コウをめぐる事件・エピソード
1928年秋の大手合で、瀬越憲作七段対高橋重行三段(二子)の対戦で万年コウが発生した。
形勢は大差で瀬越が優勢であったが、高橋はコウをツイでセキにしようとせず終局まで頑張ったために問題が発生した。
この件については侃々諤々の論争が起こり、大手合が中断するほどの騒動となったが、
結局本因坊秀哉が「両勝ち」の判定をして収まった。この事件が契機となってルールの成文化が叫ばれるようになり、
1949年に「日本棋院囲碁規約」が制定されることとなった。



これがシンプルなルールとか アホが