>>531
習作のつもりで原稿用紙に描いていたという「トーマ」に関し、大泉本では
「最後には300枚くらい」と書かれています
その直後に「見たい人には見せていました」と続くので、誤解する人がいるだろうとは
思っていましたが、他の仕事もこなしながらですから、300枚に達したのはずっと後のはずです
大泉本には、意図的にか時期ごとの「トーマ」の進捗状況が書かれていないため、
竹宮さんや増山さんが見た時にどこまで進んでいたかは判りません
竹宮さんがその時点で「トーマ」をそれほど脅威に感じなかったのは、「風木」連載の早期実現に
まだ希望を持っていたこと、「トーマ」が発表の当てもなく描かれた習作だったためでしょう