■■囲碁のルールを語るスレ■■
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■■囲碁のルールを語るスレ■■
さまざまな囲碁のルールの比較、
現在の囲碁のルールの問題点、改善案などについて語るスレです。
>>727
信じる信じないではなく歴史的な事実であって事実を否定している人は誰もいない
ただ辞書に堂々と誤用が載っているくらい言葉の定義が混乱していてそれが囲碁ルール問題を生んでいる
だから言葉を正しく使うようにすれば囲碁ルール問題は解決するという話だ 碁が地を競うゲームとして広く認識されてきたのも歴史的事実だ
ということは、[歴史的事実こそが何事にも先立って正しい]のだとするお前自身の論理を適用するなら、
勝手に誤用だと決めつけ事実を否定し改竄を目論んでいる張本人は、お前自身というわけだな >>716「碁」というのは大陸の碁のこと
根拠もなしに適当なことをほざくな
中国語では「碁」のことを「Go」とは発音しない
しかし、世界的には「Go」が圧倒的多数だ
「Go」は明らかに日本の碁のことだ >>729>>730
棋院自体が碁の起源は中国だと言っている
碁の起源が日本だというのはネトウヨの妄想だけだろ
>>727の辞書の定義では棋院の用法は説明できないから辞書に載っているのが誤用であることは明らかだ
https://www.nihonkiin.or.jp/teach/history/ 碁の起源が日本だなんて誰も言ってないぞ。
碁の起源は中国だし、碁が石を数えるゲーム「だった」のも歴史的事実。はいそのとおり。
で、それがどうした。
国際普及に最初に取り組んだのは日本であり、今世界に普及している碁は、切り賃のなくなった日本から派生したもの。
実際、世界の各公式ルールから切り賃は絶滅しつつある。
(ちなみに王銘エンによれば、現行中国ルールすらも元の中国ルールから変わったものではなく、日本ルールを経由したものだという見解)
図にすると、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
原始囲碁→中国ルール(切賃有り)→現代ではマイナールール
↓
→日本ルール(切賃無し)→現代の世界各国(中国含む)のルール
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
よって現代における「碁」という言葉の世界的な共通認識は、
(昔は石を数えるゲームだったが、やがて)地を数える(ようになった)ゲームだ。
お前は上のほうで
>歴史を塗り替えていくなんてことをやるのは安倍政権くらいだぞw
なんてことを言っていたが、
上記歴史的事実を否定して、実態に即し正しく定義されている「碁」の言葉の意味を誤用だと言い張り、
「石を数えるゲーム以外は碁と呼ぶな」などと言って歴史を塗り替えようとしてるのは他ならぬお前自身だぞw 歴史的に碁というのは「盤上の石の数を競う」ゲームなんだな
日本式囲碁は似ているが別のゲームである
この二つを日本人が混同して世界に誤って広めてしまったために碁のルールが混乱してしまった
これが囲碁ルール問題の本質だ
だから言葉を正しく使うようにすれば解決するわけだ
ここまでは主義主張の話ではなく小学生でも分かる当たり前のことだ 一方で誤用や歴史改ざんが広まりすぎて現実的に解決が難しいのも事実ではある
メンツや政治的な問題もある
本来ルールは囲碁を楽しむ人のためにあるべきなんだが
囲碁ルール問題は深刻なんだよな バカに構うのは避けるべきだがメイエンの名誉のために一言だけ書いておく
現行の中国ルールが日本ルール由来だというのはメイエンの見解ではなく誰でも知っている常識的事実
メイエン(を始め棋士達)はルールが変更された等というバカなことは当然言っておらず
古来からの碁(純碁)のルールが変化(進化)して日本式囲碁が生まれたと言っている
純碁は当然、碁であり、日本式囲碁は新たに加わった新種であるが、ルールに優劣はないという立場だ 結局純碁というのは「相手が打てなくなったら勝ち」というゲームで「盤上の石の数を競う」のは便法
「盤上の石の数を競う」は「相手が打てなくなったら勝ち」より明快ではない >>736
言いたいことは分かるが論理的に同じことなら表現を変えても同じだ
どちらが便法だとか明快とかなく単に別の言葉で言い換えているだけ
あと何度も言われているように歴史的には「盤上の石の数を競う」という方が本来の表現だ
これは主義主張の話ではなく歴史的な事実なんだ >>737
それは終局の同意を拒み続ける奴を排除すればよかったからだ。
「相手が打てなくなったら勝ち」なら終局の同意はいらない。 >>738
純碁では終局に同意は必要ない
両者パスで決まるから負けている方がパスをすれば両者パスで負けが自動的に確定する
だから「相手が打てなくなったら勝ち」と同じだ
もちろん着手やパスを拒否するという選択肢はあってその場合は時間切れに頼るしかないが
これはどんな状況やルールでもターン製のゲームなら発生することなのでルールの問題とはいえない >>739
着手が義務ならパスした時点で負けだろ? >>740
純碁は着手権利だ
そもそも着手義務(もしくはパス代)が必要なのは日本式だけで純碁も中国式も着手義務ではない
さらに着手義務ならパス自体が存在しないので負けではなくパス自体ができない
それ以前に着手義務であっても「相手が打てなくなったら勝ち」と同じだ
一文にこれだけの間違いを詰め込めるなんて天才だなw >>741
着手義務なんだからパスの意思表示をしたら反則負けということ 囲めば取れる
相手が打てなくなったら勝ち
これ以上に簡明な話があるか?
盤上の石の数なんて副次的なものでしかない。 >>742
ルールにパスの規定がないんだからそんなルールはありえないw
パスの意思表示をしても反則でもなんでもなく無視されて時間切れになるだけ >>743
あなたの意見は十分に分かった
これ以上、相手をするとスレが荒れるのでここまでにするよ >>745
君こそが荒らし
石の数を競う理由が説明できないまま本質本質と連呼しているだけ 「碁」が誤用だとか言ってるバカは現代語使わずに古語でも話してろよ
もっとも古語もこいつの考え方じゃほぼ全て誤用だけどな
当然常用漢字も使用禁止な
百歩譲っても康煕字典体、正しくは甲骨文字ないしさらなる原初の文字
ひらがななんぞ論外だ このスレの新参だけど、「盤上の石の数を競う以外は『碁』と呼ぶのは歴史的に間違い」ってのにはついていけんなあ
マラソンは今は42.195kmだけど、オリンピックの最初のころは40kmで競っていたらしい
「40km以外はマラソンって呼ぶのは歴史的にみて誤用」って叫んでるようなものだ
碁のルールに混乱している部分があるとしても、呼び方が原因でもないだろう 「純碁でパス禁止」「相手が打てなくなったら勝ち」
てのも明らかに別ゲーだからな
こういう図を考えればすぐにわかること
┏●●○○○○
●┼●○○○○
┠●●○○○○
●┼●○○○○
┠●●○○○○
●┼●○○○○
┗●●○┷○┛
黒ハマ0
白ハマ12 >>749
まず前提として日本式囲碁の場合はゲームの目的自体が変わっている
またルールが変更されたわけではなくて大陸の囲碁も日本の囲碁もどちらも1000年くらい前から共存して現在に至っている
例えは難しいんだが陸上で言うと幅跳びと高飛びみたいなものかな
長い距離を飛んだ方が勝ちという幅跳びが大陸で数千年前からあったとして
新しく高く飛んだ方が勝ちという高飛びが日本で千年くらい前にできたとする
どっちも飛翔力を競うという意味では似ているが別のゲーム
この時に高飛びを高飛びとは言わずに幅跳びと呼んで
幅跳びというのは高く飛んだ方が勝ちというゲームであると辞書にも書いて
幅跳びは大陸に数千年前からある競技であると言って
幅跳びの統一ルールを作るべきであると主張して全然話がまとまらない
現在の囲碁はそういう状況なんだ >>750
まず純碁ではパスは禁止されていない
その局面は黒がパスをしないとできないので黒がパスをした時に白もパスをして
その時点で終局となって盤上の石が多い白の勝ちとなる
「相手が打てなくなったら勝ち」というのは昔からある言い換えではあるんだよ
「盤上の石の数なんて副次的」というのはおかしいけどね >>750
あっすまん
黒がパスしなくてもできる可能性はあるか
その場合は「相手が打てなくなったら勝ち」の言い換えは成立しないな こいつこれで囲碁初心者だからな
野球ど素人のくせに自分が監督やったら優勝できるような口ぶりのやつがたまにいるがそれと同じ
なんの役にも立たない木っ端だよこいつは >>751
いやそれは「幅」とか「高」とかの一般名詞が入っているから、呼び方が違うと混乱するのは当然だよ
「碁」は一般名詞ではないから、今の碁を「碁」と呼んでも何の混乱もないだろう >>755
問題は飛んだ「長さ」を競うか「高さ」を競うかという目的の違いであって
「幅」という文字が入ってるかは関係ない
>>751の「幅跳び」を例えば「ジャンプ競技」に変えても混乱状況は変わらない
実際に囲碁でも混乱しているわけだし 「目的の違い」が重要なのはわかってるよ
だからこそ「呼び方の違い」は副次的な要素なんだよ
今これだけ地を競うゲームを「碁」と呼んでして定着してるのに
、いまさら「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」なんていうのにはついていけないなって言ってるんだよ 混乱している実例として>>755のいう「今の碁」とは何のことなのか?
大陸に数千年前から現在まである「盤上の石の数を競う」ゲームのことか
日本に千年くらい前から現在まである「地の多少を競う」ゲームのことか
「今の碁」があるということは「昔の碁」があるということだろうが単に「碁」と言った場合にはどちらのことなのか?
もし「碁」という言葉が大陸の碁と日本の囲碁を両方含むものだとしたら両者をどう区別すればいいのか?
また「碁」を「地の多少を競う」ゲームとだけ説明するのはおかしいということにならないのか?
全ては言葉の定義から生じている混乱なんだよな >>757
>今これだけ地を競うゲームを「碁」と呼んでして定着してるのに
これが正に混乱そのものでしょw
「地を競うゲーム」というのは千年くらい前に日本でできたゲームであって
棋院の言う数千年前に大陸でできて日本に伝承されたゲームではないんだから >>758
仮にあなたのいうように言葉の定義を整理する必要があるとしても「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」ということなんでしょう? >>760
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」というのは言葉の定義を整理する方法論の一つだ
誤用を正すというのは論語にもあるくらい最も普通のやり方だからな
もちろん言葉の定義が整理できれば別の方法でもいい >>761
じゃ最初からそういう柔らかい言い方をしなよ
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」というから最初から結論ありきで、それ以外は聞く耳を持たないようなニュアンスだから反発を呼ぶんだよ >>762
柔らかい言い方をしていたら伝わらないことがあるんだ
敢えて直接的なトゲのある言い方をすることで問題点が浮き彫りになる あえて反発を呼んで問題点を浮き彫りにする手法をわざわざ取ってるならこれ以上言わない。ただしあまり気持ちのいいやり方ではないな >>764
もし気持ち悪く感じたとしたら、その感情こそが囲碁ルール問題の根源なんだな
歴史起源通りに碁を「盤上の石の数を競う」ゲームに限定したくない(むしろ「地を争う」ゲームに改竄したい)何らかの感情が働いているわけだ
この感情が論理に基づくものではないことは切り賃論争ですでに分かっているわけだが
どういう感情なのかという詳細はまだ理解しきれていない 不用意にバカに構って籠絡されてるアホもいるようだが、
そもそもの大前提として地か石かでルールの混乱などまるで生じていない
中国ですら切り賃なしを受け入れている
>問題点を浮き彫りにする手法をわざわざ取ってる
のではなく、火のないところに煙を立てているだけだ
黒板を引っ掻く音やゴキブリが気持ち悪がられるのと同じように
切り賃が気持ち悪い(かったるい)と感じるのは特に理由のない人間の自然な感情 >>765
なんか勘違いしているようなので一言言っとくが、「気持ちよくない」というのは、あんたのその手法(わざと反発を呼ぶ)のことなんだ >>750
別ゲーになるというのはおかしい
コミ碁とコミ無し碁は別ゲーと言ってるようなものだ >>767
わざと反発を呼ぶとは言っていないし注目を浴びることを目的とした所謂炎上商法的なやり方もしていない
問題点を浮き彫りにするために直接的なトゲのある言い方をしていると言っている
正論をストレートに言った時にトゲに引っかかる部分というのが問題の本質になっているんだ
今回も実際に「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」という正論をぶつけられた時に
心に引っかかる部分が囲碁ルール問題の本質になっているわけだな >>769
>言葉は語源による正しい使い方をするべき
お前本当にそんな日本語使ってんのか?
もともとの語源とは離れた意味になってる言葉や漢字なんか現代日本語には腐るほどある
お前も今のところ平気でそういう言葉を使ってる
きちがいもここまで来ると大したもんだと言いたいところだが、
有言実行ということで完全に語源に乗っ取った、意味の変化を一切許容しない日本語を披露してほしいものだな
日本語の専門家でも不可能に近いはずだが 「おいしい」は「御・美(い)し」で「好ましい」「すばらしい」などの意味だった
それが江戸時代ごろに「美味」の意味を持つようになったとされる
このバカは「おいしい」と口にするやつを不快に感じるらしい
もちろん「おいしい」に限らず、ありとあらゆる日本語を不快に感じることになる
生きてて辛くないのだろうか 769の最後の三行、この人本当にこんなに考えてるなら驚きというか浮世離れとしか言いようがない
このスレ内だけじゃなくて、日常に出会う一般の人間ときっと普通の会話できてないだろう さて、歴史起源通りに碁を「盤上の石の数を競う」ゲームに限定したくない
むしろ「地を争う」ゲームに改竄したいという感情はなんなのか?
今のところ考えられる理由の仮説
1.若い頃に習ったから周りに誤用している人が多いからという慣性によるもの
2.棋院も誤用している(囲碁規約)からという権威主義によるもの
3.囲碁を日本由来にしたいという捻じ曲がった国粋主義的な感覚によるもの
4.囲碁を高尚なものだと思わせたいという偉ぶりたい感覚によるもの >>773
え?
今現在すでに「碁」っていえば(中国ルールも含めて)地を争うゲームのことじゃん
「盤上に置ける石の数を争うゲーム」のことに限定したいのはそっちじゃん 勝手に公文書(すでに定められ定着している定義)を勝手に改竄するなよ 1.若い頃に習ったから周りに誤用している人が多いからという慣性によるもの
これは自然な感情だが純粋にこの感情による場合は正しいことを知った時点で改めようとするのが普通であるし
まして積極的に改竄しようというという動機にはならない
ただし碁打ちでも囲碁の歴史起源を知らない人は多い
2.棋院も誤用している(囲碁規約)からという権威主義によるもの
これは国語改革問題や漢字検定問題等でも問題になった権威の悪用の問題
間違ったものに権威がお墨付きを与えてしまうと間違っていても正すのが難しくなるという現代社会の大問題の一つ
3.囲碁を日本由来にしたいという捻じ曲がった国粋主義的な感覚によるもの
これは世界中にその手の人々がいるが理知的な人間であれば相手にしない
とはいえ大声でノイジーで権力を持っている場合もある
4.囲碁を高尚なものだと思わせたいという偉ぶりたい感覚によるもの
「すべからく」問題と同様の話
簡単なことをわざと難解な表現で書きたいという人々がいて結果的に誤用を生み出す
囲碁のルール自体もわざと難解にしたいという人々もいるようだ こいつはどうしようもないきちがいだが、そのうざったさに拍車をかけているのが全く対話が成立しない点にある
コンピュータースレで周りの制止を無視してめちゃくちゃな主張を繰り返し、10年以上の歴史があったスレを崩壊させたのもこいつ
自分の主張を正当化しようとして適当なリンクを引っ張ってくるが、思考にフィルターがかかりすぎて記事の内容を完全に誤読すること多数
どういう定義で話を進めているのかと指摘されると「当たり前のこと」だの言ってはぐらかす
三流宗教家にも劣る低知能ボキャ貧コミュ難がこいつ 碁という言葉の誤用とその背景心理の問題は囲碁ルール問題の根源部分なので重要だが
それとは別の問題として
日本式囲碁を碁と呼ぶ誤用はもう広まりすぎているから仕方がないとして辞書に意味を加えるとした時に
碁という言葉の使い分けをどうするかという問題がある
単に「碁」というと一つのゲームであるかのように認識されているので
ポーカー等のように多様なルールのゲームの集合体だという認識に変える必要が出てくるわけだが
具体的にどうしていくべきなのか?
少なくともルールの分類と言葉の定義の問題は必要になってくる
これは碁の普及活動の問題でもあるし言葉の使い方の問題でもある 「広がりすぎて仕方がないから」かどうかは別にして、現在「碁」といえば地を争うゲームのことに限定して用いていることを認めるところからスタートしないと話にならない
終局してから「この碁は石の数を争うゲームでしょ」と言われれば誰だってお前も怒るだろう?
それを「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁といってはならない」ところからスタートしようとすることを世間では「改鼠」という そもそも「碁(棋)」って単にボードゲーム全般を意味するだけだよね
なんで言葉の問題にしたがってるのかがわからない
ルールなんて解釈の問題であってゲームとしてやってることは一緒じゃん
アルファ碁は中国ルールだろうが日本ルールだろうが基本的に同じ手を打つし同じように強い >>780
だったら囲碁の統一ルールは純碁(切り賃あり中国ルール)ということで文句ないはずだが
現実には意味不明な文句を叫ぶ人がいて話がまとまらない
囲碁の普及を妨げる要因の一つにもなっている
コンピュータ囲碁でも問題になっている
このスレを見ても分かるように囲碁ルールの話になると発狂する人が出て議論にならなくなるんだな
これは表面的には言葉の問題なんだが言葉の裏にはドロドロした心理がある なんかこの人自分の都合のいいレスにだけレスして、都合の悪いレスにははぐらかしたり無視したり発狂扱いするんだね >>782
どれのこと?
スレ違いや明らかにバカなことを書いている荒らしに構うとスレが荒れてしまうから無視しているだけだが 例えば770で「もともとの語源とは離れた意味になってる言葉や漢字なんか現代日本語には腐るほどある」という指摘には答えていない
これは決してこれまでの話と無関係なことじゃないじゃん
それから779で「現在「碁」といえば地を争うゲームのことに限定して用いていること」を認めるかどうかはっきりしてよ >>781
俺個人としては純碁が一番美しいと思ってるけど
現実には伝統がものを言っているだけであって
表面的に言葉の問題だという意味もわからないしその裏には自分の立場と好みがあるだけでしょ >>784
まず「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」というのは一般的な正論であって
これに異議があるのなら別の板でやって欲しい
その上で他にも誤用があるから「碁」の誤用もいいじゃないかということには当然ならない
車の速度違反で捕まって他のみんなもやっていると抗弁するようなものだ
しかも碁の場合には実害まで出ているのだから他の無害な例と一緒にすることもできない
「碁」のオリジナルの意味は古代から大陸にあり日本にも伝承された「盤上の石の数を競う」ゲームのことであり
現在でもその意味で使われていることが多い
上で棋院の用例を挙げたが一般の認識としても囲碁は大陸由来のゲームであるというのがほとんどだろう
ただし本来の囲碁が「盤上の石の数を競う」ゲームだとまでは知らない人が多い
大陸の碁ではなく日本で発明された「地を争う」ゲームに限定して使うことはオリジナルの意味に反するので誤用であるが
明確に誤用である(すなわちオリジナルの定義では意味が通じなくなる)という使い方も広まっている
これが正に問題であるわけだな >>785
歴史と言葉の問題には個人の立場や好みは関係ない
おれがどう思うかは関係無しに本来の碁は「盤上の石の数を競う」ゲームなんだし日本式囲碁はそれとは別のゲームなんだ
今回の件でおれは自分の個人的な意見や主張を言っていない
表面的に言葉の問題だというのは大陸の碁と日本式囲碁を言葉として明確に区別していればルール問題は存在しないということ 「もともとの語源とは離れた意味になってる言葉や漢字」=誤用
とは限らん。広く一般に使われればそれがその言葉になる
「碁」も同様
車の制限速度ですら、実測に合わせて変えることも多い >>787
本来のゲームの目的がそうなのは良しとして日本ルールが別のゲームだというのはお前の主観的な意見だよね
例えばチャトランガでは王様を取ることが勝利条件だったけどチェスや将棋ではそれが合理化されて詰めることが勝利条件となった
どうぶつしょうぎというゲームではわかりやすく王様を取ることを勝利条件にしてるけどそれを詰めたら勝ちというルールにしたらお前の中では全く別のゲームなのか?
国際棋戦が問題なく行われている時点でほぼ同じゲームとしてみんなが認識してるし残念ながら言葉の問題にはなり得ないよ
なぜならゲームの手順も結果もほぼ変わらないから >>788
そういうのは国語板(?)でやれよ
誤用は意味が通じなくだけではなく論理や認識を歪めてしまうから問題なんだな
こういう最低限の教養もないバカを相手にするとスレが荒れるから避けているんだが >>789
日本式囲碁が「盤上の石の数を競う」ゲームではないというのは囲碁規約に明記されているくらいの常識だぞ
貴方はあまりにも囲碁について知識が無さ過ぎる
あと詰みと玉を取ることは意味としては同じなんだが、なぜ「全く別のゲーム」のゲームだと思うのか(スレ違いなので返答不要) >>791
事実と意見は区別してね
「別のゲーム」「意味としては同じ」
これらが単なるお前の主観ではないという根拠は? >>790
ん?
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」といって言葉の問題にしたのはお前じゃなかったっけ? >>786
>「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」というのは一般的な正論
学問板でこれ書いてきてみなよ
どこの文系の板でも失笑を買うだけだぜ ちなみに
>「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」というのは一般的な正論
であるのなら、「碁」を石数を競うゲームの名前にあてることこそ「誤用」だな
他の人も指摘してるが、「碁」という字はもともとは単にボードゲームを指す字に過ぎない
つまり「碁」という字を石数ゲームの意味で使うのは「球」をサッカーの意味にするのと同じで、こいつの理屈に従えば「誤用」となる
ちなみに「碁」の別名は「囲碁」だが、「囲」は「かこむ」の意味だから石数ゲームの意味では使えないなあ
結局石数ゲームの意味で使える単語は中国にも日本にも、過去にも今にも存在しないようだ
残念だなあ こいつは「本来」とか「合理的」とか、この話をするにあたって欠かせない用語の定義は「辞書の通り」とかいって逃げるくせに
辞書に載ってる「碁」の定義(地を競う)を誤用だと言って決めつける
ご都合主義にもほどがあるぜ こいつが「この魚おいしいね」って言ってる女に
「「おいしい」は「美味」という意味ではなく「すばらしい」という意味だよ、語源に則った正しい日本語を使おうね」って返答するような調子の人生おくってんのならまだ分かるが、
そうでなきゃ本当にただのご都合主義だな デマを書いている荒らしが沸いているがスレ違いの内容なので訂正できないのが苛立たしいw
どうやら>>795は包含関係が理解できていないようだな
サッカーを球技やフットボールというのは誤用でもなんでもないがラグビーをサッカーというと誤用になるということが理解できないらしい
少し正確に書くと「古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯」(の総称)を碁と呼んでいて
その一つに「盤上の石の数を競う」ゲームがある
当然その中に日本の新しいゲームである「地を争う」ゲームは含まれていない
「盤上の石の数を競う」ゲームのみを指す用語はなく、碁の他のゲーム(乱碁,弾碁,格碁等)は衰退したか、
別の新しいゲームに発展して名前を変えたので(連珠等)、今ではほぼ碁=「盤上の石の数を競う」ゲームとなっている
>>796
誤用かどうかはおれが決めることではなく歴史的な言葉の定義から決まっていることだぞ >>798
なにそれ?
辞書の碁の定義が誤用なんてお前(だけ)が言ってる、すなわちお前だけが決めてるんだよ >>798
「碁」と「日本式囲碁」が別のゲームであるとする主観なしの根拠は? >>798
言ってることが全く違う
そもそも「碁」は「棊(棋)」の異体字で源義は「テーブルゲーム」
もともと「棊」という字があり、のちに材質の違いから「碁」という異体字が生まれたが、
異体字の関係にあるからもともとは両者に厳密な使い分けは存在しない
実際現代中国語では「棋」に統一されているし、日本でも「圍棊」等の字体は散見される
「碁」という文字には「テーブルゲーム」、狭義には「石を使うテーブルゲーム」という字義しかない
それがのちにもっぱら「囲碁というゲーム」の意味に使われるようになっただけ
「碁」の源義=「盤上の石の数を競うゲーム」なんてことはあり得ない
少しは漢字の成り立ちくらい勉強しろよ >>798
あと、語源に基づいた正しい日本語を使ってもらえないかね?
たとえば「新(あたら)しい」は「改(あらた)む」から派生した語で
「新(あら)たし」と書き「もったいない、惜しい」という意味で使わなければいけない
まあ平安時代ごろには既に「あたらし」に移行したらしいが、
奈良時代に「あらたし」と読まれてたのなら当然そっちが正しくて「あたらし(あたらしい)」は間違った日本語なんだよな?
お前が言ってんのはそういうことだぜ? >>799-802のバカはスルーでいいな?
誤用の意味も分かってないし包含関係すら理解できていないし語源の説明も全てデタラメだし囲碁の知識もないし小学生レベルの常識もない
(「あたらし」が誤読であるというのは確かにそういう説が一般的だがこれは音変化であって誤用とは違うという話はスレ違い)
このバカに構っていると無駄にスレが荒れるだけだ
いい加減にコテをつけて欲しいものだが いやいや絶対スルーじゃダメだろ(笑)
情けないおじさんだな
逃げてないで>>792に答えなよ >>803
だから語源に則った正しい日本語使えってんだよな〜
スルー、すなわちthroughには「〜を通じて」「〜を経由して」等の意味しかない
「無視する」の意味は近年生まれた和製英語で語源に則った正しい日本語とは言えないな
そもそもこの用法は辞書にすら載ってないか、あるいは「俗に」などの断りが入ることが多い
こいつの基準じゃ完全に「誤用」だろう
自分で問題提起しておきながら、自分が正しい日本語を使えていないのはどうなんだい? >>798
またでた
「歴史的に決まっている」
↑これはいったいなんの呪文だ?
過去は変えられないから「歴史」なら決まっているけども、
歴史的に決まっている「物事」なんて何一つ存在しないぞ。
上の方で「切り賃がなくなった合理的理由はなんだ」って
しつこく喰らい付いてスレを荒らしていたのがお前だということは
文体やバカさ加減からして火を見るより明らかだが、
今度は立場が逆転して、皆がお前に対して
「碁が石を数えるルールでなければならない合理的理由はなんだ」
と尋ねているわけだ。
それに対してお前は、「歴史的に決まっている」などという不合理、意味不明な理由しか挙げられないでいる。
さあ早く誰もが納得できる合理的理由を説明してみろ。 あんまりいじめるのもアレだから捕捉しといてやるけど、この人が言ってんのは結局ただの極論でしかないんだよな
「信号無視は犯罪である」
「犯罪者は社会から隔離したほうが人々は幸せになる」
「ゆえに信号無視を犯した君は死刑に処されるべきである」
みたいな
「そこまでする必要があるのか」
「些細な罪で死刑にしては彼の死を悲しむ人がいる」
みたいな反論には
「それは関係ない」
という調子だから全く議論にならない
もうちょい多面的な考え方ができるようになったほうがいいよこの人は 「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」
と偉そうにのたもうたのが全部自分自身に却ってきたってことだな
これに懲りてこのスレではどや顔するなよ さて話を戻そう
本来、碁というのは「古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯」(の総称)のことであり
特にその中の「盤上の石の数を競う」ゲームのことを言う
これはよく知られた歴史的な事実と言葉の定義であり、棋院を始めほとんどの囲碁関係者の共通認識である
ちなみに中国語でボードゲームは版圖遊戲などと言い
当たり前だが(荒らしが言っているような)オセロを碁や棋などと呼ぶようなことはない
一方で日本式囲碁は「地の大小を競う」ゲームであり、「盤上の石の数を競う」ゲームとは目的が異なるゲームである
これは日本囲碁規約に明記されていることであり、(荒らし以外は)全ての囲碁関係者の共通認識である
大陸の碁においてはルールが明確かつ完全であるために「ルール問題」は存在しない
「ルール問題」は地の定義を必要とする日本式囲碁に特有なものであり、
大陸の碁と日本式囲碁の混合が現在の囲碁ルール問題を生んでいる
このことも(荒らし以外は)全ての囲碁関係者の共通認識である
以上の話はよく知られている事実の説明であって、おれの個人的な見解や主観によらない さて「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」という一般的な正論がある
言葉を誤用すると、情報伝達に失敗したり、論理がおかしくなったり、認識が誤誘導されてしまったりするからだ
これは論語にもあるくらいの正論であり(荒らし以外は)社会的に広く認められている
この正論をそのまま「碁」に当てはめてみるという思考実験を行ってみると
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」ということになるが
これを実行すれば囲碁ルール問題は解決することが分かる
つまり囲碁ルール問題は言葉の問題であるとも言えるわけだ
ところが実際には「碁」の誤用を正すことには大きな心理的な抵抗が生じる
実際にこの誤用は広まっており、これは積極的に誤用を促す何らかの感情がないと説明がつかない
この感情が囲碁ルール問題の根源にあることが分かる
以上の話はただの事実と合理的な推論であり、おれの個人的な見解や主観によらない
当たり前のことだが、おれが「誤用はやめるべきだ」と主張しているわけではない(荒らしが藁人形を叩いているが) この感情が何に由来するかというのが目下の論点の一つだ
おれの考える叩き台的な仮説は>>773>>776にまとめた通り
もう一つの論点は実際に誤用が広まっているという現実を踏まえた上で
言葉の定義をどのように整理して囲碁ルール問題を解決していくのかという点
ここについてはおれは個人的な考えを持っているがまだ書いていない 自分でも何言ってるのかわかっないっぽいよね長文の人って この人はWikipediaの「誤謬」の項目でも見とくことをおすすめする
論理的な瑕疵があまりにも多すぎる
転倒した倫理観を転倒した論理で支えていることはよくあることだが、ここまで来るとねえ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC?wprov=sfla1 >>813
もし論理的な瑕疵があるのなら具体的に指摘した方がいい
指摘できないのなら荒らしになるだけだから書くべきではないな 大陸では数千年前から石と盤を使ったゲームが存在していた
それらのゲームを碁といい
その中でも特にメジャーであった「盤上の石の数を競う」ゲームは現在でも親しまれている
一方で日本では千年ほど前から「地の多少を競う」ゲームが行われている
このゲームは碁の変化形であり、日本ローカルなゲームであったが、ここ100年くらいで世界に広まった
ここではこのゲームのことを「日本式囲碁」と呼ぶことにする
「盤上の石の数を競う」碁と「地の多少を競う」日本式囲碁はゲームの目的が違うため
ルールの根幹部分が異なっており、両者を混同するとルール問題が発生する この混同は「日本式囲碁」を「碁」や「囲碁」と呼ぶ言葉の誤用に起因する
例えば「囲碁教室」と言えば、本来は純碁を教える教室であるはずだが、「日本式囲碁」を教えている
いわゆる羊頭狗肉の状態だ
この状態を正すには、言葉の誤用をやめて「日本式囲碁教室」にするか、
「日本式囲碁」のルールを変更して「盤上の石の数を競う」ゲームに合流するしかない
以上は誰でも分かる簡単で論理的な話だ
しかし現実には大きな心理的な反発が発生する
心理的な反発の原因を議論する前に
その防衛機制から生じる反論について検討しよう 反論1
「日本式囲碁」を「碁」と言うのは昔から広く使われている用語であるし
羊頭狗肉であっても狗肉であることを皆が知っていれば問題ないのではないか
この反論は実際に「日本式囲碁」と「碁」の混同が発生している現実から目を背けている
ただの現実逃避にすぎない
また「狗肉であることを皆が知ってい」るのなら堂々と「狗肉」として売ればいいだけだ
「日本式囲碁教室」とすることに何か問題があるのか
反論2
ほとんど同じゲームなんだから「日本式囲碁」も「碁」に含めて問題ないのではないか
この反論も現実にルール問題が発生していることから目を背ける現実逃避である
ほとんど同じゲームならルールが問題になることはないのだ
また仮に「碁」の定義を広げるにしても元々の「碁」の定義に「日本式囲碁」が追加されるだけで上書きされるわけではない
「囲碁教室」は純碁に加えて日本式囲碁も教える教室という意味になる
問題は何も解決しない
反論3
ルールなんてどうでもいいのではないか
だったら囲碁規約は廃止でいいな?
細かなルールに拘り、押し付けたい人々がいるからルール問題が生じているのであって
その人たちを説得できないのなら問題は解決しない 論点1.歴史を捏造するべきか?
碁というゲームは歴史的に「盤上の石の数」を競うゲームだった
この歴史的事実を「地の多少」を競うゲームだったという風に捏造するべきかどうか
岩波の広辞苑等の一部の辞書部門や棋院の一部等は捏造するべきとの考え
一方で平凡社等の出版社や一部の棋士等は歴史を捏造せずに正しく伝えている
個人的な意見としては捏造する・しないは個人の自由だと考える
自分自身は捏造はしないし捏造する人は好きではないのだが
それは個人的な感情であって捏造したい人々に捏造を禁止する合理的な理由はない
ただし事実を誤解してしまう人が出てくるので捏造を捏造だと指摘することは大切だ
特に子供にはしっかりと教育するべきだろう 論点2.「碁」の定義に日本式囲碁を加えるべきか?
歴史の捏造をしなかった場合に、歴史的な「碁」の定義を拡大して日本式囲碁を加えるべきかどうか
慣習的な言葉の誤用を容認するかどうかという問題の一つになる
個人的には容認してもいいと考える
もちろん厳密な言葉遣いをする方が望ましいが、他人に禁止するまでの合理的な理由はない
ただし本来の碁と日本式囲碁の区別は必要なので、誤解の生じない用法は必要になる
拡大された「碁」「囲碁」の辞書的な定義は以下のようになる
一、古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯の総称
二、特にその中でも盤上の石の数を競う遊戯のこと
三、そこから派生した「地」の多少を競う遊戯(日本式ルール)の呼称にも使われることがある(厳密には誤用) 論点2’.碁のルールを統一するべきか?
論点2の言葉の誤用を容認するかどうかと同じ問題
なので個人的には統一しなくてもよいと考える
碁のルールは対局者が好きなルールを自由に選んで使えばいい
大会においてはルールが公開され参加者の承認が得られているのなら問題ない
もちろん参加者には承認せずに棄権し、その事実を公表する権利がある >>820
碁のルールにそこまで詳しくないが主張は理解できるが
一種の原理主義だよ
逆に他の宗教とかの原理主義者の事例をその原理主義者たちの立場を考えて考えてみると良い ローカルルール程度の話を「言葉の御用」とまで言ってしまうことの大げさ具合がわからないんだろうな
数え方が違うから別のゲームだと連呼するのはいいけど名称を変更すべきほどの違いだとする根拠は一切答えられない
「ほとんど同じゲームならルールが問題になることはない」←意味不明な論理 >>822
歴史を捏造したりルールを信仰したりするのは原理主義というよりはカルト宗教に近いな
日本ルール教と考えるのが分かりやすいかもな
>>823
あんたはいい加減にコテつけろよw
「数え方が違う」ではなく「目的が違う」ゲームだからルールの問題になっている 囲碁の歴史捏造問題を考える上で1949(昭和24)年に制定された旧日本棋院囲碁規約の前文をテキストにしてみたい
新規約の序文も相当にアレだが旧規約のは完全にカルト教典になっている
まずは読んでみて欲しい
http://park6.wakwak.com/~igo/igorule/kiyaku.html >>825
前文を引用しようとするとNGに引っかかり投稿することができない
囲碁板で棋院規約が荒らし認定されるという冗談にもならない話だがそれくらいの内容だ
前文の全文はリンク先を見てもらって議論は部分引用(いくらなんでも大丈夫だろう)で進めよう 比較のために日本チェス規約の序文も置いておく
こちらは当然チェスと将棋を混同したりしていないし歴史を捏造したりカルト的な内容が書かれていたりすることはない
これが当たり前だ
http://www.jca-chess.com/jcatyesukiyaku.htm
この棋約( 以下日本棋約または単に本棋約という )は世界共通のゲームとしてのチェスの基本的、かつ唯一の国際統一ルールを
「 The Laws of Chess ・ 1996改正 FIDE 」に準拠して制定されたもので、
The Laws of Chess( 以下国際棋約と言う )の前言に従い、日本国領域内に於いては、国際棋約の一部である。
従って、本棋約は公的私的を問わず、日本国領域内に於いて行われる全てのチェスゲーム活動の基本であり、チェスゲームを盤上で行うときの合意事項である。
盤上であるいは競技会場で紛争が起きたとき、この棋約に従っていないものは、なん人も正当性を持つことはできない。
本棋約の適用に於いて国際棋約との間に著しい矛盾のあるときは、
本棋約の該当する条項は、JCAルール審議会により資格を与えられたものの裁定により、一時的、かつ部分的に失効する。
本棋約と国際棋約との間に矛盾とは言えないまでも、重ならない部分があった場合、その部分については、次の場合に限り初めから本棋約の条項は適用されない。
日本国領域内に於いて行われる全ての国際公式戦およびFIDEレイティング競技会において国際棋約に定められいてないことの内、
決定がJCAの指定する主催者またはアービターの裁量権の範囲を越える場合。
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