昭和時代の漫画家は盗作とか原作付きって言葉に敏感なんだよ
当時は漫画のアイデアや技法、画風、表現方法ってそんなにパターン多くなくて
手塚治虫さんが言うところの「新機軸」ってやつをみんな模索してた
一緒に住んでてクロッキー見せ合う中ならアイデアや絵が自然と似てくるだろうし
意識していいところを真似しようなんて漫画家ももちろんいた

というか、いまの漫画家には、そういうこだわりないよね
『電影少女』の桂正和さんなんか連載がないときは
他の漫画家の模写をして流行の絵を積極的に採り入れてた
(雑誌『コミッカーズ』のインタビューより)

原作者だって別にゴーストライターじゃないんだから
漫画家と一緒に設定考えてくれるアドバイザーは周囲にいっぱいいる

たとえば集英社のジャンプでは担当さんがそう
車田正美さんの『聖闘士星矢』は最初、作者が柔道漫画にするつもりだったけど
担当さんが「舞台はギリシャにして、星座の鎧をまとう拳闘士が超能力闘法で戦うお話にしようよ。
その方が女の子に受けるって」というアドバイスでああいう形になった
担当さんかいなかったら、柔道漫画になるとこだったんだよ
ペガサス=ローリングクラッシュという技の中にその柔道漫画の名残が残ってる