反論、その一
多忙の中、まともに推敲もしてないので、多少(どころではないかも?)のミスや文章の拙さはご容赦を。

SFマガジン10月号『SFのある文学誌』第七十八回 長山靖生
>光瀬と竹宮の最初の仕事は『地球へ…』第二部(〈月刊マンガ少年〉別冊、一九七八年十月)の対談で、
>竹宮恵子の求めによる。(中略)
>それにしても驚くのは、光瀬への接近が、萩尾によるマンガ版『百億の昼と千億の夜』直後という点だ。

「光瀬と竹宮の最初の仕事」は、実際は1977年9月1日発行 月刊マンガ少年別冊『地球へ…』第一部総集編の
『定本・竹宮恵子論序論とでも』(実際に会って一問一答を交わしている)なのだが、長山氏はそれには触れていない。
マンガ版『百億の昼と千億の夜』の連載開始(『週刊少年チャンピオン』第34号、1977年8月15日号〜)とほぼ同時期のこと。
(因みに出版物は、発行日と実際の発売日が異なるので、チャンピオン34号の発売日はおそらく8月8日、
『地球へ…』第一部総集編の発売日は7月16日〜8月1日?)
とにかく、マンガ版『百億の昼と〜』直後の接近という図式は成り立たなくなる。
(『百億の昼と〜』の連載終了が1978年第2号なので、対談がその「直後」と言えるかどうかも疑問)
『定本・竹宮恵子論序論とでも』の企画から実現までに要する時間をを考えると、企画段階では、竹宮さんは
マンガ版『百億の昼と〜』の件をまだ知らなかった可能性もある。