50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.2
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>>176
えっ、前田が
ちょんわちょんわ、クエックエッ
‥たしかに たしか南河内大のモデルは阪南大って聞いたことがあるまあむかしの話なんで勘違い
ならゴメン (wikiによると)南河内大学のモデルについては諸説あり、
連載当時応援団の活動が盛んでバンカラなイメージが定着していた近畿大学、
あるいは「大阪南部の田舎」という立地条件が符合する阪南大学や
大阪芸術大学(後者はどおくまんの出身大学でもある)という説が強い。
その他、応援団による不祥事が絶えなかった大阪経済法科大学ではないかとも密かに囁かれている。
‥そうな。クエックエッ
そういえば2011年夏に出場した東大阪大柏原に大鉄のノリを感じたんだけど。(土地勘ありません) 「花の応援団」
映画では団旗に大阪経済法科大学の文字が遠目からでも読み取れる。 その当時ガキだった俺は、親が買ってた花の応援団と実験人形ダミーオスカーをコソッと読んでた記憶があるわw 実験人形も最初の頃はエロいシーン満載やったが指摘があったのか途中から金属バット
らしきモノでお茶をにごすようになった(苦笑)
有賀さつきさんのお兄さん早稲田で野球してなかったかなぁ変わった姓なので記憶に
ある・・・親戚かもしれない 71年春と言えば深谷商・竹内。ストレートの伸びが半端なかった。
竹内も小柄だし、木更津中央・鈴木、東邦・水谷と小柄な好投手が多かった印象。 >>209
ベスト4のうち、坂出商だけどうしても思い出せない?!w
どんなチームだったんだろう… 71坂出商は岩崎投手を中心にした守備型のチーム
日大三との準決勝で「坂出の内野は打球を正面に持っていきますねえ」 と解説の人が言っていた
当時小学生だったから誰が解説だったかは覚えていない 当時の坂出商はエースに予定してた選手が不振で二番手の岩崎の踏ん張りで超高級の捕
手の梨田(現・楽天監督)のいた浜田、甲子園で開花した南投手の徳島商そして優勝候
補の三重に勝った近大附を破って準決勝進出・・・目立った選手がいなかったから印象
に残ってないかもしれませんねぇ 坂出商はその後不振が続いたが、80年代に復活し90年代前半まではちょくちょく甲子園に顔を見せるようになった
朝倉投手の91年春にベスト8入りした以外は成績はふるわないが
近年は弱くなってしまったねえ
久々に出てきた2014年夏はとんでもなく弱くて悲しかった 守りの坂出商の真髄は準々の近大付戦。
延長13回の末1-0で勝ったのだが、左腕岩崎は11安打を打たれながら奪三振も与四球もゼロ。
この試合の11回裏の守りで二死一塁でレフトへの当たりを城山が後ろにそらして誰もが近大付のサヨナラ勝ちと思ったが、三塁コーチャーがストップをかけたので命拾い。
13回表、その城山が決勝打をたたき出した。
近大付の投手は日生から巨人入りした中司だった。 坂出商と言えば、昭和30年夏に準優勝したのが記憶に新しい それ、今日の朝日新聞に載ってた気がする
記憶に新しいはずだww 坂出商の監督と言えば宮武さんが記憶に残るが、彼は高松商の現役時代にチョンボしたのではなかったかな?
ちょうど蔦監督が徳島商の現役時代に自分のミスで負けたみたいな・・・ >>170
72年センバツの大鉄には期待したが、くじ運が........ww
でも、好試合だった。
テレビ中継で、当時2年生の山村を解説者が絶賛していたのを覚えている。 >>208
早稲田の有賀といえば、75年夏早実のトップバッターの捕手。
早大に進み岡田とクリーンアップを組み、79年春に首位打者。日産自動車から阪急入り。
有賀さつきさんとは親戚なのかは知らないが。 長野にも有賀姓があるが
こちらの読みはもっぱら「あるが」 昭和20年代のプロ野球はたまに話題になるが、選抜高校野球は全く話題にあがらない
京都一商VS京都二商、北野VS芦屋、鳴門VS鳴尾 韮山など凄すぎ。当時は選手権ではやって
いない校歌の演奏をやっていたはず。当時を体験された方のはなし聞きたい >>219
72年春では東北を頑張りだな。
奈良工はまだしも、箕島を破った倉敷工に勝った時には驚いた。
当時は東北も、まだ弱い北日本の一高校の認識だった。 春先だがら左腕岡嶋の変化球を各校は攻略できなかったな
さすがに日大桜丘の主軸は捉えてサヨナラ負け
夏になり各校の打撃が上がると通用せず天理に打ち込まれて負け 日大桜丘もあの年だけやったねぇ東都の名将が指揮をとってるというので注目していた
がお目にかかれない 日大桜丘・常田も期待された大型キャッチャーだったが、挫折した。
審判員をやっていたな。 岡嶋はあのとき二年生だった。
