■■囲碁のルールを語るスレ■■
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■■囲碁のルールを語るスレ■■
さまざまな囲碁のルールの比較、
現在の囲碁のルールの問題点、改善案などについて語るスレです。
勝手に公文書(すでに定められ定着している定義)を勝手に改竄するなよ 1.若い頃に習ったから周りに誤用している人が多いからという慣性によるもの
これは自然な感情だが純粋にこの感情による場合は正しいことを知った時点で改めようとするのが普通であるし
まして積極的に改竄しようというという動機にはならない
ただし碁打ちでも囲碁の歴史起源を知らない人は多い
2.棋院も誤用している(囲碁規約)からという権威主義によるもの
これは国語改革問題や漢字検定問題等でも問題になった権威の悪用の問題
間違ったものに権威がお墨付きを与えてしまうと間違っていても正すのが難しくなるという現代社会の大問題の一つ
3.囲碁を日本由来にしたいという捻じ曲がった国粋主義的な感覚によるもの
これは世界中にその手の人々がいるが理知的な人間であれば相手にしない
とはいえ大声でノイジーで権力を持っている場合もある
4.囲碁を高尚なものだと思わせたいという偉ぶりたい感覚によるもの
「すべからく」問題と同様の話
簡単なことをわざと難解な表現で書きたいという人々がいて結果的に誤用を生み出す
囲碁のルール自体もわざと難解にしたいという人々もいるようだ こいつはどうしようもないきちがいだが、そのうざったさに拍車をかけているのが全く対話が成立しない点にある
コンピュータースレで周りの制止を無視してめちゃくちゃな主張を繰り返し、10年以上の歴史があったスレを崩壊させたのもこいつ
自分の主張を正当化しようとして適当なリンクを引っ張ってくるが、思考にフィルターがかかりすぎて記事の内容を完全に誤読すること多数
どういう定義で話を進めているのかと指摘されると「当たり前のこと」だの言ってはぐらかす
三流宗教家にも劣る低知能ボキャ貧コミュ難がこいつ 碁という言葉の誤用とその背景心理の問題は囲碁ルール問題の根源部分なので重要だが
それとは別の問題として
日本式囲碁を碁と呼ぶ誤用はもう広まりすぎているから仕方がないとして辞書に意味を加えるとした時に
碁という言葉の使い分けをどうするかという問題がある
単に「碁」というと一つのゲームであるかのように認識されているので
ポーカー等のように多様なルールのゲームの集合体だという認識に変える必要が出てくるわけだが
具体的にどうしていくべきなのか?
少なくともルールの分類と言葉の定義の問題は必要になってくる
これは碁の普及活動の問題でもあるし言葉の使い方の問題でもある 「広がりすぎて仕方がないから」かどうかは別にして、現在「碁」といえば地を争うゲームのことに限定して用いていることを認めるところからスタートしないと話にならない
終局してから「この碁は石の数を争うゲームでしょ」と言われれば誰だってお前も怒るだろう?
それを「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁といってはならない」ところからスタートしようとすることを世間では「改鼠」という そもそも「碁(棋)」って単にボードゲーム全般を意味するだけだよね
なんで言葉の問題にしたがってるのかがわからない
ルールなんて解釈の問題であってゲームとしてやってることは一緒じゃん
アルファ碁は中国ルールだろうが日本ルールだろうが基本的に同じ手を打つし同じように強い >>780
だったら囲碁の統一ルールは純碁(切り賃あり中国ルール)ということで文句ないはずだが
現実には意味不明な文句を叫ぶ人がいて話がまとまらない
囲碁の普及を妨げる要因の一つにもなっている
コンピュータ囲碁でも問題になっている
このスレを見ても分かるように囲碁ルールの話になると発狂する人が出て議論にならなくなるんだな
これは表面的には言葉の問題なんだが言葉の裏にはドロドロした心理がある なんかこの人自分の都合のいいレスにだけレスして、都合の悪いレスにははぐらかしたり無視したり発狂扱いするんだね >>782
どれのこと?
スレ違いや明らかにバカなことを書いている荒らしに構うとスレが荒れてしまうから無視しているだけだが 例えば770で「もともとの語源とは離れた意味になってる言葉や漢字なんか現代日本語には腐るほどある」という指摘には答えていない
これは決してこれまでの話と無関係なことじゃないじゃん
それから779で「現在「碁」といえば地を争うゲームのことに限定して用いていること」を認めるかどうかはっきりしてよ >>781
俺個人としては純碁が一番美しいと思ってるけど
現実には伝統がものを言っているだけであって
表面的に言葉の問題だという意味もわからないしその裏には自分の立場と好みがあるだけでしょ >>784
まず「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」というのは一般的な正論であって
これに異議があるのなら別の板でやって欲しい
その上で他にも誤用があるから「碁」の誤用もいいじゃないかということには当然ならない
車の速度違反で捕まって他のみんなもやっていると抗弁するようなものだ
しかも碁の場合には実害まで出ているのだから他の無害な例と一緒にすることもできない
「碁」のオリジナルの意味は古代から大陸にあり日本にも伝承された「盤上の石の数を競う」ゲームのことであり
現在でもその意味で使われていることが多い
上で棋院の用例を挙げたが一般の認識としても囲碁は大陸由来のゲームであるというのがほとんどだろう
ただし本来の囲碁が「盤上の石の数を競う」ゲームだとまでは知らない人が多い
大陸の碁ではなく日本で発明された「地を争う」ゲームに限定して使うことはオリジナルの意味に反するので誤用であるが
明確に誤用である(すなわちオリジナルの定義では意味が通じなくなる)という使い方も広まっている
これが正に問題であるわけだな >>785
歴史と言葉の問題には個人の立場や好みは関係ない
おれがどう思うかは関係無しに本来の碁は「盤上の石の数を競う」ゲームなんだし日本式囲碁はそれとは別のゲームなんだ
今回の件でおれは自分の個人的な意見や主張を言っていない
表面的に言葉の問題だというのは大陸の碁と日本式囲碁を言葉として明確に区別していればルール問題は存在しないということ 「もともとの語源とは離れた意味になってる言葉や漢字」=誤用
とは限らん。広く一般に使われればそれがその言葉になる
「碁」も同様
車の制限速度ですら、実測に合わせて変えることも多い >>787
本来のゲームの目的がそうなのは良しとして日本ルールが別のゲームだというのはお前の主観的な意見だよね
例えばチャトランガでは王様を取ることが勝利条件だったけどチェスや将棋ではそれが合理化されて詰めることが勝利条件となった
どうぶつしょうぎというゲームではわかりやすく王様を取ることを勝利条件にしてるけどそれを詰めたら勝ちというルールにしたらお前の中では全く別のゲームなのか?
国際棋戦が問題なく行われている時点でほぼ同じゲームとしてみんなが認識してるし残念ながら言葉の問題にはなり得ないよ
なぜならゲームの手順も結果もほぼ変わらないから >>788
そういうのは国語板(?)でやれよ
誤用は意味が通じなくだけではなく論理や認識を歪めてしまうから問題なんだな
こういう最低限の教養もないバカを相手にするとスレが荒れるから避けているんだが >>789
日本式囲碁が「盤上の石の数を競う」ゲームではないというのは囲碁規約に明記されているくらいの常識だぞ
貴方はあまりにも囲碁について知識が無さ過ぎる
あと詰みと玉を取ることは意味としては同じなんだが、なぜ「全く別のゲーム」のゲームだと思うのか(スレ違いなので返答不要) >>791
事実と意見は区別してね
「別のゲーム」「意味としては同じ」
これらが単なるお前の主観ではないという根拠は? >>790
ん?
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」といって言葉の問題にしたのはお前じゃなかったっけ? >>786
>「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」というのは一般的な正論
学問板でこれ書いてきてみなよ
どこの文系の板でも失笑を買うだけだぜ ちなみに
>「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」というのは一般的な正論
であるのなら、「碁」を石数を競うゲームの名前にあてることこそ「誤用」だな
他の人も指摘してるが、「碁」という字はもともとは単にボードゲームを指す字に過ぎない
つまり「碁」という字を石数ゲームの意味で使うのは「球」をサッカーの意味にするのと同じで、こいつの理屈に従えば「誤用」となる
ちなみに「碁」の別名は「囲碁」だが、「囲」は「かこむ」の意味だから石数ゲームの意味では使えないなあ
結局石数ゲームの意味で使える単語は中国にも日本にも、過去にも今にも存在しないようだ
残念だなあ こいつは「本来」とか「合理的」とか、この話をするにあたって欠かせない用語の定義は「辞書の通り」とかいって逃げるくせに
辞書に載ってる「碁」の定義(地を競う)を誤用だと言って決めつける
ご都合主義にもほどがあるぜ こいつが「この魚おいしいね」って言ってる女に
「「おいしい」は「美味」という意味ではなく「すばらしい」という意味だよ、語源に則った正しい日本語を使おうね」って返答するような調子の人生おくってんのならまだ分かるが、
そうでなきゃ本当にただのご都合主義だな デマを書いている荒らしが沸いているがスレ違いの内容なので訂正できないのが苛立たしいw
どうやら>>795は包含関係が理解できていないようだな
サッカーを球技やフットボールというのは誤用でもなんでもないがラグビーをサッカーというと誤用になるということが理解できないらしい
少し正確に書くと「古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯」(の総称)を碁と呼んでいて
その一つに「盤上の石の数を競う」ゲームがある
当然その中に日本の新しいゲームである「地を争う」ゲームは含まれていない
「盤上の石の数を競う」ゲームのみを指す用語はなく、碁の他のゲーム(乱碁,弾碁,格碁等)は衰退したか、
別の新しいゲームに発展して名前を変えたので(連珠等)、今ではほぼ碁=「盤上の石の数を競う」ゲームとなっている
>>796
誤用かどうかはおれが決めることではなく歴史的な言葉の定義から決まっていることだぞ >>798
なにそれ?
辞書の碁の定義が誤用なんてお前(だけ)が言ってる、すなわちお前だけが決めてるんだよ >>798
「碁」と「日本式囲碁」が別のゲームであるとする主観なしの根拠は? >>798
言ってることが全く違う
そもそも「碁」は「棊(棋)」の異体字で源義は「テーブルゲーム」
もともと「棊」という字があり、のちに材質の違いから「碁」という異体字が生まれたが、
異体字の関係にあるからもともとは両者に厳密な使い分けは存在しない
実際現代中国語では「棋」に統一されているし、日本でも「圍棊」等の字体は散見される
「碁」という文字には「テーブルゲーム」、狭義には「石を使うテーブルゲーム」という字義しかない
それがのちにもっぱら「囲碁というゲーム」の意味に使われるようになっただけ
「碁」の源義=「盤上の石の数を競うゲーム」なんてことはあり得ない
少しは漢字の成り立ちくらい勉強しろよ >>798
あと、語源に基づいた正しい日本語を使ってもらえないかね?
たとえば「新(あたら)しい」は「改(あらた)む」から派生した語で
「新(あら)たし」と書き「もったいない、惜しい」という意味で使わなければいけない
まあ平安時代ごろには既に「あたらし」に移行したらしいが、
奈良時代に「あらたし」と読まれてたのなら当然そっちが正しくて「あたらし(あたらしい)」は間違った日本語なんだよな?
お前が言ってんのはそういうことだぜ? >>799-802のバカはスルーでいいな?
誤用の意味も分かってないし包含関係すら理解できていないし語源の説明も全てデタラメだし囲碁の知識もないし小学生レベルの常識もない
(「あたらし」が誤読であるというのは確かにそういう説が一般的だがこれは音変化であって誤用とは違うという話はスレ違い)
このバカに構っていると無駄にスレが荒れるだけだ
いい加減にコテをつけて欲しいものだが いやいや絶対スルーじゃダメだろ(笑)
情けないおじさんだな
逃げてないで>>792に答えなよ >>803
だから語源に則った正しい日本語使えってんだよな〜
スルー、すなわちthroughには「〜を通じて」「〜を経由して」等の意味しかない
「無視する」の意味は近年生まれた和製英語で語源に則った正しい日本語とは言えないな
そもそもこの用法は辞書にすら載ってないか、あるいは「俗に」などの断りが入ることが多い
こいつの基準じゃ完全に「誤用」だろう
自分で問題提起しておきながら、自分が正しい日本語を使えていないのはどうなんだい? >>798
またでた
「歴史的に決まっている」
↑これはいったいなんの呪文だ?
過去は変えられないから「歴史」なら決まっているけども、
歴史的に決まっている「物事」なんて何一つ存在しないぞ。
上の方で「切り賃がなくなった合理的理由はなんだ」って
しつこく喰らい付いてスレを荒らしていたのがお前だということは
文体やバカさ加減からして火を見るより明らかだが、
今度は立場が逆転して、皆がお前に対して
「碁が石を数えるルールでなければならない合理的理由はなんだ」
と尋ねているわけだ。
それに対してお前は、「歴史的に決まっている」などという不合理、意味不明な理由しか挙げられないでいる。
さあ早く誰もが納得できる合理的理由を説明してみろ。 あんまりいじめるのもアレだから捕捉しといてやるけど、この人が言ってんのは結局ただの極論でしかないんだよな
「信号無視は犯罪である」
「犯罪者は社会から隔離したほうが人々は幸せになる」
「ゆえに信号無視を犯した君は死刑に処されるべきである」
みたいな
「そこまでする必要があるのか」
「些細な罪で死刑にしては彼の死を悲しむ人がいる」
みたいな反論には
「それは関係ない」
という調子だから全く議論にならない
もうちょい多面的な考え方ができるようになったほうがいいよこの人は 「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」
と偉そうにのたもうたのが全部自分自身に却ってきたってことだな
これに懲りてこのスレではどや顔するなよ さて話を戻そう
本来、碁というのは「古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯」(の総称)のことであり
特にその中の「盤上の石の数を競う」ゲームのことを言う
これはよく知られた歴史的な事実と言葉の定義であり、棋院を始めほとんどの囲碁関係者の共通認識である
ちなみに中国語でボードゲームは版圖遊戲などと言い
当たり前だが(荒らしが言っているような)オセロを碁や棋などと呼ぶようなことはない
一方で日本式囲碁は「地の大小を競う」ゲームであり、「盤上の石の数を競う」ゲームとは目的が異なるゲームである
これは日本囲碁規約に明記されていることであり、(荒らし以外は)全ての囲碁関係者の共通認識である
大陸の碁においてはルールが明確かつ完全であるために「ルール問題」は存在しない
「ルール問題」は地の定義を必要とする日本式囲碁に特有なものであり、
大陸の碁と日本式囲碁の混合が現在の囲碁ルール問題を生んでいる
このことも(荒らし以外は)全ての囲碁関係者の共通認識である
以上の話はよく知られている事実の説明であって、おれの個人的な見解や主観によらない さて「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」という一般的な正論がある
言葉を誤用すると、情報伝達に失敗したり、論理がおかしくなったり、認識が誤誘導されてしまったりするからだ
これは論語にもあるくらいの正論であり(荒らし以外は)社会的に広く認められている
この正論をそのまま「碁」に当てはめてみるという思考実験を行ってみると
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」ということになるが
これを実行すれば囲碁ルール問題は解決することが分かる
つまり囲碁ルール問題は言葉の問題であるとも言えるわけだ
ところが実際には「碁」の誤用を正すことには大きな心理的な抵抗が生じる
実際にこの誤用は広まっており、これは積極的に誤用を促す何らかの感情がないと説明がつかない
この感情が囲碁ルール問題の根源にあることが分かる
以上の話はただの事実と合理的な推論であり、おれの個人的な見解や主観によらない
当たり前のことだが、おれが「誤用はやめるべきだ」と主張しているわけではない(荒らしが藁人形を叩いているが) この感情が何に由来するかというのが目下の論点の一つだ
おれの考える叩き台的な仮説は>>773>>776にまとめた通り
もう一つの論点は実際に誤用が広まっているという現実を踏まえた上で
言葉の定義をどのように整理して囲碁ルール問題を解決していくのかという点
ここについてはおれは個人的な考えを持っているがまだ書いていない 自分でも何言ってるのかわかっないっぽいよね長文の人って この人はWikipediaの「誤謬」の項目でも見とくことをおすすめする
論理的な瑕疵があまりにも多すぎる
転倒した倫理観を転倒した論理で支えていることはよくあることだが、ここまで来るとねえ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC?wprov=sfla1 >>813
もし論理的な瑕疵があるのなら具体的に指摘した方がいい
指摘できないのなら荒らしになるだけだから書くべきではないな 大陸では数千年前から石と盤を使ったゲームが存在していた
それらのゲームを碁といい
その中でも特にメジャーであった「盤上の石の数を競う」ゲームは現在でも親しまれている
一方で日本では千年ほど前から「地の多少を競う」ゲームが行われている
このゲームは碁の変化形であり、日本ローカルなゲームであったが、ここ100年くらいで世界に広まった
ここではこのゲームのことを「日本式囲碁」と呼ぶことにする
「盤上の石の数を競う」碁と「地の多少を競う」日本式囲碁はゲームの目的が違うため
ルールの根幹部分が異なっており、両者を混同するとルール問題が発生する この混同は「日本式囲碁」を「碁」や「囲碁」と呼ぶ言葉の誤用に起因する
例えば「囲碁教室」と言えば、本来は純碁を教える教室であるはずだが、「日本式囲碁」を教えている
いわゆる羊頭狗肉の状態だ
この状態を正すには、言葉の誤用をやめて「日本式囲碁教室」にするか、
「日本式囲碁」のルールを変更して「盤上の石の数を競う」ゲームに合流するしかない
以上は誰でも分かる簡単で論理的な話だ
しかし現実には大きな心理的な反発が発生する
心理的な反発の原因を議論する前に
その防衛機制から生じる反論について検討しよう 反論1
「日本式囲碁」を「碁」と言うのは昔から広く使われている用語であるし
羊頭狗肉であっても狗肉であることを皆が知っていれば問題ないのではないか
この反論は実際に「日本式囲碁」と「碁」の混同が発生している現実から目を背けている
ただの現実逃避にすぎない
また「狗肉であることを皆が知ってい」るのなら堂々と「狗肉」として売ればいいだけだ
「日本式囲碁教室」とすることに何か問題があるのか
反論2
ほとんど同じゲームなんだから「日本式囲碁」も「碁」に含めて問題ないのではないか
この反論も現実にルール問題が発生していることから目を背ける現実逃避である
ほとんど同じゲームならルールが問題になることはないのだ
また仮に「碁」の定義を広げるにしても元々の「碁」の定義に「日本式囲碁」が追加されるだけで上書きされるわけではない
「囲碁教室」は純碁に加えて日本式囲碁も教える教室という意味になる
問題は何も解決しない
反論3
ルールなんてどうでもいいのではないか
だったら囲碁規約は廃止でいいな?
細かなルールに拘り、押し付けたい人々がいるからルール問題が生じているのであって
その人たちを説得できないのなら問題は解決しない 論点1.歴史を捏造するべきか?
碁というゲームは歴史的に「盤上の石の数」を競うゲームだった
この歴史的事実を「地の多少」を競うゲームだったという風に捏造するべきかどうか
岩波の広辞苑等の一部の辞書部門や棋院の一部等は捏造するべきとの考え
一方で平凡社等の出版社や一部の棋士等は歴史を捏造せずに正しく伝えている
個人的な意見としては捏造する・しないは個人の自由だと考える
自分自身は捏造はしないし捏造する人は好きではないのだが
それは個人的な感情であって捏造したい人々に捏造を禁止する合理的な理由はない
ただし事実を誤解してしまう人が出てくるので捏造を捏造だと指摘することは大切だ
特に子供にはしっかりと教育するべきだろう 論点2.「碁」の定義に日本式囲碁を加えるべきか?
歴史の捏造をしなかった場合に、歴史的な「碁」の定義を拡大して日本式囲碁を加えるべきかどうか
慣習的な言葉の誤用を容認するかどうかという問題の一つになる
個人的には容認してもいいと考える
もちろん厳密な言葉遣いをする方が望ましいが、他人に禁止するまでの合理的な理由はない
ただし本来の碁と日本式囲碁の区別は必要なので、誤解の生じない用法は必要になる
拡大された「碁」「囲碁」の辞書的な定義は以下のようになる
一、古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯の総称
二、特にその中でも盤上の石の数を競う遊戯のこと
三、そこから派生した「地」の多少を競う遊戯(日本式ルール)の呼称にも使われることがある(厳密には誤用) 論点2’.碁のルールを統一するべきか?
論点2の言葉の誤用を容認するかどうかと同じ問題
なので個人的には統一しなくてもよいと考える
碁のルールは対局者が好きなルールを自由に選んで使えばいい
大会においてはルールが公開され参加者の承認が得られているのなら問題ない
もちろん参加者には承認せずに棄権し、その事実を公表する権利がある >>820
碁のルールにそこまで詳しくないが主張は理解できるが
一種の原理主義だよ
逆に他の宗教とかの原理主義者の事例をその原理主義者たちの立場を考えて考えてみると良い ローカルルール程度の話を「言葉の御用」とまで言ってしまうことの大げさ具合がわからないんだろうな
数え方が違うから別のゲームだと連呼するのはいいけど名称を変更すべきほどの違いだとする根拠は一切答えられない
「ほとんど同じゲームならルールが問題になることはない」←意味不明な論理 >>822
歴史を捏造したりルールを信仰したりするのは原理主義というよりはカルト宗教に近いな
日本ルール教と考えるのが分かりやすいかもな
>>823
あんたはいい加減にコテつけろよw
「数え方が違う」ではなく「目的が違う」ゲームだからルールの問題になっている 囲碁の歴史捏造問題を考える上で1949(昭和24)年に制定された旧日本棋院囲碁規約の前文をテキストにしてみたい
新規約の序文も相当にアレだが旧規約のは完全にカルト教典になっている
まずは読んでみて欲しい
http://park6.wakwak.com/~igo/igorule/kiyaku.html >>825
前文を引用しようとするとNGに引っかかり投稿することができない
囲碁板で棋院規約が荒らし認定されるという冗談にもならない話だがそれくらいの内容だ
前文の全文はリンク先を見てもらって議論は部分引用(いくらなんでも大丈夫だろう)で進めよう 比較のために日本チェス規約の序文も置いておく
こちらは当然チェスと将棋を混同したりしていないし歴史を捏造したりカルト的な内容が書かれていたりすることはない
これが当たり前だ
http://www.jca-chess.com/jcatyesukiyaku.htm
この棋約( 以下日本棋約または単に本棋約という )は世界共通のゲームとしてのチェスの基本的、かつ唯一の国際統一ルールを
「 The Laws of Chess ・ 1996改正 FIDE 」に準拠して制定されたもので、
The Laws of Chess( 以下国際棋約と言う )の前言に従い、日本国領域内に於いては、国際棋約の一部である。
従って、本棋約は公的私的を問わず、日本国領域内に於いて行われる全てのチェスゲーム活動の基本であり、チェスゲームを盤上で行うときの合意事項である。
盤上であるいは競技会場で紛争が起きたとき、この棋約に従っていないものは、なん人も正当性を持つことはできない。
本棋約の適用に於いて国際棋約との間に著しい矛盾のあるときは、
本棋約の該当する条項は、JCAルール審議会により資格を与えられたものの裁定により、一時的、かつ部分的に失効する。
本棋約と国際棋約との間に矛盾とは言えないまでも、重ならない部分があった場合、その部分については、次の場合に限り初めから本棋約の条項は適用されない。
日本国領域内に於いて行われる全ての国際公式戦およびFIDEレイティング競技会において国際棋約に定められいてないことの内、
決定がJCAの指定する主催者またはアービターの裁量権の範囲を越える場合。
(以下略) さらに碁の規約の客観的な解説として旧中国ルールの英訳を置いておこう
http://www.cs.cmu.edu/~wjh/go/rules/Chinese.html
最初に伝統ルールは石の数を競うものだという説明があり、
その後に切り賃の説明があって、切り賃をなくしたものが現代ルールであるという事実が書かれている
このように、伝統ルールと現代ルールの2つのルール(ゲーム)が存在していること
現代ルールは伝統ルールの一部を改変したものであるというのが歴史的にも正しく当たり前の解説のやり方だ
ただしここでの伝統ルールというのは本来の碁のことだが
現代ルールというのは日本式囲碁のことではなく現在の中国ルールのこと
国際的には歴史捏造は許されないので伝統ルールを廃止して日本式囲碁に書き換えるというのはありえず
統一ルールというのは伝統ルールはそのままに現代ルールの国際統一をはかるものになるが
現代ルールの統一ルールを作るのか、日本式囲碁の統一ルールを作るのかでもめて分裂状態になっている
これも言葉の問題の一種である >>828
あれ?目的が違うから別のゲームだとかって持論はどこへいった?
日本の改変→歴史の捏造
中国様の改変→現代ルール
やっぱりただの売国奴じゃん ついでに、目的が違えば別のゲームってのにもつっこんでおくが、
サッカーもラグビーもホッケーもゴールポストにたくさん玉を入れるという目的は変わらないな
だったらこれらの競技はすべて同じゲームってことでいいなw さて>>825の旧規約を読む上でのポイントは以下の3点になる
1.旧規約の成立の経緯
2.(当時の)国際ルールと旧規約の対応関係
3.旧規約上で行われるゲームの名称
これらを順番に詳しく見ていこう 1.旧規約の成立の経緯
よく知られているように旧規約は1948年7月の呉対岩本の日本式囲碁の対局における手入れ問題に端を発し
日本式囲碁のルールの成文化の必要性に迫られて翌年10月に制定されたものである
戦後の状況下における1年という短い期間の「慎重審議」の産物であり
「徳川時代以来の慣習として認められてきたものを成文化した為、
理論面での明確性が必ずしも充分と云えない」(吉国)ものとなった
ちなみに棋院は「日本で初めての成文法」であると主張しているが、もちろんこれは捏造であり
民間人(当時は棋院も民間の法人)による成文ルールはそれ以前から公表されている
旧規約の前文においては
「内外の事情により囲碁規約の制定がまさに刻下の緊要事であること」
を制定理由に挙げている
ここで「内」というのは上で挙げた呉対岩本戦により生じた社会的な要請のことであり
「外」というのは
「今や囲碁が国際的に普及する段階に達しており、今後国際的囲碁競技にまで進展することが期待」
されている国際的な状況のことであるとされている この時点で普通の人なら頭が疑問符で一杯になるだろう
呉対岩本戦の問題は日本式囲碁だから生じたものであり
なぜ「囲碁規約」が問題になるのか?
実際に国際ルールに準拠した「囲碁規約」は島田らによって当時すでに成文化されており
国際ルールを用いていれば問題は生じ得なかった
社会的に求められていたのは日本式囲碁のルールの成文化であって「囲碁規約」は関係ない
そもそも旧規約は日本式囲碁の成文ルールであって「囲碁規約」ではない
「囲碁が国際的に普及する段階」って日本は普及された側でしょう?
「国際的囲碁競技」の環境整備にローカルな日本式囲碁も旧規約も関係ないでしょう? これらの疑問は、旧規約が「囲碁」という言葉を誤用しており
日本式囲碁のことを指していると理解すれば解消する
新規約では「日本ルール」「日本囲碁」「日本の囲碁」等の用語が見られるが
旧規約では一貫して「囲碁」を日本式囲碁に限定して用いている
「各方面の権威者」が公式文章で用法を誤るわけがないので
この誤用は明らかに意図的なものであり、その後の誤用の流布の大本になる
では、旧規約上で「囲碁」が日本式囲碁のことだとするなら
本来の囲碁や国際ルールは旧規約上ではどのように表現されているのか?
それらは旧規約では存在自体が抹消されている
囲碁は日本発のゲームで「国際的に普及する段階」になったいうことになっている
もちろんこれは歴史の捏造である
各国の伝統的な囲碁の存在を無視して抹消し、優れた日本式囲碁を「国際的に普及する」
「その実現によって国際親善と世界平和の増進に貢献する」
今から見ればカルトな帝国主義思想にしか見えないが当時の棋士達は本気だった
実際、戦前からそういう「普及」活動は行われていた
歴史捏造の裏には当時の思想や社会背景がある 素朴な疑問
「囲碁」は「碁」なのか?
石の数を数えるゲームに囲うの文字はついていたのか? >>835
書体は時代や地域によって様々なものがあるが、「碁」(とそれに該当する用語)は
「一、古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯の総称」
を意味する(囲碁、乱碁、格碁など)
それらの遊戯の一つである
「二、特にその中でも盤上の石の数を競う遊戯のこと」
が「囲碁」(とそれに該当する用語)になる
現在では「囲碁」しか残っていないので「碁」は「囲碁」と同義になっている もともと囲うという字に石の数を競うという意味があったの?
誤用かな?
あるいはその語ができたころにはすでに陣地を囲うゲームになっていたという可能性は? >>837
囲って石を取り去るから「囲碁」
「文字通り、棊子(碁石)を囲い・トリあう。地を囲うのではない」(白川)
数千年前(諸説あり)から現在まで囲碁は盤上の石の数を競うゲーム
日本に日本式囲碁ができたのは1000年くらい前(諸説あり)
大陸に現代ルールができたのはここ数十年
あまりにも無知すぎる質問は荒らしと同じになるぞ
それからいい加減にコテつけろよな
君が知恵遅れの子だというのはもうみんな分かっているから
コテつけて議論の邪魔さえしなければ他のスレでもみんな優しく接してくれるよ 目的が違うものは名前を変えるべきだという人もいる。
盤上の石の数を数えるのと石を囲って取り合うのは明らかに別の意味だけど
盤上の石の数を数えることと盤上の空き地の数を数えることの違いよりはずっと違う。 >>839
知恵遅れ君はいい加減にコテつけたらどうだ
「ゲームの違いというのはルールの違いなんだよ」
「細かい規則の違いなら分類分けしないこともあるが、ゲームの目的が違うくらい大きく違えば完全に別のゲームだよ」
「包含関係は逆は必ずしも真ならずだから別のゲームでもゲームの目的が違うとは限らないよ」
「囲碁とオセロはルールが違うから別のゲームだし、サッカーもラグビーもホッケーも別のゲームだよ」
という小学生レベルの説明が分からない
「囲碁は文字通り囲んで石を取り去るから囲碁なんだよ」
「囲碁というゲームもそれに対応する言葉も日本に伝来する前からあるんだよ」
「囲碁は古代から盤上の石の数を競うゲームなんだよ」
「大陸に地を争う現代ルールができたのはここ数十年の最近のことなんだよ」
という囲碁の基礎知識も知らないし説明されても基礎知識を教えられていることすら分からない
自らが無知であることへの反省も教えてくれた人への感謝もない
分からないことは仕方ないがコテをつければレスが整理できてスレが荒れない >>840
> 日本に伝来する前からある
あなたの使う文字は中国由来のものだがあなたの書いているのは中国語ではない
> 「ゲームの違いというのはルールの違いなんだよ」
つまり地を争うゲームは日本発のゲームということで問題ないのでは? >>841
「地を争うゲームは日本発のゲームということで問題」あるなんて誰が言っているんだ?
少なくともこのスレでは誰も言ってないぞ
>あなたの使う文字は中国由来のものだがあなたの書いているのは中国語ではない
だったら、大陸の碁は日本語では何て言うんだ?
大陸の碁を日本語で囲碁と書いている文献や言っている人々は棋院も棋士も学者もみんな間違っているのか? >842
> 囲碁は日本発のゲームで「国際的に普及する段階」になったいうことになっている
> もちろんこれは歴史の捏造である
> だったら、大陸の碁は日本語では何て言うんだ?
さあ?あなたならどう呼ぶ?
私は、石を数えるか地を数えるかは些末な違いであると思うし、どちらも囲碁と呼ぶ。
その意味で2行目の記述は間違いだと思うが、「囲碁」を「地を数えるゲーム」に置き換えれば部分的には正しい
日本人が日本語で書いた地を数えるゲームの説明とすればそれなりに筋は通る >>843
これだけコテつけろって言われているのにまだつけないのな
コテのつけ方が分からないのか?
名前欄に「知恵遅れ」って書くだけだぞ
知恵遅れ君には無理か
「数える」と「競う」は違うって散々注意されているのにまだ分かってないのな
数え方はどうやろうがルールには無関係
何を競っているかの目的が変わるとルールが大きく変わる
小学生でも分かっていることだが知恵遅れ君には無理か
その引用部分では石を競うゲームを囲碁、地を競うゲームを日本式囲碁と区別しているから
> (石を競う)囲碁は日本発のゲームで「国際的に普及する段階」になったいうことになっている
という以外には読めないんだが小学生の国語力もない知恵遅れ君には無理か
知恵遅れ君がどう思おうが社会で使われている言葉の定義は決まっているんだが
自分の考えで世界が変わると思っている知恵遅れ君には理解不能か
バカってすごいなぁ
こんなの相手にしていたらスレが荒れるわけだわ >844
> 本来の囲碁や国際ルールは旧規約上ではどのように表現されているのか?
>
> それらは旧規約では存在自体が抹消されている
> (石を競う)囲碁は日本発のゲームで「国際的に普及する段階」になったいうことになっている
石を競うゲームと地を競うゲームがあって、旧規約で前者の存在が抹消されていて、
それなのに旧規約で前者について言及されているの? >>844
人に言う前に自分がコテつけたら?
ずうっとスレに住み着いているようだけど
見たところきみの意見は突飛すぎて賛同は皆無、四面楚歌っぽいね >>845
存在が抹消されていて石を競うゲームについて本来あるべき言及がされていないから
「(石を競う)囲碁は日本発のゲーム」ということになり、歴史の捏造になるということが書いてある
小学生くらいの国語力があれば読めるんだが知恵遅れ君が読めないのは当然か
>>846
おれがつけてどうするw
知恵遅れで議論の邪魔になっているお前がつけないと意味ないだろww
俺が自分の意見を書いていないことすら分からないのはバカの極みだな
「1+1は2なんだよ」って説明しても「きみの意見は突飛すぎて賛同は皆無」っていうんだから頭痛くなる >俺が自分の意見を書いていないことすら分からないのはバカの極みだな
へ〜、ならいったい誰が君の意見に賛同してるの?
誰がルールの問題は歴史の捏造だとか言葉の誤用だって主張しているの?一人でもいいから紹介してくれよ >>848
俺は意見を書いていないと言っているのにww
お前面白いなw
何でそんなにコテつけるのが嫌なんだ?
理由を教えてくれよ >>849
なにすっとぽげてるんだ?
おまえの意見でないなら誰の意見なのかって聞いてるんだよ、まさか日本語わからないのか? >>850
知恵遅れ君が発狂したw
誰って言われても全部お前の妄想だとしか言いようがないw
いいからコテを嫌がる理由を教えてくれよ きみ、都合が悪くなるとすぐに「俺が言ってるわけじゃなあ〜い!」って言って他人のせいにして逃げるよね(笑)
じゃあ俺も同じことをいうけど、他の人の一般意見ならば、数えるのが石だろうと地だろうと同じ「碁」だというのが常識だぞ。
欧米でもarea、あるいはterritoryという言葉で説明されている。
もちろん俺個人の意見でそんなことできるわけはないので、これは世界中の人間の共通意見だということ。
日本の碁は言葉の誤用だとか歴史の捏造だなんて言ってるアホはおまえ以外ひとりもいない
これはどう考えてもおまえの個人的な意見だ
さあいいからコテを嫌がる理由を教えてくれよ >誰って言われても全部お前の妄想だとしか言いようがないw
なんだやっぱり全部お前の妄想だったんだなw >>852
>じゃあ俺も同じことをいうけど、他の人の一般意見ならば、数えるのが石だろうと地だろうと同じ「碁」だというのが常識だぞ。
すげーなw
数え方は関係ないって何度言われても貫き通すキチガイぶりww
数え方じゃなくてルールの話だと何万回言われても分からないんだろうなw
自分が知恵遅れでちゃんと読めずに妄想を書くから注意されているだけなのに
脳内では「都合が悪いから逃げている」「論破した」って思いこんでいたんだ
バカってすごいわ
しかも何で自分がコテをつけろって言われているのか分かってないんだな >数え方は関係ないって何度言われても貫き通すキチガイぶりww
>数え方じゃなくてルールの話だと何万回言われても分からないんだろうなw
もはやなにをいっているのか訳わからんwww
数え方がルールでなくてなんだというん
小学生レベルの言葉遊びをしているのは自分のくせして
スレが荒れるだの知恵遅れ君だのとよくもまあいえたもんだな
本物のバカは格が違う >>847
旧規約
> 概 念
> 第1条
> 囲碁は、(中略) 彼我の地を計算して勝敗を決定する。
これを読んでも石を競うゲームがどこで生れたかとんと 見当がつかぬ。 >>855
知恵遅れ君には分からないよなw
知恵遅れだもんな 「数える」「競う」「目的」
どれも表現を変えているだけで文脈的には同じ意味になるってことがわからないんだろうな
日本人じゃないならしょうがない >>858
「数える」と「競う」が「同じ意味になる」になるわけないだろw
また知恵遅れ君の迷言が増えたな バカには文脈が理解できないんだな、これは失礼した
では当たり前すぎて説明するのもバカらしいことだが、
「数えて」「競う」というわけだ
まさか数えなくても競えるなどとは言うまいな 知恵遅れ君の頭の中では日本ルールも現代中国ルールも伝統ルールも全部同じなんだろうな
数え方が違うくらいにしか思ってないから囲碁関係者が頭を悩ませているルール問題が認識できない
棋院がなぜ日本ルールに拘っているのかも理解できない
分からないなら黙っていればいいのに我慢できずに妄想で書いてしまう
注意されると発狂してスレを荒らしてしまう
どうしようもないなw 初心者を卒業した程度に打っているなら、数えて競うのが石だろうが地だろうが
碁のゲーム性(目的)は領土争いだということは理解できるはずなんだがエアプのようだな。
>>629のとおり基本的に石でも地でも論理的にほぼ同値。
完全にイコールでないとはいえ、「石」と「地」は細かな違いでしかなく、競っている戦略や技術は同じ。
そうでなければ中国ルールで動いている汎用性のないアルファ碁は日本ルールでは雑魚でなきゃおかしい >>861
全部同じ「囲碁」だろ
同じだからこそローカルルールのすり合わせをする
今風に考えれば、都合の悪いことは書かない、書いてないことは都合が悪いこと
石を競うゲームについて旧規約で書いていないのは、石を競う「囲碁」というゲームが外国に既にあったから
ということになりそうなものだが >>863
修正
同じだからこそローカルルールのすり合わせをする程度で対局ができる >>861
きみが中国ルールに拘っているんだろ
大陸の碁も17路盤だったり、事前置石だったり、コミ、切賃、スーパー劫と幾度も改変されているのに、それは「歴史の捏造」とはなぜか言わない。
特に切賃は目的が石か地かという問題に本質的にかかわるのに。
詰まるところ、「目的が違う」ばかり強調するのは、
中国ルールの改変だけを正当化しつつ日本の改変だけ否定したいがための都合の良い言い分、という証左である。
目的が同じでも同じゲームとは限らないのだから、目的だけでゲームの違いが決まるとは言えない。
「目的が違えば別のゲーム」という発想はきみが勝手に考えた分類方法で、普遍的とはいえず説得力に乏しい。 >>862
「細かな違いでしかなく」ww
ルール問題に関わっている囲碁関係者が見たら発狂する表現だなw
後半部分は知恵遅れ君には珍しく正しい
偉いぞ
>>629を書いたのは俺だが
>>863
「ローカルルールのすり合わせをする」ができれば誰も苦労しない
「囲碁」ではそれができないというのがルール問題だ
日本の囲碁が大陸由来だというのは旧規約制定当時から常識であり、現在では棋院も公式に認めている >>865
また知恵遅れ君の妄想が始まったw
一つでもいいから「ゲームの目的が違うのに同じゲーム」だという例をあげてくれないか? >ルール問題に関わっている囲碁関係者が見たら発狂する表現だなw
また妄想かよ。
なら「細かな違いだ」と言って発狂する囲碁関係者とやらを紹介してくれよww
ただし単に「細かい」というだけでは主観によって大きな幅があるわけだが、
ここでの「細かい」というのは、まったく別のゲームとして扱わなければならないほど大きな違いではないって意味だな。 >>867
コミがあるなら黒はコミを出して勝つのが目的になる。コミなし盤面で勝つのとでは目的も戦略も変わるわけだが?
個人戦一回きりの勝負と、番碁(セット制)や団体戦も、最終目的は異なる。
時間によっても、早碁(直感、素早い判断力)と遅碁(深さ、最善の追求)で目的は違うともいえる。
碁はアマにとっては遊びだが、プロにとっては稼業だ。
碁は芸術だという人もいれば手談だという人もいるし、戦乱の再現だという人もいる。もともとは占星術だった。
「目的」なんてものはゲームの局所的な側面に過ぎないし、また人それぞれ捉え方も違う曖昧なものでしかない。 >>868
国際囲碁連盟ルール委員会に言ってみれば
>>869
当然、囲碁以外の競技ゲームでということなんだが知恵遅れ君は知恵遅れだったな
選手の目的ではなくゲームの目的なんだが知恵遅れ君は知恵遅れだったな
難しいこと聞いた俺が悪かったわ そもそも「目的が違えば別のゲーム」なら、切賃のない現代中国ルールも
「碁」と呼ぶのはおかしいことになるのだが、そういう都合の悪いことは全部スルーか?
そして、ルール問題を歴史の捏造だのというのが自分の意見でないのならいったい誰の意見なんだと聞いても、
「知恵遅れ」だとか言ってはぐらかすだけ
>分からないなら黙っていればいいのに我慢できずに妄想で書いてしまう
>注意されると発狂してスレを荒らしてしまう
>どうしようもないなw
ブーメランにも程があるぞ
>>813と、あと詭弁のガイドラインもググって熟読してこい 卓球は以前は21点制だったが、今は11点制で、かつセット数が増えた
よって21点先取から11点先取に目的は変わったわけだが、同じ卓球には変わりない
こんな例は無数にあるけどいちいち挙げなきゃわからないのか? >>872
分かった分かったw
そういうのは「目的は変わった」とは言わないんだが知恵遅れ君だからな
バカに触れちゃいけないっていうのがよく分かったわ >そういうのは「目的は変わった」とは言わない
それはおまえの都合の良い論理だ
それを言うんなら、碁でも競うのが石だろうと地だろうと、
論理的には領土争いだという目的なのは変わらない。 さて、こちらがしんせつに例を挙げてやってれば
「選手の目的ではなくゲームの目的」
「そういうのは目的が変わったとは言わない」
だのと、自分勝手な基準でケチを付けてあとはバカだ知恵遅れだとぎゃーぎゃー連呼するだけ(察し)である
じゃあ「ゲームの目的」というは、いったい何をもって判断するんだ?
野球の目的は?テニスの目的は?マラソンの目的は?
選手の目的ではない客観的な「ゲームの目的」とやらを説明してみろや ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています