50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.7
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>>930
金村のラジオの野球漫談、聴きごたえあります。
近鉄時代の、金村・村上の三遊間 最強(?)だった。 >>931
個人名を挙げてまでムリクリ選抜された学校も珍しい。
余計なプレッシャーもあり、本人が可哀想…。 >>933
おそらく前年秋の地区大会初戦で負けながら前年のヒーロー池永がいることで選抜された64年の下関商以来ではないか。生まれる前なので当時のことは知らないが。 >>934
下関商は、初戦敗退ながら優勝校の倉敷工との試合内容が一番良かったのが評価された。
横浜は、準優勝の春日部共栄にコールド負け。 2年生であわや春夏連覇するところだった池永と及川では格が違いすぎるよ。
それより高野連はいいかげん横浜なんて並のチームだってことに気が付けよってこと。 久々にパンチ力ある習志野が帰って来た。校歌を聞いて涙が溢れた >>936
横浜崇拝は高野連だけではない。
出場するだけで優勝候補に挙げるマスコミ、横浜は野球を知っている選手が多いと信じているファンにも同じことがいえる。 横浜は一回戦でコロッと負けるイメージが強い。
本気でやってないのじゃないか?と思う位、闘志も何も感じない試合が多い。
たまーに優勝することがあるだけ。他はあっさり一回戦敗退 >>941
愛甲と松坂の間の約20年も有力選手を擁して甲子園に出てくれば優勝候補に挙げられてながらも毎回のようにやらかしてましたな。 甲子園で強いイメージだった横浜がはじめて惨敗したのは85年春の二回戦の報徳戦だった。
二回に相川がメッタ打ちされて7失点、2-10で敗れた。
ラジオの実況アナが「甲子園で横浜がこれほど差をつけられたのは初めてのことです」と何度も言っていたな。
あの試合からやらかすようになったのかな。このあと、鈴木がいたときの89年夏に星稜に敗れて初めての初戦敗退。92年春には新野に終盤大逆転され初戦敗退とか、やらかしがお家芸みたいになっていった。
高野連もマスコミも松坂のときのイメージが強すぎるのではないか。 横浜は関東大会で春日部共栄にコールド負けしてるから、実力通りでした。 横浜は以前の渡辺監督が退任して試合後半のチームとしての粘り強さがなくなった。完全に選手個々の能力に頼った試合ぶり。 74年夏の決勝では、敗れた防府商ナインが銚子の土屋に次々と握手を求めていたな。
まるであこがれのスターに対するみたいに。 >>943
逆に横浜には勝負弱いイメージしかない。愛甲と松坂で優勝した時のチームだけが例外。高濱や福田で選抜を勝ち夏の神奈川を圧勝し、松坂らに続く春夏連覇を期待された時も、初戦で中田翔の大阪桐蔭に公開処刑。 >>946
最初の握手は68夏準決勝の興国ー興南じゃないかな
握手が一般的になったのは80年代になってから >>948
1994年のチームも矢野多村紀田斎藤横山を揃えて春も夏も優勝候補筆頭だったけど、早い時期に散ったな 夏はまさかの那覇商相手に初戦負け 試合後の握手は互いの健闘を称え合う意味で、良い風習だと思う
94年の決勝なんか握手どころか熱い抱擁してる奴いて凄く感動したわ
あくまで当事者同士の任意の行為だから、握手しなかったからマナーがなってないとか叩くのは違うと思うが >>950
横浜の初戦負けは昔からあったけど県でも
関東でも甲子園でもコールド負けの点差は今の
監督になってからだから、メンタルの問題が
大きいのではないかな? しかし、昨日の第三試合は24-5か、ここまで試合が壊れるのはすさまじいな。
昨年は19-0というのもあったな。
子どものころは報徳16-0銚子商、習志野16-0磐城がものすごい大量点という感じがしたが、いまとなったらかわいいもんだな。 及川が主戦だからだよ
あれではいつ大量失点してもおかしくないもの >>951
どうでもいいけど、都道府県によってルールが違うのは選手が戸惑って可哀想
いっそのこと日本高野連が正式に禁止させればいい >>957
新潟県高野連の先走りもSTOPさせたことだし 選抜に限ると、戦後の最多勝は東邦のキク山田かな。春だけで9勝してますね。
他に選抜で良く勝った投手は、箕島の石井が8勝、横浜商の三浦が7勝。PLの桑田で
6勝。何気に山田はすごいけど、プロで活躍しなかったからか、大会前の特番のゲスト
で呼ばれるのは、桑田とか池田の水野とか浪商の牛島。9年後の100回大会で毎日、
レジェンドの始球式をやるなら、山田は呼んでほしい。 >>959
箕島石井は選抜では7勝だろう。78年3勝(ベスト4)、79年4勝(優勝、1回戦は不戦勝で2回戦からの登場)。
ほかに鳴門の栗橋が7勝(51年4勝、52年3勝)、高松商の松下が7勝(60年4勝、61年3勝)。日大三の渡部が6勝(70年1勝、71年5勝)など。まだいると思う。 昨夏のレジェンド始球式、選手権0勝の平松にやらせるなら池永か柴田に
やって欲しかった。平松はどう考えてもセンバツ大会レジェンドだろ。 連続イニング無失点の平松
通算奪三振の江川
初の完全試合の松本 >>948
福井商戦や智弁学園戦の閉店間際というか最後の勝負所での脆さも印象に残る。 >>959
戦後の選抜レジェンド(故人は除く)
57-58年 王(早実)
61-62年 八木沢(作新)
63年 谷木(北海)
64年 尾崎(徳島海南)
65年 平松(岡山東商)、藤田(市和歌山商)
70年 島本(箕島)
73年 江川(作新)
77年 山沖(中村)
78年 松本(前橋)
83年 水野(池田)
88-89年 山田(東邦)
92年 松井(星稜)
98年 松坂(横浜) 本当は63-64年池永(下関商)も入るのだろうが、濡れ衣とはいえプロでの事件があったから。 池永はあんな事件に巻き込まれなかったら何勝したんだろうと思うと本当に残念 池永が下関商で春優勝、夏準優勝したのって、2年生の時なんだよね。
3年の春は博多工に初戦敗退、夏は県予選で敗退。
池永だけでは勝てなかったということか? 池永は黒い霧がなければ、西武の黄金期にギリギリ間に合うか、球団の財政難で巨人や阪神にトレードされたかも知れない。
ライオンズに残ってたら、日本シリーズで江川や西本と投げ合ったり、胸番号の変なユニフォームを着てたかも知れない。 >>978
前に書いたが、選抜前に右手指を負傷して別府で温泉治療したが調整が遅れて選抜では初戦敗退。あの池永がなんと3連続押し出し、8個の四球を出すという乱調だった。
夏は県二回戦で早靹に0-1で敗退。早靹のエース亀井は中学時代から池永のライバルだったが負け続け、やっと最後の夏に一矢を報いた。早靹はそのまま全国でも準優勝したから、当時の中国地方のレベルは大変なものだったと想定される。
>>979
胸番号の変なユニフォーム
→あったな。76年のシーズン、太平洋クラブ時代のなんとも異様なユニフォーム。 横浜高校の全国優勝は印象に残るのが多い。
永川で広島商に勝ってセンバツ初出場初優勝
愛甲で荒木大輔に勝って夏の選手権初優勝、
松坂の春夏連覇と。
2006年のセンバツ優勝だけはなんか印象が薄い >>979
池永が事件に捲き込まれなかったら東尾はプロでの成績はどうだったかな?
ピッチャーがいなかった故に早い時期から登板機会が多くなってた面もありそうだから。 東尾は負け続け、それでも頑張って弱小ライオンズのエースとなり251勝を挙げた。
登板機会が多かったが生かしきれなかった投手もいるんだから。大分商出の河原とか、若狭高出の乗替とか。 池永を見た人は何歳くらいなんだろう
プロも入れたら60歳くらいかな 自分は高校野球、プロ野球とも68年から観ているが、当時のTVでパ・リーグの
選手を観ることができたのは日本シリーズ、オールスター戦かたまのNHKの中継
だけだったため池永も68年のオールスター第1戦先発登板しか見覚えがない。
ワンステップして柔らかい投球フォームだったように思うけど、プロ5年間で99勝
も凄いがこの間に打った本塁打が13本で、オールスター戦もずっと無失点だったと
いうのも非凡。池永の追放事件とプロ入りまでにやたらと遠回りした江川は日本の
野球ファンにとって大きな損失だった。 >>986
江川は自分でそういう道を選んだんだから自業自得
阪急、クラウンライターとプロ入る機会はあったけど何が何でも巨人(本人は在京球団ならどこでも良かった言ってるが)でないとなったんだし >>985
現在53歳ですが、池永と怪童尾崎は見たかったピッチャーでした。
お二人とも自分が野球を見始めた頃には球界を去ってました。
野球を見た最初の記憶は73年春の作新学院の江川でした。
江川と比べて池永、尾崎はどうだったのか興味があります。 >>982
準々決勝でハンカチをレイプしてから大勝続きで優勝
恐ろしく強いイメージがあったんだが 江川の高めの快速球は当時、打つの困難だったから打倒するには見逃す以外になかったと思う。自分は関東で江川を見たがバットにボールがなかなか
当たらないというのは未だかつてない出来事で衝撃的だった。 >>986
池永を見られたとは、うらやましい。
投打に非凡、全身バネ、センスの塊というイメージ。
桑田をひとまわり大きくした感じなんでしょうね。 このスレッドは1000を超えました。
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