藤沢秀行死す!
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醜行の限りを尽くした人間のクズがやっとくたばったか。
棋士の中でも本心では喜んでるのが多いだろうな。 想像以上にショックを受けてる自分に驚いた
ご冥福をお祈りします。 豪快かつ華麗な棋風で魅了し、若手育成にも尽力した囲碁棋士九段、名誉棋聖の
藤沢秀行(ふじさわ・ひでゆき、本名保〈たもつ〉)さんが8日午前7時16分、
東京都内の病院で死去した。83歳だった。
横浜市生まれ。「初もの」に強いといわれ、62年にタイトル戦初の名人位(第1期旧名人戦)に
就いたほか、48年青年棋士選手権戦、57年首相杯争奪戦、59年日本棋院第一位決定戦、
69年早碁選手権戦、76年天元戦、77年棋聖戦と新設された棋戦の第1期で次々と優勝を
飾った。5歳上の坂田栄男九段とは何度もタイトルを争うライバル関係にあった。
70年に再び名人となり、50歳を過ぎた円熟期の77〜82年に棋聖位を6連覇。
92年、67歳での王座戦防衛は、タイトル獲得の最年長記録になっている。
ほかにもプロ十傑戦、NHK杯などに優勝し、タイトル獲得数は歴代11位の23。
また「秀行塾」(しゅうこうじゅく)を主宰して、依田紀基九段、弟子の高尾紳路九段ら
若手の指導に努めた。98年に現役引退。99年にはアマチュア向けに独自免状を
発行すると発表して話題も呼んだ。97年に勲三等旭日中綬章。
酒豪で、競輪や競馬も好む無頼派でもあった。50代後半にがんを患い、その後も大病を
繰り返していた。晩年は書の個展も度々開いた。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0508/TKY200905080048.html
2chに批判を書いたこともありますが
今日は冥福をお祈りします。 釣りじゃなかったのか・・・ 間違いなく囲碁界の巨人の一人であったとおもう
ご冥福をお祈りします 私が秀行先生で最も印象に残っているトップ3は、趙さんとの
第7期棋聖戦、2度目の癌治療後に出場された第一回応手杯での奮闘と史上最高齢での王座獲得&防衛です。
いずれも私の脳裏に焼きついています。多くの感動をありがとうございました。 ●○●○●○●○●○●○
ご冥福をお祈り申し上げます
●○●○●○●○●○●○ まじか…ご冥福をお祈りします。
無頼派なところは嫌いだったけど、棋風は大好きだ。 囲碁版が過疎ってると聞いて、将棋版からやってきました。
競輪とか問題発言とかで将棋ファンにもその人柄は知れ渡っています。棋風とかはよくわかりませんが応援してました。
ご冥福をお祈りします。 誤嚥(ごえん)性肺炎
飲食物や唾液が食道ではなく気管に入ってしまったときに,口の中にあった細菌が
気管や肺に流れ込んで起きる肺炎のことです
ttp://www.kokken.go.jp/byoin/teian/ruikeibetu/teiango/teiango-ruikei-a/goen.html >>23
推測だが3年前に患った前立腺癌が全身に回ったんじゃないんだろうか? >>26
ガンか。
いまごろは天国で加藤とのんびり打ってんだろう。
ご冥福をお祈りします。 ▽現役時代、ライバルとして競い合った二十三世本因坊坂田栄寿さんの話
秀行さんは碁に実に熱心で、研究心旺盛だった。対戦成績は私の方が良かったが、
才能は私よりあったと思う。数少ない昔かたぎの棋士の一人で、秀行さんのような
棋士はもう二度と出ないでしょう。残念です。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090508-00000006-maip-soci http://sankei.jp.msn.com/culture/igo/090508/igo0905081016001-n1.htm
「背中を見て碁打ちになった」 藤沢さんの弟子、高尾紳路九段
2009.5.8 10:13
高尾紳路九段の十段就位式(当時)で祝辞を述べる師匠の藤沢秀行名誉棋聖=2008年06月17日
(撮影・小松洋) 「今朝6時ごろ、家族の人に『額に手を当ててください』といわれて、先生に触れた
のが最後の別れになりました」
弟子の高尾紳路九段は、対局の終わった昨夜から藤沢さんの入院していた病室につめていたと
いうが、病院を離れた直後に訃報が追いかけてきた。
「ぼくにとってはかけがえのない師匠です。師匠の背中を見て碁打ちになった。先生からは、
礼に始まるという碁に対する姿勢を教わりました。繊細で、神経の細やかな方でした」
藤沢さんが「伝えたいことがある」と言っていると聞いて、2週間前にも病院に呼ばれていたという。
「そのときにはもう声が出なくて、会話はできませんでした。何を伝えたかったのか分からず、
今ではそれが心残りです」
伝えたい言葉はお○んこだったんじゃないのかな? 日中囲碁交流に努めた秀行先生だからか、棋聖道場も追悼コメントで溢れてるな。 第7期棋聖戦でのおしぼりを咥えながら対局していた姿が
印象深い。 ほんとにあのおしぼりのシーンは忘れられない。
治勲との戦いというより病魔(癌)との格闘だった気がする。 マジかよ。ついにというかなんというか。
ごせーげんもまだ生きているというのに。
まだもう少しと思っていただけに残念だ。
病歴からすれば長く生きた方なんだとは思うけどさ。
合掌 「碁の神様がわかっているのが
100だとしたら、私にわかっているのは、
せいぜい5か6か、あるいはもっと下です」
by秀行 呉清源は死なないのに10歳以上下の秀行が死んだか。 呉清源では、癌を患った時点で引退しているよ。
秀行は、それを何度も克服し史上最高齢でタイトル(王座)まで取ったから
人間じゃないよ。この記録はおそらく破られまい。 67歳のときに全盛期の小林光一を相手に王座を防衛したのも
凄かったな。振りかわりの連続の末にピッタリ半目勝った
第3局は忘れられない。 一度でいいから秀行先生に講評さらてみたかった。
依田、高尾、結城、坂井、井山がうらやましい。
一囲碁ファンとしては、本人や周囲の思いは別として
やりたいようにやった悔いのない生涯だったように見えるなあ >>43
よく計算できたなあ…67歳で半目、それもピカイチ相手にやれる
のは神としか思えん 誰か、秀行先生の追悼にふさわしい名局を紹介してください。
おながいします。 ttp://wiki.optus.nu/igo/index.php?cmd=kif&cmds=display2&kid=924
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B2%A2%E7%A7%80%E8%A1%8C
・多額の借金を抱えていた時期の第2期棋聖戦では加藤正夫に1勝3敗と追い込まれ、
第5局開始前には「負けたときに首を吊るため」枝振りのよい木を探しながら対局場に向かったという。
この碁で藤沢は一手に2時間57分という記録的な大長考を払った末、加藤の白石を全滅させ気迫の勝利を収めた。 >>51
秀行先生の名局というとやっぱりそれを挙げる人が多いのかな。
加藤ファンのおいらにとってはかなり悔しい一局なんだがw NHKのニュース映像
ttp://www3.nhk.or.jp/news/t10015835461000.html
>>53
名局かどうかは分からないけど有名だよね ポカがさえなければ、どれも名局かな。
応手杯準決勝での聶衛平との一戦はいい好例です。
秀行で黒番3連星から始まって、誰も発想できない相手の天元の石につけた
手による独特の宇宙流構想は驚嘆しました。
でも最後の最後でヨセで得意のポカを打ち半目負けを喫してしまいました。
是非並べてみてください。 秀行が勝てたのは、相手の棋士が遠慮したからで >>51のように
秀行に勝ってしまって、首を吊られては後味が悪いのと
借金は知れ渡っていたから、お情けで対局の賞金をくれてやったのが大きい。 社会的規範に隷属することに人生捧げているような一般人からすれば、
無頼というのは人格的なクズだろうね。
みんなと同じことしてたら安心だもんね。
みんなと違うことするやつを馬鹿にすると胸がスカッとするもんね。
君の気持ちは良く分かるよ。 借りた金を返さない(返せない)のはドロボウと同じ行為。 しかも借金の理由が家族の病気の治療費ならともかく
バクチに使ったんだろ。 先ほど知って驚きました。
巨大な個性であったことは確かですよね。
ご冥福をお祈りします。 NHKで追悼番組やるかな。もしやるのなら呉、坂田、杉内といった
かつてのライバルたちに出てほしいな。あるいは依田、結城、高尾、
坂井といった弟子達でやるのも面白そう。 そんなことしたら収録中に呉、坂田が天に召されるかもしれん 「ねえちゃん。美人だな。(おまんこを)舐めさせろ」
インタビュー終了。
他スレより。 鑑賞の徹底が創造に通じるというこの人の意見には影響をうけた
おかげで将棋がずいぶん強くなった
藤沢秀行の才は天に召されることなく私に受け継がれた。
ご冥福お祈り申し上げます。 秀行塾
ttp://www.youtube.com/watch?v=IZV4wG-ieKw 記念に書いとくか
加藤さんが亡くなった時は悲しくて悔しくて涙があふれた
この人に関してはそこまで感じない
好き勝手やったんだから悔いはないだろう
奥さんはどう思ってるかな 悔いの無い人生だったと思うよ。
そういえばオワ先生だってもうかなり高齢だよね… これで弟子たちも、秀行塾とやらでボケ老人のたわ言の講評を
聞かなくて済むからほっとしてるだろう。 そりゃあ加藤先生はまだまだ活躍できる年齢だったからな
秀行は大往生と言っていいだろ
あんだけ病気しまくったんだから 3ねんほど自分の家に帰らなくて、道を忘れて奥さん呼び出したって話、あったなあ。 >>86
新築後1回しか行っていない家なんだから当然といえば当然。 >>85
>そりゃあ加藤先生はまだまだ活躍できる年齢だったからな
最後の対局も結城の大石を殺して勝ってたしね。
加藤先生なら秀行先生のタイトル最高齢記録を抜けると
思ってたんだけどな。
秀行先生は大往生だろうには同意。 >>89
>そりゃあ加藤先生はまだまだ活躍できる年齢だったからな
それもあるけど、加藤先生は人柄が素晴らしかった。
すごく心のやさしい人でね。
若くして脚光を浴び、トップに登りつめても、尊大ぶったところが
全然なかった。 藤沢が゙薫鉉を育てたり
秀行合宿を遠征させたりしたせいで
韓中の碁のレベルが上がり
現在の日本の苦境を招いたw
国賊が死んで気が晴れたわw ご冥福をお祈りします
なんだかんだ言っても日本の囲碁の歴史ががまた一つオワだな
さみしい限り 秀行塾の落第生だった俺が来ましたよ
大阪テレビミニ碁でガマ親分の
アシスタントだったお多福の
ビデオで碁を勉強したよ
免状は貰えなかった
(>_<。) 加藤さんの時は信じられなかったけど、秀行さんは大往生みたいな感じだ・・・
あれだけ好きに生きたんだから十分だろ、みたいなね ニコニコニュースで知った。終に逝かれてしまいましか…。
ご冥福をお祈りします。 平成8年、富士通杯のvs曹大元がナゼか思い出される。
かく乱して逃げ切りの坂田戦法。
坂田とやり合った日々の記憶が、緻密な坂田戦術を使わせたという感じ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています