藤沢朋斎
不遇の棋士という印象だな
全盛期は短かったし晩年はあまり省みられなかったようだし かなりよぼよぼ状態でもNHK杯とか出て頑張ってたもんな。 この人の棋譜は勉強に値します。ぜひ繰り返して並べてほしいと思いますが、
もう打ち碁集ってあるのかな? 朋斎が真似碁を打たれる側の棋譜ってどれぐらいあるの?
せっかく真似碁を追求してるのに、
真似碁を打つ側ばかりじゃ、なにかもったいない気がするんだけど。 晩年、女子学生の大会には呼ばれてもいないのになぜかフラリと現れて教えてくれていたそうだ
しかしそのくしゃくしゃした優しそうな爺ちゃんがかの朋斎先生だと気づかない子も多かったらしいw
というか私の知人も五子で教えて貰ってボッコボコに潰された相手がかの藤沢朋斎だと後で知って仰天したそうだ 呉清源には敵わなかったなあ。
呉清源が牛若丸、朋斎が弁慶のイメージ。 女流棋士を普及に活用することに積極的で、海外派遣もした。
煩悩が多すぎたのだろう。 芸の探求シリーズ4『怒涛 藤沢朋斎』日本棋院
本棚から30数年ぶりに引っ張り出して見た
頑固で融通が利かないところが好きだった 呉ー藤沢十番碁並べるの楽しすぎ。
藤沢が悪手打つたびに好きになってくのはなぜなんだ。 マネ碁を打つ勇気は評価にあたいするのではなかろうか 全盛期のいちゃんほとかが打ってみてほしかった
なんだか研究価値がありそうだけど
nhkの早碁とか コンピュータでマネ碁崩し崩し
のけんきゅうとか 怒涛藤沢朋斎の言葉が泣けて泣けてしょうがない。
「無器用な自分は、努力すればするほど脇道へそれていったように思う。
一つ一つ納得いくまで追求するには持ち時間に限りがあったし、
人生にも限りがあった。自分の掲げた理想は殆ど実現しなかったが、
しかし自分の失敗の一つ一つが次代の踏み石になることを信じている」 囲碁史上屈指の強豪である呉清源の全盛期に十番碁を2回も打てた自分は、
幸せ者だと思えるようになった、と晩年に語っていた。
そういう心境になれて良かったと思うよ。 >>52
ありていに言えば序盤が苦手だったんだよw
だから考えたくなかった。
その分、中盤戦の怪力は凄かったけど。
当時はともかく、布石理論の進んだ現代にあの棋風のまんま戦ったらボロクソにやられるよw 史上初の九段だよね。
最盛期は間違いなく最強棋士の一人だったろうに、今はもう全く語られない…。 呉清源に負けた後も、
十段を取ったり本因坊戦の挑戦者になったり、
読売時代の名人戦リーグに1期から14期まで14年連続在位したりしている。
一流棋士であることは間違いない。 >>70
亡くなってから月日が経つと載らなくなるのではないか。
同世代の前田陳爾・宮下秀洋もない。
高川・木谷は特別なのだと思う。 生きてたら「3時間じゃまともな碁は打てない」と言ってそう 物故棋士にも載ってないのか?
メジャータイトル取ってない木谷は載せるが取った朋斎は載せない?
事実ならいくら何でも非道すぎやしないか日本棋院。 >>74
だって理事長が木谷門下ですし
木谷家には小林名誉三冠と張栩という碁界のレジェンドがいるからね
日本棋院にとってはスキャンダルの多い藤沢家よりも上なのです