【坂田】昭和の囲碁界について語るスレ【高川】
3 mu・si 2ru・i 2-3 massuguhanaika
3 1s・i 3ru・i 2-1 mouhitotu in miseteokitaina
3 mu・si 1,2ru・i 2-3 furiokurya
3 1s・i 1,2ru・i 2-0 otosukanaichido su-raka
kiyoudasiyanihachikaradeositekurude
3 1s・i 1,2ru・i 2-1 su-rakana matusu-gudattara katto
3 2s・i 1,2,3ru・i 1-2 in matusu-gumiseteokitaina
3 2s・i 1,2,3ru・i 0- 1 haittehensina 3 2s・i 1,2,3ru・i 2-3 mouhanbunhikukeriya sukinakousunandaroukedo
tamaerabiyo
takaga ituturenjyokude syangatukarakachituduketakaraiutenaa fuaurunojitenndehakitaidekinkatta 1960年代昭和30年代の坂田は将棋で例えたら、大山康晴、野球で例えたら王貞治で無敵だ セントサイモンならぬ木谷一門の悲劇が囲碁界で現在進行形。
セントサイモンの血脈は競馬が滅びるまで消えないと言われてるが、囲碁界はどうなるか。 木谷の最初の師匠、久保松勝喜代の系譜は絶えないだろうね
木谷一門、宇太郎一門、窪内秀知一門に加え、前田陳爾ー大枝雄介ー大渕盛人の流れもあるから 高峰秀子さんの著書によると、親交のあった梅原龍三郎画伯は、孫娘の婿にと、林海峰さんや、大相撲の横綱・柏戸関を、考えていたとのこと。 昭和にタイトル取った棋士が今も現役でいることが驚き。
しかも大半は老醜を晒しているだけというのが。 大正昭和のころにAIがあったなら大倉財閥や俄か成金を騙せないだろうから、
日本囲碁界にとっては幸福な時代だった。「詐欺師の幸福」でしかないが。 藤澤秀行は日本囲碁界の体質気風を心底嫌っていたのだろう。もうすぐ願いが叶う。 高川格「大手合再開」(昭和21年)より
昭和20年5月25日の夜から26日の暁方にかけての空襲で、麹町の日本棋院も丸焼けになつてしまつた。
棋院が焼けた時は、丁度春の大手合の期間中だつた。
あのはげしい空襲下に、大手合をつゞけるかやめるかといふ事が問題になつた。
何時警報が鳴るか分からぬし、食糧や交通事情の悪い情態では、それは生やさしい事ではなかつた。
しかし手合が棋士の生命である以上、如何なる障害があつても大手合だけは続行すべきである、
といふ議論が大多数を占めた。そうして大部分の棋士が参加した。
棋士といふ人種は、それが職業といふばかりでなく、本質的に碁が好きなのだ。
碁が打ちたくて仕方がないといふのが正直な気持らしい。
坂田君との手合中に、警報が鳴り出して、山王さんの防空壕へ2時間ばかり退避して、
又のこのこ出て来て手合を続けたこともある。
棋院の焼失によつて、大手合も遂に中絶の止むなきに至つた。 >>322 投稿者ですが、この記事は市販の書籍からの無断転載であり、
著作権侵害の懸念が生じてきたため、見なかったことにしてくださいませ(^_^;
なお、転載元は、作品社刊「日本の名随筆・別巻11・囲碁U」です。
棋士の逸話やエッセイ、囲碁の歴史などに関する記事に加えて、
碁会所通いをする”ヘボ碁打ち”の作家たちのエピソードなどが大変面白く、
紹介したかったんだけどなぁ
無断転載なので、とりあえずやめておきます。
出版社様、何卒ご容赦くださいませ m(_)m 昭和はみんな囲碁やってたからそういう本もふつうにあったんだね。
最近だと作家の新井素子さんの本くらいかな。 >>323について
下記のリンク先のスレに補足説明を投稿させていただきましたので、
よろしければご覧くださいませ。かなり長いですけど・・・
【解説会】囲碁関連イベントスレ【就位式他】
(レス番号0012〜0018)
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1706125974/ 将棋世界2018.11月号の中原十六世名人のインタビューに
名人戦・順位戦の移管問題への言及があって
そこにちょっとだけ囲碁の話題が登場
関西棋院側の契約(の詳細)が曖昧だったと言われてるがどういう事だろう スレ乱立スクリプトが続いてるようなので
まともスレ age保守しておきます