翌年は期待されながら甲子園に戻ってくることができなかった。
秋の東北大会は日大山形に敗れたのかな。しかし選抜の東北の枠が1だったから。 >>228
準決勝敗退だから、枠が「2」でも落選濃厚。
72年のチームは、庄子以下打線が活発。 ジャンボ仲根も横浜の永川も早死したもんだねー。残念。 シュミレーションゲーム俺の甲子園
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面白いよ。
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東北のユニフォームは、今とは全然違うデザイン。
庇が青で白の帽子。縦縞のないユニフォーム。 常田といえば、夏の高知商戦の9回裏の同点アーチが印象深い。
この一打で延長戦にもつれこんだが、11回にまたしても守備が破綻して敗れた。
この試合は72年の春夏の甲子園での唯一の延長戦だった。 >>228
72年秋の東北大会はダントツの優勝候補東北が日大山形に5ー4で準決勝敗退という波乱
日大山形は決勝でも仙台育英に快勝し優勝
小粒ながらまとまったチームで春夏の甲子園で1勝ずつを挙げた
その2年後の金子投手のチームは打力もあり、渋谷監督は甲子園での優勝を狙っていたようだが赤嶺投手を擁する豊見城に負けた >>233
高知商の益永も粘り強いピッチングだった。
明大では、同級生の安岡、岡村に比べて出番に恵まれなかった。
同タイプの2年後輩・鹿取は大活躍したのに...... ユーチューブ便利だな。浪商箕島の後、福井商、浜松商もみた。当時福井商、板倉のアンダースローが良いと思っていたが、今見るとこの決勝ではかなり疲れているように見える。箕島の石井毅がアンダースローでは最強かな ? >>234
73年に春夏連続出場した日大山形の左腕・熊谷は2年生じゃなかった?
その翌年は不調だったの? >>237
そう、二年生だった。もともとカーブが武器の投手で力強さはなかった。
両親がともに視力が弱くてマッサージ師をして熊谷を育てられたという記事を読んだ記憶がある。 >>239
ありがとうございます。
熊谷はカーブが生命線の投手でしたね。
選抜の2回戦の天理には、そのカーブを狙い打たれて大敗しました。 高校野球シュミレーションゲーム『俺の甲子園』
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速い者勝ちですよ。面白いよ。 >>238
前側がN o.1に異議なし。センバツは準々決勝で高知に逆転で一点差負け、夏は県決勝で三国に逆転で一点差負けの記憶あり。プロでも充分活躍すると思ったが卒業後、何をしていたのだろうか不明。 京都商業の清川。
あと最近だと大垣日大葛西、九産大九州の岩田が左アンダーとしては印象的。 前側は明大に行ったが馴染めずに退部か退学したんじゃなかった? いたな習志野の鵜野。
この時の習志野は夏に全国優勝、
翌年のセンバツにも出場して、
夏春連覇を狙っていた。
初戦の大社に大逆転勝利したが、
次に千葉の天敵の東洋大姫路に敗退した >>249
アンダーハンドは打者のタイミングを外す技巧派が多いが、前側は球速球威もあった
球威もあった箕島の石井がプロ入りしそこそこ活躍したが、明治大学の闇にとらわれなければ同じぐらい活躍できたと思う 前側は神宮で優勝。確か県予選から50何イニング無失点だった。優勝した高知に負けたときも2-1で、唯一のチャンスに3ベ一スを打たれて負けた。
とにかく球速が抜群で、浮き上がるシュ一トがすごかった。 >>251
馴染めずと言うか、造反劇を起こした一味。
結局退学して、「福井商卒」のまま電電北陸に在籍した。 前側は二回戦プロに行った広島県工の小林誠に完封勝利。この大会、速球派ナンバー1と言われていた小林より、前側の方が遥かに球速、球威共にあったと子供ながらに感じていた。
高校1年から投手、2年からアンダーに変更した。福井商に打力があれば優勝してもおかしくなかった。 >>250
清川はサイドスローでは?
活躍はできなかったが上宮に松島という下手投げの
好投手がセンバツ前には評価されてたが初戦敗退 前側で印象に残ることは、投げるときに足が地面につくくらいかがんでいたこと。ユニフォームの膝に土が付着するほどだった。
それだけ下半身が強靭だったということだろう。いまあんな投手はいないな。いまの投手は腕の力だけで投げるのがほとんどだから。
明治大学では内紛が起きていたな、1シーズンだけ光沢監督だったがすぐに島岡御大に戻っていたが。 >>250
>>257
京都商・清川がサイドスローになったのはプロ入りしてから。
高校、大学時代はスリークォーター。 >>56
春も夏(しかも予選から)も牛島は連投に次ぐ連投で、現代だったらとても投げさせられないような状態でずっと投げてたんでしょ?
それでも試合を壊さなかったのは凄いけど、現代の打撃レベルだったらひとたまりもなかっただろうな〜 >>256
地元では前側のチームに77年78年のときの打力があれば優勝間違いなしだったとよく言われていた >>240
札幌商の佐藤は、サイド・アンダーの投手として高卒では初のドラフト1位指名だった。 >>252
鵜野氏は小川が抜けたあとの習志野のマウンドを守り、秋の関東で準優勝、選抜出場に導いた。
もう亡くなっていると聞いた。 甲子園で投げた左のアンダースロー投手たちは
元ロッテの渡辺俊介投手のような地面すれすれから投げてたのですか?
サイドの少し下くらいか?(クウォーター) >>257
83年春、上宮の松島は初戦敗退じゃないぞ。
初戦は興南のマイク仲田幸司と投げ合い、9回竹田の同点アーチで追いつき、10回併殺崩れでサヨナラ勝ち。
つづく明徳戦は序盤から苦しみ、3回途中でKO、1-7で完敗。
前年秋の近畿大会の山城戦でノーヒットノーランを演じていたので期待されたが、選抜では下痢で体調を崩していたと聞いた。 83春の上宮の松島は初戦敗退していない。
興南の仲田と投げ合い延長サヨナラ勝ち。
次の明徳戦では序盤でKOされ敗退 >>265
右でも渡辺ぐらい下から放るピッチャーはそうそういないww
鵜野らはサイドのちょい下。 >>269
思い出した。
水原勇気。 ドリームボール
自分は木ノ内みどりのファンだった。
竹中直人が・・にくい。 青山(国府)は、夏の大会後の日米親善試合に全日本高校選抜の一員として参加。最多の6試合に登板し、アンダースローからメジャーリーガーの卵相手に三振の山だった。
特にホノルル高校選抜戦では、タツノ、オルセン相手に見事な完封劇!
まさに青山と山村(広島商)のためにあるような親善試合だった。 鎮西松崎の下手からのストレートは速く感じた
対戦校の法政一の岡野は横手から凄く遅い球を投げていた 青山のニックネームは青エンピツ。
肉や魚を好まず、野菜ばかり食べてガリガリだったから。
歴代の高卒でプロに入ったアンダースローのピッチャーとしては、屈指の球威だったのではないか。
1年目から一軍で投げてたが、体力面やコントロールに難があって大成しなかった。 >>271
玉川(土佐)が、タツノとオルセンに関しては「振っても振っても、全然当たる気がしなかった」と語っているw
青山の完封もセンセーショナルな出来事だった。 242名無しさん@実況は実況板で2018/02/08(木) 11:18:59.60ID:mkwMKQyf
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早い者勝ちですよ。面白いよ。 >>276
ホノルル高校選抜戦では全日本打線も15三振くらい奪われてキリキリ舞いだったんだよな。
それでも青山が快投して1-0で勝ったのだから大したもの。
青山はプロでやるには線が細すぎた感があった。1年目から一軍で投げていた、2勝7敗だったかな。ナゴヤ球場で王さんに698号か699号を打たれたのが記憶にある。 >>276
ちなみにオルセンは、阪神にも在籍したことがあるな。 >>274
2年目に6勝、2完封と先発に定着しかけたけどねえ
プロでも1試合あたりの奪三振が7を超え、球威は通用していた
ただ、制球難のため伸び悩み、最後は中継ぎ専門になってしまった >>273
岡野投手の動画、探してるんだけど、無いね。 >>282
私神港は次の2回戦で先発の小間が試合前に肩を壊して、先頭打者に初球にツーベースを打たれて降板。
甲子園の先発投手の最少投球数。 俺が真っ先に思い出すアンダースロー投手は福大大濠の八野と東洋大姫路の豊田やな アンダースローといえば天理の中西(78年夏)と和歌山工の中田(81年夏)
ともに3試合連続完封勝利 73年センバツの桜美林・志賀ってアンダースロー?
でなければ、唯一エースナンバーにアンダースローがいない大会だ。 宇都宮南の荒井の浮き上がるような球も印象に残る
中京野中との投げ合いは見事だった 力は二の次にして、印象に残るのは上尾の松久。平安戦の最後の打球は不運だった。
板前になったのかな。 79、80年と選抜出場した尼崎北の田中も小気味よかった。身体は小さかったがクセ球を投げていた。気も強かったな。
捕手の安永もあわせて印象に残る。 80年なら広陵の渡辺かな。
大会No.1打者の原伸次との強力バッテリーで。 渡辺がセンバツの高知商はともかく夏に2年生中心の天理に打ち込まれたのは意外だった >>297
渡辺は調子にムラがあるタイプで、好調が長続きしない。
ベストピッチングは、センバツは九州学院戦、夏は滝川戦。 石本、山脇と超高校級の左打者2人を擁する滝川打線を2点に抑えたのは見事だったな
それだけに天理戦の覇気のない投球は意外だった
事前にフォームのことで審判に何か言われていたんじゃないかと思うほど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています