本因坊秀甫
>>31-32
褒めるのが上手いね!
性は準名人の初代中川亀三郎(丈和の実子で秀策の義弟)八段に
興味があるから、シナ版の秀甫全集はいつか買わなきゃいけないな。 名人に推されたとき「予少しく技ありと雖も、何ぞ此大賢人に當らんや」と。 道策や秀策ではなくて秀甫史上最強説を支持するプロが意外に多いと何かで読んだことがある。 ズンドコベロンチョは、相乗効果による熱伝導が作用した好機とも言える。
全ての組織に適応可能な分配と知識管理を最適な解決法として金融派生商品化し、
その根拠を放射性崩壊させ見積と認識されるとする。 秀甫好きだわ
秀策の碁を並べてもいまいちピンとこなかったけど(自分の好みと離れすぎて?)
秀甫の碁を並べたらなんとなく上達に役立った実感があった
秀甫・秀栄は好きだなぁ
歴代でどのくらい強いとかは知らない これ本当なの?
普通にショックなんだけど。。
https://goo.gl/qP1Azu 秀和秀甫戦は50局もあるんだよね
昭和より前では一番沢山打った師弟なんじゃ無いだろうか 秀和と秀甫は現代的なスピード感のある感覚の碁だったな。
その後の世代の秀栄とか秀哉はゴリゴリの古典派なのだがw
まあ、第一人者の立場を守る為に勝負の結果に過度に拘らざるをえないと、
棋風としては着実な古典的手法と自らの腕力で、という方向に向きがちだわな >>54
そうかな?
秀栄については,白番二連星を試みていてそれは先進的だと思うのだが ところで本因坊家の宿敵だった安井家(一門)に関するスレが、
ほとんどなさそうな感じ。 https://www.nihonkiin.or.jp/teach/history/history03.html
1879年(明治12年)本因坊家とは別に、村瀬秀甫が「方円社(ほうえんしゃ)」
を結成し、毎月の手合を収録して雑誌(=囲碁新報)を発行したり、碁の普及のため
古い段位制にかわる級位制を取り入れるなど、次々と新しい試みを打ち出しました。
また秀甫は西洋人とも接し碁を教え、ドイツ人コルセルト氏が弟子となっています。
本因坊秀栄は、1892年(明治25年)方円社に対抗して
「囲碁奨励会(いごしょうれいかい)」を発足しました。(=後の「四象会」)
明治中頃になると、政財界の中枢もようやく碁に目を向けはじめ、
積極的に援助するようになります。
方円社側では井上馨(いのうえかおる)、後藤象二郎(ごとうしょうじろう)、
岩崎弥太郎(いわさきやたろう)、渋沢栄一(しぶさわえいいち)らが、
また秀栄側には大久保利通(おおくぼとしみち)、犬養毅(いぬがいつよし)、
頭山満(とうやまみつる)らが有形無形の援助をしました。
渋沢栄一が主役の『青天を衝け』に、方円社や秀甫が登場するか? スレ立て荒らしが来てるな 少し前に将棋板でも起きたな
将棋板のように、ほとんどのスレが流されてしまうかもしれない
しかし、昔のこういうまともなスレは残しておきたいね
叩くスレなどのクソスレは流されてしまえばむしろ喜ばしいが スレ乱立スクリプトが続いてるようなので
まともスレ age保守しておきます