50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.2
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>>56
春も夏(しかも予選から)も牛島は連投に次ぐ連投で、現代だったらとても投げさせられないような状態でずっと投げてたんでしょ?
それでも試合を壊さなかったのは凄いけど、現代の打撃レベルだったらひとたまりもなかっただろうな〜 >>256
地元では前側のチームに77年78年のときの打力があれば優勝間違いなしだったとよく言われていた >>240
札幌商の佐藤は、サイド・アンダーの投手として高卒では初のドラフト1位指名だった。 >>252
鵜野氏は小川が抜けたあとの習志野のマウンドを守り、秋の関東で準優勝、選抜出場に導いた。
もう亡くなっていると聞いた。 甲子園で投げた左のアンダースロー投手たちは
元ロッテの渡辺俊介投手のような地面すれすれから投げてたのですか?
サイドの少し下くらいか?(クウォーター) >>257
83年春、上宮の松島は初戦敗退じゃないぞ。
初戦は興南のマイク仲田幸司と投げ合い、9回竹田の同点アーチで追いつき、10回併殺崩れでサヨナラ勝ち。
つづく明徳戦は序盤から苦しみ、3回途中でKO、1-7で完敗。
前年秋の近畿大会の山城戦でノーヒットノーランを演じていたので期待されたが、選抜では下痢で体調を崩していたと聞いた。 83春の上宮の松島は初戦敗退していない。
興南の仲田と投げ合い延長サヨナラ勝ち。
次の明徳戦では序盤でKOされ敗退 >>265
右でも渡辺ぐらい下から放るピッチャーはそうそういないww
鵜野らはサイドのちょい下。 >>269
思い出した。
水原勇気。 ドリームボール
自分は木ノ内みどりのファンだった。
竹中直人が・・にくい。 青山(国府)は、夏の大会後の日米親善試合に全日本高校選抜の一員として参加。最多の6試合に登板し、アンダースローからメジャーリーガーの卵相手に三振の山だった。
特にホノルル高校選抜戦では、タツノ、オルセン相手に見事な完封劇!
まさに青山と山村(広島商)のためにあるような親善試合だった。 鎮西松崎の下手からのストレートは速く感じた
対戦校の法政一の岡野は横手から凄く遅い球を投げていた 青山のニックネームは青エンピツ。
肉や魚を好まず、野菜ばかり食べてガリガリだったから。
歴代の高卒でプロに入ったアンダースローのピッチャーとしては、屈指の球威だったのではないか。
1年目から一軍で投げてたが、体力面やコントロールに難があって大成しなかった。 >>271
玉川(土佐)が、タツノとオルセンに関しては「振っても振っても、全然当たる気がしなかった」と語っているw
青山の完封もセンセーショナルな出来事だった。 242名無しさん@実況は実況板で2018/02/08(木) 11:18:59.60ID:mkwMKQyf
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早い者勝ちですよ。面白いよ。 >>276
ホノルル高校選抜戦では全日本打線も15三振くらい奪われてキリキリ舞いだったんだよな。
それでも青山が快投して1-0で勝ったのだから大したもの。
青山はプロでやるには線が細すぎた感があった。1年目から一軍で投げていた、2勝7敗だったかな。ナゴヤ球場で王さんに698号か699号を打たれたのが記憶にある。 >>276
ちなみにオルセンは、阪神にも在籍したことがあるな。 >>274
2年目に6勝、2完封と先発に定着しかけたけどねえ
プロでも1試合あたりの奪三振が7を超え、球威は通用していた
ただ、制球難のため伸び悩み、最後は中継ぎ専門になってしまった >>273
岡野投手の動画、探してるんだけど、無いね。 >>282
私神港は次の2回戦で先発の小間が試合前に肩を壊して、先頭打者に初球にツーベースを打たれて降板。
甲子園の先発投手の最少投球数。 俺が真っ先に思い出すアンダースロー投手は福大大濠の八野と東洋大姫路の豊田やな アンダースローといえば天理の中西(78年夏)と和歌山工の中田(81年夏)
ともに3試合連続完封勝利 73年センバツの桜美林・志賀ってアンダースロー?
でなければ、唯一エースナンバーにアンダースローがいない大会だ。 宇都宮南の荒井の浮き上がるような球も印象に残る
中京野中との投げ合いは見事だった 力は二の次にして、印象に残るのは上尾の松久。平安戦の最後の打球は不運だった。
板前になったのかな。 79、80年と選抜出場した尼崎北の田中も小気味よかった。身体は小さかったがクセ球を投げていた。気も強かったな。
捕手の安永もあわせて印象に残る。 80年なら広陵の渡辺かな。
大会No.1打者の原伸次との強力バッテリーで。 渡辺がセンバツの高知商はともかく夏に2年生中心の天理に打ち込まれたのは意外だった >>297
渡辺は調子にムラがあるタイプで、好調が長続きしない。
ベストピッチングは、センバツは九州学院戦、夏は滝川戦。 石本、山脇と超高校級の左打者2人を擁する滝川打線を2点に抑えたのは見事だったな
それだけに天理戦の覇気のない投球は意外だった
事前にフォームのことで審判に何か言われていたんじゃないかと思うほど 福井商 前側の事はあまり知らないけど、丸亀商が77年春に出た時の投手、坂本が前側そっくりと言われていたのを子供ながら覚えてる。 >>301
三谷擁する今治西はその丸亀商に秋の四国大会1回戦で秋の敗れ
センバツ出られず。 77年春言えば、弓田(早実)。
瀬戸内戦のピッチングが圧巻! >>301
丸亀商には190センチの後藤がいた
丸亀商と中村は秋春の四国大会決勝で対決したが、山沖後藤のジャンボ対決はなかった >>302
手書きのスコアボード懐かしいなあ、酷く雨が降ると字が流れてたな。 >>306
春の四国大会では、対決ありましたよ。山沖、後藤の。
当時、超大型対決とNHK中継で言われていました。センバツ以後、丸亀商は坂本に変わって後藤をエース扱いしていたような気が。 後藤は岡山南戦の14回裏、痛恨の暴投でようやくの先取点をフイにし、犠牲フライで逆転サヨナラ負け。
NHKのアナが「泣くな丸亀、夏がある」と実況していたのが記憶にあるが、夏はまさかの初戦敗退、0-1で敗れた。 >>310
1番・藤村、3番・芳賀だけは、弓田の投球にタイミングが合っていた。
結局、芳賀にレフトオーバーの2塁打が出た。 後藤はなぜか俳優に転身したが、映画ミスターベースボールに出演した以外は目立った露出はなかった。
この映画は元ロッテ深沢、元近鉄仲根、元大洋増本他、元プロ野球選手が何人か出てて、野球シーンは中々の迫力があった。 >>312
1番サード藤村は、藤村富美男の血縁者と言うことで話題になった。
76年冬、崇徳優勝のご褒美で、広島県選抜チームの一員として海外遠征した。 瀬戸内・芳賀もアンダースロー。
センバツ以降は、池永の成長もあり打者に専念することが多くなった。 瀬戸内も今回のセンバツに出るけど、初出場の時のユニフォームはお蔵入り?!w
今のユニフォームは、駒大OBの後原元監督が決めた母校のデザイン。
長谷川監督がそれをアレンジした。 >>308
そうでしたか
この年は山沖、後藤に加え185cmの今治西三谷、同じく185cmの鳴門川端と四国に大型投手が突然変異的に出た年だった
今から40年以上前だから高校生の平均身長も小さかった時代 愛媛県の代表校は、アンダースローの好投手がいるイメージがない。
70〜80年代限定だと、78年夏の松山商・石丸ぐらい。好投手とは.......w >>283
いま見るとそんなに遅くはない ように見えるのだが。
昭和54年夏の久慈高の投手はポワ〜ンみたいな球だったような気が。
翌55年夏の大分商・松本投手は肘の故障でも登板し
キャッチボールみたいなスローボール投球で 痛々しかった。 >>318
あの年の松山商の2年生で、社会人から日ハムにその後ドラフトされた選手って誰でしたっけ? >>319
てゆーか、アンダースローは石丸の他は皆無。他にアンダースローいる?
>>320
岡野は、たまにおちょくったようなスローボールを放っていたな。
>>321
瀬戸内は、84年に後原監督が就任するまではアイボリーのユニフォーム。長谷川監督も、自身が現役時代のユニフォームだから愛着がある。
まぁ、小川監督の赤よりはイイかなぁ?!w
>>322
キャッチャーの沖。2年生じゃないが。 >>323
78夏の松山商は郡山北工に敗れただけで叩かれるけど、実際は好チームだった。
秋は田中(南宇和)をKOしたが惜しくも四国大会出場を逃し、夏は決勝で優勝候補筆頭の今治西に完封勝ち。
タレントも揃っており、プロ入りした沖に、2年生の植田は三菱重工広島の監督も務めた。
郡山北工戦、惜しむらくは監督の采配がちょっと....... アンダーハンドで三振をとれた投手の代表は1974夏の前橋工の向田。準々決勝の静岡商戦
では7連続三振もとった。この大会の最多奪三振投手。早大時代の同僚だった元巨人の島貫
がプロに入っていればコンスタントに10勝以上できたと向田を高く評価していた。 >>306
S51秋四国大会、山沖擁する中村と1-0で張り合った高松工芸、橋谷投手は速かった。 >>324
75年前後では、事情は「!?」だが胸文字が漢字で「尾道商業」になった。
あまりにもダサ過ぎて、早くローマ字に戻してくれと思ったよww >>326
向田を「アンダーハンド」と言うと、>>289のような奴が騒ぎ出すw >>323
85年夏の川之江のエースって下手投げじゃなかったか?松下だっけ? 70年代後半の頃の松商には将来を期待された大型投手が何人か入学したが甲子園へ導い
たのはその選手たちでなく中学時代は他のスポーツをやっていた石丸というアンダーハン
ド投手「努力は天才にまさる」松商らしいエピソードと思った。 >>328
あ座す。
あのセンバツで見たONOSHO の文字が消えてしまったtのは何とも残念ですね。まだインパクトのあった帽子の校章は健在ですよね。w >>330
高知商戦に完投した松下はオーバーハンド。確か背番号は12? アンダーハンドの投手は川上じゃなかったかなぁ・・・Wエースだった記憶がある >>331
テニスをやってた石丸が伸びてきたのは、3年生になってから。
超名門校では、ありえへん!w >>335
広島商でドラフト指名された荒谷は、中学時代はバレーボール部。
2年生で既にレギュラーを獲得し、甲子園に出場した。 今では、一部の高校ではセレクションではねられて、入部も出来ない。 >>334
そうだ、川上だった、ありがとう。
相手の八戸の投手もアンダーだった。
その日は日航機事故のあった日だった。 >>336
バレーボールで思い出したけど
元巨人の河埜も中学時代まではバレーボール選手。
八幡浜工(愛媛)で野球を始めた。 徳島もアンダースローが少ない気がする。
覚えているのは、82鳴門商の控え投手でプロ入りした山中ぐらい。 元中日の大島も中学までバレー部で、
確か野球の経験がなかったはず。
そこからプロ入りして2000本安打だからな。
凄すぎるわ。 まあアンダースローで優勝投手になったのは桐蔭学園の大塚だけじゃないのか?東海大相模の上原はサイドスロー。 >>336
たしか履正社の岡田監督( 東洋大姫路)も中学までバレーボール部やったんやね、お母さんは全日本かなんかやったか。 野球の名門校では、帝京のエースがアンダースローのイメージがない。
前田さんのポリシー?! >>349
銚子商の斎藤監督が「甲子園で優勝するには、アンダースローの主戦はリスクが多すぎる」と語っていた。
銚子商も、アンダースローの主戦は少ないはず。 >>320
松本はもともと球は速くなかったが、カーブの落差が大きく、しかも狙ったところへ落とせていた 肘の故障でカーブが投げられなかったのが可愛そうだった >>351
斎藤監督曰く「体の消耗度が激しく、基本的に球威が劣るからコントロールが乱れたらゲーム中の立て直しが難しい。」 >>350
銚子商はほとんど右の本格派。それ以外は左の技巧派。
力で押していくのが優勝の近道と言うことか。 >>338
川上、日航機墜落といえば川上慶子さんを思い出すな。
お兄さんは大社高校の生徒じゃなかったかな。 >>347
岡田監督のオカンって女子プロ野球の選手やなかった? >>354
斎藤監督の持論は「本格派を育てろ」
木樽、根本、土屋などを育てた。
「三年間で本格派なんか育てられりゃしない」と言っていた東海大相模の原監督とは好対象だった。相模は軟投派ばかりだったなあ。目立つのは村中の控えだった岡部くらいか。 >>348
丸山はアンダースロー。
リリースポイントも、桐蔭学園・大塚とほぼ一緒。 >>271
タツノはMLBドラフトを蹴ってプリンスホテル入り(のちに何度目かの指名で米球界入り)したが
オルセンも阪神で投げた投手かな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています