【現代棋士】囲碁最強者談義 part2 【歴代本因坊】
本当に強い棋士は現代に存在するものなのか?
それとも過去を越えられていないのか?
前スレ:現代棋士?【囲碁最強者談義】歴代本因坊?
http://game14.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1061978462/ え?(´・ω・`)"
(´-ω-^)・・・
たぶん違うな・・・
>>275の人
ID変わったから分からない 中・終盤の力は幕末期に比べて落ちているという人も多い。
国際戦とかをみても日本の棋士は中・終盤で逆転されることが多いから
(最近は序盤から圧倒されることも増えたけど)
現代の日本棋士はそこらに欠点があるといってもいいと思う。
逆に現在の中韓のトップクラスは幕末の名人クラスにも劣らないのかもしれない。 幕末は日本囲碁界の最盛期。
そこから囲碁ファンは減少の一途をたどり今に至る。 ファンの数はもちろんわからないけれど、
幕末の最盛期の頃有段者は全国で400人以上いたことがわかっている。
(囲碁番付とかそういう資料から)
当時はプロもアマも同段位だから
人口は4分の1で、プロレベルは今と同じくらいいたことになる。 石田章の本によると、江戸の碁は対局者がお互いに終盤は間違えない
という前提で打ってるところが凄いらすい。終盤でしょっちゅう逆転の現代の
碁は碁の範疇に入らないじゃないの。 >終盤でしょっちゅう逆転の現代の
>碁は碁の範疇に入らないじゃないの。
現代は秒読みがあるからなあ
秒読みがなければ間違えないかどうかは知らないが
おさらいも兼ねて
・昔の碁は時間無制限だった。
・意図的に不出来の碁は後世に残されてない可能性がある。
・ヨセの間違いなどは修正されている可能性がある。 人それぞれだとは思うが、実際昔の人はどのくらいの時間かけて打ってたのだろう。
>>288
幕末の最盛期の時は:
お城碁は何日もかけた。
重要対局では何日もかけた例もある。
普通の対局は昼頃初めて夜ぐらいに終わる。今と大して変わらない。
早いのでは秀和と林伯栄が1日4局打った例がある。
秀栄が死んだ頃からどんどんどんどん長くなった。
(たとえば坂田栄尾が入段した頃までは入段手合いも時間無制限だった)
>>287 あとの二つはあり得ないだろ。 「耳赤」、打ち掛け二回。
「吐血」、打ち掛け三回。
秀策―仙太夫20番碁、一日一局で連日。
秀栄、打切論者。
秀哉引退碁、持ち時間各24時間、打ち掛け13回。
但し、封じ手は無く打ち掛けは上手の権利。
古碁の一例
まだ名人を諦めない頃の幻庵。約三日間の対局
六目相当の持ち込みで、秀和の六目勝ち
持ち込みがなければ持碁一の形成か、持ち込みがなくとも一目負けという研究も?
現代は何勝すれば昇段といった規定が目に見えてあるわけだし
負ける最善手よりかは
読み切れなくとも紛らわしい勝負手打って、勝ちを求めるよね
人、状況、時代の側面もかなりあると思うけどなぁ>>284 形勢不利な方の勝負手は今の議論に関係ないのでは?
凡ミスの応酬が現代の碁には多いという話で。 >>283を見たところ
少なくとも日本は
幕末の方がレベルが高そうだ 今はプロの制度が変わっているけど
当時と同じように手合い割などから有段者を作っていったら、
県代表クラスもプロになる気がするから一概にいえん気もする。
今のトッププロを七段格とおいても、
三子で打ち分ければ初段だからな。
アマトップクラスで何人プラスされるかは知らんけど。
幕末は囲碁ブームの真っ只中だったから、競技人口はかなりあっただろうな。
ピークは呉清源あたりだったんだろうとは思うが。 ソースは週刊碁の記事なんだけど、有段者は元丈の時代から秀和の時代にかけて
何倍にもなっているらしい。
これは当然江戸時代後期の商品経済の発展が
囲碁界にも好影響を与えていたことを示しているだろう。
具体的には裕福な商人が囲碁界のパトロンになったり、
一般人が囲碁道場に月謝を払って通ったりしたんだろう。
囲碁界の経済システムは明治維新とともに完全に崩壊する。
超多作だった秀和や、当主の秀悦の棋譜がほとんど伝わらなくなるほどに。
水谷縫次などの俊英も碁で食っていけなくなり裏社会に沈んでいったりもした。
トップ層の厚さからみて囲碁界が当時の繁栄をとりもどしたのは
高度経済成長以後の木谷一門全盛期だと思ってる。(ほとんど循環論法になってるけど)
呉清源の時代は戦争の影響もありまだまだだったんじゃないだろうか。 少なくとも1強時代は
全体のレベルが高いとは言えないな >>290
秀哉引退碁は持ち時間40時間。
院社対抗戦の秀哉ー雁金準一戦は持ち時間16時間で6日間に渡って戦われた。
雁金の時間切れ負け。
雁金は呉清源の十番碁での白番の名局でも終盤時間が無くなって崩れてる。 >>285
大平修三は、
「持ち時間が無制限だったとしても、今の棋士はここまで完璧なヨセが打てると思えない。」
っていってる。
一流クラスの人が言ってることだから、真実に近いんじゃないかあ。 日本のアマチュアも古典マニアは暗記してる人多いよね。
海外のアマチュアにもそういう人はいるのかな。
そういう人の意見も知りたいな。
やはり海外でも古典ファンは幕末最強というひとがいるんだろうか。 海外WikipediaとかでHoninbo Shusakuとか見てると面白い 秀策とかチャンホのタイプが勝率が高くて時代を画するのはわかるけど
セドルみたいな理解不能な碁が世界最強というのはありえるのか。
いうなれば宮沢吾朗が三大タイトルを取ったみたいなものだろう? チャンホもの碁も理解不能なんじゃないのかな。
治勲は負けても負けたような気がしないと不思議がっていた。
勝率が高いのは、時代のレベルが低かったのが大きいので関係ないと思う。 秀策を物凄く評価しているトッププロって石田さん以外
にいる?? 人口比率で考えると秀作はそんなにたいした事無いよ。
江戸時代の日本の人口1000万人そのトップだからね
現代の日中韓合せて約10億人だからね。
現代でトップに成る事は江戸時代の100倍難しい。 >>305
李昌鎬とかがめちゃくちゃ評価してるね。
゙薫鉉が昌鎬を褒めるときに、全盛期の石田を引き合いに出したとか
この板のどっかで見たし、碁が似てるんだろうな。 秀策派 石田章、石田芳夫、李昌鎬
道策派 武宮、小林、依田
李昌鎬は、お世辞抜きに秀策の事、凄いと思ってるのかな?
道策派の3人は本気で道策の事凄いと思ってそうだけど
日本の記者に質問されたとしたらリップサービスだろうな。 チャンホは秀策並べたらしいから尊敬はしてるだろう。最強と思っているかは別として・・。道策派には師匠のほうが入る。 チャンホは、並べる棋譜がなくなるくらい色々な棋譜並べてるから
いろんな人を尊敬しまくってるよ。 >>297
その時代にチェスクロックがあったとは思えないのだが >>174
悪手を打つと明らかに落胆したような気配を出すから
ここで策元最強説を掲げてみる
まあ、やっぱこれはねえな 全体の人口比で考えると昔の方が弱いよ置
現在の中国、韓国、日本の人口を合せて8億だよ、江戸時代の日本人口は2000万人だよ
セドルやいーちゃんほの方が秀作より強い事は確かだね。。 >>315
チェスクロックはもっと昔からあるよ。
もちろんそれらの対局では使ってないだろうけど。 >>318
底辺が広がったからといって
頂点が高くなったとは
限らない >>318
圧倒的な差ですね。
他にも情報の量、スピード共に桁違いで育成機関に大きな差があるし
ルールも変わって持ち時間まである。
昔の棋士の勝てる要素はないですね。 今みたいに衣食住の不安が限りなく小さい人生と、
いつなんどき死ぬやら分からない人生だった
昔の棋士(実際、多くの棋士が夭逝した)とでは
意気込みがちがいすぎる。
いつ未知の病気や飢餓で死ぬか分からんから
少しでも強くなろう、良い棋譜を残そうと
目の前の対局に必死になるし、
今みたいに社会保障や生活保護が整備されてないから、
