大泉本でもっとも核心にふれる部分を山田ミネコメールの引用や城章子の「締切直前の竹宮にスパゲッティやホットケーキを作らせる」エピソードで語らせるというのは、客観性を担保するためなんだろうけど、萩尾アンチから見れば狡猾っていうことになるのかなあ。
佐藤史生が存命だったらどうだっただろう。
大泉本では佐藤と増山の親密さが強調されているから佐藤は中立を守って大泉本には協力しなっかたのではないか?

おそらく萩尾は、佐藤にしゃべると全部増山に筒抜けになると思って佐藤プロデビュー後は時々会って話をする程度の関係だったんだろう。だから家族葬にもしのぶ会にも呼ばれてないんだろう。
「大泉時代が幸福だった」とホスピスで語り、見舞いに来た萩尾の前で涙をぬぐった佐藤に対して、大泉時代にトラウマのある萩尾はもらい泣きすることが出来なかったのではないか? 
その贖罪のためにわざわざ1章を佐藤史生に割き、佐藤史生の最期を看取った徳永メイ原作マンガを列挙したのだろう。
私は佐藤史生の最高傑作は徳永メイ原作の「タオピ」だと思っている。原作ものを称賛するからといって佐藤史生を貶めるつもりは全くない。
「タオピ」をプチフラワーで読んだとき、しばらく頭が真っ白になり何も考えられなかった。こんな体験は、『ポーの一族』『メッシュ』そして『風と木の詩』を読み終えた時だけだった。