本因坊秀哉(田村保寿)を語る
>>282ちょっと笑ってしまったw
ネットは数日に一回見るぐらいだからたまにいじると結構集中して書き込みとかするのよ
これから武術ブログいじるとこw >>281
>2ちゃんで薀蓄語ってる間にちょっとでも勉強繰り返してたら
>今頃お前も林さんぐらいにはなれたかもしらんのにそうやって
>他人の論評だけで人生の時間削っていくのな・・・
うむ。仰る通りだね。小生は林さんが裏山歯科。
囲碁ワールドを古本で何冊か買った事があるんだけど、
『ザル碁の世界』という連載エッセイは面白かった。
吉田知子さんという人が書いているそうだけど、吉田さんは
侮れないよ。
>>282,283
むむむ。呉清源先生光臨か???
でも、呉清源先生は30周以上やっていそうだし…。
>>267
うむ。気持ちはわかるよ。そうか、小生は
ラビット関根みたいになっているんだね…。 >>284
私には「ザル碁の世界」はつまらなかった。 実際問題として秀栄と秀哉とどっちが強いの
お互いの全盛期での比較でお願い 名人秀哉「秀栄先生には今でも先相先には打たれるでしょう」
俺も秀栄持ち。もっとも秀哉でも現代に現れたらチャンホらと互角の勝負するだろうけどな。
結局トップ同士では髪の毛一本の差でそれが上のほうでは大きいともいえる
呉清源先生は日本に来てから半目だか1目くらいしか
強くなっていないとご自分で語った。要するに、来日
したばかりの呉清源先生と最強時代の呉清源先生との
棋力の差は半目だか1目くらいしかないんだよ。
その呉清源先生の先番を秀哉名人は負かしている。
秀哉の全集には明治の碁と大正の碁と昭和の碁が
収められている。コミ無しで時間無制限か持ち時間が
40時間とかでじっくり打たれた碁。各人の持ち時間が
3時間で打たれた碁よりも勉強になるはず。 関根金次郎と仲がよかったんだよね。一緒に旅行したり。
碁界では怖い人と思われてるけど、そういう人間的な部分も面白そうなんだな。
>>294
興味深い人物だよ。最近の人だから、資料も
たくさん残っている。
秀哉が書いた本も古本で買えるしね。 雁金スレはないのか。鬼六の小説の単行本化はどうなってるのだ。
秀哉は高部と中国行ったりもしてるよね。
あけおめ。
>>296-297 ほほぅ。そんなのがあるんだね。 秀栄の高潔さも惹かれるけど、秀哉の人間臭さも嫌いじゃないなあ
性は秀哉の古本を1冊買ったんだけど、
二十一世本因坊印と秀哉印が押されて
いて、マンモスラッキー。
どちらも拳骨くらいの大きさなんだよ。
坂田一代を100円で古本で買ったときも、
坂田先生のサイン本をゲットしたんだよね。
呉清源先生は飛び付き三段。
保寿は飛び付き四段だ。
秀哉を軽んじる人たちは、秀元や算英や亀三郎や
小林や健造や平次郎や岩佐をアマ扱いしている。
>田村保寿
『やすひさ』はおそらく戸籍名であろうと言われている。
高橋俊光八段(秀哉名人の義弟)が『昔、秀哉の事を
やっちゃんと呼ぶ人がいた』と語っているが、はっきりした事は
わからないんだよ。
『たむら ほうじゅ』と読むのが普通だよ。 一般に「やすひさ」と呼ばれてたらしいよ。
「たむら」と呼んでいた年長者も多かったらしいし。
「ほうじゅ」は後に一般化しただけだろう。 秀哉名人の実力はアマトップクラスだったライター安永一著「安永一 打碁と評論」に詳しかった。
安永一は二子では秀哉に勝った事はあるが先ではほぼ負けていたようだ。
また秀栄は時間を殆ど使わなかったのに対して秀哉は中盤から一手に8時間も長考して読み切ろうとしていた事をあげて
秀栄とは違うタイプの超人だと書いている。
安永先生は、坊門の元プロでしょう?
増淵先生は坂田少年を安永先生に預けて
行儀見習いさせている。坂田少年がぶん殴られた
話は有名。 安永が秀哉に先で勝てるはずがない。
二子でだってまぐれで勝てたのだろう。
名人に定先ならプロの七段でそ?
保寿は秀栄名人に定先だった。 プロの先生に安永一の棋譜見てもらったら序盤中盤はプロ高段並だと言ってた。
ただヨセと詰碁が下手だと。尤も安永一が学んだ本因坊系は一目勝ちを狙う方円社系とは違って
中押しを狙う棋風だったからそうなったとも書いていた。
ほほぅ。
性は、なんとなく、秀策は五目勝ちで秀栄は二目勝ちみたいな
印象があるな。
おめでとう。性も全巻持っているんだよ。大斜定石の上巻も持っているぜ。
名人指導碁を持っている人、情報きぼん。アマ相手の指導碁の棋譜が
大量に収録されているのかな???
このスレを覗いた人に情報をあげよう。
日本の古本屋で本因坊秀哉全集を検索して味噌。今、お買い得の
タマがたくさんあるよ。性が持っている秀哉全集は普及版です。
6巻セットで1万円以下の普及版を買う事を勧めます。5000円から
9000円の価格帯で8セットも売りに出てるじゃん。昭和56年と
書かれているのは普及版ですよ。
ttps://www.kosho.or.jp/top.do
名人指導碁は知らないが、名人指南碁は持ってる。和綴じの本で、六・七子局、四子局、
二・三子局、互先局の四冊。各巻大体二十局掲載。四子局までは秀哉による指導碁。
二子、三子は弟子とアマ。互先は初段位のの弟子同士の対局。二年ぐらい前に一通り
並べたんだが、評や注が多すぎず少なすぎずで良かった覚えがある。 >>321 情報ありがとう。超一流が少年の頃にたくさん置いた碁とか超一流が
たくさん置かせた碁の棋譜って貴重だよね。昔は三段差で一子置くから、
名人が新初段と打っても三子局にしかならない。秀行が亡くなったときに、囲碁・
オセロ板で、秀行(保少年)が秀哉に五子置かせてもらって中押し勝ちした入門碁が
紹介されていたなぁ。秀哉が坊門に入門した少年少女と打った入門碁は整理して拡散
しないといけないね。坂田少年だって打ってもらった筈だ。呉清源先生が秀哉に
打ってもらった入門碁は有名だけどね。
>>322 秀哉イズムには反するけれど、最近は打ち込んで小さく二目で生きる碁にも
興味があるんですよ。小さく生きるから性なんです。
秀策の碁がフンドシを外すと、そこには
秀哉の碁があるんだよね。逆もしかり。
大仙知の碁について秀哉は何か
コメントを残していないだろうか?
あったら知りたいにょ。
新布石は大仙知の碁風そのものと
福井先生は言っているけど、ならば
大仙知以降の棋士は新布石の洗礼を
うけているという事になるのですが…。
秀哉はカネにうるさくて秀栄に嫌われたと言われているけど、
秀哉は棋士の待遇や地位の向上みたいな事を早い段階から
考えていたフシがあるよね。秀哉は子供の頃は方円社に
住み込んでいたわけで、秀哉には方円社系の考えが染みこんで
いたと思われる。
本因坊名跡争奪タイトル戦の構想は、実は方円社が
早い段階から持っていたのではないだろうか?秀甫や
秀甫関係者の悲願だったのではなかろうか?保寿も
疑うことなくそのような考えを正しいものと刷り込まれて
いたのではないか?
林家を潰した秀栄だもの、秀哉に坊家を継がせたら
潰されると思ったんじゃないかな。実際、その通りに
なったし。 まじで言うと、木谷さんは、秀哉が嫌いだったんだよなあ。
自分の打碁を、坊門で検討したりして、品位がないことおびただしい。
だって、木谷さんは、ただ自分一人で、持ち時間をいつも無くしながら
苦吟しているのに、秀哉は、さっさと切り上げて、ほかの門弟と
検討している。
秀哉は、木谷さんにとって、軽蔑すべき存在だったんだよ。
だから、3回本因坊に挑戦したけど、あと一つというところで、
取れなかったんだよなあ。あんなやつの、跡継ぎか… と思ったんじゃ
ないのかなあ。 歴代本因坊はみんなそういうことやってるので
秀哉についてだけそういうこというのはどうなのかな >>332
木谷さんは秀哉以後の歴代本因坊を馬鹿にしていたってことですね
>>332
川端康成の名人では、碁の品位については秀哉の方が
真面目に考えているじゃん。木谷先生の手を品位を
汚したと怒っているし。 落日の譜 雁金準一物語を読んだ。
大嫌いだった秀哉がさらに嫌いになった。 >落日の譜 雁金準一物語を読んだ。
ほほぅ。読んでみたいね。
雁金先生は方円社を裏切った。
秀栄に一本釣りされたじゃん。 >>332
木谷先生は本因坊になりたくてなりたくて
仕方なかったと思うんだ。 >>338
雁金先生は巖崎にないがしろにされ、方円社を去った。 秀哉はあらゆる手段を使って雁金を陥れた。
表舞台に立たせないように狡獪な手段を使った。
秀哉はとてつもなく性悪な奴だ。 >>336
亀だけどそれは後で秀哉自身が撤回してるよ 呉清源先生は、秀哉名人ほど碁に真摯な人は
なかなかいないみたいな発言をしたことがあるよ。 秀哉は竹朝と評の評事件で喧嘩したけど、後に
仲直りしている。川端の『名人』でも、竹朝は
秀哉の家に遊びに来ている。
竹朝は秀哉の兄弟子だけど、秀哉名人は自分の
弟子に直れみたいな事を言ったのかもしれない。
はじめから兄弟子を立てていたら評の評事件は
なかったと思われ。
評の評事件は、もしかしたら、竹朝が食えるようにという
計らいからのプロレスの疑いもあるけどね。 巖崎は俊哲算知の愛弟子だね。まだ子供の頃の
算英をポカリとやっている熱血漢だ。
健造の目から見て、雁金先生には何か足りない物が
あったのではないか? 秀哉と竹朝は表面的な和解だけだよ。
死ぬ寸前まで痰をげえげえ吐きながら「秀哉が」と呼び捨てにしてたらしい。
巖崎は雁金先生を中川先生から引き取って弟子にしようとしたが雁金先生が断った。
それを恨んで雁金先生をないがしろにして方円社に居づらくした。
ところが雁金先生が方円社を去ると自分の沽券に関わるからと呼び戻そうとしたり、
ヤクザのような輩を雇って嫌がらせをしたらしい。 竹朝の大斜定石の本で秀哉の創案した手を
褒めていたような。
兄弟子なんだから、陰で秀哉を呼び捨てに
したって問題ないでそ?
将棋の大野先生は、升田も大山も呼び捨てだったよ。 健造には怪しい所もあるんだよね。算英をポカリ事件も
思惑あってのことだったのかもしれないなぁ。安井門なのに
大金貯めて秀策に打ってもらったりとかさー。俊哲算知が
旅先で殺された時のお供も健造なんだよね。
健造はたしか孤児だよ。でも、なくなった時には
かなりの財産を残していたと何かで読んだよ。
健造は孤児という点でもカネにシビアという点でも
秀哉に似ているよね。 雁金先生が方円社を追い出されたと雁金陣営が主張している件は、
実際には雁金先生が秀栄に一本釣りされて方円社をでていく段取りが
整いつつある時期に健造につらくあたられただけじゃないかな?
健造は方円社の二代目社長だもの。怒って当然。
方円社の頼みの綱の雁金先生が落ち目の方円社を見捨てただけかも。 健造の家は苦しくて寺に預けられたが、特に孤児でもないみたい。
維新の際に大久保公に取り入って官吏になったので、多少の財産は作ったでしょう。
雁金は伊藤公の書生なんで、つらくあたるとかいったことはしなかったと思う。ただ秀栄に近づいたので(それも伊藤公の力)、方円社にいずらくはなったかも。
というよりその当時秀栄が最強者なのは違いないので、できればみんなそうしたかったでしょう。 健造の家は苦しくて寺に預けられたが、特に孤児でもないみたい。
維新の際に大久保公に取り入って官吏になったので、多少の財産は作ったでしょう。
雁金は伊藤公の書生なんで、つらくあたるとかいったことはしなかったと思う。ただ秀栄に近づいたので(それも伊藤公の力)、方円社にいずらくはなったかも。
というよりその当時秀栄が最強者なのは違いないので、できればみんなそうしたかったでしょう。 秀哉が関根金次郎みたいに神格化されないところが、結局色々尾を引いてるよね。 人間的にがめつくてケチでセコイので有名だったからしょうがないね 野球のメジャーのタイ・カッブだって性格的には糞野郎みたいだけど球聖って言われてるぜ。 秀哉は名人、つまり権力の頂点に立っちゃったから、人格的なことを求められるのはしょうがないかも。
もっとも秀哉が贅沢な暮らしをしていたとかいう話は聞かないのだが。 世界の主流も美しく勝つ碁から泥臭く勝つ碁へ
今こそ秀哉の碁が再評価される時だ
盤外のことは無視しよう まあたしかに
でもみんな性格がいい秀策大好きだからな
秀策は若く死んだからよりいっそう美化される 今でも秀哉門下直系の棋士がかなりの割合を占めるから義理でヨイショしているヒトが沢山いるのにもかかわらず、
トータルでここまで人気が無い秀哉はほんと笑える 名人になってからも勝負碁を打って、しかもコミ無し白番で頑張って勝ちに行くというのは、秀哉からじゃまいか。
時代がそうさせたのかもしれないが、ある種のエポックメーキングな人な気もする。 名人になってからあからさまに対局を避けたのは丈和だけじゃね?
そもそも高手はいっぱいいたのに名人になれたのが少ない
察元-丈和-秀栄(名人になって一年で死亡)-秀哉 雁金先生の棋風ですが、呉清源先生の本に戦車みたいに力を出す
力戦の棋風と書いてあったような。性の記憶はあてになりませんが。 秀哉が名人になったのは大正四年。
石井章さんは江戸明治の名人は凄いと本に書いているけど、
大正昭和の名人の秀哉を遠回しにけなしているのか!?
石井章さんは秀哉についてコメントすべき。
ところで、性は100歳になりました。(`・ω・´)エヘン 「四十年勤め上げた會社を退職し〜」のコピペを思い出した >>368
うん。名無しが長かったですし不在の時も多いんですが、
性は昔からいましたよ。 >>365
そういうことは、当人の選択というより以前に
本因坊家に対する江戸幕府とか、秀策における因島の殿様など
後見人やスポンサーの意向次第でどうするか決まるという面があるのよね。
秀哉や呉清源の頃はそれが替わって大倉喜八郎とか読売(正力松太郎)の意向や都合次第なわけ >>371 をを。強い方の?石田でした。
>>372 元美のバックは水戸黄門でしたか?丈和と秀哉だけが
名人になっても勝負碁を打ったと聞いたことがあります。 >>372
なるほどそういうバックの事情もあるんだね
本人が対局やりたくなくてもできないわけか 雁金先生の力碁はもの凄い粘着の碁らしいですね。
昔に秀芳が『遺恨試合』という本を出したような気がするけど、
その本に秀哉と雁金先生の碁が載っていたような。 雁金は互角や格上との棋譜があまりないから判断材料が少ないね
秀哉戦は確かにその通りの碁 >>377 呉清源先生の回想録に十番碁で雁金先生の
超粘着の碁にヘトヘトになったみたいな事が
書いてありました。 呉清源先生の打碁集を借りて眺めているんだけど、
雁金先生の強さに驚いたよ!
打ち込み十番碁の時点で既に碁界の最長老なのに
呉清源先生に白番で圧勝した局がある!
さらに、その後、準名人戦でも呉清源先生相手に
白番で持碁にしてるし!
打ち込み十番碁は雁金先生の名誉と健康をおもんばかって
中止されたとされているけど、最終局まで打ったら逆に
雁金先生が打ち込み返したかも!!!
秀哉や雁金先生の打ち盛りの頃はどれだけ強かったんだ!!!!!!