【ジャンボ宮城】横浜商=Y校を語ろう【三浦将明】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
神奈川県内では「Y校」の名前で親しまれ、戦前から甲子園に出場経験のある
古豪。97年春を最後に甲子園出場がありませんが、近年復活傾向にあり、
近い将来の復活があるかも知れません。 79年夏から90年夏までの出場期間は小倉清一郎コーチ。横浜高校ОB。
この間の甲子園成績は23勝8敗。 >>56
オリンピック代表にもなったよな。
反して、中央に進んだ信賀、法政に進んだ高井はさっぱりだったのはガッカリした。 三浦さんのイッコ下の控え捕手、岩井原中出身の戸風良かったな ジャンボ宮城は、その愛称に偽りなくデカい選手だった。 プロレスラーになるように何十回もスカウトされたが断り続けたな。
冬木弘道直々にスカウトに来たな。 宮城のことをカネやんが解説で「体にバネをつければ、良い投手になるんだけどな」と話していたね。 >>65
マウンドに立っているとき、テレビの画面からはみ出そうなくらい大きかった。
そんな選手はなかなかいない。
しかし、体重はどのくらいあったのか。二年夏の甲子園でも100キロくらいはあったのではないかな。公称体重がいくらだったかは記憶にないが。 2年夏の甲子園ベスト4.春夏連覇した箕島に2−3で負けたのかな?
大健闘だったと思う。 2年夏・秋と宮城のいたY校は愛甲のいた横浜に連勝している。 プロレスの勧誘がすごかったのはプロ野球引退してから。
猪木からも鶴見の縁であったがサムソン冬木が熱心に勧誘したな リングネームはジャンボ宮城。
まあ、ジャンボ鶴田やジャンボ宮本もいたが。 ジャンボ宮城は甲子園では期待したほどの球威はなかったな。
神奈川県予選を見た人によると、準決勝の日大藤沢の和田(のち法政で30勝投手)や決勝の横浜の愛甲といった強敵相手に投げ勝った圧巻の投球は全く見れなかったという。
予選での頑張りが祟って甲子園では疲労のピークだったのだろうか。 翌年は中盤で桐蔭学園のダブルスチールの奇襲を
食らって敗退。東海大相模は出場辞退。
3強のうちの2強が消える波乱の展開に。 >>74
全身にあせもができて、赤ちゃんが使うパウダーのお世話になっている、と大会中に古屋監督が話していたな。
あのころは身体の大きな選手はジャンボ○○と呼ばれるのが通例だった。元祖の仲根にはじまり、永川、工藤、小川(習志野)、山沖とか。 元祖はジャンボ尾崎かジャンボ鶴田より先のジャンボ宮本 >>77
俺は甲子園での話をしているの。
尾崎がジャンボと言われたのはゴルフに転向してからだろうよ。 ジャンボ宮本は1970年
ジャンボ尾崎は1971年
ジャンボ鶴田とジャンボ仲根は1972年な 79年夏ベスト4
82年春ベスト4
83年が春夏準優勝。
甲子園では、かなり健闘していた。 横浜高校選抜初優勝の永川のお母さんとY校のジャンボ宮城のお父さんはハトコ(またいとこ)な。
ほとんど付き合いなかったらしいが。 横浜高校との対戦は客を呼べる神奈川屈指の黄金カードだった。 98年以降は、ちょっと横浜と差がついてしまったか。 懐かし高校のジャンルになっているが、今もなかなか強いことは強調しておきたい。 Y校は公立高校の希望の星であることには間違いはない ユニフォームの色が気持ち悪い
Yのマークも馬鹿そう >>52
三浦と同い年の他校 元球児だが、基本が関東プラス東京で六枠
結果的に出場できたのは東京2校、関東4校 >>102
ユニホームは確か創部当時お世話になった慶應大学の野球部を真似したものときいているが?
Y校のYで何が悪いのか? >>104
関東東京が6枠になったのはこの83年から。
それまでは5枠、それも関東3、東京2が基本だった。東京の優遇ぶりはなんだったのだろう。 東京は首都だし六大学もある。他の関東はクソ田舎だから仕方ない 宮城はジャンボの相性通り、当時としては別格的な大きさで、とにかくデカイと
いう印象が残ってるけど、彼の身長193cmは大谷翔平と同じで、ダルビッシュや
藤浪の方が背が高い
宮城は背が高いだけにもっさりした印象があったけど、上の3人とかはあまり
大きさは感じさせず動作がキビキビとしてる。
ここ30年ほどで日本人は体格と運動神経は大きく変化した気がする 1990年のY校に憧れて
神奈川の高校球児になりました
今でも神奈川はY校のイメージです 母が今でも名前を出す
三浦はプロで活躍して欲しかった そういえば稲妻さんの息子さんが
話題になってたのも最近でしたね…
松坂大輔も最近のイメージだけど20年前なのか
俺も歳取ったんだな… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています