50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.2
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>>478
うーん それはどうだろう
岡崎工は当時の愛知県では中京と並び本命視されていたチーム
東邦は全国準優勝メンバーがごっそり抜けてダークホース的存在だった
若い人はピンとこないかもしれんが、岡崎工は74年、76年と選抜に出場しており、愛知県では私学5強と並ぶ強豪だった
とくに78年は前年チームのレギュラーが多数残った勝負年だった これも相撲の言葉やけど、顔じゃない、つうのが有る。
岡崎工業はセンバツで浪商を食ったのが精一杯の顔やったのかも。
センバツで大阪の雄、浪商を倒すのは其の力を彷彿させるんやけど…。
しかし、あの年の中京はPLの新時代を開ける為の大きな役割りを持ってたんやろう。
それは岡崎工業の顔じゃなかったとしか。野球の歴史が中京を其の相手役に選んだとしか思えんわ。 >>433
>>434
>>435
以前YouTubeに当時の試合のリアルな映像がアップされてた時、懐かしくて何回も見たけど
黒木から武藤に再び戻そうとしたのに合図が審判団に伝わらず交代のポイントが遅れたり
何度もやって来る伝令に対し黒木が切れて追い返したり
今だったら試合中にあんなシーンあり得ないんじゃないか??
と自分は映ったけど、やっぱり今ならあり得ないよね? >>440
夏の予選も長浜は優勝候補筆頭だったと思う。
春は守山が優勝して、夏の本命はこの2強やったんかな?
春守山に負けて準Vの近江松原投手をヤクルトのスカウトが見に来てました。 >>479
あの年の東邦はたしかに打は力不足だった。
「昨年のように振り切れる打者がいない」と阪口監督も話していた。
なにしろ前年は一年生の坂本を除いてレギュラーは全員三年生だったから。
しかも坂本は甲子園が終わった後も騒がれて結果が出ていなかったから。
それが6月下旬の岐阜の中京商との練習試合で1安打完投してから急に調子を取り戻していた。
上り調子で予選を迎えたので、ひょっとしたら、という感じがした。
あの年の愛知は中京の力がずば抜けていたので、仮に準決勝で中京が負けていたら、最大の強敵がいなくなったので東邦は元気百杯になって岡崎工業に勝ったかもしれない。
しかも中京は昔からの宿命のライバルであるのに対して、岡崎工業は当時はたしかに甲子園に出ていた強豪であるが中京と比較すれば相手に与えるインパクトが違う。
このときのエースは大見だった?
甲子園に出た74年は岩崎、76年は山内がエースだった。山内は夏の予選で完全試合を達成した記憶がある。 昔、岡山東商だったかな?
ケネス・ライトという投手の名前を憶えている。
あれが俺が甲子園大会で外人選手を見た最初だな。 >>485
オーストラリアとのハーフだが、日本人の面影はほぼないw 堀越にカイザーフレデリックがいたな。鹿倉投手もハーフで青い眼だった記憶がある。 >>453
3分で餌に食いつく前に
頭のいい彦根東ヲタなら少しは考えて書き込めよ。 >>486
そうでしたか。ハッキリ姿までは覚えてないけど、確かに外人外人してたようなイメージが・・・。
>>487
鹿倉って名前も覚えてる。懐かしいなー。彼もハーフでしたか。 堀越が出場するとアルプス席に芸能人がいるのではと
必死で探しているファンがいたな。確かにスタンドはイケメンが多かったね。もちろん飯島とか上條などいい選手もいたことを付記しておきます。 >>490
確か藤正樹(笑)がいたような気がする。 バンビ坂本は1年の時のしなやかさが、上級生になるにしたがい無くなった。その分パワー、球威がついたとは思うがしなやかさが無い分、球のキレがなくなっていったのだろう。 >>490
上條も好捕手だったが、明大反逆問題で干されてしまった。 >>495
上條のライバルの松本(掛川西)は、4年・秋のリーグ戦でベストナインに輝いた。 東洋大姫路の安田も島岡御大の逆鱗に触れて干されたって本当? なんか知らんけど5ちゃんねるの画面が見にくく書きにくくなってるのは俺だけが。
開くのも面倒臭い、なんやこのレイアウト、マジでうざい。 >>492
愛知三河地区といえば岡崎工業だった。78年に刈谷高校が選抜されたときは驚いたな。南陽工 津田投手に完全に抑えられたが、卒業後も大学野球で頑張っている選手もいたな。確か慶応か東大に進んだ投手がいたと思う。 坂本は高校1年以降は陽の目を見なかったけど、サラリーマンとしては成功した人だと思う。 >>496
掛川西の松本は、75年センバツでも評判だった。
この大会はいいキャッチャーが多く、上條、松本以外にも、北岡(高知)、岡田(中京)、大本(倉敷工)、菊田(仙台育英)、長井(報徳学園)ら。 最近の岡山勢が情けなくて夏は古豪・岡山南や大物食いだった岡山城東あたりに復活して欲しいなあ >>502
性格が明るくて人格者だったなあ あの動画を見ると
東洋大姫路の安井が名古屋赴任時に友達付き合いしていたのも分かるわ
森田とは大違い
森田「(安井に向かって)あんたんとこののチーム」 >>503
北海道日大の原は、選抜ではセンターで夏はキャッチャー。
金沢桜丘戦で、ホームランを打ったのを覚えている。 >>500
慶応に進んだ水野投手だな。
82年秋の早慶第2戦で勝利投手になっている。
78年春は中京が推薦取消しになったために出場できた。県決勝では中京に0-11で敗れていたから。 >>503
翌76年センバツは捕手難w
応武(崇徳)がダントツで、あとは続木(新居浜商)、鈴木喜(天理・2年)ぐらい。 珍プレーで際どい球の見逃し方が面白くてよく特集されたホエールズの市川捕手って、
1975夏の国府の二年生キャッチャーだったんですね。バッテリーがそろってプロ入り
するチームなのに大して強くもない柳井商に初戦敗退。なぜだ(三越の岡田社長)。 >>510
応武は、1つ上の高山が優秀なキャッチャーだったから、レギュラーになったのは2年の秋。
夏の東海大四戦での、素人ピッチャー・兼光の苦しいリードが記憶に残っている。 珍プレー番組の乱闘シーンによく登場したヤクルトの捕手中西がいた相可は77年秋の東海大会(当時の名称は中部大会)初戦で選抜に出た刈谷に延長戦の末敗退。
結局甲子園には届かなかったが、1学年下の代が79年夏に16年ぶりの出場。 >>509
刈谷は大敗せず、よく南陽工に善戦したと思う。
南陽工といえば早稲田実業の和泉監督が若い頃に
コーチだったらしいけど山口に地縁があったのかな、
しかも公立。 >>515
監督だった。
大学時代にコーチしたご縁で。 >>516
早大の選手は夏休みに南陽工業にコーチに行っていたな。
津田も早大のエースだった道方に指導を受けていた。 >>514
そのとき下級生だった中道が左腕からの変化球で、強打の鹿児島実を2点に抑え、鹿島(中日ドラゴンズで中継ぎとして活躍)を攻略して勝ったのは見事 >>512
国府を完封した柳井商の2年生・唐木も、南海のドラフト指名を蹴って川崎製鉄水島へ。
2回戦の中京商の打線と比べ、国府の打線は全く迫力を欠いた。 >>519
75年国府はレギュラーに2年生が多く貧打だった
翌年のチームのほうが打力もあり、バランスが取れていた
ただ、捕手から投手に回った市川がスタミナ切れして岡崎工に敗れた 山口県も、宇部商が出てくる前は目まぐるしく代表校が変わった。
そんな中でも、70年代は柳井、防府商と甲子園準優勝校が出たもんだが...... >>513
あの強肩の応武が3個も盗塁を許したからな。
春夏あわせて7試合で応武が盗塁を許したのはこの試合だけ。
それだけ兼光のリードでいっぱいいっぱいだったのだろう。 >>522
てか、満足に牽制球も投げられないから、盗塁はほぼフリーパスww >>522
あの非常事態で、盗塁3個で済んだのは奇跡?!
もっと東海大四も走らないとw みなさんの記憶で牽制球のうまかった投手は誰ですか? >>525
ベタだけど桐蔭学園の志村。正直ビックリした。 >>525
広島商の山村。
2年先輩の佃よりも巧かった。 >>526
>>527
ありがとう
近鉄の左腕・阿波野投手は牽制が武器だったけど、ボーク取られるようになったらおかしくなった。
どこがボークだったのか。アマチュアとプロで違うのだろうが。
ちなみに右腕の牽制球の達人はいるのだろうか。
メジャーにいった前健投手の素早い牽制はボークのように見えるのだが。
地方大会だが、福島・聖光から阪神にいった蔵内投手は一塁走者を数回牽制死させていた。 明治時代、安井は飲みに行ったチャリンコの帰り道、信号待ちのタクシーの窓から御大に目撃された。
そのまま合宿から追放された、のは有名やな。 >>528
歳内ね・・・
かなり昔だけど、習志野で67年夏にエースで、75年夏に監督として全国制覇した石井好博氏は右腕でしたが、二塁への牽制球は絶妙でした。
67年夏準決勝の中京戦では夏連覇を狙ってた中京の二塁走者を度々牽制球で刺してた。
試合巧者の中京が度々牽制球に引っ掛かるくらい絶妙のタイミングでの牽制球で。 習志野の場合は投手個人の上手さというよりチームとしての力だろう。
あれは内野陣の動きも巧みなサインプレーだから。習志野の伝統ともいえるプレー。
石井が67年夏の中京戦で4回牽制で刺したのは有名だが、教え子の小川も75年春の豊見城戦で3回刺しているし、夏の準決勝の広島商戦の4回裏に二塁走者の谷だっけ?刺している。
現監督の小林が投手だった80年夏の倉吉北戦の8回表にも二塁走者を刺している。
牽制が上手な投手というと、東海大相模の村中もいた。 >>427
>>428
大船渡の金野はクリーンナップじゃなかったよ。
3番清水
4番鈴木
5番今野
鈴木は法政大〜岩手銀行、今野は早大〜日産サニー東京?〜大船渡に帰郷し母校の監督をしたはず。 岡山でハーフといえば、岡山東のライトより前に倉敷工の菱川だろ
菱川は選手宣誓したが高校中退してドラゴンズへ 『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索 >>528俺も習志野の石井だと思う。準決勝の中京戦で普通なら負けていた試合を牽制でことごとく走者を刺したのは凄かった。全国制覇はあの牽制無くしてあり得なかった、 >>533
習志野の場合、牽制球が上手かった投手は、石井、小川、小林といずれも右投手だけど一塁牽制なんかはどうやって刺していたのかな?石井の時はラジオで聞いていてわからなかったんだが。 >>537
当時の習志野は牽制のサインは全てベンチから出し、サインは4種類。
春から連日、守備練習の30分を牽制の練習に充てた。 習志野が初優勝した時の市原監督は名将と思うけど、前にnumber の優勝監督特集を読んだら
異動後はテニスの監督とか野球から離れたようですね。もったいない。 >>538
習志野の牽制は二塁で刺すことが多かったかな。石井のときの中京戦は4回のうち3回は二塁走者を刺したんじゃなかった?
「中京のように足に自信があるチームのほうが刺しやすい」と習志野の選手も話していた。それだけリードも大きくなるし。
この伝統はいまは廃れたのかな、牽制が上手いというのはほとんど聞かなくなった。
吉沢がいたころの日大三も上手かった。これもサインプレーだったが、準決勝の銚子商の6回表のピンチで二塁走者を刺している。
74年春、報徳のリリーフ東も土浦日大、銚子商と二試合続けて1点差のピンチで刺している。
あと、知っているかたなら話を聞きたいのだが、岐阜商の清沢はどうだったのだろう。牽制というと必ず話の出てくる投手だから。 習志野は牽制然り、球場別にマウンドや打席での視力や視座を考慮した野球はまさに先進的。
野球帝王とも言える、かの中京商業を田舎野球と揶揄したのはその辺りから来る自信だったとしか思えんわ。 飯田長姫の光沢は走者を出したら、投球数より牽制の数の方が多かったらしい。
今なら主審から警告されるかな? >>539
ピックオフプレーのフォーメーションは、市原監督自らが全部考案した。
コンセプトは「いかに点を取らせないか」の一点。 >>532
すみません 間違いました。(涙目・・) 牽制球といえば、74中京商の原田と76鉾田一の戸田も上手だったなあ 戸田はあの悲劇的な敗戦をした崇徳戦、4回も牽制でアウトにしたな。 千葉県内では千葉商業の牽制も有名だった。
なんとセンターがセカンドベースに入るという牽制。
事実上の決勝といわれた77年夏の三回戦の銚子商業戦の7回裏のピンチに必殺のプレーが飛び出した。この試合2-1で競り勝ち、そのまま甲子園へ。
その後は82年夏の市川戦で見られた。
連投失礼。 >>548
センターが二塁に牽制で入ってくるというのは、
ベンチの監督の指示か? あうんの呼吸?
むかしの千葉野球のようにレベルの高い野球は守備のときも バッテリー、内外野手がみんな
ベンチからの指示を見て動いてたのか? >>544
ただ、その市原監督、準決勝の中京戦の後のインタビューで「中京は田舎野球」と話したことが
校長の逆鱗に触れて、大会終了後に速攻で監督を解任されたのは残念。 >>548
そのプレイは小学生の学童野球じゃ偶に見るね。
たしかに高校野球では見た事無いかも。
状況によっちゃ面白そうやな。 センターが二塁へ牽制に入るプレーは96年選抜1回戦の浜松工−太田市商の試合で見た。
確か太田市商がやったと思うがランナー見事に挟まれてたわw 浪商も三沢と対戦して押し出しサヨナラ負け必至の場面でセンターが二塁に入る牽制で刺して
ピンチを凌いで息を吹き返して試合にも勝った。 >>548
その試合は実際に見ていたけど、あれ〜って感じの中で見事に決まったね ピッチャー、ショート、センターが申し合わせて、ピッチャーが振り向き様に2塁ランナーに牽制球を投げたフリw
ショートとセンターが慌ててボールを追いかけるフリw
2塁ランナーは離塁するも、ボールはピッチャーから内野手に転送されてタッチアウトww
高校野球じゃないけど、89年の都市対抗でプリンスホテルが実際やったプレー。 ヤクルト時代の野村監督が言ってたのを覚えている
捕手の古田がセカンドへ送球して俊足のセンター飯田がセカンドへ入って刺すと
まぁ逸れたら確実に1点入るからプロ野球ではやらないがとか >>555
騙された2塁ランナーが悪いとはいえ..........悪質(苦笑) >>558
やるとしても高校野球までだろうな。
そこまで前進守備を取るのは。 あと福井商の板倉。南陽工戦一塁牽制で立て続けに刺したがこれが勝因だったと言っても過言ではない貴重なプレーだった。
前橋戦と浜松商戦では三塁牽制で刺した。前橋戦の時の三塁ランナーは前の試合で完全試合を成し遂げた松本だった。 板倉は南陽工業戦で3人刺したな。とくに3人目は8回表の一塁走者だった。これがたたって南陽工業はこの回4安打しながら1点しか取れず1-2で敗れた。
牽制が明暗を分けた試合で思い浮かぶのは76年夏の決勝、桜美林対PL戦。
7回表、一死二塁で松本が走者の吉田を刺した。その直後に山本の三塁打が出たがこの回無得点。その裏桜美林が2点を取り同点となった。PL鶴岡監督は「結果論になるが7回が痛かった」と試合後話していた。
9回表にも松本は二塁走者を刺している。
いずれも松本のひらめきだったらしいが、二塁手の中田がタイミングよくベースに入った。
中田は「松本さんのからだから感じたにおいみたいなものです」と言っていたな。 その中田さんも亡くなったんやね。ひょうひょうとした風貌で確実性の高いフィルディングが懐かしいなあ。 >>562
確かに桜美林の牽制もうまかったね。あと同じ76年夏の大会の銚子商×高松商戦で
やはり銚子商が高松の二塁走者を牽制で刺しまくって勝った試合があったね。
その前年の習志野と言い千葉県のチームは牽制がうまいと思ったんだが習志野に倣ったのかな? >>563
中田は優勝した時は2年だったかな、翌年の春も選抜に出てましたね。 西宮市長、辞職の意向 議会が退職金の減額条例案調整中
取材しようとした読売新聞の記者に「殺すぞ」と暴言を吐き、問題になった兵庫県西宮市の今村岳司市長(45)が19日、辞職する意向を市の関係者に伝えたことがわかった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180219-00000057-asahi-soci 当時の法政の二遊間は強力やった。
中田、中葉(智辯)綱岡(滝川)平岡(高知)神長(作新)山中(愛知中京)片岡(広島商業)飯田(桐蔭学園)中山(所沢商業)等など凄い層の厚さ。
二遊間だけでこれやから正直、誰が監督しても強かったと思うわ。 >>565
翌年は主将だったはず。春夏出場したな。
夏は初戦で早実との東京対決だった。
あの決勝戦、4回表のピンチでゴロをトンネルして三点目を献上したのが記憶に残ってしまっている。 >>569
なんで知ってるん(笑)いや、なんでそんな事言うてやるん? 広島商では、何十年ぶりの1年生レギュラーだったんだが..... >>558
成功したのはいいけど、点入れられてるじゃんw 仙台育英の絶妙な2塁牽制。
キャッチャーのサインによるもの。
仙台育英の復活はなるか......
https://youtu.be/gci4oSqzUOo あれだな、昔の千葉は試合巧者の監督がたくさんいたイメージがあるんだけどな。選手個々が劣っていても勝たせてしまう感じ。蒲原監督なんか凄い手腕だったが、 >>576
つうよりショートの平沢が走者の動き読んでるな、そして平沢から出したサインを捕手が経由してPに合図してるだけやわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています