幸いしたな
逆に1985年東海大浦安銚子商1986年1988年拓大紅陵2007年千葉経済2008年木更津総合千葉経済と東の横綱いわれると全くダメ
1985年の銚子商は予選6試合得点72失点4と1974年銚子商(6試合得点32失点4)の倍以上の打力と得点力だったのに評判倒れに終わってしまった >>379
77東洋大姫路は控えの宮本投手も亜細亜大学でMVPとってドラフト1位でプロ入り、選手層は厚かった
ちなみに春近畿大会でPLに圧勝したときはPLの控えの2年生西田が先発したが乱調で序盤に大量失点したもので、そのときのエースは米村明でした >>381
えっw
74年夏の銚子商は優勝候補でノーマークじゃありませんでしたよ
そもそも東海大相模がダントツの優勝候補だったのは75年のみ
逆に2007、2008の千葉県勢は優勝候補の一角だったかもしれないけど到底東の横綱ではない
1985年の千葉県勢は過大評価の見本
東の横綱にふさわしかったのは1986、1988の拓大弘陵のみ >>381
74年の東海大相模は、神奈川決勝で永川の横浜がエラーで自滅して甲子園出ただけ。優勝候補では無かった、甲子園で強くなった典型的なチーム。 >>384
そうです。前年夏準優勝した時も決勝の大鉄戦は米村でした。中村はリリーフでしたね。 原辰徳の東海大相模と定岡の鹿実が事実上の決勝て聞いたけど違ったのか
1977年も優勝候補筆頭は春は天理と熊本工で
夏は山口投手の智弁学園(箕島天理など最激戦区)で小松の星稜との対決が事実上の決勝てのも違ったか
1977年の東洋大姫路はプロ野球のチームだったと言われたらしいけど 大鉄てのは今の阪南大だろ岩本勉がいたとこで
1977年夏はそこが最強打線で大会の華言われた
春は銚子商に負けてるな
1977年は千葉商はなんで出れたのあんまり強い印象ないけど 東洋大姫路は86年も準々で鹿児島商業に転けてなかったら天辺まで行ってたかもしれん。
打力は弱かったが、、、 >>372
天理が津久見に負けて最後の挨拶の時、天理の選手が泣きながら「頑張れよ」と声掛けてたのは覚えてますね。
この年の夏に初めて天理がファンファーレを聞いて感動した記憶があります。 1974夏の東海大相模はダントツでは無かったけど
うちの地元の新聞やラジオ放送では頻繁に優勝候補と言われていた。
鹿児島実業が優勝候補の東海大相模を5−4で破りましたと
ラジオ実況で絶叫してるのをラジカセで録音したの持ってる。
相模は下手投げの伊東投手が
実にカッコよく小学生の自分には見えたな。 原辰徳は優勝するなら1、2の時がチャンスだったようだな
最上級生なったら崇徳、柳川商、海星、小山など強いチームが増えてしまった
早稲田実の荒木大輔みたいだな 前評判高くなくてノーマークで決勝まで行った千葉県勢って拓大と東海大浦安くらい? >>394
75年の習志野もそうかな。広島商、選抜準優勝東海大相模の方が優勝候補だった。習志野は前年優勝の銚子商破ったから注目はされてたが、上尾や新居浜商と同じくダークホースでしたね。 >>394
あと、選抜なら銚子商と習志野は前評判高くなかった。印旛は優勝候補だったが。 >>389
予選で銚子商、習志野勝った千葉商は初戦で優勝した姫路に4-0で負けた。投手の野崎が松本から3安打打ったの覚えてる。チームヒットはほかに2本くらいだったかな? >>395
選抜1回戦で無名の沖縄・豊見城に実にあっけなく
完封負けしたイメージが残ってたから
夏の快進撃は意外だった ボーイズビーアンビシャスは昔の田舎臭いユニホームで歌う
アンバランスな感じがあってこそいい味が出るんだと思ってるおっさん多いと思う
それプラス、山形弁で受け答えする渋谷監督だな 笑 春選抜なら2019年習志野本命だった奥川星稜に勝ったけどサイン盗み騒動でケチついたな
夏は優勝候補になったら鶴岡東にボコボコにされた
あとまた春選抜だけど1995年銚子商も初戦福留のいたPLに勝って決勝まで行った
組み合わせみたら2回戦PLと桐蔭学園が事実上決勝東西横綱対決と注目されてた
2004年夏千葉経済がダルビッシュ東北に勝って番狂わせ言われたベスト4まで行った >>399
笠原だっけ?速球派の良い投手育てたよね。確か何回か勝ったと思うが。 >>399
栗原の時が旧ユニフォームで最後の出場ですかね?
06夏は現在の日大ユニに変わってたので >>399
日大山形の校歌は昔は
日本大学山形高校 花咲く学園
だったのが
日本大学山形学園 花咲く学園
に変わってるんだけど、理由は何だろ? >>391
おーー、天理の「ガンバレヨー!」を覚えていてくれた方がいたとは嬉しい限りです。
あの頃はまだ今みたいに終了後選手同士が握手やハグをするような時代ではなかったと思うので、あの天理の選手たちの行動はとてもビックリと共に印象的だった。 >>399
日大山形の今のユニを見るたびに、ワシも昔のグレーのユニを思い出してました。
しかし、今のユニはワシはとても好きなデザインです。今大会の出場校の中で、「お前ならどれを着たいか?」と問われたら、おそらくワシの中ではこのユニも3本の指に入る(いやおそらくトップ)と思います。 オールドファンにとって横文字歌詞校歌で印象的なのは、やっぱ「ボ〜イズビ〜アンビ〜シャ〜〜〜ス・・・」と「日南、エクセ〜ルショ〜〜〜・・・」だね。 おっさん世代にインパクト与えた
あー♪オービリンナー ♪
イエスイエスと叫ぼうよ♪
桜美林が復活して校歌を歌ったら
やっぱり話題を集めそうだな 亀レスだけど、ノーマークの千葉県勢の決勝進出といえば、石井ー醍醐のバッテリーの習志野にとどめをさすだろう。
ベスト4の段階でも、古豪の広陵、中京に野上投手の市和商。初出場の習志野が勝ち抜くなんて誰も思わなかった。 盆が近いし、今横浜がやってるんでふと浮かんだが、あの永川ももうこの世にはいないんだねー。
岐阜短大付属の湯口のその後も悲しいし、広商の川本さんももう鬼籍に入ってるよね。若いところでは取手二の石田も早逝だなー。元球児の早い死のニュースはつらいねー。 >>411
70年代は働き盛りの年で鬼籍に入った名選手が多いよね
広商は佃ももうこの世にいない >>410
松本は選手で高校、大学と全国優勝。
監督でも埼玉栄、千葉経済で指導力には定評はあったけど
飲食接待、金銭問題であまりにも評判が悪すぎた。
晩節を汚した。 取手二のときは木内マジックではなくノビノビ野球と呼ばれたな
選手に任せ楽しさを感じ現代にあっていると
PL学園をはじめとする名門校は窮屈な管理野球あつかい
あの世代は石田中島バッテリーほか何故かあの地域に逸材が多く選手同士皆で取手二に行き優勝しようとなったらしい >>397
千葉商の野崎さんは左右両投げだったと聞いたことがあるな
>>401
92年に2勝くらいしてたね。
確かその後の国体で松井に65号を打たれたのも笠原君だったような記憶が >>403
付属中学が出来たから、
歌詞が高校から学園に変わった。 >>414
そういえば桑田が決勝で伸び伸び野球の取手二に負けた後に、PLの練習すっぽかして茨城まで練習を見に来たそうだな。 1977年の東洋大姫路は春選抜でてないけど
春の成績次第では松坂横浜並みに評価されるチームだったと言う人もいるな
公式戦27勝1敗85試合79勝3分3敗で「まるでプロ野球のチームみたい」と言われた >>414
同世代の明野も取手二に次いで秋関準Vだったからね。
あの年の茨城は才能の宝庫だった。 >>420
選抜で優勝候補だった早実の和田監督が、県大会で東洋大姫路に勝ったことだけで滝川をマークする学校に挙げていたぐらいだからな
新チーム結成直後の練習試合で東洋大姫路とやって点差以上の完敗だったらしい ここまで強い松商はなんか久しぶり
上田の時以来な気が、あの時も大会前評判そんなでしたよね?松商は >>424
愛工大名電時代のイチローが、センバツで松商学園に負けたんだっけか? 91春の戦前評覚えてる人いるかな?
天理が優勝候補筆頭だったけど松商はそんなにでもなかったよね >>425
そうです。その年の松商は夏に優勝する大阪桐蔭にも勝ってたはず >>395
実は習志野は優勝候補だった。75年の下馬評(朝日)では東海大相模と岡山東商が2強で、
それに続くチームとして習志野、堀越、早実等が挙がっていて、広島商はそれより下の
評価だった。ところが初戦で習志野が旭川竜谷に8-5の苦戦、広商は盛岡商に11-0の完勝
で、下馬評が無かったことになり、何故か朝日でも習志野が伏兵、広商が優勝候補と
掌返しになった。2戦目以降小川が復調して連続完封して、準決勝で広商に完封勝ちして
も論調は変わらず。(石井監督仕込みの牽制も有効だったけど)。 >>426
週刊ベースボールでは天理の夏春連覇確率は5割以上の見出しがあるなど
どの雑誌も天理が大本命
対抗が大阪桐蔭で国士舘、宇都宮学園が4強だったな鹿実、市川、箕島、帝京も有力視されてた
学法石川の川越が防御率よくて注目されてたな東邦の林もイチローより注目のスラッガーだった >>422
左腕のナックル投げる投手いなかった か >>424
春は全く下馬評に上がらずで、選抜準優勝後の夏は優勝候補の一角に上がっていた
上田投手の状態は春>>夏だったが >>429
ありがとうございます
大阪桐蔭と国士舘は初陣なのに下馬評高かったんだね
箕島はこの大会を最後に長い低迷期に突入… >>428
70年代中盤はなぜか夏の千葉県代表は自動的に優勝候補になっていた
74年の銚子商が圧倒的強さで優勝した余波だと思っている
77年の千葉商でさえ優勝候補だった >>434
そういう面もあるけど、75年の習志野はプロ注目の剛腕小川を擁し、破壊力のある打線
も揃って優勝候補に相応しかった。実際優勝したし。しかし、選抜の豊見城戦や選手権の
旭川竜谷戦の様な脆い面もあった。小川の肩は何時からやばかったのかは分からない
けど、初戦の後で新聞記者が小川の肩の異変に気が付いたのかもしれない。その後、
3試合連続完封したのは肩痛のお蔭で力が抜けたのかもしれない。 ↑ 明日から週末にかけて、1975年以来の
厄難レベルの雨が降るらしいw
流石に当時の記憶ををリアルに記憶している人はいるのかな? 決勝が2日順延したのは覚えていたが、3回戦途中の順延が3日もあったね。
初出場で決勝まで行った新居浜商の応援団はお金が足りなくなって大変だったので、
翌春選抜備えて大金を集めたら、よりによって開幕日に敗れて大金が余ったらしい。 どうせ今大会も試合の合間を埋める名勝負もんで松井の敬遠出てくると思うが
75年夏神奈川大会準決勝で東海大相模対日大戦で、原が4打席連続敬遠されて
審判が試合を一旦止めるほどヤバい雰囲気になったらしいな
スポーツ新聞か雑誌かで後日知った
今みたいな時代だったら動画が残るんだろうが >>387
1977の春は家でとっていた新聞だと
天理と秋の関東大会覇者だった作新との
初戦が事実上の決勝かもって書いてあった。
技の作新対力の天理とも書いてあったなぁ。 >>404
泣きながら頑張れよと言ってたので余計に感動しましたね。この年は高知商の益永というサイドスローの投手を応援してました。初戦で選抜優勝校の日大桜丘に勝ったのですが、準決勝で柳井に負けてしまいました。 72年夏は準決勝第1試合終了後に雨で中止。
翌日も雨天順延で第2試合が2日遅れ。
ここまで極端な日程のハンデは珍しい。 >>435
小川投手は春選抜でサンデー毎日であの土屋くんと互角に投げ合ったから最高評価95点てあったけど
土屋投手てそんなに凄かったのか >>432
上田は井出元にサヨナラデッドボール受けたのが響いたと思う。好打者荒井も夏はケガでダメだったし。 【ほしのあすかちゃん 無茶苦茶可愛い!!!】 ■■ https://imgur.com/a/bxbOGL9 ■■
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いやぁ、ブルマ姿の女の子って、本当にいいもんですね。
※今夜はブルマ姿の女の子たちを遅くまでごゆっくりとご鑑賞ください。
では、またね! >>440
高知商の益永はよく覚えてる
優勝候補の日大桜ヶ丘の仲根と投げ合って、勝ったね
右サイドハンドの良い投手だった
でも柳井に負けるとはね >>445
益永は選抜初戦で松商学園を無安打に抑えながら1点取られるというノーヒットワンランを記録した
最終回にノーアウトから連続四死球と内野ゴロ2つで失点 昭和50年代の選手権風物詩、松商学園と高松商アベック初戦敗退が終止符
高松商がもし初戦突破したら甲子園4元号勝ち星をアベックで達成
何か縁があるなあ 甲子園は清原の為にあるのかー⁉︎
は今年も聞きたいな。 75年の3日連続順延は大会記録として残ってるが
今回並びそうな感じになってきた
同じく75年の通算5日順延の大会記録も同様 >>449
同意。
朝日放送の自画自賛的に、
植草アナの名言集とか繰り返し流されても
そんなに名言なのか?といつも疑問に思う。 誰にでも好き嫌いある思うけど、植草さんの実況嫌いって人、かなり少ないと思うよ。 淡々と事実を伝える実況が良い
民放の大げさな実況も、NHKにも増えてきたシャウト実況は大嫌い
事実に勝る名言はない このスコア−分かりますか?
一回戦屈指の好カ−ド、好投手の激突だった。
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0 0 2 0 X 2 昭和46夏1回戦 桐蔭学園×東邦
大塚、水谷の投げ合い
東邦がベースタッチで併殺と思い込んだミスで負けた試合 このスコア−はどうですか?
一回戦屈指の好カ−ド、好投手の激突だった。
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 >>449
あ~、そうですか^^;
我々は関西に住んでて植草さんのあの実況は子どもの頃から聞いてて「いい」と思ったんですが(~_~;) >>457
456です。
反応ありがとう−
当たりです!!!
凄いな! >>459
同い年の大会の試合をテレビで見てた。だけ
川村が試合後のある雑誌で、
「中西より自分のほうが凄いというのを見せたかった」と
いってた。川村は当時弱かった新潟出身らしい。 456だが、松商学園-高知商も延長サヨナラだったのか? >>456
銚子商と岡山東商か土谷と土田晃之か
江川と土屋も同じスコアみたいだけど >>461
460だが、
そのスコアの試合はわからない。
松商学園-高知商は9回で終わってる。
456の試合の答えは・・何の試合? 464ですが、
正解 確認しました
遅れました すみません >>456
岡山東商、土居と銚子商、土屋の投げ合い。元JFE東日本監督、青野さんのサヨナラヒットで決着。 銚子商と岡山東商は1973年夏だった
ナイターでやってて息の詰まるような投手戦だったと記憶してる その当時、テレビは6時で終了。ラジオにかじりついてた。その日は延長戦が3試合目だったような気がする。柳川と作新が同じ日ではなかったかな?違ったらすみません。 確かに柳川と作新と同じ日だったような気がする
その余韻が残ってたもんね
僕はテレビで見てたけどね
教育テレビかもしれんが 銚子商の土屋投手て2年の時から有名だったのか?選抜では報徳学園に0ー16で大敗してるけど
1974年の選抜はあまり話題にならないけど銚子商て前評判どうだったんだ
前年優勝横浜が大本命で報徳学園 平安 池田 柳川商 高知 広島商辺りが強そうだけど >>457
ごめん、訂正、俺がややこしくした。
456ではなく464です。
反応ありがとう−
当たりです!!!
中西と川村です。 >>457
もうボケてるわ。
456ではなく454です。
反応ありがとう−
当たりです!!!
中西と川村です。 >>470
銚子商は優勝候補筆頭。永川の横浜や土浦日大の工藤に秋関で投げ勝ったし、なんと言っても江川に投げ勝った投手。夏の前評判も優勝候補筆頭。なんと言っても優勝記念の毎日グラフが出たくらいですから。人気はおして知るべし。東京駅からのパレードの様子や地元入りが載ってる。1枚目が大会前、2枚目が大会後。
https://i.imgur.com/fJs7lF7.jpg
https://i.imgur.com/ffvA8z3.jpg >>467
https://i.imgur.com/kfaupvO.jpg
アサヒグラフより、青野さんのサヨナラヒット。生還の様子。テレビが終わっていたため自分も見たのはこれが初めてでした。 >>381
>逆に1985年東海大浦安銚子商1986年1988年拓大紅陵2007年千葉経済2008年木更津総合千葉経済と東の横綱いわれると全くダメ
拓大紅陵は、たしかに前評判が高い時ほど、やらかす傾向が顕著だったけど、それ以外の学校は単にクジ運が悪かったろ。
1985春の東海大浦安は初戦で伊野商、1985夏の銚子商は初戦で宇部商、2007年春の千葉経大付は2回戦で熊本工、2008年夏の木更津総合と千葉経大付は2回戦で智辯和歌山、浦添商とそれぞれあたり、序盤でこけても仕方ない。 ふと思ったが、1984年から四季連続で甲子園に出てきた徳島商の広永は、このスレであまり話題にならないな。
当時、徳島県内では黄金時代の池田の前に立ちふさがり、ほとんど負けていなかったのにね。
やはり甲子園で勝てないと、印象に残らないね。 土屋は2年の夏から力をつけたと思うよ
3年時は関東三羽烏のひとり
横浜の永川、土浦日大の工藤とともに 前に70年代スレで見たけど
74夏の銚子商は報徳が県予選で敗退したのも優勝の追い風になったよね
前年春は0-16の大惨敗でこの年も選抜で惜敗と相性が悪かった >>477
池田の不祥事があったとはいえ
四国不出場で選抜選ばれるのも今じゃあり得んよなあ >>431
そう。鈴木。
個人的になぜか好きだった。 >>468
当時、夏の4試合日は6時50分まで総合で放送してました
(縮刷版で確認) 府中東の片岡て騒がれたみたいだけど凄かったのか監督野々村て893監督だろ高松商に大敗したけど
翌年夏横浜に敗けた高松商の選手が愛甲は大したことなかった片岡の方が上言ってる記事あるけど どうもいまの印象や知名度で勘違いしてたけど
1970年代あたりは神奈川より千葉県の方が前評判高くて強かったようだね
1970年代たら原辰徳の東海大相模てイメージが強かったから >>482
すみません、
なんせその日は延長戦高松商と取手一、作新と柳川もあったから第4試合終わったの8時半とうに過ぎてたと思う。 >>484
いや、そうでもない。S45、46は相模と桐蔭が夏連覇。S48永川横浜が春優勝。ただどのチームも新興私立だからあまり名前が売れてなかった。相模は原辰徳、横浜は愛甲出てから人気チームになったと思うよ。その後神奈川はY校の時代が結構続いた。10年くらいは続いたんですかね。間に桐蔭が高木や由伸で出てたけど。 >>470
74年の選抜の下馬評は銚子商と広商が東西の横綱。あと、柳川商と永川の横浜の評判が
高かった。工藤の土浦日大はどうだっけな。優勝した報徳やベスト4の平安もある程度
マークされていたと思う。
この中で柳川商が初戦負け、広商も盗塁記録を作りながら拙攻で岡崎のいた大分商に
2回戦で負け、横浜も永川から杉村が決勝打を打たれて高知に負け、銚子商も準々決勝で
報徳に負けて、何となく盛り上がらなかった。 >>429 その年の箕島は久しぶり全国制覇狙えると当時本気で思ってました。山路投手は大会屈指の剛腕でしたね >>487 当時のサンデー毎日は点数にメリハリがあった なかでも力ある3投手を
擁する広商の評価が高かった。内藤のいる若狭が投手力100点だったが
??だった >>489
思い出した。内藤は右膝がグランドに付く低い姿勢から投げる良いアンダースローの
好投手だった。前年秋の明治神宮大会で優勝して評価が高かった。その時の準優勝高
の平安と初戦で当たり惜敗。内藤は確か明治に進学して期待されたけど、活躍出来ず。
同期の高橋(静岡商出身、中日のドラフト1位)や鹿取(高知商出身、プロでの活躍は説明不要)
の方が活躍した。 >>480
嘘つきw
池田は1982年秋季四国大会に出場して優勝しているぞ。
ソ−スは高校野球百科事典のサイトの秋の大会の1982年四国大会をググればある。 >>480
すみません。
大変失礼しました。
>>491は全くの勘違いです。
全部、撤回します。
申し訳ございませんでした。 >>491
徳島商のことだろ
選考会前に池田の不祥事発覚で代わりに選ばれたのが四国大会不出場の徳島商だったんだよ >>487
1974年の大分商になぜ岡崎がいるんだよw 岡崎の高校時代で甲子園へ出たのは1979年 >>490
おいおい、内藤は上手投げの本格派、君のいうアンダースローは福井商の前側だ
1973年秋に始まった明治神宮大会高校の部は第1回若狭第2回福井商と福井県勢の連覇で始まった >>483
実際、愛甲はこの時期にはもう投手としては大したことなかった
球は速くなかったし、コントロール抜群でもなかった
左腕の特性を生かした投球術は非凡だったから、調子がいいと完封もあったけど
1年生のときは粗削りだが、球は速く打者の手元で伸びていたので、将来どれだけの投手になるのか期待していたけど伸びていなかった 早実戦は状態が悪く打ち込まれていた
同じ左腕の川戸がいなければ優勝できていなかったと思う >>495
済みません。なんか記憶の混乱があった。前側でした。 このスコア−は?
10段階評価 難易度 5
000 000 310 0 4
000 000 013 1 5 >>459
80年の高知商×松商学園は
000 000 000
000 000 20 X
だぞ。 ここまで雨に祟られた大会は93年の75回大会以来だな
80年62回大会も雨、曇り続きで夏の日差し殆どなかった >>501
当たり!!凄いの一言!
ここの人は、誰か絶対に当てる人がいるな。 >>491>>492
>ソ−スは高校野球百科事典のサイトの秋の大会の1982年四国大会をググればある
ソースはサイトだとか全くの勘違いだとか、そもそも当時のこと知らないんだろおまえ?
背伸びして知ったかぶりで語るなよ
県大会で池田との試合内容が評価されて徳島商が浮上したのも知らんとか このスコア−は?
ヒント この年も長雨が続いて順延につぐ順延だった
010 200 100 4
000 040 001x 5
こういうのは比較的簡単 >>508
1975年(昭和50年)夏の決勝、習志野vs新居浜商。
誰も知らないだろうが、史上初の市立高校同士の決勝戦だった。
新居浜商は平成2年に県立に移管されたが。 せめて80年代ぐらいにしてもらわないと、わからん。 >>500
93年は日照不足でコメが記録的に不足、タイ米を輸入までした年
80年も、準決勝の天理横浜の雨中戦が思い浮かぶ >>510
この年は自分の中では九州学院を推していた。でも準優勝の新居浜商に自滅した試合で惜敗した。村上、続木のバッテリーと大麻にやられてしまった。 >>460
川村はプリンスホテルから西武に行ったっけ。
俺は今でも長野県の投手No1と思っとるよ。
2は金丸 >>510
習志野小川投手は後ヤクルトの監督って、ここの住人なら皆知ってるわな(笑) NHKの学校紹介のBGMが元に戻って良かった。
福山バージョンはオッサンには馴染めなかった。 >>514
そういえば、朝日の下馬評では九州学院の評価が妙に高かった。注目のチームではあったけど
あっさりと初戦負けで印象にも残っていない。せめて「優勝候補」として散るなら、寒川を
擁して開幕戦で赤ヘルの日南に競り負ける様に印象を残してくれ。
既出かもしれないがアサヒグラフでの福島(広商三塁手)のトンネルの写真が忘れられない。
あんなにボールを見てないものか。それから広商と日南の試合で日南の外野手が飛球に
ダイブして捕れず走者一掃になったシーンも忘れられない。 >>518
リアルタイムで飯田長姫の光沢を見てみたかった >>522
さすがに光沢さんは解説者でしか知らないね。
交通事故で失明したそうです。 100点評価て江川だけだろ桑田清原PLでさえオール95点評価だったんだから
しかし投手85点評価だった花巻東とPL学園がメジャーで活躍するんだから宛にならないな
2012年の花巻東はいまなら攻撃力は100点評価間違いなし!だな >>510
習志野石井監督は選手でも優勝してるんだよな
選手でも金、監督でも金ってパターン
他にいますか? 広商川本さんとか有名だわな。沖縄尚学の比嘉さんもか。
小川さんはヤクルト監督時代なぜか小物扱いされてた。
プロでは地味だったとしても、甲子園優勝投手としての
話題が殆ど出なかったのは何故だろう。
優勝してたらまた違ったのかもしれんが。
荒木さんが監督になれなかったのも残念。真中とかいらんわ。 それにしてもこのスレどう見ても50歳以上どころか、60以上だろ。
ついていけんわ。 >>377
良いチームでした。福岡大会でも特別優勝候補ではなかったチームが九州で無敵の鹿児島実に勝ってベスト4。スタメンは主将の木附、エースの中島以外は大阪出身の選手でしたが(山口は和歌山)。只、浜崎監督は「スカウトした訳ではなく新日鉄堺の監督をしていた関係で知り合いの中学の監督に頼まれた」らしい。 昭和44年夏決勝、松山商‐三沢の試合をリアルタイムで観戦した人が大勢いそう
自分は四歳だったから記憶が全くない(試合は両親と一緒にテレビ観戦してた) >>527
50歳以上だから80歳でも90歳でもOKなんだからしょうがないね >>438
神奈川県って当時から予選でもヒートアップしてたんだね。
前に書いてた人がいたけど、1980年夏の予選で、東海大相模の監督が、試合途中で
ベンチ前でピッチャーに気合いを入れる往復ビンタをしたら、そのシーンがテレビ神奈川に
生中継されて、大会本部と高野連に電話回線がパンクするほどの抗議電話が殺到。
相模は試合に勝ったものの、夕方のニュースで全国ニュースになってしまうほどの大事件に
発展したのも分かる気がする。 >>526
小川は本当に地味だけど考えてみれば甲子園優勝投手たし、野手になった中央大学では大学日本一 >>535
になったしヤクルトでは監督、GMと申し分ない野球人生。 >>528
天理のアシストしただけになったけどな
天理も西短にあんな苦戦じゃ鹿実に敗けてた可能性高かったよ >>536
5輪決勝でホームラン打った村山の才能見抜いて育てたみたいだし
若手選手育てる才能もあるのかもな
しかしあの世代の目玉清宮や安田はダメだな
1つ下大阪桐蔭根尾 藤原 柿木 横川もダメ吉田輝星も鳴かず飛ばず
横川なんてこの前13失点で長身なのに球が遅い >>525
真田重蔵氏
選手時代、海草中で2年連続優勝(2年目はエース、初年度は伝説の嶋投手)
戦後、明星の監督として優勝 >>538
清宮は、入団する時メジャー行ってホームラン王になるとか言ってなかったかな。今考えると飛ぶボールで育った選手は村上以外ほとんどダメ。大谷や藤浪の頃はそうでもなかったのか?だとすれば西武森は凄いバッターだったんだね。 巨人のビエイラが166キロだしたけど最近のスピードガンは盛ってるのか
まえ誰かが江川は松坂より速い言ってたけど
1977年東洋大姫路の松本で132キロ小松で135キロでしょ
牛島が最速139平均135で騒がれたみたいだし(石井は最速130平均129以下)
江川て当時150キロとか本当に出てたのか?
