萩尾さんは、相手に配慮して大泉本に書かなかったこともあると思う

「トーマ」連載時に流れた「風木」盗作の噂の出どころは不明としているが、
実は確証をお持ちなのではないか
竹宮さんが「風木」掲載をめざして「ファラオ」を開始した時、
増山さんはファンクラブを拡充、村田さんを会長に宣伝活動を始めた。
竹宮さんがぱふの自筆年譜に書いた
「その時期の「トーマ」開始は手痛かった」「ほとんど見ないようにしていた」
という言葉が珍しく本音であったなら
増山さん達は共同してトーマ連載中止に動いた開始した可能性もあるのではないか。
中には編集部に手紙を書いた人がいてもふしぎではない
もし、萩尾さん(と城さん)が編集部からその手紙を見せられていたとすれば
実証主義の城さんのこと、コピーを保存して、
万一、盗作疑惑で裁判になったら、噂の出どころが特定できるそのコピーを提出、
事実関係を徹底的に争う覚悟があったかもしれない

その時期の「ポー」単行本初版3万部が3日で完売という実績がなければ、
トーマ連載中止は現実にあり得たかも。
萩尾さんの作家生命がどれほど危険に晒されていたかを思ってぞっとする