【萩尾望都】大泉スレPart57【竹宮惠子】
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萩尾望都・竹宮惠子・増山法恵
この三人を中心とした大泉時代のあれこれについて語りましょう
■参考文献
一度きりの大泉の話(萩尾望都)2021年4月発行
少年の名はジルベール(竹宮惠子)2016年1月発行
■テンプレまとめサイト
https://mototemplate.memo.wiki/
■参考ブログ
【村田順子ブログ魚拓】2021年04月26日
https://web.archive.org/web/20210426122201/https://blog.goo.ne.jp/rococom/e/4c12d956c4c795af772196a69e49a61b
【竹宮恵子マネージャーブログ(魚拓)】2021年05月25日
https://archive.is/VTNN0
■関連スレ>>2
■次スレ>>950踏んだ人(もしくはその前後でも)立ててください
■前スレ
【萩尾望都】大泉スレPart56【竹宮惠子】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1641048633/ >>464
きっかけは1980年の受賞ともうひとつ
同年、寺へアニメ化で漫画以外のスケジュールが立て込み、増山さんだけでは捌ききれなくなりマネージャーに竹宮妹を起用
→仕事を仕分けたことで、ここでやっと増山さんに「ブレーン」という対外的な肩書がつく
とともに、トラプロの社員(よろず便利屋))でなくブレーン契約?という立ち位置に変わったことかと
(竹宮サイドの資料だと増山さんは1979にトラプロを退社した事になってる)
ここもあるかと
自分の解釈は、
小学館漫画賞の受賞を契機に竹宮恵子は二人羽織の解消→改名を思いついた
しかしすでに動いている複数のシリーズ作品についてはいきなり増山さんを切り離すこともできず(それほど依存していた)、
「惠」子名義の作品発表は1983〜の新作読切や旅行エッセイなどからぼつぼつ...という実態になった 凄く印象的な自殺の仕方で
E電wに文句言うなんてなんつーか
この文学的な美感ないなw >>466
面白いなと思うのは、わざわざ一部作品から、段階的に新名切り替えを数年かけてやった点
対出版社/雑誌/ファン的には、受賞年か翌年に「改名しまぁす!」と大々的に宣言すれば、仕掛り中だった二人羽織作品(風木含む)も一律「惠子」表記にしてしまうこともできそうなのに、それはしなかった点
(風木なんかはプチフラワー引越のタイミングなら新名に切り替えしやすかったはず)
二人羽織時代の実績もぜんぶケーコタンひとりの仕事に見せたい気持ちは後年になってから湧いたのかな、1981〜1984は別れるつもりでも竹宮恵子もまだ不安だったり、力関係上も増山さんの意見がまだまだ強かったのかな、などと想像 >>470
実際、1980年2月初版発行の「竹宮恵子・萩尾望都 少女マンガ家になれる本」では
明らかに二人でひとつのペンネームとわかる形で増山さんが座談会に参加していますから
この年にいきなり改名発表しては、裏事情を探られるリスクがある。
社外ブレーンとして徐々に距離を置き、自然に「惠子」の浸透を待つ方針だったのかもしれません >>471
改名の目的が単なる姓名判断上の験担ぎではなく、竹宮単独制作作品と増山のりえとの共同制作作品を仕分けたかったからだということが、改名宣言(1980)と実際の行動(1983〜1985)のギャップによって裏付けられちゃった気がしますね(K子調) >>471
>裏事情を探られる
誰に?増山さんに?
1980時点で二人羽織の解消に合意(増山さんが参加しない作品から順次新ペンネームに切り替えていく)があったなら、増山さんに探られる後ろ暗い事はないよね
同じ1980年発行の「少女漫画家になれる本」では増山さんが共同制作者であるとわかる座談会が掲載されてるんだよね?
自分は「カレイドスコープ」(2016発行)の時点で竹宮恵子が改名時期を改ざん(前倒し)したと解釈するな
改名しようと思いたった時期(1980)を「○年に改名した」と称するのは、風木は長電話又はクロッキー時点で完成してたと言い張るのと同じテクニック >>451
鉄道絡みで舞台に毎週殺人事件が起こるドラマシリーズが放映されても、
そこは見る方もフィクションとして見てるから
鉄道会社からクレームなかったかと。 改名のタイミングってそんなに拘るところかな
その後の仕事で恵子と惠子を使い分けている様子はあるの?
風木連載終了は1984年
増山さんに新たな作画家を募集したのは88年
イズァローンの連載終了は87年
増山さんはイズァローンのアドバイザーもしていたけど売れなかったから途中で契約解消したという考察もあったような
少なくとも竹宮さんの絶頂期の仕事はすべて増山さんとの二人羽織ありき
だけど竹宮さんは増山さんの具体的な尽力部分はあまりハッキリさせたくないし
できるだけ少なく見せたいんだろうなーとしか >>450
大体、竹宮さん作「暖炉」の最後も、主人公の少年が鉄道から投身自殺するシーンで終わるんですが
これは「悲しみの天使」のエピソードそのまま何のひねりもなく流用してる
トーマより前に描かれてるけど、それに対してクレームついたの?
古今東西、フィクションで鉄道がらみの自殺の描写は多々あれど鉄道会社がクレームつけた話なんて
聞いたことないけど >>456がどこの板に行ったのか気になるな
言われてみれば、最近のフィクションで鉄道自殺って見かけないような気がする
なんかあったっけ >>473
>誰に?増山さんに?
いえ、増山さんではなく、『地球へ…』のアニメ化などで急速に増えたと思われる他業界の人に、です。
つまり、このタイミングでの改名の裏には、増山さんとの共同ペンネーム解消がある、と
気付かれたくない心理が働いたのでは?と思った次第です。
でも、ご指摘のように、カレイドスコープ発行時点で前倒しした可能性も十分考えられますし、
その可能性が高い気もしてきました。 戻ります
>>463
重要な指摘をありがとうございます
まず、トーマの連載開始は1974年週コミ19号、ファラオは同年38号開始。
竹宮さんは1971年からスランプに陥り、76年1月「ミスターの小鳥」まで続いたそうですから
トーマ開始はまさにそのど真ん中。
新連載は通常、前号までに予告が出ますから、自分が描きたかった少年達の世界を、
萩尾さんが先に週刊連載で開始すると知った時点で、竹宮さんの中に
怒りや嫉妬が生じても不思議はない精神状態だったか、と推察します。
また、大泉本によれば、サロン解散の原因は「城さんと佐藤史生さんのせい」と
竹宮さんが周囲に話しているのを知って、城さんが激怒したのは1975年。
(トーマ連載は1974年末まで)
泣いている竹宮さんに代わって城さんに「あなただけは味方だと思っていたのに」と
非難した増山さんは、この時点までに竹宮さんにほぼ同化。
一卵性母娘のように、萩尾さんに対する疑念を周囲に漏らし、
風の噂が流れる一因となった可能性は否定できないのではないでしょうか 増山は村田に萩尾と竹宮の間に何があったのか知らないと話してたのに
同化って >>483
>萩尾と竹宮の間に何があったのか知らない
→具体的な会話やできごとを知らない、という意味なら成立はする
でも同居してロンド〜も共同制作したのに「竹宮恵子の萩尾さんに対する嫉妬」に気づかなかった、はだいぶ無理があるね
竹宮恵子のスランプには気づいていて、平然と仕事しようとする竹宮の側にいて「こっち(増山)の方が参ってしまった」ぐらい同化してたんだから >>481
ありがとう
仮に竹宮恵子が「1980年時点では、二人羽織の解消を大々的に知らしめたくはなかった」としたら、その対象と理由は何だろう?と改めて考えてみた
対象はトラプロの事情を大して知らない他業界の人よりも、むしろ近しい漫画関係者ってこともあり得るのかなと
(竹宮作品における増山のりえが果たしてきた役割の重要性を知る人たち≒アシスタントやたらさわみち、佐藤史生、一部の増山シンパの編集者など?) >>485
理由は「今後の竹宮作品、クオリティ大丈夫か?」「増山さん居なくなったら仕事減ってしまわないだろうか」「あんなに尽くさせておいて、賞獲ったらすぐにのんタンを捨てるの?!」と各関係者を不安にさせないため(笑) すごい!
改名なんてマンガ家さんにはよくあることで、大して意味の無いことと思い込んでいた自分が恥ずかしくなるくらいの素晴らしい考察の数々
皆様お疲れさまでした
何度も読みかえし熟考したいと思います
有り難うございました >>486
考察乙 だけど関係者がそう言ってる資料が無ければあまり意義あるものとは思えないなぁ
ソースを示せ!とか竹宮派が反発するだろうし >>488
竹宮側が秘密裏に工作したのだとしたら、関係者の証言など得られるはずがない
ならば被害妄想かと言うとそうとも言い切れないと思う
状況証拠を出来るだけ多く集めつつ、何かボロが出ないか待つ作戦
これしかない 作品そのものでは勝負せず
有名人と仲良しなの工作や革命起こした詐欺など
イメージ戦略だけで生き残ってきたヒト
だから
改名も意図がなければやらないでしょうね >>489
嬉々としているソースは?
また竹宮派の被害者妄想ですか >>477
けっこうある。具体的に覚えてるのは去年のTVドラマ(原作は漫画)「春の呪い」で地下鉄の飛び込み
ちょっと前だけど映画「OH LUCY!」で電車への飛び込み自殺が。これはNHKでもやった あのさあ、竹宮さんは長年、(多少矛盾はあれども)自分語りをしてきた人だよ
それが萩尾望都の大泉本一冊で全部否定できる訳ないだろ
大泉本の方が嘘八百のデマ本だと普通は考えるぜ
萩尾望都の信者以外は
だいたい萩尾望都の顔見てみろよ
底意地の悪さが人相に出てるだろ
性悪丸出しだよw
https://i.imgur.com/4C9Jj5S.png
https://i.imgur.com/n9XCIIP.jpg
一方、こっちは竹宮恵子さんの写真
みろよ!この屈託のない庶民的な笑顔をw
これが数々の陰謀巡らしてきた策士に見えるのか(笑)
https://i.imgur.com/D3iNZtc.png
https://i.imgur.com/rQ6qlO6.jpg >>493
そうなんだ、じゃあ鉄道自殺がフィクションでタブーになってるわけじゃないのね
それでもトーマの鉄道自殺描写は止めた方が良かったね
だって全く無関係な大勢の人たちに多大な迷惑を与えるし
家族にも損害賠償請求がすごい額だったはず
ユーリを救いたいというけれど、トーマにとって他の人はどうでもいいのか?という
独善的な印象に拍車をかけてしまった
死体を片付ける人たちのことを一度でも考えたらあんな死に方はできないはず
しかも、うつ病などでどうしても希死念慮を抑えられなかったための突発的行為ではなく
日記も燃やしたように、明らかに念入りに計画されたもの
萩尾さんはおそらく「悲しみの天使」が鉄道自殺だったから
単にそれに合わせたんだろうね(対談などでそう語っていたかな、うろ覚え)
その心理がもう理解不能、映画に合わせることがそんなに重要なのか?
他にもっと大事なことがあるだろう、としか思えないんだけど
萩尾さんの批判対象作品にあえてどうでもい細部を似せてくる精神性が本気で怖い 仰る通り、エビデンスが出るまではいずれも仮説に過ぎないよ
現時点のファクトは
・2016年発行「カレイドスコープ」で「1980年に【竹宮惠子】に改名した」と本人が言及
・実際には【惠子】の表紙初出は1983年(見つかった範囲で)
・1983〜1985年は【惠子】と「恵子」を併用(作品によって使い分け)
・【竹宮惠子】は戸籍上の表記
・なぜ改名したか、なぜ1983〜1985年はふたつの名前を併用したかについて、竹宮恵子本人が語った資料は未発見 >>496
『惠子』じゃ少コミやプチフラの読者がファンレターを出すときに書きにくい感じだから
でも掲載誌が変わったりして、その必要が亡くなったから本名に変えたのでは?
あと、敬愛する石森章太郎先生が本名の石ノ森に改名したのも大きかったかもね >>496
この場合の物証とするにはせめて増山さんの発言でもないと採用するには不適格だね
竹宮さんの発言は支持者も認めてしまってるとおり一貫性がないので採用できない
逆に言うと「カレイドスコープ」の発言には何らかの意図があると読まれても仕方がないね
・【惠子】の表記が1983年初出で、1985年までは【惠子】と「恵子」の併用期間だった
・【竹宮惠子】は戸籍上の表記
確定してるのはここまで
個人的には字体の区別すら面倒な戸籍上の名前を「ペンネーム」にした意義が掴めない
「戸籍上の名前がマイナーな表記なので簡単な表記のペンネームにした」のなら理解もできるけどね ためしにそれぞれの表記をgoogleで検索してみた
>竹宮【惠子】 約 408,000 件
>竹宮「恵子」 約 441,000 件 ※それぞれの括弧はもちろん入れずに検索
字体の違いは吸収されてしまうのかだいたい同じ名前のサイトがヒットする
どちらにせよ最大のヒット作の風木とテラへは外せないので内容はほぼ同一のはず
ほとんど暗号の操作のような改名なのでコアでもないファンの場合は見過ごされてしまいがちなのでは? >>498
竹宮恵子が2016年カレイドスコープに「改名は1980年」と「著書に記した」のは事実だよ
1980年の出版物で【惠子】表記が出てくれば終了、ただし数年かけて段階的に表記を移行したのは何故だろうという疑問は残る
まあ箸休め程度のネタだね >>501
いちおう「1980年の出版物で【惠子】表記が出てこない」確認はしたいところだね
これは悪魔の証明と違って「『恵子』表記ばかりが見つかる」ことで確認可能だと思う
当時の掲載誌の表紙にでも載っているはず、これは増山さんの扱いに関する資料でもあるわけだね まぁ、でも、マンション呼び出ししつつ、別日に手紙とか。
岡田さんへの手紙とか、その時は燃えてやるけど、どこか竹宮さん本人は忘れてしまってるという印象…
なので、改名も意図があったけど、結局まぁどっちでもいいかとあやふやになってもいそう。
著作での発言もコロコロだし、漫画のストーリーもガンガンアドバイス入れてくし。 1973年 下井草絶縁 増山さんとは文通
1974年 トーマの心臓連載
1975年 城さん「大泉解散は城さんと佐藤さんのせい」について激怒
増山さんは電話で「あなただけはケーコタンの味方云々発言←この時点では増山さんは完全に竹宮側についている(おそらくトーマの心臓が原因)
1976年 「花と光の中」
1978年 城さん「見果てぬ夢」を描く←激怒してたのが竹宮さん寄りになってきているのは、「花と光の中」掲載を経験したから?
ところで、「城さんと佐藤さんのせい」発言だけど、単に城さんと佐藤さんが大泉に入り浸ってるから
スペースが狭くなって困る、程度の意味だったのでは?
不思議なのは、なぜこのことを当時の佐藤さんに聞いてみずに、今頃イタコみたいな気持ち悪いこと言ってるのかってことだな 増山さんの関与の度合いが明らかになると困る者がいるってことは、かなり重要な問題ってことだね
1980年に「【惠子】表記が出てこない」となると竹宮さんの「カレイドスコープ」の発言は無効になる
そして「なぜわざわざそんな発言を?」と言う真意が問われることになるわけだね >>497
石ノ森先生の本名は>>499の通り小野寺だし
ペンネーム改名時期は1985年 竹宮恵子作品リスト
1980年
□決闘2018年(週刊少年マガジン39号)
□遥かなり夢のかなた(プチフラワー秋の号)
□地球へ…(『月刊マンガ少年』〈第4部〉1980年1 - 5月号)
□アンドロメダ・ストーリーズ(『月刊マンガ少年』11月号、12月号)
□ノルディスカ奏鳴曲(月刊LALA 12月号)
□風と木の詩(『週刊少女コミック』1980年14 - 21号) 竹宮恵子作品リストA
1981年
□私を月まで連れてって!(ビッグコミックフォアレディ創刊号〜)
□ごめんね今夜は 姫くずしシリーズ(週刊少女コミック8号)
□変奏曲番外編 カノン (ペーパームーン別冊グレープフルーツ創刊号)
□変奏曲カノンpart2(ペーパームーン別冊グレープフルーツ2号)
□アンドロメダ・ストーリーズ(『月刊マンガ少年』1981年1月号〜5月号、『月刊マンガデュオ』創刊号・10月号−12月号)
□風と木の詩(『プチフラワー』1981年冬の号・春の号・初夏の号・夏の号・秋の号) 1982と1983年もリスト化したけど、現状最初の【惠子】表記が
月刊LaLa 1983年06月号「通りすがりに殺したい」
なので、
1980・1981年で見つかったものから、他のトピックがない時にのんびり気楽に拾ってくぐらいでよいかと 1980年
■アンドロメダ・ストーリーズ『月刊マンガ少年』11月号、12月号 →恵子
https://imgur.com/a/TGplwMQ
https://imgur.com/a/Rv2vH4w
■決闘2018年『週刊少年マガジン』39号 →恵子
https://imgur.com/a/A9uB5bg
1981年
■私を月まで連れてって!『ビッグコミックフォアレディ』創刊号 →恵子
https://imgur.com/a/M6327Po おまけ
1980年
■『少女マンガ家になれる本〈竹宮恵子,萩尾望都篇〉→恵子
https://imgur.com/a/NdTypGt
■『風と木の詩』少女コミック21号(11月5日号) →恵子
https://imgur.com/a/EMmC9yw トーマの自殺の後オスカーがユーリに少し感傷に浸ってやって忘れろとかタバコ吸いながら言ってて
なんだこいつと思ったよ その程度かよと なんで鉄道自殺が人を救う美しい行為になるのかも
未だに理解不能だからトーマの心臓は嫌いだよ 矛盾の塊 扉本にも1980年に改名と書かれている
あと1982年に連載の始まった「イズアローン伝説」は惠子になってる 萩尾の信者も矛盾の塊だよ 竹宮への人格否定はや容姿侮辱は許されるんだもの >>515
設定上、このときはまだ誰も自殺だなんて思っていない
しかも自殺だと気づいているのは4、5人じゃない?殆んどの人はみんな最後まで事故だと思っていたはず >>518
横だけど、それ多分、自殺関係なく、トーマが死んだことに対してってことだと思う >>516
イズァローンは1982年の連載開始時は「恵子」、1985年14号では【惠子】に変わってるのですよ
途中どこで切り替えたかは不明
1981年プチフラはぜんぶ「恵子」
1982年プチフラ「わた月」は【惠子】っぽいのだが、画像が粗くてまだ断定できず
既出【惠子】の傾向から、1982年以降に始めた単発読切やエッセイは【惠子】表記が使われる可能性が高い
1980以前から連載してる作品は1984〜1985のどこかで切り替えが行われてる可能性が高い >>515
それは作品論になるのでここではスレチ
萩尾望都スレでどうぞ 大河で頼朝関連の番組多いから結構見てるけど
言われてみたらファラオの墓って平家物語に似てるな
敵方の女性によって命救われるところとかもヒントを得たんだろうな
膨らませるところも含めて増山の貢献が大きかったと思うわ 上の方で上手いと書かれてる味方の集めもヒントは平家物語だと思う >>520
イズァローンの連載中の少コミで、名前を惠子表記に変えたというご報告を見た記憶がある。
目次ページの近況欄だったか、漫画と一緒に載せた
1ページコラムだったかは忘れた。 山岸がイタコになってあなたのお父さんはあなたが羨ましかったのよとか
いう箇所も気持ち悪いよ 胡散臭い 2017年に先達がw
https://twitter.com/monakayoshihiro/status/939690511513796608?t=FHwbwPGNQ1e9ePhiQAnEOw&s=19
↑画像あり
(引用)ーーー
竹宮惠子先生の改名時期調査続報
@プチフラワー1985年1月号(11月22日発売)
A週刊少女コミック1985年1月20日号(12月20日発売)
Bプチフラワー1985年3月号(1月22日発売)
C週刊少女コミック1985年4月5日号(3月5日発売)
(少なくとも雑誌上では)AとBの間で改名したことになるようです
ーーー
「エデン」「伊豆」の名義切替点はこれで判明
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>524
ありがとう!
もし1ページコラムなら、もしかするとコミックスに残ってるかもね
(誰か持ってないかな...ないよなw) >>525
そーお?
でも、実際の会話をもとに書いているわけだから
嘘を書いているわけじゃないからしょうがないじゃない?
わたし的には竹宮さんのカモの首が飛んでくる夢の話の方が怖い それは山岸スレで何年か前から知られているエピソードで萩尾さんが捏造したわけじゃない
少女漫画家には感覚が鋭敏なのか霊感が鋭い人が結構いて山岸さんは花郁さんが亡くなった時も似たような経験をしてる これもファンには旧知
信じる信じないは自由だけど スレチだが山岸さんの怪談(ギリシャ神話・心理学系じゃなくて和物)はとてもコワイ
時々読みたくなるけど、怖くて開きたくないページがある。「見る人」っぽいよね スレチだが山岸さんの怪談(ギリシャ神話・心理学系じゃなくて和物)はとてもコワイ
時々読みたくなるけど、怖くて開きたくないページがある。「見る人」っぽいよね 芸能人と漫画家は過酷な栄養状況と徹夜が多いから心霊現象(幻覚)見てる人多いと思う 恵子だろうが惠子だろうが何の意味があるのか知らないけど
そんなに気になるなら、サクッと国会図書館に行って調べてみたらいいのに
余談だけど惠子っていう字は手書きの戸籍上はもっといろいろ種類があったはず
でも戸籍も電子化されて多分、恵子と惠子の二つに統一されていってると思う
だから、竹宮惠子の「惠」も手書きの戸籍上はこれと同じかどうかはわからない 今日もまた萩尾さんが竹宮さんを貶めるためのネタを探してるのか
ご苦労さんだな >>509
リストの中でみると「地球へ…」は未確定だけど、「アンドロメダ・ストーリーズ」が恵子表記だね
同じ月刊マンガ少年の次の連載が恵子表記なのだからそれ以前になる
「遥かなり夢のかなた」「ノルディスカ奏鳴曲」は表紙を見る限り恵子表記みたいだけどどうだろう 大泉本を読み返しているのだけど、初回に読んだ時が流し読みだったので新しい発見があった
・「マリーン」を描いたのはやはり萩尾さんからの申し出だった
・萩尾・増山の手紙が途絶えた?のは「みんなでお茶を」を描いた後で「トーマの心臓」連載開始前ということになっていた
「みんなでお茶を」1974年別コミ4月号
「トーマの心臓」1974年週コミ19号(4月下旬〜5月上旬が発売日と思われる)
大泉本では「みんなでお茶を」を描き終えた後に、「ああ、私はやっぱり、今後は二人に会うのは無理だな、と思いました。」と書いてあるのだけど、これは本当は「みんなでお茶を」が辛かったのではなく、すぐ直後に「トーマの心臓」連載を控えていたからだと思う、さすがにあれを描いたら竹宮増山両氏を怒らせることはわかっていたはず
「それからは増山さんに手紙も書いていません。あちらからもいただきませんでした。」
ということなので、萩尾さんは後ろめたさから返事を書けず、増山さんも怒りから手紙を寄越さなくなったというのが真相なのでは? >>536
他の方はどう思われるかわかりませんが、
怒らせることわかってたはずとか、
後ろめたさ、は全然賛同できないなぁ。
排他的独占愛も今回の執筆で考えてたどり着いたものですから、当時はただただ…トラウマとショックで離れただけだと思います。
友達が二対一にわかれただけかと。 マンション呼び出しと、忘れて手紙で「距離を置きたい」と言われた一人の漫画家が、どうにか仲良くなれないか…を諦めた、ということだと思います。
距離を置く、と決めた。拒絶され、断絶した。それだけかと。
作品どうこうは、結局ただの嫉妬ですから、心当たりなどあるわけありません。 調べてみたらあっさり「地球へ」の最終回のマンガ少年の表紙も見つかったね
いちおう他の人が画像をアップするまで待って、それから検証に移るのかな >>536
後ろめたさを感じる理由など何もないのに、あなたがそう書くのは
竹宮恵子ファンクラブで流布された噂が原因ですか? 改名概況報告
先ず要点だけ、画像は追々
※雑誌掲載マンガ作品に限定、読み物含まず
@1980年掲載作品に【惠子】なし
Aテラへ...(1980完結)、風木(1984完結)は改名なし
Bアンドロメダ、わた月、イズァローン、変奏曲カノン、姫くずし、ミラージュは連載途中で【惠子】に切り替えている。
1984/1985の切り替えが多いが、それ前に掲載誌移動があると【惠子】切り替えが起きるケースあり
C現段階で確認できた【惠子】の初出は、アンドロメダ・ストーリー『デュオ』1982年9月号
https://imgur.com/a/yd1byIg コロナなご時世、出かけずノーマスクでぬくぬく飲み食いしながら出来ちゃうスマホリサーチ最高 >>541
1982年の『デュオ』かあ…あの雑誌でいちばん好きだったのは「たいした問題じゃない」かな
あの雑誌の裏側でひっそりとそういうやり取りがあったとは感慨深いね
「アンドロメダ・ストーリーズ」は光瀬さんの原作なので切り替えに逡巡もなかったって事かな >>537>>538
だって、あれだけはっきり男子寄宿舎が気に入らないと言われたのに
でも、前言ったことは全て忘れてって言ったしな〜なんて能天気に思えるわけないと思うんだよね
あれは、必死で前回のことはすべてナシ!だって竹宮さん自身がそう言ったから!
と自分に言い聞かせていたんだと思う、疚しさを打ち消すために
それと「みんなでお茶を」を描いたからっていきなり「今後は二人に会うのは無理」という結論になるのも飛躍しすぎ
いやいや、竹宮さんは仕方ないとしても、増山さんとは絶賛文通中でしょ?
なんで増山さんといきなりもう会うのは無理って結論になるのか?とても不自然だと思う
萩尾さんの言うことを額面通りに受け取るのは、大泉本全体を通しても無理がある
思ってもないことを平気で書く人だと思う
今回、再読して「うわっ、よくこんな白々しいこと言えるもんだ」って何度も思った >>544
あなたとは読解力や人生経験が違うんだと思いますが、
男子寄宿舎が気に入らない、と言われてもやめる必然性はない。と、気づいたんだと思います。
今までもこれからも、描きたいものを描こう、と。
「みんなでお茶を」を描いて、もうあの頃には戻れないと悟ったから、表面上の、上辺の付き合いをやめる、と決心しただけのこと。
そもそもなぜ、竹宮惠子の言いなりにならないといけないのか。
疚しく思うことがないからこそ、大泉本を出したんだと思いますよ? >>543
>「アンドロメダ・ストーリーズ」は光瀬さんの原作なので切り替えに逡巡もなかったって事かな
なるほどそうかも
原作で決まってることは増山さんもダメ出しする訳にはいかないもんね、いじれるのは表現だけ 疚しさがあるのは、50年も仲良いフリをしていて、慌てて扉本で「没交渉です」と告白した竹宮さんだと思います。
ただ、人を傷つけることはあることだと思うので、ただ偽造漫画史を訂正してくれればそれでいいかと。あとは、人のふんどしで相撲をとらないならそれで。 >>541
あら、「薔薇はシュラバで生まれる」の笹生那実さんのお名前がある マンション呼び出しと手紙については、萩尾さんは、本当に意味がわからなかったんだと思います。
未だに私も意味がわかりませんもん。
竹宮惠子はなにがしたいのか?
(私が描きたかった!と言いつつ、漫画はオープンソースといって真似するし)
城さんたちの言う「嫉妬」が納得できます。 >>546
>男子寄宿舎が気に入らない、と言われてもやめる必然性はない。と、気づいたんだと思います。
やめる必要性があるかないかの話じゃないんだよね
萩尾さんが何を選択するかという話、もちろん竹宮さんの言いなりになる必要はない
でも、だったら「だって竹宮さんは忘れてって言ったから」なんて書き方しなくてそう書けばいいじゃん
で、増山さんとは上辺の付き合いだったの?なんで?どこからそう読み取れるんだろう
結局、トーマを描くことを選択したというのは、増山さんを切ることを選択したんだよ
鞭打ちサイフリートの描写に増山さんが傷つこうが知ったこっちゃないってね
でも、それなら、そう書けばいいのに、「みんなでお茶を」なんて関係ないでしょ >>550
オープンソースって言い出したのは下井草絶縁の後だよね?
考えが変わったってことかと 萩尾の新作ポー物語が破綻してるとか書かれてて繰り言温帯化してて笑える
大泉本に続き黒歴史を更新 萩尾は編集に好きに書かせてもらわなかったときのほうが
いい作品が書けるのかも 好きに書かせると物語が変になる >>551
言うだけ言って「忘れて」とは、ひどいですよね。
何かを言うことすらとめる…呪いのことばです。
増山さんは、その忘れて、という手紙の存在を知っていたのでしょうか?
本当は、手紙でしばって、話すこともとめて、黙って離れることになったのに、手紙の存在を知らない増山さんに「釈明しないってことは、認めたのかな」と思わせていたとしたら…
ゾッとする展開です。
そして、何年か後には、増山さんも距離を置かれる… >>556
忘れてって言ったのは手紙の内容じゃなくて、下井草で語った内容だよ >>544
勝手な解釈だなあ・・・
似ても似つかない作品並べて何故疚しさを感じたと誤解できるのか疑問だわ
竹宮自身が嫉妬だったと認めていることをあたかも萩尾に非があるように誤解できるのは何故なの? >>558
疚しい=萩尾さんに非がある
ってことじゃないよ
友達が載せたくて頑張ってる作品のモチーフ(男子寄宿舎など)がかぶっていて
明らかに友達の感情を害するってわかっていても、どうしても描きたいというなら描けばいい
でも、その場合、友達に対して何らかの「疚しさ」を感じると思っただけ
綺麗ごとで誤魔化さずに、自分は友情よりも自分の漫画が大切だったって言えばいいのに 竹宮こそ他人の口を借りて妙な噂を流したのは疚しさからじゃないかと思うわ
大泉解散を城と佐藤のせいにして噂流したのも疚しさからでしょ
萩尾に会いに行って手紙を渡すのを増山に黙ってやったのは疚しさからだと思うよ
大泉本が出た時も正々堂々と反論せずに他人の口を借りたのは疚しさからだと思う
増山が亡くなったことを自然に伝わればいいと思ったのも二人羽織の疚しさからでしょう
逆にあんだけ酷いことをして疚しさを感じないのならサイコパスだと思うよ 漫画と自分だけが大切・・・エドガーが自分とメリーベル以外はどうでもいいように うん。そもそも男子寄宿舎も、竹宮さんが真似してるよね。
もともとのスケッチには、音楽学院みたいに描いてるし。
知らなかった、知るよしもなかったこと「私が描きたかったのに」と後から言い出している。
ほかにも、これは私が始めた、って後から言い出してるし。
さすがに意味不明すぎて無理だよ。
竹宮さんに悪いなと思う出来事すらない。そもそも、その男子たちの漫画も増山さんのアイデアから影響受けて出てきたやつだろうしね。 >>560
「疚しい」なんて言葉が穏当ではないと思うわ
それとも非難の矛先を盗作では無理だから竹宮が描きたかったのに先に描いたことにシフトしてんのか?
全然違う作品だから関係ないと思って言われたことが理解できなくてショックを受けてるのに
何故疚しさを感じなきゃならないんだ
そもそもの前提が竹宮寄り過ぎるんだよ 萩尾厨の目が曇ってるから萩尾の本質が見抜けない
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