デーブ大久保が江川さんは高校時代が1番速い言ってたけど >>540
あなたは優しいね。
周りから人望があると感じる。 大久保は高校時代の江川見てないに等しいのによく言えるね
ここのスレの人々は生江川を見てるから、聞いてみたらどうだ
150キロ出てたかどうかはわからんが、ネット裏からのカメラだとかなり速かったよ 習志野が優勝した75夏って上尾の戦いぶりも印象的だった
初戦小倉南4対0敗色濃厚で8回追い上げスリーラン延長10回サヨナラホームラン
東海大相模にも逆転勝ちで準決勝へ勝ち上がった >>539
平古場とバッテリーを組んだ広瀬吉治は浪商で優勝?監督として洲本高校で母校浪商を決勝戦で倒しセンバツ優勝、母校では牛島香川センバツ準優勝…かなんかだった記憶(スマンが曖昧) >>545
上尾と東海大相模の試合でピンチになると何度も村中とキャッチャーが原貢監督にベンチに
呼び戻されて余計に疲れて結局打たれて負けた。実況中から解説者が批判していたけど、それ
以降ベンチから伝令が行く様になった。上尾は中村と塚原の2人のホームランバッターが居る
好チームだった。 >>541
だから当時のガン数値は今と10キロほど誤差があるって >>520
ふるさと紹介のbgm大会歌verに戻ったのか
全農CM目当てでBS5見てたから知らなかった
次の開催日からはNHKも見なければ 江川の場合、球速の凄さより、回転効率(回転軸が地面に平行に近く、回転数が多)が、
非情に高くホップ成分がが極めて多かったんだろうね。
球速は今の選手の方が速いけど、ホップ成分は江川の方が高い可能性は大だね >>550
ホップ成分ってビールみたい・・・(笑) >>525
高知の岡本道雄氏は選手として64年選手権優勝、監督として
75年センバツで原巨人監督のいた東海大相模を決勝で倒して
優勝した 下馬評は横浜。圧倒的に横浜が強いと言われて、すごく燃えた」
2006年夏、大阪桐蔭の主力選手として甲子園に出場し、現在は不動産会社「オープンハウス」で働く謝敷さんは15年前を振り返る。
横浜は神奈川大会を圧倒的な強さで勝ち上がり、夏の甲子園切符を手にしていた。7試合で83得点、10本塁打。決勝の東海大相模戦は15-7と大勝した。
その横浜に甲子園で打ち勝ったのが大阪桐蔭だった。3番に座った謝敷さんは、4点リードの8回裏に試合を決める3ラン。下馬評を覆し11-6で快勝した。それでも、謝敷さんには本塁打や勝利の喜びがかすむほど強烈なインパクトを受ける一打があった。
現ロッテの高濱卓也が放った先制の二塁打に「これはやばいなと思った」
「春夏合わせて甲子園に7試合出場して、横浜戦は1回から9回まで鮮明に記憶している。その中でも、あの右中間への当たり。同じ左打者で、あの変化球をあの形で打てるのかと。自分が理想としている打ち方を、1学年下の2年生がやっていたのが衝撃だった」
1回表、横浜の攻撃。1死二塁で高濱卓也内野手(現ロッテ)が打席に入った。カウント1-2からの4球目。大阪桐蔭の左腕エース・石田大樹投手が投じた膝元のカーブに体勢を崩すことなく、バットの芯でとらえた。鋭い打球が二塁を守っていた謝敷さんの頭の上を越え、右中間の真ん中に転がった。先制の適時二塁打。大阪大会で22回を投げて2失点、31奪三振と抜群の安定感を誇っていた左腕の狙い通りの1球だっただけに「大阪大会で経験したことがなかった。ものすごい打者がいると。横浜は強い、これはやばいなと思った」と語る。
謝敷さんは相手のバントミスや併殺打など幸運が重なっただけで、「本来は点差が離れるような試合ではなかった」と振り返る。あの夏から15年。何よりもはっきりと脳裏に刻まれているのは、優勝候補の撃破でも、自身の本塁打でもない。2回戦で敗れた早実・斎藤投手の投球でもない。頭上をあっという間に通り過ぎていった高濱が放った右中間を破る二塁打だった。 その試合で中田(日ハム)が本塁打打ったが、わしはすでに桐蔭リード楽な展開
でのホームランだからね。同点打・逆転打なら価値はあったがとおもった
当時の大阪桐蔭は投手陣が那賀・石田でちょっと弱かった >>555
那賀は翌年。この年は松原だろ。しかし失礼ながら横浜に勝つとは思わんかったわ。まあ次の早稲田実にあそこまで大敗するとも思わんかったが。 ある程度点差があるのに九回二死までどうなるか分からない不思議な感覚で最後まで観ていた試合だった。
まるで83年池田対PLのような感じだった。 >>545
その75年の春の九州大会で完全試合をした都城農の北別府は殆ど騒がれてなかったと思うか、甲子園で是非みてみたかった投手だった。 大雨情報見てると82年夏の長崎大水害を
思い出す、今みたいに逐一情報が分からず
一晩明けて徐々に大水害の爪痕が分かる有り様
予選決勝までよく出来たもんだな
その時、決勝で負けたのが長崎商だった >>560
当時はネットもなく、甲子園に出場できないと一般の人間は知るべくもない時代だが、九州の高校野球ファンとプロのスカウト連中には騒がれていただろ 甲子園大会特集号の記事で予選で消えた超大物として
桐蔭学園の長内とともに北別府の名前も挙がっていた。
農業高校と変わった名前で記憶に残っている。 >>543
江川の3年時の県予選(1回戦と決勝)を球場で観た。
決勝戦は雨上がりだったので結構空いていて、バックネット裏で観戦できた。
子供心にすげー速いとおもったけど、それ以上に
三振する相手がみんな腰が引けていて、おっさんの空振りよろしく
みんなで笑ってみてたなぁ。俺たちのほうがマシだ・・・なんて。
でも、よく高校時代が一番速かったと言われるけど、プロの時のほうが
速かったんじゃないか。 江川は法政大時代が一番速かったって聞いたが。
当時に今の近代的トレ−ニングを取り入れていたら、大谷のようやボ−ルを投げられたかもな。
高卒プロなら間違いなく名球会入りだっただろうに、本人はあんまりそんな事気にしてなかったっぽいな、、、 50才以上のキモヲタのおっさん、このブログで偉そうに書いている内容が
合ってるのか確認してみて
https://tilleternity.hatenablog.jp/ >>553
よく高校野球で東の横綱や西の横綱などの表現が使われるが、
東西の横綱がそのまま勝ち上がることは殆どないが、
このときの選抜は東西の横綱が決勝で激突。
相模は原、津末、村中で、高知は豪打の杉村と両チームに華もあって、
当時の映像を見るとスタンドが物凄い盛り上がってるのがわかる。
これほど華のあった決勝も珍しい。
ただ、この時の高知高校は夏には出てきてなく、土佐高校が代表になっているが、
何かあったのだろうか。 >東西の横綱がそのまま勝ち上がることは
これに該当するのは12夏くらいかな。
84夏も取手二は横綱とまではいわれてなかったと思うし。
83春のほうが互いに横綱感はあったかな。 >>560
ドラフト1位で指名されたので、無名だった訳ではない。変わった名前でもあって、
高校野球に興味があった人は皆、名前は知っていたと思う。勿論、動画は普及して
いなかったので、実際のところどういう投手かはプロで活躍してから知った。東海大ニ
の中野と双璧という評価はあった。中野はドラフト1位で近鉄に入って一軍登板出来ず
引退なので明暗を分けた。勿論、私も彼の投球を見ないままで終わった。 >>570
中野、懐かしい。左腕のしなやかなフォーむから切れのある球を投げていた。東海大ニには中原という似た様な左腕がいた。 >>568
75年夏は土佐が当時はまだ一般的に普及していなかったバッティングマシーンを
購入して打倒高知に執念を燃やした。
準々決勝で高知と対戦した土佐は満塁本塁打も出て6-0で完勝。
その余勢をかって土佐は甲子園出場を果たした。 >>573
1年生の片田投手のサイドからの変則投法を打ちあぐみ、0-0で6回にエラー絡みで満塁のピンチを招いて小橋に満塁ホームランを打たれて一挙4失点、その後2点を追加され点差からの焦りから大振りになって完封された。土佐は小橋、玉川という2年生に加え、片田、伊藤の1年生投手に、1年生の守備の名手大西を抜擢した若いチームだったが、若さからの勢いに圧倒された形 土佐はサイクル安打の玉川くんがいましたね
土佐ナインは文武両道だから宿舎でも夜は受験勉強してたとか言ってなかった? サイクルヒットで、いつも思うのだが、
プロ野球で昭和の時代、「広島-阪神」で、山本浩二選手がサイクル達成した。
終盤で、三塁打を打てばサイクル達成で、その打席、見事に外野を抜けて三塁打 と思ったが、
浩二選手は若いころの俊足ではなく、ドタバタして三塁に向かった・・。完全にアウトだった。
しかし、当時の阪神のサード掛布は、空気読んで
わざとファンブルして山本浩二のサイクルヒット達成に貢献した。
今思うと、掛布は先輩思いのいい選手だったのではないか。 それにしても、おっさんんたち
良くここまで熱くなれるな。 嫁はんとは冷たい仲やさかい
ここだけでも熱くなりたいんやで わしら老い先短いよってに、なーんちゃする事がのうてな
昔を懐かしんで楽しんどるわけや >>567
長文だし、知ったかだし、もうこのスレで終了して下さい。本当に加齢臭で死にそうなんで >>582
577のこといってるのか?
567は短文じゃ 60年代70年代のスレも荒らしてた奴かな。
リアルタイムで観て来た人たちの話を読むのが楽しみだったのに。
ネットから加齢臭がして臭いならここに来なかったらいいだけなんだよ。 >>548
誤差はあるかも知れない。でも今の選手のが圧倒的に速いのは間違いないだろう。 >>583
あなたは短文すぎて嫌気差します。もうこのスレ終了してください。さようなら、2度ときません KK3年の夏。
甲子園よりも高知県大会の方がレベルが高かったというのは
本当ですか? いや〜、俺40歳前だけど、おっさんたちに少しでもついていこうと
スレ1から読み返したけど、ごめん、やっぱり無理だったわ。
池田の畠山が徳島第何学区出身とか俺が60になったときに80のおっさんと
話せるように今から予備知識増やしておくわ。 >>429
広陵は優勝候補にも上らなかったのが面白いねえ >>589
あのときの広陵は2年生中心の若いチームが勝ち進むに連れて勢いを増していった感じだったからねえ
それとくじ運ね 優勝候補を次々に倒した松商学園上田が力尽きた形になったからな
天理や大阪桐蔭が決勝に上がってきたら、広陵が勝てたかと言われると微妙やろ >>587
KKのPLの大阪以外では全国的に注目された地区でした。
選抜優勝の伊野商、選抜出場できてたら打倒PLの1番手と目されてた明徳、春季県大会で2校を一蹴した高知商と出場校は少ないながらも激戦で。
伊野商の渡辺智男、明徳の山本、高知商の中山と全国クラスの投手力もあって。 >>587
甲子園でよりてのは微妙だけど
選抜優勝伊野商 春四国大会優勝高知商 四国最強打線明徳義塾が3強で翌年選抜で優勝候補なる高知とかいて全国一の最激戦区ではあったようだな
伊野商に渡辺智男 高知商に中山 明徳義塾に山本誠?それぞれにプロ注目投手がいた
あの年の夏予選は池田と徳島商も一騎討ちと注目されるなど四国のレベルが高かった
帝京 横浜 松山商など出てたら優勝候補なった学校が負けるなど波乱もあった
1998年に明徳義塾に寺本 高校商に藤川球児 高知に土居がいてあの年の再現なんて注目されてたかな このクズ→>>586は以前もワッチョイなしの時に荒らしてたな。
このクズはワッチョイありになった途端来なくなった。所詮チキンでヘタレなクズみたいな奴なんだなw >>587
今では伝説となっているヒ−ロ−インタビュー
【記者】センバツ優勝おめでとう。
【渡辺】ありがとうございます。
【記者】いや〜、準決勝のPL学園戦に続いて、
今日も凄い投球だったね。
【渡辺】ありがとうございます。
【記者】さっ、今度は春夏連覇の期待がかかり
ますが。過ごした早いのですが、夏へ
向けて抱負を一言!
【渡辺】地元に帰ればわしより速い球投げる奴
がおるけん、夏はここに戻ってこれる
かどうかも分からん。
【記者】・・・ 加齢臭が凄いんでsageでやって下さい。本当迷惑してます >>577
この時の画像(動画からの切り取りか?)残ってるね
三塁上の掛布の顔が思いきりにやけてる写真 やはり高野球史上最強の投手は海草中の嶋じゃろな
ゴホゴホ・・ >>596>>599
お前、自分で来ないって宣言して、なんで来るの?
0586 名無しさん@実況は実況板で 2021/08/14 22:40:41
>>583
あなたは短文すぎて嫌気差します。もうこのスレ終了してください。さようなら、2度ときません
2 >>599
小便臭い在日はココには来ないで下さいww
ここは日本なのでage進行していきます。 >>593
徳島県は池田と徳島商の一騎討ちだったのが県大会初戦でいきなり激突。
徳島商がサヨナラで下して結局は4季連続出場。
普通なら一騎討ちと目されてた場合は決勝カードになりそうなのが初戦で当たったというのは・・・
理由はわからないけどご存知の方はおります? >>599
ここはそうゆうスレだよ。気にいらなかったらもう来るな。うっせーな。 >>604
>普通なら一騎討ちと目されてた場合は決勝カードになりそうなのが初戦で当たったというのは・・・
確かY校(横浜商)がジャンボ宮城で甲子園に出場したときの県予選1回戦が
優勝候補の東海大相模だったと記憶してるが。
単にクジのいたずらじゃない? 2015年大阪大会1回戦から大阪桐蔭–履正社 >>588
文面からすると62歳だなお前w
見栄晴君か?
歳取ったら素直に生きないと孤立して嫌われるぞ お爺ちゃんw >>312
松商学園て昔から何年かの周期で不祥事が起きてねーか?
最近、北信越大会の野次が話題になってたけどあれ見ると
良いイメージ持たないな 加齢臭が他スレまで匂ってきました。
これはイジメです。
完全ないじめです。通報しました >>590
この選抜、松商学園が上田の快投で次々に強敵を倒して注目を集めたのは確かだけど、
一方で広陵もけっこう骨っぽい相手と戦っているよ。
準々決勝で下した鹿実は夏ベスト4だし、準決勝で下した市川も夏ベスト8。
初戦の三田学園もエースがのちに近鉄入りした岡本で、初戦で当たると難しい相手だった。
実際、準決勝までに一番苦戦したのが降雨再試合になった三田学園だった。
松商学園やミラクル市川に比べ、華やかさが無かったから目立たなかったのかもね。 市川・樋渡ー我孫子・荒井の投手戦は秀逸だったな。
その時の1年が桐蔭学園の高橋由伸。 今甲子園終わったけ遅くなった新記録みたいだけど
今まで1番遅かったの箕島星稜か 68年の津久見−高岡商の試合終了が21時27分で最も遅かった >>613-614
68年は第50回の記念大会で1県1校(北海道は2校)だった上に、西宮球場を併用しなかったから、
開会式の日から準々決勝まで連日休養日無しの1日4試合だったからね。
おまけに津久見vs高岡商の試合は延長12回までもつれ込んだ。 >>613
今まで1番遅かったの箕島星稜か
いくら何でも無知過ぎる知ったかだろおまえ!
名勝負モノで刷り込まれたアホ 熟年野球をやってます。
高校野球は目の保養になりますね。
球児ではなかったので、ある意味幸せな野球人です。 おじいぃちゃんたち、寝るの8時くらいなんだろうなぁW
起きるのは3時とかW
いや徘徊してるのかな >>619
糞スレ上げんな糞!臭いんやこのスレ!もうあげんな糞 近年復活したといえば、高松商に広島商。高知商も盛り返してきた。
70年代末から80年代にかけて高校野球に夢中になった世代としては、
松山商や宇部商、尾道商あたりにも復活して欲しいね。 宇都宮商も8年前に復活しかけたけどな
出場回数は少ないけど鳥目スラッガー斎藤と79年センバツのお陰で結構名前は知れてる >>623
笈川懐かしい!
宇商は作新が低迷してる間に何回か出場しておきたかったね
00年代の宇南はよく3回も甲子園の土踏めたと思うわ 1981年の早実はサンデー毎日ではオール95点評価だったんだな
どうみても過大評価だろチーム打率2割台ホームラン1桁で攻撃力95点は
金村報徳や印旛が早実以下の攻撃力評価はあり得ない
荒木大輔人気で甘めに採点したか
翌年上尾も守備90他オール95といい関東や人気チームを甘めに採点する傾向があるのかね
1981年早実が清原桑田PLと互角でヤマビコ池田より高い評価だったとは サンデー毎日の評価に異常にこだわる人いるね
ただの一雑誌の評価なんてどうでもいいじゃん 宇都宮南といえば、1983年夏に中京を苦しめたアンダースローの荒井が印象深い。 >>629
たった6行で長文とは、若ぶっている割に老眼でろくに目が見えていない様だな。 >>568
81年春の印旛とPLの決勝は東西の横綱
対決では?夏は両校が地区予選で破れて
大関クラスの秋田経大付、早実、報徳
名電が優勝候補になると週刊朝日(特集
号じゃない号)に書かれた。 気付いてる人いるかな
今大会、黒スパイク履いてるチームが全敗だ
名電、小松、熊工などなど 印旛は村上、佐藤、月山
PLは吉村、西川、若井
まさに東西の横綱対決だった。
確か5回か6回に印旛が先制して、そのまま9回1アウトまでリードしていたが。
千葉県の高校野球好きな50歳以上のおっさんにとっては、
最大の悪夢な試合だった。 PLー印場はよく考えてみたら
廃部ー校名変更と
もう二度と対戦がないんだな? >>637
この世代のPLからプロ入りしたのは西川、吉村、若井の3人だが、当時は田淵が注目を集めていたような記憶がある。
名前が田淵で、ポジションはキャッチャー、そして強打者だということで。
当時子供だった俺は、吉村や若井のことはよく覚えてなくて、むしろ田淵の名前を西川と共によく憶えている。 おぼろげな記憶だが、印旛の月山もワルだった聞いた覚えがある。
当時は牛島、愛甲、藤王もそうだが、名前に迫力がある選手は野球以外でも迫力があるタイプであることが多かったような。 >>640
漫画タブチくんがヒットしていたからね
ただ、打撃に脆さがあって選抜では張子の虎の4番打者だった 昭和56年の印旛も強かったけど
3年前のエース菊池のチームも強かった。
投手力では菊池の方が上じゃないかな。
この時も1回戦でPLに0−4で負け。
両方とも秋の関東チャンピオンだったね。 >>643
菊地の世代は菊地のワンマンチームでバックの野手陣が・・・ 自分も印旛は菊池のイメージだなぁ、、明治いったんだっけ 87年の東海大甲府のチーム好きって人います?
選抜でPLに5-0とリードして勝った思った当時 >>644
菊地の投手力で関東を制しただけだからなあ
菊地世代をみて印旛に入学してきた有力中学生が佐藤月山たち >>641
中学時代相当なワルだったとか
でも10年後のインタビュー動画見ると凄い好青年な話し方してる
蒲ちゃんに更生してもらったんだろう
>>646
確かソウル五輪メンバーになってる >>647
その年の山梨は東海大甲府が選抜ベスト4.
中込の甲府工業が選抜ベスト8でレベル高かったね。
秋県、秋関、春県、夏県の決勝がその二校の決勝だった。
夏の県大会決勝は甲府工の捕手がおかしくて
東海大甲府に11個の盗塁されて大差になったけど。 >>647
チ−ム力だけなら88年と同様、歴代で一番優勝に近かった年では?
選手権大会では、絶好調江口の佐賀工業が初戦で運も悪かったな。
この頃が東海大甲府の全盛期やったな。 >>652
甲府は1−1の同点で佐賀工にホームスチールを決められて負けたな。
あれにはビックリした。
で、勝った佐賀工も宿舎で騒いでて監督から金属バットで体罰喰らって。
次戦の習志野戦で信じられないような別チームになってた。 >>653
むかしの監督ってなんでバットで頭叩いたんだろうな・・。
自分も宿舎でミーティングのとき監督にノックバットで頭コン!とやられたときあったけど、
ホントに火花散った。。痛かったなあ >>656
そりゃ、昭和50年代は軍隊経験者がまだ身体が動く時代だったからだろう。
俺だって殴られなかったのは月に2~3回しかなく、頭を触っただけで痛かったもん。 >>653
江口が代表して殴られたんだっけ?
佐賀工ナインは「もうこんな監督の下でやってられん、明日は負けて帰ろう」と団結
試合中継のアナも「あれ?佐賀工ナイン全く気力が無いように見えますが…」と言ってたのは記憶にあるよ。
同じように気力がなかったのは、1992夏明徳義塾の星稜戦のあとの広島工戦、あの時の佐賀工とだぶって見えたよ。 大会終了後、雑誌の記事で頭小突かれた江口投手は、頭抑えて、しばらくうずくまっていた
と載っていた。 江口投手 よくブチ切れなかったな。
その時の佐賀工ナイン、抜群のチームワークだったのだろう・・。 雨用の球(レインボール?)みたいの使って9回までできなかったのかな。
打者もバット滑って飛ばしてしまって、あぶないか。。 >>658>>659
でも結局選手達が悪いんやろ?
また監督の怒り方がどうこう…と言う議論が湧きそうだけど、選手達がわるいんやろ 理不尽なしごき体罰とは違うと思うけどな。
選手達が反省したかどうか? 映画「思えば遠くへ来たもんだ」の最後のほうみたいに、
頭グリグリとか竹刀でケツ叩きだったいいんだけど(またはビンタ)、
バットで頭小突かれたら 冗談ぬきで痛いぞ・・。 >>656
夏の広島大会直前、広島工の練習を地元放送局がレポートしていた番組中、
小川成海さんが選手の頭を金属バットのグリップでゴツンとやる場面が普通に放送されていた。
怖い監督だな…と思ったけど、実際に怖さが尋常ではなかったみたいだね。
後年、小川さんに金属バットで殴られ、頭蓋骨にひびが入った選手がいたね。
レントゲン写真がスポーツ新聞の一面に出ていたのを見た覚えがある。 今で言うしごきなんて、昔は普通の練習。骨折させるほどではなかったがある日Y校の古屋監督の試合見てたけど練習試合で自分のところが守備の時、バックネット裏でタバコ吸ってた。おおらかな時代だったなあ。ただし攻撃時選手がミスすると…あの顔が鬼に見えた。色々監督見たけど、東海大甲府の大八木さんも怖かったなあ。出来て間もない頃だけど側から見てても怖かった。もちろん相模の原さんも。練習試合でも公式戦なみに怒ってた。自前のバス、今は珍しくないけど自分東海大相模で初めて見た。原辰徳が乗ってたけどウチの野球部の監督も厳しかったから女子は寄せつけなかった。 >>658 >>662
あの体罰事件、確か発覚したのが数日後だったような記憶があるな。
監督がもし口止めを図ってたのなら、悪質というほか無いと思うが。 宮崎商、東北学院とコロナ出場辞退が続いてるのが不憫で仕方ないな。
東北学院は1試合やれたからまだいいが、宮崎商はまだだったし。
書いてて思いだしたが、勿論オレもリアルでは記憶がないが、昭和37年夏、当時史上初の
春夏連覇を狙った作新学院が、夏の1回戦の試合前にエース八木沢が赤痢に感染したのは
当時も大きな事件だったんだろうな。
控えの加藤投手の頑張りで夏の優勝を勝ち取ったわけだが。 >>664
映画「思えば遠くへ来たもんだ」の監督
というよりも、「男はつらいよ」の座付脚本家 朝間良隆
は東北学院高校OB
以下、力強く省略 >>666
甲府の大八木監督、81年初出場時の主将がかなりのワルだったらしいが
「あいつは中学時代山梨でも三本の指に入る喧嘩の強さだったけど
俺も毎日鍛えてたからね、腕力で負けない自信あった」とか語ってたからな 東北学院は1試合やったし
宮崎商業は今年のセンバツに出てたよね確か
それでも気の毒ではあるが >>667
この件、問題の本質ってそこか?
監督の再三の注意も聞き入れず、深夜までエロテレビをみんなで鑑賞しながらバカ騒ぎを続けていた。 >>672
宿舎で騒いでた詳細ってそういうことだったのか?
初めて知ったよ、ありがとう。 高校野球の監督なんてそれくらいつぶとくて腕力ないとつとまらないよ
小澤章一も千葉英和て普通の学校赴任したらいきなり他教師に契約金はいくらだ!俺達よりナンボ高い給料なんだ?と絡まれたそうだ それで終わればいいけど野球部員がすれ違って1人でも挨拶しないだけで授業始まる直前に呼び出して
お前の指導が悪いからだ!と生徒の前で公開説教
年賀状や職員会議で目標は野球部よりマシな成績残したいですと毎年嫌味を言われる
小澤は小柄で性格真面目だったから我慢して耐えたらストレスなってパニック障害
その後ストレスから病気なって… やられたらやり返す位のヤ○ザみたいな性格じゃないと名門野球部なんてつとまらないだろ
荒木と小澤は仲が良かったみたいで枕元に2時間近く動かなかった
なくなった日にかけつけて全部出席したそうだ >>673
俺も聞いた話やけどな。
イレブンPMかサタデ−ないとし >>673
イレブンPMかサタデ−ナイトショ−のどっちかやったと思う。
監督の隠蔽の話もあったが、あれは「こんな話が世に出回ったら恥やぞ、、、」の指導が、飛躍して隠蔽した、、の噂になったって聞いた。 >>647 東海大甲府 82年のチームが印象深い、相手は高知商 この頃の高知商は毎年
毎年好投手を送り込んでくるが、この年だけ投手力が弱かった
>>688 八木沢以外にもう一人保菌者がでれば棄権ということになった、で補欠の
選手のみるからに健康的なウンチを提出して合格 作新は窮地を脱した >>679
椚投手と花井一塁手、杉村三塁手か
東海大甲府甲子園初出場の前年、新発田農に初戦で負けたときの主力が残っていた >>668
宮崎商業と東北学院に見習って作新学院も辞退しなさい!
一番最初にクラスター起こしたの作新学院だからね。 今日の桐蔭と菅生の試合見ててS54選抜の池田-東洋大姫路思い出したの自分だけだろうか?内野ゴロは止まるし、当時の芝はまだ綺麗ではなかったから外野に抜けても境目で止まる。とかあの試合だけですね。江川と銚子商の試合も有名だけどあそこまで酷くなかった。 >>682
69年センバツの準々決勝第4試合の堀越VS三田学園も酷かったよ
2-1で堀越が勝利したんだけど三田学園の1点は淡口がまわりが水たまりみたいに
なってたホームベースにヘッドスライディングでホームインしたものだった >>633
あの年の東の横綱は早実ですよ。
西がPL学園
報知高校野球で夏終ってから
翌年の早実と天理の特集していたぐらいだから。 >>670
1981年夏は当時、初戦敗退が続いていた49番目のくじを引き、広商を破った新発田農相手に初戦敗退だったね。
当時は山梨というと弱小県のイメージだったので、妥当な結果と思えた。
しかし翌年、高知商にサヨナラ勝ちするなど2勝し、荒木が最終学年だった東の横綱・早実相手にも負けながら好勝負を演じ、
これ以降の躍進ぶりは凄まじかったね。
ただ、80年代にまばゆい光を放ち、90年代になってフェイドアウトしたような印象だが。 1989年選抜の県岐阜商対西条戦も終盤雨で田んぼのグラウンドになって、三遊間へのゴロが水溜まりで止まることがあった 昨日の試合も酷かったが日程押されまくりで同情の余地はある
県岐阜商対西条なんて余裕あっただろうに強行してた
当時の高野連は今と比べ物なならないくらい鬼畜だったな
第四試合の勝者が翌日第一試合登場とか >>687
県岐阜商vs西条の試合は1回戦最後の試合だった。
あの試合さえ消化したら2回戦8試合は4試合x2日で消化出来るという思惑がミエミエ。
それでなくてもセンバツは雨天順延が多いし、極力順延したくなかったんだろうな。 >>685
東海大甲府が有名になったのは
早実・板倉のあまりにも有名な
三塁手がジャンプした弾丸ライナーのホームランだね。 80年代は野球以外でも暴力はひどかったようで女子バスケの王者シャンソン化粧品
の助っ人ドノバン選手がnumberで選手を殴るのはやめてと監督を告発したけど
他のマスコミは無視。確か監督もお咎めなし。暴力が珍しくなかった時代だったので
しょう。今なら大炎上でしょうけど。ドノバン選手はアメリカに連続で金メダルをもたらした超
弩級の選手。野球に例えると全盛期のハンク・アーロンが巨人の助っ人に来たようなもん。 80年代初期の高校野球はめちゃくちゃだったねw
自分は小学生で横浜スタジアムに横浜と武相の準々決勝か準決勝見に行ったが 横浜の愛甲が内野ゴロ打って一塁ベース駆け抜けてアウトになった時武相のスタンド組の部員がネット際まで降りてきて...50人くらいで「愛甲テメー殺すぞ」とか「帰り待ってろよ」とかそりゃあもう今だったら大問題になるくらいの罵声の嵐w
愛甲は愛甲でネット前で立ち止まってガンたれまくり。流石に言い返しはしなかったけどさw
おおらかな時代でした。 宮崎商は致し方ないと思うが、東北学院の辞退事例に関しては、今後に影響を及ぼしそうだよな。 >>692
あんまこのスレに関係ないと思うけどアレは学校側の勇み足だと思う
特定されたら将来に影響を及ぼすって言うけど自分のせいで辞退という負い目の方がきついわ
そもそも特定されて差別されるなら(ないと思うが)その時学校が守ってやれよ
自分は宮城出身だけどこういうの悪い意味で東北ならではだよなぁと感じる いまは数年前の「ただの風邪」も、
コロナになってるんじゃないんか?
今年の初めの冬、インフルエンザにかかった人は何人だったのか。 でも荒木大輔はヤクルトでは先陣切って乱闘に加わり安仁屋爺さんと殴り合ってた。
広商は昔は島や芸北の選手ばかりでたくましかった。 >>680
花井はセレクション同じスタンド
連発だったな。 >>695
年間3万人死ぬ肺炎球菌では何も騒がないけど、
コロナは1年半で6千人に届くか届かないかの死者数。
もう騒ぐのは止めたほうが良いね。
デルタ株とか言ってるけど、ウイルスはどんどん変異していくのは昔から常識。
変異するごとに感染が広まって弱毒化していくのだから、感染しても問題ない。
感染者数ばかり報道して煽りまくるマスコミもいい加減にしてほしい。
というか、インフルなんてひと冬の間に1000万人、ピーク時には1週間に120万人かかっても普通に生活してた。
今回のコロナは高齢者のワクチン接種進んでるし、現役世代は高齢者ほど重症化しないし、
(厚生省のデータを見たら、若い世代で重症化するのは3333人に1人。しかも100%肥満体の人)
死者も減ってるんだから(東京都は先週1人!)もう感染者気にするのはやめて社会を通常に戻すべき。 コロナ陽性者が、
「ハンセン病」患者、家族みたいに、ならないことを願います。 49歳10か月なんで、残念、このレスでコメントできないですね。
退散します。失礼しました。 >>666
蔦さんもベンチでタバコ吸ってたよね
報徳学園だったかな?
確かつべに動画残ってたと思う >>665
監督の暴力なんて主力選手がたるんだときにカツいれる行為でどこでもやってた
レギュラーに暴力振るわず、補欠にみせしめとして暴力ふるう高校は当時でも珍しかった。 俺もこのコロナだけこんなバカ騒ぎするの分からんね
まだワクチンや薬が無く被害がどのくらいになるか分からなければまだしも
もう年間でこの位の感染者数、死亡者数は試算できるだろ
そもそも感染症でノーリスクなんて細菌、ウイルスが無くならない限りありえないのだから >>684
それであってる、秋田経法は大関どころか小結 >>706
選抜は秋田より明治神宮大会で早実を破って優勝した星稜のほうが前評判は高かった >>619
80、90のじいじもおれば、40歳代のじいじもおるんや、仕事から帰って来る人もおるさかいな一概に言えんやろ。 古い話になるけど、2アウト満塁フルカウントで雨天中断といえば、1976年(昭和51年)2回戦、
長崎海星vs福井の試合を思い出してしまう。
あの試合ラジオで聞いてたけど、確か7回表、試合成立寸前だったような記憶があるが違ったかな?
長崎海星のピッチャーは、あのサッシー酒井だった。
1時間以上の中断の末に試合は再開された。 甲子園の雨天コ−ルドって七回か?
なんか五回裏成立ではないの? >>711
ワイも同じ疑問感じたわ。調べたら7回やった。 >>711
高校野球は基本的に7回。プロ野球は5回なのにね。負けてる方の5回攻撃が終了時だから5回なら今日の試合は成立。ところで、駒苫の全国制覇前年。大量リードでノーゲーム、の時はその点差でサスペンデッド、って何点差なんだっけ。これの規則改正ってまだ生きてるのかな? >>713
調べてくれてありがとう−
ずっと5回や思てたわ。
力的には近江が全然上だろうから、今日の展開なら日大東北は得したかどうか分からんね。 鹿商工-堀越戦は9回までやらせてあげたかったな
滝川二-高田よりはまだ逆転の目あったと思う >>716
鹿商工は次戦常総に3ー0でリードしながら雨天ノーゲームで再試合で敗北だった >>709
今日の日大東北-近江は
なんで午後に二死満塁フルカウント中断の場面から再開しなかったんだろう。
甲子園のルールで、中断が何時間以上になったら、ノーゲーム
みたいのあるのだろうか・・。 >>718
雨天中断の最長時間はどれくらいですかね。
82年夏準々決勝東洋大姫路vs熊本工が2時間以上中断してから再開した記憶がありますが。 >>718
高校野球の硬式ではサスペンデッド(一時停止試合)の規定が無いから。
一方で軟式はサスペンデッドの規定があるから、数年前に延べ4日、延長50回という試合があった。
でも、日本高野連はサスペンデッド(継続試合)導入を検討しているようだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d42ba78b6df3c8f184fc7c8aa7777208ee49fd26
サスペンデッドのデメリットは、やり直しではなく続行試合になるから、交替させられた選手は
再びその試合には出場出来ないことくらい。
1週間500球の球数制限はノーゲームでもカウントされるのだから当然だと思う。 >>720
さっそくの返答ありがとうございます。
「続行試合」が導入されれば、あの変なタイブレークもなくなり、
延長15回で引き分けだったら、再試合でもなく、後日延長16回から続行試合になるのかな。
その方がいいと思うのだが・・。 高松商のユニフォーム一時期TAKASHOの時代なかったですか? 確か平成初期の三好投手で甲子園出た時やったかな? 自分はある週刊漫画雑誌で高松商の「志摩供養」を知って、
甲子園での高松商の試合は注目してた。
昭和52年夏の銚子商のとき、志摩供養を当時はテレビで放送し、初めて見た。(ホントだったんだ)
翌昭和53年夏の河地投手のときもみたがユニフォームは、
「TAKAMATSU」だった。
甲子園に、「TAKASHO」で出場した時あったというのには驚きました。 >>723
90年春ですね。
TAKASHOのユニフォームでの甲子園出場はその時だけ。 >>724
同じ文字でもS51の時はこんな丸っこくなかった。 河地投手かっこよかったよなー。
子供心にすらっとしててイケメンだなと
憧れの目でテレビ見てた。 >>729
西濃運輸行って肩壊したけど。良い投手でしたね。ノーアウト一塁に河地で送りバントしたら、2塁手にファウルと言われベンチに戻ろうとしたらタッチアウト。あそこから仙台育英は大嫌いになったわ。今だったら2塁そのままだろうな。高校野球らしくないとか言われて。 >>729
何か忘れたが、娘さんが雑誌か何かに出てたわ。
めっちゃ可愛いかった。 >>730
東北人(宮城ではない)だが、
仙台育英は数年前、
一塁手にキック走塁したな。
ちょっとガッカリした・・。 高松商夏に勝つん26年ぶり?浦和学院に勝った時以来なん以外やな、浦和に勝った時も夏は20年以上ぶり久しぶりの勝利じゃなかったかな? >>733
25年ぶりとか、1996年(平成8年)以来やね。
あの年は松山商の奇跡のバックホーム以外は印象が薄い年だった。
今、記録をめくってたら、ベスト4が公立(松山商、熊本工、前橋商、福井商)で
占められた最後の年だったんだな。 >>729
岡山・香川高校野球史ってタイトルで
仙台育英戦と30歳の頃草野球やってる動画があった
あれ見て俺はイチローに似てるなと思ったけど >>734 すみません勘違いしてました。26年前は観音寺中央の内野5人の時ですね
その年はベスト8に波佐見、高陽東と公立校が大活躍でした >>733
優勝候補の浦学を粉砕した年以来だね
当時は新進気鋭の浦学森士監督が今大会で勇退とはねえ >>737
浦和学院って同じ香川の、伊良部がいた尽誠学園にも初戦で負けたことがあったね。
あのときの浦和学院には、超高校級スラッガー鈴木健がいたけど、伊良部の前に
キリキリ舞いさせられてたような記憶がある。
1987年(昭和62年)だったような。 河地投手て仙台育英の大久保投手と延長17回投げ合った人か
あの年仙台育英は優勝候補筆頭だったけど強かったのか
予選は殆ど大差の無失点で通過してるな >>719
東洋一熊工は1時間22分中断だったと記憶している。
知るかぎりでは75年夏の習志野一広島商業が1時間47分中断した。 1987年の浦和学院は前年ベスト4の実績あってか東では帝京 東海大甲府と共に優勝候補だったな
1990年代の浦和学院 横浜は毎回優勝候補なるけど評判倒れの脆い関東の象徴的なチームだった
1998年松坂で横浜は勝ち浦和学院は選抜で新垣いた沖縄水産に勝ってから変わってきた
浦和学院はその後もかなりやらかしてたけど 大谷かま日本人初の40号と100イニング到達した日に藤浪がベイスターズにノックアウトされるとは
高校時代はの藤浪は圧倒的で敗けるどころか点取られるイメージすらなかったのに
大谷は怪我が多いはノーコンで扱い難しかった >>741
90年代前半だったと思うけど、春夏連覇を目指した帝京が、夏の初戦でやはり同じ
尽誠学園の渡辺に0−1で抑えられて負けたのを思い出した。
尽誠学園の渡辺、確かストレートで大阪大学医学部に合格してたと思うけど、
伊良部とは違って頭脳派な投球が冴え渡ってましたね。 >>741 優勝候補言われて中越に負けた時の浦和学院は衝撃やったな >>744
確か準優勝投手土肥を打ち崩して木塚だかいた時だよな中越の投手全く打てないとは
それ以上にあの年は斎藤紀田多村の中軸に横山矢野の投手陣で
選抜は智弁和歌山に大敗夏は那覇商に敗けたのはショックだった
どっちも肝心なとこで打てなくなってたな >>719
1994年夏の準々決勝佐賀商業-北海の試合も二時間近く中断してたと記憶している >>745 90年代の横浜は松坂で春夏連覇するまでは甲子園出たら優勝候補言われて格下に負けまくってましたね。新野、那覇商、大院大高、福井商
智弁和歌山も当時はようやく甲子園で1勝したようなまだまだ知名度そんななかった時代やし >>682
54選抜の池田って秋季四国大会、高松商戦日没引き分け再試合で初戦負け
あれ中村が落選して、けっこうラッキーな出場だった きょうは8月19日 バイクの日です。同時にむかし中京-明石の延長25回が
おこなわれた日でもある 中京の吉田は明治に進学したがパッとしなかった
モチベーションがなくなったのが要因で、中等野球で投げすぎたのが原因ではない
いまの玉数制限は過保護すぎる >>742
大谷、藤浪と並んでBIG3と言われた
名電の浜田達郎もお忘れなく。 >>719
時間的には大したことないかも知れないけど、1988年夏、3回戦最後の試合だった
沖縄水産vs愛工大名電の試合も、結構長い時間中断があったような。
でもそれ以上に印象的だったのは、愛工大名電に勝った沖縄水産が第4試合で
最後の試合だったにも関わらず、翌日の準々決勝、浜松商戦が第1試合だったこと。
今みたいに配慮されてない時代だったから可哀想に思ったけど、浜松商相手に
逆転サヨナラ勝ちしたのはあっぱれだったですね。 >>743
大阪大ではなく大阪市立大
学部も医学部ではなかったはず
でも野球漬けの生活をして甲子園でベスト4で、試験受けて現役合格は素晴らしい
頭が良かったんだろう >>751
浜田はクラノに潰されました
2年秋の時点では素晴らしい左腕でしたが、肌寒い11月の神宮大会4連投で選抜では球威が落ちており、その後ゴールデンウイークの練習試合で無駄に連投させられ、夏の甲子園では凡庸な投手になっていました >>741
2002年に優勝候補同士の対決で選抜優勝校報徳学園に快勝したものの次戦で川之江に逆転負けしたのは印象的でした。 高松商業といえば大北とか思い出す
PLに滅多打ちされたけどね >>745
那覇商戦は92年明徳が松井5打席連続敬遠した時ほどは騒がれなかったけど、4番紀田が全打席歩かされて後続5番の多村が打てなかった・・・ >>706
1981年選抜、おれの記憶では、早実とPLが東西の横綱という前評判。
この2強に次ぐ評価が印旛、興南、秋田経大付属、星稜あたりで、大府の槇原が個人的に剛腕投手として高く評価されていた気がする。
報徳がどういう評価だったかは全く覚えていない。
選抜で初戦敗退だったこともあり、夏もそんなに前評判は高くなかったんじゃないかな。 >>759
1981年のセンバツというと、2回戦でPL学園相手に9回2アウトまで0−0の試合をやった
東海大工のエース成田を憶えてる。
9回2アウトからホームランを喫して0−1で敗れたが、1回戦でも前評判が高かった高知商を
相手に1失点完投勝ちしてたし、全くノーマークだったような記憶しか無い。 ホームランを打ったのは確か吉村だったと思うけど、PLは中村監督が就任してすぐに優勝と
ここから快進撃が続くことになったんだよね >>761
あ、そうそうあのホームランは吉村だったね。
高知商はこの大会まで過去10回出場ながら初戦敗退は一度も無く、
11回目の出場で東海大工が初めて初戦で土をつけた。 >>760
その成田投手は卒業後、国家公務員になったと思った。 1983年あたりにしょっちゅう新聞に「日大東北高・斎藤投手が23奪三振」とか載ってて
「ほう。今年のドラフトの目玉はこの斎藤という投手か?」と思ってたが気がつけば、その年の
秋になっても斎藤の「さ」の字も出てなかったな。「THIS IS 広商エース」の沖元が「C 日体大」と
出てたくらいなのに。 高松商vs作新という、
50歳以上のおっさんが喜びそうなカードがあった。
高松商の名勝負といえば、
1960年春の高松商vs米子東
なんとサヨナラホームランで高松商が優勝。さらに鳥取県勢が決勝というのが驚き。
1976年夏 高松商vs銚子商 宇野のファインプレーでサヨナラを阻まれる。
1978年夏 高松商vs仙台育英(お馴染みの試合なので説明不要)
後、四年前の春の決勝の高松商vs智弁学園も良い試合だった。
名勝負ではないが、当時、開校3年目の初出場の明野に負けたのも衝撃だった。 >>764
日大東北高・斎藤投手って身長165センチくらいの技巧派閥ピッチャーだよ。
まともにカーブ打ちの練習したことない弱小チームにカーブ連投して三振奪取。
フォームがきれいなオーバースロー(ほぼ真上)で、写真映えするんだよね。
静止画ではしごくダイナミックで力感あるフォームに見えるが、
実際は柔らかくゆったりとしたフォーム。 >>759
報徳は選抜では優勝候補の次ぐらいの評価、秋の近畿大会はPLに完敗したものの金村中心に大型選手が多く潜在能力を買われていた
夏は、朝日の予想では、ー予選で東洋大姫路に完勝するなど金村投手の成長を買う声が多く優勝候補の一角だった。
このとし、近畿ではPLや箕島、天理がおらず、報徳は買いかぶられたような気もしたが、見事優勝だからさすが朝日と思った 朝日の予想ですごいと思ったのは1982年の選抜でPLを優勝候補の筆頭に
したこと。サンデー毎日だと上尾や箕島を優勝候補筆頭にしていたけど。
一、二回戦を見ていたら打線がショボくてPLが優勝できるとは思わなかった。 >>766
今日の近江-日大東北戦で、初回ピッチャーが強襲の打球を足に受けたとき、
すぐマウンドに行って、冷却スプレーかけようとした近江の三塁、一塁コーチャー、すごいな。
そのあとのイニングで、捕手がファールチップみたいの足に受けたときも近江の三塁コーチャーは、すぐに駆け寄っていた。
日大東北の選手は相手チームにはかけてもらったなかったようだが、なんかいいものみせてもらった。
近江高校、近畿最後の優勝校になるように、これから応援するよ。 日本文理の田中投手もやし1年生で140中盤投げるピッチャーいるらしいし、なんかほんまに弱い新潟のイメージを払拭しましたね日本文理の近年の活躍は新潟のチームがこんなに打つなんて。昔の新潟って好投手いても貧打で負けるイメージ 安定した私学のある県は雪国のハンデ関係ない
文理、明訓、中越の3強の新潟はかっての最弱県ではない
北信越最弱になりやすいのは未だに公立優位の富山だよ 富山県勢って夏ベスト4ってないのね
昭和61年春の「ミラクル新湊」のイメージで夏もとっくの昔にどこかの高校がベスト4あると思ってた。 >>772
S 48富山商がベスト8まで行ったし富山第一も行かなかった?まあ4はないけど。 >>771 新発田農業が広商に勝ったり今では当たり前な1勝が夜寝れんくらい嬉しかったあの時代が懐かしいです
文理の9回追いつかない反撃はもうお家芸やねしかし最後まで何かやってくれる期待させてくれるチームですね。 夏に3勝するということは、一回戦からだとベスト8だが、
二回戦からの3勝はベスト4。
夏に4勝してない県は、わりと多い はずだ。 月刊野球党てホームランの前進だろ
何で名前変わったんだ 千葉真一のキーハンターは、このスレの住人の子供の頃かな それにしてもおっさんたち、熱すぎだろう、平日なのに。 >>684
まあ、俺は千葉県人だからかもしれんが、
この時の東の横綱は印旛だっと思ってたけどね。
もし、早実と印旛が戦ったら、印旛が勝っただろうな。
そのくらいこの時の印旛の完成度は高かった。 >>773
富山第一が準々決勝で延岡学園に取りこぼしたのが痛かった
あのチームは投手も打撃も良かったけど、試合運びが下手くそすぎた >>774
2014に富山商相手に逆転サヨナラホームラン打っているぞ
富山の勝負弱さは文理の追いつかない反撃の伝統を凌駕した
この年の富山商は森田がいたのでベスト4行けたよなあ ↑夏の選手権一大会四勝がない県は
【山形】日大山形(13年ベスト4)
【福島】磐城(71年準優勝)
【富山】魚津(58年ベスト8)
【鳥取】米子東(57年ベスト4)
【島根】江の川(03年ベスト4)位か? >>768
この年のPLは、秋は大阪2位(1位は桜宮)、近畿大会も準決勝で箕島に負けていたからね。
箕島より上の評価にはしにくかったろうね。
これまで甲子園での箕島との対戦も0勝2敗で相性が悪いイメージがあったしね。
甲子園では、結果的にPLが箕島に勝ったけど、あれは尾藤さんの采配がよくなかった。
このスレでは、尾藤さんは取手二に負けたのを境に勝ち運に見離されたような話がよくされてきたけど、
このPL戦の敗戦で「近畿の盟主」の座が箕島からPLに移った印象もあるね。
1987年選抜の準々決勝の前までは、PLより箕島のほうが甲子園での成績も少し上回っていたからね。 >>772
富山といえば勿論オレにもリアルな記憶は無いけど、あの徳島商・板東英二と延長18回
引き分け再試合までもつれ込んだ魚津高校を興味本位でネットで見たことがあるが、
なんとビックリ偏差値65で、富山県トップクラスの進学校なのな。
https://xn--swqwd788bm2jy17d.net/16_00003.php
板東英二との名勝負をやった時代はどうだったのかは知らないが、今後も魚津の復活は
難しそうだ。 しかし引退なされた智弁和歌山の高嶋監督の打撃面における指導法は凄かったんだなあ。近年では智弁和歌山が完封されたのを殆ど見た事がなかった。前半点が取れなくても終盤に必ず大量点を取っていた。 >>783
この選抜は大阪大会近畿大会の決勝も球場で見ていて
箕島の尾藤さんも警戒していた桜宮が優勝すると思ってた
中京野中が甲子園で最高の投球するのは予想外だった >>783
箕島が盟主の座から転落したという印象を持ったのは83年の選手権での
戦いぶりだった、1、2回戦ともさして難敵でもない相手に大苦戦、3回戦の
高知商戦では津野に満塁本塁打を浴びたりして完敗に終わった
大会前は3期連続優勝を狙う池田の打倒候補一番手との評価だったのに大会途中で
それが中京に替わっていた
今から思えば箕島が本当に強かったのは石井毅−嶋田のバッテリーの時だけだった
ように思う >>785
00年代あたりはよほどの好投手と当たらない限りイチコロさえなかったからね
しかもただ負けるのではなく何かしら爪痕を残してたのが恐ろしかった
それだけにこの試合だけは何度スコア見ても違和感しかない
03春準々決勝 智弁和歌山 0-13 徳島商 >>787
春夏連覇世代はここぞという場面でのバントはことごとく決めて点に結び付けてました。
バントの箕島の異名もあってプッシュバントも駆使して縦横無尽に。
年を経る度にバントの精度が落ちて83年のチームは大型でしたが、小技はあまり得意ではなかったような。
打線の中心の4番の山下は何故か送りバントを決めてた場面しか記憶してないけど・・・ >>787
そもそもその大会で箕島が池田の打倒候補一番手にあがったのは、蔦監督が「箕島は怖い。あそこは何をやってくるか分からん」と言ったからだぞ。箕島の甲子園での試合を見た蔦監督は「投手の調子があれじゃ駄目だわ」と即前言撤回だった。 昔はテレビの音を消して
ラジオ放送を聞きながらテレビ観戦が好きだった。
今はそれやるとタイムラグがあるから
訳わかんなくなるけどね >>791
エースが近鉄2位の吉井、2年生投手に翌年阪神と広島に1位指名される島田弟と杉本
この頃は弱小だった山梨の高校に大苦戦、次の試合は高知商に惨敗
翌年打倒PLの最有力候補と言われたが、取手二に逆転負け
戦力的にはかなりの物だったが思うが弱かったな
春夏連覇の翌年夏、春優勝の中西高知商に勝ち、大本命横浜に粘った年や
連続無失点の上尾の日野を初回攻略し東西横綱決戦に勝利し、甲子園初出場の明徳と歴史に残る熱戦
ここまでの箕島は強かった
甲子園では2連勝してたPLとの対戦、9回まで0-1で負けていたが一死二塁三塁
前みたいに箕島逆転するなと思ったのに、スクイズ失敗し三振
江夏の21みたいな終わり方で、そらから強い箕島見たことない >>782
福島の準優勝はあるけど4勝はナシって 珍しいな しかし今やっている智弁ー横浜戦の話題は全く出ず、
1970年代の昔話のほうが好きとは・・恐れ入るわ、花咲おじいじゃんたち >>795
と思うなら来なければいいだろ。ワッチョイIP付きだと逃亡するチキンでヘタレのニートの糞ガキw >>794
磐城は出場校30校時代の1回戦不戦勝で2回戦から登場、3つ勝って決勝だった >>791
1979年の決勝戦で池田は箕島と対戦、キャッチャーの送球の異変を箕島嶋田に見抜かれ、8盗塁と走りまくられ敗戦。蔦監督にはそのときの印象が強く、箕島を警戒していたようだ >>795
かつて奈良県勢が神奈川県勢にまるで歯が立たず、甲子園で11連敗してたとは
信じられない戦いぶりでしたね。 >>799
今年の智弁は山口哲治のいた77智弁とどっちが強いのだろうか >>797
30校ではなく32校でないのはなんか理由があったのだろうか。 >>801
代表が30校になった当時は単独で代表にできる県が多くなかったのも原因と思われる。
各都道府県の代表校が参加した初の記念大会(58年)の翌年から
最大で2県で1代表を出す制度に変更したが(それ以前は3県で1代表のところもあった)
初年度は南九州だけ宮崎・鹿児島・沖縄の3県から1校の全29代表だった。
沖縄の参加校が少なかったのももちろんあるが、
鹿児島が他の単独代表の県ほど参加校が多くはなかったので単独にしにくかったのだろう。
ただし、その翌年から鹿児島は単独代表になり、宮崎・沖縄で南九州にして30代表になった。 参加校が少なかったから、一回大会は8校とか30年代、40年代は20何校の参加とか年によって違うかったしな。 >>801 たまたまだろう。昭和35年から47年まで記念大会を除いて準安定状態になった。
磐城は選抜優勝校の日大三を破って出場した優勝候補筆頭の日大一が相手だったので
初戦負けと思われたが、保坂との投手戦を制して3試合連続完封であれよあれよという
間に決勝に勝ち上がったな。相手も初出場の桐蔭学園だったので新鮮だった。上背の
ない田村はともかく、ノンプロや軟式で長く活躍した大怩ヘプロでも活躍出来た気が
するけど。 夏は
北海道
東京
神奈川
愛知
大阪
兵庫
だけ単独出場でいい >>795
何でこいつちょくちょくジジイのスレに顔出してんの?
ツンデレジジ専ホモみたいで気持ち悪いんだけど >>802
1県1校が実現する直前、1975年(昭和50年)の地区割編成で、当時東中国だった岡山県と
北四国だった香川県が、県単独出場が認められるという謎の事態が起きてるんだよね。
この当時参加校数が40校未満ながら、県単独で代表校を送り出せたのは岡山県と香川県のみ。
まさかとは思うけど、当時数少ない朝日系列局の瀬戸内海放送が岡山県と香川県を放送エリアに
してたことは関係無いだろうと思いたいですが。 >>807
74年から代表校を徐々に増やして、78年の60回から1県1校に固定することを決めていた。
74年は特に参加校が多かった東日本を中心に4校増やし、75年は逆に西日本を中心に4校増やした。
岡山もこの年から単独になったが、鳥取・島根の山陰から代表校を出したい思惑があったのだと思う。
(それまでは東中国と西中国だったので山陰側から代表校が出にくかった)
香川が単独になった76年は3校増やしたが、4県の四国で参加校の多い愛媛を単独にするために
棚ぼたで香川も単独になったということだろう。 >>808
香川は岡山より1年遅れの76年でしたか、勘違いしてました。
この年は東北(山形・宮城)、中九州(大分・熊本)大会も廃止されたのを憶えてます。 単独出場増やしていく過程で、栃木が単独になった後の数回やった北関東大会は無理やり過ぎだった
山梨県が北関東大会はないだろう >>808
沖縄と宮崎が南九州地区からそれぞれ単独県出場へ
ちなみに75年では香川県はまだ愛媛県との北四国大会で、76年に単独県出場になった
岡山県の単独出場から1年遅れだね >>810
あれ変だったよね?
群馬と山梨だったら北関東じゃ無く、どう見ても西関東だよな?
「北関東」って言葉に何か特別なこだわりでもあったんだろうか? >>810
群馬と山梨だと西関東のほうがマシかな?
単独県出場が遅れた奈良和歌山の紀和大会と高知徳島の南四国大会はハイレベルだった。前者は77年に天理智弁箕島が同居という空前の激戦区となった >>810
59年からできた「西関東」より、戦前から続いていた「北関東」という呼称を残したかったのだと思う。
いずれにせよ3年間でなくなるのが確定している暫定的なものだったので。 【鈴木孝政 ストレート】成東高では快速球で鳴らしドラフト1位で中日入団。
全盛期1975年前後の速球はセ随一!その後ヒジ痛で成績ダウンも先発転向で見事に復活。1989年引退まで17年間活躍。
https://youtu.be/wVOA16wd_sI
(1時間前に公開) 08:07 >>813
紀和大会で思い出したけど、両県から1校ずつで代表を争ったのって
紀和大会と福滋大会の2地区だけだったと思うけどあってる?
他は2校ずつ出場してたかと。 77年夏の最後まで残った地区大会
奥羽(青森、秋田)
北関東(群馬、山梨)
北陸(富山、石川)
福滋(福井、滋賀)
紀和(奈良、和歌山)
山陰(鳥取、島根)
南四国(徳島、高知)
西九州(佐賀、長崎)
で合ってます?
紀和大会は選抜優勝の箕島、4強の智辯学園、8強の天理の3校がいた大激戦区に。 >>817
その通りです。
かつては、山形・茨城・熊本はなかなか甲子園に出られない時期がありました。
和歌山や滋賀は夏は難しくても春は出てましたね。
福滋大会できたとき、福井勢が4タテするのも予想されました。 >>817
77紀和大会は豪腕木下、強打の西岡と後のドラフト選手がいた田辺高校もいた >>817
77年の紀和大会は確かに激戦区。天理は選抜の優勝候補筆頭で、中村に準々決勝で
負けたのが大番狂わせだったからな。鈴木康友とか福家とか選手も揃っていた。
和歌山では選抜優勝の箕島が本命だったけど、コロナ禍とかあって田辺に負けて
和歌山代表になれなかった。エースの東は定時制だったけど、選抜も予選も殆ど
点を取られていなかった。どちらかと言うと貧打だったのかね。 あ、コロナでなく、コレラ。
田辺の木下は巨人でドラフト2位だから箕島が打てなくても仕方がなかったのかも。 >>820
77選抜で天理は中村の山沖に力でねじ伏せられたからな
85選抜でPLが伊野商渡辺に力でねじ伏せられたのと一緒
前評判から見れば番狂わせだけど、試合を見れば結果は必然だった >>820
山口哲治、鈴木康友、福家雅明、木下透、西岡洋と後のドラフト指名選手も多かった
プロで一番活躍したのが社会人経由でドラフト外プロ入りした箕島の上川誠二とはねえ
西武から中日へ移籍した鈴木康友が上川にポジション争いで勝てなかったとか、この時点では想像もできなかったなあ >>823
箕島時代の上川の記憶がまったくない・・・
エース東、主砲栗山、2年生の西川は記憶してるけど。 >>783
箕島の影に隠れてひっそりと82センバツに出ていた大成高校
87センバツに部員10人で出場したのは有名だが、実は82年にも出場していて
中京の甲子園100勝目の対戦相手となった。 桜宮に完勝した中京の戦いぶりを見たら
大成は中京に歯が立たないだろうと思ったが、
意外と接戦になった。 >>826
高校野球で2時間を切る試合は珍しく無いけど、
あの試合はとにかく早かったような記憶が。
1時間半切ってなかった? >>826
1987選抜の大成は、初戦で東海大甲府をあわや…というところまで追い詰めたね。
逆転された9回裏、10人目の選手が代打で出てきて、喝さいを浴びたのを覚えている。懐かしいね。
この頃の和歌山は、箕島が衰退し、智辯和歌山はまだ強豪として確立されておらず、
いろんな学校が甲子園に出て来たけど、どこもあまり勝てなかったね。 1977年の今治西て強かったのか
優勝候補1番手の智弁学園に快勝して早実に大勝
眼鏡の長身投手はプロにいかなかったのは謎 >>825
初戦は2番で、2戦目からトップバッターだな
毎試合ヒットを地味に記録 >>830
今治西三谷は早稲田大の1年で胴上げ投手になったが、2年になって肩を壊したためプロへ行けず >>827
佐原という左腕投手がコントロール良く変化球を内外角に出し入れするので中京打線も苦戦した
この年の中京打線はコントロールの良い技巧派投手を苦手にしていた
夏に広島商に負けたのも広島商の投手がコントロール良く内外角を突いたから >>830
三谷はクレバーな投手だった印象。智弁戦では風向きまで読んでカーブを有効に使っていた。
準決勝の東洋大姫路戦は勝てる試合だった。序盤での満塁から得点できなかった拙攻と7回の
長打を姫路の外野手がグラブで取るのではなく手掴みしてホームへ中継転送されて1塁ランナー
がホームで憤死したのが響いた。改めて見るとランナーは鈍足だな。延長10回に姫路のスクイズ
で決勝点が入ったけど、三谷が当時珍しいグラブトスで対抗して、際どいタイミングだった。 第一試合終了
寒冷地の速球投手が試合巧者の常連校に
一蹴される試合を久しぶりに見たよーな気がするw 風間評判高かったけど、
先輩の小野にはさすがに及ばないかな 【高校野球】明徳義塾・馬淵監督、剛腕攻略にニヤリ 「風間君ぐらいのスピードは練習で打っている」 8/22(日) 11:25 Yahoo!ニュース Full-Count
高知大会決勝では高知の最速154キロ右腕・森木大智投手(3年)を破るなど、剛腕との対決は慣れている。
指揮官も「風間君ぐらいのスピードはうちは練習で打ってる。選手に聞いたら速いことないと。速く感じないとボールを長く見れて変化球見れる。速さは感じなかったと言っていた」と、選手たちを称えていた。
大会No.1投手を攻略しベスト16入りを決めた指揮官は「スピードガンでは出ていたが、今はどこのチームも150キロの球を打つ練習はしている。150キロ投げるのは凄いこと、将来頑張ってもらいたい」と、相手右腕にエールを送っていた。
他の文はこちらから
https://news.yahoo.co.jp/articles/a381accdd5eb88eb88791a4dcbaa62eb55ca10f0 >>837
高校時代の小野は風間よりはるかに崩れやすい投手だったぞ
選抜では鳥取のチームに打ち崩され、夏は優勝した育英にかき回されて10桁失点 自分が高校生だった昭和50年代の大阪府ではスタンドの控え部員がユニフォーム着る習慣はなかったように思うが全国的にはどうなんだろう? >>837
いや、小野は凄い球は持ってるが生かせない
悪けりゃ悪いなりにができない投手だったから
帯広農戦で小野が投げてたら風間より完封する確率は高かったろう
しかし2点ですまない確率は遥かに高かったろうよ
下手こいたら独り相撲の炎上負けもあったかも 第四試合
沖縄対岩手の対戦は
68年の興南ー盛岡一以来なんだな 「今回の対戦が〇○大会以来 」とかよく聞くのだが、
いままで一回も対戦のない都道府県の試合って、結構多いよな。 三重県と長崎県の対決は2度だけだと思うけど(少なくとも2017年の時点ではそう)、
2度とも海星対決。おまけに同じ名前でありながら、系列も含めて何の関係もないのが
面白い。72年の初対決の方を覚えていて、89年の方を余り覚えていない。 >>843
それまで甲子園の観客が盛岡一びいきだったのに一転興南びいきに寝返った >>845
長崎商と銚子商の対戦があれば、
「CHOSHO」対決か 1982〜1983の中京って、野中で春夏計10勝したけど、優勝するには何か足りないチームという感じがした
基本的に打力が弱い 1978のチームは強力打線で迫力あったけど
子供心にも中京の過去の実績は知っていてもあの渋さはあまり理解できなかった
当時甲子園を賑わせていたPL、箕島、浪商、横浜、Y校、池田のような華がなく、広島商もそうだけど中京も地味な学校という目で見ていた
同じ愛知県ならバンビ坂本で準優勝した東邦の方がインパクトあったな >>841
自分の高校、補欠は甲子園で練習用のユニフォームだった。学校名は入ってなかった気がする。試合前にノックで玉拾いとかやってた。今はどうなんだろう?そのままアルプスに上がって応援してた。コーチが外野でノックした。 センバツだったか、
ノーヒットノーラン目前で投手交代した高校あったね
(中日・落合監督も か) >>848
1978年の中京は惜しいチームだった。前年秋の東海大会では圧倒的な強さで優勝したが、
野球部と関係ない生徒の不祥事で出場辞退。東海大会準優勝の浜松商が結果的に選抜を
制した。無念を晴らそうと夏の大会に臨むも県大会準決勝で岡崎工に9回まで大量リード
を許して、何とか大逆転で勝利。決勝では復調した坂本の東邦とがっぷり四つで2-1で
順当勝ち。甲子園でも、箕島戦は敗色濃厚だったが、山中の起死回生の逆転本塁打で
勝ち、天理も寄り切って準決勝へ。準決勝前には栗岡、山中と2本づつ本塁打を打った
長打力が評価され打力を一押しされていた。準決勝ではPL相手に途中まで完璧な試合運びで
駄目押しの2点も入って4-0となって勝ちは動かないとおもったにだが。。。
甲子園では、予選でいつもやっていた武藤から黒木への継投が機能せず。黒木は甲子園初登板
で腕が縮んでいた。 >>848
82は下級生投手トリオはいたけど、上級生は谷間世代だったから
よく春夏で7つ勝ったと思うわ >>848
83年は期待されたけど、野中が秋は不調で選抜に出られず
そもそも投手3本柱と言っても紀藤や森は素質はあっても不安定で、結局野中頼みだった 享栄は投手の平田、野手の藤王と投打がしっかりしてた。自分たまたま都市対抗でJR東海の投手として平田を生で見た。選手紹介であ、藤王の時のエースか。と懐かしく思ったわ。後にも先にも都市対抗見たのそれ1試合だけだから覚えてる。相手はヤマハだった。 中京は県の決勝リーグで享栄戦の初回、伊藤にHR打たれての1−0負けで県二位になって、
東海大会は静清工に9回表に2点入れられての3−2の初戦負け
貧打すぎた >>844
宮城県対愛知県(東北学院vs愛工大名電)が初対決というのは意外だったね。
東北or仙台育英と中京大中京or東邦の対戦って、過去に春夏一度も無かったなんてね。 >>844
大阪愛知兵庫北海道などは満州朝鮮台湾、同じ県同士も含め全ての都道府県と対戦してる
東京は満州朝鮮台湾とは対戦してないが、同じ県同士も含め全ての都道府県と対戦してる
意外に対戦してなかったのが宮城と愛知だったが、今大会初めて対戦したな
神奈川と山形、山口と青森、埼玉は山梨と長野
山形は、青森岩手秋田福島茨城神奈川山梨新潟富山和歌山佐賀と対戦してない
東北同士の試合自体が少ないな、全部で20〜30試合ぐらいか >>857
享栄の五番打者・伊藤は、たしか両親がいなくて、施設で育ったんだったな。
施設の人たちが僕の家族です、とか言っていて、すごく感動した。 >>784
S33は準々決勝引き分けなのでベスト5 >>857
野中が本調子なら静清工に3点も取られる失態はなかった
あと、享栄の投手平田は地区屈指の技巧派投手で、秋の段階では打ちにくい >>861
伊藤は野中キラーで、夏に愛知県大会決勝でも野中から先制ホームランを打った。逆転負けしたけど 平田投手
監督として甲子園に戻ってきたときは体型の激変に驚いた 藤王や愛甲はいちおう主将だったんだよな
プレーでは抜きんでたけど他に適任者いなかったのかな?
松井や清宮はプレーでも私生活でも主将にふさわしかったと聞くけど 愛甲は主将タイプじゃなく、部員投票では安西に票が集まったが渡辺監督の独断で愛甲が主将になった
渡辺監督は自分本位の愛甲を主将にすることで協調性を身に付けさせようとしたらしい この世代だと、秋季東海大会優勝の岐阜一高の燻し銀的な活躍も光る
岐阜県で一年間で甲子園四勝以上の活躍は戦後に限ると
清沢投手の県岐阜商(57年)
湯口投手の岐阜短大付属(70年)
森田投手の大垣日大(07年)
と、数えるしか無いのでは? >>865
母校ではなく、九州の柳川高校の監督で甲子園へ戻ってきたんだな 愛甲の高校時代のアダ名はアンパンでしょ
高校野球雑誌にも堂々と乗ってるけど
今の時代ならヤバいよな
中田翔を野球のOBは全然非難しないで擁護多いのは大半が似たような事してたからだろ >>869
平田監督は柳川では末次氏の代理監督としてでした。
柳川にコーチとしていたわけでもなく、中大人脈で末次氏の後輩の平田監督に白羽の矢が。 牛島は見事に野球で更生したし、愛甲も更生したとまでは言えないけど、野球のおかげで大きく道を外さずに還暦近くまで生きている。
藤王は今、どうしているんだろうな。 >>870
愛甲は家出して野球部に寄り付かない時期もあったからな
それでもお咎めなしで野球部に復帰とか、今と違って大らかな時代だわ 愛甲という名字はまるで後から作られた芸名みたいだね
甲子園の優勝投手で
甲子園の甲を愛するんだから >>875
神奈川県に愛甲という地名がありますね。
小田急線にも愛甲石田という駅が。
由来はそこからきてるのかな、 >>874
お咎めなしというか暴走族抜けさせて渡辺監督の家に安西と一緒に強制的に下宿させてた
殻に閉じこもってて何考えてるかわからない子だったけど安西やナベさんの嫁相手には饒舌で驚いたとか
元南海の捕手吉田は「首振っていいしお前の好きに投げろ」と言ってくれてやりやすかったらしいけど
盾になってた3年が引退して2年のいびりに拍車がかかったんだろうな
1学年上の主将は今でもグチグチ縦社会のノリで来るってウザがってたし 今日の近江、すげ−な。
3年前のチベン和歌山戦を観てるみたいだった。 大阪桐蔭ももう絶対王者ではなくなっていくターニングポイントになった試合かもね
ここの住人は長く高校野球を観ているからどんな王者もいつか落ちていくことをよく理解していると思う
大阪桐蔭はしばらくは甲子園に来ることは出来るだろうが勝ったり負けたりで普通の常連校に成り下がっていくだろう 空気読まずにチラ裏w
二回戦 京都国際1-0前橋育英 が丁度40年前の
二回戦 京都商5-4前橋工業のデジャ・ビュであることに
学校の校風も含めて気づいたw >>876
バイク全盛期だった厨房の頃、
ヨシムラの広告で愛甲郡という地名を知った >>865
威圧感のあるデブ監督は多いけど
親しみやすいデブ監督は珍しと思った
柳川の平田監督 >>879
大阪は履正社がいるからなあ。
甲子園で勝ち続ける事が出来ないどころか、出れなくなる可能性もあるよな。 >>883
履正社は野球部に力入れるの辞めたみたい。岡田監督も母校に戻る話もちらほら。 大阪桐蔭は進学実績が抜群だから、今後も選手は全国から集まり続けるだろうな。
大阪では、興国が今後どこまで伸びるか楽しみだな。 大阪桐蔭の進路の良さも実績あってのこと
甲子園出てもすぐ負けるようなチームになれば選手も集まらなくなるよ
すぐにとは言わないが緩やかに衰退していくだろう
東京では日大三高がかつての勢いを失いつつあるし、時代をリードするような強豪校もいずれは落ちていく >>883
ガチで野球部強化始めた浪商が復活すると思う
今までも強化をしていなかったわけではないが、
大所帯で強化と育成をやってたのが
推薦入学の部員しか取らないようになり、強化に一本化した >>885 大阪桐蔭の進学実績はかなり凋落しているよ。
京大だけでも、ここ7-8年で2/3になっている。第一文武別道だから野球部と関係ないし。
>>886 高校だと監督一人で変わるから。西谷さんも老いは避けられない。穏やかに弱くなって
代替わりしたら見る影もなくなりかねない。 >>870
愛甲はいっこ下のプロ行った山中ぶっ飛ばしたのがバレて後輩達が出場停止。
後悔土下座してたなw
愛甲の代は静岡から来て2番打ってた足立君が番格だったな。 >>888
大阪桐蔭は今までの野球強化学校とは違うよ
金満進学校だから金が続けばいい選手は集まるよ
OBのプロ野球選手とか寄付金の依頼が頻繁でウンザリしてるて記事はあったからいつまで続くかはわからないけど
あの学校は野球だけじゃないだろ他の運動部から吹奏楽とかいい人材集めまくりだろ
卒業生から寄付金とか授業料も高いみたいだし
PLや帝京 拓大紅陵なんかとは違うよ
大阪産業大との関連がよくわからないけど >>890
大阪桐蔭が金満私学だからこれからも良い選手が来て勝ち続けるか?そうは思わない
どんな状況でも栄光は永遠には続かないんだよ
どんな理由になるかは分からないけど、必ず落ちていく
それが勝負の世界というもの ↑桑田が早稲田大学を袖にしたのが
PL学園凋落の原因となったのと同様に
中田翔のトラブルが大阪桐蔭の牙城の綻びになるw
というのはこじつけなんだろうけど
森タン以降、プロでの伸び悩みが目立つこと
ソフトバンクでの育成選手の活躍や
西武が地方大学でのスカウティングに力を入れている
事を考えれば
中学の有力選手は、試合に出てこそなんぼと
越県入学が増えるのかな?
そして、今大会に関しては
大阪桐蔭の引き抜きに煮え湯を飲まされた
明徳義塾 馬渕はんの優勝で大団円となるのか? >>889
相手は山中ではなく同級生の牧田だろ
牧田も愛甲に負けずブイブイ言わせていたので、タイマンで決着つけたところ愛甲のほうが強くて牧田が怪我したのをチクられて発覚した 大阪桐蔭といえば91年優勝チームの4番打者で
阪神ドラフト1位指名で背番号31の萩原誠には
かなり期待したんだけどな。
掛布2世になれると思ってた。 元々が過大評価ってところもあった。
あの年のドラ1大本命は地元関学田口。
でも頑なに拒否され、入団拒否7か条を突き付けられ、指名回避。
人気先行だった地元の甲子園のスター萩原を指名せざるを得ない空気が充満し、指名した。
萩原は逆指名してたかは忘れたが、本人もファンも大喜びだったけどな。
こんな感じじゃなかったか? 大阪桐蔭とPL学園を比較すると甲子園優勝回数では同じぐらいだが、その後のプロでの活躍度をみればやはりPLは別格だな 大阪桐蔭はどうやっても追い付けない >>898
萩原は阪神入団後、ファームの近鉄戦の際、同学年で同じ大阪の高卒ルーキー中村紀洋の打撃練習を見て、
これは絶対にかなわないとすぐに悟ったそうだな。
今思えば、同じ大阪にいながら、萩原の評価が中村よりはるかに上だったというのは不思議だな。
甲子園で活躍すれば、ドラフトの順位は水増しされやすいが、中村も決して無名の選手ではなかったのにな。 >>888
>大阪桐蔭の進学実績はかなり凋落しているよ。
>京大だけでも、ここ7-8年で2/3になっている。第一文武別道だから野球部と関係ないし。
いや、俺が言っている大阪桐蔭の進学実績とは、野球部員の進学実績のこと。
ここは東京六大学や関関同立への進学実績が抜群だよね。
それは間違いなく有力中学球児からの人気の理由になっている。 植草貞夫さん(元朝日放送アナウンサー)
高校野球は実況約40年、そのうち決勝が28回。500試合以上は話した。1969年の松山商―三沢、79年の箕島―星稜の延長十八回など、数々の名勝負に立ち会った。
中でも一番印象に残っていると言えば85年決勝の宇部商とPL学園。この大会のPL・清原と宇部商・藤井のホームランはすごかった。 「甲子園は清原のためにあるのか」 このフレーズは清原が2本目に打った時だったと思う。
一塁ベースを回って清原の姿がアップになったところで、自然と口から出た。 プロに入った清原は調子が悪い時、高校時代のビデオをすり切れるぐらいまで何度も見たそうです。当然、何度も私の言葉が出てくる。「植草さんの言葉がぼくの伝説の始まり」みたいなことをテレビで言ってくれたと聞き、うれしかった。
有名選手だけじゃなく、街で会った元球児に「ぼく、植草さんに名前を呼んでもらえたんです。うれしかった」と言ってもらうと、冥利(みょうり)に尽きますね。
若いころは、自分の話す技術を披露する場、みたいに考えていた。「一番上手だと言われたい」。そんな思いだった。 入社8年目の62年、5月に生まれた娘を7月に亡くした。その夏は、元気にプレーする若者にやきもちをやいた。
松井の5敬遠が92年。「勝負しません」を20回言っただけ。若かったら、主張をいれたかもしれません。でも、目の前に起きていることを正確に伝えるのが、アナウンサーの仕事なんです。
アナウンサーとしては接戦の方が盛り上がるから、つい負けている方に肩入れしてしまう。打算が入った見方ですね。テレビを見ると、「おれならこうしゃべる」って思ってしまう。素直に野球を楽しめない体になってしまいました。 山梨が関東に含まれるか否かは横に置くとして
関東勢がベスト8に残れなかったのは
1981年以来40年振りの珍事 千葉県民だが1981年というと小学生で
高校野球夢中になって見てたころだから
8強どれもかなり印象に残ってる
地味な存在だったかもだが当時は
和歌山工の中田投手が気に入ってた
たしか細身のサイドハンドだったよな 今はすっかりメジャーな存在に成り上がったが、滋賀の近江が初出場した大会で、初戦鶴商学園(現鶴岡東)に勝って、たしか二回戦で敗れたのが和歌山工業だった記憶が、、、
完封負けしたけど、なんであの球が打てないの?イライラしながら昔のブラウン管テレビ見てたな。懐かしい。 1978年も関東勢は8強に進めなかったんですよね。期待の桐生と横浜が
県岐阜商に連続で完封負け。
今年は神戸国際は残っているけど、記念大会で代表が複数出るような
マンモス地区もダメダメですね。人口密度も高くコロナも蔓延しがちで
非常事態宣言期間も長く練習試合も十分に組めなかったのも原因かな(沖
縄もだめでしたね)。 >>906
近江は初出場のときの
「近江高校」のユニがいいなあ。と思った。
滋賀勢、
今大会、近畿最後の優勝 期待してます。 (マジで) >>907
県岐阜商のサブマリン投手の野村は良い投手だったね。準々決勝でも優勝したPLから
1点しか取られていなかったけど、貧打で敗退。愛甲が未だ1年でバンビ2世と言われた
横浜はともかく、選抜ベスト4で木暮と阿久沢が健在だった桐生の敗退は驚いた。
尤も選抜の実績にも拘らず下馬評で桐生の評価は必ずしも高くなかった。朝日の座談会
では何故か大久保の仙台育英を一押しだったが、出場監督間の評価ではPL,中京の評価が
高かった。選抜4強の桐生と箕島はその次の評価。選抜の優勝候補でいきなり桐生に当たって
負けた豊見城も同じくらいか、もう少し下の評価だったか。 最近はサブマリン投手を甲子園で見なくなったな。
地方大会だと、たまに見掛けることはあるが。 >>908
たしかにユニホ−ルは漢字の方がよかったな!
