長山氏は、翌年の対談が竹宮さんの求めだったと断言しているので、それは事実なのだろうが、当時の編集者に確認したのだろうか?
(長山氏の記述では、他にもはっきりしない箇所が多々あり)
前年の『定本・竹宮恵子論序論とでも』実現の経緯(こちらも竹宮さんの求めということなのだろうか?)によって
村田さんのブログの記述の真偽は変わってくるのでは?
もっとも村田さんは「あちらが同時期にお二人にアプローチして来た」と書いているので、どちらにしても
誤りではあるが(『百億の昼と〜』コミカライズは、萩尾さん側のアプローチによる)。
また、「あちらが同時期にお二人にアプローチして来た」という記述は、光瀬さんだけでなく寺山修司さんのことも
指しているのだが、寺山さんと竹宮さんとの交友が、寺山さん側からのアプローチであったのは事実である。
(寺山偏陸氏が、はっきり証言している)

そもそも「それにしても驚くのは」とは、何を驚いているのか?
光瀬さんと萩尾さんは独占契約を交わしていたわけではないのだから、竹宮さんの接触が仮にマンガ版『千億の〜』連載中だったところで、
法的にもモラル的にも何ら問題は無い。
たとえ萩尾さんに対抗意識を燃やしての行動であっったとしてもだ。
むしろ『百億の昼と〜』連載終了を待っていたのだとしたら、「竹宮さん、萩尾さんに気を遣って、なんと律儀な」と思ってしまう。
また、萩尾さんは、竹宮さんが光瀬さんと組んだこと自体を非難してはいない。
非難したとすれば、それこそ「排他的独占欲領域」ではないか。