【現代棋士】囲碁最強者談義 part2 【歴代本因坊】
本当に強い棋士は現代に存在するものなのか?
それとも過去を越えられていないのか?
前スレ:現代棋士?【囲碁最強者談義】歴代本因坊?
http://game14.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1061978462/ 同じ時代の棋士でも直接対局がないと分からないのに
仮定をくりかえしてどちらが勝つかの判断は不可能だな。
例え実力差があったとしても。 200Kmは投げられないかもしれないが、
170Kmなら投げられるかもしれないじゃないかw >>377
コミ無しで互い先の十番碁をやったら
呉清源のほうが強いと思うな
いまの棋士よりも柔軟なうち方が出来そうな気がする 秀策はなんでヒカルの碁では誰もが史上最強って言う
みたいに描かれてるの? 秀策は実際に史上最強候補のひとりだから。
呉清源も李昌鎬も修行時代は秀策の棋譜を並べて研究したらしいし。 そういえば、
コミ無し白番最強
コミ無し黒番最強
コミ碁最強
っていう話題があったのって前スレだったかな 1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
こういう区切りで最強決めてみたら? >>342
江戸時代の代表する棋士を羅列して
層が厚いと主張する人がいるけど
歳けっこう離れてね?
+-十年くらいで打ち盛の状態で戦える棋士を考えてみると
現代に比べ、圧倒的に層薄そう。 たしかにそうだね
全盛期を同じくする数人によるライバル物語というのが続いてるぐらいが
層が厚いという状況でしょうね うん、トップの棋士はたしかに強いけど今より層が厚いということはないね。
秀甫とか秀栄の碁見ると明治あたりはさらに層が薄い印象。 で、大正はさらに薄かったんだろうな。明治の西洋崇拝の影響で。
平成は後世から何と言われるんだろうね。 今は戦国時代
コイツ最強!とか思っても5年くらいで失速する
秀和のように20年以上碁界のトップに君臨するなんてもうないだろう 昔の手合い割り制度がトップでも常に工夫を求められるという意味で、
強い名人を輩出していたんじゃなかろうか。
それはあるかもね
黒番でも白番でもあるいは二子でもこなせるというのがすごいよね
いまはそんなひといないもんね 昔の名人がそれなりに強いのは、碁の強さに限界が近いからだな。
>>394
セドルなら今の日本の棋士に二子で勝てる 趙治勲が第一期の大三冠の頃?、雑誌の企画で
山城宏、小林覚、王立誠と打ち込み碁を打って
向定先で3勝2敗、向2子で2敗だった。
山城はリーグ入りしてたはず。
小林光一は日中名人戦で「手合いは定先でいいよ」って言ったはず。 >>394
そのとおりだね
それぞれで打ち方が変わるのを使い分けるというのは
かなり難易度の高いことですよね
>>397
向定先って向先のことだよね?
定先も向先のことだよね?
今もあるのか知らないけど、
週刊碁の新初段シリーズってのも打ち込みだったかな 言うまでもなく秀策
井山が中韓棋士を撃破して世界戦で優勝を重ねるようになって
初めて比較の対象になる >>397 光一かっこいー さすが日本のp棋聖名人
中国だの韓国だのには千か西で迎え撃ってこそ日本の名人たりうる。
ふさわしくかっこいい。
女子高生に負けてきたり一回戦で負けるような名人はいらない。 >小林光一は日中名人戦で「手合いは定先でいいよ」って言ったはず。
今は逆にそう言われそうorz
光一は富士通杯の観戦記で「中国の検討陣から『強すぎる』との声が上がった」
ってのが印象に残ってるな >347 無茶な手じゃないよ
プロ相手に無茶な手ばっかりで こんなに勝てるわけないじゃん
読みの深さが半端じゃないんだよ
セドルさんの読みの深さは凄いと思いますよ 無茶でたらめそれは人間の力でギリギリ最善を打てない手
そういうのを打てる人が神に近い力を持ってるといわれる セドルは勘が優れてるんだと思う。
メイエンによると、10代のころは1局打つのに持ち時間20分くらいしかつかってなかったらし。
それに打った碁並べ返せなかったっていうし。
読んでたらそんなことにはならないでしょ。
今はどうかわかんないけど。 そういう話を聞くたびに思う。
どうにかしてトッププロたちの脳内イメージを見てみたいと。
プロってだけで神レベルなのはわかってはいるが。
俺なんか考えてるのか考えてないのかわからんようなもんなのに、
あいつらは一体何を見ているんだろうな。 見えないものを見ている。
猫が虚空を見つめるように。 その時代の最強者と二番手の手合いがどれくらいになったら圧倒的に力の差があると判断してるの?
呉清源の打ち込んでいたころは明らかに力の差があると判定しているんですよね
圧倒的って言ったら先、先二以下だと思うけど、そこまで差があった時代は
時代全体のレベルも問われるからなあ。 だけど、競技人口の点では今も昔も大差ないと思うんだよね
2000年代と呉清源時代とで競技人口って違うのかな
もしも競技人口が100万人ならば、だけど
100万人のトップという点では同じような気がする 呉が十番碁とかしていた時代の競技人口は1000万人と聞いたことがある。
当時の娯楽が少なかったのと、新聞のあおりで。
あと全員先に打ち込んでもそれはもう飛びぬけているといっていい。
トップと二番手が先二以上の差というのは通常ありえん。
九段の手合い割り自体が通常ありえんものだからな。
黒番でまず負けることがありえない七、八段を打ち込むんだからな。
中盤以降がいまも未知の世界なら、個人の力量が絶対となる。
従って、道策が最後の棋士の名に値する棋士といえよう。
幕末の元丈・知得から秀策くらいまでは
2番手以下を先に打ち込んだことはなかったと思う
ところがそれ以降例えば秀栄とかは圧倒的な実力差を示した
これはどういうことなんだろうか?
レベルが下がった? >>416
もしも呉清源時代の囲碁の競技人口が1000万人ならば
そのトップたる呉清源の気力のレベルというものは
現代のせいぜい数百万人の競技人口の現代のトップの棋士(今だと張栩)
よりも高いレベルにいたということになるはず
さらにその当時のその他の棋士を向先ぐらいには打ち込んでいたのだから余計に
呉清源という隔絶された存在の棋力は高かったということになるはずだよね
時々出てくる呉清源の時代は層が薄いという指摘は間違っているどころか逆だったということになるよね
碁制限は無理手を打つのがうまかった。
それを強いといってしまえばそれまで。 碁介助のした手打ちの名人とかわランのではないか
打ち込めば強いが 互いにするとなぜか負けるという >>420-421
そういう意味の話をしているわけではありませんが、
その話の中でいう無理集と言うのがそもそも何かと考えると
現代の棋士と呉清源の違いというのはあるのかないのかわからないのではないでしょうか
>>422
海外まで含めてもいいのですが、話の単純化のために日本国内だけにして考えています。
そういう理由で現代のトップの棋士を張栩とあえてカッコ書きしました
>419
囲碁だけでもないがトップレベルについていえば、競技人口はあまりあてにならんだろ。
人間の能力の限界についていえば名人クラスで差は余りでないだろうからな。
陸上競技とかと同じで。
あと今と昔の比較は持ち時間ありと無制限、コミのありなしと
微妙な差異があるからこれまた一概に言えない。
当時の呉清源が強かったと思うが、だからと言ってチョーウが弱いとはいえない。
世界戦における今の日本勢が一段下なのは認める。
あと時代によってトップとトップ下の層の厚い薄いは競技人口関係なく起こりえる。
呉清源の時代はよくしらんが、世代の波による。時間軸によって変わる。
秀栄の場合は時代のせいもあって、秀和秀策の時代に比べると周りの面子が劣るといえる。
秀栄に対して唯一先を守った二番手の田村が五、六段なのだから当然で、
周りの芸との対比で秀栄が一段落ちる名人に見えるかもしれない。
実際八段の秀甫と先での十番碁がうちわけに終わり、
坊位を譲ったあとに七段に進められた経緯もあってなおさらそうみえるのだが、
しかし秀栄は晩成型と言われる珍しい棋士で、晩年強くなった。(らしい)
江戸時代の高手に比べて白番での星打ちをよく用いたところを見ると、
布石において一歩すすんだ感覚を先んじて身に着けていたのが、
名人に推された強さの秘密だったのかもしれない。 >>424
呉清源も中国からきたから張栩と同じようなもんだと思う
>>425
たしかに競技人口が最強棋士の棋力を決めうるというのは間違いかもしれません
ある程度の創刊はあるでしょうが
競技人口が多いからと言って必ずしもその当時の最強棋士のほうが強いとは言い切れませんね
となると、最強棋士の棋力はより何によって決まってくるといえるんでしょうか
>>425
名人推挙のいかんと言うのはその人の棋力(極論すれば勝負強さ)だけではなく、
むしろその棋士の棋風の先進性や芸術性によってなされていたということでしょうか
囲碁が勝負事であるか芸術であるかという点では、
囲碁をどういうものととらえているかその見方に左右されていたんでしょうね >>427
それはあるかもね。
対局で勝つということと同時にその棋士の棋譜、芸術性ってのもあっただろうし
その他の人望やらこねなんかもあったと思う
だけどそれは全て勝負に勝った上での話だよ
その当時の第一人者でありながら名人になれないってのはあるけど、
第一人者で無いのに名人になれるってことはないから
本因坊を継ぐとか継がないとか言うのとはまた別の話だよね すごい高級なスレだな
将棋でこういうのやったら、荒れてどうしようもなくなるんだけど
ゲームによって人間性も影響受けるんだろうか もちろんあるだろうし、逆もあるだろう
人間性が棋風に及ぼすものは大きいはず
秀栄は清貧であることを潔しとする性格だったそうだけど
それが囲碁に影響を与えたのだろうか
将棋でやると云々は向こうの人数が多いからだと思うけど・・・
棋風はどうなんだろうなぁ
武宮なんて人間が碁に現れているようでもあるけれど、
普段は温厚なのに盤の上では正反対って人もいるし 卑近な例で申し訳ないが、俺の碁はあっちこっち欲張って打って
薄くするのが欠点だ。やきもち焼きとも言うかな。で、それは俺の
性格をよく表していると思う。
社会的に認知されている性格と棋風が合致するとは限らないと思うが、
各棋士の人間性を形成する上で重要な部分がにじみ出ているように俺は思う。 趙治勲も来日してすぐの子供の頃は模様の碁をやったりもしたが、木谷門の
先輩方にフルボッコにされて涙目になり、それがトラウマで棋風が変わった
なんて話もきいたな 一方武宮は模様で諸先輩方を振る簿っ子にして自信をつけたようだな 自信付けすぎて斜め上方向に突っ走り、十分な成果が上げられなかったのかもな。 あの打ち方で成績も一流だったから武宮は偉大なんだよ 武宮はルールのせいで成績が今ひとつ伸びなかったとも言えるな。切り賃ありなら大名人だ。 >>437
大模様は張るんだけど、意外と中央に馬鹿でかい地ができることは少ない気がする >>438
むしろ石がつながるところが特徴なんだよ。切り賃ありなら平均して2目くらいは
得してるはず。 メイエンが切り賃ありなら武宮さんが最強になってしまうとか書いてたなw まぁハゲは囲碁の教科書が出たら必ず載るとプロからいわれるようなやつだからな。
蒸し返してすまんが、競技人口の差は大きいと思う。
今の日本の競技人口は240万とかいう話だから50人に一人が碁を打つ計算だが、
子供に限ればそんなにいないだろ。
クラスに一人どころか学年に一人くらいじゃないのか。
これで才能が見つかるとは思えないし、いても才能を磨く機会がない。
もし囲碁人口が今の5倍だったら、タイトル争いをするクラスも今の5倍、
30人か40人くらい出てくることになる。その層の厚さで切磋琢磨するなら、
一人くらいセドルやチャンホと渡り合える奴が出てくると思うんだが。 もちろんそういう意味では競技人口は高い方がいいには決まっている。
もっとも競技人口が高いときに碁を始めて切磋琢磨する機会が高まり、
結果何年もあとにトッププロの棋力が向上するとするなら、
競技人口が最も高い時とトップの棋力は必ずしも一致しないことになる。
タイムラグが必ず生じる。それが何年かは知らない。
今はネット碁もできるし棋譜や詰め碁も昔に比べれば格段に手に入りやすくなって、
アマが碁を打つ環境はより良くなっていて、
その点では碁を覚えた子供が弟子入りとかがなくても強くなる機会はできたとは思う。
が、プロレベルでは昔と比べて囲碁環境にそこまで差があるとは思えない。
ネットでの棋譜の流通で布石や定石の新手の研究が国レベルになってきて
対応時間の速さや流行形といったもの研究の度合いが増したとは思えるが、
研究会のようなものも今も昔もあるし、それに参加するしないは個人の情熱や環境による。
結果各々の努力や才能といった部分に帰結しやすい。
時代環境や競技人口というものは意図的にコントロールできる類のものではないしね。
って書いてて思ったが、棋力向上も若手育成についても日本の囲碁界はまだ努力不足なんだろうな。 木谷一門が強すぎたのかもな。
木谷が弟子を育成してなかったら、90年代までずーっと林海峰独走だろ。
その時代に国際戦があったら、日本代表は片岡、山城、淡路あたり。
秀行が酔っぱらってない時しか勝てなかったかもしれない。
てことで木谷一門が孫弟子を育ててほしかったが、出てきてるのは
臨だけだもんなあ……。 木谷┬大竹
├石田
├武宮 →陽光?
├加藤 →梅沢
├小林(光) →河野
├趙 →金秀俊
└小林(覚)
こんな感じであってるかな
弟子の強豪揃いに比べると孫弟子はあんまり取れてないな・・・ 呉清源系の張栩と木谷系の臨が日本のトップで認め合うライバルというのがいいね 名プレイヤーが名教育者とはならないとは良く聞くが、
ただ囲碁についてもそうなのかな。
弟子をとっても教えるでもなく環境を与えるだけで、
自力で勉強しないやつはプロになれないからとも聞くけど、
石井邦夫みたいにたくさん打つ師匠が他にもいないもんなのかな。 名プレイヤーが名教育者とはならない
逆もまた然り、石井はまさに・・・というと失礼かw 今の四天王+河野臨の師匠は皆有名棋士だ。
才能のある子供が有名な人の弟子になるだけかもしれないが。
井山とかは例外かもしれないけど、石井九段も結構強いよね。
呉清源みたいに師匠が全くいなくてプロ高段のレベルまで達したのもいるけど。
(本人談では日本に来てコミにして2目しか強くなってないとか) 石井邦生もチャンホに勝ってるからな。
まぐれだけで勝てる相手じゃない。
まあ井山については、本人の才能の方が大きいとは思うが。 >>451
井山は師匠と1000局以上(うろ覚えだがとにかくたくさん)打ってもらったと言ってる。
石井邦夫に小さい頃から何度も打ってもらい、検討してもらってたんだろう。
才能もさることながら、やっぱり強い相手とたくさん打つことが一番
チクン、光一と石井邦夫の力の差なんて微々たるもの
(もちろん、プロとしての勝負となればその差は大きいわけだけど)
2世棋士が多いってのも、やっぱそこらへんが関係してそうだし 山下は師匠強くないだろ
坂田も完全に独学で強くなったらしい 張栩が林海峰に打ってもらったのかより芳美に筆下ろししてもらったかの方が気になりまつ いや仮に独力で強くなったとしても、その学習法が人に合う合わないはあるからなんともいえんだろ。
ただ自分より強い棋士からの指導を受けやすい環境にあるのは、普通マイナスには働かないからな。
兄弟や二世が多いのは環境がいいからとは良く聞く。 義務教育受けずに碁に集中出来る点が大きい。
井山もプロ入りする前は、中韓とかなり差があったんじゃね?
そうか、依田は学生時代の授業中でも碁ばっかりやってたから
世界でも戦えるんだ 坂田を評価する声が多いが、納得できない。
30代で呉清源に定先に打ち込まれているし、後半は林海峰に完膚なきまでに
やられた。
それに、碁に新しく次元を画するようなものを打ち出した訳でもない。
道策、秀策、呉清源とは明らかに差がある。 >>459
全盛期が短いのがマイナスポイントだね
全盛期の強さは歴代の高手に劣らないと思うけど コミありの碁で年間戦績28勝2敗というのは一つの伝説だろ。 30勝2敗じゃなかったっけ
その2敗はどっちも藤沢朋斎なんだよな
そういや治勲は藤沢朋斎を評価してたなぁ 秀行と半田道玄じゃなかったっけ。
名人戦4−1と十段戦の挑決だから。 あれ、そうなのかごめん
俺の記憶もいい加減だ・・・ >>464
半田道玄に勝ってれば全冠制覇できたかもしれなかったのに タイトル獲得64で第二位の坂田に納得できないなら
上は71のチクンだけ。下は評価外になるな
一、三次元の碁盤は知らないな
今でも布石・定石の三三関係は坂田とその時代が基本テキストだし タイトル戦といったって、昔はそんなものはなかったし、できた後も、今みたいに数も
多くなかった。 タイトルの数では判断できない。
坂田が呉に、シクンがチャンホに劣るのは明らか。 もとよりタイトルの数で
坂田>呉
チャンホ>チクン
なんだから
2行目と3行目のつながりが意味を成してないよ このサイトはなんなのか
ttp://arerere.blog62.fc2.com/blog-category-15.html 武宮の負けた棋譜を全部破棄したら
史上最強の大棋士になるだろう