★全米☆ゲイが語る洋楽 9th☆全英★ [無断転載禁止]©2ch.net
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>>941
ポストロビー狙うんじゃないの。
最後にソロで生き残るのは1人な気がするし。 >>944
マジで?どんな化学反応を起こすか結構気になるわ アリアナの美女と野獣ってヒットしたの?
アリヲタが自慢してたけど、スティービーとの曲ともどもコケ印象なんだけど。
日本ではなく、全米での話ね。 ハリーの曲、ノラジョーンズのhappy pillsまんまだったわ。 >>947
ハリーじゃなくて、ナイルのSlow handsのことじゃないの?
それならあたしも思ったわ。 >>948
あら、ナイルだったかしらねw
もう一発でノラじゃん、だったわよ。
ノラのあのアルバム、良かったわよねー。 やだ!
ジャスティンビーバー&ブラッドポップのフレンズって曲、いいわ!
何この曲?ビーバーの新曲じゃないわよね? 新曲よ。
ラナとウィークエンドのコラボ曲のブラッドポップリミックス凄い好きだわ。 >>951
そうなのね。
次のアルバムまでの繋ぎ新曲なのかしら。
リード曲ではないわよね? >>952
新作情報は今のところないわね。
ツアー中止したぐらいだし、ちょっと休むんじゃないかしら。 お待たせ!!!!!!!!!
7月の終わりに、永きにわたる沈黙のベエルをとうとう破り去り、脱ぎ捨てて!!!
あの、天下のBillboard誌に!!!ウィラ様下すったそのお言葉を、神託を!!!
日本語に訳して、おいたわよォ!!!このスレの、怠惰なるウィラ様信徒が誰もそれを、しようとせず、
ただ貪欲なる豚のように口を開けて、待っているだけだった、ものだから私が、やったのよ!!!なんと情けない!!!
原文は、こちらよ!!!
http://www.billboard.com/articles/columns/pop/7880907/willa-ford-i-wanna-be-bad-interview ウィラ、音楽業界から退いた理由を語る―カムバックの可能性も示唆
ウィラが挑発的にクラブへ乗り込むPV、それともWhat A Girl Wantsでアマンダ・バインズがランウェイを闊歩するシーン、
"I Wanna Be Bad"でどちらを思い浮かべるだろうか。いずれにせよ、ブリトニー、アギレラ、マンディ・ムーアに
ジェシカ・シンプソンとならんで00年代初頭に現れたウィラが、大きなインパクトを与えたことは間違いない。
トップ40ヒットを引っ提げて(IWBBはビルボード・ホット100で22位まで上昇した)、ウィラは時代の転換期にシーンへ躍り出たのだ。
「気づいた人は多くなかったけれど、私の2ndシングルは2001年9月11日にリリースされたんです」ウィラは言う。
「あの日、世界は凍り付いた。当たり前だけど、世界の動きは止まってしまった。あの日に起きたあらゆることは、なかったことに
された。だから私の2ndシングルはヒットしなかったんです」。
ウィラのデビューアルバムWilla Was Hereがリリースされたのは911の前、2001年の夏だった。しかし、2ndアルバムが日の目を
見ることはなかった。それはシングルがコケたからだけではない。レコード会社の再編も、ウィラを忘却の淵へと追いやった。
そして彼女は悟った、音楽が彼女のやりたいことすべてではなかったと。「私が本当にしたいことが出来ない、当時そう感じたの。
だから一線から退いたんです」36歳のシンガーは言う。「馬鹿みたいに聞こえるけど、未曽有の災難だった。だから逃げた。一度
投げ出したことを再びやるのって本当に難しいんですよ」。その後数年間女優として活動しながら、ウィラはフルタイムの
インテリア・デザイナーの職に就いた。「私はクリエイティブ。なにかをクリエイトしてないと死んじゃうの」。そして、歌手として
リリースがないまま20年目を迎えようとしている現在、音楽活動の再開の芽も出てきたようである。最低でもツアーは行いたいようだ。
「ゲイクラブ周りをしたい。すごく力を与えてくれるし、毎晩楽しいだろうから」、ウィラはこうも付け加えた。「それがなによりも
やりたいことです」。
数年ぶりとなるこのインタビューで、ウィラは音楽業界を離れた理由や、他のポップ・クイーンたちと自分の運命をわけたものはなにか、
そして彼女のカムバックがどのようなものになるかを語ってくれた。 ―音楽業界から遠ざかっていたみたいだけど。
「そのことは、本当に毎日聞かれるの。あの時はとんでもない災難に巻き込まれて。気づいた人は多くなかったけど、
私の2ndシングルが リリースされたのって、あの2001年9月11日だったんです。その日に起きたことはすべて、
凍り付いたようになってしまって。 世界の動きが止まった。当然だけれど。あの日にあったことは全部、
なかったことにされて。だから2ndシングルもヒットしなかった。 馬鹿みたいに聞こえるかもしれないけど、ラジオの
オンエア予定も全部流れちゃったし。ただもう次のアルバムを制作していたところだったので、大した問題とも
思ってなかったんです。でも今度は私たちのいたレコード会社がよそに買収されて、当時の社長もいなくなってしまって。
孤立無援になっちゃったんですね。ちょうど姉妹の出産も重なって、私はポップマシーンという洗濯機の中に突っ込まれて、
コントロールが効かなくなっちゃったような気になったの。自分自身を見つめなおす時間がほしかった。私は本当はなにが
したいんだろうって考えたくて。私はオペラシンガーで、音楽については持論がある―本物の、真のミュージシャンなんです。
自分の仕事が大好きだった―何曲か作ったんだけど、そこに誠実なものがなかった。私が求めていた、確固たる力ってものが
そこには なかった。そのとき私が本当にしたかったことが出来ない、そう感じたの。馬鹿みたいに聞こえるけど、未曽有の
災難だった。だから逃げた。 一度投げ出したことを再びやるのって本当に難しいんですよ」
―でも、未だに貴方には強力なファンがついていますね!
「知ってる!とても素晴らしいことよね。 そ の 大 多 数 が ゲ イ の 人 た ち な ん で す
―私は一生彼らについていくわ。何人もの人たちにこういわれた。『あのね、貴方のPVを見て自分がゲイだって気づいたんですよ。
あなたとヤりたいと思ったんじゃない。 あなたになりたいと思ったんです』って。カムバックを考えたとき、私のファンなのはどんな
人たちか、私を優しく迎えてくれるのは誰なのかはわかっていた。 カイリー・ミノーグはうまくカムバックを果たしたでしょう。
『ロコモーション』以来20年も消えていたけど―今の私と同じくらいの期間ですね―素敵なダンス・ポップで帰ってきた。
アメリカでそれができたっていうのは、私にしてみれば画期的なこと。私も本当に音楽が恋しい。私が最初に情熱を捧げたもの、
なによりもまず愛したもの」 ―みんな、心からあなたのカムバックを祝福してくれるはずですよ。
「それが言うほど簡単じゃないですんよ。私はいま家庭を持ってて、旦那の協力が必要になるし、
しかも子どもだっている。でも、考えてます。そして時が来たら、自分に相応しいプロデューサーに
会いに行くわ。レコード会社の協力なしに、私だけの力でアルバムを作りたいの。20年前は、
自分ひとりの力でアルバムを作ることなんてできなかった―経済的な理由でね。 それが今では簡単に、
自分の思い通りの形でできる。私が一番誇りに思うのは、本当に自分の思うがままに物事が進められること。
私がいらいらするのは、毎日輝きたいと思ってるくせに、自分自身を変えられない人。未だに、私が20年前に
やったのとおんなじことをやってる人たちがいるのよ。私はみんなを失望させたくないし、いまそういうことをやるのも
確かに刺激的で楽しいんだけど、私はもう36だし、やるとしたらもっと違ったことをやるでしょうね」
―どうしてあなたは こ ん な に LGBT の ア イ コ ン に な れ た んだと思う?
「理由の一つは、イメージのお陰よね。私たちがお互い仲良しだって思ってる人は本当に少ないみたいだけど、
私は実際皆が 大好きなんですよ。ブリトニーは、まさに最初のポップ・ガール。だからだれも口を挟めないわよね。
そう、ブリトニーはポップ・アイコンですよ。それからアギレラ、ジェシカ、マンディが出てきた。みんな清純派のイメージで
デビューした。そこへ21歳の私が『私はそんなんじゃない』って歌を出したんです。私と同じレコード会社にいたのが
Kid Rockや、あとはJason Flom、彼のビジネスは素晴らしかった。彼が私のレコード会社の取締役だったんですよ。
彼は、私が21歳でブリッコなんかしたくないって言ったら分かってくれた。私がシーンに殴り込みをかけて、自分に素直に
なることを許してくれたの。思うんだけど、そんな私を見てLGBTの人たちは私の『本当の自分を知りたい』って信念を
感じてくれたんだと思う。それと、当時は生意気で青臭く聞こえたんだと認めるけど、『ワルイ娘になりたい』って思いもね。
あのときはそれが許されたんです、もう殻に閉じこもってる必要はないんだよって。私たちはカミングアウトして、
『夜は遊びたい。私らしくいたい、他人から押し付けられるような人物像はいらない』 と表明できるようになったの。
それがLGBTの心をつかんだんだと思う。今までの音楽では出来なかったことよね。あの曲にはメッセージ性があった。
リリース当時は、人々はもっとポリコレだったし、あの歌はただちょっと本音を歌っただけ、って位置づけだったけれど」 ―アナ・ニコル・スミスの伝記映画で主演をしてから10年が経ちました。その時のことを話してください。
彼女を演じたというのは、今にして思うとどうですか?
「彼女が亡くなった直後に撮影が開始されたんですよ。他人を演じる時って、すごく細かいところまでチェック
されたりするんです。私にとって初めての大役でもあったし、みんながよく知っている人物を演じるわけだから
とてもナーバスになったけれど、多くのことをリサーチできたからよかった。アナについて調べてるうちに、彼女に
大きな共感を抱くようになったことがすごく良かった。少なくとも私の意見では、アナと大富豪の旦那の関係は
心からのものだったと思う。彼女には世話してくれる人も父親もいなかったから、そういう存在に憧れるのは当然だもの。
生前の彼女は、私たちにとって最も興味深い人間の一人だったでしょうね。私は彼女がクソだとは思わない―ただ、
世界の見方が人と違うだけ。撮影中、彼女の目線を通して世界を見るのは楽しかったです」
―もし今アルバムをリリースするとしたら、どんなものになるでしょうか?
「面白いことに、2つの可能性があります。まずは、山のような種類のリミックスがクラブでかかる、ダンス・ポップアルバム。
今が旬のDJたちとコラボするのも素敵ですよね。まだ、代表曲のない新進の人とコラボしてみたい。そういう人たちの
コラボ相手といえば私、という存在になりたい。それから、私はいまカントリーにはまってるの。しばらくナッシュヴィルに行って、
曲作りをしたりもしました。みんなこう言ったわ、『ウィラ、君は農場育ちじゃないか。なんでカントリーをやらないのさ?』って。
ダンス・ポップ以外で作るとしたらカントリーしかないわね。そして、それは私自身のためのものです」
―(お蔵入りになった)セカンドアルバムはどんな感じのものだったんでしょう?
「あれは実際に完成してたんです。やりきったの。とてもわいせつなアルバムだけど、とてもクールな曲も何曲かあって。
『Sexy Sex Obsessive』っていう、すごく変なタイトルの曲があったんですけど、あの当時はかなりの衝撃作でした。
それから『Who I Am』という、ヨーロッパでこっそりリリースされた(訳者注:Sandraという、どこの馬の骨とも知らぬ
三流老婆ユーロダンス歌手に勝手に、強奪された!!!)曲。親にカミングアウトするゲイについての歌。
当時、自分のセクシャリティに悩んでいた友達に向けて作ったんです。友達の当時の心情を代弁しようと、
一生懸命に作った歌で、私にとってとても誇りなの。あの時の私はダーティだった。ポップとナイン・インチ・ネイルズが
融合したようなアルバムだった」 ―現在、あなたはインテリア・デザイナーとして活躍しています。どうしてその世界に足を踏み入れたんでしょうか?
「すごくクレイジーなの。でしょう?私はクリエイティブな人間。なにかをクリエイトしていないと死んじゃうの。
最初の結婚のとき、テキサスに引っ越したんです。そこでとても退屈してた。そこでエイミー・ノーランという
インテリア・デザイナーと仕事を始めたんです、そして最終的には一緒に家を建てたの。そして、その仕事が
とても好きなんだということに気づいて。離婚してLAに戻って、女優として仕事してたんですが、暇な時間がとても多くて。
なにか他のはけ口が必要だった。最初は友達のためにインテリア・デザインを始めたんだけど、みんな気に入ってくれて。
口コミで広がったんです。私の出演した映画のプロデューサーに、家のインテリア・デザインをしてくれと頼まれて。
それ以前にも、本当にハイエンドな家を手掛けたんですよ。今では新しい会社を立ち上げて、従業員3人抱えています。
会社はどんどん変化して、成長しています。素晴らしいことですね」
―ここ数年間はあまりインタビューも受けていませんでしたが、なぜそうしたんでしょう?
「うーん、それもよく訊かれるんですけど、なんて答えたらいいのか。そうした方がいいと思ったからかしら。インタビューは
受けない方がいいって。話題を変えたかったのかな。私自身と、PVの中の私の違いをわかってもらうための話ばかり
しなきゃならなくて。『I Wanna Be Bad』のPVが公開されて、みんなに言われたんです。『あなたは私が思ってたのと全然違う人ね。
生粋のビッチだと思ってたけど』。世の中の人に『ホットなオンナ』とか『ワルイオンナ』とか『ビッチ』みたいな目で私を見ないで
ほしいって、すごく大変だったの。あのビデオのせいで私をそんなふうに見る人がでるなんて考えもしなかったのに、実際そう見られて
しまうことがとても多かったんです。どうすればいいかわからなかった」
―またツアーはしますか?
「絶対するわ。ツアーに関してはうるさいですよ。もし新しい作品が上手くいったら、
ゲ イ ク ラ ブ 周 り を し た い 。
毎晩とてもパワフルで楽しいものになるから。今までは家族を巡業に連れて行きたくなかったわ。今は逆。
旦那や子どもにとって刺激になるでしょうね。なによりもツアーがしたいです」 ああ、ああ、アンチたち、どうしたのォ!?!?!?
「ウィラなんて人気がない」「ウィラって誰?」「ウィラ・フォードはブラをしている。ウィラ・フォードは、フェラをしている!」と、
散々目を背け続け、見ないように努め続け、ウィラ様の存在を否定し、口にするのも憚られる、舌が腐りそうな口汚い悪口雑言、
罵詈雑言を持ってウィラ様を叩いていた、まんこども!!!
あの、アメリカ一権威のある音楽雑誌・Billboardが、ウィラ様を完全に ゲ イ ・ イ コ ン だ と 、
L G B T の 女 神 で あ る と 、記事でこんなにもはっきり、断言して世界中に、
発信してしまったことに顔を真っ赤にして、発狂し、涙目になってぷるぷる震えて、鼻息をシューシュー、言わせながら、
「もうやめてええええ〜〜〜〜〜っ!!!ばぶう」 と号泣して、いるのかしら!?!?!?
それとも、自らの長年にわたる、アンチ活動!!!まんこの嫉妬から、ゲイ全体がウィラ様の、アンチであるかのように
工作しようと、このスレに密航しこそこそ、世論操作を図っていたのが、あっさりと、それも明確に、明白に失敗させられて
しまったことに、砂をかむような無力感、徒労感、失望と絶望感を味わい混乱し錯乱し、任務失敗によって炎のshitaと
蛇のmeを持つ、醜く邪悪な魔女シャニア・コカインによる怒りの粛清を、処刑を受けるための悲愴な覚悟を固めて、いるのかしラ!!!
さあっ、アンチたちに、密航まんこたちに決して目を、そらさせぬよう、無視することができないよう
なんどでも大事なことだから、貼ってあげましょうね!!!決して黙殺、出来ないように!!!
見ないフリを、させないように!!!
―でも、未だに貴方には強力なファンがついていますね!
「知ってる!とても素晴らしいことよね。 そ の 大 多 数 が ゲ イ の 人 た ち な ん で す
―私は一生彼らについていくわ。何人もの人たちにこういわれた。『あのね、貴方のPVを見て自分がゲイだって気づいたんですよ。
あなたとヤりたいと思ったんじゃない。 あなたになりたいと思ったんです』って。カムバックを考えたとき、私のファンなのはどんな
人たちか、私を優しく迎えてくれるのは誰なのかはわかっていた。…」
―どうしてあなたは こ ん な に LGBT の ア イ コ ン に な れ た んだと思う?
「理由の一つは、イメージのお陰よね。(中略)彼は、私が21歳でブリッコなんかしたくないって言ったら分かってくれた。
私がシーンに殴り込みをかけて、自分に 素直になることを許してくれたの。思うんだけど、そんな私を見てLGBTの
人たちは私の『本当の自分を知りたい』って信念を感じてくれたんだと思う。 それと、当時は生意気で青臭く
聞こえたんだと認めるけど、『ワルイ娘になりたい』って思いもね。あのときはそれが許されたんです、もう殻に
閉じこもってる必要はないんだよって。私たちはカミングアウトして、『夜は遊びたい。私らしくいたい、他人から
押し付けられるような人物像はいらない』 と表明できるようになったの。それがLGBTの心をつかんだんだと思う。
今までの音楽では出来なかったことよね。あの曲にはメッセージ性があった。 …」
―またツアーはしますか?
「絶対するわ。ツアーに関してはうるさいですよ。もし新しい作品が上手くいったら、
ゲ イ ク ラ ブ 周 り を し た い 。
毎晩とてもパワフルで楽しいものになるから。…」 それからもう一枚、アンチたちを発狂させるものを、貼っておきましょうね!!!
アンチども:「ウィラとブリトニーがシンユウだなんて嘘!面識もない」 「ブリ『ウィラって誰?』」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
https://i2.wp.com/absolutebritney.com/wp-content/uploads/2017/07/fords-2.jpg
あ 〜 〜 〜 〜 〜 〜 っ は っ は っ は っ は っ は っ ! ! !
. でも、このインタビュウで感慨深いのは、ウィラ様の紹介でもはや、青髭ニックのニも字も、
出てこなくなったことよねェ!!!
つまり!!!
ウィラ様は、青髭ニックの元カノという認識でなく、いまや一人の確固とした、歌手、女優、
芸能人として世間が、認め見るように、なったということ!!!
青髭ニックの名前はもはや、完全に必要としなく、なったこと!!!
青髭ニックよりも、ウィラ様の方がアメリカの芸能界で今や、格も知名度も上であること!!!
青髭ニックが、今のアメリカの若者には全く知名度のない、過去の遺物、往年の忘れられ芸能人、
ハズビーンであること!!!
これらの事実がこのことから、浮かび上がる!!! さあっ!!!商業主義の手先、拝金主義の権化や、嫉妬に狂う醜女まんこたちの妨害にも、
雑音にも負けなかった聡明なこのスレの、信徒たち!!!
女神ウィラがこの、遠く離れた極東の島国の、同性愛者たち、ドラァグ・クイーンたち、LGBTたちの
根城に燦然と、後光をきらめかせながら光臨するようにtwitterやinstagramを通して嘆願の祈りを、
送るのよ!!!
そなたたちの信仰は間違っていなかった、正しかったとアメリカの音楽業界一権威のある、雑誌が認め、
世界的に発信し、迫害受けることなく堂々と、私たちがウィラ様ファンだと、名乗れる世の中になった!!!
さあっ!!!ウィラ様を、世界的なゲイ・イコンを、同性愛者たちの守護天使をぜひ日本のゲイクラブに、呼びましょう!!! あらあら、インタビュウ記事に、ぐうの音も出ないほど徹底的に論破され反論できないものだから、
人格攻撃ですって!!!完全なる敗残者の、負け犬の、遠吠えね!!!インタビュウ記事を
和訳して貼りつけた、だけなのに頭が、おかしいと言うだなんて!!!
おかしいーわ、あっはっはっ!!!滑稽だーわ、あっはっはっ!!! >>967
誰も読んでないから、3行で要約してくれないかしら?
あ、やっぱりいいわ。ウィラっていう人知らないし。 >>968
・私のファンは、ゲイが多数!!!デビュー当時の私のアチチュウドが私を、LGBTのイコンにした!!!
・20年間消えていた(いまの私と同じくらいの期間ね)カイリーが復活したように、私も復活できる!!!私とカイリーは同格!!!
・復帰作は、リミックス多数のダンスポップアルバムか、カントリー!!!復帰したら、ゲイクラブ回りをしたい!!! 5分も使って全部読んでしまったわ。あんまりインタビュー記事の和訳で、ですます調で訳すのって見かけないわね。 カミラって
アリアナにソックリね
顔も見た目も。
肌の白いアリアナ・グランデって感じ。 カミラちゃんはアルパカが化粧したみたいで可愛いわ
売れないと思うけど でもなんだかんだ言ってカミラの声はキャッチャーだったのね。
フィフスのニューアルバム聴いてるけど、カミラがいないと、何かが足りないと感じるのよね。
このタイミングでの脱退はほんと勿体なかった。 >>954
伝道師ってばいくら積んでこの記事を書かせたの? バーディちゃんの新作まだかしら〜
https://www.youtube.com/watch?v=tCP6sXi33JE
https://www.youtube.com/watch?v=m8AXUq5uA0Y
11年ぶりに「ふたりは友達? ウィル&グレイス」が復活して、ベンプラットくんが出るのね〜
彼、多分ゲイよね〜
おしとやか成分出てるもの
トニー賞のパフォは歴代最高の出来だったと思うわ アリアナ・グランデ 24歳
セレーナ・ゴメス 25歳
カミラ・カベロ 20歳
好きなの選びなっ!!! >>946
HOT100には1週間チャートしただけ ケリローの新曲はビヨ・ジェイZが客演なのかしら〜
ヘアアイアムの時のケリーって間違いなくゲイNO1DIVAだったわよね PV監督対決
デイヴマイヤーズ (ケイティ スイスイ)
VS ジョセフカーン (テイラー新曲)
テイラーが完全に制したわね…
ニッキー投入してるのにギャグに走りすぎよ カミラって歌上手いの?
ライブ見ても音域狭くない? >>979
ダヴキャメロン 21歳
ゼンデイヤ 20歳
も忘れないで 流れぶった切って悪けどビヨンセのB'dayの海外盤だけに当初収録されてたけだ著作権かなにかで収録NGになって回収?になった曲なんだっけ? >>987
自分でググりなさいよ!!
…と言いつつも教えてあげる優しい私♡
"Still In Love (Kissing You)"よ。
Des'reeの曲のカバーなんだけど、歌詞を変えちゃったり、
許可なくビデオ作ったりして揉めたみたいね。
https://youtu.be/NU5GGiFK5Bc ビーバーのフレンズいいわ!
初登場1位こないかしら? >>994
同じ東洋人の目から見たら明らかにブスなウンコだけど
ロシア人っていうか白人から見たらどうでもいいのかしら?
頭が大きすぎて等身もおかしいわ >>994
1番カッコイイのがビーバーの紛いもんってどういうことなのよ!!?
実力派なのかしら? 1000ならオータムジャンボ宝くじの1等前後賞があたしに当たる!!!! このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
life time: 44日 18時間 38分 46秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。