50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.2
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>>522
てか、満足に牽制球も投げられないから、盗塁はほぼフリーパスww >>522
あの非常事態で、盗塁3個で済んだのは奇跡?!
もっと東海大四も走らないとw みなさんの記憶で牽制球のうまかった投手は誰ですか? >>525
ベタだけど桐蔭学園の志村。正直ビックリした。 >>525
広島商の山村。
2年先輩の佃よりも巧かった。 >>526
>>527
ありがとう
近鉄の左腕・阿波野投手は牽制が武器だったけど、ボーク取られるようになったらおかしくなった。
どこがボークだったのか。アマチュアとプロで違うのだろうが。
ちなみに右腕の牽制球の達人はいるのだろうか。
メジャーにいった前健投手の素早い牽制はボークのように見えるのだが。
地方大会だが、福島・聖光から阪神にいった蔵内投手は一塁走者を数回牽制死させていた。 明治時代、安井は飲みに行ったチャリンコの帰り道、信号待ちのタクシーの窓から御大に目撃された。
そのまま合宿から追放された、のは有名やな。 >>528
歳内ね・・・
かなり昔だけど、習志野で67年夏にエースで、75年夏に監督として全国制覇した石井好博氏は右腕でしたが、二塁への牽制球は絶妙でした。
67年夏準決勝の中京戦では夏連覇を狙ってた中京の二塁走者を度々牽制球で刺してた。
試合巧者の中京が度々牽制球に引っ掛かるくらい絶妙のタイミングでの牽制球で。 習志野の場合は投手個人の上手さというよりチームとしての力だろう。
あれは内野陣の動きも巧みなサインプレーだから。習志野の伝統ともいえるプレー。
石井が67年夏の中京戦で4回牽制で刺したのは有名だが、教え子の小川も75年春の豊見城戦で3回刺しているし、夏の準決勝の広島商戦の4回裏に二塁走者の谷だっけ?刺している。
現監督の小林が投手だった80年夏の倉吉北戦の8回表にも二塁走者を刺している。
牽制が上手な投手というと、東海大相模の村中もいた。 >>427
>>428
大船渡の金野はクリーンナップじゃなかったよ。
3番清水
4番鈴木
5番今野
鈴木は法政大〜岩手銀行、今野は早大〜日産サニー東京?〜大船渡に帰郷し母校の監督をしたはず。 岡山でハーフといえば、岡山東のライトより前に倉敷工の菱川だろ
菱川は選手宣誓したが高校中退してドラゴンズへ 『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索 >>528俺も習志野の石井だと思う。準決勝の中京戦で普通なら負けていた試合を牽制でことごとく走者を刺したのは凄かった。全国制覇はあの牽制無くしてあり得なかった、 >>533
習志野の場合、牽制球が上手かった投手は、石井、小川、小林といずれも右投手だけど一塁牽制なんかはどうやって刺していたのかな?石井の時はラジオで聞いていてわからなかったんだが。 >>537
当時の習志野は牽制のサインは全てベンチから出し、サインは4種類。
春から連日、守備練習の30分を牽制の練習に充てた。 習志野が初優勝した時の市原監督は名将と思うけど、前にnumber の優勝監督特集を読んだら
異動後はテニスの監督とか野球から離れたようですね。もったいない。 >>538
習志野の牽制は二塁で刺すことが多かったかな。石井のときの中京戦は4回のうち3回は二塁走者を刺したんじゃなかった?
「中京のように足に自信があるチームのほうが刺しやすい」と習志野の選手も話していた。それだけリードも大きくなるし。
この伝統はいまは廃れたのかな、牽制が上手いというのはほとんど聞かなくなった。
吉沢がいたころの日大三も上手かった。これもサインプレーだったが、準決勝の銚子商の6回表のピンチで二塁走者を刺している。
74年春、報徳のリリーフ東も土浦日大、銚子商と二試合続けて1点差のピンチで刺している。
あと、知っているかたなら話を聞きたいのだが、岐阜商の清沢はどうだったのだろう。牽制というと必ず話の出てくる投手だから。 習志野は牽制然り、球場別にマウンドや打席での視力や視座を考慮した野球はまさに先進的。
野球帝王とも言える、かの中京商業を田舎野球と揶揄したのはその辺りから来る自信だったとしか思えんわ。 飯田長姫の光沢は走者を出したら、投球数より牽制の数の方が多かったらしい。
今なら主審から警告されるかな? >>539
ピックオフプレーのフォーメーションは、市原監督自らが全部考案した。
コンセプトは「いかに点を取らせないか」の一点。 >>532
すみません 間違いました。(涙目・・) 牽制球といえば、74中京商の原田と76鉾田一の戸田も上手だったなあ 戸田はあの悲劇的な敗戦をした崇徳戦、4回も牽制でアウトにしたな。 千葉県内では千葉商業の牽制も有名だった。
なんとセンターがセカンドベースに入るという牽制。
事実上の決勝といわれた77年夏の三回戦の銚子商業戦の7回裏のピンチに必殺のプレーが飛び出した。この試合2-1で競り勝ち、そのまま甲子園へ。
その後は82年夏の市川戦で見られた。
連投失礼。 >>548
センターが二塁に牽制で入ってくるというのは、
ベンチの監督の指示か? あうんの呼吸?
むかしの千葉野球のようにレベルの高い野球は守備のときも バッテリー、内外野手がみんな
ベンチからの指示を見て動いてたのか? >>544
ただ、その市原監督、準決勝の中京戦の後のインタビューで「中京は田舎野球」と話したことが
校長の逆鱗に触れて、大会終了後に速攻で監督を解任されたのは残念。 >>548
そのプレイは小学生の学童野球じゃ偶に見るね。
たしかに高校野球では見た事無いかも。
状況によっちゃ面白そうやな。 センターが二塁へ牽制に入るプレーは96年選抜1回戦の浜松工−太田市商の試合で見た。
確か太田市商がやったと思うがランナー見事に挟まれてたわw 浪商も三沢と対戦して押し出しサヨナラ負け必至の場面でセンターが二塁に入る牽制で刺して
ピンチを凌いで息を吹き返して試合にも勝った。 >>548
その試合は実際に見ていたけど、あれ〜って感じの中で見事に決まったね ピッチャー、ショート、センターが申し合わせて、ピッチャーが振り向き様に2塁ランナーに牽制球を投げたフリw
ショートとセンターが慌ててボールを追いかけるフリw
2塁ランナーは離塁するも、ボールはピッチャーから内野手に転送されてタッチアウトww
高校野球じゃないけど、89年の都市対抗でプリンスホテルが実際やったプレー。 ヤクルト時代の野村監督が言ってたのを覚えている
捕手の古田がセカンドへ送球して俊足のセンター飯田がセカンドへ入って刺すと
まぁ逸れたら確実に1点入るからプロ野球ではやらないがとか >>555
騙された2塁ランナーが悪いとはいえ..........悪質(苦笑) >>558
やるとしても高校野球までだろうな。
そこまで前進守備を取るのは。 あと福井商の板倉。南陽工戦一塁牽制で立て続けに刺したがこれが勝因だったと言っても過言ではない貴重なプレーだった。
前橋戦と浜松商戦では三塁牽制で刺した。前橋戦の時の三塁ランナーは前の試合で完全試合を成し遂げた松本だった。 板倉は南陽工業戦で3人刺したな。とくに3人目は8回表の一塁走者だった。これがたたって南陽工業はこの回4安打しながら1点しか取れず1-2で敗れた。
牽制が明暗を分けた試合で思い浮かぶのは76年夏の決勝、桜美林対PL戦。
7回表、一死二塁で松本が走者の吉田を刺した。その直後に山本の三塁打が出たがこの回無得点。その裏桜美林が2点を取り同点となった。PL鶴岡監督は「結果論になるが7回が痛かった」と試合後話していた。
9回表にも松本は二塁走者を刺している。
いずれも松本のひらめきだったらしいが、二塁手の中田がタイミングよくベースに入った。
中田は「松本さんのからだから感じたにおいみたいなものです」と言っていたな。 その中田さんも亡くなったんやね。ひょうひょうとした風貌で確実性の高いフィルディングが懐かしいなあ。 >>562
確かに桜美林の牽制もうまかったね。あと同じ76年夏の大会の銚子商×高松商戦で
やはり銚子商が高松の二塁走者を牽制で刺しまくって勝った試合があったね。
その前年の習志野と言い千葉県のチームは牽制がうまいと思ったんだが習志野に倣ったのかな? >>563
中田は優勝した時は2年だったかな、翌年の春も選抜に出てましたね。 西宮市長、辞職の意向 議会が退職金の減額条例案調整中
取材しようとした読売新聞の記者に「殺すぞ」と暴言を吐き、問題になった兵庫県西宮市の今村岳司市長(45)が19日、辞職する意向を市の関係者に伝えたことがわかった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180219-00000057-asahi-soci 当時の法政の二遊間は強力やった。
中田、中葉(智辯)綱岡(滝川)平岡(高知)神長(作新)山中(愛知中京)片岡(広島商業)飯田(桐蔭学園)中山(所沢商業)等など凄い層の厚さ。
二遊間だけでこれやから正直、誰が監督しても強かったと思うわ。 >>565
翌年は主将だったはず。春夏出場したな。
夏は初戦で早実との東京対決だった。
あの決勝戦、4回表のピンチでゴロをトンネルして三点目を献上したのが記憶に残ってしまっている。 >>569
なんで知ってるん(笑)いや、なんでそんな事言うてやるん? 広島商では、何十年ぶりの1年生レギュラーだったんだが..... >>558
成功したのはいいけど、点入れられてるじゃんw 仙台育英の絶妙な2塁牽制。
キャッチャーのサインによるもの。
仙台育英の復活はなるか......
https://youtu.be/gci4oSqzUOo あれだな、昔の千葉は試合巧者の監督がたくさんいたイメージがあるんだけどな。選手個々が劣っていても勝たせてしまう感じ。蒲原監督なんか凄い手腕だったが、 >>576
つうよりショートの平沢が走者の動き読んでるな、そして平沢から出したサインを捕手が経由してPに合図してるだけやわ。 >>578
そういうことをひっくるめて、要はキャッチャーがフォーメーションを統制している。 まあ、同場面の別の動画も見たが、平沢が走者の動きを読んで捕手にサイン送ってるな。 >>581
「統制」という言葉の意味、知ってる?w >>579
昔は選手と一緒に汗流しながらいかにして育てるか、育成力が名監督の条件と言われたけど、いまは優秀な選手をいかにして獲得するかというスカウト力が名監督の条件になっているからな。
しかも指導にしても、昔は一点の重みを説いてまず守りを大事にする監督が多かったが、いまは金属バット時代だから細かなことにはかまわずただ打つことを重視する監督が多い。
昔の監督のほうが野球を知っている人が多かったと思う。 >>564
延長に入って、高松商の脚に溺れた自滅の試合。延長に入って、銚子商はエース佐藤から一谷に変わって、ノーアウト一塁二塁の絶対絶命のピンチを一谷投手と内野陣の連携プレーが記憶に残っている。 実戦に於いて「統制」がひとつとか…あまり野球知らんのかな。 サイン見てるときというかセットポジションに入る前だと
軸足外すのはプレートの前でも後ろでも横でもどこでもいいのか? >>585
>>576の動画を書き込みした者です。
私も別のアングルから、平沢の動きに合わせてキャッチャーがピッチャーに牽制のサインを送ったのは知っています。
>>580の方は、キャッチャーはショートのみならず、各ポジションの情報をピッチャー、その他のポジションと瞬時に共有しなければならないので、「統制」という言葉を使ったんだと思います。
何せ、キャッチャーは「要」ですから。 平沢のあのゼスチャーはピッチャーと言うよりキャッチに送ったもんやろね。 >>577
今から考えると蒲原さんは凄かった。
予選の1回戦敗退が当たり前だった、
普通の公立高校の印旛や柏陵で、
印旛では甲子園準優勝、柏陵で春夏連続出場、夏は3勝してベスト8
特に印旛では習志野、銚子商時代から、
一時期、印旛の時代も築いたし。
あのPLとのセンバツ決勝は今でも悔やまれる
大阪桐蔭のように全国からエリート選手集めて勝つより、
蒲原さんの方が数倍凄いと思うわ。 >>588
ピッチャーは、キャッチャーの指示(サイン)に従っただけ。
あの時の2塁ランナーが視線を下げてボールから目を離す癖があったから、よけい効果があった。 >>590
あれで、ショートとピッチャーだけの阿吽の呼吸で差したら、それこそ神?!ww
全ての鍵は、キャッチャーが握っている。 >>590
牽制は完璧だけど、2塁ランナーの緊張感の欠如振りが半端ないww >>589
同意。蒲原さんは印旛、柏陵と実績ゼロの学校で選手と汗水流して甲子園まで導いた熱血漢。真の学生野球の指導者だと思う。
あの81年春の決勝、優勝まであと二人まで迫ったのだか…目前となり佐藤も意識してしまったのか。
千葉県人だが、あの試合はいままでで一番残念な試合。 >>592
2塁ランナーは山田?
トップバッターなのにw >>593
斎藤、石井、蒲原は千葉県高校野球界の名監督
三羽ガラスに間違いないですね。 ご存知の方もいらっしゃるだろうけど
蒲原さんの息子は東大野球部出身、埼玉の高校で指導者をされてます >>596
山形・羽黒高校が初出場したときの監督は東大卒だったが、
ノック、試合でのサインは部長がやっていて、なんか変わっていた。
・・監督は野球部出身ではなかったのかもしれないが。
東大野球部出身の監督は自らノックバット振っていたのかな。 逆に、1塁ランナーがわざと躓いて牽制球を投げさせて、同時にスタートを切った3塁ランナーがホームをつくプレーを昔見たな。 82年夏の東洋大姫路(法政二戦)か。
同じ年の大阪予選でも春日丘がPL戦の9回に仕掛けて決勝点だったが、あれはセカンドランナーが転んだんだっけ? >>598
相手がサウスポーの時が狙い目w
広島商も格下のチームと対戦する時は、しょっちゅう試していたな。 >>599
東洋大姫路はKKのPLに競り勝った84年秋の近畿大会決勝でもこのプレーで虎の子の1点を挙げて完封勝利。 その頃の話で、豊田次郎の時の東洋はセンバツに乗り込む時点での勝率が異常に高かったよな
そのせいもあって俺の中では最高のサブマリン 名前も投げ方も似てるがw
上田は南部高校(和歌山)から阪神で、ずっと爺さんだろ そうか、豊田次郎って方は知らないな、じいさんなんて言いなさんな、上田次郎や古沢憲司と近い昭和23年生まれだし、皆もわかるだろうが兄弟多くて貧乏、テレビやラジオ無い年代だし末っ子の弟はサリドマイドだったから面倒見るの大変だった。
学校もろくに行かず山で芹やなずな取ってた年代だからな。 上田次朗は巨人9連覇の年に活躍したのが一番記憶に残ってる
同時代に活躍したカープの金城という投手もアンダーハンドだった
当時は小学生だった俺が五十も半ばを過ぎて既に爺さんなんだから、上田も金城も爺さんだわな 50半ばならまだまだセックスもギンギンだろ?
俺が50〜58までは35→43の美人人妻(女房の知り合い)とギンギンにセックスしてたぞ!
今から20〜12年前の話だな。
生でガンガン突いて突いて突きまくった。
肛門もかなり調教した。
本当に変態なスレンダー超美人な人妻だった。 上田次朗さんが全国に名をとどろかせたのはS43年明治神宮大会(明治百年記念だった
から50年たつのか・・・)で田淵・山本浩・谷沢のスター選手達を集めた東京六大学選
抜軍をなでぎりした試合、東海大や首都大学リーグなんてあるのあの時に始めて知った。
金城も事故にあわなければ先発投手でもっと活躍したのにねぇ 上田次郎は大変な大痔主だったとエモやんの本で書かれていたな。
エモやんが部屋でにわか治療をしてあげているときに田淵がやってきて「これなんや?」と上田の痔を持ち上げたものだからたまらない。
上田は絶叫をあげて横たわったまま一メートルも飛び上がってしまったらしい。
被害者の姓は伏せるが名前が笑える、ジロウっていうんだもんね、と書かれていた。
野球でいうと73年、あの巨人との最終決戦であっけなくKOされて9連覇を許してしまったな。 >>598
2010年夏甲子園の履正社対天理で履正社がこのプレーで得点した。
履正社の監督が東洋大姫路の出身と知ってなるほどと思った。
>>601
この時のホームスチールは3塁ランナーの単独と記憶してたが自分の記憶違いだったか。 >>612
自分も四回表二死三塁での単独本盗と記憶しているんだが…
当時の雑誌が実家の物置にあるので確かめられない。 >>602>>606
96年日本シリーズで先発に抜擢されてた記憶が強い。
>>597
竹内一郎元羽黒監督は湘南→東大で、本人の語るところでは湘南高校やクラブチームなどで監督
甲子園を決めて翌春に退き神奈川へ帰郷したが、後に鹿島学園でも監督をつとめ
現在は神奈川で相模原ベースボールクラブGM
横田謙人部長は大學までアメリカで野球をしており、竹内監督の後を受け監督に。
東北公益文科大学野球部の監督に転じて南東北大学リーグ1部優勝も。
その鹿島学園の元主将(竹内氏が辞めたあとに入ってきたので関連は全くない)が
とんでもない事件を起こしたな >>612
履正社は甲子園初出場だった97年夏の専大北上戦の最終回、ホームスチールを敢行して失敗でゲームセットだったような。 >>602
豊田は練習試合を含めて三年間で5敗くらいしかしていないと聞いたことがある。
勝ち星のほうは69勝だったか?記憶に自信がないが、同年代のPL桑田が70勝7敗だった。
桑田はほとんどが公式戦だから豊田とは同じにできないが。
豊田はPLを完封した実績があったが、甲子園でもプロのスカウトの評価は高くなかった。
最大の理由は球が遅かったから。あの球速ではプロでは通用しないという意見が多かった。
加えてプロ入りが遅かったからあまり活躍はできなかったな。 >>600
ツーランスクイズも考案したのは広島商。
実行に移したのは73年夏の日田林工戦。 試合巧者と言ったら先ず思い浮かぶのは広島商業だっよな。 先週ニュースで話題になった千葉県印西市放火殺人事件。男女2人ずつ逮捕された内の20歳の男が元鹿島学園野球部主将。部員100人以上いた中で主将は立派だったけど、、、、
家庭の事情で内定していた大学には進学しなかったと報道されていたが、ググってみると平成帝京大学野球部になっていた。 >>621
里崎、青柳→帝京大学(首都大学野球連盟)
鹿島学園元主将→平成帝京大学(誤)
帝京平成大学(正)
(千葉県大学野球連盟)
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