>>712
時系列を整理してみますね。竹宮さんは
・1970年5月頃、上京して桜台で一人暮らしを開始。
萩尾さんを通して増山さんと知り合い、共に少年好きで親しくなる
→増山さんから「ヴィレンツ物語」の話を電話で聞き、その絵を描いて
「私の話を取らないで」と言われたのはこの時期か?
・同年8月、バルビゾン派の展覧会を見てミレーのポスター購入、自室に貼る
→COM愛読者の増山さんの影響で岡田史子さんの「ポーヴレト」を下敷きに(?)
「雪と星と天使と…」50pを描いて、締切ぎりぎりに別コミ12月号(11月発売)に載せる
・同秋の寒い日、ミレーの絵から生まれた風木のアイデアを増山さんに電話で伝える
→話しあいながら物語を作る快感を知った(?)
・同年10月から11月のどこかで萩尾さんが上京 大泉で共同生活を始める
・同年12月7日付けの大学ノートに「風木」構想を書き始める
当初の設定では主人公は国立音楽院初等科の学生。
・1971年1月21日の日付でクロッキーを描き始め、同じ日付で
増山さんにセルジュとジルベールを描いた色紙を贈る(セルジュは丸ポチャ)
宛書は「To NORITAN FROM KEKOTAN」(カレイドスコープ162Pに画像あり)

山本さんが風木掲載に否定的だった理由のひとつに、この作品は竹宮さん本来のものではない
増山さんの影響が強すぎると察しての忌避もあったように感じます