高校時代は目立たなかったのにプロで長年活躍した選手
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
角冨士男(福岡第一でエースとして甲子園出場)→ヤクルトで20年間選手&24年間にわたりコーチや球団運営に携わる→現、東京国際大学野球部監督 , ノ)
ノ)ノ,(ノi
( (ノし
┐) ∧,∧ ノ いまだ!2GETいける!
..|( ( ....:::::::) (
 ̄⊂/ ̄ ̄7 ) ヽ lヽ,,lヽ
(/ /ノ ( ) やめて!
 ̄TT ̄ と、 ゙i 1992年度生まれ世代は高校時代から現在までトップクラスなのは有原だけだな
有原以外は高校野球と総入れ替え。
高校野球でトップだった島袋と一二三は戦力外で球界を去り、無名だった育成の千賀と甲斐がプロ野球界トップレベルに。 そういう面では野村克也がNO.1だろう
1954年、新聞に掲載されていた募集広告を切っ掛けとして、南海に契約金0のテスト生として入団
ヤクルト初の日本一を経験し、以降野村ヤクルト監督時代まだ、角とチームメイトだった杉浦もドラフト10位入団ながら必殺仕事人ぶりを発揮し長年活躍
引退を決めていた1992年西武との日本一をかけた日本シリーズ初戦では延長12回裏、野村の指示で代打としてバッターボックスに立ち日本シリーズ史上初「代打サヨナラ満塁本塁打」を放つ 現役だと 現ホークスの川島慶三 あがるのではと。
(佐世保実業→九国大)
ヤクルト時代ショートやってた時
「おーよくいるヤクルトだから出れてる数年でおわるタイプやな」
とか思ってたけど
体もデカくなって こんなに長くやってるなんてー エライ! 八重樫幸雄
仙台商高では1年生の時に一塁手、七番打者として1967年の夏の甲子園に出場。
1969年の夏の甲子園には四番打者として本大会に出場した。
角富士夫、杉浦享らと共にヤクルトV1戦士の一人
野村ヤクルトでの1992年にはリーグ優勝当時は右の代打の切り札的存在に
入団21年目で通算100本塁打を達成したが、これは通算100本塁打のスロー記録
生涯ヤクルト一筋で23年間も活躍した ヤクルトスワローズを語る上で忘れてならないのがV1に大きな貢献をした大杉勝男の存在
岡山の関西高校野球部に入部して即レギュラー捕手のポジションを獲得するも既に父と兄を亡くしており経済的理由から退部を余儀なくされ軟式野球に転向
甲子園に出る夢は断たれたが、東映フライヤーズの入団テストを受けてプロ入り
新人当時の大杉を張本勲は高く評価しておりルーキー時代から張本とともに打撃陣の中核として活躍
ヤクルト移籍後も初の日本一へ貢献
奇しくも1992年、ヤクルト2度目のリーグ優勝を見届ける寸前、47歳の若さで病によりこの世を去る 長嶋茂雄(佐倉第一)
基本ポジションは遊撃手であったが守備が下手過ぎて南関東大会に千葉代表校として出場時は負傷したレギュラー三塁手の穴埋めで出場。
この大会で初戦敗退するも、後にプロ入りする熊谷商のエースから高校生活唯一の本塁打を放つ 一応優勝校出身なのに、高校時代あまり目立ってなかった選手なら、
中日上川あたり 他の甲子園出場組で、
北陽岡田は2試合でヒット一本ぐらいだったかな?
瀬田工西崎も初戦リリーフで出て大敗。後にパリーグを代表する投手になるとは全く予想出来なかった。 秋山は荒波や浅間ぐらいだったけどな。横浜でないから目立たないだけで
度会となら確実に秋山が上 高校時代の柳田ってどうだった?
なんかヤクルト上田を尊敬してたみたいだけど 8月25日の東京ヤクルトスワローズ戦で、3安打を放ってエースを援護した二番・ライトの松原聖弥。
松原のいた仙台育英は2012年夏の宮城大会で優勝し、甲子園で2勝を挙げたが、ベンチ入りメンバーに名前はなかった。
三年生のときにアルプススタンドから仲間を応援。
2016年ドラフト会議で育成選手5巡目指名を受けて入団。 高校2年時点の都城の田中幸生
センバツ出場時は174センチの小柄な2番打者だった
3年時の夏の甲子園出場予想号誌で186センチのホームラン打者にたった1年で成長していたのでビックリした 元阪神関本や巨人亀井も、地方大会ではそこそこ活躍してたんで名前は知ってたけど、甲子園ではイマイチ
プロ一軍で長続きする印象は全然無かった。 柳田悠岐選手は広島商業高校出身。
現在の活躍からは本当に想像できませんが、高校時代は全く無名選手。特別突出した選手ではありませんでした。
柳田選手の同学年は何と言っても黄金世代。高校時代は平均以下とういう評価。
同じ年には田中将大、斎藤佑樹、前田健太、坂本勇人といった甲子園のスター選手ばかり。
当時の柳田選手は甲子園での田中将大選手と斎藤佑樹選手の甲子園での決勝を自分の部屋でアイスを食べながら、こいつらすげーなとテレビで見ていたそうです。
柳田選手は現在のような身体つきではなく、高校入学時は身長も160cmと小柄で、高校三年生になって180センチまで伸びたものの、体重が68キロで細身。
高校通算は11本塁打を放ってはいるものの、現在のような豪快なフルスイングをする打撃ではなく、うまくボールに当てるうまい好打者タイプの選手であった。
柳田選手は高校と同時に野球をやめようと考えていたそうです。 中日のエース大野も同学年だけど、外大西時代は何となく名前は記憶してる程度で、特段好投手の印象は無かった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています