50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.2
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昭和24年の選抜決勝が多胡、有本 いずれも身長165cmの小さな投手の投げあいだったのは
驚きだ。 70年代は、170cm以下の好捕手が目についた。
個人的には、北岡(高知)、中村(上尾)、鍛治本(大鉄)、嶋田(箕島)、香川(浪商)。 >>380
昭和24年の出来事に驚いた人が5ちゃんやっていることが驚きだ
本当に人生100年時代が来ているということか >>381
中村は、75全日本の海外遠征で全9試合にマスク被っていたな。
地味だけど、綾野(岡山東商)も78全日本に選ばれた。豊見城戦での活躍を良く覚えている。 >>369
77年の夏に全国制覇した東洋大姫路には、サウスポー松本という絶対的なエースがいたため
目立たなかったが、後に東洋大〜ヤクルトで大活躍するアンダースローの宮本賢治がいたね。
宮本は甲子園で登板する機会が無かったが、他のチームなら間違いなくエースになれた逸材と
当時は言われてた。
報徳学園に進んでいれば、夏は無理でもセンバツになら出場出来てたのじゃないかと思ったよ。 >>384
宮本は、3回戦の浜田戦で登板しているぞ。 >>380
80歳前後のかたでしょうか?
小倉高校の福嶋投手はどんな感じだったか分かりますか? >>385
登板して直後にライナーを指に受け、またエース松本と交代したな。
閉会式でも、一人だけ包帯を巻いて痛々しい。 東洋大姫路の松本だけ坊主でなかったのは何でだろう? >>387
宮本は評判の控えPだから、楽しみに見てたらアッという間に…w >>385
あれ?宮本って甲子園で登板してたっけ?
浜田戦は全部見てなかったから、登板の記憶が無いな。
>>388
梅谷監督が、「松本だけは試合でどういう展開になろうとも、打席でバントだけは絶対にさせない」、と
全幅の信頼を置いてたくらいだから、好き放題やらせてたってことなんだろうね。 やはり、甲子園の歴史の中で一番多く好投手を輩出してきた学校は平安かな?
いっつも本格派の良い左投手がいるというイメージがある。でも不思議と優勝には無縁だったな。 >>392
なんじゃかんじゃ言って、結局PL学園じゃない?
平安はあまりにも低迷期間が長すぎるw
でも、不思議とサウスポーが多いな。大昔は知らないが。 平安の本格派歴代サウスポー
池田、服部、川口、高橋、 >>395
66年の近鉄のドラフト1位、門野もサウスポー >>395
衣笠祥雄とバッテリーを組んでいた植木(元阪神)もサウスポー >>392
高知商業もいいピッチャー多いな。プロでも1戦級が揃ってたもんな。 期待した池田も大学時代は山口高志が全国区になるきっかけになったS45年の大学選手
権の延長戦の対戦相手ぐらいしか印象が残ってない後に拓大一の監督として甲子園に戻つ
てきたのがせめての話題かw
高橋の確変を期待したいものだが・・・ >>392
藤井、田上、木村、金藤、三分一、藤田、好永.....。
これじゃ、県内の中学生左腕も集まってくるな〜w >>401
法大対関大の延長20回か、伝説の試合だな。
ただ池田はその試合だけじゃない。法政のエースとして十分活躍したと思うが。下級生のころからマウンドに上がり、一級上の横山とともに四連覇に貢献。
最上級生のときは萩野の慶応が勝ったから印象が薄れたのかな。 >>400
同時期にプロ3球団のクローザーがいずれも高知商出身で活躍してた時期があったよね。
讀賣ジャイアンツの鹿取、阪神タイガースの中西と、もう一人は大洋ホエールズの中山だったかな。 >>405
あと、日ハム津野、ヤクルト岡林、阪神藤川、やったか。準優勝の森は阪急でどうなったのかね。まあ。そうそうたる顔ぶれやね。 >>407
森は中継ぎ、ワンポイントリリーフ。
1球で敗戦投手を二回記録している。 >>392
久しぶりの甲子園になった80年春、90夏も、平野、西村の両サウスポー。 高校時代の実積からしても池田にはもっともっと大学や社会人で輝いてもらいたかったと
いうだけですほかに他意はありませんあしからず。
S45年の関大vs法大で思い出したが決勝ホーマー打った白瀧(後に中日ほか)は履正社
の中軸打者の子の親族かそれともただの同姓か・・・ >>394
愛知の中京は70年代になると投手難の時代かな。
樋江井、金本、小山、千賀、武藤、所。
プロ入りしたのは金本だけ。
80年代の野中で久しぶりに力のある投手が出たという感じがした。まあ野中もプロではふるわず、控えだった紀藤がプロで活躍、同じく甲子園で当番のなかった森も全日本で活躍したのは皮肉だったが。
完全試合目前で地獄を見た木村もいたな。 >>395
甲子園不出場組では、江坂(神戸製鋼ー近鉄)も大型左腕。 大船渡が夏春1回だけ甲子園出たとき、サウスポーのかなりの好投手がいたと思うんだけど、彼はその後どういう進路に進んだか知ってる人いますか? >>412
中京は、60年代までは毎年好投手目白押しなのに、70年代からぱったり......。
中京に「好投手」のイメージはない。 80年代以降で中京出身でプロで1軍に定着してたのって、野中の控えだった紀藤とあ
と完全試合まであと一歩だった木村くらい?優勝した堂林は投手としてはイマイチ
でしたね。よく決勝まで行けた。 >>415
ありがとう。明治のあとは野球やらなかったんですかね?
出れば負けるの東北勢で、しかも公立で初出場なのに、当時すでに強豪として台頭しつつあった明徳に1―0で勝つなど、すごい好投手の印象があります。
夏もかなり行くだろうと思ったのに、逆に格下?に負けましたが… >>418
武藤がもっと順調に伸びていたら、78年夏は中京の優勝だった。 >>412
樋江井は社会人でエース格で活躍、プロから誘われたが拒否 >>419
野中世代の3番手投手森が社会人で活躍
野中は伸びなかったが、中京のあの世代の投手力は良かった 杉浦監督がエース1人主義だったから紀藤も森も甲子園では活躍していないけど >>420
金野投手は「こんの」ではなく「きんの」だよね?
日の丸飛行隊の金野選手は「こんの」だった。 いま思えば岩倉も強かったんだが、当時は明徳な勝ったんなら岩倉にも勝てるだろうと思っていた。 >>423
高校時代の森を知っているけど、酷いノーコンw
NTT東海で見違えるようになった。 大船渡
三番金野(きんの)
四番今野(こんの)
五番菅野(かんの)
キンコンカントリオ >>427
あの・・
もし三番が投手の打線の場合、初回は間違いなく打順がまわってくるわけで、
一番でもいいのでは と思う自分は変ですか。
一番ピッチャーとか四番セカンドは高校野球ではあまり見ないのだが・・。 >>427
きんこんかん(笑)いいね。
鐘がなりますきんこんかん♪なんかこんなん有ったよね(笑)。 夏は名前から弱そうな長浜北にまさか負けるとはなあ…
大船渡が4ー0ぐらいで軽く完勝するかと思ってた
しかし、2回戦でも田口のいた都城にあわや逆転勝ちしそうな追い上げを見せた粘りは、大船渡を破っただけのある強さを実感させられたな 金野は素晴らしい投手ではあったけど、打たせてとる系の投手だったから、やはりプロとかにはなれないタイプだったのかね。 >>421
というより、PL戦、あの黒木が登板しなければ78年夏は中京の優勝だった。 PL西田の9回の「三塁打」がタッチアウトなら中京の楽勝だった。 >>431
というより、黒木に頼らざるを得ない中京の台所事情ww >>432
金野はプロでどうこうどころか明治でもメンバーに入れなかった・・・ >>435
黒木は春先から武藤が死んだときの抑えとして実績を積み県大会でも好投していた
ただ、気が小さいところがあったのであの場面での急遽投入は完全な継投ミス
同点覚悟で武藤を続投させるべきだった
黒木は再び一塁に戻ったが、精神的動揺を引きずってプレーし、一塁送球を落球
サヨナラ負けの原因を作ってしまった >>430
長浜ね。
西田英資投手が四番打っていたね。
前年秋滋賀県大会決勝で高島を8-1で破って優勝
滋賀第一代表で近畿大会出場するも大阪第三代表の近大付に延長12回日没引き分け。
再試合は投手が一人しかいない長浜は打ち込まれ7-0の八回コールド負け。
組み合わせの妙で滋賀県第二代表の高島に甲子園切符をさらわれたけど決して弱いチームではなかったと思いますよ。 西田や黒木はともかく78夏に中京が優勝してたら。
中京商業、中京高校、中京大中京、と三つの校名で全国制覇してたんやもんな。
相撲の言い方で実力大関(番付上では大関になれないが大関級の実力)てのが有るけど、あの年の中京はまさに実力横綱やったな。
未だに黒木、、、ちょっと可哀想やけどそう言う背景やったからな。
多分、凄い反省してると思うから許してやってくれー。 黒木には非はない
明白な誤審をした三塁塁審とアホな継投を命じた深谷監督が悪い
あれ、監督が杉浦だったら間違いなくエース続投だったよ ただ、あの試合の迫田さんの解説がきれきれやったから、あれ観た人も迫田クラスの辛口になってしまうのも無理は無いわ。人間そんなもんやろなぁ。
俺も黒木は黒木なりの本気のピッチングやったと今でも思ってるよ。
他の中京ファンの人らも、そろそろ許したってや。
寧ろ迫田さん厳し過ぎるわ。 78年の中京は打力が歴代でも屈指、反面投手力はいま一歩。
ただあの年の高校球界では実力はナンバーワン、優勝できると思ったが。
春の推薦取消しに続いて夏の残酷な逆転負け。ツキがなかった気がする。
黒木は明らかにあがっていたな。せめて四球で満塁になった時点で武藤に再登板させていれば。さらにノースリーまでひっぱってしまったから。やはりベンチのミスだろう。 継投ミスと言えば、昨夏の広陵戦w
中京ヲタの往生際の悪い結果論炸裂ww >>445
お前50代じゃないだろ?ガキは来るな! >>660
この当時、兵庫は報徳学園の打線にエースが東洋大姫路・豊田なら最強。
報徳学園もあのチーム以降、毎年ピストル打線?!w 東北大会優勝の大船渡よりも準優勝の金足農業のが前評判が高く大船渡の選手達が奮起した。
ちなみに当方46歳。
昭和58年当時は小学六年生。 >>440
今年も秋に比叡山に大敗した彦根東が公立お情けで
選抜、滋賀3位では高島のように大敗確実だな。 >>452
嫌われ者の履正社ヲタ消えろ
彦根東が落選していても姫路商が当選していたから >>438
中京のあの時のファーストの落球って、
ショートバウンドだったっけ?それとも単に低かったけど捕れる球を落球したんだったっけ?
数日前からそれ考えてたんだが・・・・・。 >>451
大船渡が優勝した時以後、岩手勢は秋の東北大会優勝
ないんじゃないか?神宮大会も東北は北海道と交互出場だったから、
出場してない。つまり岩手から神宮大会出場校はまだないのか。 >>454
ショートバウンドだけどバウンドがはねたりしていないから、平静な状態の黒木君なら楽々捕球していたと思う 黒木は前の試合まで代打でヒットが続くラッキーボーイ、そのためPL戦はスタメン出場だった。PL戦の途中まで五打席連続ヒットするなどのっていたのだか… >>456
なるほど、そう難しくないショートバウンドということでしたか。
あの試合は中京応援してたんだけどなー・・・。 78年中京の話が出ているが箕島戦は石井(2年)に先発されていたら完敗だったよ >>451
金足農には本格派の水沢がいたからな。その分評価が大船渡より上だったかな。
「今年も東北大会は明らかに総体的なレベルは全国より下だった。
しかし、これならどこに出しても恥ずかしくない、と言わしめたのが大船渡と金足農の決勝だった。
延長16回の大熱戦は終わった後も観るものに感動を呼び起こす力は十分にあった」
というような記事が報知高校野球の選抜出場予想号に出ていたな。 我々、50歳のおっさんにとって、
いわゆる昔ながらの中京らしさが残ってたのは1983年が最後かな。
野中や捕手の鈴木とかいかにも悪そうだったし。
伝統のユニフォームにも威厳があった。
今はなんか変なユニフォームで、
共学になって学校の偏差値も上がったらしく、
武闘派の男子生徒は消滅してしまった。
昔の中京らしさがすっかり無くなってしまったのは残念。 野中のいた中京時代、夏に初戦で、当時無名だった岡山の関西と当たり、予想外に関西が善戦したのを覚えている。
いきなり関西が先制。その後は立ち直った野中の前にさっぱりだったが、守備力投手力高く手堅い野球で、いまの雑な関西のイメージとは全く違っていた。 >>465
広陵も同様。
共学は1998年からだが、ユニフォームを変えた1990年からは、昔の広陵じゃない。 >>62
2004年
済美(愛媛)は創部2年でセンバツ初出場初優勝
選手権大会は全国準優勝 >>462
タラレバは意味ない
石井は疲労が激しく先発回避 >>465
かつてはあの「立ち襟」が中京の代名詞だったけど、
今はその中京が立ち襟止めて、他の高校は立ち襟だらけでうんざりしてる。 >>467
まあ今のユニ比較したら、
広陵の方が中京よりはましだけどね・・・。 >>469
そのとおり。連戦の不利はあったがそれがトーナメント。
ただ箕島も強かった。7回に中京の守備の乱れで追加点をあげたとき、このまま勝つのではと感じたが。
あの8回表一死一二塁、打者栗岡の場面、石井毅がリリーフすると思ったけど上野続投で起死回生の3ラン。
9回石井はマウンドにあがっているから。試合後、尾藤監督は石井のリリーフが遅れたことを悔やんでいた。「まさかあそこでホームランとは…」と話していた。 >>465
おかまちゃんみたいなユニフォームだからな。
質実剛健さが伝わらないなぁ。 >>472
尾藤監督は「石井はリリーフで1イニングまで」と決めていたらしい
初戦、2戦目と打撃不振で石井に負担がかかりすぎていた
2年生のときの石井はスタミナに課題があり、選抜でも3連投目で福井商に打ち込まれた 78年中京のエース武藤と東邦の坂本は予選決勝で対戦しているね。
二人は日本鋼管名古屋支社で机を並べて仕事をしていたようだ。坂本は地元の優良企業岡谷鋼 機へ転職し、それなりに出世している。
息子は野球やらずにサッカーをやっているとか。 >>475
10年ぐらい前の地元放送局の番組だな
ゆうつべの動画で見たが、坂本はメガネで普通にサラリーマンだったな
武藤もガタイの良さから元スポーツ選手と分かるが真面目な感じ
東邦森田監督も同席していたがヤクザファッションで堅気に見えなかったw https://www.youtube.com/watch?v=3OPmddB6xao
この動画だね 東洋大姫路でサヨナラホームランを打った安井が当時名古屋勤務
77年東洋大姫路対東邦の決勝戦につき語っている 坂本には甲子園に帰ってきてほしかったな。
>>459が書いているが、78年夏の県準決勝で中京が岡崎工業に大逆転していなければあの年は東邦が出場していたかもしれない。
決勝は坂本と武藤の投げ合い、1-1の7回裏、栗岡が三塁打、辻のスクイズで決勝点だったかな。 >>478
うーん それはどうだろう
岡崎工は当時の愛知県では中京と並び本命視されていたチーム
東邦は全国準優勝メンバーがごっそり抜けてダークホース的存在だった
若い人はピンとこないかもしれんが、岡崎工は74年、76年と選抜に出場しており、愛知県では私学5強と並ぶ強豪だった
とくに78年は前年チームのレギュラーが多数残った勝負年だった これも相撲の言葉やけど、顔じゃない、つうのが有る。
岡崎工業はセンバツで浪商を食ったのが精一杯の顔やったのかも。
センバツで大阪の雄、浪商を倒すのは其の力を彷彿させるんやけど…。
しかし、あの年の中京はPLの新時代を開ける為の大きな役割りを持ってたんやろう。
それは岡崎工業の顔じゃなかったとしか。野球の歴史が中京を其の相手役に選んだとしか思えんわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています