0001大神奈川帝国様 ◆E.hmcX4.dM
2017/09/02(土) 11:56:17.07ID:4BBKCHDT偉大すぎた先代の指導者たち
この偉大なる二人の指導者から吸収する期間は十分であったのに(2006年からコーチ)マジで何を学んでたんだか
二人のハイブリッド監督になるはずだったのに
【元:渡辺監督】
神奈川県足柄上郡松田町出身の野球指導者であり横浜高校野球部で最高成績は県4位
1968年に24才の若さで正式に監督就任し、甲子園通算50勝以上の監督は史上4人目
なお、小倉部長とは戦術面で年に1回は殴り合いの大喧嘩をしていたという
座右の銘は(全文)
富士山に登る第一歩
三笠山に登る第一歩
同じ一歩でも覚悟が違う
どこまで登るつもりか
目標がその日その日を支配する
【元:小倉部長】
横浜市中区出身の野球指導者
横浜高校に進学し、同期部員に元渡辺監督が居る
大学生時代に新潟の新発田農業野球部コーチになるも、待遇の問題で3ヶ月で辞め社会人野球へ
1973年に東海大一(現:東海大静岡翔洋)のコーチを3年間勤め、1976年に同校初の春夏甲子園出場に導く
1977年に渡辺監督が教員免許取得の為に部長になり、小倉が監督就任するもメンバー器用の問題により部員と対立し(渡辺監督と起用方法が違かった為)1年で去る
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横浜高校を去ってすぐに公立の強豪:横浜商業コーチに就任し12年勤め、その間8回甲子園に出場し春夏準優勝も経験し、
小倉コーチ時代は甲子園出場8回・準優勝2回・ベスト4:3回・ベスト8:1回・3回戦敗退(2勝1敗)1回・初戦敗退1回の成績であった
1990年秋に渡辺監督と磯子駅で再会し、教員免許取得後の1994年から横浜高校野球部部長に就任
2010年に部長を退任し、平田部長が就任