【現代棋士】囲碁最強者談義 part2 【歴代本因坊】
本当に強い棋士は現代に存在するものなのか?
それとも過去を越えられていないのか?
前スレ:現代棋士?【囲碁最強者談義】歴代本因坊?
http://game14.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1061978462/ >>22
古碁でも耳赤の一局などは時間があるのに因領がヨセで間違えた
りしてるから何ともいえないような気がするが。ただ道策・秀策
あたりのヨセは完璧って話だね。治勲や依田あたりが細かく調べ
たら中終盤にもミスの一つや二つぐらいあるのかもしれないが。
もし道策の遺譜が出来のいいものばかりなら評価が高いのもそのせい
かも。坂田や呉も100局ぐらい名局を集めたらおそろしく強い印象
を与えられると思う。
秀哉は「無敗って言ったって負けた棋譜を端から捨ててれば自分だって無敗だよ」なんて皮肉を言われて棚。
よく負け碁とか不出来を捨てたなんてきくけど、
相手がいるのに捨てるなんて失礼なことを
本当にしてたものなんだろうか。
自分にとっては不出来でも、相手にとっては好局だったりするんだから。
俺はそこらへんについては懐疑的なんだよな。 道策あたりの棋譜は、
散逸して結果的に好局集だけが伝えられたってこともあるかもしれないけど、
大仙知あたりからの棋譜は結構残ってる気がする。 さすがに秀哉の時代に無敗ってのはあり得ないだろ。
道策は実力十三段と言われ相手になる人間が弟子たち以外いなかったと言うが。 対局相手を選べばいいってのはあるんじゃないかな。
それから、第一人者の権威ってのは強大だから、
その人以外にとって不都合であっても自分の都合のいいような棋譜の取捨選択はできるんじゃないかな。 いいものだけを残したとしても
道策の実力は時代を超えているのではないかと 1000局近く棋譜が残ってたら疑いようがないのだが
一人も居ないよね。
第一人者は、好局だけ残すのが慣例じゃないかな。 妄想を勝手に慣例にされても。
秀和は1000局以上残っているという話を「囲碁」で見たが。 秀和の棋譜はそのくらい残っていたよね。
実力を測るのに不自由する部分といえば、秀策相手の
黒番が一局もないということぐらいか。 棋力維持する上でそれなりに対局はしてたはず。
お城碁とか、他家との碁は残ってるだろうけど、本因坊家内で打った碁は
内容のいいものだけ棋譜にしてあるのでは??それでないと100局強は
少なすぎる。
秀和・秀策が1850年代にほとんど対決してないのが残念だけど、それは
七段の秀策に白で負けたら名人碁所になれないから秀策が配慮したのでは
ないかと思う。この二人が違う家だったらすさまじい争碁になってて面白
かったろうね。 実際は対決してるけど、棋譜を残していないだけなんだろうと、
現代の私の感覚だと思うんだけど、もしそうならもったいないよね。
41さんの言うとおり、練習対局みたいなのは残していないんじゃないですかね。
幕末の忙しさでスポンサー探しも大変だったろうけど、
本因坊家だけが強くなって一強三弱ではもったいなかったね。 現代だって練習対局の棋譜はほとんど表に出ない。
あと、幕末明治初めに本因坊家は火災にあったり、貧窮したりした。
このとき棋譜も含めていろんなものが失われただろう。
その証拠に秀和の次の秀悦の棋譜はほとんど残っていないと思う。 >>41
本因坊家で一緒に修行してたから強くなったとも言えそう。 元旦の朝日新聞に、ちょううー森内の対談が載ってる。
その中で、「昔の名手に勝つ自信はない」って言ってるね。
互角までいくのが精一杯って意味だろうが。
将棋と違うのは「広すぎて、研究できる部分が相対的に少ないから」だそうだ。
新知識を伝えずに現代に持ってきても恐ろしく強いのは当たり前
みたいなニュアンスだと思った。 歴代最強はチャンホで決まりだろ
それを追うのがセj 95年チャンホが世界戦優勝してから国際戦の旗色は悪くなっていったが
10年近く日本の方が強い説を支持してる人が結構いた。
今勝てなくなったから、昔の日本の棋士の方が強いと思いたい人が多いんだろうな。 むしろ
「昔の名人の方が中・終盤が完璧なんだけど?昔の方が強いんじゃないの?」
という意見に対して
「今は秒読みがあるからね。昔の名人も今だったらミスしまくりだよ。」
という人間も多かったけど、チャンホのおかげでそれに反論できるようになった。 同じ時間で打っても秒読みの有無は心理的に大きい。
チャンホでなくてもトッププロなら時間制限無しであればほぼ完璧にヨセられると思う。
むしろヨンフンやチャンホのヨセの技術が素晴らしいと考えるべきだろう。
わかりやすくいうと、
「秒読み制ではミス多発は不可避だ」
という意見に対する反例になってるってこと。
昔の名人が秒読みで完璧かどうかはわからない。
まあ、秀和とか1局3時間で打ったりしてるけど(秒読みとはちょっと違うが)。 江戸時代は棋譜はそもそも重視されてなかったから
棋譜売って生活してたわけじゃないから
棋譜は言わば流出して世間にひろまってたわけで
勝ち負けの方が重要 チャンホかセドルの二択
日本人棋士では話にならない チャンホやセドルがそれ以外の棋士を先相先くらいに打ち込んだら
認めよう 坂田栄寿か李昌鎬の二択。
昔の棋士のことは知らないけれど、
私が知る範囲での最強はこの二人。
ずっと坂田が最強だと思っていたが、
李昌鎬が出てきてからというもの、
もしかしたらと思っている。 >>55
いや、勝ち負けに徹底的にこだわることが
自然と「完璧に近い棋譜」を作ることにつながるんですが・・ 囲碁の最強者は二百年後のCPUだろうな。
初手を打ったら二手目に長考して投了する。 >>59
賛成。現代碁は李昌鍋が1位で坂田栄寿が2位でいいと思う。 たしかに坂田栄男は最強候補の一人だと私も思います。
私が最初に囲碁にのめりこんだときがちょうど
坂田栄男から林海峰と木谷一門に世代交代をするというような時期でした。
とにかく坂田が負けるというのが想像できないような圧倒的な強さでした。
ほかの棋士とはかなり差があるように思います。
打ち込み十番碁などのない時代ですが、もしもあったとしたら
その他のトップ棋士を相手に先先先くらいには圧倒していたと思います。
その後の小林光一や趙治勲やあるいは李昌鎬の場合は断トツだったとはいえ、
そこまで他の棋士との力の差はないように感じています。 とりあえず道策、秀和、秀甫、秀栄あたりは持ち時間が2,3時間あれば
十分終局まで打てるはずだから、秒読みに入るかどうかが疑問。
特に秀和は本気で打ってないから1時間あれば充分。
坂田さんの全盛期はほんとにすごい。
記録でしか知らないけど、7冠王2回、本因坊戦挑戦手合い17連勝、
公式戦29連勝(チャンホは41連勝だけど当時の韓国はレベルが低いから微妙)
年間成績30勝2敗。
どれも更新不可能な記録な気がする。
坂田さんに並ぶ人は現代じゃチャンホくらいしか浮かばない。
セドルはあのカミソリでスパッとやられるだろうね。 他の棋士との比較なら道策が圧倒的でしょ。
記録の比較は時代のレベルの影響の方が大きい。
2000年頃は研究生が、チャンホに先で打てると言われてるし。
セドルがチャンホの記録を越すのは難しい。 昭和20年代生まれの親父は坂田最強と思ってるみたい。
江戸時代の棋士は別枠で捉えるのが適当かと。丈和の手厚い黒を見てると
ゲーム性が違う気がする。今のルールなら道策や丈和でも地に辛く打つ
だろうしね。(特に黒番)
だれも出しそうにないので林を候補に入れときます。評価は低いけど
間違えなく最強候補の一人だと思う。
強いのは間違いないが、木谷門下に押されっぱなしだったからなあ。 絶妙手の多さという点では,全盛期の坂田先生に勝る人は歴史上見あたらないと思う。 坂田の場合正式に碁を習ったことがないらしいし
かえってその才能のすごさを感じる >>66
前スレでは坂田より上だという意見もあったよ。
というより今スレでは坂田がやたらに評価が高いね。 坂田は好敵手に恵まれなかった面もあるんで成績ほどの評価はどうか。
日本ならチクンが圧倒的だね。坂田や林は若手の台頭で霞んだけど、
チクンは若手をずーと撥ね返しつづけたんだから。 昭和なら呉清源が一番じゃないだろうか。
治勲はチャンホに負け続けてるような。全盛期の終わり頃から。 >>72
正確には東洋証券杯あたりからなので治勲は強かったころでもチャンホに
負けてる印象がある。ヨセで逆転の半目負けのイメージが強い。
呉も強いけど名人戦リーグで全敗したあたりが印象を悪くしてる気がする。
交通事故の影響もあったとは思うがコミ碁に対応できなかった説も有力な
のでは。昭和最強は秀哉という人もいるけど、どちらかというと大正にいれ
るほうが妥当かな。
大正・・秀哉
昭和・・呉、坂田、趙、林
平成・・チャンホ、小林、趙、フニョン、セドル
あたりかな。
このスレではセドルの評価が高い印象。
秀哉を最強者候補に入れるには正直違和感を感じるが、
大正最強というのなら納得がいく。
昔の棋士は全盛期が壮年期からぐっと中年期に近いところに
あったから、比較が難しいんだよな。坂田も、そういうタイプの棋士は
自分くらいまでかと思うと著書に書いている。それは若い林、加藤、石田たちの
突き上げを自らが食らったからこそ思うんだろうし、実際本格化が
30代後半以降になる一流棋士というのは80年代以降見ない。
まあ全盛期が長いから最強という話でもないとは思うが、
田村が秀栄の全盛期にもっと強かったら周囲の評価も違ったと思う。 今一番強い人間に飛びつくのは人間の心情。
とはいえ今の韓国であれだけの勝率を残すのは確かにすごい。
昔は国内戦だとあんまりやる気がなかった気もするが、結婚してから変わったのかな。
>>73
「全盛期の後期の頃から」と書くべきでしたね。わかりづらくてすみません。
>>71
周りのレベルが低かったといいたいのだと思うが、
その間タイトルを独占し続けたわけではない。
実際には全盛期であってしかるべき年代に本因坊を連覇してたのは高川で。
2冠もすぐに林にとられ、実力の割に勝負弱かった気がする。 >昔の棋士は全盛期が壮年期からぐっと中年期に近いところに
幕末の全盛時代にはみんな20ぐらいで強くなってる。
秀和は20歳で天保四傑を全部打ち込んでるし。
例外は丈和ぐらいじゃないですか?
40歳を超えてから碁界を制覇したのって坂田ぐらいかと。
秀栄も秀哉も30半ばで第一人者になってるから(先人が死んで繰り上がっただけだが) 治勲とチャンホは歳が20近くも離れてるからなんとも言えないなあ チャンホが治勲に東洋証券杯で3連勝したのは
チャンホ17歳、治勲37歳の時だからな。
若い方が勝つのは当たり前とはよく言われるが、若すぎだろ。 坂田は自分のタイトルのほとんどを40以降に取ったのは密かな誇りと言ってたな。
呉や宇太郎に重要なところで負けちゃったり、本因坊リーグ次点続きでなかなか挑戦できなかったのが痛いな。
しかし坂田はかっこいい。 秀哉はあまりに過小評価な気がする。
棋譜並べてみると分かるけど、名人についてから本気で打った碁はほとんどない。
そこを考えてみるべきだと思う。
瀬越との手合いが先になるまではほとんど本気で打ってないのに、
秀哉に迫るものとして認められてからの二子局は明らかに本気で打って、しかも持碁。
そのあとの向こう先番も勝って、事実上勝負付けがすんだあとはわざと1目負けてる。
三々、星、天元で有名な碁は、はじめは
「新布石にはこういううち方で勝つんだよ」
って教えるような打ち方で始まってるし、呉清源がうまく打ったら負けてあげよう
っていう打ち方してる。
この碁が争碁に化けたのは当時のファンが大騒ぎしたから。
引退碁なんて、65歳で重い心臓病を抱えての対局なのに、
「打ちかけのための封じ手」みたいな手の直前までコミなしの白でいい勝負。
結局当時の第一人者に5目しか負けてないんだからすごい。
最強候補の一人には確実に入ると思う。
>>79
囲碁の神様とまで言われた呉清源に負けるのは仕方がないとしても
宇太郎などという弱小棋院のザコに負けるのは流石にまずいだろ>坂田 時代水準を考慮するとやはり日本では秀和が最強じゃないかと思う
近代囲碁では韓国のチャンホかセドルだろう >>81
そのザコをいつまでもリーグで活躍させた現代棋士はごみですか? 秀哉の碁は強いけど時間をかけすぎていて今ひとつ心を打つものがない。
争碁でもないのに二手で打ちかけたりでは他の名人に比べて余裕がない印象
。もちろん当時最強には違いないが打ち込んでいる相手のレベルが低いので
ね・・。手合い数が少ない昔だと強くなるのに時間がかかるのは仕方ない
とは思うが、逆に衰える年齢も遅くなる気がする。
秀栄も秀甫が坊門を継いでいたら教わる機会も多くなって上達が早かったのでは
・・。秀策や秀甫はその点恵まれていたので若いうちから強いのだと思う。
丈和は一時期碁をやめていたので晩成なのではないか。
>>76
そう言われてみれば、晩成と言われる仙得でも30前後までには本格化しているな。
坂田の文章では、芸というものは若いうちには完成しない、という言い方だったから
勝負における強さはまた別にあるという前提だったのかもしれない。
あるいは、自分が若い頃に活躍していた大先輩に遠慮したのか。 >>80
つまりその秀哉が定先までしか迫れなかった秀栄ははるかに上で
秀栄が30過ぎても白をもって五分だった秀甫はさらに強く・・・ つっても昔の名人って言われた人達は二十半ばにはだいたい黒番必勝じゃなかった?
芸とか勝負とかでなくて、その意味で十分な棋力はあった気がする。 >>83
74歳当時の橋本宇太郎の本因坊リーグ入りを許してしまった
石田芳夫は救いようがないなw
仮にも木谷門下の三羽カラスの1人(コンピューター)なのに
三流老いぼれ棋士ごときに負けるなんて恥ずかしすぎるだろw 宇太郎より早く衰えちゃったんだから仕方ない>コンピュータ 宇太郎はここ一番に強い。
大手合で利仙先生にコミなし先番で敗れた直後、
第2期本因坊戦挑戦手合で先生にコミあり先番で勝利している。
コンピュータは24世を襲うと同時に止め碁かも。 >>89-92
明らかにスレ違いな話題はやめろ。
ここは「囲碁最強者談義」スレだ。 現代の10代の特徴:
正義感のかけらもないくせに「スレ違い」「重複スレ」等にムダに厳しく
「自演」「粘着」などの紋切り型のことばで他人を貶めて満足する。
知識が不足している上に考える力も足りないので
猿真似のように無意味に誤変換を多用する。
>>93
囲碁は大人のたしなみだからガキは出て行きな たしかに宇太郎は最強候補にはならないかもしれないが、
>>90-93は別に「宇太郎が史上最強だ」と主張してるわけではない。
その時その時の話の流れに関係なく、ただ単に単語に反応してスレ違いと認定するのはおかしい。 アホか。
ウタロウが史上最強だと主張するならいいが、主張してないからスレ違いなんだろ いや、歌郎がかりに最強だと主張しなくても、
最強候補を比較するものさしになればそれで良いんじゃないか?
秀策が最強だという人がいて、秀栄が最強だという人も別にいるとき、
秀甫を利用して、
秀策>秀甫>秀栄
というような話は出来ると思うんだ。
ただ、卯太郎がそういう話に使えるかどうかは知らない。 秀甫>秀栄はそんな気がするね。秀策と秀甫はよく分からないけど・・
秀甫は秀栄との十番碁でかなり手を抜いてる印象がするのは俺だけかな。
秀策とか秀甫は卯太郎同様スレ違い違いだろう。
最強と主張するならいいけど >>97
ああなるほど、そうか。それはうっかりした。
でもそれを踏まえて再考しても
厳しくスレ違いと断ずるほどのものじゃないと思う。
スレの流れからの自然発生的な話題だから。
あと俺は94ではないので一応。 瞬間最大風速で言うなら小野田千代太郎も捨てがたい気がする。
六段で2期連続大手合い全勝優勝なんて、人間業じゃない。
あの一年だけに限れば歴代でも相当な位置にいけるように思う。
まあ一年限定だけど・・・ 大手合なんだからハンデ戦なんじゃないの?
七段の秀策がお城碁で勝ちまくったように、実力より段位が低ければ勝ってもおかしくない。
石田芳夫の大手合30連勝とかに比べてもどうなんだろう。
趙治勲の33(?)局連続負けなしとかもあるし。 小野田の優勝は昭和17年秋・18年春だったかな。当時は木谷・呉
につぐ実力者の一人だったから調子がよければ全勝も可能だったのかも。
御城碁だと二子局もある中での道策・大仙知の記録も立派だね。秀策の
19連勝も難しい記録。黒番が多いとはいえ天保四傑相手の白番も勝ってる
ので立派。
>>106
もしかして小野田連続優勝のときの段位の厳しさ知らない?
今の日本の昇段規定の九段が当時の四段に相当するんだけど。
>>109
わかりにくいツッコミだな。
ほかの棋士の段位も低かったので小野田一人が
有利な段位にいたわけじゃない、と言うべきじゃないか? >103
禿同
そこから考えると秀和、秀策、秀甫のだれかが最強だと思う
丈和や幻庵より前、大仙知、元丈、仙知は強いが秀和との対戦(丈和と幻庵だけだが)から比較すると少し劣るのではないかと思う
道策や道的、個人的に中村道碩なんかは中盤から終盤からものすごく強さを感じるがいかんせん布石が古くて分からない
比較的新しい時代、呉や坂田はまだ生きてるし先人達と比較するのはやめとく 呉の序盤の柔軟な発想や坂田の中盤の切れ味は三秀や丈和よりも
勝るように思うけど確かに幕末のレベルは高いね。秀和や秀策で
も算知や仙得に苦戦している碁も多いし・・。
まあ今の定石の原型を秀和や秀策が打ってるケース(大斜や小目
)が多いんだけど呉はそれに新たな解釈や変化を生み出している
から序盤で優位に立ちそう。坂田の碁を並べたら中盤以降坂田が
三秀に劣るとも思えないしね。
江戸前期の碁についてはスピードに欠ける部分で評価が低いよう
な気がする。道策は布石も割合現代的で発想が柔軟だから評価が
高いのだろう。
>>111
秀和が「秀策が長生きしていたとしても、秀甫には・・・」というようなことを言っていたはず。
つまり、これは秀策と秀甫がともに生きていた時代では秀策のほうが強かったのだけれど、
才能では秀甫が勝る(将来的な最終到達点が高い)ということだろう。
実際に秀甫が最終的に秀策よりも高い点に達したのかという点では意見が割れるだろうが、
私は秀甫が強かったと思う。
秀策と秀甫の最後の対局時では1子も差はなかったと思う。
しかし、秀策の死後秀甫は1子は強くなっていると思う。
だから秀策よりも秀甫の方が私は強かったと思う。
同じように秀和と秀甫を比べても最終到達点では秀甫が上ではなかっただろうか。
つまりこの三人の中では秀甫が最強だと私は思う。 秀甫の全盛時には秀策は下り坂だろうから
それを考慮に入れた発言だという意見もあるぞ。 秀甫って秀和に白番いれたことあったっけ?
秀策はたしかずっと黒もってたから比較しにくいし。
どちらかと言うと序盤での布石感覚ですこし独特な分、
秀和は秀甫を高めに評価した気ガスる。
逆にいえば中終盤は二人とも完璧に近いというし、ほぼ五分だろう。
勝ち負けでいえば、秀策の実力は疑いようがないからな。
勝ち負けは運といわれてしまうともうどうしようもないが。
知るかぎり秀和の黒は鉄板で、秀策でも黒で怪しい時もあったし、秀甫はポカしたりするけど、
この3人でやりあって白番をいれるのはほとんど無理な気がする。
手合いで見れば互い先が崩れるほどの差がある気がしない。
秀栄がなー。可能性では白でもなんかこなしそうな気がしないでもない。一方で黒がよくわからん。 >>114
そういう意見もあるのですか、参考になります。
となると>>113で書いたのはちょっと違うことになるのですかね?
>>115
秀和と秀甫は最後は先相先になっていて、
そこでは秀甫の方がいくらか勝ち越していたはずです。
だけど、秀和は先番では一つも落としていなかったと思います。
その三人の白番を入れるのは難しいというのは、
「先番と白番の打ち方に違いがあって、
三者とも先番は得意だけれど、白番は苦手だった。」
というふうな解釈でしょうか。
その意味では秀栄は白番が得意だったということですか?
黒番と白番で別けるとこんな感じかな
黒番:道策
白番:秀栄 秀策の黒、秀栄の白。
>その三人の白番を入れるのは難しいというのは、
いや、コミなしだから・・・ >>113
実は私も秀甫最強説を唱える一人です
道策、丈和、秀策の三棋聖よりも強かったのでは?と思っています
ただ人格者じゃなかったため時代の評価が下げられてるんではないかなーと思います
跡目問題の時に丈和未亡人から反対されたり
ある対局でノゾキを打ちトイレかなにかで席をたった秀甫が戻るとまだ長考してた対局者に対して
「天下の秀甫が打ったノゾキだぞ。継がぬ馬鹿があるか」
など問題があったような逸話が遺されていますからね
しかし>>115氏が言われたように多少ポカがあったりにしろ棋譜からは柔軟な序盤戦、読み負けない接近戦、勝ちまとめるのがうまい中盤戦、そして秀甫の一番の強い所はヨセだと私は思っています 秀甫に肩を並べるものがいなかったから強く見えるのは仕方ない 秀甫は先相先で秀和に5−3、黒で負けたのが有名なヨセの見損じの一局
で残りの黒番は五勝しているのでもう少し打つと互先になってたはず。
晩年は秀栄を向定先で5−5と圧巻の強さ。坂田や林が評価するのもうな
ずける。実際並べると中盤の力の強さやヨセの巧みさに感心させられるね。
秀栄は秀甫との10番碁以降に強くなった印象があるから、
そこをとって秀甫が一番って感じはしないんだよな。
あの頃の秀栄って五、六段だったよな。
たしか終わったあとに七段に押されてたけど、
まだ少し黒でぬるい感じがあった。洗練には程遠いというか。
ちょっとさきの六段の時の田村の方が強い感じがする。
>116
不毛だけど仮に三秀が打ち盛りの時でも良いけど
三人で打ちこみ碁やったら、3人とも黒番が鉄壁すぎて誰も白で勝てないだろうということ。
白番が下手だからという意味ではない。準名人クラスは黒鉄板だろ。普通。
伊藤松和みたいに、白の方が棋風にあってるというような個人差はあるかもしれんが。
ただ布石の進歩とかもあるけど、白番の秀栄だったら何回かいれることができるかも。という妄想。
秀栄の打ち盛りの時の黒番は見たことないから分からん。
まぁ秀栄でもたまにヨセミスったりするから、やっぱりそんなに変わらんとは思うけどね。
>121
俺も本で読んだり全体的に並べて感じた印象だから技術とか深くは突っ込むな。
まぁ俺はなんだかんだ道策最強だと思うんだ。
不出来は燃やしたとか、一門総出で考えたとかいう話も聞くが。
秀和、秀策、秀甫、秀栄の4人じゃ、秀和が最強だと思う。
秀策も秀甫も、秀和に黒を持ったなら中押しで勝たないと。
秀和は秀甫にきっちり中押しで勝ってる。
秀策に対してもおんなじ結果が出たと思うよ。
よく「秀和に対する秀策の白番がみたかった」なんていわれるけど、
秀策ファンにとっては白を持った棋譜がなくってよかったんじゃないかな?
そんな秀甫のことを「名人の域に達した」なんていうあたりに秀和の自身を感じる。
ちなみに秀栄は「親父には二子でもいやだよ」って言ってる。
半分は冗談だとしても、秀和に強さを知ってる秀栄だけに勝てないっていう思いはあると思う。
>>125
「秀甫=名人」の評→秀和の自信
なるほど。これは説得的。
勉強になりました。 >>120
秀甫が人格者じゃないなんて説は初めて聞いた。
三秀はみんな人格的にも立派だろ。 >>125
秀甫・秀和十番碁をじっくり並べれば黒番秀甫の完勝譜が多いよ。
秀和は最後まで作ることが多いから中押し勝ちにならないだけで
・・・。34歳の秀甫は秀和に追いついていたと見るほうが自然だ
と思う。秀和のコメントは自分に追いついたという意味だろうけど
いかにも自信家の秀和らしい発言。
秀策・秀和戦は跡目になってから極端に少ないので何とも・・。
残ってる棋譜からなら秀和優位だろうけど同じくらいの年の秀和
も丈和や幻庵相手に苦戦している碁もあるので難しい。
丈和も跡目になってからの黒は鉄板で不敗だったので三秀に劣るとは
いえないと思う。
>>120
>>127
ノゾキに継がぬ・・・という逸話は私は初耳ですが、おもしろいですね。
自信の現われと見るか、驕りと見るか、人それぞれでしょうが、
その場に居合わせないのでわかりません。
秀甫は中江兆民の近代非凡人31人の内の一人に選ばれていました。
人格者であったかどうかは分かりませんが、
こういうのに選ばれるのですから、
少なくとも非人格者ということはないだろうと思います。
>>113
秀策存命なりともいえども秀甫に歩あり
というのが秀和の遺した言葉ですね。