碁で食っていける身分を保持すべく
おのずと勉強に力が入る。 他に娯楽もない。
競馬、競輪、ゲーム、テレビ、漫画などに無駄な時間を費やさないわけだ。
秀策は息抜きに碁盤を4面つなげて碁を打ったりしてる。
それで息抜きになるのかと思っちゃうけど。 たとえば数学者は200年前に比べて下手をすると1万倍ぐらいいるわけだが、
ガウスに計算力で勝る人間はほとんどいない。
もしかしたら一人もいないかもしれない。
素数定理を予想したのが15歳の時か(遠い目) 音楽だってバッハ、モーツァルト、ベートーベンで尽きてしまった。 情報や伝達速度、競技人口だけでは推し量れない部分がある。
理由は家元制度などの当時の囲碁環境。
わかりやすくいうと、タイトルホルダーが同じ屋根の下に暮らして、
毎日そいつらと囲碁三昧。下手にも置き碁を打って教えている。
今のトッププロがどんな鍛錬をしているがわからんが、
昔の高手はそんな環境にいた。今と比べて弱いわけがない。
今は個人で管理されていて、努力も個人次第という放置ぶり。
日本と中韓の差はそこらへんにもあるだろうと思う。
大手合いはある意味良かったんだけどな。
棋院はネットで大手合いができるようにすればいいのに。
対局料無しでもプロなら嬉々として打つだろ。検討はしづらいだろうけど。 とは言っても規模が小さいだろうな。
中、韓が急激につよくなった理由はいろいろあるけど
その中でもネットの普及が大きい。
アマが打った新手でもネット経由で棋士が対案をだし
それが正しいかどうか検証される。
そして、一週間くらいで結論が出される。 持ち時間制に生きる棋士に時間さえ与えれば
歴代本因坊に負けない完璧なヨセを打つ。 >>330
江戸時代は確かに持ち時間なんて概念は無かったけど、1日で打ち切るのが基本だった。
何日もかけるのは、御城碁とか、争碁みたいな特殊な場合 将棋の羽生世代も最初にパソコンを使って研究をはじめた世代だから。
現代機器の活用は大きなアドバンテージになってると思う。
>>318
現在のその三国の囲碁人口とプロ人数
江戸時代の囲碁人口とプロ人数
くらい知ってから発言すれば
お前は面白いと思ってるかもしれないけどこっちは百回聞いてるネタなんだよ
>羽生世代も最初にパソコンを使って研究をはじめた世代
完全に間違った情報 趙チクンも秀策、秀甫などは非常に素晴らしいと言ってるね
逆に道策のことはあんま評価してないみたいだが 趙治勲傑作選で秀策のことを「ああいうひたひたと盛り上がってくる碁は
どうも、、」とあんまり好みでないように書いていたぞ。秀和とかの軽い碁
のほうが好みのようだぞ。
>>337は根拠を示してくれ おそらく>>337の根拠は「地と模様を超えるもの」だと思う。
「幼少の頃秀策を並べたとき、丁寧で完璧すぎる打ち回しが、
かえって退屈でつまらなく感じてた」とか言うような事が書いてた気がする。
まぁ好みと評価は別物だという事だわな。 治勲は、昔の層の薄さを指摘してたな。
先とかありえねー
高尾でもセドルに勝てるよ。 >先とかありえねー
>高尾でもセドルに勝てるよ。
それはどうだろうか? >>340
秀策の時代は層が薄いとは思えないけどな・・・
秀甫、丈和、秀和、太田などなど 先なら楽勝。
互先の場合コミを出さなければならないからこそ
黒は頑張らなければならないが、
最初からコミがなければ無難な手を選んで安全勝ちできる。 だといいがな……呉清源が十番碁を打っていた時のことを考えると、言い切るのはかなり難しいかと。
微妙に薄く打ちながら差を詰めるセドルの姿が想像できる。
関係ないが、この間坂田の碁の5を買って読んだら、「薄い碁を打つのは橋本宇太郎、山部、それから呉清源、
私(坂田)もカミソリと言われるくらいだから薄いのでしょう」とか書いてあってワロタ。坂田先生の文章はさりげないユーモアがよい。 呉の時代も層が薄いと言われてるよね。
呉の白番は、無茶をするという評価もあるくらいだし
コミなしの白番で勝つ事は尋常な事では無いと思う。 しかし高尾がセドルの無茶な手に正しく応じることが出来るのだろうか 先で勝てるくらいならコミのある白を持っても勝てそうなもんだけどな。 棋力が低いとコミは、あまり関係ないからな。
定先も互い先の黒も勝率変わらない人達なんだろうな。 もし中韓の存在がなかったら
井山って今頃神クラスの扱いなんだろうなあ 現代棋士最強派の人たちは、
今後更に強い棋士が誕生してきて
今のところ最強といわれている棋士を凌駕していくとお考えですか? 韓国はここらへんから後10年くらいがピークっぽいな
日本ももうブームなさそうだし後は中国か >>350
ありえるな。
スポーツでも引退して対戦不可能になった選手等は、美化されていく傾向があるけど。
直接対戦でボコラれたらフォローできないからな。 セドルの棋譜を並べてたとき道策でも勝てないと思ったことが1度だけある >>356
その一度とはどういうとき?
どんな棋譜並べたときですか? 単に二人を比べたら今のほうが強いんだろうなとは思う。
だけど、当時と今では実力者の層が違うから
大差の勝負だと実際以上に勝った者の強さが際立って見えるよね。
その棋士の当時の棋士の仲での偏差値の差があるかどうかってことかな
層が厚くなったのは確かだけど、個人の能力で言えば
頂点はそう変わらないだろう。
野球で例えるならいかに練習法が体系的になっても
200キロの球を投げれるってことはない。 言いたいことはわからないでもないが例は全く適切ではない。 >>358
道策の場合、むしろ負けた方の弱さが際立って見える碁が多いわけだが・・・
>>361
それはいま世界戦で負けている日本棋士と同じだということ? >>360
何故。中盤戦以降は手割論のころから進んでいないのだから
頂点は人間の能力の限界あたりで打ち止めってのは同じことだろ。 >>363
囲碁の場合、打ち止めは人間の能力の限界ではなくて
囲碁の棋理のなかで最善手としての盤上の限界ではないかな
盤面には最善手があるはずだから
もしもそれは進歩していないのなら、
すでに最善手に到達しているか、かなり肉薄しているかと言うことだろうと思う >>363
頂点が変わらないというのは一つの説として検討に値するかもしれないが、
その例として「200キロの球を投げる」ことを出すのはいかにも荒唐無稽だということ。
それは単に、垂直跳びで2m跳ぶとかイルカより速く泳ぐとか、「人間にできそうもないこと」でしかないから、
頂点の実力が変わらないこととは何の関係もない。まして、野球は球を速く投げることを競う競技ではないし。 現代の道策がセドルということですか
それは秀策だったり呉清源だったりのときもあった
最強者同士を比較するなんて無意味というか不可能だね >>366
100マイルの速球なら例えとしていいんじゃない?
100年ぐらい前から剛速球投手はこれくらい投げるけど、
現在の方が投げられる投手は多い。
まあ、この例えがちゃんと囲碁に対応してるかどうかは別問題だけど。 まぁ若干ルールが違うから、もともと正確に比較するのが難しいんだよな。
ただ、他人の碁もアホみたいに並べているプロ達が
昔の名人の棋譜を並べて強いって言うんだから、
相当つえーのは確かなんだろうな。
序盤の段階は今と打ち方が違うので参考にし辛い面はあるかもしれないけど、
中終盤は分かりやすく棋力に繁栄されるからな。
世界的なコミなし碁の棋戦でもあれば、もっと評価が高まる気はするんだけどな。 確かにそうだね
細かいこと言ったらコミが4目半と5目半と6目半でも違うだろうし
そういう点でも比較しにくいのは間違いないね 仮に江戸時代の棋士と現代の棋士が実際に勝負をしてどちらが強いのかを決めるとしたら、
その勝負はどういうルールで行なうのが良いんだろうね
どういうルールで勝負を行なえばどちらが強いのかを判断できるんだろう? 囲碁というものを勝ちと負けを出して二者のうちどちらがより囲碁で強いのかを判別するにはどうしたら良いんだろう?
コミありかコミ無しか
先番白番はどうするのか
何番勝負にするのか
囲碁を二者の強弱を決めるための勝負事であると仮定した場合、
どういう勝負を行なうことで二者のうちどちらが強いか(秀でているか)を決定できるのだろう
というようなことを言いたかったんです すいません 現在互先と呼んでいるものは本来の意味での互先ではない
コミ6目半の碁をで先番白番を交代して10番打つのか
コミ無しの本当の互先を10番打つのか
どちらがいいんだろう 様々な条件でやるのがいいだろう。
13路10番、コミ無し10番、早碁20番、持ち時間3時間30番、
二日制8時間20番、持ち時間20時間10番の100番勝負
これくらいやったらわかるかな >>374
コミありの現代のルールでやれば現代の棋士のほうが有利だという話がある
コミ無しのルールでやったらその当時の棋士のほうが有利なんだろうか
呉清源はコミ無し碁に対応しきれずに第一線から取り残されていったという話があるけれど、
コミ無し碁を続けていたらどうなっていたんでしょうか
最強時代の呉清源と現代最強棋士がコミ無し打ち込み碁の十番勝負でも行なったらどちらが勝つのだろう