本因坊秀哉(田村保寿)を語る
巣鴨の秀哉の墓の敷地内にある土屋(家)ってだれのこと?
本因坊の菩提寺は、三世の道悦までは没後京都の寂光寺。
(小生の記憶によれば、誰かが彼らのお墓を江戸に移した
ような…。)
四世道策から二十一世秀哉までは巣鴨の本妙寺が
菩提寺である。ただし、実は、明治42年までは、歴代の
本因坊のお墓は本郷丸山の感応院(本妙寺の分院)に
あったのです。
明治42年に、区画整理に伴い、彼らのお墓は巣鴨の
本妙寺に移されているんだよ。で、秀栄(土屋平次郎)が
亡くなったのは明治40年である。秀哉は、明治41年に
第二十一世本因坊になっている。彼らのお墓を巣鴨の
本妙寺移したのは秀哉と思われる。彼らのお墓は
標準サイズ?少し小ぶり?
秀哉のお墓を建てたのは秀哉じゃないと思うよ。
新聞社なのか大倉財閥なのか弟子達なのか
わからないけど、秀哉以外の人が秀哉のお墓を
大きなお墓にしたんじゃないの? >>258
>小生は、秀哉は秀栄にわざと負けていたと思うね。
秀栄にわざと負けるほどの者が、雁金に負けそうになり持碁を持ちかけるか?
そういえばさ、戦争の頃には必要以上に大きな
お墓を建てる風潮があったんじゃないかな?
戦死者のお墓でマジかよと言いたくなるような
大きなお墓があるよね。 >>258
プロの間での「先」は大差
チョウチクンはどんだけタイトルとっても道策、秀栄、ゴセイゲンより自分の評価が低いから彼らを叩き、貶めることで自己満足を得てる。
林道義がチョウチクンの幼児性について語ってたが彼の異常なまでの道策、秀栄、ゴセイゲンコンプレックスを見ると納得できる
>>265
呉清源 - 坂田栄男 - 趙治勲
治勲は歴史に残る棋士だよ。 >>266
つまらんオタク議論繰り返すより棋譜並べでも何でもしてちょっとでも強くなること考えろよ
武道板にもたまにいるけど自分の技術磨かずに誰が強いだの弱いだのの議論繰り返すしかしないオタクが一番嫌いなんだよ。
秀哉が好きなら好きでいいから全集でも何でも並べてちょっとはこっちの書き込み控えろ
趙治勲がどれだけ呉清源を評価してるかも知らないうえに、
他人の評価を鵜呑みにして適当なこと書いてる人が、
「自分の技術磨かずに」云々とかw あほ
>他人の評価を鵜呑みにして適当なこと書いてる人が、
俺がいつ他人の評価鵜呑みにした書き込みした?
俺はチョウチクンがゴセイゲンの悪口言ってることしか知らんが、仮にチョウチクンがゴセイゲンを評価してるとして
>趙治勲がどれだけ呉清源を評価してるかも知らないうえに、
こんな誰が誰をどの程度評価しているとかいう知識溜め込むよりは一局でも多く棋譜並べ、詰め碁するわ。
最も最近はまた武術に戻って腕立て、四股の生活の繰り返しだがな
お前も「ある棋士がある棋士をどう評価した」とかつまらん薀蓄話よりもっと有意義なことに時間使えよ >>265 >>268
趙治勲の呉清源評としては「地と模様を超えるもの」という本が
面白かったな。うろ覚えだが、
「十番碁で他を圧していた頃の呉先生の碁を調べると、呉先生の
無理手が通ってしまっていることがままある。実は呉先生は世間
で思われている程強い棋士ではないのかもしれない」
みたいなことが書いてあった。 チクンは性格的に自分が一番じゃないと気が済まないのかもね
確かに碁の強さは相当のものだが、道策・秀策・呉清源・チャンホらのように
革命的な偉業を達成したわけではないから一段評価が落ちるのだろう
せいぜい韓国に囲碁ブームをもたらしたくらいか >>265
>林道義がチョウチクンの幼児性について語ってたが
これ興味あるな
どこで読めるの? 趙治勲が呉清源を並べまくった話は有名じゃないのかな。
だから>>270のような評もでてくるし、公に言えもするわけで。
うちの親父も影響されて、全集を買ってたぞw
解説会で趙治勲がでてくると、それだけで客席が熱くなる。
みんなニコニコする。
こんなに愛されている棋士が他にいるだろうかと思う。
特定の世代にとってのこととは思うが、
趙治勲あってこその部分が日本の囲碁界にはあると思う。 >>267
お言葉ですが、このスレに投稿する人は数名しかいないとオモワレ…。
スレが落ちちゃうじゃん。
小生は趣味でネットワークの勉強をしていて、棋譜並べをする時間が
ないのです。
チェスのチェックメイト問題は毎日2問ほど解いています。簡単な詰碁も
週に1問くらいは解かなきゃいけないと思っております。
治勲は若い頃に平凡社の呉清源全集をぼろぼろになるまで
並べているよ。確か初タイトルをとった頃には、呉清源全集を
並べるのが4回目だったとか何かに書いてあったよ。確か、
講談社の現代花形棋士の趙治勲の巻だと思う。
林道義ってアマチュアじゃん。アマ六段の大学の先生でしょう?
この人、能書きはなかなかだけど、プロの心理を分析とかは
おこがましいな。
能書きだって、相場さんとか林裕さんの方が上だと思うよ。
てゆーか、上じゃん。 >>276
心理学が専門の学者だからおこがましいということはないと思うけど
>>277
新書版のエッセイみたいな本の中で棋士の心理分析しているから、
読んで味噌。こじつけとかエセ科学だと小生は思ったね。 戦いの効率争いである、と明確に表現するとかっこ悪くなり
「地と模様を超えるもの」、と適当で曖昧な表現なら
意味不明であっても、かっこがいい。
かっこいい表現でないと、なかなか流布しない。
プロの心理とアマの心理と別にあるわけではない。
例外を多く知っている人ほど、恐怖心と用心が大きくなるだけ。
また、人間なんてたかが知れていて
道を意識して追及すると、誰でも同じ道を歩くことになる。
つまり、強欲で単純な生き物でしかない。 >>276
5級の実力もないお前ごときがぐだぐだぬかすなよ。
「小生」は完全に古碁関連スレの老害。
2ちゃんで薀蓄語ってる間にちょっとでも勉強繰り返してたら今頃お前も林さんぐらいにはなれたかもしらんのにそうやって他人の論評だけで人生の時間削っていくのな・・・ 秀栄と秀策を三周も並べた強者が小生さんに無駄に喧嘩を売るなんて・・・ >>282ちょっと笑ってしまったw
ネットは数日に一回見るぐらいだからたまにいじると結構集中して書き込みとかするのよ
これから武術ブログいじるとこw >>281
>2ちゃんで薀蓄語ってる間にちょっとでも勉強繰り返してたら
>今頃お前も林さんぐらいにはなれたかもしらんのにそうやって
>他人の論評だけで人生の時間削っていくのな・・・
うむ。仰る通りだね。小生は林さんが裏山歯科。
囲碁ワールドを古本で何冊か買った事があるんだけど、
『ザル碁の世界』という連載エッセイは面白かった。
吉田知子さんという人が書いているそうだけど、吉田さんは
侮れないよ。
>>282,283
むむむ。呉清源先生光臨か???
でも、呉清源先生は30周以上やっていそうだし…。
>>267
うむ。気持ちはわかるよ。そうか、小生は
ラビット関根みたいになっているんだね…。 >>284
私には「ザル碁の世界」はつまらなかった。 実際問題として秀栄と秀哉とどっちが強いの
お互いの全盛期での比較でお願い 名人秀哉「秀栄先生には今でも先相先には打たれるでしょう」
俺も秀栄持ち。もっとも秀哉でも現代に現れたらチャンホらと互角の勝負するだろうけどな。
結局トップ同士では髪の毛一本の差でそれが上のほうでは大きいともいえる
呉清源先生は日本に来てから半目だか1目くらいしか
強くなっていないとご自分で語った。要するに、来日
したばかりの呉清源先生と最強時代の呉清源先生との
棋力の差は半目だか1目くらいしかないんだよ。
その呉清源先生の先番を秀哉名人は負かしている。
秀哉の全集には明治の碁と大正の碁と昭和の碁が
収められている。コミ無しで時間無制限か持ち時間が
40時間とかでじっくり打たれた碁。各人の持ち時間が
3時間で打たれた碁よりも勉強になるはず。 関根金次郎と仲がよかったんだよね。一緒に旅行したり。
碁界では怖い人と思われてるけど、そういう人間的な部分も面白そうなんだな。
>>294
興味深い人物だよ。最近の人だから、資料も
たくさん残っている。
秀哉が書いた本も古本で買えるしね。 雁金スレはないのか。鬼六の小説の単行本化はどうなってるのだ。
秀哉は高部と中国行ったりもしてるよね。
あけおめ。
>>296-297 ほほぅ。そんなのがあるんだね。 秀栄の高潔さも惹かれるけど、秀哉の人間臭さも嫌いじゃないなあ
性は秀哉の古本を1冊買ったんだけど、
二十一世本因坊印と秀哉印が押されて
いて、マンモスラッキー。
どちらも拳骨くらいの大きさなんだよ。
坂田一代を100円で古本で買ったときも、
坂田先生のサイン本をゲットしたんだよね。
呉清源先生は飛び付き三段。
保寿は飛び付き四段だ。
秀哉を軽んじる人たちは、秀元や算英や亀三郎や
小林や健造や平次郎や岩佐をアマ扱いしている。
>田村保寿
『やすひさ』はおそらく戸籍名であろうと言われている。
高橋俊光八段(秀哉名人の義弟)が『昔、秀哉の事を
やっちゃんと呼ぶ人がいた』と語っているが、はっきりした事は
わからないんだよ。
『たむら ほうじゅ』と読むのが普通だよ。 一般に「やすひさ」と呼ばれてたらしいよ。
「たむら」と呼んでいた年長者も多かったらしいし。
「ほうじゅ」は後に一般化しただけだろう。 秀哉名人の実力はアマトップクラスだったライター安永一著「安永一 打碁と評論」に詳しかった。
安永一は二子では秀哉に勝った事はあるが先ではほぼ負けていたようだ。
また秀栄は時間を殆ど使わなかったのに対して秀哉は中盤から一手に8時間も長考して読み切ろうとしていた事をあげて
秀栄とは違うタイプの超人だと書いている。
安永先生は、坊門の元プロでしょう?
増淵先生は坂田少年を安永先生に預けて
行儀見習いさせている。坂田少年がぶん殴られた
話は有名。 安永が秀哉に先で勝てるはずがない。
二子でだってまぐれで勝てたのだろう。
名人に定先ならプロの七段でそ?
保寿は秀栄名人に定先だった。 プロの先生に安永一の棋譜見てもらったら序盤中盤はプロ高段並だと言ってた。
ただヨセと詰碁が下手だと。尤も安永一が学んだ本因坊系は一目勝ちを狙う方円社系とは違って
中押しを狙う棋風だったからそうなったとも書いていた。
ほほぅ。
性は、なんとなく、秀策は五目勝ちで秀栄は二目勝ちみたいな
印象があるな。
おめでとう。性も全巻持っているんだよ。大斜定石の上巻も持っているぜ。
名人指導碁を持っている人、情報きぼん。アマ相手の指導碁の棋譜が
大量に収録されているのかな???
このスレを覗いた人に情報をあげよう。
日本の古本屋で本因坊秀哉全集を検索して味噌。今、お買い得の
タマがたくさんあるよ。性が持っている秀哉全集は普及版です。
6巻セットで1万円以下の普及版を買う事を勧めます。5000円から
9000円の価格帯で8セットも売りに出てるじゃん。昭和56年と
書かれているのは普及版ですよ。
ttps://www.kosho.or.jp/top.do
名人指導碁は知らないが、名人指南碁は持ってる。和綴じの本で、六・七子局、四子局、
二・三子局、互先局の四冊。各巻大体二十局掲載。四子局までは秀哉による指導碁。
二子、三子は弟子とアマ。互先は初段位のの弟子同士の対局。二年ぐらい前に一通り
並べたんだが、評や注が多すぎず少なすぎずで良かった覚えがある。 >>321 情報ありがとう。超一流が少年の頃にたくさん置いた碁とか超一流が
たくさん置かせた碁の棋譜って貴重だよね。昔は三段差で一子置くから、
名人が新初段と打っても三子局にしかならない。秀行が亡くなったときに、囲碁・
オセロ板で、秀行(保少年)が秀哉に五子置かせてもらって中押し勝ちした入門碁が
紹介されていたなぁ。秀哉が坊門に入門した少年少女と打った入門碁は整理して拡散
しないといけないね。坂田少年だって打ってもらった筈だ。呉清源先生が秀哉に
打ってもらった入門碁は有名だけどね。
>>322 秀哉イズムには反するけれど、最近は打ち込んで小さく二目で生きる碁にも
興味があるんですよ。小さく生きるから性なんです。
秀策の碁がフンドシを外すと、そこには
秀哉の碁があるんだよね。逆もしかり。
大仙知の碁について秀哉は何か
コメントを残していないだろうか?
あったら知りたいにょ。
新布石は大仙知の碁風そのものと
福井先生は言っているけど、ならば
大仙知以降の棋士は新布石の洗礼を
うけているという事になるのですが…。
秀哉はカネにうるさくて秀栄に嫌われたと言われているけど、
秀哉は棋士の待遇や地位の向上みたいな事を早い段階から
考えていたフシがあるよね。秀哉は子供の頃は方円社に
住み込んでいたわけで、秀哉には方円社系の考えが染みこんで
いたと思われる。
本因坊名跡争奪タイトル戦の構想は、実は方円社が
早い段階から持っていたのではないだろうか?秀甫や
秀甫関係者の悲願だったのではなかろうか?保寿も
疑うことなくそのような考えを正しいものと刷り込まれて
いたのではないか?
林家を潰した秀栄だもの、秀哉に坊家を継がせたら
潰されると思ったんじゃないかな。実際、その通りに
なったし。 まじで言うと、木谷さんは、秀哉が嫌いだったんだよなあ。
自分の打碁を、坊門で検討したりして、品位がないことおびただしい。
だって、木谷さんは、ただ自分一人で、持ち時間をいつも無くしながら
苦吟しているのに、秀哉は、さっさと切り上げて、ほかの門弟と
検討している。
秀哉は、木谷さんにとって、軽蔑すべき存在だったんだよ。
だから、3回本因坊に挑戦したけど、あと一つというところで、
取れなかったんだよなあ。あんなやつの、跡継ぎか… と思ったんじゃ
ないのかなあ。 歴代本因坊はみんなそういうことやってるので
秀哉についてだけそういうこというのはどうなのかな >>332
木谷さんは秀哉以後の歴代本因坊を馬鹿にしていたってことですね
>>332
川端康成の名人では、碁の品位については秀哉の方が
真面目に考えているじゃん。木谷先生の手を品位を
汚したと怒っているし。 落日の譜 雁金準一物語を読んだ。
大嫌いだった秀哉がさらに嫌いになった。 >落日の譜 雁金準一物語を読んだ。
ほほぅ。読んでみたいね。
雁金先生は方円社を裏切った。
秀栄に一本釣りされたじゃん。 >>332
木谷先生は本因坊になりたくてなりたくて
仕方なかったと思うんだ。 >>338
雁金先生は巖崎にないがしろにされ、方円社を去った。 秀哉はあらゆる手段を使って雁金を陥れた。
表舞台に立たせないように狡獪な手段を使った。
秀哉はとてつもなく性悪な奴だ。 >>336
亀だけどそれは後で秀哉自身が撤回してるよ 呉清源先生は、秀哉名人ほど碁に真摯な人は
なかなかいないみたいな発言をしたことがあるよ。 秀哉は竹朝と評の評事件で喧嘩したけど、後に
仲直りしている。川端の『名人』でも、竹朝は
秀哉の家に遊びに来ている。
竹朝は秀哉の兄弟子だけど、秀哉名人は自分の
弟子に直れみたいな事を言ったのかもしれない。
はじめから兄弟子を立てていたら評の評事件は
なかったと思われ。
評の評事件は、もしかしたら、竹朝が食えるようにという
計らいからのプロレスの疑いもあるけどね。 巖崎は俊哲算知の愛弟子だね。まだ子供の頃の
算英をポカリとやっている熱血漢だ。
健造の目から見て、雁金先生には何か足りない物が
あったのではないか? 秀哉と竹朝は表面的な和解だけだよ。
死ぬ寸前まで痰をげえげえ吐きながら「秀哉が」と呼び捨てにしてたらしい。
巖崎は雁金先生を中川先生から引き取って弟子にしようとしたが雁金先生が断った。
それを恨んで雁金先生をないがしろにして方円社に居づらくした。
ところが雁金先生が方円社を去ると自分の沽券に関わるからと呼び戻そうとしたり、
ヤクザのような輩を雇って嫌がらせをしたらしい。 竹朝の大斜定石の本で秀哉の創案した手を
褒めていたような。
兄弟子なんだから、陰で秀哉を呼び捨てに
したって問題ないでそ?
将棋の大野先生は、升田も大山も呼び捨てだったよ。 健造には怪しい所もあるんだよね。算英をポカリ事件も
思惑あってのことだったのかもしれないなぁ。安井門なのに
大金貯めて秀策に打ってもらったりとかさー。俊哲算知が
旅先で殺された時のお供も健造なんだよね。
健造はたしか孤児だよ。でも、なくなった時には
かなりの財産を残していたと何かで読んだよ。
健造は孤児という点でもカネにシビアという点でも
秀哉に似ているよね。 雁金先生が方円社を追い出されたと雁金陣営が主張している件は、
実際には雁金先生が秀栄に一本釣りされて方円社をでていく段取りが
整いつつある時期に健造につらくあたられただけじゃないかな?
健造は方円社の二代目社長だもの。怒って当然。
方円社の頼みの綱の雁金先生が落ち目の方円社を見捨てただけかも。 健造の家は苦しくて寺に預けられたが、特に孤児でもないみたい。
維新の際に大久保公に取り入って官吏になったので、多少の財産は作ったでしょう。
雁金は伊藤公の書生なんで、つらくあたるとかいったことはしなかったと思う。ただ秀栄に近づいたので(それも伊藤公の力)、方円社にいずらくはなったかも。
というよりその当時秀栄が最強者なのは違いないので、できればみんなそうしたかったでしょう。 健造の家は苦しくて寺に預けられたが、特に孤児でもないみたい。
維新の際に大久保公に取り入って官吏になったので、多少の財産は作ったでしょう。
雁金は伊藤公の書生なんで、つらくあたるとかいったことはしなかったと思う。ただ秀栄に近づいたので(それも伊藤公の力)、方円社にいずらくはなったかも。
というよりその当時秀栄が最強者なのは違いないので、できればみんなそうしたかったでしょう。 秀哉が関根金次郎みたいに神格化されないところが、結局色々尾を引いてるよね。 人間的にがめつくてケチでセコイので有名だったからしょうがないね 野球のメジャーのタイ・カッブだって性格的には糞野郎みたいだけど球聖って言われてるぜ。 秀哉は名人、つまり権力の頂点に立っちゃったから、人格的なことを求められるのはしょうがないかも。
もっとも秀哉が贅沢な暮らしをしていたとかいう話は聞かないのだが。