本因坊秀甫
秀和と秀甫は現代的なスピード感のある感覚の碁だったな。
その後の世代の秀栄とか秀哉はゴリゴリの古典派なのだがw
まあ、第一人者の立場を守る為に勝負の結果に過度に拘らざるをえないと、
棋風としては着実な古典的手法と自らの腕力で、という方向に向きがちだわな >>54
そうかな?
秀栄については,白番二連星を試みていてそれは先進的だと思うのだが ところで本因坊家の宿敵だった安井家(一門)に関するスレが、
ほとんどなさそうな感じ。 https://www.nihonkiin.or.jp/teach/history/history03.html
1879年(明治12年)本因坊家とは別に、村瀬秀甫が「方円社(ほうえんしゃ)」
を結成し、毎月の手合を収録して雑誌(=囲碁新報)を発行したり、碁の普及のため
古い段位制にかわる級位制を取り入れるなど、次々と新しい試みを打ち出しました。
また秀甫は西洋人とも接し碁を教え、ドイツ人コルセルト氏が弟子となっています。
本因坊秀栄は、1892年(明治25年)方円社に対抗して
「囲碁奨励会(いごしょうれいかい)」を発足しました。(=後の「四象会」)
明治中頃になると、政財界の中枢もようやく碁に目を向けはじめ、
積極的に援助するようになります。
方円社側では井上馨(いのうえかおる)、後藤象二郎(ごとうしょうじろう)、
岩崎弥太郎(いわさきやたろう)、渋沢栄一(しぶさわえいいち)らが、
また秀栄側には大久保利通(おおくぼとしみち)、犬養毅(いぬがいつよし)、
頭山満(とうやまみつる)らが有形無形の援助をしました。
渋沢栄一が主役の『青天を衝け』に、方円社や秀甫が登場するか? スレ立て荒らしが来てるな 少し前に将棋板でも起きたな
将棋板のように、ほとんどのスレが流されてしまうかもしれない
しかし、昔のこういうまともなスレは残しておきたいね
叩くスレなどのクソスレは流されてしまえばむしろ喜ばしいが スレ乱立スクリプトが続いてるようなので
まともスレ age保守しておきます