鬼の田中テツヤ監督の時で、加藤−太田の2年生バッテリーだったよな、確か。 >>910
球速ないと上では厳しいからじゃないのか肘壊しやすいし
牧田がメジャーで通用しなかったのが拍車かけたのでは >>907
それもあるけど近畿意外は滞在費の負担
日本文理校長みずからメディアに向かって金ないとか言う位だから
学校が勝つ事望んでないし敗けろ!早く帰って来い!言われてるようなもんだろ
こんな状況じゃ仕方ないけど選手モチベーションさがるわ >>907
1970年代後半は桜美林優勝して横浜優勝するまでずっと関東は低迷してたじゃん
1977年は春夏とも早実ベスト8意外みんな西日本
1979年選抜なんて近畿大会西日本ベスト8独占
夏も近畿2強対四国 >>903
「勝負しません」の20回やそこらなんて、可愛いもんだ。
80年代の決勝では、ヒットが出たら「ワンバウンドツーバウンド」しか言ってない。 >>905
和歌山工業の中田投手、3試合連続で無四球だったね。
こんな投手、なかなかいない。
準々決勝の京都商戦で初めて死球を出し、そして敗れた。 >>910
>>912
サブマリン、今は90年代と比べたら多いと思う。
90年代はプロの一線級にサブマリンがいなかったこともあり、高校でもサブマリンがほとんどいなかった。
2000年代になり、渡辺俊介の活躍以降、高校野球でもサブマリンをよく見るようになり、
ここ数年でまた少し減ってきた印象かな。 渡辺俊介は確かにインパクトあったね
青柳程度じゃ増えないよねw >>905 >>917
中田投手は高校卒業後は硬式野球から離れて軟式のクラブチームで投げていたんだが、
25才頃はオーバースローに転向していた。
アンダースローは足腰に来るから、毎日練習してないと投げられないと語っていた。 アンダースローと言えば、広陵の渡辺一博も忘れ難い。ロッキングモーションで審判
から注意を受けた事をNHK青年の主張で語っていた。広陵はプロ入りした捕手の原と
バッテリーがしっかりしていて80年春にベスト4、夏にベスト8と活躍したが、その後は
2人とも活躍の記憶がない。 >>844
今大会は宮城県VS愛知県、奈良県VS岡山県、新潟県VS福井県が初対戦! アンダースローが減ったのは右投げ左打ちが増えたからでしょうか?自分が
覚えている最初の右投げ左打ちは74年の前橋工の向田投手とか銚子の篠塚。解説者は
向田の打席で投手の右投げ左打ちは死球の際、右手にボールが当たりやすいからお勧め
しないみたいなことを言っていた記憶がある。ただ実際に右投げ左打ちの投手で死球
で骨折したのは何年か前の相模のエースくらいかな。秋の神奈川大会の準決勝で死球を
受けて骨折して関東大会では登板できなかったことくらいかな。 >>921
渡辺さんは、現・広陵監督の中井さんと共に大商大に進学し、大学でもエースとして活躍している。
だからこそ卒業後は松下電器で野球を続けられた。
社会人での活躍は聞いた覚えがないが、現役引退後は松下でコーチか何かになっていたよ。
原さんは、カープでは代打の切り札として活躍した。
大洋に移籍し、引退。一時期、コーチか何かやっていたと思う。
大洋退団後は、広島でお好み焼き屋を開店。
店はカープの選手たちもよく利用することで有名だった。
現在、コロナ禍でどうなっているかは少し心配だね。
2人とも良い野球人生だったと思う。 >>921
原さんはカープで結構試合に出てたけどね。カープの原が広陵の原と同一人物だと認識してなかったという事かな?
改めて調べると原さんは80年代から年平均40試合程度通算400試合以上出てるから、通用した選手といっていいと思う。 高校野球でアンダースローが多いか少ないかは、ずっとプロでアンダースローが多いか否かとリンクしてきたよね。
かつてはプロに秋山、杉浦、山田、足立、金城基、皆川、高橋直樹ら下手投げの大投手がいっぱいいったので、高校野球でも80年代くらいまではアンダースローの好投手が多かった。
渡辺俊介以降、アンダースローが再び増えてきて、その中で出てきたのが牧田であり、高橋礼であり、オリックスの中川だと思う。 >>921
セットの時は普通の綺麗なアンダーハンドピッチャーやった。
いつもこうして投げたら良いのにって思てたわ。 今年の関東勢の不振は本命校が予選敗退したのも大きいと思う 東海大相模、常総学院、花咲徳栄、健大高崎あたりが出て来ればもう少し違う結果になっただろう
1970〜180年代の関東の学校は大型チームだけど、粗くて前評判が高くてもあっさり負けるというような印象がある
その頃全盛期の近畿勢に比べると緻密さで劣っていたような 83年の久留米商、山田を生で見たときアンダーかと思ったけど今映像みるとサイドより上だった
85年の久留米商、秋吉はサイドとアンダーの中間くらいかな、好きな投手だった
90年の西日本短、中島もアンダーかと思ってたけど今みるとサイドかな
ローカルネタですまん 松商学園の立て襟(立ち襟とも言う)は良いね。格好良い。
富山商のも有名だし。
中京大中京も立て襟復活は嬉しい。
大学では早稲田と明治が立て襟。
阪神に勝った時のたけし軍団もそうだったかな。
今では新興の高校が伝統校に憧れてか立て襟が目立つね。 >>931
山田をどう見ればアンダーに見えるんや? >>923
前橋工の試合は山本栄一郎のラジオ解説でした。 >>931
アンダーハンドはS59熊本鎮西の松崎。準決勝では取手ニにメッタ打ちにされたがコントロールの良い投手でした。同じ年の法政一の岡野だっけ。遅球で話題をさらった、対境のノーヒットノーランされかかった時の投手。 愛甲に殴られた牧田さんの今の姿がシニアリーグのコーチとして顔写真で載ってるが真中満みたい。
当時の不良は今でいうHIPHOPみたいなもので女にもてそうという軽い気持ちで不良になった人も多かった。
「還暦祝い企画」で当時の「横浜高VS早実対談」見たいな。 >>931
福岡代表校のアンダースローといえば、1984年に春夏連続出場した福岡大大濠のエースがアンダースローだったと思う。 >>937
八野はアンダーだったか
試合した記憶はあるけど投げたのは控えやったんやな 盛岡大付属が初出場した時のエース小石澤って大会前なかなか評判の好投手でしたよね?
甲子園では高知商に打たれたけど >>939
ビッグマウスでもありましたね
キャッチャーでキャプテンの関口さんは大変だったと思う >>936
停止食らったのは長尾や山中片平
世代の春か。 今日の盛岡A級戦犯先発のサウスポーだろうな。叩かれるよね。ストライク入らなきゃ話にならん。ベンチでヘラヘラしてた。見てる方もイラッとくるわ。ま、だいたい桐蔭破って来た相手にエース投げさせない監督が1番悪い。完全に舐めプだろ。 富山商の立襟てそんな歴史のあるユニじゃない
平成8年頃だったか報徳に勝った新湊に似たユニがオリジナルだったはず >>926
ここに出てくる投手は、プロに入る前から下手投げ(横手投げ)だったのかな?
たしか皆川投手は東北の上手投げの本格派ということで南海に入団し、コーチのアドバイスでサイド(アンダー)にしたらしい。
それと、ある本で杉浦投手は自分では「横手投げ」と言っていたらしい。
サブマリンとサイドスローの違いはなんなのか。 >>931
この頃だと、1980年のセンバツだけど、尼崎北の田中を思い出す。
優勝した高知商が準々決勝で尼崎北と対戦、8回まで苦しめられてたな。 いつ以来だろうか?S54の春以来か?あの時東日本いなかったよね。PL、姫路、箕島、浪商、池田。川之江?高知商?5校しか思い出せない。とにかく宇都宮商が2回戦で負けてジ、エンドだったの覚えてる。夏もY校と城西がなんとか。初戦で上尾が負けたの痛かった。もっと最近ありました? その時の宇都宮商のエースが及川でアンダーハンドでしたね。金敷だっけ?良いバッターがいたような気がする。 ↑ 1981年の夏の選手権が
熊本 宮崎 愛媛 香川 兵庫 京都 和歌山 名古屋でベスト8
名古屋が西日本か否かを言うならば
福井も西入場料なのか?という話になる >>949
及川はアンダーのパワータイプ
見ていて気持ち良かったナイターだな。 >>951
1981年といえばセンバツで印旛(現・印旛明誠)が準優勝、日立工がベスト8に入って
活躍したのに、夏は両方とも出られなかったですよね?
特に千葉は銚子西とか聞いたこともない学校が初出場してた。
この2年前にも千葉は市立銚子(エースが銚子君で話題になった)が出たりして、千葉は
戦国時代だったんかな? アンダースローといえば、何と言っても
鎮西の松崎と法政一の岡野。
「どうだっ遅いだろ!」という新聞の見出しはインパクトあった。
あと宇都宮南の荒井?だったか。こちらもいいアンダースローだった。
それ以降はPLの宇高くらいしかいないんじゃないかな、アンダースローと言えるの。 習志野の綿貫はアンダーというよりサイドか
千葉大会から見てていつ負けても不思議なかったが
気づけばいつの間にか甲子園8強
常にランナー背負って投げた印象残ってる 野球で ソフトの上野投手みたいな投げ方したら、
ボークか? >>943
あのエースしか計算出来ない投手力では限界だよ
大阪桐蔭の3倍の安打した打線は最強だったのでは
2017年の投手陣があればもっと上狙えたかもな 高校野球のアンダースローで思い浮かぶのは大府の青鉛筆だね >>960
正確には国府高校の青山。翌年地元の中日に入ったが如何せん線が細すぎた。 青山、懐かしいね。選抜で小川と並んで双璧と言われた倉敷工の兼光から15点を取った
破壊力抜群の中京打線を県大会3回戦で完封したのが青山。そのまま甲子園まで駆け上った。
予選の7試合で失点は2だけだったので、朝日の座談会ではかなりチームとしての評価も高かった
けど、初戦で柳井商に完封負け。それでも青山は大会後の海外遠征の全日本に選ばれて
エース格で活躍したと思う。青山はプロで活躍出来ず、福田功にフォーカスを当てた
「壁と呼ばれた男」に出てきたのが泣ける。また国府で捕手を務め2番手投手(翌年はエース)
として活躍した市川が大洋で活躍するとは思いもよらなかった。 青山はビッグマウスが象徴するように華奢な外見に似合わず気が強かった。 >>958
近江の岩佐君、コントロールが甘かったから打てただけ
大阪桐蔭戦と別人のように悪かった >>962
青山、市川、伊藤と何気に後日プロ入りした選手が3人もいた国府高校 >>962
中京戦は市川が先発して青山は2番手だった アンダースロー対決と言えば大阪府予選の
上岡(桜宮)−松島(上宮)
予想に反して一方的な試合になったが。 球威では青山は歴代屈指だったと思うよ
下手投げの中で
あの細い体でよく投げれたねって感じ >>967
1982年夏の熊本工奥村と高岡商の横森の
アンダースロー対決も注目されたけど
奥村が全員奪三振で圧勝だったような。
1985夏の東洋大姫路豊田と高岡商竹島の
アンダースロー対決はやたらと短時間の
ゲームでした。高岡商ばっかじゃん。 青山は「皆がもっと打ってくれれば勝てた」とかそんな事言うんだってコメント残してた。
当時は他校ディスったり見てる分には面白いけど今は載せないのか言わないのか
当たり障りのないコメントばかりだね。 代々、エースが横手投げか左腕ばかりだった広島商。
1984年夏に甲子園に出てきた時、前年まで野手で四番だった西川が下手投げの投手になっていて、
初戦の金足農業戦で先発したけど、あっさり攻略されては敗退したね。
川本監督が就任し、1988年に上野、1989年に大崎がエースとなるまで、とにかく本格派投手がエースになれないチームだった。 両チームの投手がアンダースローだった対戦が1980年代は本当に多かったね。
おれが憶えているのは、1986年選抜初戦の尾道商−熊本工。
尾道商の真治、熊本工の木村と背番号1は共にアンダースローだったけど、両チーム共に投手は二枚看板のチームで、
尾道商は木村、熊本工は永野が先発し、真治と木村は途中から登板した。
永野はのちにプロ入りしたけど、木村も東芝入社後は日本代表のエースみたいになっていて、
打者にも木下とか杉本とか緒方とかいた熊本工は凄いチームだったね。 >>973
86熊本工はくじ運が悪く甲子園で1勝止まりだったが、96年の準優勝チームより強かったと思う 空気読まずに埋めチラ裏w
京都国際、初出場でベスト4進出!
準決勝で勝てそうな相手をひく京都勢の
ジンクスは続くのか? >>970
横森と言えば豪腕・秋村に投げ勝った試合が印象深い 京都国際が一番強いかな。投手が他を圧倒してる。韓国語の校歌も気持ち良いし、優勝してほしいな。 なんか京都国際が古岡投手の時の京都成章と似てる、選抜で悔しい思いして夏に大活躍
三振取れる細身の左腕がエースなんも 1981年夏の京都商の頃からそうだが、1998年の京都成章、2005年の京都外大西と、
京都勢はノーマークの中でするするといつのまにか決勝に勝ち上がる傾向があるね。
川口の平安は注目されながら決勝まで勝ち上がったけど、あれはむしろ例外。
まあ、京都国際は色んな意味で注目度がなかなか高い学校ではあるけどね。 1979春準決勝
箕島(和歌山)4-3 PL学園(大阪)
浪商(大阪) 5-3 東洋大姫路(兵庫)
1979春準々決勝
PL学園(大阪) 7-1 尼崎北(兵庫)
1979春一回戦
鶴商学園(山形)5-2 天理(奈良)
前橋工(群馬) 11-0 田辺商(和歌山)
1979春も近畿ベスト4独占したが、7校出場し天理と田辺商が他地区に初戦敗退してるが
2021夏は他地区に無敗、これは例が無いだろうな、と思ったら
1939春は東海勢4校出場し、4校がベスト4独占してた
岐阜商(岐阜) 6 - 5 中京商(愛知)
東邦商(愛知) 6 - 1 島田商(静岡)
https://vk.sportsbull.jp/koshien/stats/spring/y1939.html "バタスチ"を久しぶりにみた
前に甲子園で敢行したのは
春日丘か?東洋大姫路か? 智弁学園は四国にはよく苦戦するな
1977年は優勝候補筆頭にあげられながら今治西に完封負け
2016年は高松商にサヨナラ勝ちして優勝したし
今年はチャンスかな大阪桐蔭に次ぐ前評判だし
2002年夏以来の智弁対決になりそうだな PL史上最高の右投手は桑田で決まりだが、
左は光武らしい。
この投手知っている人いるかな〜。
ちなみにこれ中村元監督の話でガチな。 >>981
智弁和歌山が今大会優勝したら、この79春の箕島以来の4勝での優勝なんだよね。
夏の4勝での優勝はいつ以来なんだろう。 >>986
S45の東海大相模以来ないと思います。 >>980 高松商戦の雨中のサヨナラ落球だっけ。漫画の様な幕切れだったけど、漫画が
真似をしたと言うべきか。 >>987
あの時の相模の投手陣は酷かった、確か4試合で与四死球が
35個くらいだったと思うけど打線はしぶとく乱戦を制しての
優勝だったなあ S48のサヨナラというと江川。だけど俺の記憶に残ってるのは盛岡四の小綿?(後に慶應大)が高知商の盗塁を気にしてコントロールが甘くなりサヨナラ長打を打たれた試合。 >>990
盛岡四じゃなくて盛岡三
という埋めツッコミw 京都と千葉は決勝に出るが、
いつも準優勝のイメージがする。
しかし、ついに韓国語の校歌まで出てきたか。
50歳以上のおっさんビックリだわ。
ただ、50歳以上のおっさんにとって、
最初に衝撃を受けた校歌は、
桜美林だろうね。
特に昭和51年夏にはよく流れた。 >>985
2009年のエース中野じゃないのか。
故障さえしなければ、プロでもやれそうな投手だっただけに残念だ。 盛岡三のさわやか旋風
村田栄三監督は当時63歳で高齢と言われたが、今ならそれほど珍しくはない 懐かしの夏の京滋大会か紀和大会決勝が甲子園で復活するかも知れない。 >>992
だよな。まさかの校歌に英語!?と衝撃だったな。 英語の校歌ならまだ良いが、ハングル語は叔父ちゃんとしてはどうもな。 PLの左腕って、技巧派が多かったイメージ
西田、西川あたり
野村も豪腕というタイプじゃなかった
前川はパワー型だったかな?
光武は94センバツでアンダーの宇高と左腕光武の両輪だった時かな?確かに凄い投球していたけど、負けた智辯和歌山戦は不調だったような >>985 光武投手は確か背番号9でしたかね?
金沢・中野投手と投げ合ってましたね完全試合達成した次の試合 94年PLは投打にまとまったいいチームでしたね
打線は翌年のほうが強力だったけど95年は投手力が微妙、96年は前川の一人相撲で負けたイメージ このスレッドは1000を超えました。
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